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森と林業と田舎の本

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2010/09/09

鞆ノ浦で見たもの

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鞆ノ浦
を訪れた。







広島県福山市の港町である。江戸時代までは、風待ち港として賑わったところだ。歴史的にもいろいろ登場するし、近年は「崖の上のポニョ」のロケハンをしたことで有名になった。ただ狭い道対策に湾岸を埋め立てる計画に賛否が問われている。本ブログでも、昨年の10月に宮崎駿の発言を中心に取り上げている。

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福山市の中心街から離れた田舎の港町だが、旧家の並ぶ路地が残り、観光客が多かった。団体客が路地をぞろぞろ歩く。またカメラをぶら下げた、私のような一人旅も目立つ。なるほど、騒ぎがむしろ気を呼んだのだ。

そして、観光客向きの店もたくさんあった。すでに観光に依存している経済になっているはずだ。

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ちなみに賛成派の看板やのぼりは、いたるところにある。



一方で、048_2一般の民家なのにこんな張り紙が。

どんな観光客が、どこに立ち入るのか。

で、私はここで出会った。

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龍馬に。

そう、鞆ノ浦は、龍馬とも関係があったのだ。海援隊のいろは丸が、紀州の船と衝突して沈没していたのである。その交渉に龍馬も滞在していたわけだ。写真は、龍馬が交渉中に潜んでいた隠れ部屋の龍馬。福山市に福山雅治の龍馬伝のポスターがベタベタ張っていたよ。

もっとも、私が訪れたテーマは龍馬じゃない。やはり、狭い道だ。

067_2 

たとえば、こんな道が問題になっているんだろうな。

車の行き交いが大変なのだ。

だが、私の印象は、ちょっと意外だった。というのは、「案外、道は広かった」のだ。

実は地元・生駒でも路地ばかり散策しているせいか、もっと狭い道を想像していた。生駒には、半端でない路地と坂道があるのだよ。ただ最近はバイパスも充実してきたので、沿線に住んでいる人以外は気づかない。

そういえば、その晩泊まった尾道だって,路地と坂道だらけの町並だ。また全国の離島などの港町などでも、もっと狭い道は多い。

ところが鞆ノ浦は、部分的には道を拡幅したところもあるし、とりあえず車が通れる道がある。もちろん、完全な路地も少なくないが。
一方で、すでに新しい建築物もかなり建っていて、江戸時代の港町を残す……というほどには感じなかった。これで世界遺産をめざすの? 

おそらく鞆ノ浦が問題になるのは、観光客など外からの訪問者が多いことではないか。だから、車もよく通るのである。

ただ観光客の歩く範囲は、そんなに広くない。

ここからは、たった一度の訪問者が「思いつき」の意見を述べることになるが、両者が折り合う部分は見つかるように思える。
観光客の多い中心部だけは手を付けず、周辺にバイパスを作れないか。海側を埋め立てるのではなく、山側(民家の裏側)を少し削ることはできないか。その新道路は、一方通行にして細いものでよいではないか。ようは、観光客の目に入る景観を守ればいいのだ。両者が、少しずつ譲れば……。

だが、実は、こうした発想は現地では受け入れられないだろう。なぜなら、「両者が少しずつ譲る」計画は、「両者とも満足しない」に通じて、両方が反対するからだ。合意形成はむしろ難しくなる。

どうやら広島の知事が交代したことで、埋め立て新道路建設は、ストップしたようだ。今後は誰が仲裁に入るかによるだろうな。

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