土倉翁の「隠居坂」
本日、来春出版予定の本の原稿を書き上げて出版社に送った。
これは、『いま里山が必要な理由』とは別の、もろガチガチの林業本。まだタイトルは付けていない。まだまだ出版までにはいくつもの工程があるので、これで完成、私の手を離れた、というものではないが、とりあえず本年までに書き上げられたのでホッと一息である。
そこで、というわけではないが、もう一つの課題である土倉庄三郎翁についてのご報告。
以前は、あれほど土倉翁について触れて、いかにも調べていますよ~書きますよ~という雰囲気を漂わせていたのに、すっかり落ち着いた(~_~;)。
まあ、次々と別の火急の仕事が入ってくるのでストップせざるを得なかった、というのが実情だが、まったく動かなかったわけではない。それなりに調査は続けている。
そこで、今年最後の土倉ネタを。
隠居坂と呼ぶそうだ。
土倉家は、現在の国道169号線沿いの大滝郵便局のあるところに屋敷を構えていたが、それとは別に大滝の高台に離邸を建てたという。そして、隠居後は、そちらに住んだとも伝えられている。
で、その本家と離邸の間を結ぶ道が、この隠居坂なのである。
年を取ってから高台に住むというのは、今のバリアフリー的発想からはおかしいのだが(^^;)、当時のお年寄りは元気に坂道を昇ったのか、それとも人力車などを使えたのか。
この道、今はコンクリート舗装されているが、当時は石畳でも敷いていたのだろうか。
庄三郎翁が病に寝込むと、この坂には、むしろが敷きつめられたという。坂道を下駄で歩くと、カラカラと音がするからだ。それが床に伏した翁にはうるさいだろうと配慮して、音のせぬようむしろを敷いたというのである。
当時、土倉家はかなりの財産を失っていたが、それでも大滝にとっては大事なお館様だったことの証かもしれない。
もう一つ、オマケ的な資料も公開しよう。
実は、土倉庄三郎の子息のうち、三郎と四郎に関しては、資料が少なく、あまり足跡がわからない。その中で、こうした写真が見つかったことは、結構貴重なのである。
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