就森集会から帰宅したぜよ!
水俣・愛林館の「就森者大集合!」から帰宅した。
結構、ヘロヘロなのだが、すぐにやったのが、「龍馬伝」最終回を見ること(^o^)。
まっこと、日本の将来を変えるには、こんな役割を果たす人々が必要だったのだろう。
という気分になって、就森集会を振り返る。
そう、11月27日こそ、「就森」が世に出た日として記憶しよう。
就森の思想が、日本の将来の進む方向を示し、就森のスタイルが、社会を変革する一歩となる気概をもたねばならんぜよ!
……と、お酒も飲んでいないのに、気分は大きい(笑)。
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就森誕生の宴は、
そりゃあ盛大なもんだった(そうな)。
何はともあれ、お疲れさまでした。
投稿: 熊(♀) | 2010/11/28 23:31
きっと伝説になり、いつかは神話となり、いつしか民話として語り継がれるでしょう……。
年末は猫森集会に行きます。
投稿: 田中淳夫 | 2010/11/28 23:45
お帰りなさい~
充実の3日間だったようで何よりです!!
田中さんと九州の友人達(本当は川辺川関係よびたいがぐっと我慢)が知り合ってゆく様がとても嬉しいです。
ばんちゃんは経歴が田中さんと似ているし、沢畑さんは川辺川系のMLで読むたびに田中さんと話が合いそうだなぁと思ってたので、当然と言えば当然の成り行きのような気がします。
また、沢畑さんと言えば・・・「どっちの料理ショー」での水俣産タマネギの扱いについて書いた文章を、fadvenに転載させてもらったのが一番最初の接点でした。
お二人とも覚えているかな?
fadvenとはniftyのパソ通フォーラムで、その中の19番会議室のボードオペが田中さんでした。
「緑のダム」についてはエライ騒ぎで盛り上がり、よその環境系フォーラムでも話題になるほどでした。
投稿: KOKO | 2010/11/29 00:09
沢畑さんとの関わりは、そんな経緯でしたっけねえ。
なんか、取材に行ったり講演に呼ばれたりで、最初のきっかけはわからなくなっていたのでした(笑)。
投稿: 田中淳夫 | 2010/11/29 09:30
打ち上げが遅かったので、お疲れだったことと思います。今回はどうもありがとうございました。
田中さんを初めて知ったのは、水俣で田中さんを県庁が呼んで講演会が行われたのがきっかけだったと思います。それで「伐って燃やせば森は守れる」を読んで以来、著作は全部(ごめんなさい、生駒山はまだでした)読んでおります。愛林館においでになるのも3回目ではなかったでしょうか。
KOKOさんは川辺川のMLで文章を読んでいましたが、初めてお会いしたのは川べりではなかったかと思います。家庭料理大集合に来ていただいたこともありましたね。今回は会議に参加できず残念でした。KOKOさんの参加動機は意外なものでしたが、当方は動機は問いません。
今回は歴史的な就森者大集合でした。参加の皆さんは歴史の目撃者となることでしょう。
投稿: 沢畑@懐旧 | 2010/11/29 20:36
ああ、講演が先でしたか。
実は、愛林館そのものは、「現代林業」の記事などで読んでいたので知っていたのですよ。
そこにKOKOさん情報が重なったのかな。
2度目は鹿児島空港からレンタカーで訪れたのでした。闇夜に棚田の最奥部から急坂を自転車で下った思い出もこの時でした(^^;)。
投稿: 田中淳夫 | 2010/11/29 21:41
沢畑さんと川辺川で初めてお会いしたのは9年前で、よくおぼえておりまする。
「ビールは瓶ビール(大)で飲むよう」とキャンプ仲間に勧めていらっしゃいました。
fadvenへの転載や了承取りはNさんがしてくれたので、沢畑さんご本人はよく知らないままだったかもしれませんね。
そのときに田中さんより、沢畑館長がいかに大物であるかを教えてもらったのです。
それまで沢畑さんのことを、やたら文章が面白くて、カレーの宣伝も忘れないレストランの店長さんだと思ってたものですから。
それが13年ほど前のことでしょうか・・・
行けなかったけど、今回の参加動機はもちろん有意義な話に参加したかったからであります。
投稿: KOKO | 2010/11/30 14:28