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森と林業の本

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2010/08/02

プナン族の村

ムルでは、プナン族の村を訪ねた。

プナン族を知っている人は、ツウである。地上最後?の狩猟採集民族とも言われたこともある、ボルネオの少数民族だ。常にジャングルの中を移動しつつ、狩りと野生植物の採集によって生活を送っている。

だから1980年代に急速に進んだボルネオの熱帯雨林の伐採では、大きな矢面に立った。ある時は悲劇の主人公であり、ある時は開発推進側に抵抗する英雄であった。林道にバリケードを築いて、伐採会社を入れないように抵抗運動を行った。そのために逮捕者もたくさん出したが、彼らの戦いは世界に報道された。世論はプナン族を救え、と騒いだのである。

まあ、その頃の話と裏話は別の機会にするとして、結果的にサラワク州政府は、彼らを半強制的に定住生活させる方針だった。実際,遊動生活を送れるほどの森林は残されていず、栄養失調に陥っていたからである。

しかし、無理やりの定住と、農耕を押しつけることにも国際世論は反対したのだが……。

ともあれ、そのモデル集落が、ムルに作られていた。

私は、十数年前に訪れた。ボルネオの少数民族は、だいたいロングハウスと呼ぶ大きな長屋に集落民全員が住むのだが、同じ生活を送らされていた。本来のプナン族は、小さな家族単位の小屋を築いて数週間単位で住むのに。それは貧相なロングハウスだった。

前回訪れていた時、薄暗いハウスの中で、彼らは、私たちに木工品を示して買ってくれ、と持ち寄った。経験のない農耕もうまくいかない中で、土産物を作って来訪者に売ることを生活の糧にするように勧められたのだろう。
しかし、それはお粗末なものであり、値段を聞いたらやたら高い。とても買う気にならなかった。

このままでは、プナン族は滅びるのではないか。少なくてもプナン族の文化は消える。
何より森から切り離された彼らの生活は哀れに見えた。

さて、今回の訪問である。川をボートで遡って、ガイドに案内される。これは、お決まりのコースだ。ムルは基本的にガイドを付けないと入れないし、ガイドはこの村に案内することになっているのだ。

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村は、様変わりしていた。広いグラウンドが作られ、その奥にかなり新しく巨大なログハウスが建っていた。政府が建てたのだそうだ。

また、個人家族向き住宅もある。こちらは自分たちで建てたが、若い世代向きだそうだ。隣接したところには、おそらく学校だと思える施設もあった。前回とは人口も増えたようで、かなり立派な集落になっていた。

一角には、パネル展示があり、写真と文章で、プナン族について説明されていた。

そして、そんな村の一角に、屋根のある土産物売り場が作られていたのである。

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そこには木工品や木の皮細工・ラタン細工、ビーズ細工などが並んでいる。

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籠やバック、吹き矢とか楽器、アクセサリーなど、その商品構成も幅広い。そこにおっちゃんやおばちゃんが並んで客(つまり我ら)を待っていた。

見て回ると、なかなかか魅力的な商品が多い。何よりデザインがいい。カラフルになったり、彫り物もある。価格は、まだ高く感じたが、許容範囲か。

彼らの中には、多少の英語をしゃべるものもいて、商売のコツもつかんだようだ。目の前で楽器を演奏したり、使い方を説明する。思わず、いくつか買ってしまった。

彼らは商売がうまくなったのだ。顧客の求めるものを考えて、それに合わせて商品をつくり、価格も設定した。おそらく本来のプナン族がつくるものではない商品も多い。それでも売れるものを作る。教えた人もいるのだろう。
そして、生活も豊かになっていた。

……彼らはドラッガーの「マネジメント」読んだ? とアホなことも考えた(笑)。

そう、もはや彼らに過去の哀れさはない。プナン文化は変容しただろうが、生き延びたのだ。それでも、今でも季節ごとに森に何ヶ月か入る生活を送っているらしい。

でも……これでよかったのだろうか?

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コメント

お帰りなさい。
ロングハウスに髑髏は飾ってありましたか?

「もしボルネオで田中さんが『闇の奥』を読んだら」

先日よりこの妄想が頭から離れません。
ボルネオが舞台の小説?ノンフィクション?『闇の奥』(辻原登)の感想を是非とも聞きたい。あれ、どこまで本当なんでしょう?

髑髏は、空港の土産物店に売っていました……。

『闇の奥』という小説は知らなかったんですが、ちょっと粗筋を調べたら、戦争末期に北ボルネオ(サバ州)で、行方不明になった民俗学者?
これって、多分モデルは鹿野忠雄だと思います。拙ホームページ「知られざる探検家列伝」にも紹介しました。

そして矮人族? 小人伝説は各地にあります。「河童の三平」にも、登場する(^o^)。三平の父は、最後の小人一族を発見・保護したのです。
さらに西洋の床の下には、アリエッティの一族もいますね……。今年の夏は有名になった。

こんなのボルネオで読んだら、私も行方不明になってしまいたい。

生き残るためには変化することが必要ということなのでしょうか。
変化についていけなかった人もいるのでしょうね。

森での生活を時折することで、変化のストレスに対してなんとかバランスを保っているのかもしれませんね。

田中さまは行方不明願望の度合い高し。
と見ました。

もちろん、プナン族全員が「収容」されているわけではありません。一部は、まだ森林内で遊動生活を送っているようです。
でも、今やまったくの狩猟採集生活は送れないでしょう。
以前、クラビッツ族の村にやってきたプナンの兄妹と出会ったことがありますが、採集した沈香を売りに来ていた。その代わりに医薬品や服などをもらっていました。そうそう、腕時計してたな(^^;)。

みんな変化することで生き残るのです。私は「変化」できるか? できないと行方不明になるのか?

変化を拒むことで生き残っていく文化も
あってしかるべき。
変化して行かなければ生き残れない文化・社会も
あってしかるべき。
しかし、たとえ大きく変化しても
忘れ去られてしまう文化は悲しい。

現在、文化庁の某川の筏流しに関する記録事業というのがあって、私はその流域の林業を紹介する記事を請け負っています。

一応「ふるさと文化復興事業」と言って、将来その技術を復興する際に役立つよう記録する……というのが趣旨なんですが、木材を筏流しする技術が将来必要になるなんて事態、想定できません(^^;)。
まあ、民俗屋さんらの発想ですから、古いもの廃れゆくもの、を記録したいだけなんでしょうね。

でも人は違います。昔のままの生活を残すというのは、その民族の意志が必要です。博物館の中や報告書の中に記録したり展示するものではないはず。

「知られざる探検家列伝」の鹿野忠雄、読みました。
出身地(和歌山・田辺)や出身大学(京都帝大)が違う他はよく似ていますね。
生まれは10年遅いけど(10年違いというのは以外と似ている)、行方不明の時期は1ヶ月違いです。
実は行方不明後の足取りの方がすごいことになっています。しかも、熊野に小人の村があるそうです。いや、不思議な小説です。

追伸
8月の終わり頃に大阪に行くかもしれません。ご都合が良ければ、K氏含めお会いできたらと思ってます。考えといてくださいませ

熊野に小人族ですか……。それこそが八咫烏の一族ですね。土蜘蛛かな?

予定が決まれば、早めにご連絡ください。K氏にも声をかけてみましょう。

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