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森と林業と田舎の本

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2010/09/07

「種火集落」と田舎移住

撤退の農村計画」、では、現在の過疎集落の撤退=もう少し便利な地方小都市への集落移転を提案している。そして残された土地は、農地や森林などの管理を取り上げている。しかし、それらは基本的に撤退後は無人の地となるのが前提だ。

一方で、「種火集落」の発想も提案していた。

種火とは、山里の文化・歴史を残す(引き継ぐ)種火だ。具体的には、移転せずに踏みとどまり、若い移住者を迎え入れることで存続をめざす。それもさみだれではなく、ある程度まとまった人数を迎えることで集落の文化を伝承する……という考え方だ。血縁ではなく、地縁社会である。

ここで語られている方法論は、移住者が集落の元からの人々とうまく溶け込むこと、いわば田舎暮らしのノウハウである。その組織論は、ドラッガーの「マネジメント」に通じるものがある。せめて『もしドラ』を読もう(~_~;)。(サイドバー参照のこと。)

実は、私も多くの田舎移住者を取材してきたから、よくこの問題を考えてきた。(いや、このところ、めっきり田舎暮らし系の仕事が来なくなった。もう編集部に忘れられたのだろうか?)

ともあれ私が見てきた田舎移住者から感じたノウハウをいうと、地元に溶け込める移住者は、まず何よりもおしゃべりであることだ。ただし主義主張を演説するのはおしゃべりではない。単なるおしゃべりがよい。あることないこと、自分のことをプライバシー意識せず、しゃべれる人(^o^)。偉そうに言えば、コミュニケーション能力の高い人だが、とりあえず相手のことを聞くより自分のことをしゃべる人の方が強いと思う。少なくても夫婦の片方がそうであることが条件である。

まあ、人それぞれ集落それぞれだから、いろいろなケースはあるが、情報を積極的に出すことは人と人のつながりに大切である。

ただ「種火集落」の考え方には、重大な問題点がある。移住者には、山里文化を引き継ぐため、という意識が極めて薄いことだ。第一に自分の生き方・生活のために移住するのであって、集落存続の使命を感じているわけではない。(最初から、そんな目的持って移住する人はいないだろうし、もしそんな目的で移住を企てている人だったら、逆に鬱陶しがられると思う。)
ただ、溶け込んで住めば、自然と土地の文化を身につけ結果的に継承することになるはずだ。

受け入れ側は、声高に集落存続、文化継承を訴えるのではなく、移住者がその土地で生きていくのなら、地元と溶け合う必要性があることを示さないといけない。それも義務というより、溶け込むことの楽しさとか、有利さなどを示すべきだろう。
さもないと、移住希望者にも敬遠される。移住してからでも、あまりに受け入れ側の思いが強すぎると、移住者には負担となり、それが元で関係が悪化するケースさえあるからである。

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コメント

「種火集落」は「(文化の)冷凍保存」ではなく、生きた博物館になってほしいと思っています。ので、表面的な技術だけでなく、その奥にある心理的なものも引き継いでほしい…と。ご指摘のように、「溶け込んで」が非常に重要だと考えています。

「種火集落」については、「文化に優劣をつける気か!」というご批判があります。わたしとしては、そのような意図はまったくないのですが…。実際、どのような手順で「種火集落」を決めるのか…が、非常に大きな課題です。

 人が生活して複数居住するから集落があるのか、はたまた集落があるから人はそこに住もうと思うのか。どちらなのでしょう。どっちでもいいような気もします。

 地方に行くとエコミュージアムなどと地域文化、観光施設、地域資源などを提供しつつ、振興していこうという取り組みもあるようですが、生活本体をアイテムにするのか。博物館的に。誰のために。

 生活は自分のためにするもの。生活そのものを博物館的展示をしてそれで金銭を得ている希少な例もあるかもしれませんが。また、言葉巧みにおしゃべりwして対価を得ている仕事をしている方もいらっしゃるかもしれませんが。

 移り住んでくる方も生活をするのですから。生活は金銭を得るための仕事だけではないですから。そんなこと思いました。

本を読んでいないので、的外れだったらごめんなさい。

鈴木さんより
>生活本体をアイテムにするのか。博物館的に。誰のために。

 私のところでも「村丸ごと生活博物館」というのをやっていますが、住んでいる人のために、住んでいる人がやることです。自分の生活を自慢して感心してもらえるし、小銭も入るし、なかなかいいですよ。
 金銭を得ているのも県内で多数あります。

>言葉巧みにおしゃべりwして対価を得ている仕事をしている方もいらっしゃるかもしれませんが。

ほとんどの仕事には、言葉巧みなおしゃべりが必要ではありませんか? コミュニケーション力の重要性は田中さんが常々書いておられる通りです。もっとも、例えば私が自分の実力や実績をちょっと大きめにしゃべることはよくあります。

もちろん、私の地区に住む人は必ず生活を自慢しましょう、ということを呼びかけているわけでもありません。好きな人が好きなことをやっているということです。種火も、なりたい人がなればいいと思いますが、その辺は本を読んでいないのであまり有効な意見を言えなくてごめんなさい。

瀬戸内海の弓削島からです。

ここも過疎が進行する島ですが、わりと元気な雰囲気がありますね。みんな島自慢が多い。

種火になるかどうかは、外部がきめるのではなく、移住者を受け入れても存続を願うかどうか、内情が決定するんだと思いますよ。

>種火になるかどうかは、外部がきめるのではなく、移住者を受け入れても存続を願うかどうか、内情が決定するんだと思いますよ。

はい。私もそう思います。
多分、林さんが仰っているのは、外部からの判断も場合によっては必要ということだとは思いますが。

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