門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
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『ゴルフ場は自然がいっぱい』を発行してもう8カ月過ぎたが、今頃になって、改めて反応が出てきている。
その一つが、「All about」のサイトに掲載された書評というか、引用というか、本を紹介しつつゴルフ場を解説した記事が掲載された。
http://allabout.co.jp/sports/golf/
「All about」は、さまざまな分野ごとにその道のプロが解説や案内するサイト。これまでも田舎暮らし関係などで接触があったが、今回はゴルフ業界である。
2回に分けて、「なぜゴルフ場が嫌われてしまうのか」
「環境破壊は本当か?ゴルフ場開発の誤解」
を掲載してくれている。
執筆者のいうには、やはり現在も、ゴルフというだけで嫌われている部分はあるようだ。私なんか本を出しながら、世間のゴルフブームを見ていると、もはや偏見は消えたの? それなら私の本も必要なくなったの? と思わないでもなかったのだが、安心した(^^;)。
ほかにも、ゴルフ場を生物多様性に活かせないか、と考えている人から接触があるなど、じわじわと拙著の呼びかけが届いているようで、有り難い。
昨日、京都へ行くために京阪電車に乗った。
その駅の中で昼飯がわりのウドンをすする。
で、いざ食べようと思って目についたのがお箸。
ああ、エコ箸という名の樹脂箸が置かれているではないか。しまった、鞄に割り箸が入っていない……。
が、よく見ると手元に割り箸も置かれていた。
しかし、私は、割り箸を使う(笑)。
周りを見回すと、お客さんはみんな割り箸を使っていた。樹脂箸を使っている人は、この時間帯には誰もいないようだ。選べと言われれば割り箸の方がいいに決まっている。
まあ、そうだろうな。この樹脂箸、一応チェックしてみたが、箸先に滑り止め加工もされていず、とてもウドンやソバをつかめる代物ではない。
でも、この店は良心的だ。両方揃えて、客に選択の自由を与えているのだから。もちろん樹脂箸がいいと思っている人にとっても選択できるのだ。
なお、お店にとっても割り箸を使ってくれた方がよいのではないかと思う。その後の洗浄の手間がいらなくなるのだから。
iPadが日本に上陸したニュースが飛び交っている。いや、その前から、日本の携帯電話を「ガラパゴス化」が指摘されてきた。
いわく、日本の携帯は、独自の機能を進化させたものの、それは国内向きであり、海外では受け入れられなかった。その結果、市場が狭いゆえ携帯端末の価格は高くなり、いよいよ世界市場に置いてきぼりとなった。気がつくと、肝心の独自機能も国民からそっぽを向かれつつあり、iPhoneなどの普及により携帯OSは世界標準に切り替わってしまっていた……。
ま、こんなところか。
いやあ、実は昨夜、日本の木材の「役物」について調べてみたのだが、見事に符合する。
役物とは、日本の住宅市場で、和室の見える部分に使われる装飾性の高い木材のことだ。わかりやすいのは、床の間の磨き丸太や、無節の柱材などである。これが戦後の住宅市場を一世風靡した。
価格も通常の木材の何倍何十倍もしたうえに、実にさまざまな種類が登場するのである。
たとえば磨き丸太一つをとっても、最初は間伐材のような細めの丸太の川を剥いて磨いたものだったはずなのに、やがて表面がでこぼこの絞り丸太が人気を集めたり、錆丸太みたいにカビを生やして斑点模様を付けたり。またそれらを生産するために、立木の幹にでこぼこになるコルセットみたいなものを巻き付けたり。あえて節を強調した出節という磨き丸太だってある。(写真)
一方で無節の柱材が高値を呼ぶと、表面だけ無節のツキ板を張り付けた化粧張り集成材も考え出した。これで大量生産できるうえ、大儲けできた。
よく考えれば、無意味な産地ブランド化も起きた。
それぞれはすごい技術や発想なのだが、もちろん、こんな木材、日本国内でしか売れない。いわば木材のガラパゴス化だ。それでも、国内市場だけで十分と思っていたため、世界的な潮流に目を配ることはなかった。
それでも、役物は1990年代まで高値で売れ続けた。並材の価格下落を補えるほど。ところが、21世紀を迎えるころから、一気に消費者に飽きられる。
役物は和室にしか使えない。ところが消費者は和室を嫌いだした。価格が高いこともだが、そもそもデザインとして評価されなくなった。また、品確法などで住宅の品質が問われたとき、強度などにニーズは移り、見栄えは求められなかった。
すでに役物は、壊滅した。今後は細々と特殊な木材として天然記念物のようにして生き延びるだけだろう。世界遺産くらいにはなれたらいいのだが。
なんだか、iPhoneが、いきなり斬新なインターフェースとものすごい数のアプリを提供して世界中を席巻したのと似ている。このままだと、日本の携帯の独自機能は役物のように衰退して、携帯OSまで外国企業に押さえられてしまうだろう。そうなったとき、携帯の特殊なオタク機能として、産業記念物?、いやサブカル記念物にでもなるかもしれない。
ちなみに木材のガラパゴス化は、役物だけではないのかもしれない。
いまだに無垢材が最高! なんて言っているのもガラパゴス化だと私は思っている。世界は集成材へと向かっているのだよ。気がついたら、無垢材で家を建てることは世界標準から見放されている。そのうち無垢材の家は、文化財になるかもね。
なんだか「限界集落」シリーズとなりかかっているが……。
先日、たまたま検索で引っかかったHPで、「限界集落のような過疎地に税金を投入するのはけしからん」という論調があった。その理由は単純。私たち(都会人)が払った税金を、無駄に使っているから、というもの。人口密度の低いところへの資金投入は効率が悪いし、元が取れない、というわけだ。
この意見に反対するコメントもついていたが、両者が折り合うことなく、最初の「過疎地なんぞ見捨てたらよい、限界集落の住人は強制移住でもさせたらよい」という意見に変化はなさそうであった。
この手の意見は、実は珍しくない。いや、本音のところでは都会人に多いだろう。ただ、世間体?と建前に縛られて公には口にしないだけだ。匿名性の高いネットでは、多く出ている。
ここで私が反論するつもりはないが、気になるのは個人レベルの意見に止まらない可能性があることだ。
不況が続き、国民生活とともに国家財政も追い詰められていく中、おそらく遠くない日に、国家的な定住圏のリストラが始まるのではないかという思いが私にはある。
以前は狭いニッポンと呼ばれたが、案外山襞が続く複雑な地形の国土は広く、人口減少期に入った今、満遍なく人が住むことは行政効率の低下につながる。そこで集中とコンパクトな定住圏を構築したい発想が、生まれているのではないか。
1962年の全国総合開発計画(全総)に始まる国土計画構想は、五全総まで繰り返しつくられ、2008年には国土形成計画がつくられている。最後の形成計画では、これまでの開発(拡大)構想から舵を切り、「国土の利用、整備及び保全に関する施策を総合的に推進する」と方針転換を示したように思われるが、まだとば口にすぎない。
今後は「国土(定住圏)の縮小」が課題に上がってくるのではないか。
その際に、真っ先に縮小・撤退の対象として取り上げられるに違いないのが、限界集落を象徴とする過疎地だ。
すでに私も触れてきたとおり、撤退やむなしの集落が増えているは事実だ。住民が集落維持の限界を感じているのに、無理強いすることはできないからである。
しかし、ここで気になるのは、辺境の住人の視点からの撤退ではなく、国家主義的な撤退の発想である。国土を守り、税収の再配分の理念を塗り替えるための「辺境からの撤退」を考えている勢力がいるような疑念が私の中で膨らんでいる。
それは、強力な国家の再構築のための国土のリストラだ。企業にたとえれば、赤字を垂れ流す事業は、すっぱりと切り離し、資金とともに雇用していた人を重点事業へ再配置する。それが無理なら退職に追い込む経営戦略である。
国家における赤字事業に相当するのは、辺境の地である。行政コストが高いこれらの地域をリストラすれば、浮いた資金で都市部の生産性を高めて、中央集権国家をつくる。そう考える人が増えているように思えてならない。
実は、今日生駒を訪れた来客と話している中で、集落撤退の研究に興味を示す財団が現れている話を聞いて、これまでモヤモヤ感じていたことが急速に輪郭を描き出した感覚になった。
まだ在野の主張だと思っていた国土のリストラ、すなわち辺境集落の切り捨て論は、すでに深く国家論壇に浸透しているのではないか、という想像が働いた。
思えば、外資が日本の森を買収する、と煽っている勢力ともつながっているような気がする。危機を煽りつつ、辺境地でもある森林を中央の直接の管轄下に置きたがっていることと相似形に見えてきた……。
そのうち、「美しい日本の再構築」を唱える論客が、辺境地からの撤退(限界集落の強制的撤退)を主張し始めるかもしれない。一見、辺境の将来に思いを馳せ、住民のよりよい暮らしを送らせるための支援のふりをして強制移住を迫る……。
これが妄想でないことを祈りたい。
先にコメント欄で、ちょっと問題になった「限界集落」という言葉。
まず先に基礎的なことを記すと……。
限界集落とは、65歳以上の高齢者が集落人口の半分を越え、集落維持の共同生活が困難になった集落のこと……と定義されている。高知大学教授だった大野晃・現長野大学教授が、1991年に提唱した概念である。
なんでも、高知県大豊町のある集落に調査に入り、そこで残っている人が「もう限界だ」と何度もつぶやいたことから、この言葉を作ったそうである。
それが今では、広く使われるようになった。いわば学術用語と言えるだろう。
段階としては、「存続集落」-「準限界集落」-「限界集落」-「消滅集落」としている。また、限界と消滅の間に「超限界集落」というものを設定している場合もある。これは、住人が一人か二人で、集落としては終わっているが、消滅ではない段階らしい。
この言葉、当の集落の人々にとっては、不愉快な用語ではないか、という意見は以前からあった。たしかに「限界」には、もうダメ(住めない)というニュアンスを漂わせている。それを、少なくても今現在そこで頑張っている(住んでいる)人に対して使うのは失礼だろう。
だから、私も当事者に対して「限界集落」とは言わないよう心がけている。
それでも、こうしたブログなどでは、はっきり「限界集落」と使っているのは、簡単に言えば、高齢化率のような数字はともかく、わりと後半の「集落の維持が限界」であることを示す用語して、本質を押さえていると思えるからだ。
それは、地域社会の深刻さを伝える言葉として、である。
最近は、限界集落という言葉を嫌って言い換えようとする動きがあるが、たとえば単なる「過疎」、あるいは「お元気集落」「いきいき集落」といった表現にしてしまうと、一気にイメージが弱まってしまう。
また官公庁関係が使う「基礎的条件の厳しい集落」、「維持が困難な集落」 などという持って回った言い方も、言葉の威力を割いている。
少なくても「お元気」で「いきいき」しているわけがない。実態を覆い隠そうとしているようにさえ感じる。そうした集落では、高齢になっても「元気」で「いきいき」しているのなら、すばらしいじゃないか、と正反対の声が出てくるかもしれない。やはり田舎暮らしは、お年寄りを元気にするんだなあ……なんて勘違いする人もいるだろう。
「限界」かどうかを分けるのは、集落の年齢構成とか住民の人数よりも、住人の意識が重要ではないだろうか。住人が、住んでいるところを活性化したいと本当に思っているかどうか。それのあるなしで、限界か、準限界かに分かれる。
その点から、本当に「限界」に来ているところは、その後人口を増やして再び元気になる可能性は低いと思っている。地元に活力が失われた時点で、外部からの手だては無力になる。
もし手を打つなら、その一歩手前の準限界集落の段階だろう。外部からの支援は、内部に受け止める人材がいて、初めて効果が出る。
京都府綾部市が、集落維持のための条例を作った。いわゆる「水源の里条例」は、世間には限界集落対策のように思われているが、正確には準限界集落対策だ。集落で何か新しいことに取り組む意欲のあることが条件だからである。
「限界」まで行き着いた場合は、終焉への軟着陸を見据えないといけない。無理な活性化策を取ったり、移住者を迎えて人口を増やすことではないはずだ。
優先すべきは、今現在住んでいる人の暮らしを守る施策だろう。具体的には買い物や医療、あるいは話相手の確保など。そのうえで村を出る覚悟があるなら、そのための援助も必要となる。
その意味では、現在の「限界集落」という言葉は、間違って使われている。もし、住人になんとか集落を盛り立てようという意志があるのなら、そこは限界集落ではない。
私も、気をつけて使いたい。
今日の夕刊に、兵庫県佐用町の消滅集落を拠点に、大学生(関学と美作大)が限界集落のボランティアに入ることになったニュースが載っていた。
そもそもは今年2月に限界集落・準限界集落の調査を行った学生アルバイトが企画したものだという。町内のこれらの集落に出向いて高齢者の慰問と活性化のイベントを考える……というものだ。その拠点として、3年前に人がいなくなった集落の空き家を拠点とすることになったのである。週末や長期休暇に滞在しつつ、各集落を回るという。
その意気やよし。具体的に何をして、どんな成果が出るかはこれからだが、私が面白く思ったのは、限界集落を支える拠点が消滅集落に設けられた……という点だった。何も、皮肉に捉えたのではない。おそらく立案の段階で、細かな地域の事情も絡んだのだろう。
ただ、消滅集落のことを「廃村」と表現していて、無人の里に新たな人(学生)が入ってきて新しいことをする、何か明るいイメージさえ漂っているのである。
一方で「限界集落」には、まだ人が住んでいるにもかかわらず、厳しい、寂しいイメージがこびりつく。
かつて、廃村ブームというのがあったことをご存じだろうか。
これはアウトドア系の話題だが、廃村となった集落を訪ねることが一種の探検になっていた。その提唱者である藤嶽彰英氏によれば、かつて人が住んだ場所は、そこそこ平坦な部分があり、日当たりもよく、水もある。畑跡には、まだ食べられる野菜が自生していることもある。そして家屋などがまだ残っている場合は、人々の営みの歴史を感じられる……のだそうだ。
だからキャンプするのに最適だという。また道さえ消えた廃村探しは、探検的気分も味わえるわけだ。
今でも、廃村を求めて訪ね歩く人は少なからずいるようだ。
一方、「限界集落」には、そんな外部の能天気な楽しみの舞台にはなりづらい。
……こうした言葉の表現について、今後も少しずつ考えていきたい。
今日は、この辺で。
先に、現在進められている林業再生の手法としての欧米式の「大規模・機械化」の方向性は、肉食系林業だと書いた。そして、昔ながらの林業を草食系として対比した。
だが、戦後の林業華やかしき頃を改めて振り返って思ったのは、当時もかなり乱暴な施業をしていたことに思い至る。
戦後の一時期、木材不足と価格高騰を受けて、かなり無茶な増産を行った。現在のような高性能林業機械はなく、チェンソーさえあるかないかの時代だったから、生産効率はしれているが、全国的に過伐だったのは否めない。そもそも戦争時の乱伐で山は荒れていたのに、そこへ大増産の掛け声がかかったのだ。
とくに悪名高きは、1961年の河野一郎農林大臣の「木材価格高騰緊急対策」だろう。国有林を含めて1200万立米もの大増産を命じたのだ。また外材の大規模な輸入も進めた。
おかげで、生長量をはるかに上回る伐採を行った。それに追随する林学者が出て、将来の生長量を今伐ってもよいという理論?まで発表した。
その結果、山は荒れに荒れたのだ。これだって、肉食系林業と言えるのではないか。
つまり、この時期の日本林業は、肉食系だったのではないか。いや、江戸時代だって過伐気味だった。
もしかして草食系林業なんて、これまでは存在しなかったのかもしれない。むしろ林業の衰退時期に、生産量は伸びず、機械化など改革意欲もないまま否応なく、そうした性向になっていたとも言える。
ただかつての肉食系の救いは、しっかり造林もしたことだ。まあ、これも伐採跡地を植え終わると、拡大造林路線へと突き進むのだから、あまり野放図に褒められないが、少なくても伐ったら植える、という原則は貫いた。それが現在の豊富な資源量につながる。
残念ながら、現在の森林林業再生のベクトルは、生産効率を高めることを至上とする肉食系ではあるが、伐採後の造林についての施策は、まだ見えてこない。それどころか日本全体の生長量は膨大だから、現在の2倍3倍伐っても森林は減らないという理論を振りかざす。
この2つの時代の肉食系林業を、どのように評価するか。悩む。
ところで、肉食動物にも、その獲物の捕り方には2種類あるらしい。一つは、イタチのような身体は小さいながら、とにかく動く小動物を見つけると、すべて襲うタイプ。この仲間のクズリは最強・凶暴動物とされる。ヘラジカやオオカミまで襲う。
もう一つは、ライオンに代表される大型肉食獣で、腹が減ったときだけ狩りをするタイプ。強いことは強いが、実は狩りが下手くそだったとか。
重要なのは、肉食動物は、必ず草食動物より数が少ないことだ。ライオンやトラなどの大型肉食動物は数が少ないし、獰猛なイタチ類はたいてい小型だ。だから生態系バランスが取れている。
この生態的バランスを林業にも当てはめると、肉食系林業は、大多数を占めてはならない。そのすそ野に、草食系の林業地帯が広がっている必要がある。しかも肉食系の場合も、必要以上に獲物を取らず、再造林などを行うライオン型であるべきだろう。
果たして、今の日本の林業が進もうとしている肉食系は、イタチとライオンのどちらか。まさかイタチのようなライオンを指向しているのではないよな。
また草食系林業地帯以外にも、雑食系林業地帯を想定する。草食系は、効率や量を追わない林業を「副業」で成り立たせる。雑食系は、希少価値のある「多彩な商品生産」で生き残るというのはどうだろう。
……というようなことを考えてみた。でも、林業を動物の食性に当てはめて分類するのは、無理があるかなあ。
仰天、びっくり、爆笑の記事を見つけた。
なんと、割り箸からメンマを作れるというのだ。
http://portal.nifty.com/2007/04/01/uso03/index.htm
これは、使用済み割り箸の救世主になるぞ。
ホンマ、か?
福島では、集落にある「遊学の森」を歩かせてもらったが、そこで目立ったのが、モミの木である。
しかも立派なものか多い。なかには稚樹が育っているところもあったから、適地なんだろう。
この集落の人口より、モミの木の方が圧倒的に多いのだと考えると、ちょっと複雑な気持ちになる。
これなんか、パワースポットになりそうな巨木だ。思わず手かざしがしたくなる(^^;)。これを売り文句に集落を売り出せないか……なんて考える。
ちなみに、最近モミを求める業者が増えているようだ。私はアチコチで聞いた。吉野にも現れているし、たとえば、この写真。
兵庫県丹波市の某製材所にあったモミの丸太。この太さはすごい。
ほかにも板が、かなり積んであった。
この話をすると、なんのことはない、この森にも業者が現れているらしい。この木も高く売れるんじゃないか。国有林だけど。
こんな風に倒れて朽ちたら、もったいないように感じるのだが。
なぜ、モミを求める業者が増えたのか、少し謎である。しかし、モミ材は、白くて字が書きやすい上腐朽しやすいため、棺桶や卒塔婆などに使われるそうだ。早めに朽ちた方がよいからである。火葬が増えた今は棺桶はともかく、卒塔婆需要が増えているのだろうか。
白くて美しい材は、もう少し注目してもよいと思う。腐りやすいというのも、内装材なら問題ない。輸入されているホワイトウッド(オウシュウトウヒなど)とよく似た材ということになる。
そういえば、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の建物は、モミ材でつくられたものが多かったという。地元にモミがたくさんあったからだろう。朽ちるのも早かっただろうが。
成長は早いそうだから、今後はモミの植林などは考えられないだろうか。
福島の集落で驚いたこと。
ここには、わずか9戸しか残っていない。ところが、その家が、実に広い地域に点在しているのだ。並んで家が建つところはいくらも目にしなかった。この点は、関西に多い、急傾斜の山斜面にへばりつく集落との違いだろう。土地が緩傾斜で、広々としているのだ。
ただ在住者は15,6人だというが、一堂に会することが年に1回か2回しかないという。しかも独居者も多い。
おそらく会話も少ないのではないか。
もちろん、個別に数人集まることはあるだろうし、積極的な声かけも行われているようだ。しかし、人数が少ないから寄り添って生きる……というイメージとは違っていた。
私が田舎社会を説明する際には、「人が少ないからこそ、濃密な人間関係がある」と言ってきた。それは今も間違いだとは思わないが、濃密な人間関係と、対人接触、会話とは必ずしも同じではないのかもしれない。
かつては自家用車もなかったから、点在している各家を訪ねるにも、結構な手間がかかったはずだ。すると、否応なく接触は少なくなるし、会話もしない。
以前記したが、明治の農山村の人々の会話は、柳田国夫の記録によると、1日15句だったという。実は、その傾向はつい最近まであった。
1949~50年に国立国語研究所が調査した記録によると、山形県や福島県では、ほとんど人はしゃべっていなかったという。たとえば商店主の記録によると、話した言葉を現在のラジオの語り(放送事故にならない程度の間隔)の量に直すと、10分足らずだった。しかも、その内容は「はい」という一言の相槌が大半であった。
社会学者の加藤英俊氏が、55年に奈良県の山村で調査した記録もある。
それによると、家族が集まる夜、大人が8人もいて、一人当たり1時間に8回しか発言しなかった。それも大半が「はあ」といったつぶやきだったそうだ。
日本人は、寡黙だったのだ。
だとすると、現代社会は、いかに「しゃべりすぎ」か。加えてテレビなどの「しゃべりの情報源」も巨大だ。パソコンで、ブログやツイッターの「発言」「つぶやき」も多い。
今や饒舌の日本人になってしまっている。
まあ、しゃべること自体が悪いというわけではないが、しゃべらないことへの罪悪感を持ちすぎているとも言える。
ちなみに、私がこの集落に滞在中に集まったメンバーは、みんなよくしゃべった(笑)。酒が入ると、大声になる人もいたし、私も居眠りしながらしゃべっていたよ……。
東京から福島へ足を延ばした……いや、福島へ行く途中で東京に寄っていたというべきか。
とにかく訪れたのは、いわき市の山間にある小さな集落。
実は、二度目である。前回は冬だった。こんな感じ。
それが、今回は、ガラリと変わった。上記2枚とほぼ同じところから撮った写真だ。
春! という感じ。
実は、いくら山間でも、今年は春が遅すぎたようだが、おかげで私は花見までできた。
山桜は散り始め、八重桜が満開だった。菜の花も咲き誇っていた。
各々前の写真は、「山の学校」だ。もちろん、現在は本当の学校ではない。かつての小学校分校は廃校になり、そこを拠点に新たな活動が行われている。
この集落のことは、雑誌の記事に書いたところだから、ここでは触れない。けれども、おそらく日本全国に同じような集落があり、同じように廃校になった学校がある。
この集落の歴史は330年あるそうだが、最初はニュータウンだったのだろう。森を切り開き、谷間を埋めて農地を造り、家を建てたのだろう。時の流れの中で変容するのもいたしかたないのかもしれない。
と、山を崩して切り開かれた現代のニュータウンを見ながら思った。そこにも、生徒数の減少で統合・廃校になった小学校がある。
木材会館について、続報。
前回は外装を中心に紹介したが、そこで気になるのは径年変化。あまりに木材の汚れや傷みが早いと、どのように修理するのか心配になる。
また、ビルディングの内装についても見てみよう。
これは、一階の階段部分。なんだかオシャレすぎる。通常使わないであろう階段なのに。でも木装で、これほどコンテンポラリーなデザインを作り上げたのは立派。
こちらは、エレベーター。ここも床や手すりは木材。シースルーで、エレベーター内から鉄骨やコンクリートと木材の接合部分を見ることができた。
一階のロビーにあるオブジェ? いや、ベンチかね。
みんなヒノキの角材だ。
さて、こちらは外装だが、よく見るとコンクリートと木材の外装は接着させていない。
木の表面は撥水加工されている。汚れもあるが、拭うのは難しくない。
屋上(七階)テラス。よく見ると、木材とガラスは接触していない。
下の鉄板に差し込まれているだけ。接触させると、接点に水などがたまり、腐朽しやすいからだろうか。それとも施工上、この方が簡単だからか。
玄関部分の手すり。角材を4つ接合したものだが、背割り部分を内側の中心に持ってきて、何か詰め物がしてある。
わりと汚れてるね(笑)。
このビルディングの外装・内装は、今後のテストケースになるだろう。十分なメンテナンスも含めたノウハウを蓄積してオープンにしたら、広がる可能性がある。ビルディング、とくにマンションには見栄えも大切だ。
実は、同じような木製外装ビルディングは、京都にもある。四条烏丸通りに面した、通称・四条木製ビル。またオーストリアでは地上20階建ての木造ビル建設計画が進んでいるそうだ。
今後は有効な建築と林業の融合が見られるかもしせない
東京では、「森林の市」以外に行きたいところがあった。それが、新木場の木材会館。
以前から考えていたのは、高層ビルディングの木造化の可能性である。
木材需要を一戸建て住宅ばかりに頼るのは、人口減少時代に無理がある。オフィスビルの木造化を考えるべきではないか。またマンションなど集合住宅も、基本的に同じだ。現在は鉄筋コンクリートで作られている建築物を、いかに木造にするか。
……実は、この考え方は、以前に本にも記した。(だれが日本の「森」を殺すのか)
取材を重ねると、すでに木造ビルディングの研究は進んでいて、それなりの成果を得ていた。技術的には可能だそうだ。ただ法的な問題があるうえ、耐震、耐火など膨大な実験データを積み上げる必要があった。当然、コスト問題もある。
また、本当に木造ビルが必要か、という原点でも考え込んでしまった。木材関係者が木材需要先として望むのは当たり前だが、ユーザー側にニーズがあるのか。メリットを十分に説明する根拠に欠ける。逆に、デメリットだってある。
そこで思いついたのは、木材を使うメリットは、基本的に人の目に触れることであって、何も見えないところの構造材として使う必然性はないということだ。むしろ鉄骨の方がよい場合もあるだろう。
となれば、構造材としては、十分な研究と実用データのある鉄筋コンクリートでよいではないか、内装と外装にたっぷり木材を使えばいいのである。
もう一つ。木の内装とか外装、あるいは木造建築物というと、どうしても和風建築を頭に描く人が多い。洋風というと、一気にログハウス的になってしまう。しかし、もっと現代的なデザインがあるはずだ。趣味に陥らない、穏やかな木装が。
さて、長い前書きになったが、そこで新木場の木材会館に注目したのである。
この建物は、東京木材問屋協同組合が昨年3月に建てたものである。さすがに木の町・新木場だけに、たっぷり木材を使うことを目指して設計された。
7階建て。敷地面積は500坪。使った木材は、ヒノキを中心とした国産材約1000㎥(一部、外材)である。と言っても、構造的にはほとんど鉄筋コンクリートで、内装、外装にたっぷり木材を使っている(一部は構造材にもなる。)
見よ。現在の建築法でも、ここまで木材を使えるのだ。
外向きの箱型空間が設けられている。
コンクリート壁面の上に組み立てられているらしい。外面だから、耐火性もあまり要求されない。また途中階には不燃処理したファイヤーストップ材が使われている。
コンクリートと木材との融合。
これ自体がデザインである。木材は、木材同士より異種マテリアルと合わさる方が似合う気がする。
1階ホール。ヒノキの舞台がある。壁材としても木材のデザイン性に目を奪われた。
これは、外壁のコンクリート。しかし、よく見てほしい。合板のコンパネは使わず、スギ板を枠材にしている。そして、見事に木目を転写した。これ自体が技術だね。
直接的な木材利用だけでなく、コンクリート建築物にも木材は使われてる。
正直、金かけたな、空間を贅沢に使ったな、と思わせる造りだったが、木材でここまでの外装ができるという見本だろう。何も新技術がなくても、十分木材を高層ビルに使えるのである。そして、景観に寄与する。
連日、私が訪れた日比谷公園の「森林の市」(およびパワースポット笑)について書き続けるのもナンだから、まとめたい。
実は、この会場を一周するのに2時間以上かかった。そんなに広かったわけではない。アチコチで出会いがあり、話し込んだからである。
たとえば、声をかけられて出会ったのが、「チーム組子」の面々。ここでは山梨県の木材による商品を扱っていたが、そこでは「山梨県FSC認証割り箸」をいただいた。
覚えているだろうか。今年3月?に本ブログで紹介したものである。その際にコメントをいただいた方が出店していたのだ。
ここで扱っていた商品は、割り箸だけでなく、こんなもの。
ヒノキによる棚である。金物を一切使わず、組子の技術で作られている。無垢板だし、シンプルで、デザイン的にもすっきりしていてよい。
実は、この商品、畳める。
こんな形。これで、棚の4面分。価格は1万数千円だったかな。
国産材家具は私も欲しいと思っていたが、この手の商品は価格が高かった。なぜなら家具職人の技量が問われるからである。また広葉樹材を使うからだ。しかしこれは植林針葉樹材で、技術は簡単とは言わない(組子部分はかなりの精度が要求される)が、量産できるタイプ。価格も安く抑えられた。芸術家・工芸家の「作品」ではなく、一般の人が気軽に買える家具である。
肝心なのは、「チーム組子」はさまざまな業界人の集まりだが、中心となるのは鎌倉の女性建築家たちであることだ。つまり山梨県の人ではないのだ。
そのうちの一人鈴木直子さんとは、以前割り箸シンポで名刺交換させてもらっていたが、こういう形での再会となった。
こちらは、エコデパ・ドットコムを運営する有限会社生活アートクラブ。
生活の中の環境商品、中でも国産材グッズばかり扱うネットショップである。と言っても卸主体で、その販売力は群を抜く。ここが扱うと、売れ行きが何十倍にもなるとして知られている。
地方に埋もれている国産材や林産物商品を発掘して全国に広げるのだ。その苦労話は、またの機会に譲るが、写真の富士村真知さんは、凄腕なのだ。
えっ、ウッドライクにしろ、活木活木森ネットワークにしろ、会っていたのは女性ばかりだって? いや、そういうわけではない。そういうわけではないが……まあ、そうです(^^;)。
彼女らに共通するのは、手がけたのは商品企画であり、販売であり、宣伝であることだ。
木材生産に直接タッチしているわけではない。
ここで街の役割が見えてくる。大都会は人口が多い。それは消費地であることを示していると同時に、企画や営業販売や宣伝という職域を担っているということだ。
逆に地方の森林地帯を抱えるところは、生産の場ではあるが、人口減少地であり、これらの役割を担える人が少ないのは否めない。
これは、後に受けた取材でも問われたのだが、「森林地域を助けるために、街の人は何ができるか」という答にもなるだろう。
だから東京の「森林の市」の役割は、単なる見本市で終わってほしくない。また各地の交流会であるのは間違いないが、同時に街の人材を、森林地域に引き込むきっかけになってほしいと思う。そして消費の場としての都会の役割を大いに発揮してほしい。
高層ビルを背景に「森林の市」が開かれているのが象徴的?
連日、「森林の市」で見かけた商品をお見せするのも飽きるだろうから、お休みの日は、ちょっと別のものを。
イチョウの巨木があったのだが……。
なんだか人だかりがしている。そして、一斉に……キャ~と悲鳴上げたくなった(笑)。
みんな手かざししているのだ。恐る恐る近づく。最初は、何かの団体かと思ったが、さほど親しくもなさそう。どうも、各々がこの木の周りに集まってきて、手かざししているように見える。
近頃パワースポットが人気だが、もしかして、この木もパワースポットとして認知されているの? 手かざしすると、何かご御利益でも? この木が何か放射してますか。
思わず私も手をかざそうと思ったが、病気が移る気がして止めとく(^^;)\(-_-メ;)。
代わりにカメラを出した。そういや、携帯かざして写真撮っている人も多い。
まあ、いいのよ。これで癒されれば。巨木信仰なんて、そういうものだし。
ちなみに日比谷公園は、日本で最初の洋風公園(明治36年開園)であり、設計したのは本多静六。日本の林学の父とも言われている人である。
日比谷は、元は陸軍操練場-日比谷練兵場だった。そこに若干36歳の本多が挑んだわけである。林学の専門家ではあるが、造園は門外漢。しかし、ヨーロッパの公園は見てきているということで、難航していた設計を任されたらしい。
また件のイチョウは、「首かけイチョウ」という名が付いている。というのも、元は公園敷地内にあったのではなく、今の日比谷交差点近くの朝日生命ビルの近くにあったらしい。それを伐採するととういので、本多は移植したいと申し出た。
しかし、植木職人が移植は無理といっていると反対されたものを、本多は「学問の力で移植する」と大見得を切り、もし失敗したら辞職すると言ってのけた。だから首をかけたイチョウなのである。
結局、450mのレールを敷いて、25日かけて運搬したという。そして見事活着させたのである。その後、昭和46年には沖縄返還協定の阻止闘争で焼き討ちにあい燃え上がったこともあるそうだが、今も樹勢衰えずにいる。ただ幹には空洞があり、樹木医によって樹脂や石膏で塞がれているとか。移植時にすでに巨木だったわけだが、それから100年以上経つのだから、樹齢も相当なものだ。
……こんなドラマがあることを知ると、ちょっと「パワー」を感じるかもね。それとも、人の手が加わっているから神秘性が落ちたと思う?
(そういや、奈良を旅行したいという後輩からのメールにも、「パワースポット巡りがしたい」とあったよな。でも奈良って、その気で見るとパワースポットだらけ、いや名所のほとんどがそうなんですけど。いずれも人が関わったところばかり。)
さて、今日は奈良最大のパワースポット・平城宮跡に再び行くか。
※ この記事、あえてカテゴリーは、「森林療法・森林セラピー」にしておいた。
昨日に続き、日比谷の森林の市。
ここを訪れて見学したかった理由の一つは、ウッドライクである。
ウッドライク(woodLike)は、埼玉大学の浅田教授や林野庁の面々によって始まった女子大生による木材商品開発会議のことである。……というと、思い出してくれる方もいるだろうが、私も京都女子大の高桑教授らとともに京都を舞台にした女子大生木材商品開発会議「木心知れた女心」会議を昨夏から開いている。
両者が偶然知り合い、とくに私は、ツイ ッターで浅田氏と出会い、今回森林の市に商品を出品すると聞いていたので、見に行ったのである。見たかったのは木材商品である、女子大生ではない。念のため。
まずは、写真で何点か。
これは、リンゴの廃木を有効利用できないかと考え出された、リンゴ型のコースター。組み合わせることでオブジェになる。
そもそも会議を開くきっかけになったテーマらしい。ただ加工が難しく、まだ販売するまでの生産体制ではない。
こちらは、木片の組み合わせによるフィギア。虫や犬、人。ロボットまで。万能林業機械!もある。
主に、浅田氏の作品。趣味が出てる。
これはアクセサリー……に見えるけど、実は洋服に直接接着されている。最近、自分で既製品をリフォームすることが流行っているが、その流れに木片を活かしている。
女子大生ならではの発想だろう。
これこそ、木片にイラストを彫り込んだアクセサリー。女子大生の感性を活かした真骨頂である。
いかがだろう。デザイン系の学生もいるうえ、教育学部の技術課程ゆえの木工技術も活かした商品群である。
同じ木材商品開発とはいえ、京都と違ってファッショングッズに絞った開発だったようで、女子大生さが滲み出て、私の顔はゆるんでいたぞよ(笑)。京都もあまり大物狙いではなく、消費対象を絞り込んだ方がいいなあ。
ただ、私がもっとも感心したのは、これらの商品そのものではなく、その素材である。
この写真は、その一つ。ようするに、細かな木片を磨き上げて、面取りし丸っこく加工したものだ。
これを元にして、フィギアや洋服アクセサリーなどができている。
切っただけの木片は、いかにも木片らしく、ゴミ扱いされかねないが、このように丸っこくなると、急に商品ぽくなる。
女子大生は、これを利用した商品として、積み上げたカレンダーを作った。1カ月分の面に数字が書いてあり、それを回転させて前に出る数字で日付を示す。
聞けば、作るのは簡単だそうである。と行っても製造機は自作したそうだが、木片をたくさん入れて回転ドラムで磨耗させることで作られる。大量生産も効くし、何より安く作れる。
これを多く使う商品を開発できないか。
たとえば漆喰などと混ぜて壁土として塗ったら、どんな風合いが出るだろうか。タイルのように張り付けてインテリアにしてもいい。
観葉植物の土のような使い道もあるだろう。玉砂利の代わりにもなる。
あるいは砂場の砂がわりにすることもできる。幼稚園・保育園の室内砂場に使えないか。以前、同じ用途でチップがあったが、コチラの方がとがっていないから怪我もしづらいし、断然いい。
これ自体を販売したら、ほとんど売れなかったと嘆いていたが、それは素材だけでは、どのように使えばよいか客にはわからなかったからだろう。
しかし、魅力的な使い方まで提示できれば、大量に出る。これを木材単価にしたら、1立米100万円くらいの木材商品になるのではないかなあ。
最後に、肝心の(笑)女子大生も、(小さく)紹介しておこう。彼女も、「林業女子」になるかな?
昨日の写真の一枚目は、東京・日比谷公園で開かれた森林の市。
私が見てきたものを、少しずつ紹介して行こう。
ここに顔を出して、いろいろな木材商品を見て回ったのだが、そこで目立ったのは、箸の販売とマイ箸づくりだった。もちろん割り箸もあるのだが、マイ箸をつくろう、というイベントが多かったのだ。やはり箸は、都会の人にとって、もっとも身近な木製品であることを痛感する。逆に、箸を越える日常的な木製品は見つからなかった。
写真は、活木活木森ネットワークのブース。
もちろん、こうした場だから、どんな箸も木製である。だから割り箸でなくても敵意を見せることはない(笑)。
そして……とうとう私もマイ箸づくりにチャレンジしたのである!
これまで飽きるほど?割り箸づくりの現場は見学してきたが、実際に自分で作る経験はない。そりゃ、山に行って、その場で雑木を削って箸を作ることはあるけど。
初マイ箸。
なんとなく、禁断の言葉だ(~_~;)。
そこで目にしたのが、マイ箸づくりキットである。
いきなり木片を削って箸にするわけではなく、誰でも箸造りを簡単にできるキットがあったのだ。それも各所で工夫されたものを目にしたが、もっとも斬新かつ簡単なものが、以下のチラシのものだった。非常に考えられたもので、木片をセットして順番にカンナで各面を削るだけで、先が細い箸ができるのである。
作ったのは、酒井産業という長野県塩尻市の会社。
ここでは、なんと「木育」に関する商品ラインナップがある。なかにはスプーンづくりキット紙芝居キット……そしてヒノキの丸太(皮つき)まで販売しているそうだ。
そうか、木育とは最近よく言われるようになったが、実際のメニューはまだ少なく、また実施するにも材料の調達、講師の確保などに苦労する話を聞く。それを簡単にできるセットにしてマニュアル付きにすれば、需要はあるだろう。
木材商品でありながら、木育商品。こんな切り口もあったか。
昨日は、携帯の圏外の限界集落に滞在したので、ブログもツイッターも更新不能だった。
今日は東京まで戻って来て、仕事を済ませた。でも、これから奈良に帰る元気なく、沈没することにした。連日の宴会で、身体はヘロヘロ。今晩はおとなしくしときます。
東京・新宿の伊勢丹で、琉球紅茶を購入。
今や沖縄の紅茶は、世界最高水準であることをご存知か。スリランカ産を超えるレベルなのだ。
社長と話し込んだが、今後は日本のトップ購買層を抑え、海外輸出するという。
気がつけば沖縄は紅茶の島として世界に知られるようになるかもしれない。
基地問題だけではないのだよ。
そして、それを仕掛けたのは、たった一人の女性なのである。
男は草食化したが、女はまだまだ頑張るかなあ。と、草食系の私は、しみじみ感じたのである。
今日は、1日中テンションの上がらない日だった。
天候はまずまず、やりたいこともあるし、やるべき仕事もあるのだけど、どうも気分が盛り上がらない。
まあ、こんな日もあるだろう。
そもそも、と考える。人は、そんなに頑張って生きなければならないのか。
のんべんだらりと過ごしてはいけないのか。
近年の田舎暮らしブームも、裏を返すと社会の活力が落ちている証拠かもしれない。田舎暮らしは、自然とともにのんびり暮らすライフスタイルであって、競争社会の反語として捉えられている。
昔は、都会が憧れの地であり、そこで一旗揚げる、出世する、というのが誰もが共有する志向だったのだが、今は「のんびり暮らしたい」という声が増えている。何も定年退職者だけでなく、若い世代の田舎移住者にも、そんな傾向があるとか。
もちろん、田舎暮らしを求める人が、社会の落伍者だというのではない。むしろ、前向きに田舎のライフスタイルを選択するのだ。いわば草食系ライフスタイルとしての田舎暮らし。
山仕事を求める若者の中には、「穏やかな山の暮らし」を求めて林業に職を求めたのに、勤めた森林組合や林業会社が「生産性アップ」を求めることに失望するケースがあるそうだ。また重機を多用する山仕事も、イメージと違うと感じる。山仕事なのに、山の土を踏むことがない。全天候型の高性能林業機械の中で、風雨も寒暖も感じないですむ。極端に言えばそんな仕事ぶりだ。しかし彼らは、自然を感じて過ごしたい。機械音の聞こえない場所で働きたいのである。だから、長続きしない……。
ところが林業は変わりつつある。政治の面でも、機械化林業と路面拡充によるシステマティックな林業への衣替えが始まった。
民主党政権の森林林業再生プランの唱えるのは、ドイツやオーストリアをモデルにした肉食系林業だ。コストダウンと生産性アップにより、いかに利益を出すか。しかし、その方向性は規模拡大につながり、従事者の動きもシステマティックな無駄のなさが求められている。
常に課題を自らに課して、向上していく意識が必要だ。そのためには競争もある。経済的な欲も刺激される。
だが、日本の林業経営の6割が10ヘクタール以下で、18万戸にも及ぶ。それぞれ林齢が違い、これまでの育林履歴も違うことが多い。林地だけを集約化しても、実際の施業は均一化できず、結果的に生産性もあまり上がらない地域も多かろう。
そして所有者の家庭事情も思いも千差万別。林業では食っていけないゆえに本業を別に持っており、経営的体力も、森林へ向ける目も違う。そのほとんどは、山で十分な利益を上げることを諦めている、いわば草食系林業。
草食系林業に草食系の日本人。そこに肉食を勧めても、みんな食いついてこないのではないか。むしろ、草食でも生きて行ける林業を考えるべきではないか。
自分のテンションが下がると、そんなことを考えてしまった。
なんだか連休の狭間気分。そこで前半の連休中に見つけた、土倉庄三郎ネタを記そう。
先日手に入れた資料に、「土倉庄三郎が、第1回衆議院選挙に出馬したが、落選した」という記述があった。これは意外だ。
庄三郎は、自由民権運動と関わりは深いが、本人が表舞台に立つことはなかった。常に裏方の支援者であり続けた。山林局局長(林野庁長官)への就任要請も断っている。
ただ、晩年に川上村の村会議員と、村長は務めている。これは選挙を行ったのかどうかわからない。当時の首長は選挙で選ばれたのかどうかもはっきりしないが、おそらく対立候補はいなかったからである。
それなのに、総選挙などに出るか?
1890年(明治22年)、国会開設が決まり、そのため初めての国会議員を選ぶため、衆議院議員選挙が行われた。南和地方(吉野郡、五條市周辺)の選挙区で立候補したのは、土倉庄三郎と、桜井徳太郎であった。
そして当選したのは、桜井である。なるほど、庄三郎は出馬して、落選したことになる。
ところが、調べているうちに面白い資料を見つけた。
土倉庄三郎は、品川内務大臣に出馬を要請されて、渋々出馬したが、議員になりたくなかったので、新聞に辞退したいという広告を載せた、というのだ。そして、対立候補の桜井徳太郎を褒めちぎった……という。
つまり、庄三郎は落選したのではなく、辞退したのである。それも新聞で公表して。
やるなあ。
今夏は、参議院選挙である。すでに裏では選挙運動が激化している。もう少しで候補者が出揃うだろう。
投票の基準には、地方の選挙区はともかく、全国が舞台の比例区では、森林・林業に関心を持つ候補者を選びたいと思っている。
5月2日の本欄にで紹介した5種類の「割り箸反撃チラシ」。
反響にお答えして? もし欲しい人がいるなら配布できることになりました。
といっても、潤沢にあるわけではありません。
割り箸の故郷、奈良県下市町の吉野杉箸商工業協同組合が乏しい?資金を費やして(^^;)製作したもので、各2000枚だそうです。当然、組合員へ分配されています。
ですから、このチラシを記念にもらっとこう、というのではなく、飲食店に配布もしくは掲示をお願いするとか、何らかの林業や行政関係者に渡せる人、行動力のある人に託せる人、少なくても自分のホームページやブログで紹介するくらいの気概を持つ人にお願いします。
でも……本当に人気があるなら増刷りお願いしましょう!
希望者は、チラシに掲載されている組合に、ご連絡を。
メールアドレス・info@sugi-hashi.jp
希望する枚数と、送り先住所をお送りください。
吉野杉箸商工業協同組合
638-0041奈良県吉野郡下市町下市3075
どうやら世間では連休最終日らしい。
というわけで、私は今日も山へタケノコ堀りへ。
1週間前に掘ったばかりだから、今日は控えめに……と思っていたが、やっぱり15,6本掘ったかな。大きすぎるのは折るだけにして、13本をラッキーガーデンに納品。
穏やかな天気の中、汗まみれ・泥まみれで休んでいる。今日も千客万来。食事にカフェタイムにヒツジに散策に。なんでも、朝から来て夕方まで滞在する客もいるそうだ。席の回転率悪りぃ(^^;)。
しかし、あきらかに里山環境は、人を引きつける魅力を有していることを示している。おそらく職場、あるいは生業などの条件が整えば、こうした里山の中に住みたいという願望を持つ人は少なくあるまい。
そこで、例のアロマとロミロミ(ハワイ式マッサージ)の事業を始める構想を聞いた。なるほど、この環境の中でそうしたビジネスは似合うかもしれない。
そうした里山環境と職と住の混交もしくは近接させるプランは、昔からある。
19世紀末、重工業都市ロンドンは、その住環境の悪化と社会のスラム化にあえいでいた。その中でハワードが唱えたのが、「都市と農村の結婚」である。それは田園都市構想として発表された。
田園都市とは、大都市郊外に建設される人口3~5万人程度の職住近接型の都市である。住宅のほか公園や森林、農園を備えた空間だ。これ自体は夢想的な計画だったが、実際に建設運動は高まり、影響を受けたニュータウンがヨーロッパ中に建設されている。
それが日本にも伝わり、山林都市構想が生まれる。昭和初期のことだ。作ったのは、山形県鶴岡市の当時の市長・黒谷了太郎の発案である。
これは、100坪程度の住宅地の周りを森林で囲む街である。また道は、曲線や斜線を多用した景観を重んじた造りだ。
残念ながら、これは実現に移す前に、黒谷市長は失脚した。
ただ、私は同じような計画が、宝塚市にもあったことを知っている。時はバブル真っ盛り。都市後背部の山林地域を保全するために、森林を分譲する計画だった。ただし、宅地にできるのはそのうちの一部で、3分の2以上の部分は森林として維持しなければならない。その維持の基準も、協定を結ぶ……という構想だった。だが、バブル崩壊とともに消え失せた。分譲地の価格が、1戸当たり1億円以上したからである。
今再び、この発想を里山地域に取り入れられないか。里山を開発してニュータウンにするのではなく、里山環境を守るための街をつくるのである。そして里山を利用したニュービジネスを生み出していく。
日本のニュータウン計画は、見かけは田園都市のイメージを取り入れたものが多いが、結局それは郊外の農村部を大規模に改造して、住宅地ベッドタウンにする発想だった。たとえば東京の多摩、関西の宝塚や千里山などだ。田園調布も本来は田園都市としてプランニングされた。
そうではなく、里山環境を維持することを目的に住む人を選び、ビジネスを生み出すという街づくりもあっていい。それを里山都市構想としてまとめてみたい、いつか。
ただし、これは現在危機に瀕している里山地域の再生とは逆のベクトルである。
相変わらず、世間は連休である。
こんな日の話題にふさわしい脱力モノの話題を。
一つは、某奈良県のお役人よりのメール。
「昨年開いたシンポジウムの謝金の支払いを忘れていました!」
そう、私が講師として講演したものである。その謝金を振り込むのを忘れていたのだそうである。おいおい、といわねばならない事態である。
が、それに気がついていなかった私(^^;)。アホやがな。言われてみれば、確定申告の際に、源泉徴収票がないなあ…とは思っていたのだが。
本来は、原稿料とか講演料は、ちゃんと振り込まれているか照らし合わせて確認しているのだが、昨年はすっぽかしていた。そうしたら、こんな事態になるのね。
プロはどんぶり勘定してはダメ、と他人には忠告しておきながら、この有り様である。この人を怒れない。
でも、こんな有り様では、いつまで経っても裕福にはなれないはずだ。そこで思い出した詩。
はたらけど
はたらけど猶わが生活
ぢつと手を見る
ちなみに石川啄木は、この詩のように働いても貧しかったワーキングプアではなく、働くのが嫌いで、しかも放蕩を繰り返した挙げ句の貧乏でした。
最後を、「じっと手のひらを返す」と書きたい気分ですね(笑)。
そして、昨日届いた「著作権利用に係わる書類」。
某中学の昨年度入試で私の著作の文章を使用されたものを、今度は二次使用するための許可と使用料の支払いの通知である。
正直言って、ここ数年、入試問題や問題集、参考書関係に私の著作が使われることが増えている。昨年度だけで50件くらいはあったのではないか。その度に許可する旨の書類を送り返している。実は、一昨日も2通送ったばかりだ。
だから今回も、機械的に印をつけて送り返そうとしたのだが。
使われた問題文をパラパラ見ると、「ミツバチ」の文字が目に入った。
私もミツバチに関することを何本も記事にしているから、ふ~ん、それを使ったのかと思いきや……、出だしを読むと。
「銀座でおいしい蜂蜜が本当に採れたら、面白そうだよね……」
使われた文章は、(田中淳夫『銀座ミツバチ物語』)であった。(^^;)(^^;)(^^;)
同姓同名って、怖い。いっそのこと、このまま送り返してやろうかな。そうしたら、著作権料が私のところに振り込まれるに違いない。千数百円だけど……。
でも、もしかして、私の著作分が、銀座の人のところへ行っている可能性はないのか?
ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます。
今日から本当のゴールデンウィークの始まりということでございまして、世間様はしばらくのあいだ仕事のことも忘れて過ごさはられておられるでしょうが、そんな初日に戯れ話でお付き合いを願います。
まことに、えぇ時候になってまいりました。こんな日に堅苦しい話題も野暮でございます。
空は見事に晴れ渡っております。こんな日は、ひとつ生駒さんを散策しようやないか、と思うて車でぐるりと山の周りを走ったところ、山の木々は新緑に萌え、扇蝶、菜種、菜の花、咲き乱れています。思わずうっとりしますなあ。
ところで、大阪側の下町を走っておりましたら、その一角が賑やこうなっておりました。お巡りさんの姿もあり、どうやら縁日のようですわ。
祭となれば、寄らないわけにはまいりません。さっそく車から降りて、人の波に吸いよせられました。ここはどこ? と記憶喪失ばりに見回せば、「大東市野崎」の文字が電信柱のプレートに見えました。そうか、ここは野崎観音さんこと、慈眼寺か。5月1日から野崎まいりが始まったのでした。
実は『生駒山-歴史・文化・自然にふれる-』
の本を出版した際に、生駒山系で有名な神社仏閣とか、祭などを調べると、必ず登場するのが野崎観音ですわ。関西では欠かせぬ名刹なんでしょう。野崎観音と言えば、人形浄瑠璃の「野崎心中」やら「野崎小唄」など、何かに付けて取り上げられるわけです。なかでも有名なのは、上方落語の演目「野崎まいり」ですな。
ところが、ここに私は訪れたことがなかった。
これはあきまへん。現場を訪れずに本を書いていいのか!
いいんです、というわけで、書かせていただきましたm(__)m。
そこで今日は、遅ればせながらの野崎まいりを行わせていただいたわけでございます。
野崎まいり。ご存じでしょうか。江戸時代の京都や大坂では、春になれば、生駒山の麓にある野崎観音に参るのが、ちょっとしたブームになっておりました。だいたい船で向かうんですな。当時は近くに淀川とつながる池がありました。そこで、船と岸辺を歩く人々が口げんかをしながら進むのが習わし?でした。
野辺へ出てまいりますと、春先のことで空にはひばりがピーチクパーチク、ピーチクパーチクとさえずって、下にはレンゲ、タンポポの花盛り。かげろうがこう萌え立ちまして、遠山にはふわーっと霞の帯を敷いたよう。麦が青々と伸びて菜種の花が彩っていようかという本陽気、やかましゅう言うてやってまいります、その道中の陽気なこと!
…とこれは、落語「愛宕山」の出だしでございますが、実は同じ台詞回しが『野崎まいり』でも登場しております。
今回の目に止まった縁日も、参道には人があふれ、なにやら楽しげな露店が並んでおります。リンゴ飴にイカ焼きタコ焼きお好み焼き、たまごせんべい。金魚すくいに亀釣り、ひよこ釣り、スマートボール。みんな、わぁわぁゆうてはります。
「寄ってんか、寄ってんか」
「焼きたてだよ、オイシイよ」
「ジュース、冷えてるよ」
客寄せの声も響きます。声だけやのうて、甘いカスタードクリームに、ソースや醤油の焦げる匂いまで誘惑が絶えません。身体が、つつつ~と引き寄せられますな。
あきまへん。まずは野崎観音さんにお参りせな。心を鬼に人をかき分けかき分け、なぶっては捨て、なぶっては捨て、狭い参道を進みましたところ、とうとう石段に着きました。
それが見上げるような急な段ですが、負けるもんかと、かかとを浮かして昇ります。誰に負けるんや、というツッコミはこの際おいといて、途中から足がつりました(;_;)。それでも顔だけは平然と門にたどり着けたのでございます。
風が気持ちよう吹いてまして、鯉のぼりもいきおいよう、泳いではります。
意外と狭い境内、もといお寺でしたが、気持ちのよい高台です。このお寺、元はといえば、奈良時代にここに訪れたインドの高僧が、「釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑に似ている」という言葉を聞いて行基上人が建てられたとか。罪作りなインド人ですな。おかげでお寺建てるのに、どんなにお金かかったか。
ところで、戦国時代にこの野崎一体が、日本の実質上の首都であったことをご存じですか。
当時この地域を支配していたのは三好長慶ですが、彼は時の将軍・足利義輝を近江に追放し、三好政権を樹立。事実上室町幕府を動かしていたんです。その拠点が、生駒山系は野崎近くの飯盛山城だったわけでございます。
ま、そんなことは野崎まいりになんの関係もございません。ただ、三好長慶を討って、次の実権を握ったのが家来の松永弾正久秀でして、こちらは私のご先祖様に当たります。
エライ人でしてな。なにしろ、主君は討つわ、将軍は暗殺するわ、とうとう東大寺の大仏様まで火をかけて燃やしてしまいました。
ところで、野崎観音さんの中にあるのが南條神社でございます。不思議な神社でして、この本殿の前には「木製の狛犬」があるというんですな。
ところが、いくら探しても前にあるのは、フツーと石の狛犬さん。どうやら拝殿の奥に囲まれた本殿があって、その前にかつて極彩色だった木製の狛犬が安置されているらしい。しかし、見せてくれないわけでございます。
なんでも、左側の狛犬の頭には角があり、一角獣と呼ばれているとか。狛犬はイコマには居ぬイヌのようでございました。
お後がよろしいようで。
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