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2010/10/17

リーダーは本当に必要か

チリの鉱山落盤事故で、地下700mから33人全員が生還した。そこで注目されたのが、33人のリーダー格であるルイス・ウルスアさんである。彼の指導力なしに、70日に及んだ地下生活は送れなかったと称賛されている。

さらに彼がドラッガーの本の愛読者で、彼の組織をまとめる手法はドラッガーの「マネジメント」に基づいているとか紹介されていた。なるほど、と思わせる。たしかにウルスアさんは、優秀なリーダーの資質を持っていたのだろう。

それにしても、最近は日本の政界を含めて強力なリーダー、優秀なリーダーを求める声が高まっているように感じる。国だけでなく自治体や会社などの組織で、常にリーダーの存在が問われている。それは、よいリーダーのいない現状を嘆くことの裏返しだ。

しかし、本当にリーダーは必要なのだろうか

正確に言えば、事故事件発生時のような緊急事態、あるいは戦争のような状況の中では、リーダーは絶対に必要だし、その決断の方向性やスピードが組織全体の命運を左右すると思う。しかし、それは仕方なしだ。さまざまな異論を封印して、団結しなければならない事態だから、一人の強力なリーダーに進路を託すのだ。

だが、それ以外では?

話は変わるが、ニホンザル社会を知っているだろうか。

中心にボスザルがいて、周辺にメスや小サル、そして外縁部に若いオスザルがいる……。ボスザルは常に全体に目を配り、逆らう者や余計なことをする者を叱りつけ、ときに抑えつけ、また守っている……また次のボス争いも起きる。このように説明されている。つまりしっかりしたリーダーのいる社会だとされているのだ。

だが、このボスザルの統率する社会は、虚構であることが解明されたことは、意外と知られていない。
初期の研究者は、動物園のサル山や、餌付けして集めたサルの行動観察した。そこから導き出したサル社会だったのである。

その後、完全な野生サルの群れを追いかけて観察した結果、ボスザルはいないことがわかった。群れ自体も、融通無下に構成されており、誰かが全体を引っ張るという状況は存在しないというのだ。サルの一個体は、常に周辺の少数のサルとの関係で行動しており、それが「なんとなく」全体を動かすのだ。

ボスザルを生み出したのは、人為的に餌を供給した結果、その分配(分捕り)のため、個体の強弱が表出したためと思われる。

レベルは違うが、アリやハチの社会も同じようだ。女王蟻や女王蜂が巣全体を仕切るということはあり得ず、みんな勝手に本能のまま動いているらしい。だから、獲物を巣に運ぶ過程でも、みんな好き勝手に引っ張るものだから、かなり効率の悪い動かし方をしているという。決して共同作業しているのではないのだ。女王蟻や蜂は、むしろ働き蟻(蜂)の奴隷として飼われていると見るのが正しい、という研究者もいる。

脱線したが、人間社会でもリーダーを求めるのは、現代が常に緊急事態の連続であることを示しているのかもしれない。
また市民運動家は、問題解決にトップダウンを求めがちで、また組織内でも異論を出させない風潮が目立つなど、意外と権力指向なのも、運動自体に緊急事態的性格があるからだろうか。

しかし成熟した安定社会は、少数の指導者に自分を預ける姿が正しいとは思えない。個人レベルで考察し判断することで社会全体が動くべきである。
もちろん、それらをまとめるリーダーは必要だが、それは勇猛果敢に行動を決定し他人に強制する人物ではなく、あくまでまとめ役である。その決断は、全体の支持を得られるものでなくてはならない。大統領型ではなく、議長型とでも言えるだろう。

そういえば、江戸幕府も、後期に入ると集団指導制に移行していた。将軍は政務に口を出せず、老中は何人もいて、決して一人が政策を決めていたわけではない。筆頭老中とやらも年功序列で、あまり力がなかったらしい。大老が置かれた場合も、独断専行の力を持ったのは、井伊直弼くらいである。(本来の大老は名誉職)

現代日本の社会に、本当に強力なリーダーが必要か。そう問われると、私は否と応えたい。

異論を封殺して、みんな同じ方向に進むなんて真っ平。「黙ってついてこい!」は願い下げである。自分の思いと違う政策が実行される際も、「本当は反対だが、仕方ないな」と納得させるだけの「熟議」(^^;)を行ってもらいたい。

もちろん「熟議」は時間がかかる。グローバル社会では、決断の遅れが致命的ともいう。だが、素早い熟議を行う方法も模索すべきだし、独断専攻の結果、間違った方向に進むリスクをよく考えてもらいたい。民間会社ならともかく、自らの進む道を納得せずに進むのは禍根を残す。むしろ社会を減速させるべきではないか。

……と、こんなことを考えていたら、本日の朝日新聞にチリ落盤事故の当事者へのインタビューが載っていた。それによると、33人はウルスアさんを絶対のリーダーとして動いていたわけではなかった。なんでも多数決で決めており、「33人全員がリーダーだった」とさえ記されている。間違った行動も含めてみんなが右往左往する中、ウルスアさんは、自然にみんなのまとめ役になっていたのである。

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コメント

民主主義社会が成熟し、その長短を国民が熟知すると、直接民主制になる傾向があると言われていますよね。

時間と手間がかかり効率は悪いですが、長い議論をしているうちに不要になるものも多く出てくるので、本当に必要なものだけが生き残るシステムになる。

民度が高くて規模が小さくないとなかなか成立しないでしょうけれど。

サルの話にすごく納得です。
野生状態からみると、
サル山は緊急事態なのですね。

今って、もちろんほんとに緊急事態も
あると思うけれど、
緊急な雰囲気を匂わせている
漠然とした緊急事態もあるような。
(漠然とした緊急事態って変だけど。)

でも、これで不安がどんどん大きくなれば
緊急事態になるなあ。
(不安は、病気の素になりますし。)

規模の問題は感じます。比較的小規模だと、議論しても真っ当に進むのが、一定規模を越えた途端、破綻する……。

インターネットでも、SNSなどの小規模コミュニティなら和気あいあいとしているのが、人数が増えると必ず荒らしが行われる。同じくグローバル化が進む世界は、荒らしに相当する混沌が常に広がっていて、それが強力なリーダーを求めさせると考えることもできます。
荒らしというのは、ある程度意図的に行うもので、大きな組織には「漠然とした緊急事態」=荒らしを望む一群が存在するのでしょう。

ネットは直接民主制の武器だけど、その問題をいかにクリアするか。スイスくらいの規模でないと直接民主制は無理かもしれない。

強力なリーダーを求めるというのはある種、
衆愚の始まり(末なのかな?)だと思います。
各個々人が考えるのを放棄して、強力な一人
にまかせっきりにする。任された方は勘違い
して暴走する(こともあるとします)。
失敗したら個人、特定の団体に矛先を向けて
自分の責任を棚に上げる。
どれも、程度の問題ではありますがわかりや
すい方向に進みすぎのように思います。
田中さんの言う様に、本当に必要なのは「議
長」的なリーダーだと考えます。


考えてみると、「強力なリーダー」の力の源泉は、現代社会では周囲の人の支持なんですね。その支持が崩れたらリーダーシップが発揮できない。
反対者を蹴散らして全体をリードする指導者というのは、所詮短期的な状態なのです。

それも自分の意見を潰された側は、必ず恨みを持っていつか足を引っ張りますからね。営利事業ならなんとかなっても、自治や国政では持続できなくなる。

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