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2010/05/25

限界集落に「支援」は役立つか

先にコメント欄で、ちょっと問題になった「限界集落」という言葉。

まず先に基礎的なことを記すと……。

限界集落とは、65歳以上の高齢者が集落人口の半分を越え、集落維持の共同生活が困難になった集落のこと……と定義されている。高知大学教授だった大野晃・現長野大学教授が、1991年に提唱した概念である。

なんでも、高知県大豊町のある集落に調査に入り、そこで残っている人が「もう限界だ」と何度もつぶやいたことから、この言葉を作ったそうである。

それが今では、広く使われるようになった。いわば学術用語と言えるだろう。
段階としては、「存続集落」-「準限界集落」-「限界集落」-「消滅集落」としている。また、限界と消滅の間に「超限界集落」というものを設定している場合もある。これは、住人が一人か二人で、集落としては終わっているが、消滅ではない段階らしい。

この言葉、当の集落の人々にとっては、不愉快な用語ではないか、という意見は以前からあった。たしかに「限界」には、もうダメ(住めない)というニュアンスを漂わせている。それを、少なくても今現在そこで頑張っている(住んでいる)人に対して使うのは失礼だろう。

だから、私も当事者に対して「限界集落」とは言わないよう心がけている

それでも、こうしたブログなどでは、はっきり「限界集落」と使っているのは、簡単に言えば、高齢化率のような数字はともかく、わりと後半の「集落の維持が限界」であることを示す用語して、本質を押さえていると思えるからだ。

それは、地域社会の深刻さを伝える言葉として、である。

最近は、限界集落という言葉を嫌って言い換えようとする動きがあるが、たとえば単なる「過疎」、あるいは「お元気集落」「いきいき集落」といった表現にしてしまうと、一気にイメージが弱まってしまう。
また官公庁関係が使う「基礎的条件の厳しい集落」、「維持が困難な集落」 などという持って回った言い方も、言葉の威力を割いている。

少なくても「お元気」で「いきいき」しているわけがない。実態を覆い隠そうとしているようにさえ感じる。そうした集落では、高齢になっても「元気」で「いきいき」しているのなら、すばらしいじゃないか、と正反対の声が出てくるかもしれない。やはり田舎暮らしは、お年寄りを元気にするんだなあ……なんて勘違いする人もいるだろう。

「限界」かどうかを分けるのは、集落の年齢構成とか住民の人数よりも、住人の意識が重要ではないだろうか。住人が、住んでいるところを活性化したいと本当に思っているかどうか。それのあるなしで、限界か、準限界かに分かれる。

その点から、本当に「限界」に来ているところは、その後人口を増やして再び元気になる可能性は低いと思っている。地元に活力が失われた時点で、外部からの手だては無力になる。

もし手を打つなら、その一歩手前の準限界集落の段階だろう。外部からの支援は、内部に受け止める人材がいて、初めて効果が出る。
京都府綾部市が、集落維持のための条例を作った。いわゆる「水源の里条例」は、世間には限界集落対策のように思われているが、正確には準限界集落対策だ。集落で何か新しいことに取り組む意欲のあることが条件だからである。

「限界」まで行き着いた場合は、終焉への軟着陸を見据えないといけない。無理な活性化策を取ったり、移住者を迎えて人口を増やすことではないはずだ。
優先すべきは、今現在住んでいる人の暮らしを守る施策だろう。具体的には買い物や医療、あるいは話相手の確保など。そのうえで村を出る覚悟があるなら、そのための援助も必要となる。

その意味では、現在の「限界集落」という言葉は、間違って使われている。もし、住人になんとか集落を盛り立てようという意志があるのなら、そこは限界集落ではない
私も、気をつけて使いたい。

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地域・田舎暮らし」カテゴリの記事

コメント

集落が少人数であればあるほど、
個々人の状態が集落全体に反映されやすい。
と思います。

ならば、個々人がいかにつらい状態に
ならないようにするかというのが、
大きな課題なんだなあ・・・と感じます。

よくわかりました。他の人に説明する時にぜひまねてみます。(もちろん、原典は明示しますのでご心配なく。ちなみに就農=起業だから困難かつ面白いですよ、というのもよく引用しております。)

大野氏や田中さんのように、実情がわかった上で「限界という厳しい言葉を使うしかあるまい」という思いがある方から「限界集落」と言われるのはやむを得ないでしょう。現に限界なのですから。

でも、GMな役人、研究者、マスコミが使えば困るのです。(GMは田中さんの発案でいいのですか?)もちろん、内輪の議論なら構いませんが、実情を知らずに強力な言葉を外へ向かって振り回されるのが困るのです。私も言葉狩りはしたくはないですから。

田中さんが
>もし、住人になんとか集落を盛り立てようという意志があるのなら、そこは限界集落ではない。
と書いた通りだと思います。大野氏の定義に↑を一つ加える方がいいのではないでしょうか。

私の住んでいるところは限界集落どころでなく限界自治体と言われてます。

町の人口の半分が年金生活者だというのは正直ゲンナリしますが、豊かになってから失われた助け合いがまた復活しつつあるという意味では良かったのかなと思います。よそからの移住者でも自然と地元と助け合いというつながりが出来ますから。

で、最近話していたのが、財政再建団体と限界自治体とどっちが支援を引っ張ってこれるかということでした。財政再建団体はバカやって借金まみれでかわいそう。限界自治体はジジババがいっぱいいてかわいそう。ならば限界自治体の方が同情を買いやすいという結論になりました。coldsweats01

でも住んでおきながら何ですが、限界集落を維持する必要性は何なんですかね?住んでいる人たちは別に生活保護受ける状態ではないんですよ。維持をするのはその世帯なのか?文化なのか?景観なのか?維持費としていくらぐらいが妥当なのか?

自分自身分からなくなっています。

言葉というのは、最初の定義から使い手の意識無意識によって変質していくものですからね。そこが難しい。
誤った使い手には、コツコツ事実を伝えて訂正させるしかないですね。
むしろ「準限界集落」という用語はなじんでいないので、これをスッキリした言葉に言い換えて、その普及を目指したい。そちらが世間に広がったら、限界集落という言葉はあまり使われなくなるでしょう(報道で「限界集落」という場合は、活性化をめざす準限界集落であることが多い)。

ちなみに原典は記さないでいいですよ。GM(現場を見ない)も、私の発案じゃないです。

botaさん。限界自治体という言葉も、最近はよく耳にしますね。
「豊かになってから失われた助け合いがまた復活しつつある」というのは、興味深いですね。でも、財政再建団体と補助金分取りを競うか(笑)。

(準)限界集落を支援してまで維持しようという意味。これは難しいですね。都会は社会のピラミッドの中で頭頂部ですが、その底辺である集落が減ると、全体が揺らぐから……というのは、結局頭頂部の論理でしょう。
私としては、そこに人が住んでいるから、としかいいようがない。

準限界集落の別名として、とりあえず「挽回集落」というのを考えました。

>私としては、そこに人が住んでいるから、としかいいようがない。

私も賛成です。居住の自由というのは重要な権利(主権者たる国民に、統治権力が保証しなければならないこと)ですから。

九州の人工林地帯に住む私としては、人工林の手入れをするのに、近くの山村に人が住んでいる方が社会全体として安上がりだから、という外向けの理屈も考えました。

皆様へ

私は「限界集落とは、65歳以上の高齢者が集落人口の半分を越え、集落維持の共同生活が困難になった集落のこと……と定義されている。高知大学教授だった大野晃・現長野大学教授が、1991年に提唱した概念である」
という、20年前の定義にはいささか疑問を持っております。

20年前に比べて、最近は若い高齢者が多いですね。65歳では、とても老人には見えない方が多いです。
昔の年齢に0.9をかけてみると実年齢に近いいようです?例えば、今の60歳は昔の54歳。70歳で、昔の63歳となります。

すると、大野理論で言うところの65歳は,65÷0.9=72 で今の72歳に相当します。

従って,限界集落の定義は72歳以上の高齢者が半数を超えた集落と再定義できます。
65歳以上を高齢者と定義するから、日本国中が限界集落だ!大変だ!大変だ!と大騒ぎすることになる訳です。

あるいは、実質的な内容で定義するなら、
「限界集落とは、そこに生活する住民の年齢に関係なく、集落維持の共同生活が困難になった集落のこと」と、新しく再定義しませんか?

へそ曲がり爺より

挽回集落。いい得て妙ですね(笑)。

準限界集落の別名、私も考えてみました。
境界線集落。地理的な境界と間違われるか。
瀬戸際集落。う~ん。
土俵際集落。まったく……。

克服集落。再転集落。有為転変集落。捲土重来集落。巻き返し集落。
ええい、維新集落だ!

私も、限界集落の基準に、65歳以上の高齢者の人口比率を入れるのは、あまりに杓子定義だと思います。役所は、定義づけることで施策をつくりますから、現場と合わない部分が出てくる。
ここでも「GM」ですね。

一方で、若者が多いにも関わらず活力を失った地域も限界集落化するかもしれない。

限界集落の限界たるゆえんは消防や祭り・雪かきなど集落での(力仕事になる)共同作業が出来なくなることだと思います。そういう意味では65歳というのも妥当かなと思っていました。

自分は森林組合で働いていますが、やっぱりそれくらいから爺さま方の動きが変わってきてます(ちなみに65歳定年で70歳くらいまでシルバーとして働いています)。

あとは年金受給年齢ですかね。人口区分でも生産人口ではないですし。

>私としては、そこに人が住んでいるから、としかいいようがない。

のは確かにその通りだと思います。でもそこに必要なのは基本的なインフラであって買い物支援や話し相手の確保は本当に必要なんでしょうか?住みづらいというのは別に限界集落だけの問題ではなくて何処でもあり得ることです。住んでいる人を強制的に移住させるのは言語道断ですが特別に優遇する必要は本当にあるんでしょうか?
単に同情からの支援ではお互いにとって不幸になると思います。何か集落維持のための前向きな理由が欲しいですね。ちゃんとビジネスになるくらいの。もちろん補助金分取りはビジネスではないですよbleah

そこに人が住んでいるから。
で、その人が住み続けたいと思っているから。
でも、そのためには助けが要るから。

ということで、「支援」なのであり、

ここで、外から
「きっと困っているだろう。」
と予想したことが、
「いや。困っているのはそこじゃない。」とか
「実は困ってはいないんだけど。」となっている例もあると思います。

「病院が遠かったりするのって大変ですか?」
って、とある集落の方に聞いたら、
「いや。生まれてからずっとここに住んでいるし、これが普通だと思っているから、大変だと思ったことはないよ。」と言われました。
私が勝手に困っているに違いないと思っていた例です。
そのほか、学校が遠いのも、お店が遠いのも
「大変だと思ったことはない。」と言われ、
勝手な思い込みはいかん。と感じたことがあります。

「支援」の中身は、まさに当事者から聞き出さないといけません。わかった気でいるとずれてしまう。ただ、地元ならではの見栄や遠慮もあるから、額面通り受け取れないこともあります。

病院に行くにも公共交通機関がなく、自家用車も乗れないため、片道6000円のタクシーで行く老人がいました。かつては歩いて行けるところにあった商店が姿を消し、移動販売車も通わなくなったところも……。
ただ、こうした支援も「当面の維持」にしかならず、前向きと言えるかどうか。

国家主義的に言えば、そこに住む人がいて、初めて領土なんだという気がする。

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