「森林の時間、社会の時間」講演会
昨日、京都で「森林の時間、社会の時間」という公開講演会があった。
サブテーマは「長い時間をかけて育っていく森林と、目まぐるしく変化する社会の関係について、少し立ち止まって考えてみましょう」。
主催は、森林総合研究所関西支所。ようするに、研究発表である。その割にはオシャレなタイトルだが、内容は地味~で、会場の聴衆も少なめであった(^^;)。
実は、同じ日時で大阪では「木のまち・木のいえリレーフォーラム」というのがあったのだが、なんだか押しつけがましい伝統構法だとかの木の家を売り込むフォーラムみたいな気がして、こちらを選んだ(^^;)。
だから比べたわけではないが、こちらを選んで大正解。非常に面白かった。
せっかくだから、プログラムを紹介しておこう。
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趣旨説明
(講演)
1.森林と施業 -80年に及ぶ人工林の長期モニタリング-
2.森林と地域 -沖縄やんばるの森と地域の歴史的関わり-
3.森林と投資 -日本国内で見られる最近の動き-
4.森林と産業 -日本と世界の経験から考える-
質疑応答
ここでいう「森林の時間、社会の時間」とは、4つのテーマに沿っている。
案内文によると、
「人の管理の有無(間伐・無間伐)による収穫量の違い」、
「沖縄やんばるの森でみた森林と地域との歴史的関わり」、
「木材価格の低迷から林業経営が成り立たない時代における新たな森林投資の現状」、
「近年の世界と日本の森林事情からみた森林と産業の関係変化」
の4つの視点から話題提供します。
とある。
いずれも、自然の変化と人間の社会活動両者の時間の尺度の違いがもたらす齟齬が隠れたテーマになっているように思えた。この問題意識は、まさに私が今抱えているものなんだよなあ。
1番目は、樹木の生長に関する時間。88年間も調査し続けてきた人工林があることが自慢だが、人間の尺度では長すぎて調査結果をすぐに反映できない。
間伐した方が林分全体の生長量が増すよ、という、ある意味当たり前の結果。でも、同一面積に育つバイオマス量は基本的に同じはずだから、結局は人間の利用する木材は、というのが前提になるのか。
2番目は、人の歴史的な時間。なぜ沖縄を舞台に? と思ったが、日本列島の縮図になっているのは面白い。もっとも森林を荒らしたのは、明治時代とのことだが、これも全国に通用するだろう。
昔は、人力ゆえに守られた奥山が戦後の機械化で急速に破壊されたことになる。そして近年の「放置」によって回復してきた点などは、本土にも通じる皮肉だ。
私は国頭村やんばるには幾度か訪れて、同じような話を聞いていた。話の中に登場する人々も、知っている人のようだ。
また3番では、投資に関わる未来の時間がテーマ。3つの森林への投資例を紹介しているが、みんな知ってる(^^;)。
とくに5年間で1万ヘクタール以上の森林を取得したA社については、もっと突っ込んでほしかったよ。この会社こそ、もっとも現代の森林投資の参考になると思っている。いろいろ裏事情も聞いているからなあ。
B社は誰もが知っている自動車メーカー。経常利益の0,05%ほど使いましたとさ。
C社は投資ファントだけど、リーマンショックで原資を減らしたそうだから、そのうち破綻するんじゃないか。
ところで、AB両社の森林取得元である島津山林や諸戸林産(だったっけ)ともに明治に入って林業を始めたという。歴史的にたいした昔ではない。それを100年後に売り払ったといっても、驚くほどのことではない。だから「かつては長く所有していた森林を、現代は短期間になった」という見立ては成立しないんではないか。今も昔も、ほかの業界で稼いだ人が、山に投資する、そして転売するという構造なのだ。
ちなみに質疑の際だけど、案の定「外資が日本の森を」の件に関して、質問が出た。そこで実際に森を購入した中国人の言葉として「だって、景色がいいじゃないか」だったそうだ。これが一番、正解に近いと思うぜ。
そして4番は、グローバル化の進む世界経済に対峙する日本の林業の時間……というヨーロッパ型林業に近づこうとする現代日本の姿を描きつつも、その危なっかしさを紹介している。森林林業再生プランについての意見が聞きたかったね。はっきり「ダメでしょ!」と言わないのは、独立行政法人の限界か(笑)。
どうせ森林純収益説と土地純収益説を登場させたのだったら、恒続林思想にも触れてほしかったね(^o^)。
全体として面白かったけど、やっぱり結論はないんだな。
林業を営む根本原理までたどり着けないもどかしさがある。
コツコツ考えるしかないのか。
最後にあった
「 なぜ、人は森林を所有し続けるのか?
なぜ、人は木を植えるのか? 」
という命題の答がほしい。
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某研究所さんは、きちんと取材にも来ましたし、しっかりM県まで出張して実際の山も見ていかれました。まあ知ってしまったが故に言えないこともあったのかも。と、好意的な解釈をしてみる。
投稿: kao | 2010/12/11 01:19
そうですか、十津川ではなくM県まで。お金あるなあ(笑)。
でも結論は、3例とも長期保有は不確定である、だったのです。
森林所有のビジネスモデルか、あるいは歴史モデルを描いてほしかった。
投稿: 田中淳夫 | 2010/12/11 01:47
田中様
こちらのコメント欄に書くことではないですが、郡上わりばしプロジェクトのHPを開設しました。
まだまだシステム的に誰も雇えない貧弱な組織ですが、あきらめず、何か道を探しだしたいとと思っています。
http://gujowaribashi.jimdo.com/
投稿: つうくん | 2010/12/11 09:49
頑張っていますね。期待していますよ。
輸入割り箸も変革期を迎えているようです。
投稿: 田中淳夫 | 2010/12/11 20:50
田中さぁぁん (^_^;) なんと、お人の悪い・・f(^ー^;
ご来場ありがとうございます.また、詳細なレポートありがとうございます
えーとですね・・・
>内容は地味~で、会場の聴衆も少なめで
はい、定員360名のホールに、百数十名でした(__;) もうちょっと小さいホールが空いてなかったらしいです
>はっきり「ダメでしょ!」と言わないのは・・・
はい、(公式には)限界です (^_^; 独り言なら、いくらでも・・・
>最後にあった「なぜ、・・・? 」という命題の答がほしい。
はい、リハーサルやったときの、私から縁者へのツッコミと同じです
いずれにしても「司会がヘボだった」と書かれなくてよかったです(^_^;)
また、よろしくお願いいたしますです
投稿: とり | 2010/12/12 16:53
とりさん、司会で頑張っておられるのを拝見しました(^o^)。
声をかけようかと思わないでもなかったのですが、その時点でブログに書くことを想定していたので、ご遠慮申し上げました(⌒ー⌒)。
リハーサルまでしていたんですね。
参加者は研究者や学生が多い印象でしたが、もっと一般人に聞いてもらって、命題について考えてもらいたいですね。
投稿: 田中淳夫 | 2010/12/12 21:16
なぜ、人は木を植えるのか?
知り合いの生産森林組合の大先輩から山への思いを伺った事があるのですが、先人が現在の人の為に木を植えてきたように後人の為に木を植える事は、後人から借りた山を元に返しているだけだそうで、森林は現在の人間よりも未来の人間の為にあるそうです。
皆伐→新植などせずに間伐→間伐でつないでいったほうが補助金との兼ね合いからコスト的に有利かもしれないが結局は立木という財産を徐々に食いつぶしているだけだとも。
だから皆伐して新植するのだそうです。
僕は話を伺っていて返す言葉を見つける事が出来ませんでしたが、想像すら出来ない60年先の子孫の為に思いを込めた熱い話でした。
投稿: 林家森平 | 2010/12/12 23:52
林家さま。
未来の人間のために。
とは、いいお話ですね。
投稿: 熊(♀) | 2010/12/13 19:38
> なぜ、人は木を植えるのか?
一昨年の「第13回森林と市民を結ぶ全国の集い」で、大分県中津江村の林業家田島氏は「ダンディズム」と言っていました。
私は「楽しいから」。就森より趣味森に近い感じもしますが、世論形成の手段としてもなかなか有効、という意味まで含めての楽しさです。
私の場合は林業ではなくて森づくりをしているので、余計に楽しいのかもしれません。
投稿: | 2010/12/13 22:18
今伐っている木は、過去のご先祖様が植えた木です。だから、未来の人に引き継ぐために今植える。
そして「ダンディズム」も含めて、森をつくる人はカッコいいのです。
みんな正しい「木を植える理由」でしょう。もっともっと、理由を集めたい。
投稿: 田中淳夫 | 2010/12/13 22:36
すみません、上の上は私でした。
投稿: 沢畑 | 2010/12/13 22:48