里山とは時間軸のシステム
COP10の場で日本の環境省が狙っているのは、SATOYAMAイニシアティブ。里山をSATOYAMAに変えて、人と自然の共生の象徴にしようとしている。
そして「SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ」で発足させた。参加したのは、各国政府のほか自治体、国際機関、NGO、そして企業も含めて51団体。また世界10数カ国で再発見した、伝統的な農林業による豊かな生態系を育んだ地域を紹介している。
まあ、これはいい。たしかに里山は、比較的人の営みと自然の営みが折り合ってきたところだ。ただ、理想的な空間とするのはどうかと思う。
というのも、里山が常に人と自然が折り合って理想的な状態が続いていたとは思えないかからだ。
日本の里山地域を歴史的に見ると、まず開墾して農地にしたものの、その後過剰利用が続いて土地は疲弊するケースが浮かび上がるからだ。そして放置されると萱場となり牛馬が放牧される。でも戦国時代が終わって馬を飼わなくなると、また雑木林が再生する。雑木林も調子に乗って使いすぎると、木が育たなくなる。その後は痩せた土に強い松が優占し……そんなことを繰り返している。明治以降は養蚕から桑を植えることでまた違った景観の里山となり、それが衰退し、松枯れが進み落葉樹が繁ったかと思うと、今度は誰も使わなくなったので照葉樹に変わりつつある。
ようするに、使いすぎて傷むと放置して、時間をかけて回復させ、また利用し始めて、また自然を劣化させて……という振幅が何度も繰り返されたのではないか。
今は、おそらく荒れた里山の自然が戦後の燃料革命などのおかげで回復して、もっともよい時代を少し過ぎた頃だろう。下り坂だが、まだ「よい里山」の名残がある時代。こんな感じで見ている。
実は、私は里山自体の定義を、このような振幅のあるシステムとして考えている。一つの定まった状態の自然ではなく、人と自然が歴史的にかかわり続けたシステムを里山と呼んだ方がわかりやすいと思う。
荒れた状態も、豊かになるのも、劣化するのも、みんな時間軸の中に持っているのが「里山」なのだ。おそらくそれは、パートナーシップを組んだ、世界の里山でも同じではないかと想像する。
里山という地域は、自然だけで定義するものではない。そして人の営みを加える必要がある。さらに、時間を通して里山という地域を捉えることが重要だ。さもないと、結局誤解と失望を生むだろう。
今では、里山の農林業生産力はすっかり落ちてしまった。雑木林や棚田などで生産される食料および木質産物(木材のほか木炭や腐葉土まで)は、全体の微々たる量だ。とても食料危機、エネルギー危機の際には役立たない(^^;)。
だが、いつの日か、里山に新たな価値が生まれて、それが新たな「人と自然の折り合い」を作り出すことがあるかもね。
そうそう、「里山=システム説」を唱えた拙著『里山再生』に加筆したうえで新版として出版する話が持ち込まれている。乞う、ご期待。
« COP10の目的って何? | トップページ | 娘のクラフト体験 »
「森林学・モノローグ」カテゴリの記事
- 仁徳天皇陵墳丘の植生(2025.03.09)
- 街路樹の寄せ植え(2025.02.27)
- 自然尊厳法人~自然に法的な人格を(2025.03.03)
- 再造林すればいい、のか(2025.02.24)
- 橿原神宮外苑の森(2025.02.23)
いや~やっぱり「日本熊〇協会」など、来ましたよ
COP10!TVでも全国ニュースですわ(爆)
「熊を救え!」とプラカードを掲げ、国際ルールの
ガチンコ会議中のCOP10会場周辺で活動。
まあ、TVは「ビジュアル」や「判り易さ」が基準
なので、やっぱり協会の思惑通り、釣られています
(^^;)
熊〇協会や、環境保護や動物保護の方々は、私は
あまりの近視眼的なPRが気になり、引いて見ている
のですが、里山も「一代限り」の視点がまかり
通っているなど、田中さんのこの記事で判ります。
なんか、いつも「昭和」や「昔はよかった」的な
主張というのも、ああいった団体への「おいおい~
(^^;)」と突っ込みしてしまうのですがね。
(^^;)
投稿: 元関西の山の中に居た者 | 2010/10/27 20:44
田中さま、お久しぶりですm(_ _)m
最も関心のある内容でしたので投稿させて頂きます。
私も同様に「時間を通して里山という地域を捉えることが重要」である
と学生時代から主張をしてきましたが、(研究者も含め)世間での関心
は余りにも低いのでは、と感じています。
先週末、名古屋に出張って件のフェアに参加してきました。
国連大学のブースで「日本の里山・里海評価(JSSA)」報告書を頂き
読んでみると、特に問題としていたのは劇的変化を辿った過去50年
(1960年代以降)の「歴史」でした。
報告書では里山の概念を17世紀と定義して、その根拠を(何故か)
1661年(←諸国山川掟?)や「木曽御材木方」としていましたが…。
日本が本気で「SATOYAMAイニシアティブ」を各国に薦めるならば、
その「歴史」が示す功罪、正負、清濁を併せるべきでしょうね。
例えば、里山を舞台にした「山論・水論」の歴史を紹介して「共有地
(資源)の悲劇」を内外に理解してもらうことも重要であると思います。
(例:武蔵野のような採草入会地での新田開発による影響)
投稿: 新井 克志 | 2010/10/27 22:39
皆さん、COP10には注目されているんですね。
私も、現地取材に行こうかと思ったりもしたのですが、そして行くなら手配するというお声がかりもあったのですが、結局仕事としての依頼もなかったし(^^;)、パスしてしまいました。
どうも生物多様性論議と、森林林業論議は近いところにあるようで違う世界みたいな気がします。
とりあえずSATOYAMAイニシアティブの進展を見守っておきましょう。
投稿: 田中淳夫 | 2010/10/28 11:54