「大魔神の精神史」を読む
日曜日に、うだうだ論じるのも疲れるので、先日読んだこんな本の紹介。ただし、書評じゃないよ。
この本のタイトル、本屋で見かけたとき、なんかくすぐるものがあるので、購入した。
大映の映画「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」の三部作を論じたもの。
たしかに映画「大魔神」は好きだった。大人になってからもビデオで見ている。だが、この映画そのものは、1966年のたった1年間で3作も作られた、いわば粗製濫造?的映画なのである。しかも、その後はパッタリと打ち切られて作られることはなかった。
にもかかわらず、今に至るまでその名が忘れられることはなかった。それどころか、その変身シーンはコントにも使われ、野球選手の愛称になり、最近では「大魔神カノン」という、よくわからない番組まで作られている。
ただ本著は、映画が作られた背景を語る部分はあるにしろ、実は文字どおり「精神史」を論じている。大魔神は古代のアラカツマであり、ダイダラポッチとの関わりを語り、日本の神話世界を訴え……ここまで深読みするか! という代物であった(笑)。
ただ私には、「山の世界」を舞台にしているという点で魅かれた。
この映画は、ガメラやゴジラ全盛の時代に、舞台を戦国時代に移し、怪獣ならぬ巨大石像の怪物を持ち出した点では斬新だ。
大魔神そのものは、背の高さ4,5mとさほど大きくない。しかも3部とも別の話で連作でもなかった。だが、共通なのは、山里が舞台で、農民は登場しないこと。しかも作られた年代は、高度経済成長が始まったばかりで、まだその前の山村の姿を映している。
まあ、山里の民の仕事は、鉱山などで林業的なものは描かれていないが、なかなか平地の民ではない生活が再現されていたように思う。その点からも、類似作はないように思う。
また、DVDで見直そうかな。
« 森林の仕事ガイダンス2010 | トップページ | ナラ枯れは、なぜ問題? »
「書評・番組評・反響」カテゴリの記事
- イオンモールの喜久屋書店(2025.02.20)
- 『日本の森林』に書かれていること(2025.02.19)
- 盗伐問題の記事に思う(2025.02.03)
- 『看取られる神社』考(2025.02.02)
- 『敵』と『モリのいる場所』から描く晩年(2025.01.25)
コメント