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2010/09/26

一澤帆布と土倉家

お休みの日は、ちょいと軽い話題を。

京都の一澤帆布をご存じだろうか。船用の帆布を使ったカバンを製造して、非常に丈夫なことで人気を博し、もはやブランド品と言ってもよい。

もっとも、世間に広く知られたのは、相続争いである。3代目一澤信夫が亡くなった後、これまで仕事を継いでいた3男信三郎が跡を継ぐが、長男信太郎が「第2の遺言書」を持ち出して跡目を奪った事件である。その後、信三郎は、一澤信三郎帆布を立ち上げて、職人や取引先も支持したことからこちらも大人気となった。一方で裁判に次ぐ裁判が続き、結局は「第2の遺言書」は無効となり、一澤帆布も店を休業している。一方でまた別の裁判も起こされるなど、延々とトラブルは続くのだが……。(現在は、4男がまた別の店を出す。)

実は、一澤帆布の誕生には、土倉家が絡んでいるらしい。

そもそもは初代一澤喜兵衛が1905年に創業している。(それまでは「西洋洗濯」や「楽団KYOTO BAND」をやっていたらしい。これも謎)。

一澤帆布は、自転車のハンドルに掛ける道具袋からスタートして、職人用のカバンづくりを行ったようである。

ところが、山口昌男によると、もともと丈夫な帆布を利用してカバンを作る発想は、京都大学山岳部のアイデアらしい。山岳部で牛乳を運ぶ容器として自作していたのだ。

そこに登場するのが、土倉九三氏。彼は、土倉庄三郎の孫である。長男鶴松の後添えとの息子という血筋になるが、一時は「京都探検界の黒幕」とか呼ばれたらしい(笑)。実際、戦前は大興安嶺探検隊に参加したほか、モンゴルを放浪した探検家である。戦後もサハラ調査隊やブータン、ネパールなどにも出かけている。また今西錦司の門下でもあった。もっとも今西の晩年には袂を分かったそうだが……。

ともあれ、土倉九三氏は、初代一澤喜兵衛と昵懇で、山岳部で行われている帆布の使い道を教えたらしい。それが一澤カバンづくりへとつながったというのだ。その後二人は仲違いをしたらしいが……。30年くらいしてから、山口昌男は、無理やり二人を引き合わせて仲直りさせたという。

まあ、こんなエピソードは、土倉庄三郎と何の関係もないんだけど調べているうちに偶然発見したので、ここに書き留めておこう。

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