土倉庄三郎は選挙に出馬したのか
なんだか連休の狭間気分。そこで前半の連休中に見つけた、土倉庄三郎ネタを記そう。
先日手に入れた資料に、「土倉庄三郎が、第1回衆議院選挙に出馬したが、落選した」という記述があった。これは意外だ。
庄三郎は、自由民権運動と関わりは深いが、本人が表舞台に立つことはなかった。常に裏方の支援者であり続けた。山林局局長(林野庁長官)への就任要請も断っている。
ただ、晩年に川上村の村会議員と、村長は務めている。これは選挙を行ったのかどうかわからない。当時の首長は選挙で選ばれたのかどうかもはっきりしないが、おそらく対立候補はいなかったからである。
それなのに、総選挙などに出るか?
1890年(明治22年)、国会開設が決まり、そのため初めての国会議員を選ぶため、衆議院議員選挙が行われた。南和地方(吉野郡、五條市周辺)の選挙区で立候補したのは、土倉庄三郎と、桜井徳太郎であった。
そして当選したのは、桜井である。なるほど、庄三郎は出馬して、落選したことになる。
ところが、調べているうちに面白い資料を見つけた。
土倉庄三郎は、品川内務大臣に出馬を要請されて、渋々出馬したが、議員になりたくなかったので、新聞に辞退したいという広告を載せた、というのだ。そして、対立候補の桜井徳太郎を褒めちぎった……という。
つまり、庄三郎は落選したのではなく、辞退したのである。それも新聞で公表して。
やるなあ。
今夏は、参議院選挙である。すでに裏では選挙運動が激化している。もう少しで候補者が出揃うだろう。
投票の基準には、地方の選挙区はともかく、全国が舞台の比例区では、森林・林業に関心を持つ候補者を選びたいと思っている。
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