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2010/04/22

コミュニケーションのなさを売り物に

田舎暮らしの希望者の中には、「田舎は、人が少ないから、人づきあいをしないでも生きていける」と勘違いしている人が、たまに、いやかなり多くいる。自然だけを相手に暮らしたいと願っている。

私は、そんな人々を罵倒してきた(笑)。田舎暮らしほど、濃密な人間関係が必要なんだよ、と。コミュニケーションができない人は、田舎に来てもトラブルを起こしやすいし、うまく生きていけないから移住しない方がいいとも主張してきた。

しかし、考えてみると、「コミュニケーションが苦手」な人は少なくない。とりあえず「人づきあいをしたくない」という考えから田舎暮らしを求める人が多いということは、それがニーズだとも言える。

ならば、提供してやったらどうだ。田舎に、他人と口をきかずにすむ空間を作って、人を募集するのだ。消滅集落などをあてがって、一切かまわないようにする。地元の人にも近づかないよう、お触れを出す(笑)。
どうしても必要なことは、メールで伝え合う。買い物もメールで宅配させてもいい。受け取るときも話しかけない。顔もできるだけ合わさない。そうしたインフラを作っておく。地域に害を及ぼさないよう、監視の目は気がつかないよう光らせておく。

まあ、本当に他人と出会わず、話さなかったら、普通の人なら1週間で根を上げる気はするが、人を呼び込む手だてにはなるかもよ。そして根を上げたところで、何らかの対応をすれば、田舎社会に溶け込ませることもできるかもしれない。

受け入れる田舎側にメリットがない? なに、住民票だけは絶対に移すよう決めておけば、人口は書面上増える。そうしたら地方交付税も増えるし、地代を徴収することもできる。そして田舎人側も、「よそ者」とつきあわなくてよいというのがメリットになる。

昨夜の「クローズアップ現代」で、「アスペルガー症候群」を取り上げていた。

いわゆる発達障害の一種で、近年子供の教育問題や社会性のない人間として取り上げられることが増えてきた。他人とのコミュニケーションが極端だったり、うまくできないために問題を起こしやすいのだ。

番組では、昔からこうした人々はいたのだろうが、あまり騒がれなかった。なぜなら、あまりコミュニケーションが要求されなかったからだ……という意味のことをコメンテーターは指摘していた。

明治時代の農山村では、ほとんど1日言葉を交じ合わせない生活が普通だったというのだ。柳田国夫の記録によると、1日15句だったという。何も無口だとか、近所や家族と仲が悪いわけではない。むしろ濃密な関係にあるだけに「話さなくてもわかる」世界だったのかもしれない。それを再現すると思えばよい。

現代社会は、見知らぬ同士が関わることが多く、そこには社会生活という名のコミュニケーションが求められる。そして、その能力が劣ると「社会不適応」の烙印を押される。
都会は見知らぬ者の集まりで、会話をしなくても生きていけるというが、じつはKY(空気読めない)人は暮らしにくいのだ。

でもね。コミュニケーションを強制されるのも辛いものだよ。

先日、法事で親族が集まった時に、子供らが全員独立して家では一人生活、また職場でも個人個人が受け持つ部署に分かれるため交流しにくく、ほとんど話さない日が続いていると語る人がいた。

「おかげで、たまに話そうとすると口がもつれるわ」と、そこで笑いを取るのが関西人らしいのだけど、意外とこうした立場を喜ぶ人もいるかもしれない。

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コメント

山村でのよそ者を受け入れる受け入れない温度差は大きいですね。集落崩壊の危機感がない田舎のなかでもまだ町に近いところはそれに近い。
自分の住む集落で、10年20年後の集落点検をしたく、アンケートをつくって、こんなの調べたいのだけれど、どうだろうかと打診してみました、つい最近。
 こんなこと調べてどうするの?調べたからといって何が変わるの?という意見がでた。
周りも特にその意見に反対するわけでもない。
空気を読むと、まだ無理かなと。
確かに田舎は、空気を読まなくても、部外者が入ってきても集落の決まりがあるのでそれにのっとって付き合っていればさし障りなく過ごしていける。それを知る努力は必要だけれども。私は地元で嫁さんをもらい、実家のある集落に住んでいるので、そのへんは楽です。

10年後、自分たちの集落がどうなるのか、予測するデータを集めるのは重要だと思うんですけどね。
やはり人は目の前に迫らないと危機を感じないのでしょう。

いっそ部外者向けの集落生活マニュアルを作っておくとか……(^o^)。

姥捨て…ならぬ、世捨て村、とか?

あくまで、本人の意思で、「世捨て」ね(笑)。昔のコミューンみたいなものか。

武者小路実篤ばりに「新・新しい村」とか、「自給自足村」なんて名前にしたら、人気呼ばないかな。

 「サービス業」や「営業職」が重みを増してきたり、
正社員の「責任者・管理者」としての役割が高まってきたというのも
コミュニケーション能力が必要とされる理由だと思います。

 それにしても、[落ち着きがない]とか[変わっている]とかは気になったり気にならなかったりする(本人も・周囲の人も)もので、
障害とか不適応とかという概念にとらわれ過ぎると都会でも田舎でもかえって生きにくいような…。

別に障害とか不適応というのではなく、単に指向(笑)。

私も、一切人とつきあいたくなくなる時があるもの。家に引きこもるのではなく、野外に引きこもりたい願望。それを成就する場所としての田舎というニーズはあるはず。まあ、それが健全と言えるかどうかは別ですが……。

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