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森と林業の本

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2010/05/05

里山都市構想

どうやら世間では連休最終日らしい。

というわけで、私は今日も山へタケノコ堀りへ。

1週間前に掘ったばかりだから、今日は控えめに……と思っていたが、やっぱり15,6本掘ったかな。大きすぎるのは折るだけにして、13本をラッキーガーデンに納品。

穏やかな天気の中、汗まみれ・泥まみれで休んでいる。今日も千客万来。食事にカフェタイムにヒツジに散策に。なんでも、朝から来て夕方まで滞在する客もいるそうだ。席の回転率悪りぃ(^^;)。

しかし、あきらかに里山環境は、人を引きつける魅力を有していることを示している。おそらく職場、あるいは生業などの条件が整えば、こうした里山の中に住みたいという願望を持つ人は少なくあるまい。

そこで、例のアロマとロミロミ(ハワイ式マッサージ)の事業を始める構想を聞いた。なるほど、この環境の中でそうしたビジネスは似合うかもしれない。

そうした里山環境と職と住の混交もしくは近接させるプランは、昔からある。

19世紀末、重工業都市ロンドンは、その住環境の悪化と社会のスラム化にあえいでいた。その中でハワードが唱えたのが、「都市と農村の結婚」である。それは田園都市構想として発表された。

田園都市とは、大都市郊外に建設される人口3~5万人程度の職住近接型の都市である。住宅のほか公園や森林、農園を備えた空間だ。これ自体は夢想的な計画だったが、実際に建設運動は高まり、影響を受けたニュータウンがヨーロッパ中に建設されている。

それが日本にも伝わり、山林都市構想が生まれる。昭和初期のことだ。作ったのは、山形県鶴岡市の当時の市長・黒谷了太郎の発案である。
これは、100坪程度の住宅地の周りを森林で囲む街である。また道は、曲線や斜線を多用した景観を重んじた造りだ。

残念ながら、これは実現に移す前に、黒谷市長は失脚した。

ただ、私は同じような計画が、宝塚市にもあったことを知っている。時はバブル真っ盛り。都市後背部の山林地域を保全するために、森林を分譲する計画だった。ただし、宅地にできるのはそのうちの一部で、3分の2以上の部分は森林として維持しなければならない。その維持の基準も、協定を結ぶ……という構想だった。だが、バブル崩壊とともに消え失せた。分譲地の価格が、1戸当たり1億円以上したからである。

今再び、この発想を里山地域に取り入れられないか。里山を開発してニュータウンにするのではなく、里山環境を守るための街をつくるのである。そして里山を利用したニュービジネスを生み出していく。

日本のニュータウン計画は、見かけは田園都市のイメージを取り入れたものが多いが、結局それは郊外の農村部を大規模に改造して、住宅地ベッドタウンにする発想だった。たとえば東京の多摩、関西の宝塚や千里山などだ。田園調布も本来は田園都市としてプランニングされた。

そうではなく、里山環境を維持することを目的に住む人を選び、ビジネスを生み出すという街づくりもあっていい。それを里山都市構想としてまとめてみたい、いつか。

ただし、これは現在危機に瀕している里山地域の再生とは逆のベクトルである。

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政策・行政関係」カテゴリの記事

コメント

現在の里山再生ベクトルがどのあたりに向いているのか、いまいち実感できてないのですが、田中さんの里山都市構想はうちのあたりの現実にはとても適していると思います。

よそは知りませんが、やさかむらは、かつて農村だったことは一度も無く、おそらく戦国時代には木や竹など戦略物資の供給地であり、近代以降は都市の産業を支える素材(麻、薪炭・繭など)の供給地だったわけですから。都市との相性はきわめて良い。

先住民の多くはその後土木事業を起こしいまでも続けています。地滑り地の生活を維持するための土木事業は不可欠なのです。

定着している新住民は、芸術家、なんらかの癒し系の技能をもつ人、きこりなど、農民的ではない人が多い。精密機械など職人的な仕事をしてきた人も案外多く、情報産業もふくめこの分野の仕事はこれからでもつくれるでしょう。
そのほか教育や医療・介護などの領域にとっても、良い条件です。

計画を現実化するためには、現代的な生活から見て不便である公共交通やコンビニなどの商業インフラ整備など課題は山積ですが、方向性としては、農村ではなく都市に近いと思っています。

空撮をすると北関東あたりでも「屋敷林」が水田地帯に点在している風景がまだ残っていますが、あの「屋敷林」が「道は、曲線や斜線を多用した景観を重んじた造り」でつながっていると考えると、歩いてみたいですね、実際に。「里山都市構想」これ、すごくオモシロソウですね。行き詰まった村おこし、リアルなエコツアー…

田中さんもご存じかもしれませんが、20年近く前に林野庁の「森林都市構想」てのがありましたね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/05/0503.htm

まあ内容はディベロップ的なものですけれど、このために平成3年に森林都市研究会なる天くだ・・・もとい社団法人まで作っちゃうのですからその行動力や凄いものです。

そしてその設立者が例の平野氏という・・・

「里山再生」とは、現在の住民(歴史、文化を含む)と自然環境(棚田や雑木林など)を維持するのが優先だと思っています。
里山都市では、新たな里山環境を住民ごと新しく作るのが目的……そう区分けしています。

里山地域にもさまざまな特性があるでしょう。もし八坂村の条件が合致するのなら、本気でプランニングしたいですねえ。

「森林都市構想」、ありましたねえ。
拙著でも、批判的に書いた記憶があります。

ただ、この頃の平野氏の書く文は好きだったんですよ。官僚としては斬新だった。

まったく新しく創るとまではいかなくても、ほとんど造りかえるくらいの事をしないと、人の消えた山河だけになってしまうと思います。

すくなくとも人は半分以上入れ替わることになるでしょうし、生業のありかた、森林や田畑の姿もかなり変わることでしょう。

私のむらには縄文時代から生活の跡がありますが、歴史的には何度もの断絶があって、いまのむらの姿があります。

いま棚田になっているところは、古代には寺院の伽藍だったという場所もありますから、これから何があっても不思議ではない。

ブログ拝見していて
加子母村のことを思い出し、中津川、南木曽が恋しくなりました~。岐阜・長野に行きたい~と自分の世界に浸りました。。。では~(*^。^*)/

私も、実は「先祖代々、この土地に住んで……」というのを、あまり信用していないんですよ(^o^)。意外と人も土地の利用も変遷しているのではないかと。集落も生まれたり消えたりを繰り返している気がする。
その点からも、現在の里山をガラリと変えることは可能ではないかと思います。

ところで、ゆみっぺさんは、加子母村に縁があるんですか。案外、yuniさんところと近かったりして。

そうそう、北関東の屋敷林で思うのですが、あのような景観は、何も見てもらうために作ったのではないのに、どうして美しいのだろう……と前から考えていました。
かつて人が都合よく作った景観が美しいのに、現代の「都合の良い」景観が、美しく感じられないのは何故か……。これも課題です。

田中さん、ご無沙汰してます。
 19世紀末のイギリスでハワードが直接影響を受けたかどうかは分かりませんが、イギリスさらにはヨーロッパ諸国の田園都市構想は当時の日本の都市景観に影響を受けているようです。幕末に来日した西欧人たちは水と緑にあふれた江戸の町を一様に賞賛し、「ガーデンタウン」と呼びました。そして(金持ちでない)ごく普通の庶民が家のまわりや部屋の中で植物を愛でる姿を見て、心の豊かな国民であると感じ取っています。
 このあたりは川勝平太著『文明の海洋史観』(中公叢書)とか、川勝平太編『ガーデニングでまちづくり』(中央公論新社)などが面白いですよ。ちなみに川勝さんは「ガーデンタウン」を「庭園都市」とか「花園都市」と訳しています。
 日本は都市景観としては最悪の時代にヨーロッパに学び、それをまねることが「近代化」だと信じ込みました。日本の「目標」は達せられましたが、最近になってようやく都市景観に対して敏感な人が増えてきました。しかしそうした人ですらモデルにするのは欧米諸国です。欧米諸国が日本をモデルにしたという歴史も知らずに「日本は昔から…」的な論理が目立ちます。皮肉なものです。この問題に限らず、「欧米は先生、日本は生徒」といった考え方が至るところで浸み込んでいるように思えます。

これは面白いですね。ハワードは、アメリカのガーデンシティに影響を受けたとされていますが、時の前後はともかく、日本(江戸)の町景観が欧米の都市計画に影響を与えたとすれば面白い符号、いや反符号です。

たしかに近代の日本の町は、意図するしないは別として農環境と一体化した景観だったでしょう。今それを取り入れるのは、先祖返りなのかもしれない。
「山林都市」構想の再評価に加えて、里山都市構想の構築に取り組めないか。やるなら参加したいなあ。社団法人でも設立して……(^^;)。

(o^-^o)先日はタケノコありがとうございました。昨日の夕飯・・・肉とともに鉄板の上でジュウジュウ、ホクホク、・・・ぱくぅっっっ。今日はタケノコご飯が食べたい・・・と祈願中。ご馳走さまでした。

9日は残念(p_q*)。ゆみっぺさんと筋トレに励みます。ロミロミの上達は足腰から!!Aloha

筋トレ、励んでくださいね。私がロミロミ受けるまで……。練習台になりましょうか。

田中様ありがとうございます。マッサージを受けられたことのある方に練習台になっていただいて
ご意見をいただけるのは貴重なのですが、ロミロミは女性専用の予定です。それに練習台になってくださる方の順番待ちの状況です。せっかくなのですが、残念です。お気持ち嬉しいです。ありがおつございます。ムフっ(^_^;)
あ!そうだ、オーナーがスリランカトリートメントのお手本を見せてくださる時のモデルになってください!是非よろしくお願いします(*^_^*)ほんと助かります。気持ちよいよ~っとおっしゃってました(*^_^*)

やだよお。オーナーに身体触られたくないやい。

私は、せっせと接骨院やタイ式に通おうかな。

黒谷さんは、名古屋市の課長のときに、山林都市を書かれた。対象は、現在の名古屋市東山区の都市計画になったそうです。鶴岡市長は、その後です。

教えていただきありがとうございます。

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