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2010年7月

2010/07/31

帰国

今朝、帰国しました。

いや、日本は暑い(~_~;)。やっぱり避暑はボルネオに限りますね。

まだ、何も整理できていず、てんやわんやの状態ですが、おいおいボルネオで見聞きしてきたことを報告したいと思います。

一言、先んじて告げておくと、もともと私は初めて訪れた海外がボルネオで、約30年前に遡ります。とくに20年くらい前からはほぼ毎年訪れていました。そして最後に訪問したのが7年前。

そして、今回訪ねた場所は、ほとんどが過去に訪れたことがある場所でした。その意味では、10数年前と現在を比べることのできた旅だったと言えるでしょう。

本当に多くの点で変化が見られました。その点について考えさせられることも多くありました……。

2010/07/22

ボルネオに避暑

皆々様、いつもご愛読ありがとうごさいます。

最近は、ポツポツとメールで暑中見舞いが届くようになりました。

まったく暑い。一歩外へ出ると、暑い日差しが突き刺さってきます。

というわけで、私は明日より避暑に出かけることになりました。場所は、とっておきの涼風の吹くところ、ボルネオです。熱帯雨林の樹間を抜ける心地よい風……に期待して(~_~;)、約1週間の旅路です。(※冗談ではなく、ボルネオは、日本の夏より涼しいですよ。これも緑に覆われているから?)

具体的にはマレーシア連邦のサバ州、サラワク州ですが、かつては毎年出かけていたところ。ここ7年ほどご無沙汰してしまいました。おそらく大きく変貌したことでしょう。果たして熱帯雨林自体がどれほど残っているのか、そんな心配もしています。

日本では、森林は肥え太り、いかに木材を利用するかを語っている本ブログですが、アチラは森林破壊の世界的ホットポイント。熱帯木材の伐採に加えて、今や油椰子の農園開発に、アカシアなど早成樹種の植林が広大な面積に広がって、それが生態系に与える影響が問題視されています。

そこで、一体何を見てこられるか。

もし生物多様性を肌身に感じてこられたら幸いです。

では。帰国は、31日の予定です。

つまり、8日以上プログを更新することは無理でしょう。現地にパソコンは持っていかないし、ホテルにはパソコンがあるかもしれないけど、日本語使えるかどうかはわからないし。
8日間の更新ストップは、おそらくプログを初めて初の記録でしょう。これまで正月でも数日で再開していましたからね。

たくさんブログ・ネタを得て還って来られることを祈ってください(^o^)。

2010/07/21

日経新聞に割り箸記事

本ブログ読者より寄こされた情報。

昨日の日経新聞の地域総合ページに割り箸の記事が掲載された。

3

割りばしが訴える森林保護」というタイトルで、奈良で展開されているYoshino Heart プロジェクトを紹介している。

つまり吉野の割り箸をアドバシにして、ナチュラルローソンなどに使われていることを伝えて、「割り箸の復権」をめざすものと取り上げている。

久々に割り箸についての、真っ当な記事である(^o^)。
地域版に止めるのは惜しい。全国版に載せてほしい。(現時点では、確認できず。ネットにもアップされていないようだ。)

残念ながら、ネットだけでは通じない読者も多いので、紙媒体のマスコミの報道を行う人々にコツコツ情報を伝える努力も必要だなあ、と感じる。
各地のマイ箸などの動きに反応する際は、それを報道するマスコミにもコトの次第を伝えていかねばならないだろう。

また記事では、森林(林業)保護と絡めているが、樹脂箸の洗浄などのコストや環境面、そして衛生面からも、突っ込んでほしいのものである。そのためにもデータや証拠がほしい。

たまたまこの件がツイッターで話題となり、店で出された樹脂箸の不潔さを示す写真を集めることになった。結構スゴイのがある。

もし、読者の皆さんも、お店で汚れた樹脂箸を見かけたら、携帯電話でいいからパシャと写真を撮ってください。そして送ってくださると幸いです。

そういえば、先日の飲み会では、案の定店で出されたのは樹脂箸。当然、割り箸を出すように言ったのだが、出てくるのがやたら遅い。料理を目の前にしてそれはないだろう、と結局、自分が持っている割り箸を使ってしまった(^^;)。

で、遅れて出てきた竹割り箸は、持ち帰る。次の店で樹脂箸が出たときに使おう。ちなみに、竹割り箸は防腐剤を使っているから嫌いなのだが、ここで出たのは防腐剤を使わず、煙で燻蒸したものであったのでよかったよ。

2010/07/20

集成材の時代

今や建築の世界は、集成材の時代だ。

なんたって集成材は、乾燥しているし、狂いはないし、強度も増しているし、節なども外しているし、文句ないじゃないか。もっとも、集成材の多くはまだ外材製だから、集成材需要が増えれば増えるほど、国産材の出番はない。

だから、国産材でも、集成材生産を急がなくてはならない。最近になってようやく少しは増えてきたかな……と思っているんだが。

なんでこんなことを書くかとはいうと、どうやら集成材の時代が到来していることに気づいていない人がいまだ少なくないことに気づいたからである。誰が気づいていないかって? それが、その……建築関係者が。製材関係者が。そして住宅を建てようとしている人が。

そうした人の会話を盗み聞きすると、集成材は強いのか? とか、ホワイトウッドは木じゃないとか。家はやっぱり無垢の木が一番なんだそうだ。もちろん国産材がよい。

そりゃ、素人が自分の家を建てる場合の希望を言っているのならわかる。しかし、ここで口にしているのは業界人なのだ。

で、この画像を見てもらおう。

2_2

これは、先に紹介した「不況の合間に光が見えた!」(遠藤日雄著)にあった構造材の使用樹種の推移である。

私も、知っているつもりでも、ここまではっきりと示されると驚いたものである。

なんたって1995年には土台も梁も100%生木だった。柱だって70%生木である。たかだか15年前の話だ。

それが2007年には、土台で約半分、梁が83%、柱に至っては94%が集成材なのだ。柱で生木は1%まで減少した。

この現象は、阪神大震災で、生木の構造材の弱さが示され、どんどん乾燥材、集成材に入れ代わったからかもしれない。それ自体はいいことだ。震災の功の部分かもしれない。

いずれにしても、集成材がここまで伸びている(というより、大半が集成材になった)のに、そのことを知らない業界関係者が少なくないことに驚いた。

製材業者は、製材が売れない売れない、文句を言いつつ、こうした需要傾向をまったく把握していないなんて、おかしくないか。はっきり言って、どんなビジネスやっているのか?

ともあれ、集成材は増えているのではなく、すでに構造材全体に行き渡ったのである。今後の勝負は、外材の集成材を国産材の集成材に換えることだろう。それを無視して、無垢の柱や梁作って、売れないと嘆いているようじゃ、勝負にならない。

2010/07/19

土倉庄三郎の命日

7月19日は、93回目の命日。

土倉庄三郎は、大正6年(1917年)のこの日に亡くなった。享年77歳。文献には78歳と記されたものが多いが、これは数え年であった。今風には77歳でよいだろう。

当時、土倉家は零落していたとはいえ、まだまだ地方の名家であり、庄三郎はとびきりの名士だったことは間違いない。

そこで、貴重な写真をば。

Photo

庄三郎の葬列を納めたものだそうである。

大滝の大半の人が参列し、何日も列が続いたと伝えられる。

また、この年のお盆には、土倉邸の前を流れる吉野川に、スイカが多く流されたという。精霊流しのようなものであろうか。

実は、土倉庄三郎伝の執筆を進めている。それが書いても書いても終わりのない沼のような世界なのだが、目安にしている分量で言えば、8割近くまで届いただろうか。ただし、完成原稿までの道のりでは、5割に達していないのではないか。さらに書き上げても出版の当てがまったくない有り様だから、仕事全体から見ると、3割程度の達成率と想像している。

先は長い(*_*)。

今年の夏は厚くなりそうだ。

2010/07/18

一畳敷展

大阪のINAXギャラリーで開かれた、「一畳敷展」に行ってきた。

ここで開かれたセミナーが
「裏幕末伝 探検家、松浦武四郎が残したものである。

松浦武四郎、ご存じだろうか。私なんぞは20年以上前から興味を持っているのだが、ようするに幕末の探検家だ。とくに蝦夷地の探検で知られ、北海道の名付け親でもある。

一方で、彼は吉田松陰木戸孝允(桂小五郎)岩倉具視、大久保利通……という幕末から明治の志士・元勲までと交わっていた。そして幕末の動きに結構大きな役割を果たしているのである。

この人物の面白さは、なかなかのものなのだが、このブログで注目したいのは、晩年取り組んだ一畳敷である。簡単に言えば、一畳しかない書斎。

1

写真は、会場に再現された一畳敷。と言っても、実は畳み以外の周辺は写真ボードである。

私も中に入って座り込んでしまったが、なかなか快感。この狭さがいいなあ。

武四郎は身長148㎝しかなかったらしいから、現代人よりもう少し広く感じたかもしれない。

だが、この一畳敷のすごさは、単なる小さな書斎ということではない。材料が、全国の有名建築物の端材なのである。

木片勧進といって、各寺社に端材を分けてくれと頼み込んで、全部タダで手に入れた木材を使って建てているのだ。その数、91。

たとえば伊勢神宮の古材に始まり、太宰府天満宮熊野本宮大社、平等院、法隆寺、そして後醍醐天皇陵の鳥居まである。法隆寺の木片なんて、もしかしたら飛鳥時代の木かもしれない。それらを組み合わせて作った書斎なんて、好事家の極みだ。

この書斎を研究するアメリカ人もいて、日本文化を誇っている。

木片から作る書斎であり、木にまつわる故事を活かした建造物として、一度は見てみたいと思っている。

ちなみに、この一畳敷は、現在国際基督教大学のキャンパス内にある。ただし、非公開ではなかったかな。

2010/07/17

大面積皆伐地を探せ!

昨日、100ヘクタールを超える大面積皆伐地が危険、と書いたので、地図上で探してみることにした。

頼りは、Googleマップ、もしくはYahoo!地図。地図といっても見つけたいのは、人工衛星もしくは航空写真で、空から大面積皆伐された山を探し出そうというわけだ。

狙いは、宮崎県、熊本県、大分県など九州と、四国の徳島県。さらに東北から北関東にかけて。そして北海道。

ざっと目安を立てて、絞り込んでいくと、それらしいところが見つかる。山肌の色が違うので、意外と簡単。拡大していくと、作業道まで見えるものもある。

たとえば
<http://maps.google.com/?ie=UTF8&ll=33.797979,134.27634&spn=0.0125,0.015385&t=h&z=16>

実は、せっかく見つけたのだから、その航空写真を画像として取り込もうと思ったのだけど、やり方がわからない(-_-)。できないのかなあ。誰か方法があったら、教えてくれ。以前は取り込んだ記憶があるんだけど。

空から伐採を監視する気持ちでやりたい。

2010/07/16

大雨と禿山

このところの大雨で、大きな被害が出たようだ。

私は、その最中に大雨警報の出ている南紀に出かけていたのだが、晴れていた。見事な晴れ男o(^o^)o!ぶりだったのだが、帰ってニュースを見ていると愕然とする。

今のところは、水没した市街地や、土砂崩れを起こして埋もれたり削られた山麓部の映像ばかりが流れているが、奥山の被害も今後出てくるだろう。

これを取り上げて、異常気象ではないか、とする声も出ているが、はたしてそうか。雨量はともかく、山崩れや洪水は、かつて日本では頻発していた。実際、明治の頃は、毎年洪水や山崩れによってすさまじい数の犠牲者が出ていたのだ。
なぜなら、明治時代の日本の山は、禿山だらけだったからである。

思えば、日本の近代林学、そして林業緑化は、明治になって災害が相次いだことで始まったとされる。西洋の理論や技術を取り入れ、せっせと造林をした。そして、ようやく全山を緑に覆うことに成功したはずなのに、またもや伐採が激しくなっている。

なんたって、九州・東北には100ヘクタール、いや400ヘクタールもの伐採跡地が広がっているのだから。

伐採数年間は、まだ以前の樹木の根系が残っているから目立って被害は出ないかもしれない。しかし林冠がなくなったことで、直接雨粒が地表を削るだろうから、けっして土壌流出が起きないわけではなかろう。

しかも、伐採跡地で再造林しているところは少ない。しても、形だけだと、すぐに獣に食われてしまったりして、次世代が育たない可能性が高い。

おそらく、近く巨大災害が起きるのではないか。ただし、奥山ゆえに人の目に止まりにくいかもしれないが……。それでも、土砂が谷を埋め、川を下れば問題になる。その時、禿山を作ったのは林業だ、とバッシングが始まる可能性は少なくないと思う。

巨大伐採地が、この雨でどうなっているのか、調査すべきではないだろうか。

2010/07/15

割り箸は真田丸

「さいたま市のマイ箸」に対して、意外なほど反響をいただいた。

なぜか。私もこのところ割り箸について考えるところがある。なぜ、私は割り箸にこだわるのか? 世間も、割り箸には林業以上の関心があるのか。
そこで頭の整理がてらに記してみよう。せっかくだから、歴史ロマンも絡めてみたい(笑)。

実は、私が『割り箸はもったいない?』を執筆する際、実はさほど割り箸について思い入れが強かったわけではない。むろん、私は自宅でも割り箸を使っていて、また吉野の生産現場を見て歩いているから、それなりに割り箸愛好家であり割り箸ファンであった。しかし、強く意識することは少なく、個人の思いに止めていた。
むしろ、割り箸は林業が生み出す木材商品の一部、それも末端の一つと認識していた。総論ばかり書くのではなく、各論に踏み込もうという思いが、割り箸に目を向けさせた。

だが、取材・執筆を進める中で(そして出版後の反響も含めて)、割り箸こそ林業の象徴的存在であり、もっとも消費者に近い木材商品ではないかと思いなおした。

林業の根幹思想である、木材を無駄なく利用する、木肌を大事にした製品で、消費者ニーズに合わせた商品づくりをする……などを体現しているように思えたのだ。

同時に、もっとも風当たりの強い商品であることも認識した。かつて「林業は森林破壊産業だ」という声があったが、それだって実は狭い環境保護分野の意見にすぎなかった。国民の大半は、好きも嫌いもなく、林業に無関心だったのだ。
しかし、割り箸は違う。身近であるゆえに誰もが意見・思いを持っている。また機能としても、箸なくして日本人は飯を食えない。その道具が何かは重要だった。そのため、反対論が吹き上がると、あっと言う間に広がったのではないか。

割り箸は、林業への応援も批判も、真っ先・真正面から浴びる存在なのではなかろうか。

それを、私は割り箸は「真田丸」的存在だからだと思っている(笑)。

ご存じだろうか。大坂冬の陣。豊臣勢の息の根を止めようと全国に動員をかけて集めた徳川勢は、大群で大坂城を包囲した。対する豊臣側は、浪人を召し抱えることで対抗するのだが、その一人が、真田幸村である。幸村は、九度山に幽閉されて幾年月、もはや所領も家来もいない一介の浪人だった。だが最後に一花咲かせようと、反徳川の象徴としての豊臣側についたのだ。

籠城策を取る豊臣勢の中で、幸村は弱い南側を防御するため外堀の外に砦を築く。それが真田丸だった。あえて城内に閉じこもらず、敵と直接向き合ったのである。

当然、徳川勢は南から、真田丸に攻撃を集中する。もし真田丸が落ちたら、そこから大坂城内に攻め入ることも可能だ。ところが幸村は、引いては攻め、攻めては引くの、自在の戦法によって徳川勢を翻弄するのだが……。おかげで大坂冬の陣は、引き分けに持ち込めた。

林業という産業は、都会の人にとってはちょっと遠い堀の向こう側にある産業のイメージではなかろうか。とっつきが悪く、すぐ攻め落とせない。ところが、その中の割り箸は、堀から突出して都会人もなじみのある存在なのだろう。すぐ目につき、気軽に意見を出せる。

だから攻撃を仕掛けられやすい。しかし、理に合わない攻撃である。

この理に合わないという点に、私は反応する

ここで割り箸が否定されると、林業全体への影響が大きいはずだ。しかし、林業だけのために割り箸を応援しているつもりはない。

木を使わなければ森林を守れる、という短絡思考がイヤなのだ。複雑な事物の関わりを読まなくなる。物事には、よいか悪いかしかないという二元対立に陥る。このまま進むと、悪いと思ったものは、即刻削除することがよいという発想になる。

木材そのものは、おそらくその後も使われ続けるだろう。だが、もはや金属や合成樹脂などと同じマテリアルの一つとしてであり、生命体だった木への郷愁を求められることは少なくなるに違いない。機能を越えた愛着は期待しにくくなる。

このことに、私は割り箸の問題にとどまらず危機感をいだく。
素の木肌に触れられなった人々は、木に対してどんな感覚を持つだろうか。日本人の情操はどのようになるか。想像もつかないが、何かまがまがしいイメージだけが湧く。

ところで割り箸を教育のツールとすることの多い木育は、何を目的にしているのだろうか。人を木材に親しませることの先にあるのは、何も木材の消費を増やし、林業を振興しようという次元ではないはずだ。
おそらく木は、自然の象徴ではないか。木に親しんだ人は、自然と親しむのだ。複雑な環境が混ざり合った自然を素肌で感じるのだ。それが情操教育につながる。その一環として割り箸が使われているのなら有り難い。

だから真田丸を陥落させてはならない。

真田丸が撤去されて臨んだ夏の陣で、大坂城は落城した。世に真田幸村ファンは多いが、いずれも理の合わない徳川の攻撃に立ち向かったことに感動するのではないか。しかし、豊臣勢にとって真田丸は、守りの拠点だけでなく、攻めの拠点でもあった。割り箸には、それを軸に、林業への偏見、ひいては短絡思考を打ち破ることのできる可能性が秘められていると思う。

そうした思いがあるからこそ、割り箸にはこだわりたい。

……まだ未消化だなあ。

1


真田丸跡の宰相山公園にある幸村像。

2010/07/14

さいたま市のマイ箸運動

先に、「岐阜県郡上市の地場産材の割り箸づくり」の記事で、高桑先生がコメント欄に、さいたま市の取り組みを紹介してくれた。

http://www.city.saitama.jp/www/contents/1274093058778/index.html

lここに引用しておこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平成22年6月1日 取組開始!
全員参加で実施率100%を目指します!

<取組の概要>

1.職員が「自分のはし」=「マイはし」を用意し、昼食等に使う「割りばし」を一掃する取組です。
2.目的は、「環境への関心を持ち、できることから始める環境配慮行動」及び「もったいない!という意識を持ち、身近な気づきから始める無駄ゼロ行動」に取り組むきっかけづくりです。
3.取組により「ごみの量の削減」及び「無駄を取る意識を行財政改革につなげる」という効果を狙っています。

Q.なぜ「マイはし」なの?
A.いつでも、どこでも、誰でも、すぐに取り組むことができる環境配慮行動であり、廃棄物の削減にもつながるからです。

Q.どんな効果があるの?
A.1年間で割りばし188万膳を節約できます。
   ごみが約7.5トン削減できる計算になります。
   A4コピー用紙に換算すると、約63万枚の木材の量に相当します。
   (前提)さいたま市職員約9600人の内80%の人が昼食時に割りばしを使用していると想定。
        9600人×80%×1膳×245日=1,881,600膳≒188万膳

「さいたま市職員 みんなでマイはし」3つのステップ!

 ステップ1  「マイはし」を用意する!
 ステップ2  お弁当の注文時に「割りばしはいりません」と断る!
 ステップ3 外での食事も「マイはし」を使用する!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、私は、そのサイトから当局に質問をした。ただ、サイトに直接書き込む形式なので、手元に文面が残っていない。何書いたかなあ~(^^;)\(-_-メ;)。

そして、返信が来た。

正直言って、想定通りというか、ていねいだけど、木で鼻をくくった(これも常套句だ 笑)内容。いくらか引用すると、

「今回の取組は、身近なところにある無駄の排除と、環境配慮への関心を高めるきっかけづくりの2つを目的としています」

「マイはしの材料については、特に指定をしておりません」
「間伐材・端材を材料とする国産の割り箸については、資源の有効利用から使用することを否定するものではありません」

そうそう、マイ箸の材料がプラスチックなら、むしろ環境に悪いのではないか、と書いたのであった。また輸入割り箸も、製紙用チップに回す分を割り箸にしているだけで、木材の削減につながらないと指摘した。でも、国産ならよいと言うんなら、国産割り箸使ってくれないかな。

「ご指摘いただきましたように水道使用量の増加などといった心配はありますが、一方で、電気やガス、ガソリンなど、今後、様々な環境配慮行動につながっていけば、より大きな効果を生むと期待しております」

意味、わかんねえ~。なんで環境配慮行動につながるのか。

で、最後の結びは
「このたびは、田中様から貴重なご意見等いただきありがとうございました。頂戴いたしましたご意見等を踏まえ、今後も、さいたま市全職員で行動してまいりたいと思います」

残念ながら立ち止まる様子はない。さらに返事書こうか迷う。やっぱり、例のチラシを送りつけようか。

皆さんも、意見を寄せてみたら。

でも、本当はこうした意見を出すことは、割り箸産地自身がしてほしいなあ。

追記・あさださんよりのチクリ(笑)。

こんなページもありました。http://www.city.saitama.jp/www/contents/1274934482966/index.html

おそるべき情報が書き込まれています……。

2010/07/13

里山こそ林業適地

我が家の裏山である生駒山に分け入ると、案外人工林が多いことに気づく。
それも、なかなか立派な木々が、文字通り林立している。

1

写真は、生駒山中だ。植林は戦後だろうが、今では胸高直径は30㎝近くなっているものもあり、そこそこ育っている。社有林(製紙会社が多い)だが、地元の所有者もいるようだ。

また、我が家の家の前の道が、かつて木材搬出路であったことも地元の古い人に聞いた。戦後は、生駒山で林業を行っていたのだ。

里山というと、その定義はやっかいで、雑木林と同義として扱う人もいるが、広義に人里に近い山間地と考えると、そこには人工林も含まれる。そして、戦後の拡大造林では、そうした里山で多くの樹種転換を行われた。

実際、考えてみると里山こそ、潜在的には林業の適地なのではないか、と思われる。

だって、人里に近いでしょ(^o^)。しかも、比較的地形が穏やか。作業は楽だ。また林道かどうかはともかく、道はよく入っている。育林するにしても、収穫にしても、奥山より有利なのだ。

ここで、里山を林業地として見直してみたらどうだろうか。

今や農地としての里山は廃れてきた。農業離れで人手不足だからだ。農業の面から見ると、里山は傾斜があり適地ではない。
だが林業からすると、その程度の傾斜は鼻唄まじりだろう。しかも林業は農業よりずっと粗放。土日農業どころか、年に一度も手入れをすれば、篤林家扱いを受ける。棚田など農地を放棄するくらいなら、里山で林業を行えないだろうか。

もちろん、あまりに小規模で分散的だから、集約化も無理だ。また周囲に住宅地が迫っていたら、搬出が極めて難しい。ニュータウンの中を木材積んだトラックが走らせるのは、合意撮るのも一苦労するかもしれない。
実は生駒山が典型で、もはや林道を入れる余裕はない。いくら木が育っても、ヘリでもなければ搬出しようがない有り様だ。

しかし、ここで大規模林業を行う必要はない。小規模な、ゲリラ的な林業でもよい。大きな林業機械を使わず、古来の林業技術を利用すれば、匠の技の伝承の場にもする。町に近いことで、世間に広く林業を目にさせる展示場にもできるだろう。

たとえば一カ所10アールを伐る程度なら、森林を若返らせることにもなる。その代わり伐り出した丸太は、しっかり商品化して高付加価値を付ける。

日曜日毎に、2、3本ずつ伐り出して、軽トラで運び出し、それを小さな製材所で自由自在な加工をして、フリーマーケットで売る(~_~;)、なんて林業はできないか。

あるいは、機動的な少数精鋭の里山林業隊を結成して、各地を渡り歩きながら伐出する。ストックヤードを設けられれば、ある程度蓄積してから出荷できる。

ちり紙交換のようにトラックで「家庭に眠っているご不要の林地はございませんか。高く立木を買い取らせていただきます~」と住宅地を練り歩き、注文を取ることもありえるだろう……。

なんて、里山林業を夢想してみた。どうかなあ~。

2010/07/11

林業は都会の産業

参議院議員選挙の開票速報の続く中……。

政治は都会で行われている。だが、林業は山村の産業……と思いかけて、それは違うのではないかと気がついた。林業は都会で生まれたのではないか

理屈は簡単だ。なるほど、木は山にあるが、それを伐って近くで使うのなら、それは林業という産業ではない。自給自足は、産業ではないのである。しかも、この場合は天然林からの木材採取だろう。

現在の林業が、育成林業を意味して、それは植林から育林、そして伐採・搬出という収穫作業を経て、製材加工される。こんなシステマティックな物資の動きを行うようになったのは、木のない都会で木材需要が生まれたからである

木があるから木材が資源となって、都会に売られたのではない。都会が木材を欲したから、山間地域で木材生産、ひいては森づくりが進んだのではないか。この一連の流れが林業へと成長させたのだ。

実際、歴史的に林業が発達したのは、近江-奈良、丹波・北山-京都、吉野-大坂、多摩-江戸など当時の都など都会と結びついた土地である。(奈良の都の木材は近江から調達された。また吉野は、奈良よりも水運で結ばれた大阪と関係が深い)

やっぱり需要が先にあるのだ。

そう考えると、「植林から始まる林業」とか「伐採が先にありき林業」というのは、いずれも間違いだ。たしかに最初こそ、需要に沿って天然林を伐採したのだけど、それは林業ではなかった。枯渇して初めて植えて育てる、さらに収穫する技術や仕組みが誕生するのである。

逆に言えば、日本の多くの林業地は、これまで確たる需要先を持たない(決めない)まま、木を育ててきたのではないか。だから、失敗したのだ。

幸い、今は流域など考えずに木材流通は可能になった。言い換えると、林業地の才覚次第で、全国、そして世界に需要を見つけて結ばれることが可能だ

これは、ある程度、早いもの勝ちだ。いまだ売り先が定まっていない林業地は、大急ぎで営業に走り回ることだ。

2010/07/10

無間伐の日本林業

間伐なんて、つい最近の技術だよ、日本の林業は間伐なんかしなかったんだ、間伐なんかしなくたって、木は育つ……。

ま、そんなことを私は折に触れて発言してきたのだが、各地で評判悪くて(~_~;)。おまけに地球温暖化防止の名目で、間伐した森林は二酸化炭素吸収源、みたいな国際的な合意まで出てしまったので、肩身が狭かった。

でも、「不況の合間に光が見えた!」に、有名林業地の保育形式の一覧が載せられていた。正確には、「森林の百科事典」からの引用のようだが。

そこに並ぶ育成林業地。

四谷、青海(東京)、西川(埼玉)、天竜(静岡)、尾鷲(三重)、吉野(奈良)、北山(京都)、智頭(鳥取)、木頭(徳島)、飫肥(宮崎)、日田(大分)、小国、芦北(熊本)、日光(栃木)……。

このうち、間伐するとはっきり書かれているのは、吉野だけだった。

ほかは、ほとんどしないか、弱度である。つまり吉野は例外ということだ。

ほかの林業地では、いわば植えっぱなし。北山だけは単木成長重視とあるとおり、磨き丸太を育てたが、間伐よりも枝打ちを行った。その点は、智頭もそれに近いかもしれない。植える本数が少ないとか吉野との違いはあるが、基本、間伐はあまりしなかったのである

実は、間伐が日本全土に広がるのは戦後である。林野庁がせっせと広めたのだ。私も、10数年ほど前に、某林業地を訪れて、森林組合の窓口に間伐を勧めるパンフレットを見て驚いたのだが、そもそも間伐とは何かを説明するところから始めていた。さもないと、森林所有者には理解できないのだろう。

ところで、北山杉を育てた地域は、実は丹波林業(山国林業)の地域とだぶっている。でも、育て方は全然違う。そもそも北山杉というのは地域林業というより、一部の限られた林家が行った商品づくりなのかもしれない。

そう考えると、無間伐材の商品づくりもアリかもしれない。間伐していないことを誇ったブランド化。植えた木を無駄にしていません! とか、自然のままが一番! とか、古来伝法の林業です、とか。そして、色つやが違うだの、年輪が密になって強度も高いだの、理論武装すれば、案外注目されたりして……。

どうせ、木材の使い道からすると、住んでいる人の目に止まるようなところには少ない。イメージで木の良さを伝えるなら、可能かもしれない。

2010/07/09

書評「不況の合間に光が見えた!」2

昨日の記述に1という数字を付けたので、2を書かなくてはならなくなった(^^;)。

で、改めて目を通すが、何カ所も興味深い情報や記述があって、目をミハる。

が、それを引き写してもしょうがいない。詳しく知りたい方は、サイドバーに本書を載せたので、クリックしてください。Amazonで購入できます。ちなみに本屋には出回っていないでしょう。

ただ、気をつけてほしいのは、本書は専門書であるということだ。それも木材産業の専門書。講演録を元にしているらしいので非常に読みやすいが、一般の森林が好きという人が読んでも、ピンと来ないかもしれない。

実は、私も内容でわからない用語などがいくつもあった。

たとえば野縁(のぶち)って何? 思わずヤエンと読んでしまったよ。今、ルーマニアの工場で日本向きに生産が多いのだそうだ。それも集成単板でつくるのがスゴイという。焦って調べると、床などの下地材らしいのだが、知らねえ~。

そして、本書はビジネス書でもある。

というのも、全編を貫いているのは、林業よ、産業であれ、ちゃんとしたビジネスしようよ、ということだからだ(と私は思う)。

だから新生産システムを、川下から川上への要求・提言と見て、支持している。逆に、作業道つくって間伐ばかり推進しても、どこに木材売るのか考えていないのでは話にならない、長伐期も収穫を先のばししているだけと批判する。
同時に「官製伐採」を問題とする。これは著者の造語だが、ようするに林野庁が主に国有林で行っている需要を無視した伐採と出材である。同じく補助金付けの民有林や、地球温暖化対策間伐も含む。こうしたプロダクトアウトな伐採(山の都合で、消費者のことを考えない伐採)は、市場を乱し、材価を下げる一方にする。

私からすると、新生産システムがなくても、すでに民間は製材工場の大型化と川上へのアプローチを始めていたのであって、国(新生産システム)はそれにのっかかっただけに思えるし、逆にこの制度で失敗しているところが多すぎる。そして官製伐採は、役人は目先のこと(自分の管轄範囲)しか頭にない証拠ではないか。
それでも、よくぞ書いた、と思う(^o^)。

そのほか「見えざる手」「見える手」理論も紹介しつつ、いかに日本の林業はビジネスになっていないか、を解説している。

それでも、日本の林業の夜明けは近い、と期待を込めている。

さて、期待どおりに言ってほしいものだが……。

2010/07/08

書評「不況の合間に光が見えた!」1

不況の合間に光が見えた! 新しい国産材時代が来る 

            遠藤日雄・著   日本林業調査会 

取り寄せて、ほぼ1日で読んでしまった。

タイトルだけでは、一般の経済書のように思う人もいるだろう。サブタイトルと、出版元を見て、初めて林業関係の本であることに気づく。

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読み終えたばかりなので、まだ全体を評するまで頭の中を整理できていないが、なかなか示唆に富んだ内容である。読みやすいのは、もともとセミナーやシンポジウムの講演録を元にまとめたものだからだろう。文章もですます調で書かれている。

欧米事情と日本の差。全体として、新生産システムなどの現状を肯定的に捉えている。ただ問題点もしっかり指摘されている。また、「道をつくり間伐を進めていけば日本の森林・林業は再生できる」という現在の林政の議論を、「眉唾」と切って棄てる。

これは、私も大賛成。間伐が林業の本筋ではないし、長伐期施業礼賛もうさん臭い。そもそも売り先を考えずに、製材したら大手住宅メーカーが引き取ってくれるだろう、という甘い発想は危険すぎる。またも日本の国土を禿山だらけにして、外材依存に陥りかねない。

このブログで何度も取り上げてきた製材所の大規模化、国の市場を無視した伐採、100ヘクタールを超える大面積皆伐、材価が安くなればなるほど、木材生産量が増える窮迫販売、などのからくりが解説されている。

ただ、私が頭を悩まさせている、木材価格を上げる仕組みについては、これはという施策は出ていないのが残念。

もう少し読み込んでから、改めて考えよう。

2010/07/07

ふしまる君

紹介するのを忘れていた、加子母森林組合の木材商品「ふしまる君」。私のお土産の中では一番気に入っている。これまで風呂に漬けていたので忘れていた(~_~;)。

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ネット袋の中をよく見てもらうとわかるが、これは木曽檜の枝の部分を丸く輪切りしたものだ。直径はいろいろ混ざっているが、いずれもものすごく年輪が詰まっている。そして、樹脂が染み込んでいる。

これを浴槽などに付けると、本当に油が浮くのだ。(私は、思わず自分の身体から油? と焦った(~_~;)

つまり、これは入浴剤としてお使いくださいという商品である。

が、何も入浴剤としてこれを製造しているわけではないことは、読者の皆さんならわかるだろう。名前のとおり、これは節丸なのだ。

以前も触れたことがあるが、今後木材を内装に使っていく場合の課題として、死に節をどのように塞ぐかということがある。生き節は模様になるが、死に節は困る。そこでヒノキの枝を使って節を埋める作業を行う。

現在では、大手は自動機械で行えるところまで行ったそうたが、今後節の穴埋めが重要になるのではないか。

おそらく加子母でも、製材工場の一部で、この埋め木作業を行っているに違いない。そして、埋め木の一部を入浴剤商品に化かしたのだろう。もちろん、グッドアイデアであるが、王道の使い方も考えてほしい。

この埋め木は、やりようによっては板のデザインにもなってくるだろう。案外、星型の埋め木が登場したりして。もしかしたら、木曽檜の埋め木を使っている、というと価値が出るかもしれない(^o^)。

2010/07/06

皆伐の条件

岐阜ネタ続きで見つけた岐阜の林業。

岐阜県では、「災害に強い森づくり」の指針として、皆伐の指針を出していた。

https://www.city.gifu.lg.jp/c/Files/1/07020059/attach/sinrin-pr.pdf

そこに面積が一ヘクタールを超える皆伐の条件を並べている。

・小面積・分散的な皆伐することが原則

・保残木を設置する

・保護樹帯を残置する

・更新が困難な場所では、裸地化を回避する

・伐採跡地は、原則、植栽する

ある意味、当たり前であるが、生ぬるくもある(^^;)。

だって、「原則、植栽」ですか。まあ、法的に強制できないのはわかるし、所有者が「天然更新だ」と言い張れば手を出せないが、やはり伐採したら植える、ことを強く訴えてほしい。

ともあれ、もっと皆伐指針を前向きに出すべき時期に来ているのではないか、と思う。

世の中、間伐ならOKだけど、主伐はいけないような風潮がある。そして皆伐こそ山を荒らす元のようなイメージが強い。にもかかわらず、現場では無原則な皆伐が平気で行われている。20ヘクタールくらいの単位は当たり前。それをつなぐと100ヘクタールを越すケースが多発しているのだ。

どちらでもない、良い皆伐の指針が必要だ。

私は、基本的に皆伐こそが林業の基本ではないかと思っている。

これは山仕事の作業面から、コスト面からでもあるが、同時に生物多様性(この言葉出すと、イマドキは注目されやすい 笑)からも重要だと思うのだ。

間伐の場合、それが切り捨て間伐では逆に山を荒らしているかのようだし、列状間伐にしても、イマイチ光が林床に射し込んでいない。3残3伐の場合は、真ん中の一列は光の恩恵を浴びないだろう。

生物多様性の概念の中には、生態系の多様性も入っているのだから、森林生態系とは別の草原生態系も確保するべきだ。その点、皆伐地は草原的要素がある。もし1~3ヘクタール程度の皆伐地をモザイク状に設けたら、生物多様性は高まるはずだ。

まず、皆伐の面積制限をする。個人的には、10ヘクタールを超えるものがよいとは思えない。できれば3~5ヘクタールにとどめる。これは地形や地質条件による。

保護樹帯とか保残木ではなく、一つの皆伐地の隣接地は10年くらいは伐採不可にすべきだ。年数ではなく、次の木々の生長度を基準にしてもよいかもしれない。

そして裸地化した期間の間に災害を起こさないためにも、植栽は絶対条件。伐採直後は根系がしっかりしているから、それが残っている間に次の世代を育てることが重要だ。

そして伐採・搬出に関わる作業道の入れ方や重機の使い方にも条件を付けたい。

もちろん100ヘクタールの大面積皆伐は問題外。こんな山にするくらいなら中国人に売ってしまえ(笑)。
行政は「外資が山林買収」なんてくだらないネタに労力使う暇あったら、皆伐指針づくりに取り組んでほしい。

2010/07/04

加子母森林組合のベクトル

話が高知に飛んだり岐阜にもどったり、まあ振幅が激しいが、加子母ツアーの最後に思ったことを。

加子母森林組合の作業班は、4、5人らしい。ただ職員と区別せず、人事異動もあるということだった。現場が好きなのにデスクワークになることもあるという。しかし、全体的に見るとそれはよいことだろう。作業班と職員を厳然と区別し、そこに給与体系の差まで持ち込んでいる森林組合こそが、時代遅れなのだ。

そして作業道をよく入れている。なんでも管轄地域は、ヘクタール当たり40数mの道が入っているという。全国平均の倍以上だろう。なかには70mを越える区域もあるというから、これが強みと言える。

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伐採の見学。家づくりのツアーでも披露するそうだ。

ただ作業は、どちらかというと昔ながらで、高性能林業機械を持ち込むわけでなく、生産効率は高くなさそうだ。

そして、すでに紹介してきたとおり、木材生産を量で競うのではなく、単価を上げる方向を狙っている。そのため製材・プレカット工場も持って自ら刻んで家づくりまで乗り出しているのだ。

聞いてみると、森林所有者と組合、それに製材関係者との連携がうまく行っている。小規模山主が、ちゃんと組合を信用して預けているようだし、買いたたいたり高く売りつけたり、という全国によくある光景(^^;)ではない。伐採跡地の植林もきっちり行っているようだ。

さらに、もくもくセンターに並ぶ木材商品を見て、感心した。実にさまざまなものをつくって売り出していた。

割り箸まで売っている。さらにマイ箸もあり、マイ箸教室も開いている。
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地元に副業でつくる人がいるそうだ。割り箸をつくるだけでなく、ツキ板でオシャレな巻物にするなど、デザイン的にも優秀だ。

同じ岐阜県の郡上の割り箸も、案外地元でつくれる人がいるかもしれないので発掘してみてどうだろう。

ほかにも彫り物や工作物、カトラリー(スプーンやフォークなど)まで、商品幅が広い。木曽檜の板まで売っている。

また削り屑や端材も、「キャンプファイヤーの焚きつけ」として販売していた。

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切り株まで商品にしている。

これらは、そんなに大量に売れるものではないが、地元人に地元の材を使ってつくらせたものをコツコツ売る姿勢こそ重要ではないかと思う。

何より、木は無駄なく使えるというメッセージになるのではないか。

こうした組合のベクトルは、現在の林政が後押ししている大規模化・機械化の流れとは真逆だろう。しっかり組織の改革を進めながら、決してやみくもに時流に乗ろうとしていないことに期待が持てる。

もちろん、この方向性が成功するかどうかはまだ結論を出せないのだが、日本の林業現場で欠けている部分のように見えた。

だって、昔のまま変わろうとしないか、効率化を無理やり進めているか、周りからせっつかれて改革しかけたものの、いやいやだからうまくいかずに途中で投げ出しているか……そんなところばかりが目につくんだもの(-_-)。

加子母森林組合がそうした路線と一線を画して第3の道を選ぼうとしているように見えた。
その意気やよし。真逆のベクトルは、実は私が提起している商品の多角化と高価格商品の開発路線でもある。

ただ、この路線を進む場合は、ぜひ外部の目を取り入れてほしい。自分たち内輪だけで抱え込むと、全体像が見えなくなるから。

2010/07/03

岐阜で地産割り箸計画

岐阜県の郡上市で、郡上産の間伐材を使った割り箸を飲食店に流通させる計画が進められているらしい。

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20100630/CK2010063002000018.html

記事によると、取り組むメンバーは、主婦らでつくる「地球救い隊」や、林業会社役員などで結成した「郡上わりばしプロジェクト実行委員会」。

う~ん、もしかして、本ブログにも登場したことある人?

計画は、郡上産の杉を金沢市の割り箸会社……ということは、中本製箸さんに持ち込んでつくってもらい、地元の飲食店やスキー場などに販売するというもの。ここでもアドバシの手法を使い、箸袋に企業広告を掲載して、それを授産施設で詰めるという。ただ、中本製箸がほかの材でつくった割り箸も混じるから、完全に地産地消とはいかない。

そこで将来的には、地元に自前の製箸工場を建設し、純郡上産の割り箸供給を目指すそうだ。

それにしても、このした地産割り箸製造となると、必ず登場するのが、中本製箸。どうやら地産割り箸づくりを請け負っててくれる唯一の製箸所のようだ。
もともと中本は、日本最大の割り箸工場と言って良く、こんな小さな仕事を請け負っても利益は出まい。それでも意気に感じて引き受けてくれるのだろう。

本当は、もっと小さな製箸所こそ、こうした小回りの聞いたことをやってもらいたいのだが。

ともあれ、こうした計画を遂行する人々には、頭が下がる。

ぜひとも、全国で共闘を。

2010/07/02

日本一の木の商店街

また、高知ネタにもどる。

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写真は、はりまや橋。高知の名所だが、「日本一のがっかり名所」と呼ばれたこともある(^^;)。だって、かつては欄干だけだったから。

今は作り直して、人工河川と地下通路ができており、そこの広場でイベントをしたりしているのだが。

そこで、もう一つの「日本一」を紹介しよう。

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はりまや橋商店街は、木造なのだ。これこそ、「日本一の木のアーケード」なのだ。

つくられて随分たつが、なかなか風格が漂ってきた。これが木のよいところ。柱が林立しているから、上を見上げなくても木が目立つ。

高知は商店街が多いが、残念ながら木のアーケードは、ここ一本だけ。それでも、木造イコール住宅と思わず、こうした利用法もあることを示した価値は高い。

なお、この商店街は、龍馬だらけだった。

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アーケードの最後には、龍馬さんへの感謝の言葉(^○^)。

2010/07/01

繰り返す林業界の「窮迫販売」

また少し、加子母と高知からは離れる。

現在読んでいる林業関係の歴史資料。私は戦後の林業の流れを知りたかったのだが、中身の大半は戦前(明治~昭和初期)であった。しかし、非常に面白い。
今進めている林業関係の執筆よりも、土倉庄三郎関係の執筆に使えそうだ。

しっかり全部読んだら、改めて紹介したいが、今日は途中ながら感じるところがあったので紹介しよう。まず、次のような文章が引用されている。

「主要大都市の木材市場はほとんどこれら外材によって支配されているだけでなく、山間部の木材生産地にまで外材が侵入している」

1926年の全国山林会連合会の文章だそうである。なんだか、似た状況が戦前にも起きていたんだ。
 

そして、第1次世界大戦によって、木材需要は大きく増大するのだが、その後大正から昭和にかけて慢性の恐慌に襲われる。不況なんだから、当然、木材需要は落ちる。ところが、伐採量は減少するどころかむしろ増えているのである

なぜなら国有林は、財政的な収入確保のために増伐した
そして民有林も、立木価格が下落したために、売上を量で確保しようと増伐したのだ。

需要は落ち、価格も落ちているのに、生産量は増加させる。目先の利益を出すためだ。しかし結果的に赤字になり苦しむ……。これを「窮迫販売」と呼んでいる。かくして山村の窮乏化は言語に絶するものになる……。

当時の伐採を、天竜林業を例に上げて紹介しているが、平均伐期が1921年は32年だったのが、26年には25年に低下しているのだ。伐る木がなくて、若木を伐るほど、窮迫していたのだろうか。

あれ? なんだか似ていないか。

木材価格が下落したのに、増産する構造。そして利益が山村に還元されずに山元が疲弊していく現実……。

現在は、またもや「窮迫販売」を繰り返しているのではないか。

伐期は低下させずに長伐期に伸びている? しかし、今伐っているのは多くが間伐材だからね。40年前後ではなかろうか。合板用には、直径10㎝以下でもOKだからね。

歴史は繰り返す。

ちなみに戦前の苦境を救ったのは、政府の助成制度だった。林道補助、造林補助などである。ただ、額は大きくなく、連続的でもなかった。その後は戦時統制経済に入ったことで国内林業が保護されるのである……。

今の林業救うためには、再び戦時的な統制経済に? たとえば「外国資本に日本の森が奪われる!」とか叫ぶのも、その一つなんだろうか。

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森と林業と田舎