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2010/08/27

林業は目的か手段か

林業の最新事情を追いかけていると、逆にこれまでの日本の林業のあり方を説明することになる。すると、あまりの体たらくに情けなくなる(;_;)。真面目にビジネスしとらんじゃないか。

そこで考えるのは、林業の現代化だ。具体的に言えば、機械化であり大規模化である。さらにシステマティックな作業法を探り、販売にも頭を絞ることである。実際、現政権が推進しようとしていることも、そういうことなのだろう。

おそらく、大筋では間違っていない。林業を産業として成り立たせるという点においては。

ところが、一つ一つの内容を追っていくと、だんだん暗澹たる気分になってくる。
作業道入れて、重機を操縦して、コスト削減に汲々として、日々各地の木材相場を調べて、営業に出かけて、商品開発にも顔を突っ込んで……。ああ、忙しい。かつてののんびりした山仕事はできない(笑)。

が、そこで、本当にそんな苦労して林業する価値あるの? という疑問がフツフツと湧いてくる。少なくても、これまでの森林所有者および林業の担い手が望んでいることなのか。

「本当にこれでいいのか?」

よくある笑い話だが、南の島に行ったビジネスマンが、のんびり暮らしている地元民に対して、「もっと働き、稼ぎなさい、そうすれば休暇に南の島のリゾートに行ってのんびりできるぞ」と説教しているような気持ちになる。

たしかに都会からすると、もっと木材を消費したいから、しっかり供給してくれ、という要求がある。量も質も、安定供給も達成してほしい。それに応えるために山村の人々は、林業を現代化しなければならない……と考える。ここで林業は木材を供給する目的と化す

しかし、視点を住民側に移すと、豊かな暮らしはほしいが、それは目標であって手段ではない。言い換えると、林業は目的ではなく、生活のための手段である

もしお金を稼ぐことが豊かな暮らしに直結するのなら、何も厳しい林業しないで、別の産業を興した方が簡単かもしれない。都会に働きに出て、稼いでから故郷にたまに帰るという手もある。あるいは、お金をあまり使わない暮らしを模索するのも手だ。
そんなことされたら、都会側では木材が供給されなくなって困るから、木材は全部輸入に頼る、さらに金属や合成樹脂の代用マテリアルに頼ることにする。

もちろん極論で、どんな生活でも「多少の金」は使うので、その金を稼ぐ算段はしなくてはならない。また重機に乗るのが楽しくてたまらない、という林業家だっているだろう。いや、林業自体を趣味でやる、という思いの人だっている。

でも、山を歩いていて、重機のエンジン音がすると、反射的に逃げたくなる私は、林業に向いていないんだろうなあ。

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林業・林産業」カテゴリの記事

コメント

小沢さんが代表選出馬を発表した日、
都会に出かけたついでに「WEDGE」を入手しましたよ。

目的地へむかう道々、考えました。
都会は本当に「国産材」を欲しいのだろうか。

防火の問題があるのだろうが、
新宿駅、東京駅の地下街に木は全く感じられない。
あのエスカレーターを昇り降りする人波のいったいどれくらいが
「国産材」を必要としているのだろうか?

本当は「木」を求めているのであって、
別にそれは「国産材」じゃなくてもいいと思っているのでは
ないだろうか。

>本当にそんな苦労して林業する価値あるの? という疑問がフツフツと湧いてくる。少なくても、これまでの森林所有者および林業の担い手が望んでいることなのか。

真剣に林業・林産業を何とかしなければと皆が思っているのなら、
もうとっくに何とかなってるんじゃないだろうか?

 私は、仕事でも私でもこの点はいつも混乱しています。説明会や林家との話でも混乱してしまいます。
 時と場合によって、そして相手方によっても混乱の度合いが違ってきたりもします。

 悩ましいです。

 森林組合とか事業体は割りとはっきりしてますから、うらやましく思えたりして・・・。

 多くの林家は、例え施業をしていたとしても(森林組合委託、自伐に係らず、まったくやめた人も含めて)目標が見えなくなっていますから、目標を取り戻せば手段や手法は見えてくるというような話を今日の研修会で発言をしました。
 具体的なアクションまでは持っていけませんでしたが。

「孤独死」は少し寂しいから、
皆に看取られたいのかな。

なんだか難しいですねえ。
でも、木材供給が林業だ。と考えると、
滅茶苦茶つまらない、魅力がない感じになりますね。

林業とは、何ぞや?
考えてしまいます。

車で作業道を登り、樹が大きくなるのを楽しみに作業をする。これが林業の王道ではないでしょうか。
今の作業道論争は、いつか崩壊する道のように見えます。

スイスの林業関係者と話しをしていると、全員が「木材生産のためだけに林業をしているわけじゃない」と判をついたように言うんですよね。州の最高責任者から現場の伐採作業員まで一緒。

あと、若い男子たるもの困難に立ち向かう仕事に就くのがカッコいいのだ、とか。

…あ、林業ってやっぱり困難なのか…。

私は林業に転職した当初、日本の林業再生のために山で働くのだと勝手に意気込んでました。
しかし地元で嫁さんをもらい、どっぷり田舎で生活すると、林業だけの復興などあり得ない。
たった40年、50年で変ってしまった日本の山村生活の仕組みをどう現代に取り戻すのか。その中での林業の位置づけがとても重要だと感じます。今の森林林業再生プランにはその視点が足らない(理解されていない)。

つうくんさんのお話に、なるほど。
と、思いました。

田中様
昨日、尾鈴山系のトロッコ道を歩きました。

ここに森林鉄道が走っていた。そのエネルギーがどこに行ってしまったのだろう?

日本人が林業に対してモノの見方を少しでも変えるとまた違った方向性が生まれてくるような気がしました。

林業に従事していることが誇れるような取り組みとそのことを多くの国民に伝える必要があるように思えました。

コンニチハ、はじめて立寄りました。

森林を医療の場として使いたいと考えている医師です。
林業の規模からいえば微々たるものでしょうし、産業として成立つ云々の議論には及ばないのでしょうが、人間の健康回復に森林の力はとても大切です。
そのためにも森林を元気にしてくれる林業が必要です。

かつての転地療養にはあまり良いイメージがあてはまらないのかと思いますが、生きていることを実感できる森林での諸活動は、人間を癒し元気にしてくれます。

ただヘルスツーリズムとして過度にブーム化すると、屋久島にも熊野にも迫っている危機が訪れると思うので、もっと身近なそれぞれの場で、人々が利用でき、それを支えるための林業って成り立たないものでしょうか。

森林の手入れのその先に、切り出した木々をどうするのってことが、喫緊の課題なのかもしれませんが。(それと共に日本の医療制度の問題も大きく大きく立ちはだかっておりますが)
林業のこともよくわからずコメントしていたらごめんなさい。

皆さん、ありがとうございます。

森林の機能が一つではないように、林業という「仕事」は、一つの目的だけのためにあるのではないことはわかっています。木材供給は重要な機能ですが、人間の生き方に向き合っている部分がある。また医療にも役立つかもしれない。かといって山村再生の万能ツールでもない。

さまざまな機能を総合的に活かすために、人が森に手をさしのべることができれば幸いです。

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