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森と林業の本

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2010/07/19

土倉庄三郎の命日

7月19日は、93回目の命日。

土倉庄三郎は、大正6年(1917年)のこの日に亡くなった。享年77歳。文献には78歳と記されたものが多いが、これは数え年であった。今風には77歳でよいだろう。

当時、土倉家は零落していたとはいえ、まだまだ地方の名家であり、庄三郎はとびきりの名士だったことは間違いない。

そこで、貴重な写真をば。

Photo

庄三郎の葬列を納めたものだそうである。

大滝の大半の人が参列し、何日も列が続いたと伝えられる。

また、この年のお盆には、土倉邸の前を流れる吉野川に、スイカが多く流されたという。精霊流しのようなものであろうか。

実は、土倉庄三郎伝の執筆を進めている。それが書いても書いても終わりのない沼のような世界なのだが、目安にしている分量で言えば、8割近くまで届いただろうか。ただし、完成原稿までの道のりでは、5割に達していないのではないか。さらに書き上げても出版の当てがまったくない有り様だから、仕事全体から見ると、3割程度の達成率と想像している。

先は長い(*_*)。

今年の夏は厚くなりそうだ。

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コメント

厚くなる・・・おおお。書き上げたものが。
応援します~。

厚い、いや熱い、いや暑いでした。

厚く書いて、それを絞り込むのに時間がかかるのです。もっとも、今は厚く書くのに手こずっているけど。

貴重な葬礼写真ありがとうございます。
嫡男鶴松が翁逝去百日目を期して葬儀御礼を込めて発刊した小冊子を読むと、翁の交流関係を垣間見ることができました。日本女子大学学長成瀬仁蔵氏の弔辞では、翁が上京した折には、講堂にて孫ぐらいの女子学生に講話したことが紹介されていました。
どんな講話であたったか、日本女子大学で調べたいと思っています。
土倉庄三郎伝上梓楽しみにしております。

出版のあてがないということですが、ipad とか向けの紙でない出版(字の上では版という以上、本当は紙でないと出版ではないんでしょうけど)はいかがですか? 私はipadは持っていませんが。

写真を見て気がついたのですが、前面に写っているのは水田ですね。しかも稲刈りが終わっている。亡くなった7月なら稲穂が伸びているはずなのに。
そもそも現在の川上村は、水田が一枚もないことを自慢している。大正時代はどうだったかわかりませんが、この写真が葬式のものか疑わしくなってきた。

電子出版は、考えないではないですが、課金の仕方など、まだまだわからないことが多くて……。

川上村に今も土佐から来て居着いている人がいます。(居着くって言うのも変ですが・・・。)
林業関係で来られて、そのまま居着いたと聞いた記憶があります。

土佐と聞いて思い出しました。
土佐からの流れが今もある・・・というのは深読みですか?

ちゃくちゃくと水面下では、努力が続けられているのですね。
ありがとうございます。

並々ならぬご努力が、すばらしい成果を上げられますよう、陰ながら祈っております。

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