修羅と木馬
このところ、古い林業づいている(その割には腐している(^^;)が、そこでの以前からの疑問。
木馬は度々紹介してきたが、修羅は知っているだろうか。
林業でいう修羅は、丸太で作った滑り台みたいなものだ。伐採した木を使って、山の斜面に設置して、その上をさらに丸太を滑らせて下に落とす。ようするに搬出手段である。その伐採地の原木を落とし終わったら、修羅も分解して、上から下に落とす。搬出すべき原木そのものを使って搬出装置をつくるわけだ。なかなか合理的だ。
これで山から谷に下ろすと、そこから木馬を使ったり管流し(川を1本ずつ流す)こともあったに違いない。
いつ誕生したのかわからない。おそらく江戸期だろう。今も、ごく一部で使われていると聞いたことがある。また復元も行われているようだ。
こんなニュースもある。高知県で再現したらしい。
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=270045&nwIW=1&nwVt=knd
こんな図もあった。
http://www.woodfan.biz/f-7.htm
一方で、プラスチック系の材料で設置して修羅代わりにする方法も模索されている。簡単で技術もあまり要らない。小さいので運べるのは薪利用の雑木くらいになるが。
これは、滋賀県某所(笑)で行った実験風景。
だが、ここで疑問があるのだ。おそらく、考古学や古代史に詳しい人なら気づくだろう。
そう、古代の木材運搬用に「修羅」という名の道具が使われていたのである。ところが、形状がまったく違う。それは、「橇」だったのである。その写真を探すと、こんなものが見つかった。
大阪の藤井寺で出土した木橇だ。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/9,1075,98,145.html
http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/10hitugi/hukugen2.html
運んだのは、大岩などが主だったように記されているが、当然原木も対象だったろう。いや、量的には木材がかなりあったと推測する。建築材の主流は木材だからだ。
だが、よく見てほしい。この形状、仕組みは、ほとんど木馬ではないか。
古代は、橇の下に丸太を敷いてコロにしたとあるが、木馬道はコロではないにしろ、横木を並べて滑りやすくしている。
いつのまに、修羅が橇から滑り台に変わり、木橇が木馬という名になったのか。木馬そのものの登場は明治に入ってからのようだが、すでに修羅という名は滑り台に奪われた(^^;)から新しい名を考えたのか…。
そんな疑問を持っているのである。
誰か、ヒントをご教示くだされ。
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これは、全くの推測ですが、考古学では 修羅 、林業の現場では 木馬 と呼称したのではないでしょうか?
つまり、両者に決定的な違いはなく、それを見ている人の立場に違いがあるのかと思います。
投稿: 中村和彦 | 2011/01/27 19:18
たしかに林業関係者は、古代の「修羅」を知らなかった可能性もあります。でも開発した木馬は、1000年前と同じ形状だったのかも…。
とはいえ、滑り台の「修羅」の命名に謎が残りますなあ。
投稿: 田中淳夫 | 2011/01/27 23:34
修羅はソリではなく、林業では滑り台なのですね。
手元に「吉野川流域の伐出技術」というのがありました。
傾斜がきつい所などでは、桟手(サデ)というのも造るんですね。
その材料により、柴桟手、ハゼ桟手(タンバ桟手)、ナル桟手など。しかし、形状は滑り台の修羅と類似。
なぜ、敷き詰める材料に大きな丸太を使うと「修羅」となるのかも不思議ですね。「太桟手」「丸太桟手」でいいような。
投稿: hal+ | 2011/01/29 18:22
桟手という言葉もありましね。
そうか、修羅や木馬だけで論じるから袋小路に入る。もっと林業用語全体を眺めないといけないかもしれない。
謎は謎を呼ぶ……(笑)。
投稿: 田中淳夫 | 2011/01/29 23:55