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2010年9月

2010/09/30

チェンソーが山村人口を減らした?

山村は、どれほどの人口を抱えることができるか考えると、否応なく林業に目を向けなくてはならない。では、林業と山村人口の関係はどうなっているだろうか。

『森林からのニッポン再生』で、私は「かつての山村は過密だった」ことを記した。戦争直後は、町からの疎開者を多く抱えたうえに出産数が高く、山村は人にあふれていたのだ。町に出ようと思っても、焼け野原の都市部に、さほどの雇用吸収力はなく、逆に山には林業バブルのおかげで伐採から造林まで多くの働く場があったからである。

だが、そこに大きな技術革新が起きる。チェンソーの登場だ。

チェンソーは、手ノコの10倍の効率で木を伐れるという。ということは、伐採仕事に関しては、10分の1の人数で同じ仕事ができることを意味する。単純に言えば、今までどおりの雇用を続けるには仕事量を10倍に増やさねばならない。あるいは雇用者を10分の1に減っても同じ生産量を確保できるということだ。

また一人で10倍の仕事量をこなす計算だから、一人当たりの利益も10倍に理論上はなるはずだ。しかし、山村住民の生活レベルも上がってきた。かつての自給自足的生活ではなくなるからお金も必要になる。仮に生活レベルが2倍に上がったとしたら、利益は半分の5倍に留まることになる。その点からも、扶養数は少なくなる。

林業の仕事量は、簡単には増やせない。森林資源が有限だからだすると労働人口は減らさざるを得ない。結果的に山村の扶養人口数は減少する。

※余った労働力をどこに回したのか。かつては復興してきた都市部への流出させた。言い換えると、山村は都市への労働力供給基地になった。しかし、山村そのものは適正人口へと落ち着かせる過程だったろう。だが、その後は適正人口を割り込んで過疎化へと進んでいる。

今や林業現場では、高性能林業機械を導入して、さらに効率をアップさせる方向に進んでいる。ただ仕事量は、そんなに増やせない。森林資源量の限界のほか、木材需要も今後の日本はそんなに伸びないと思われるからだ。

一方で、日本人の生活レベルは、戦後すぐの山村住民とは比べようもないほど高まった。それと同じ生活を林業従事者も送るためには、効率アップによって増えた収入の多くを当てねばなるまい。

このように考えていくと、林業人口は、今後もあまり増えないのではないか。言い換えると、山村人口を支える仕事に林業は、さほど期待できないのではないか。……こんな結論に導かれてしまうのである。

もし山村の維持を目的とするなら、林業振興に頼る発想は危険かもしれない。

2010/09/29

下流社会の木製品

これまで日本社会は、「一億総中流」と言われ、中流所得層が経済をリードしてきた。

多くの商品は、中流層をターゲットに商品構成を組んできた。いや、「中の上」の商品が全体を牽引してきたと言えるかもしれない。もともと買い物意欲は旺盛だったが、その中でも少しだけ贅沢な分野を狙うのだ。
右肩上がり時代なら、「今は中の下、中の中だけど、将来は少しでも上に行く」という見込みを持っていたのだろう。だから上流一歩手前の商品がよく売れる。なかでも若者層は、まだ所得は少なくても比較的高額商品を求めた。家族などがいないと、収入額はともかく、可処分所得は大きいこともあっただろう。

だが、今や「下流が中心」の時代だ。若者層も、非正規雇用が増えたことで、将来に渡って所得が増える希望を持てない。本来の中流層も、リストラ・賃下げが横行して、気分的にも買い控えに走りがちだ。

Graph02

こんなグラフがあった。世帯収入は、300万円以下が圧倒的に多いのだ。これは、下流および中の下の層だろう。

しかも、今後上がるという希望が萎んできている社会である。このまま固定するか、落ちる恐れも多分にある。とくに非正規雇用の場合は、将来増える可能性が低い。

……こんな日本経済評論をなぜやっているか。別に経済アナリストとしてデビューしようというのではない。

木材商品、とくに国産材商品は、その多くが「高額商品」だからだ。同じ機能を持つ非木材商品と比べて割高である。そうした木製品を売りたいと思った時、「品質がよい」とか「木の特性を活かす」などのブランド化戦略を採ることになる。

だが、それは中流層が全体の主軸で、将来に希望がある場合の販売戦略ではないだろうか。下流社会に陥った現在の日本で、それで売れるのか。国産材に高いブランドイメージを付けても大丈夫か。むしろ敬遠されないか。

もちろん、今も「プチ贅沢」が流行っているという側面はある。不況疲れ、節約疲れの中で、ほんの少しの贅沢を指向する購買層だ。そこに「お取り寄せ」とか「限定もの」などのブームが起きている。
だが、正直言って、それらの発想に「将来は出世するから、無理しても買おう」という前向きさ(?_?)は感じないのだ。

今の国産材商品に、そうした指向に応える力は弱い気がする。完全に趣味の商品ならともかく、実用品で高い国産品を買う層は、決して多くない、増えない、と感じるのである。

なんとか、下流狙いの国産木工品の開発はできないか。決して高品質でなくてもよい。加工が緻密でなくてもよい。とにかく価格を下げること。あえて言えば、使い捨て商品でもよい。「一生使える品」にしてしまうと、木が売れない(^^;)。

ただし、デザインだけはこだわりたい。 今風の人気のデザインにして、でも安いのが売れる気がする。木製というだけで、プチ贅沢になれればよい。

実は、庭いじりをしていると、意外と園芸グッズに国産材で作られたものが多いことに気づくが、これも立派な分野だ。野外で使うし、イマドキの園芸は花が咲き終わると、ガラリとデザインを変えることも多いから、長持ちしないでよい。

同じような、木の食器とか、文房具とか、日曜大工の素材などはどうか。職人には失礼だが、高品質な商品は時流に合わないような気がする。(もっとも、輸入品との差別化が難しくなるんだけどね。)

2010/09/28

地産地消は「負け犬の遠吠え」

ちょっとツイッターで話題になった「地産地消」について。

以前も書いたような気がするが、私は「地産地消」は原理的にオカシイと思っている。
なぜなら、産地というのは基本的に多くの生産物があるところであり、そして産地はえてして人口の少ない地域が多い。だから産地そのものの消費量は生産量より少ないはず。

〔生産量>消費量〕 である。

それなのに地元で消費を促しても、全部は売れない。無理があるのだ。むしろ、商圏を狭めてしまいかねない。下手すると、消費量に合わせて生産量も調整することになりかねない。  そして〔生産量=消費量〕となる。

一方で都会は、〔生産量<消費量〕 である。こちらは足りない。

それなのに、なぜ地産地消が叫ばれるのか。

単純に言えば、地元も含めてどこでも売れないからではないか。本当は全国全世界で売れてほしいのに売れずに、せっかく生産しても消費されない。そこで、せめて地元では消費してよ、という気持ちが地産地消を訴えている。いわば泣き言。いや、最初から全国では売れないだろうと思っている負け犬の遠吠え(笑)。  ←また、怒りのメール来るな……。

仮に地元だけで売れても産地の生産量から見ると、微々たる量だろう。まったく売れないよりマシではあるが、本来の目的である多く売ることにはつながらない。いや、足を引っ張りかねない。なぜなら商品力を磨けなくなるからだ。

商品力とは、売れないことへの同情を誘ったり、愛郷心や環境(輸送距離が短ければ、輸送エネルギーが少なくて住むからCO2の排出量も減る……とかいうやつ)に訴えるものではない。
価格、機能、魅力みんながバランスよくパフォーマンスされた総合力だ。地元を売り物にした商品は、それが劣りがちである。もちろん、価格も機能もよい地元の品なのに、知られていなかったから消費されないケースもままあるが、知られることも商品力だと理解してほしい。

しかし、地元だって本音ではその商品を使いたくない可能性だってある。だから全国どこでも売れないのではないか。逆に言えば、どこでも売れる商品力を身につけたら、自然と地元でも売れていく。むしろ世間でよく売れていることを自慢して、地元の人が誇りを持って購入するのが、地産地消であるべきだ。

とはいえ、地産地消がすべて悪いわけではない。地産地消が成り立つ、あるいは推進すべき条件を考えてみた。それが次の3つである。

生産量が少なく、地元消費分でなくなってしまう場合。

鮮度などの理由で遠く輸送するのが難しく、生産後すぐに消費すべき商品の場合。

生産した場所が重要で、その地で消費することが魅力的なブランドである場合。

※ もう一つ。全国で売るのが前提だが、まず地元でアンテナショップ的に展開する場合。

こうした地産地消なら、大いに展開して盛り上げてほしい。

かつて一村一品運動が全国の農山漁村に広がった。各村でご当地の物産をつくろうとしたものだ。だが、実は成功したところはそんなに多くない。なぜなら肝心の一品が プロダクトアウトな作り方だったからだ。ようするに生産者の都合で選ばれ生産されたのである。余っているもの、作りやすいものを「地元産品」に指定したのである。しかし、それには商品力がない。もちろんアイデアと努力があれば、最初は魅力のなかった産物も変身させることができるのだが、その力もなかった。

むしろ村上げて一つの品の生産に取組み、モノカルチャーに陥ってしまったケースもあるようだ。もしそれが売れなかったら、村は行き詰まる。

その結果、地産地消に泣きついた……。

やはりマーケットインから商品づくりをするべきだろう。素材が余っているもの、作りやすいものであっても、目の前の産物をマーケットに合わせて加工する努力をしなければならない。そして売れる流通販売のシステムを作り上げねばならない。

一方で、地産地消の典型である家庭菜園の野菜を、外部でよく売れる商品にしてしまった地域もある。こちらは少量で普通の野菜を地元以外でも売る、新しい売り方を考えた結果である。

いっそ一村一販促システム運動をやったらいい。今ならネットもあって、新しい販売チャネルづくりはかなり簡単になった。特産品として売るもよし、ほかの地方と連携して加工するもよし。

生産量と消費量は、イコールであることが理想的だ。無駄が出ないから。しかし、小さな生産地=小さな消費地に陥ってはキケンである。ぜひ地産全国消に取り組んでほしい。

2010/09/27

大滝公会堂

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写真は、奈良県川上村大滝の「大滝公会堂」。

なかなか立派な建物だが、築80数年。大正年間としても、土倉庄三郎が亡くなってからのものだ。

ただ土地は、かつて庄三郎が大滝修身会を開いたところらしい。建物も当時のものを建て替えられたのだろう。

中は、広い板間のホール?があって、ほかに畳の部屋もいくつかあり、結構な掛け軸がかかっていた。おくどさん、つまりかまども揃う。昔は文字通り公会堂として使っていたらしいが、現在は剣道の練習場にされているほか、たまに寄り合いに利用する程度らしい。

これが建てられたのは、その年は非常な不況で材木が売れず、林業で食べていけない村民が出たらしい。そこで、公共事業として大滝区が山の木を購入して建てたという。伐採から建築まで地元にお金を落として貧民を潤したのだ。

自治体ではなく、区が自ら公共事業を行ったのである。それだけの財産があったということか。

もともと川上村は、林業で潤っていたが、とくに大滝はその中心だから裕福だった。また土倉庄三郎が、村に村有林を寄付しただけでなく、大滝修身会にも山を寄付していた。それが事実上の区の財源となっていた。土倉家は没落しても、大滝を支え続けたわけである。

現在も、大滝は住民が区費を払わないでよいらしい。それも自治会が裕福だからだ。もっとも、林業が衰退した今は、ダムの保証金が財源らしいが。

山には、非常用財源という意味合いが強くて、日常の産業になるのは実はまれである。全国にいくらもない。その点からは、この公会堂建設も林業の常道に沿っているといえるかもしれない。

2010/09/26

一澤帆布と土倉家

お休みの日は、ちょいと軽い話題を。

京都の一澤帆布をご存じだろうか。船用の帆布を使ったカバンを製造して、非常に丈夫なことで人気を博し、もはやブランド品と言ってもよい。

もっとも、世間に広く知られたのは、相続争いである。3代目一澤信夫が亡くなった後、これまで仕事を継いでいた3男信三郎が跡を継ぐが、長男信太郎が「第2の遺言書」を持ち出して跡目を奪った事件である。その後、信三郎は、一澤信三郎帆布を立ち上げて、職人や取引先も支持したことからこちらも大人気となった。一方で裁判に次ぐ裁判が続き、結局は「第2の遺言書」は無効となり、一澤帆布も店を休業している。一方でまた別の裁判も起こされるなど、延々とトラブルは続くのだが……。(現在は、4男がまた別の店を出す。)

実は、一澤帆布の誕生には、土倉家が絡んでいるらしい。

そもそもは初代一澤喜兵衛が1905年に創業している。(それまでは「西洋洗濯」や「楽団KYOTO BAND」をやっていたらしい。これも謎)。

一澤帆布は、自転車のハンドルに掛ける道具袋からスタートして、職人用のカバンづくりを行ったようである。

ところが、山口昌男によると、もともと丈夫な帆布を利用してカバンを作る発想は、京都大学山岳部のアイデアらしい。山岳部で牛乳を運ぶ容器として自作していたのだ。

そこに登場するのが、土倉九三氏。彼は、土倉庄三郎の孫である。長男鶴松の後添えとの息子という血筋になるが、一時は「京都探検界の黒幕」とか呼ばれたらしい(笑)。実際、戦前は大興安嶺探検隊に参加したほか、モンゴルを放浪した探検家である。戦後もサハラ調査隊やブータン、ネパールなどにも出かけている。また今西錦司の門下でもあった。もっとも今西の晩年には袂を分かったそうだが……。

ともあれ、土倉九三氏は、初代一澤喜兵衛と昵懇で、山岳部で行われている帆布の使い道を教えたらしい。それが一澤カバンづくりへとつながったというのだ。その後二人は仲違いをしたらしいが……。30年くらいしてから、山口昌男は、無理やり二人を引き合わせて仲直りさせたという。

まあ、こんなエピソードは、土倉庄三郎と何の関係もないんだけど調べているうちに偶然発見したので、ここに書き留めておこう。

2010/09/25

サリサリストア~集落内自給

昨日の続き。というより、整理。

過疎と高齢化進む集落内で生きていくためには、介護や買い物などの問題が発生する。

それを解決する手だての一つとして「集落内自給」は考えられないか、と思っている。
具体的には、前回も提案した「集落内ショップ」と「集落内介護」である。

「集落内ショップ」でイメージするのが、フィリピンのサリサリストア。主に女性が、自分の家の一角に開く小さな店だ。いわゆるよろず屋なのだが、そこそこ需要があって、小銭稼ぎの場になっている。またバングラディシュのグラミン銀行が始めたマイクロ・クレジットの対象も、多くがこの手のストアであった。

そうした店を過疎集落に作る。それによって日常的な買い物難民を救済することはできないか。もちろん生鮮品などは扱えないだろうし、多少価格は上がるだろうが、タクシーで買い物に行くよりマシだ。
品数も限界はあるだろうが、目的は利益よりも利便である。だから、売れ行きが伸びなくても気にしないでよい。どうせ、手数料を取っても利益は小さく、小遣い程度にしかなるまい。

日常的には、そうした店でしのぎ、大きな買い物を月に一度の買い出し、もしくは移動販売に頼る生活スタイルは不可能だろうか。

そして「集落内介護」は、前回に記した通り。施設を建てず、自宅を元に改造し、集落内、あるいは近隣集落よりパートで生活介護する。もちろん重度者の介護は無理だが、日常生活の送れる人ならカバーできる。料金はあるが、これも小遣い的な額である。

肝心なのは、お金を介在させることである。助け合いではないのだ。それによって受け手の遠慮をなくす。同時に担い手にプロ意識を持たせる

こうした小さな副業をいっぱい作ることで、集落内のお金を動きをよくする。おそらく年金生活者が多いだろうが、その収入を外部になるべく出さないようにすることで経済的に活性化させることも見込まれる。現在の福祉の仕組みは、外から援助された金は、また外に出て行ってしまう。それでは、集落全体へ波及しない。仮に年金や仕送りでも、集落内で消費を促すことが重要ではないか。

そして副業をいっぱい引き受ける立場になれば、「便利屋」として一家が食べて行ける収入になるかもしれない。若い移住者が取り組めば、新たな職業となり収入源となるだろう。

2010/09/24

昔の山里の高齢者を考える

撤退の農村計画」の最初の章で、過疎集落の現状に触れている。そして公共交通機関がほとんどなくなってしまった集落の生活を説明している。それによると、マイカー持っている・運転できる人にとってはあまり影響ないが、今以上に高齢化が進むと車の運転が困難になる人が増えて、本当の試練が始まるとしている。

そこで、ふと思った。そもそも公共交通どころか車社会ではなかった時代(たとえば江戸、明治時代)の辺境の山里では、どんな生活を送っていたのか。当時から、驚くべき奥地に集落はあり人は住んでいた。

山を越えて歩けないような老人は、どのような生活をしていたのか。その生活を現在にも応用することで、過疎地の交通機関の問題を考えるヒントにならないか。

① まず考えられるのは、集落から出ない生活

ほぼ自給自足生活を行うのである。食べ物は、集落近くに焼き畑、山菜、漁・猟などに頼る。どうしても自給できず必要なものは、年に何度か通ってくる行商人頼り。
自給自足と言っても、おそらく集落経済としては、木炭など換金商品はあったから、山の産物を売りに出るような交易はあったはずなので、その人の行き来に期待することになるだろう。

ただし、これは健康であるのが条件。集落内、その周辺は自分で歩ける段階である。

② 誰か支える人がいる

身体が弱った時を想定すると、考えられるのは、家族の介護である。当時は、どこも大家族だったろうから、若者も少なからずいた。むしろ子供が戦力だった。家の中に足腰立たない老人がいても、家族の助けを期待できる。
介護側も人数が多いゆえに負担は分散されるから、耐えられたのかもしれない。

③ 実は、長生きしなかった

足腰が立たなくなったり、病に臥せっても、医者にかかることはほぼ無理である。また気候なども過酷だし、栄養状態がよかったとも考えにくい。自家製の薬草類では間に合わなくなった場合、長生きできなかったと考えられる。それゆえ、長く寝たきりの生活が続くということが少なかった。

では、これらの条件に現代の限界集落を当てはめてみる。

少なくても、③を前提に考えるわけにはいかない。ただ、齢を重ねれば病気持ちが増えるのは事実だ。動けなくなれば否応なく、病院なり施設なりに入居する形で集落を離れなくてはなるまい。つまり、集落に居残る選択肢はない。

②も、何らかの代行要員がいる状態ではない。子孫が出ていったことで過疎は極限まで進んだのだから。行政などももはや期待できない。

①も、事実上不可能だ。自給自足と言っているが、今どき焼き畑で陸稲や蕎麦を作ることはない。衣装も自分で作るわけではない。電気のない生活はまず無理。

と、3つとも否定してしまったが、少し前向きに変形させてみよう。

完全自給自足は無理だが、冷蔵冷凍食品の発達や、情報通信の進展も含めて、ストックを増やして買い出しを少なくすることはできる。

たとえば月に1回だけ町に出る生活を設定する。また移動販売車を一定の間隔で通わせる。それらの時は行政なりが送迎をする。集落ごとまとめたら、月に一度のバスを出すくらいの負担なら、なんとかなるのではないか。また小売店と提携して、一度に大量配送する制度を作ることも考えられる。いっそ、集落に巨大冷蔵倉庫を共同で建てる。(ボルネオのロングハウスでは、ハウス内に倉庫と住民運営の小売店を設置しているところもある。)

介護要員を過疎集落に張り付けることは無理だが、それが職業として成り立てば、就職口を提供することができる。過疎集落にグループホームのような介護施設を作り、元気な住民が勤める形を考える。
専業職員の配置は難しいが、副業なら可能ではないか。NPO委託のような状態で、週に2日分働いて月5万円の収入を得る感覚である。。10人の被介護者を30人の住民が支えるのだ。問題は、その費用を誰が負担するかである。やはり税金ということになるか。ただ集落内施設ということで、初期経費をかなり落とすことができるはずだ。

もちろん、こうした生活は、各人の要望や好みもある。募集して移住するような新集落ならともかく、古くから住まう人々を対象に行うのは合意が難しい。
だが、絶対防衛生活水準を維持して、それに納得した住民による集落の維持という選択肢を考えることはできるだろう。

2010/09/23

耕作放棄地の再開墾

今朝、NHKで「農ドル」なるドラマをやっていた。

これはNHK島根製作のドラマで、簡単に紹介すれば、アイドルやっていたギャルが、失言が元で謹慎することになり、故郷の奥出雲に帰る。そして実家の農業をいやいや手伝いだしたが……というわけで、農業と地方応援ドラマというわけだ。

まあ、ストーリーは、予想通りの展開で、さほど目立った点はない。ただ、その中で耕作放棄地を映し出して説明しているシーンがあった。そして、「一度荒れてしまうと、元にもどすのは大変な手間がかかる」という、これまたよくある説明がされていた。

私は、この耕作放棄地の再開墾が大変、というのがよくわからない。

なぜ大変なのか。そりゃ草ぼうぼう、ときに竹や樹木も生えているほどのところもある。それを昔ながらの手鎌と鋤などで開墾をするのなら大変だろう。しかし、今や機械化の時代である。ブルドーザーで草木を根こそぎ掘り返して、その後肥料を入れたら、それなりの農地になるのではないか。何も優良農地になるとは言わないが、水耕栽培流行りの現代に、「再開墾の大変さ」を十分説明していないように思う。

実は、先日訪れた弓削島でも、耕作放棄地の再開墾に取り組む人々がいた。

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写真の奥に残る茂みが、放棄地状態である。高さ3mもの竹笹が茂り、草も密生している。それを再開墾したのが、手前の農地。この農地は2年目で、昨年取り組んだという。

「それは大変だったでしょう」というと、「いや、業者に頼みましたから」という返事(^^;)。

もともと自分たち(3人程度)で木を伐り草を刈り、土を掘り返して開墾する予定だったが、農業委員会などの許可を取り付けるのに時間がかかり、作付けの時期を逃しそうになったため、業者に頼むことになったのだそうだ。

もちろんお金はかかった。しかし、1週間もかからず農地になったそうだ

実は、ほかにも開墾に取り組んだ人の話を聞いているが、大変なのは手作業でやろうとするからであって、重機を使うとそんなに苦労はないのだ。

おそらく農家なら、重機を扱うことにもなれているだろうし、耕運機も使える。必要なら堆肥も購入して導入すればいい。

耕作放棄地問題に関しては、私もいろいろ考えるところがあるが、再開墾は困難という言葉を鵜呑みにすると、悲壮感漂う。必要になれば、すぐに農地は作れると考えるべきだ。

2010/09/22

山林1ha1000万円!

某地方の某町の某公務員から寄せられた情報。

山を買いに来た人がいるそうだ。林業家でも不動産屋でもなく、いわゆるブローカーである。それを香港系中国ファンドに売るのだという。

条件は、10ヘクタール以上。200ヘクタール以上が望ましく、目的は、二酸化炭素吸収源と水だそう。

う~ん、どこかで聞いた話だ。で、問題は、その価格。1000万円/ヘクタール程度だというのだ。仰天価格である。

私は、即刻全部山を売ろう! と提案してしまった(笑)。町有林全部売れば、100億近くになるかもしれない。その金で国債買ったら、日本国にも貢献したことになる。町も、いくら低利でもかなりの金額が毎年入ってきて財政に貢献するのではないだろうか。山主ではなく、町役場に話を持ち込むところがなんとも笑える。

実は、ほかにも同じような話が各地で起きている。これまで見向きもしなかった山林不動産だが、何かオイシイ汁がありそうだと嗅ぎつけ蠢きだした輩がたくさんいるらしい。

いろいろ噂をばらまいて、その気になる人が一人でも現れたらしめたもの。間に入って甘い汁が吸えると信じているのだろう。あり得ない噂も100、200とばらまかれると、なかには本気になる人も現れる。世知に疎い山主だったら、赤子の手をひねるように騙されて山を取られてしまうかもしれない。

いやいや日本で山林買収ブームという噂を聞きつけて、それなら買っておこうと思う中国の成り金たちが現れないとも限らない(笑)。

しかし、もう少し勉強して話をそれらしくしたらどうかなあ。アホの一つ覚えの水源だというのはもう諦めるとして、二酸化炭素排出権取引なんて、まだ国際的なルールも確立していないのに。国内のカーボン・オフセットにしても、その金額を調べていないのかねえ。ヘクタール1万円の利潤を上げることも実質的に難しいのではないか。もっとも、騙される人は、そんな言葉さえ知らず、雰囲気だけでも漂わせておけばいいのか。
ともあれ、この値段設定だけで、森林買収話のうさん臭さがわかる。

こんな輩が現れるのも、おそらく産経新聞とクローズアップ現代の影響だろう。「香港系のファンド」なんて、そのままパクリだろうし、水源も二酸化炭素排出権も、番組で指摘したこと。ようは受け売りで噂を作ってばらまいているのだと言える。
それにしても、日本の森林が買われていると憂慮を示すはずの新聞や番組(と、その裏の東京財団)が、実は、森林を外資に売る後押しをしているという皮肉。実は、彼らこそ中国人の回し者だったりして。

それにしても彼ら憂国の士(笑)は、人間の本性を知らないらしい。

「外資が狙っている」と聞くと、土地を持たない人は勝手に国土を奪われると表面的に心配するけど、肝心の土地の所有者は、本心では高く買ってくれる人が現れるかもと喜ぶのだ。そこに愛国心なんかない(苦笑)。

一つだけアドバイス。もし、こうしたプローカーが現れたら、喜んで「売ります、早くそのファンドの人を連れてきてください」ということ。ただし、この話を広めてはいけない。他人に知られるとオイシイ部分が逃げる。
もし万一本当に買い主を連れてきたら、二束三文の山をネタに、むしれるだけむしり取ろう。買ってから、どうにもならんと買い主が嘆いたら、1割の価格で買い戻せばいい。1ヘクタール1000万円で売って、100万円で買いもどせば900万円儲かるよ。

2010/09/21

デコ・チェンソー

デコ・チェンソー
昨日から吉野チェンソーアートクラブの合宿があり、私も泊まり込み。
今回は女性参加者もいる。彼女のチェンソーは、しっかりデコレーションされていた。(*^^*)
チェンソーアートの時代はこれで変わる、かな?

上記が、昨日吉野の山の中から更新しようと思ったブログの内容。ようやくココログが故障を直したらしい。

しかし、チェンソーも、チェンソーアートも、女性の感覚が入るだけで、一気に雰囲気変わってくるね。

2010/09/20

割り箸消費量の実態

実は、昨日から吉野に行っていた。川上村で一泊し、吉野チェンソーアート倶楽部の合宿にも参加。

実は、その合間を縫って、携帯からブログを更新しようと幾度も送ったのだが、肝心のココログが反応しない。最初は山間だから電波状態が悪いからだろうと思ったのだが、自宅に帰って来てから送っても無反応。

なんか、障害が起きているのかもしれない。そのうち幾度も送ったものが一斉にアップされるとも限らないのだが、とりあえず、別ネタを。

先に割り箸の記事のコメント欄で、私は昨年度の割り箸消費量を輸入量180億膳に竹割り箸35億膳……と書いたのだが、私が吉野で遊んでいる間に(^^;)複数の方からメールをいただいた。

それによると、林野庁の統計で、輸入量は約187億膳だが、これには約35億膳の竹も含むのだそうだ。そして国内生産量は6億膳で、総数を約193億膳とするのが正しいとか。

私の得た情報では、木の割り箸と竹の割り箸の輸入量は別のような書き方をしていたのだが、林野庁の統計の方が正しいのだろう。

というわけで、もはや日本の割り箸消費量は、200億膳を切ってしまっているのである。

そして今年は、さらに10%減の状況で推移しているとか。ということは、180億膳割れもあり得る状況だ。

割り箸割らずに、こんな数字を割ってどうする! とアホなツッコミは止めて、割り箸産業としては極めて危険な領域に入っているのではないか。わずか数年で、消費量が5分の1が失われるなんてこと、異常である。

割り箸製造新規参入者の方々は、この数字をかみしめて、しっかり需要先を開拓してほしい。

2010/09/18

生駒山系歴史文化フォーラム

今日は、第7回生駒山系歴史文化フォーラム。゛

とは申しても、今回のメインテーマは、落語。桂福車さんに大阪から伊勢参りする「東の旅より」という長~い落語(22の噺が詰まっているそうです)生駒山の暗峠を越えて奈良の町までたどり着く「煮売り屋」の段を演じていただきました。

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そして私は、その前座?として、「生駒山~その知られざる魅力を訪ねる」というお噺の一席。子どもの頃遊んだ大阪側の生駒山から、現在住んでいる奈良側の生駒山にかけて、面白いものを探して紹介したわけでございます。

まあ~なんですな。生駒山生駒山と言っても、その歴史がどうだ、文化はこんなにある、自然はこうなっている、なんていくら語っても、フツーと人にとっては、はあ、そうですか、てもんです。なかなか興味が湧くものではありません。なるほど、行基さんは偉かった。役の行者は凄い人だ、あのお寺は由緒正しい。というだけではどうも盛り上がらない。

こうした歴史や文化は、いわば生駒山の表の顔でしょう。しかし、人というのは、難儀な生き物でして、表を見たら、やっぱり裏にも回り込んで見たくなるものでございます。

でも、変わったお坊さんもいたんとちゃうの? こちらにはヘンな石があるぞ、建物もオカシイぞ、奇妙な祭があるぞ、と思うものを見て面白がるものですな。いわば裏の顔が見たい。あまり澄ました顔ばかり見るのは好きやないわけです。人は、やっぱり、ちょっとズレたものを見て喜ぶのですな。建前より本音、怖いもの見たさ、他人の不孝は蜜の味……ちょっと違いますか、いずれにしましても、お行儀のよい顔は疲れます。

そこで私の紹介したのは、ヘンな生駒山。

たとえば大仏さんと言えば、奈良の東大寺の大仏ばかり思われますか、実は生駒山にも大仏はんがたくさんおわします。

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ほかにも見どころはいっばいございまして、それを一つ一つ紹介させていただきました。

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なんで、こんな変なものばかり知っているんや、と突っ込まれそうですが、それはそうでしょう、私は生駒山の大阪側と奈良側、両方に住んでいたのですから、生駒山の裏も表も知っています……。お後がよろしいようで。

2010/09/17

新たな割り箸製造者に望むこと

最近、割り箸の会社もしくは製造所が次々と新たに誕生している。

とくにワリバシカンパニー株式会社が設立されて、hpも公開された。

http://warebashi.com/

ほかにも樹恩ネットワーク系の製箸所が各地にオープンしている。結構なことだ。こうした動きが、割り箸復権の基礎となってほしい。

『割り箸はもったいない?』を書くときに思ったのは、国産割り箸の製造量の少なさである。これでは、国産割り箸を使ってね、と言えないではないか……と思っていた。とくに少ないのは中国産と対抗すべき「元禄」とか「小判」など、ようするに身近で安い割り箸だ。どうやら樹恩も、ワリカンも、元禄箸の生産を始めるようなので、期待したい。

ただ、気になるのは、割り箸のことを紹介するところで「日本の割り箸需要は年間250億膳」という数字が今も出回っていることだ。
たしかに数年前までは、拙著を刊行した頃は、そうだった。

ところが、今はガクンと消費量が落ちている。正確な数字はつかめないのだが、輸入量と国産量を足して200億膳~220億膳だろう。その差は、単に需要が落ちたのではなく、樹脂箸へ転換された方が多いと考えてよい。

そして気になるのは、これに比例するかのように国産割り箸の生産量も落ちていることだ。最盛期は、10億膳近くはあったと推定しているが、今は5、6億膳くらいになっているのではないだろうか。

たとえば最大手の中本製箸は、生産設備は3億膳可能だというが、現在は1億膳くらいの生産とか。はるかも、1億膳作っていたのに、今は半分以下ではないか。吉野の場合も、生産が落ちるというより、廃業が増えているというべきかもしれないが、やはり落ちている。

一方で、輸入分も、かつては中国が輸入差し止めするとか騒がれたのに、今では価格が安くなってどんどん入ってきているようだ。

ということは、新たに割り箸を生産するところは、納入先・販売先をしっかり確保していないと危険なことになる。製造も大切だが、営業も欠かせないだろう。

狙うは樹脂箸もしくは輸入割り箸を使っている外食産業である。間違っても国産割り箸をすでに使っているところに営業かけてはいけない。それでは既存の国産メーカーを排除して自分たちが取って代わるだけのパイの食い合いになる。全体として国産割り箸が増えることにはならない。

ただ、そうなると価格が問題となる。ワリカンのところは元禄箸を2,5円で供給するという。大量発注だとさらに安くなるというが、中国産は1円以下なのである。

その差を埋めるアドバシもよいが、残念ながら現在のような不況になると、広告を取るのも大変だ。よほど強力な広告営業力が求められるだろう。

何か、国産割り箸を使うことによる価値をグローバルに感じ取られるようなシステムが必要だと思っている。(1食に箸代は、1~2円なのだ。仮に700円の定食を食べる場合、食材の価格、人件費などからすると、さほど負担は大きくない。

新たな参入者には、国産割り箸の生産の前に販売のビジネスモデルづくりを行ってほしいと思う。もし需要が増えたら、既存の製箸所に増産をお願いすればいいのだから。

2010/09/16

木育の裏にあるもの

大阪の新歌舞伎座が移転新築されたのだが、そのこけら落とし公演を鑑賞させていただく機会があった。

まあ、歌舞伎の話はさておき、座席は花道のすぐ横。ヒノキの廊下が伸びる。新築であるからきれいなのだが、ふと目に止まるのは、ビスである。板を止めるのに打たれたビスが、ずらりと金属色に光って並んでいる。それにつなぎ目が隙間いっぱい(^^;)。

なんで木ネジにしなかったのかとか、木でネジ頭が見えないように塞がなかったのか、とか考えてしまった。もちろん予算の問題もあるだろうし、案外歌舞伎の舞台って、この程度でいいのかもしれないし、担当者が金属ネジが好きなのかもしれない……。

でも、木について知らないんだろうな、と思ってしまった。だから、せっかくの木の舞台に水をさすような造りにしてしまう。これって、木育が足りないのだろうか……。

実は、これから書かねばならない短文で、木育のことを触れようと思っている。そこで木育についても少し調べてみた。手元の木育関係の書籍やパンフに目を通したり、ネットで検索したり、木育の大家のブログを読んだり(^^;)。ちょうど、木育って何?という連載?をしていたので助かった。

http://mokuiku.exblog.jp/

おかげで、いよいよわからなくなってきた(笑)。

ようするに木育の定義は千差万別、人によって違うとも言える。単に木のことを教えるというものではない。生きた木、森林に対する教育も含む。かといって環境教育全般にまで広げていいものなのかどうか。

そもそも木育を言い出したのは誰か。私の記憶では、自民党の国会議員が急に唱えだした覚えがあるのだが、おそらくその前に林野庁あたりが議員に「木育」というアイデアを吹き込んだのだろう。

ちょっと揚げ足取りをすれば、なぜ木材というマテリアルの教育をしなければならないのか。そのうち鉄育も必要とされるのか、ガラス育もある? そうそう箸育はあるんだった。

もともと木材は、人間にとって身近な存在だった。ところが気がつくと、どんどん木材製品が身の回りから消え、木材のことを知らない人が増えたのだ。だから木の家を立てると木の特性ゆえの変化に驚いてクレームが発生する。さらに木材需要が減ると、林業も困る。だから、木育をして、みんな木のことをもっと知りましょうよ、と言いたくなるのだろう。さらに木を通して情操教育を行おうと考える教育関係者もいるに違いない。

しかし、出発点はそうであっても、現在木育に熱心に取り組んでいる人は、そんな意志を持っているだろうか。自分の山の木が売れてほしいから木育を持っているという林業家は少ないだろうし、そもそも何の利害関係もなく木育に熱中している人が大半だろう。

もしかしたら木材から樹木へ、そして森林へと興味を広げて、地球環境全般まで意識させることを狙っているのかもしれない。その意味では、木育の木とは、自然物の象徴である。木さえ好きになればもういいというものではあるまい。

しかし、私は思うのだ。あんまり理屈こねる問題ではないな、と(笑)。

おそらく木育に携わっている人は、木が好きなのだ。そして、他人にも木を、森を好きになってほしいのだ。こんなにいいものなのに、なぜみんな知ってくれないの? さあ、みんなで木のファンになりましょう。それだけ(笑)。

この結論に達して、ああ、これでは今から書く記事に木育を持ち出すのは厳しいな、と気づいた次第。また、別の切り口考えるか……。

2010/09/15

集落診断士?

「撤退の農村計画」、全部読んだつもりだったのだけど、改めて目を通して引っかかったところがある。最後に「集落診断士」「集落サポーター」という役職?が登場するのだ。

集落サポーターは、20代で農業に携わりながら集落の運営や生活をサポートする人材。
集落診断士は、集落の状態を「診断」して、未来像を描きつつ活性化なり移転を促す役割らしい。集落内のリーダーの育成やサポーターの育成・派遣も担当する……という。このアイデアは、兵庫県の研究所から提言されたらしい。

集落サポーターに類した人々は、すでに各地に登場している。ただし、派遣というより自主的なものだ。個人だったりNPOとして集落に入るなり通っている。近年登場した補助事業で作られた集落支援員も、それに近いのかもしれない。

だから、私にはわかりやすい。ただ、彼らの悪戦苦闘ぶりも聞いているので、派遣されたって勤まるかどうかは???である。

だが、集落診断士は、どうもしっくり来ない。理由を説明しようとすると、なんだか延々の繰り言を書きそうな気がするので割愛するが、率直に言って、そこまで必要か、という気持ちだ。

もちろん、岐路に立つ集落に、今後の進路をいくつかの選択肢として紹介する。さらに、それを実行するアイデアを提案することはあってもいいだろう、いや、あった方がいい。
でも、「診断」するかなあ。集落とは、企業的な存在ではなく、住民の覚悟で決めるものだと感じる。どうにもならなくても、最後の一人まで移転しないケースもあるだろうし、潜在的に大きな資源を持っていても活かさず捨て去る場合もあるだろう。

あえて言えば、私は集落の未来の選択は、住民に任せておけばいいと思うのだ。外からどうこう言うのではなく、自分たちで考えてほしい。あくまで外部者は受け身でよいのではないだろうか。仮にどんなよいアイデアを提案しても、よそ者が提案したことで反発しそうな気もする。

まあ、この資格を持って活動するのは、市町村もしくは都道府県レベルの公務員になりそうだが、住民サービスというより、自治体の逼迫する財政を緩和するために、集落を移転させる人員というのならわかりやすいのだが。

私は、こう見えても、田舎には冷たい(笑)。自分たちで将来を考えない地域は消え去るしかないと思っている。何らかの打開策を求めてやる気のあるところだけに支援すればよいのではないかなあ。

2010/09/14

「撤退の農村」より「廃村の転用」

「撤退の農村計画」は、現在住民がいる集落の問題である。当然、住民目線で考えないといけない。

が、前々から思っていたのだが、肝心の集落が移転もしくは完全無人化した「廃村」の可能性を考えてみないのだろうか。

集落の移転は、合意形成のほか、移転先の決定やインフラ整備、さらに移転先近隣の人間関係まで考えると、かなりの難問だと思っている。
一方で、過疎化が進み、限界まで来ている集落の復活もかなり厳しい。「種火集落」的な発想もあってよいが、移住希望者がいても、そこに馴染むまでの苦労を思うと、あんまり勧めたいと思わない。

だが、「廃村」の転用・活用はどうだろう。

一度は、住民がいなくなったところに移住者を招くのである。そして新しい村・集落を作ってもらう。

もちろん土地を始めとして権利関係の整理は大前提だが、住宅建設に始まる、いわばニューヴィレッジ建設。タウンまでいかない規模がいい。

「入植者」は公募になるだろうが、まったくの開墾に比べたらはるかに楽だ。荒れていても平坦な宅地や農地があるうえ、水の心配もない。電気関係もおそらく復活はゼロから電線引くのに比べたら簡単だろう。そして道もある。多少の補修は必要でも、莫大な建設費はかからない。かつて人が住んでいたところは、やはり人が住みやすいのだ、完全なフロンティアよりも。

そして新住民だけだから、伝統や慣習に縛られることもない。最初からみんなで集落のルールづくりを行える。ただ、この点は厳格に最初からルールづくりのシステムを考えておかないといけないし、人も選ばないとマズい。

一方、仕事は各自がつくるにしても、昔のように自給自足しなくてもよい。町に通勤してもいいし、元から手に職を持って移住するのが原則だろう。

もちろん、残っている集落とのつきあいとか、いろいろ課題はある。しかし、同じ集落内に先祖代々組と移住組が混ざって、軋轢を引き起こしてエネルギーを費やすより、古い集落のすぐ近くに新たな集落を移住者が作って、相対する方がお互いのためとも考えられる。

どうやって伝統、文化を受け継ぐかって? そんな面倒なことは考えない(笑)。
理想的なのは、消える集落の前に記録を残しておき、それを新住民が受け継ぐことだが、それも上っ面になるだろう。新しい文化を築いてもらう気概を持つ方がいいのではないか。

……実は、本音のところで移住者はその方が喜ぶと思うし、また先祖代々組も、新参者とは交わりたくないのではないか。無理に融合を唱えるのはやめて、近くに住んで時折交流する関係にとどめておこうや。いや、何も嫁姑とか親子関係のことを言っているんじゃないんだけどね(^o^)。

2010/09/13

土倉庄三郎の残した言葉

先週、土倉庄三郎について学ぶ、「芳水塾」の会合に参加してきた。川上村で夜開かれるので、なかなか出かけるのが大変(^^;)。

さて、この日は土倉家と非常に関係が強い、吉野町の上田家の当主のお話を聞く。

両家の関わりは、なかなか興味深かったのだが、なかでも思い出話に登場したのが、写真の書である。

2

当主(現在76歳)が大学に進学で京都に行った際にあったのが、佐伯理一郎だった。佐伯病院の院長だが、元は同志社大学病院を設立した人で、土倉庄三郎の娘婿だ。

お会いしたときで90歳を越えていたが、まだまだかくしゃくとしていたそうだ。そして入学祝いを上げようと、筆を持って書いた。

さすがにお年から、ちょっと字は乱れているが、なんと書いているか読めるだろうか。

本文を書き写すと、

積金以遺子孫 子孫未必能守
積書以遺子孫 子孫未必能読
不如積陰徳於冥々之中 以為子孫長久之計
此先賢之格言 乃後人之亀鑑

これは司馬温公家訓である。司馬温公こと司馬光は、中国・北宋の儒学者にして歴史家、政治家だが、家訓として、上記の言葉を残したのである。読み下すと、以下のようになるらしい。

金を積んで以て子孫に遺せども子孫未だ必ずしも能く守らず
書を積んで以て子孫に遺せども子孫未だ必ずしも能く読まず
冥々の中に陰徳を積んで以て子孫長久の計と為すに如くはなし

ようするに、金を子孫に残しても、うまく使えないだろう、
ならばと学問を身につけさせようと本を残しても、読まないだろう。
ただ陰徳を積むことが、子孫が平和に暮らせることだ。
このことを後世の人々に伝えよ、てな感じであろうか。

で、何が言いたいかというと、この言葉を土倉庄三郎が愛用していた、と伝えたのである。佐伯氏は、司馬光の言葉を伝えようとしたのではなく、庄三郎の言葉を若木上田家の跡継ぎに伝えたのだろう。

思えば、土倉家が逼塞していく過程は、上記に近いかもしれない。財産は消えてしまい、明治時代に子息令嬢に学ばせた教育も、必ずしも役に立ったとは言えない。しかし、庄三郎の功績は、今も子孫に語り継がれているようである。

2010/09/12

日本の水を中国に売ろう

昨日の続き、というか、連想。

中国は、日本の水源を狙っているらしい(笑)。なぜなら、中国本土では水不足が進んでいるからだ。黄河も長江も河口では干上がることがあるというし、そもそも危険な物質が流れ込んでいて、とても飲用できるレベルではないという。北京に水を供給するダムも、どんどん埋まっていて、このまま人口が集中すると、水道の供給が破綻する可能性が出てきたという。

ならば、水を売ろう。水源なんて考える必要はない。地下水を汲み上げるのに森は必要ないのだ。水ビジネスのために森を買うなんて回りくどいことを考えず、相手が水を求めているのなら水を売ればよい。

幸い、日本は降水量は多く、慢性的に地下水も満水に近いと聞く。もちろん場所に寄るのだろうが、必ず汲んでも汲んでも尽きないポイントがあるはずだ。

ミネラルウォーターというのも回りくどい。そんな高い商品にしたら、さすがの中国人もあまり買うまい。水不足で本当に困っているのは庶民なのだ。彼らに安く提供するには、パイプラインを引くとよい。もちろん海底である。

仮に日本列島から上海まで引くと、どうなるか。蛇口を握っている日本は上海の飲用水を牛耳ることができる。当然、上下水道の設置という巨大ビジネスも狙える。

パイプラインが難しければ、タンカーだろう。屋久島で水を汲んで、上海に運び、そこから北京までの水道を敷設する。

当然、日本は外貨を得て対中国貿易の赤字が多少とも解消される。さらに外交面でも強くなるのである(^o^)。中国の漁船が尖閣列島に近づくと、水が赤く濁るからだ(^^;)。黴臭くなってもいいな。

……と、バカなことを考えてみました。でも、日本の森が買われると騒ぐよりはいいと思うよ。

2010/09/11

日本の森を中国に売ろう!

日本の森が外資(この場合、多分に中国を指す)に買われている! という言説がどんどん広がる中、私はせっせと反論してきたが、ふと思った。

「中国に買ってもらったらいいんじゃない?」

考えてみれば、日本の森、とくに伝統的林業地の場合、常に外部資本を受け入れてきた。むしろ、外部資本に支えられてきたと言ってよい。吉野の借地林業はもっともよい例だが、ほかの地域でも、時の財産家が山を買い、その金で森づくりを行い、転売を重ねてうまく市況をつかんだものが儲けてきたのだ。

もちろん、その合間には損する者も続出しただろうが、財産家には山を持つステータスがあったし、資産としての保有である限り、損益計算では捉えられない面もある。

そして、今やグローバル経済の時代であり、世界の金は中国に吸いよせられている。そして金満家の中国人にとって投資先は国内よりも海外に向いている。

このチャイナマネーを利用して、日本の森林をよくする、林業を活性化するビジネスモデルは作れないか。

この場合、対象となるのは放棄森林ではない。(そもそも放棄森林は、境界線もあやふやだし、相続も子孫に拡散したりデタラメになっていて売買の対象になりにくい。そんな山林は、誰かが唱える公有化だって極めて難しいだろう。)

むしろ優良林地である。これをキッチリ管理した上で、そこに中国の金を投資させる。期限を切るのもいいかもしれない。定期借地権のように、確実に期日が来たら返還させる。一方で契約途中の転売も制限しなければなるまい。もちろん結果として利益が出れば、出資者に還元するのは当たり前だが、森林が健全化することで、日本側も利益が出る。雇用も生まれる。

また施業としては、何も木材生産に限らなくてもよい。林間栽培や、森林リゾートもありだ。いかに利益を上げて還元するか、シビアに経営する。

国際版「山守制度」、借地林業である。今風に言えば、国際版森林オーナー制度。いっそのこと、棚田オーナー制度も中国人相手に行ったらどうかなあ。

吉野では、山主より山守の方が儲けていたのは、地元なら誰でも知っていること。管理する日本人が儲けられる可能性は高い。

もちろん、そのためには法整備が必要だし、綿密で短期間に利益の出せる森林計画が必要だけどね。

2010/09/10

村八分とうつぐみの合意形成

先日訪れていた島で聞いたのは、「竹富島では、“うつぐみ”という考え方がある」という言葉。ようは共助であり、集落全部の合意形成のことを指す。一人のリーダーが決めるのではなく、みんなで考え決める自治意識らしい。

そうしたら、今日の朝日新聞の「私の意見」欄で、竹富島の町長が、この「うつぐみ」について解説して開発問題を論じていた。ついにこの島は、リゾートを受け入れたのだ。

なかなか示唆的だ。「撤退の農村計画」にしても、開発計画にしても、そこに必要なのは合意形成である。だが、これが今の時代、どんどん難しくなってきたように思う。

先にボルネオのロングハウスを例に上げたが、そこでは比較的合意形成がしやすい。村民全員が同じ屋根の下で住んでいることも重要だが、リーダーの性格も影響があると思える。村長(酋長)は決してカリスマではない。「豪腕」で「指導力」を発揮するような人は求められず、みんなと話を延々と続けられることが資質とされている。

まさに「うつぐみ」なのである。

しかし、同時に同じ屋根の下に住みながら、最後まで反対できないという強制力もあるのではないかと想像する。
日本の村でも、最後は「村八分」という制度?があった。同じ集落内で暮らすのに協働作業を拒まれたら、生活できないという無言の力が働いただろう。

しかし、今の世の中、村八分は怖くない。仮に集落内で孤立しても、少なくても生きて行ける。買い物も集落外に車で行ける。農作業なども、個人で農機具を揃えていたら一家だけでもできる。むしろそうした家の方が多いだろう。情報もテレビに新聞、インターネットで入ってくる。もし仕事も外部とつながっていたら、収入面でも問題なし。
そもそも集落組織とは別の行政組織があるし、なんとでもなるのである。

田舎移住者の中には、好んでか仕方なしか、村八分的な生活を送る人も少なくない。それでも困っていないのである。

そんな人間関係の広がる社会で、合意形成ができるだろうか。

実は、限界集落というから、数戸、十数戸の人々が肩を寄せ合って生活しているのかと思いきや、みんなが集まるのは年に一度もないケースを耳にした。さらに仲違いして、狭い集落の中でも口を利かない関係になることも珍しくないらしい。もっと進むと、集落内で分裂して、別グループになることさえある。ほんの数戸ごとに分かれるのである。
近年は、各地の町内で隣人トラブルが頻発しているが、イマドキは同じ地域に住んでいてもタガははまっていないのである。

そうしたことになるのも、一致結束せずとも生活できる環境だからではないか。村八分が通用しない社会では、合意形成は極めて難しくなる。

果たして「撤退」の是非を決める合意形成ができる集落は、どれだけあるだろうか。この点が、限界集落の勝ち組負け組を決めるのかもしれない。

ちなみに竹富島は、当初は住民に十分な情報公開さえしなかった開発業者も、町長の姿勢と粘り強い交渉によって理解を進め、住民との話し合いに応じるようになったという。そして最後は圧倒的多数で、住民の賛意を得たのである。

2010/09/09

鞆ノ浦で見たもの

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鞆ノ浦
を訪れた。







広島県福山市の港町である。江戸時代までは、風待ち港として賑わったところだ。歴史的にもいろいろ登場するし、近年は「崖の上のポニョ」のロケハンをしたことで有名になった。ただ狭い道対策に湾岸を埋め立てる計画に賛否が問われている。本ブログでも、昨年の10月に宮崎駿の発言を中心に取り上げている。

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福山市の中心街から離れた田舎の港町だが、旧家の並ぶ路地が残り、観光客が多かった。団体客が路地をぞろぞろ歩く。またカメラをぶら下げた、私のような一人旅も目立つ。なるほど、騒ぎがむしろ気を呼んだのだ。

そして、観光客向きの店もたくさんあった。すでに観光に依存している経済になっているはずだ。

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ちなみに賛成派の看板やのぼりは、いたるところにある。



一方で、048_2一般の民家なのにこんな張り紙が。

どんな観光客が、どこに立ち入るのか。

で、私はここで出会った。

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龍馬に。

そう、鞆ノ浦は、龍馬とも関係があったのだ。海援隊のいろは丸が、紀州の船と衝突して沈没していたのである。その交渉に龍馬も滞在していたわけだ。写真は、龍馬が交渉中に潜んでいた隠れ部屋の龍馬。福山市に福山雅治の龍馬伝のポスターがベタベタ張っていたよ。

もっとも、私が訪れたテーマは龍馬じゃない。やはり、狭い道だ。

067_2 

たとえば、こんな道が問題になっているんだろうな。

車の行き交いが大変なのだ。

だが、私の印象は、ちょっと意外だった。というのは、「案外、道は広かった」のだ。

実は地元・生駒でも路地ばかり散策しているせいか、もっと狭い道を想像していた。生駒には、半端でない路地と坂道があるのだよ。ただ最近はバイパスも充実してきたので、沿線に住んでいる人以外は気づかない。

そういえば、その晩泊まった尾道だって,路地と坂道だらけの町並だ。また全国の離島などの港町などでも、もっと狭い道は多い。

ところが鞆ノ浦は、部分的には道を拡幅したところもあるし、とりあえず車が通れる道がある。もちろん、完全な路地も少なくないが。
一方で、すでに新しい建築物もかなり建っていて、江戸時代の港町を残す……というほどには感じなかった。これで世界遺産をめざすの? 

おそらく鞆ノ浦が問題になるのは、観光客など外からの訪問者が多いことではないか。だから、車もよく通るのである。

ただ観光客の歩く範囲は、そんなに広くない。

ここからは、たった一度の訪問者が「思いつき」の意見を述べることになるが、両者が折り合う部分は見つかるように思える。
観光客の多い中心部だけは手を付けず、周辺にバイパスを作れないか。海側を埋め立てるのではなく、山側(民家の裏側)を少し削ることはできないか。その新道路は、一方通行にして細いものでよいではないか。ようは、観光客の目に入る景観を守ればいいのだ。両者が、少しずつ譲れば……。

だが、実は、こうした発想は現地では受け入れられないだろう。なぜなら、「両者が少しずつ譲る」計画は、「両者とも満足しない」に通じて、両方が反対するからだ。合意形成はむしろ難しくなる。

どうやら広島の知事が交代したことで、埋め立て新道路建設は、ストップしたようだ。今後は誰が仲裁に入るかによるだろうな。

2010/09/08

海旅、そしてドラマの舞台

海旅、そしてドラマの舞台
昨日は福山、尾道、今は因島、そしてこれから弓削島に向かう。

台風一過の瀬戸内海はわりと静かだ。
で、見かけたポスター。そうか「ゲゲゲの女房」の次は、尾道が舞台か。
この一年、なぜかNHKのドラマの舞台を回ることが多い。昨日も海援隊のいろは丸見たし。

2010/09/07

「種火集落」と田舎移住

撤退の農村計画」、では、現在の過疎集落の撤退=もう少し便利な地方小都市への集落移転を提案している。そして残された土地は、農地や森林などの管理を取り上げている。しかし、それらは基本的に撤退後は無人の地となるのが前提だ。

一方で、「種火集落」の発想も提案していた。

種火とは、山里の文化・歴史を残す(引き継ぐ)種火だ。具体的には、移転せずに踏みとどまり、若い移住者を迎え入れることで存続をめざす。それもさみだれではなく、ある程度まとまった人数を迎えることで集落の文化を伝承する……という考え方だ。血縁ではなく、地縁社会である。

ここで語られている方法論は、移住者が集落の元からの人々とうまく溶け込むこと、いわば田舎暮らしのノウハウである。その組織論は、ドラッガーの「マネジメント」に通じるものがある。せめて『もしドラ』を読もう(~_~;)。(サイドバー参照のこと。)

実は、私も多くの田舎移住者を取材してきたから、よくこの問題を考えてきた。(いや、このところ、めっきり田舎暮らし系の仕事が来なくなった。もう編集部に忘れられたのだろうか?)

ともあれ私が見てきた田舎移住者から感じたノウハウをいうと、地元に溶け込める移住者は、まず何よりもおしゃべりであることだ。ただし主義主張を演説するのはおしゃべりではない。単なるおしゃべりがよい。あることないこと、自分のことをプライバシー意識せず、しゃべれる人(^o^)。偉そうに言えば、コミュニケーション能力の高い人だが、とりあえず相手のことを聞くより自分のことをしゃべる人の方が強いと思う。少なくても夫婦の片方がそうであることが条件である。

まあ、人それぞれ集落それぞれだから、いろいろなケースはあるが、情報を積極的に出すことは人と人のつながりに大切である。

ただ「種火集落」の考え方には、重大な問題点がある。移住者には、山里文化を引き継ぐため、という意識が極めて薄いことだ。第一に自分の生き方・生活のために移住するのであって、集落存続の使命を感じているわけではない。(最初から、そんな目的持って移住する人はいないだろうし、もしそんな目的で移住を企てている人だったら、逆に鬱陶しがられると思う。)
ただ、溶け込んで住めば、自然と土地の文化を身につけ結果的に継承することになるはずだ。

受け入れ側は、声高に集落存続、文化継承を訴えるのではなく、移住者がその土地で生きていくのなら、地元と溶け合う必要性があることを示さないといけない。それも義務というより、溶け込むことの楽しさとか、有利さなどを示すべきだろう。
さもないと、移住希望者にも敬遠される。移住してからでも、あまりに受け入れ側の思いが強すぎると、移住者には負担となり、それが元で関係が悪化するケースさえあるからである。

2010/09/06

「奪われる北海道の森」なんて(笑)

今日の朝日新聞では、「土地収奪」をテーマにしている。なんと四ページに渡る大特集だ。

と言っても、それは「GLOBE」という横書きの本紙に射し込まれた別版だが、その冒頭に、北海道の倶知安町の森57ヘクタールが、香港資本の会社に買収された件が紹介されている。それは北海道議会でも取り上げられた。

これを読んで、おお、外資が日本の森を買っているのへは本当だったんだ! と興奮気味の人もいるだろう。私は、この手の噂を再三、このプログなどで批判してきたが、それが覆ったか?

特別そうは思わない。この程度の買収なら、想定範囲内である。

私は、何も外国人・外国資本が日本の土地を買うことは絶対ない、と思っていたわけではないからだ。日本のバブル景気の頃のように、景気のよい国の成り金が、相対的に安値となった日本の資産に目をつけて買い取ることは十分にあることだ。

とくに「奪われる日本の森」なんて煽るシンクタンクやマスコミが出てきたら、便乗して売ろうとする不動産ブローカー、そして売りたいという所有者が出てきて当然だ(笑)。

ただ、日本人所有でも日本の山林の管理はひどいことになっているのに、持ち主が外国籍であることを問題にすることが馬鹿らしい、と言いたいのだ。
とくに山林はどう転んでも利益を出すことが難しいのに、それを外国人が買ってくれるというのは、逆に日本の利益にさえなると思っている。不良債権を購入して、それをリセットして再販売する投資会社みたいなものだ。

ともあれ、記事によると、倶知安町だけでなく、道内各地で土地が外資に買収されていた。国としてはニュージーランドやイギリス、シンガポールも上がっているという。なかには自衛隊基地近くも……。北海道の森林をなぜ海外資本が買うのか。

私はスキー場とか、リゾート地でも作る気じゃないか、と想像するが、日本の山林の価値がこうしたことによって見直される契機になるかもしれない。

そういえば、バブル期に日本の不動産資本が、アメリカのエンパイヤステートビルを購入したこともあった。だが、結局食わせ者で、散々食い物にされた挙げ句に、バブルが崩壊。逆にアメリカの景気が回復する中、捨て値で買い戻されたと記憶している。

日本も、これと同じことをする度胸と才覚があればなあ。

追伸・7日のNHK「クローズアップ現代」で、この問題を取り上げるそうだ。遠藤日雄・鹿児島大学教授が出演する。

2010/09/05

「撤退の農村計画」とボルネオのロングハウス

撤退の農村計画」を読んでいる。 (サイドバー参照)

この本については改めて記したいと思っていたが、実は現在ボルネオの記事を書いている。そこで妙に両者の記憶がリンクした。

「撤退の農村計画」は、大雑把に言って、「積極的な撤退」を勧めている。つまり集落移転だ。ずるずる限界集落化が進んだ結果の移転、それも五月雨式の分散ではなく、早めに計画を進めた意図的・積極的・戦略的な撤退である。

一方で、ボルネオの少数民族の世界でも、奥地集落の過疎化が進んでいる。私が以前訪れた奥地の村は、飛行場に学校、就学児童の宿舎まである地域の拠点だったが、着いてわかったのは、過疎高齢化の進行だった。

ボルネオでは、多くの民族はロングハウスと呼ばれる巨大な家屋に各家族が一緒に住む。昔は個室さえない、屋根の低い体育館?的構造だったが、現在は仕切りが作られるようになっている。ただ、広い廊下(ときに50m以上に及ぶ)では、共同作業や宴会、井戸端会議を行い、常に顔を合わせる場所として機能している。
ところが、そのロングハウスに入ると、ガラガラなのだ。そして若者が少ない。テレビは衛星放送が入って、私もNHK国際放送を見ていたほどなんだが、空き室がが多いのだから空疎でまいる。

一方、別に訪ねた幹線沿いにある集落は、まだ未完成で、開拓部落みたいであったが、元気だった。若者・子供がたくさんいた。聞けば、奥地から道沿いに移転してきたのだそうだ。

やはり目の前に道があって、そこにバスも走るので都市にもすぐ出られる。すると出稼ぎではなく、通勤になるらしい。

こうした都市に近い地域に移転・定住した村では、商品作物を栽培したり、なかには油ヤシ農園の経営に乗り出すところもある。油ヤシは、手間をかけずに一度植えたら定期的に収穫できるので、確実に現金が手に入る。おかげで集落は、ハッピーな状態だそう。

「なぜ、やらないのだろう」と、奥地で森林に固執する集落の人々に疑問を投げかける。

もちろん、移転を決めるまでは、議論があったらしい。彼らの世界には、強力なリーダーはいない。トゥライ・ルマーと言われる村長・酋長はいるが、あくまで調整役である。しかしロングハウスは、もともと村人家族がみんな一緒に住んでいるのだから、根気よくやれば合意形成は可能なのだ。

しかも、もともと焼き畑農耕と狩猟採集生活を行っていたから、移動は当たり前だった。ロングハウスも熱帯ゆえに傷みやすく、建て替えは比較的頻繁だ。

それゆえ集落移転は、そんなに意外感のない現実的な選択だったのだろう。

その点からすると、日本の集落の移転は、壁が大きいように思う。「撤退の農村計画」に書かれた要点は否定しないが、どこか甘い(笑)。ちょっとやそっとでは、うまくいかないのではないかなあ。

もしかしたら、集落移転ができるかできないかで、勝ち組負け組が生まれるのかもしれない

2010/09/04

珍樹の光景~生駒探検

今日は、生駒山各地を駆け足で回った。

結構ヘロヘロになったけど、そこで発見したのが、この木。

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この写真ではわかりにくいと思うが、左がカヤの木で、右がクロガネモチ。どちらも大木(幹回り、ざっと2m)だが、とくにクロガネモチがこんなに太くなったのは見たことなかった。


が、本当に驚いたのは、根元である。

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なんとお互いが相手の幹にだきついている感じ。
融合とはまではいかないが、どちらも枯れずに頑張って太くなるまで一緒に育ったんだね。

ちなみに、これは裏から撮っているから、左がクロガネモチ

これは、神社の一角だけど、探せば他にも面白いものは、いろいろ見つかりそうだ。

これらをネタに何かできたらいいんだけどね。

2010/09/03

「プロボノ」は根付くか

昨日の「林業女子」プロジェクトの記事で、応援団を「プロボノ」集団としたい旨記したが、この点について、少し考察したい。

プロボノはpro bono publico」を略した英単語だそうだ。直訳では「公益のために」という意味だが、具体的には「公益のために無償で仕事を行う」ことを意味する。

単純に言えば、職業的な仕事のスキルを社会に活かしたボランティアだ。わかりやすいのは、弁護士がビジネスとは別に無償で法律相談や訴訟を手伝うケース。

もちろん、あらゆるスキルが応用できる。たとえば経理、営業、デザイン、物流マネジメント、マーケティング、広報、人事、システム開発、建築設計、イベントマネジメントなどなど。

いずれの分野も、経験や技術がいるが、NPOなどにそれらに長けた人材がいるとは限らない。むしろ弱いと言ってよいだろう。そこにプロが参入するのだ。そして無償でやってくれるのだ。

これは効果的で本来のボランティアになると思う。なんたって、仕事で磨いたスキルだもの。それこそ役に立つ。

社会起業と同じく、プロボノも持続的で効果的な社会運動になるシステムだと期待する。

私は、どうもボランティアという言葉が苦手だ。本来の意味から離れて、現在の使われ方には余暇に本業とは違うことを社会のためにちょっとだけ費やす的なイメージを感じるからである。最近は有償ボランティアという言葉も登場しているが、イマイチ。

たとえば森林ボランティアも、普段は町で働いている人が、休暇に山に入って作業する、それも技術もさほどないまま……という気がしてしまう。本当に森のためになっているのか、なっているにしても、あまりに効率が悪すぎないか……と思う。プロなら半日の仕事を、一週間かかったりするからである。しかも出来は悪い。素人の智恵や技術で手伝っても、自己満足に終わることが多い。

まあ、そうではない団体もあるのだろうが、なんだか普段の生活とは切り離して行う余暇活動的な感覚がしてしょうがない。

私は、地域づくりや田舎生活を送る人たちに、「もっと以前の仕事のスキルを活かして行えばいいではないか」と提案してきた。たとえば田舎に移り住んで農業や林業やるのではなく、都会で働いていた時に身につけた営業や商品開発の能力を活かして起業する、あるいは田舎の産物を外に売りに行く活動である。その方が、よほど効果的だ。

ところが、全体に否定的に捉えられる。田舎に行く人は、農業をやりたがかる(笑)。なんだかこれまでやってきた仕事のスキルをボランティアの現場に持ち込むことをいやがるのだ。心機一転? 自分の人生をやり直す? のかどうか知らないが、仕事とボランティアを区別しがち。

私の聞いたものに、財政難のNPOに銀行マンOBが入ってきたケースがある。これは経理を引き受けて合理的な経営を行うか、会社回りの営業に辣腕を発揮するか……と期待したのだが、それを本人はいやがった。

お金に揉まれた前職とは一線を画して、世のため人のために働きたい。

そう言って、彼は、営利事業を無視した。無償で事業を勝手に引き受けて、逆に財政を悪化させたのである(笑)。

実は当人だけでなく、日本には、仕事とかビジネスという言葉に拒否感を持っている人が多いらしい。ビジネス界は汚れた世界とでも思っているのか。だが、こうした感覚では観念的な市民運動の枠から出られないだろう。

そういえば、昨日書いた項目で、「林業女子」活動で“電通の人にアドバイスを受けた”ことをさらりと書いたら、過剰に反応する人がいた。電通の商売に使われるのか、と先走ったらしい。そんなアホな。善意の先方に失礼だ。長年、マーケティングの世界に生きてきたベテランに、そのスキルからアドバイスを(無償で)いただけるのは、有り難いことだ。そしてこれは立派なプロボノ活動である。

この調子では、日本にプロボノが根付くには、まだ時間がかかるかもしれない

2010/09/02

林業女子会@京都

3ヶ月ほど前だったか、「林業女子の雑誌」に関して記したことがあった。好意的なコメントを多数いただいた記憶があるが、あの記事だけでは「思いつきのアイデア・イベント」と理解した人も多かったのではないか。

そうではない。実はゆっくりと、着実に進行している。

電通の方とも相談して、このプロジェクトを進めるには、まず主体を決めることとなった。みんなでワイワイでは話は進まない。

そこで立ち上がったのが、「林業女子会@京都」である。まずは、京都の女子大生を中心に森林ボランティアなどの林業活動をしているメンバーに声をかけて参集したのである。

ここを拠点に、メンバーを募集する。もちろん女子大生だけでなく、本業で林業に携わる女子にも入っていただきたい。また京都以外の人も、興味があればどんどん覗きに来てほしい。そして、各地で「林業女子会@●●」を立ち上げてもらいたい。それらの連合体として、「全国林業女子会」が成立する(予定である)。

この「林業女子会@京都」のブログが開設された。

http://forestrygirl-kyoto.cocolog-nifty.com/blog/

まずは、こちらを読んでいただくと、「林業女子」という活動の意図や、参加者の様子などがわかるはずだ。何もちょっぴり変わった「女子」を売り物に売り出そうというわけではない。単なる林業界のキャペーンガールでもない。

昨今は「森ガール」や「山ガール」、あるいは「ノギャル」など、女子をカテゴリー分けして楽しむブームになってはいるが、「林業女子」は、それらのギャルよりも硬派である。趣味の森や山ではなく、生業としての山仕事を指向している。彼女ら自身が、それらに携わっているという意味ではなく、意識の上で「林業」を見つめているのである。

ちなみに(というか、当たり前だが)林業女子は女性だけの集まりなので、男性は入れない。私も入っていない(^^;)。そこで男ども、あるいは林業女子会に入って前面に立つには抵抗あるが、協力したいという人は、そのバックで「林業女子会」応援団を立ち上げる予定だ。

まだ、こちらは組織名も決めていないが、それぞれのスキルを活かして林業女子を応援する予定である。いわゆる「プロボノ」集団になれればいいと思っている。

ちなみにmixiのなかにも、「林業女子」および「林業女子会@京都」のコミュを立ち上げています。mixi会員は覗いてください。

着実に進めていくことを期待してほしい。

2010/09/01

民主党代表選から木材の売り方を考える

お定まりのドタバタ劇・民主党代表選が始まった。

巷間言われる通り、これは政策の争いではなく、「小沢一郎が好きか嫌いか」の争いだろう。

で、私の立場を言えば、菅直人の小粒ぶりは10年以上も前から感じていた。彼は大臣ならそれなりの能力を発揮するだろうが、トップに立つ器じゃないなあ、と。
一方で小沢一郎に関しては、今のところ口にしている政策は比較的共感するし、マスコミで騒いでいる「政治とカネ」の問題は虚構であると思う。人間的にはとても大物とは思えないが、菅より多少は大粒か。

だが私は、小沢一郎が大嫌い!なのだ(笑)。

最大の理由は、コミュニケーションの下手さ。あのしゃべり方。ボソボソとした口調はいらつく。笑顔も少ない。説明不足の内容。見ていると、なんか気分が暗くなる。
そもそも記者会見の回数の少なさ自体がコミュニケーション不足を象徴している。首相が会談を申し込んでも会わない、雲隠れするという態度もコミュニケーションの拒否だ。

側近は、よく「小沢一郎の人柄は誤解されている」と言っているが、誤解されること自体がコミュニケーション能力の低さではないの? もし首相として外交会談などに臨み、相手国の代表に誤解されたらどうするのよ。

そして、もう一つ大きな点は、彼の取り巻きの熱狂だ。まるで宗教団体かと思う。

今回の選挙戦も、報道見ていると、菅陣営はなんだかフワフワしていて本気度が見えにくい。片手間で応援している雰囲気(笑)。
それに対して小沢陣営は、鉄の団結を誇っているかのよう。動きも鋭い。これは小沢本人の問題ではなく、彼を担ぐ人々のあまりの熱心さが気持ち悪い。それも仲間意識というより崇拝対象? 少なくても師匠的な目で見ている。

いわば菅陣営=草食系  小沢陣営=肉食系 である。

ああ、それがおぞましい。私は群れを離れた雑食系? のつもりだが、暑苦しい集団肉食系は鬱陶しい。生理的に嫌悪感が湧く。団結と言えば聞こえはいいが、いわば統制であり、がんじがらめの組織形態である。こうした「話さないでもわかる」人々の集まりは、「話さないとわからない」人を排除しがちだ。

上記2つがくっついたら、合意形成を軽視しそうだ。どんなに意見が違う人でも、理解を求めてしつこく話し込み、「反対だけど、仕方がない」と思わせるのが政治だと思うのだが。そこには「わかりやすさ」と「ひとなつこさ」が必要だ。

というわけで、私は小沢一郎が総理になってほしくないのである(笑)。おそらく、私と同じような「嫌い」という感情で反小沢になった政治家も多いだろう。

……長い前置きになったなあ。

ともあれ、人は理性より感情で動きやすいのである。

人が商品を買うには、大きな段階的理由がある。一つは、理性的な「買えるか買えないか」である。価格が高い、安い。機能が自分の求めるものに合うか合わないか。

売り手の多くは、こちらを重視して、価格を下げたり、高い機能を設けたりする。

たが、その前に感情的な「買いたいか買いたくないか」がある。そして感情は理性に勝る。必要ないんだけど、欲しいなあ……と思った途端に、なかなか歯止めが効かなくなる。

なんでも医学的には、人が何かを「欲しい」と思った時には脳内にドーパミンが出るのだそうだ。このホルモンが出ると、快楽・幸福感が生まれる。いわばやみつきになる。一種の麻薬的な作用である。だから、必要ないのに買ってしまう。

もちろん逆もあって、必要だし、価格も手頃なのに手にとれない商品がある。具体的にはデザインがイマイチとか、色が好みじゃないとかいうが、ようするに感情がストップをかける。そして結局買わずに、「必要なんだけど、まあいいか」とないことを我慢するのである。

さて、本ブログの読者は、民主党代表選挙の行方より木材および木材商品の売れ行きを期にしている人が多いと思うが、なんとか木材商品で消費者にドーパミンを出させる必要がある。これを「動機づけ」という。

ドーパミンが出るような「動機付け」は、どのように行われるか。

ドーパミン・システムは、情報によって引き金が引かれる。それも新しい情報、予測できない情報(ワンダーな情報)に反応するそうだ。

だから木材商品を目にした消費者に「おや、これはいままでになかった」と思わせる情報を付加することができれば、かなりの確率で動機づけが行われるはずだ。

と言っても、みんな同じ柱や板だからねえ、なんて言った途端に勝負から下りたようなものだ。

その表面加工の状態が他社とは違うとか、ほかにはない情報(たとえば産地でもいいし、ヤング率でも、林業家の顔写真でもいい。)が添えられていると気持ちが動く。

この「買いたい」という気持ちの後に、理性的な判断が下されるのである。

おそらく小沢一郎の取り巻きは、彼に接するとドーパミンが出ているのだろう。私は逆にノルアドレナリンが出るみたいだけどね。

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