「限界集落」と「廃村」
今日の夕刊に、兵庫県佐用町の消滅集落を拠点に、大学生(関学と美作大)が限界集落のボランティアに入ることになったニュースが載っていた。
そもそもは今年2月に限界集落・準限界集落の調査を行った学生アルバイトが企画したものだという。町内のこれらの集落に出向いて高齢者の慰問と活性化のイベントを考える……というものだ。その拠点として、3年前に人がいなくなった集落の空き家を拠点とすることになったのである。週末や長期休暇に滞在しつつ、各集落を回るという。
その意気やよし。具体的に何をして、どんな成果が出るかはこれからだが、私が面白く思ったのは、限界集落を支える拠点が消滅集落に設けられた……という点だった。何も、皮肉に捉えたのではない。おそらく立案の段階で、細かな地域の事情も絡んだのだろう。
ただ、消滅集落のことを「廃村」と表現していて、無人の里に新たな人(学生)が入ってきて新しいことをする、何か明るいイメージさえ漂っているのである。
一方で「限界集落」には、まだ人が住んでいるにもかかわらず、厳しい、寂しいイメージがこびりつく。
かつて、廃村ブームというのがあったことをご存じだろうか。
これはアウトドア系の話題だが、廃村となった集落を訪ねることが一種の探検になっていた。その提唱者である藤嶽彰英氏によれば、かつて人が住んだ場所は、そこそこ平坦な部分があり、日当たりもよく、水もある。畑跡には、まだ食べられる野菜が自生していることもある。そして家屋などがまだ残っている場合は、人々の営みの歴史を感じられる……のだそうだ。
だからキャンプするのに最適だという。また道さえ消えた廃村探しは、探検的気分も味わえるわけだ。
今でも、廃村を求めて訪ね歩く人は少なからずいるようだ。
一方、「限界集落」には、そんな外部の能天気な楽しみの舞台にはなりづらい。
……こうした言葉の表現について、今後も少しずつ考えていきたい。
今日は、この辺で。
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