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2011年2月

2011/02/28

いま「林業」が必要な理由

理由シリーズか?

林業は、本当に必要なのか、だとしたら、それはなぜなのか。

チュニジア、エジプトと長期独裁政権が倒れ、今リビアも倒れようとしていることを思うと、長期に変化を拒むと末路は哀れなものだと感じさせられる。その点、日本は毎年首相が変わる。国民が、ああこの首相はダメと思った(世論調査)途端に退任を余儀なくさせられる。なんて、素晴らしい民主国家なのだろう。

ということはさておき。古くて、変革を拒みがちな林業の存在理由は何か、考えてみたい。

林業とは何かと問えば、現在では主に木材の産出である。そして存在理由とは、人間社会が木材を欲しているから、それを得るために林業は必要だということになる。

それはその通りであるが、前回も考察したとおり、木材に変わるマテリアルはいっぱいあって、必ずしも絶対必要とまでは言えない。木の優位性は揺らいでいるのだ。それだけをレゾンデートルにするのは危険かもしれない。

が、木材だけに絞る必要はない。林床の草が産物になることもあれば、きのこ類の栽培も行う。木材と言っても、薪から始まる木質エネルギーかもしれない。

つまり、林業とは森林から何らかの産物を採取する産業ということになるだろう。そして森から収穫することは、もしかして人類が誕生してからずっと行ってきたことではないだろうか。

と、ここで大きく飛躍して人類史を考えてみよう。

なぜなら、人類は森から生まれたとされているからだ。いや、正確にはサルは森から生まれた
学説によれば、立体的で、食物となる果実や葉がたっぷりあり、敵がほとんどいない森の出現は、原始的霊長類を高等霊長類へと進化させた。生息域を樹幹層全体に広げ、しかも立体視できる視覚能力を身につけさせ、それが知能の発達へと導いた。

ところが、約1000万年前から気候の変動によって森林の減退が始まった。生息域を狭められかけたサルは、そこで森林後の草原へ進出する。それが二足歩行を生み出し、狩りをするサル、群れを作るサルを登場させ……とうとう類人猿を生み出し、さらに人類(猿人)へと進化の駒を進めるのである。

だからサル→人類は、最初、森林とは食料の調達する場所だったわけで、これこそが林業の始まりだったかもしれない。やがて樹木(木材)から道具を作ることを覚え、草原で発達した猿人は、再び森林へと再進出する者も現れる。

そしていつの頃から「火」を覚えて、燃料としての木、そして燃料調達としての林業を育て始める……。

このように考察(こじつけ?)すると、人類最古の生業こそが林業ということになる。おそらく植物を栽培する農業より古い営みであることは間違いない。

もしかしたら、林業を守りたいと思う心は、人類の出現に関わる記憶のなせる技かもしれない……(スゴイ、大風呂敷だ)。

2011/02/27

『いま里山が必要な理由』書評2点

洋泉社より届いた封筒には、2つの新聞が入っていた。

環境新聞公明新聞

業界紙に政党機関誌と、どちらもマニアック?マイナー? な新聞だが、ここに拙著『いま里山が必要な理由』の書評が掲載されたのだ。

こちらが「環境新聞2月23日」

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旧あとがきに記した「利用する里山」と「ボランティアの里山」の違いについて触れた点に注目している。

実は、この「風景」論は、その後「森林美学」的発想につながるのである。美しい景観が人々の心に与える影響と、「美しさ」という感情を喚起する中に何が秘められているのかが、問うていかねばならない。

「公明新聞2月21日」は、塩野米松の執筆。

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これが面白い。いや、読んでみるとわかるのだが、本のことはあまり触れていない(~_~;)

それどころか、「里山」という言葉が流行りだしたことを警戒せねばならない、と記す。言葉の意味が曖昧だと、進路を誤る原因になるというのだ。

まあ、私の里山という言葉は曖昧なんだけどね(~_~;)。なんたって、アマゾンやボルネオのジャングルまで里山であり、海辺の里海まで含んでいる。






とりあえず、増補版なのに、書評に取り上げられることに感謝。そうそう、もうすぐ農業共済新聞にも載ります。

2011/02/26

トコトンハテナで割り箸事情

やはり告知しておこう。

明日、午後6時半からテレビ東京系の「トコトンハテナ」という番組で、割り箸を取り上げます。私は割り箸評論家として出演しています(笑)。

コウ見えても私は謙虚なので(~_~;)、自分の登場する番組をお知らせするのは苦手なのだが、テーマが割り箸だけに本ブログに多い割り箸ファンの方には見ていただきたい。

なぜなら、今回は割り箸テーマと言っても、割り箸は環境にいい?悪い? といったありがちな話題にとどまらず現状を伝えているからだ。

具体的には、ここ数年で3割も使用量が落ち込んだこと。その大きな理由として、樹脂箸の普及があること。そして割り箸と樹脂箸のどちらが環境にいいか、ということまで踏み込んでいることだ。スタジオでは両箸によるうどんの食べ比べを行った。また樹脂箸を洗う手間を調べたり、割り箸製造まで踏み込んでいる。またワリバシカンパニーの間伐材割り箸の製造も取材されている。おそらくテレビ初の切り口になっているはずだ。

割り箸事情を知るには、かなり有用な番組になっていると信じる。(私、編集された番組は見ていないけど。)

ま、そこで私がどんな振る舞いをしたか、何を口走ったか、という点は気にしないで見てください。(私、覚えていないというか,忘れたい笑。)

テレビ東京ネットは6局と少ない(私の住む奈良でも見られない)けど、ケーブルテレビなどでは見られるところも多いようだ。ぜひ、裏番組をぶっ飛ばしてほしい。(天下無敵の「サザエさん」だけど。)

ああ、スタジオ・セットにも注目してね。

2011/02/25

いま「木」が必要な理由

自著のタイトルをもじるようになったらオシマイかもしれないが……。

最近、気に入っているCMは「贅沢微糖」。とくに、大森南朋さんの、このシリーズ。

あるシンポジウムで、壇上でエキサイトしているパネリストのテリー伊藤さんら。
「言いわけばっかりじゃないですか。改革するって言ったんだから、今すぐ改革してくださいよ!」
それに対して、真っ向から反論する討論相手。
そこに突然「ぜいたく言うな!」という声が。
「色んなことがこんがらがってこうなっているんだから、今すぐはムリだ!改革すればしたで、それを批判するくせに。ぜいたく言うな!」

なんとなく、今の民主党政権が言いたがっている本音みたい(^o^)。

本当に現代社会は、いろいろなことがこんがらがっている。コチラを立てればアチラが立たず。それだけの覚悟を持った上でないと、何も始められない。

たとえば国産材を振興したら、これまで外材を提供してきた国との貿易が落ち込むかもしれない。林業をさかんにしすぎたら、山の動物が困るかもしれない。皆が嫌う原子力発電を止めたら、電力供給だけでなく、雇用が落ち込み地域が疲弊するかもしれない。裏金や汚職を根絶したら、夜の繁華街が壊滅するかもしれない……。

本当は、その根源を一つ一つ見極めないといけないのだけど、みんな目先の改革という名の変化を求めているだけ。その変化が、本当に必要なものか考えなくなっている。

そんでもって、このブログで森林のことや林業のことや地域のことなどを書き散らしてきたが、一体何を求めているのか、必要なのか、改めて振り返ってみようと思う。

実際、森林とか林業というのは、非常に裾野が広くて、こんがらがる要素はたっぷりある。産業だけ、自然だけ、山村社会だけを見ていては、全体像がつかめない。仕事も森づくりだけ、伐採だけ、搬出だけ、製材だけ……ではいけない。きっと誤解する。

それで原点に帰ってみようと思う。

まず「木」、つまり木材は、人間にとって本当に必要なのか。

そう考えると、木材という素材は、いくらでも代わりがある。仮に建材として考えると、寸法と強度が同じかそれ以上で、重量や耐震・耐火、何をとっても木材より優秀な素材はいくらでもある。商品として求められる安定供給とか、耐久度、加工しやすさ、価格、リサイクル性なども同じ。
見た目がいいと言われても、実は見た目がまったく区別がつかないほどそっくりの木目を印刷した新建材だってある。

自然素材としての価値を見出したい人もいるだろうが、では布がある、漆喰がある。だいたい自然素材と言っても、自分が目にした森林から取り出すことはほとんどなくて、海の向こうの見知らぬ森から伐りだされた木が大半なのだ。

もちろん、木材の優秀な点もチラホラある。とくに水との親和性がよく、人が触ってもべとつかないとか冷たすぎず、熱すぎることもない。これは木材以外では難しい。

だが、それが決定的な木の優位性にはならないだろう。

結局、木の良さは、人々の抱く幻想ではないか……。そんなことを考えてしまった。しかし、その幻想を持つ根源はなんなのか。そこには木を木繊維の集まりとは見ず、樹木の一部と感じ取る人の心があるように思う。命を感じる、なんていうとイヤらしいかもしれないが。

ただ少なくても、木材はあらゆる素材の中で絶対にいい、なんて思い上がらず、木材もいいよ、私は好きだけどな、程度の謙虚さを持ちつつ、世間に勧めたい。

2011/02/24

『いま里山』が模試に使われる理由……

タイトル、全然意味ありませんm(_ _)m。

この季節、入試や模試、問題集の編集が進んでいるらしく、そこに私の著作の文章を使いたい旨の連絡がたくさん寄せられる。著作物掲載許諾が必要だからである。

以前は、私の文章が国語の問題に? それって私の文章が教科書的ってこと? とかひねくれていた(~_~;)のだが、今は素直に喜んでいる。そして、たいてい速攻で許可の返信をする。先延ばしして溜めておくと、机の上の書類に埋もれてしまい、期日をすぎてしまうことがあったからだ。

で、今日も届いた。これから国語の模試の素材に使いたいという。会員限定サイトでも公開するらしい。

もちろん、異存はない。で、何を使うかと思って確認したら、なんと『いま里山が必要な理由』だった。

ひええ、1月に発売したばかりの自著をさっそく使用していただけるのでありますか。

もしかして、前作の『里山再生』を使った問題を、今度タイトル変わったからそれに合わせるの?とも邪推したが、問題自体をこれから作るらしいから、そうでもないのだろう。

有り難いことである。

模試を受ける予定のある方は、ぜひ1冊(⌒ー⌒)。

もちろん,どこの何という模試か(何年生向きか)、いつ使われるか、そしてどの文章をどんな問題にするかなんてのは、絶対ヒミツだよ(^o^)。

2011/02/23

生駒山のナラ枯れ防止策

今日は、生駒山の活性化についての打ち合わせ。今度、また新たな研究会を立ち上げることになった。前回は歴史寄りだったから、今度は自然寄りにするそうだ。

なんだか、林業シフトとも言える新メンバーを聞いた(笑)。

そこで話題になったのが、ナラ枯れだ。いよいよ生駒山には入ってきているのだ。すでに北部の枚方などに見つかっている。このままだと、全山に広がるまで間もないだろう。実は、生駒山の植生は、ほとんどコナラ林と言っても良い。しかも大木がゴロゴロある。

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この写真は、秋の空撮だが、紅葉というよりは黄葉で、ほとんどがコナラとクヌギである。

これが夏に赤くなるのはイヤだなあ。

やっぱり、太いコナラを先に伐ってしまうのが一番よろしい。

で、どうするか。

シイタケ原木案が出た。しかし、太いコナラはシイタケ向きじゃない。

私は割って薪にして、販売することを提案。
大阪にも薪ストーブを入れている家庭は少なくないが、彼らは高い薪を郵送で購入しているらしい。これを取りに来たら安くすると言えば、喜ぶ人は多いはずだ。

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これは、地元のホームセンターに置いている薪。この細い束でこの値段である。

しかもスギ材混ざっているんじゃね?

もっとナラの大割したカッコいいスイーツみたいな薪を作ろう!

そして、簡易製材機を入れて、どんどんにする。
中には虫食いとかウロの空いた木もあるだろうが、東急ハンズのようにそんな板も売れるはずだ。

京阪奈地域には、木工作家は結構いる。彼らも広葉樹材が欲しかろう。板にして十分乾燥させればきっと売れるはずだ。よいコナラ材は、ミズナラ材に匹敵する。

ところで、木材消費の大半は針葉樹材だが、家具や内装材には、広葉樹材が使われている。

その出所を調べると、ほとんどロシア材に依存していた。中国輸入だってロシア原産だったりする。ところが、ロシア材の関税が高くなったのに加えて、かなり供給減らしい。タモやナラなどのフリー板やフローリングなどの広葉樹加工品の入手が困難なのだそうだ。一部は北朝鮮からの違法伐採木も混じっているとかいうが、それも最近では入りにくい。

まあ、生駒山からナラ材を産業的に供給するほど安定して出せないにしても、個人の木工作家に提供する程度の量なら不自由しないと思うよ。彼らと話し合いの場は作れないかな。

2011/02/22

トヨタの林業車開発?

先日訪れたのは、愛知県豊田市。

ここでは環境関係の講座としての講演として、森林・林業について話したわけだが、参加者の中にはやはりというか、トヨタ自動車出身の方がいらした。

で、ティータイムで出た話によると、「トヨタで林業用の車を開発しようと提案したことがあるが、売れないと却下された」ことがあるらしい。

たしかに日本製の林業作業車というのはほとんどなくて、この前にIHI(石川島播磨)のフォワーダが出たこと自体が話題になったほどだ。

ところで、思い出した。実は私の友人にトヨタ自動車で開発部局に勤める者がいるのだが、以前トヨタで企画した林業用自動車の資料を送ってもらったことがあるのだ。そこで探してみた。なんと、物持ちの良い私は、ちゃんと残していた。(断捨離はムリだ。)

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これですよ、これ、名付けてフォレストワーカー!  モーグル。

なんとカッコいい自動車なんだ。凹凸の多い悪路を「力強く自然に優しく」走れるという……。しかもタイヤを4輪独立クローラーにすることも可能だそうだ。超小型キャタピラって、面白い!

よく見ると、1995年の東京モーターショーにコンセプトカーとして出品されたのだ。この年度は、阪神大震災にオーム真理教事件で賑わったから注目集めるのは無理だったろうな。

が、よく考えると、この車、なんのためになるのだ?

木を伐ることも木を運ぶこともできないではないか。よく読むと、山地走行実験車となっている。ようするに悪路を走ることが可能な車なのだ。しかし、役割としては林業従事者の現地までの通勤くらいしか使えないな。でも、乗員は1~2人だし、林道・作業道程度ならランクルを筆頭とするアウトドア四駆でも走れるような……。

車が傾かないよう、アクティブ姿勢制御システムを採用し、車高調整は50センチまで。小回り性能は抜群だし、急坂道も強いし、運転席が中央にあって不整地走行に工夫されているし、非常に面白いのだけど、林業用というよりアウトドア用であった。趣味で走りたい人はいるのではないか。

なんでも、これを作ると、価格は1億円をくだらないそうだ……。

2011/02/21

獣害と伐採

大規模皆伐地が増えていることと、その再造林が進んでいないことをよく指摘する。

そうして再造林しない理由に、「どうせ植えてもシカに食べられてしまうから」というのがある。たしかに、最近の食害は凄まじくて、少々の防護柵では防げないらしい。網を張っても、どこか破られる(あるいは乗り越えられる)と、もはや中はシカの餌場になってしまう。

が、ある林業研究者から「獣害があるから、伐るに伐れない林家が増えている」と言われた。伐ったら植えなくてはいけない。しかし植えても食べられて育たない。それが怖くて伐らない……という話なのだ。

あら、再造林がうまくできないから植えないのではなく、伐らないのか。

さて、どちらが正解だろう。いや、どちらもあるだろう(笑)。むしろ植えられないのなら伐らない林家の方が良心的で、すでに伐ってしまい、再造林しない言い訳?に獣害を持ち出して放棄してしまう方が悪質とも言える。

全国的には、どちらが多いのだろうね。また、獣害をうまくかわしている山は、どんな山だろうか。

2011/02/19

立木法と立木トラスト運動

村尾行一氏(愛媛大学名誉教授)の著作に目を通していたら、吉野林業について記した項目で、「立木一代限り」の契約に触れていた。外部の資本家が、山林の立木権を購入するのだ。そして造林から伐採-販売まで行い、それで権利を失う。地元の人にとっては、外資を導入して、でも土地を取られずに済むわけである。

これが借地林業とも言われる吉野式の所有権と利用権の分離につながる。ようは、森林所有(土地)と、立木の権利を分けることを意味する。

そして明治42年には立木法まで制定されているのだそうである。立木を土地とは別に別個に登記するのことができることを示している。

この法律は、まだ生きているという。すると、今でも立木法に基づく所有と利用の分離はできるのではないか。森林所有者から立木権を購入して、保育と伐採・販売まで請け負うのだ。森林の証券化にもつながるなあ。
いっそ現代の外資(外国の資本家)にも、立木権を売ったらどうだろう。一代限りで権利は消滅するのなら、「水源を取られる」なんて心配しなくてもいい。あるいは土地の所有権を譲っても立木権を地元に残しておけば、勝手な開発はできなくなる。外国人土地法案なんて、危険な枠を作らずとも、阻止できるはずだ。

実は、この立木法を楯に、ゴルフ場などの森林地域の開発計画はすでに幾度も反対されてきた。反対運動当事者が、立木を購入するのだ。いわゆる立木トラスト運動ということで、権利者の分散につながり、開発をストップさせるのに大きな力となった。

そうか、立木トラスト運動の法的根拠は、明治時代の吉野林業にあったのだ!

と感じ入っていたのだが、村尾氏、「余談の余談」として、開発計画に立木法を利用して阻止する智恵を授けたのは、「筆者である」と記していた。おおお、立木トラストのアイデア提供者でもあったのか。

2011/02/18

時事的林業

折に触れて話題に上げている次回出版予定の本だが、これはかなり私の中では執筆に大きな冒険を行っている。

と言っても、何も危険なことをしたのではない(笑)。最新情報を取り入れたのだ。

もともと書籍は、雑誌よりも新聞よりも、ネットよりも時間のかかるものだ。最終原稿を手放してから書籍の形になるまで早くても1か月かかる。だから、どんなに急いでもタイムラグは発生する。

私は、末永く読まれることを願って、あまり時事的なことは取り入れないようにしていた。しかし、今回ばかりは森林・林業再生プランがらみの政策に触れる必要から、最新情報も触れた。

が、早くも否定されかけている(~_~;)。

最初の頃出していた鳩山首相の名前も消しておいた。また「政権交代後……」と書いたら、校閲者から「もう一度政権交代するするかもしれませんので」と注釈が入った。そうか、出版時に民主党政権が続いているとは限らんのだ。民主党内でたらい回しするか、解散して政権の枠組み自体が変わるか、全然読めない。

もしかしたら、森林・林業再生プラン自体がストップする可能性だって……。

樹木の時間でゆったりと変化していた林業も、このところ超特急の変化を見せているが、いよいよ時事問題の一つになるかもしれないなあ。

まあ、プランは法律を制定するものではないので、そこまで影響はないと思いたいが、推進していた官首相がいなくなったら、ちゃぶ台返しもあるかな?

もっとも、それを待っている勢力もあるのではないか。そう、林業界には。今のままの補助金制度がいいと思っている人たちは、少なからずいるよ。

2011/02/17

銘木と銘酒の町フォーラム

治りかけていたはずの風邪がぶり返し、ダウン。

それでもプログを書こうとする健気な私。ちなみに今日で1297本目である。1778話を1日も休まずに書き続けた眉村卓にはかなわないが……。(ただし、前ブログには、822本書いているから、両方合わせると、2119本になる。)

もっとも、頭が働かない。そこで、こんな告知。

3月5日、奈良県吉野町で「銘木と銘酒の町フォーラム」が開かれる。
http://www.yoshinostyle.com/

ちなみに第1部が、「林業の父~土倉庄三郎翁伝」。
2部が、パネルディスカッション「木桶復活!地酒のまちづくり
3部が、酒蔵巡りの「吉野杉~新木桶見学会

土倉翁について語るのは、土倉庄三郎を顕彰するために作られたNPO法人芳水塾の古瀬順啓代表。私も取材を重ねている人である。
実は、土倉翁が表舞台で紹介されるのは、これまでほとんどなかった。それだけに貴重である。少しでも名前を広めてほしい。

ほかスギダラ倶楽部の南雲氏や木桶づくりの匠も参加だ。

全体としては、木桶による酒づくりを盛り上げるようなフォーラムなのだが、土倉翁が登場することに期待しよう。

そういえば、2月日20日には、豊田市のECO-Tという施設で、私のエコットークが開催されます。演題は、「脱温暖化」のための森づくり・まちづくり
http://www.eco-toyota.com/event/20100829eco-talk.pdf

これまでに風邪引き治さないといけないなあ。

たまには、こんな告知もいいか。

2011/02/16

書評「怯えの時代」と「囚人のジレンマ」

内山節の怯えの時代(新潮選書)

予告通り、紹介しよう。

内山節は、哲学者であるが、群馬の山村に年の半分を暮らし、山里や林業にも造詣が深いことで知られている。哲学と言ってもわかりやすい語り口で、本質をつく指摘が多い。

さて、本書は現代社会を覆う「不安の時代」を分析している。先に「林業の発生」について紹介したが、それは一例であって、森林や林業を正面から論じているわけではない。

現代社会において、何が不安のなのか、を追求するのだが、それは先の見えないことではないか、と指摘する。
その上で経済論に移るのだが、そこでは流通が生産と消費を生み出したと語りつつ、今日の経済史的な分析を行うのである。最初の流通は租税であったとする点は、面白い指摘だ。
しかし、拡大こそが正常だという前提があり、成長すればいつかバブルとなり破綻する。それを止めようとすると大がかりな統制経済しなくてはならない……。

果たして、このような分析が経済学の主流と同じなのかどうかは、私にもわからない。ただ結論としては、巨大な経済システムの中で個人はまったく無力であると導くのだ。なんだかペシミズムっぽい。

帯文には、「誰も勝ち残れない。私たちは、どう生きればいいのか?」とあるのは、絶望の気持ちを現しているのだろうか。

さて、こうした社会であることを認めて、ではどうするのか?

私の期待はいよいよ最終章に向かうのだが、そこで示されるのは「冷たい貨幣か、温かい貨幣か」であった。ここで、温かい貨幣とは、心のこもった、人と人との関係性を読み取れるお金のやり取りだとうして、無尽や頼母子講を例に上げる。同じ家を買うにしても、投資のためと、自分たち家族の住む家は違うとも指摘する。

また「信仰」にも触れる。これは宗教ではなく、山とか水とか、あるいは人々の祈りの気持ちなどのあふれた社会を語る。そして「連帯」という言葉を取り戻さないと未来は語れないという。

がっかりした(ーー;)。いや、言わんとすることはわかるのだが、それでは「昔はよかった」式の懐古趣味になりかねない。どうやら、内山先生、現代社会をかなり悲観されているようだ。
そして理想論としての「連帯」は、あるべき論であり、現実の社会を見つめるにはひ弱すぎる。

私は、この本を読んで、「囚人のジレンマ」を思い出した。これは進化論を考える際に作られた数学のゲーム理論である。
二人の共謀犯が隔離された状態で尋問を受ける。。自分が黙秘した時、相手が自白して罪をなすりつけられれば、罪は非常に重くなる。自分が相手を裏切り自白し、相手が黙秘してくれれば自分の罪は軽くなる。自分も相手も自白したら、犯罪は証明されて、やっぱり重罪だ。いちばん良いのは両方とも黙秘を続けて犯罪は証明されないこと。釈放の可能性も出てくる。しかし、相手がどう出るかわからない。

まあ、こうした確率論をコンピュータで何万回と繰り返し、自分に有利なのはどれかを探るわけである。そこでは善人戦略、悪人戦略、しっぺ返し戦略とか、パブロフ戦略などがあるのだが、まあ難しいことは置いておこう。

とにかくコンピュータが導き出したもっとも有利な手は、なんと善人戦略だったのである。常に相手を信じて、黙秘を続けること。これが最後は自分にも有利なのだ。だから進化は、常に善人戦略で進んできた。

なぜかって? それは専門の本をお読みください(笑)。

お勧めは、「負けるが勝ち」の生き残り戦略 泰中啓一著 ベスト新書

ともかく、人類はまだ進化の途上で、悪人戦略とかしっぺ返し戦略しか取っていない。だから個人の努力は無力と感じ、常に破綻へ向けて人は行動すると推察する。内山先生も悲観的になっているのだろう。

私は、遠い未来、きっと人類が善人戦略を身につけると信じている。なぜなら、人間は生物だからである。

2011/02/15

『いま里山が必要な理由』書評

『いま里山が必要な理由』の出版元・洋泉社からFAX。

「出版ニュース」に、『いま里山が必要な理由』の書評が載ったのだった。

再版に近い増補版だから、書評は期待できないと思っていたのに有り難い。やっぱり書名と判型を変えたのは正しい戦略だなあ(笑)。

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ざっと内容を紹介をした後に、

「里山の魅力と楽しさを知るための入門書として最適な一冊である」

感謝。

ところで、すっかり忘れていたが、本書に登場してもらった人に、再び本書を贈呈すべきかどうか悩んでいる。すでに『里山再生』のほうは、献本しているわけだが、再び販売されたことで何らかのリアクションが起きている可能性もあるから知らせた方がいいのかも。どうしようかね。

2011/02/14

林業の「発生」

今、内山節の「怯えの時代」(新潮選書)を読んでいる。

実に興味深い論考なのだが、それについての書評&感想は改めて取り組みたい。今日はその中の一部に触れる。

この本は、今世界中が突入している未曾有の時代を語っている。その中に経済史に近い分析も含まれるのだが、内山は、林業を次のように説明している。

林業は山に木があるから発生するのでも、その木を切る労働をする人がいるから生まれるものでもない。木材を流通させる方法がみつかることによって発生するのである

一般に、我々の産業に関する理解は、まず生産があって、余剰物が生まれ、それが流通しだし、小売りが生まれ、消費される……というものだ。つまり生産-流通-消費である。
しかし、それは間違っているというのだ。そうした伝統社会から受け継いできた経済の理解は誤解なのである。

もちろん食料など小集落内だけの取引・経済なら、そういう流れもあるだろうが、実際は、まず流通があり、それによって消費が生み出され、それが生産を刺激するというサイクルを描くのだという。

哲学者が経済学を語っているわけで、これを専門の経済学者がどのように論評するかはわからないが、私はこの見方に賛成する。

私は以前から移動学というものを提唱しているのだが、その中の一分野が流通である。そして移動=流通が全体を規定するという仮説を立てている。これに、ピタリとハマるのだ。

木材をほしい人がいて木材が生産され、運ばれるのではなく、木材を目にして欲しくなるのだ。そして対価が提供されることによって生産が始まる。この対価を資金とするなら、資金の流動こそが生産と消費を規定する。

この単純だが、経済サイクルの概念をひっくり返すと、昨今の林業の姿も違って見えてくるのではなかろうか。まず、木材を動かすこと。そこから林業は始まるのだ

ただし、内山は警告する。農本主義から資本主義、そして金融資本主義へと“発展”した先に行き着いたのが、サブプライム・ローンだったと。このローンは、いわば貧困を証券化して商品にしてしまった。

これまでの流通は、それがモノであろうと資金であろうと、流通することで生産と消費を刺激してきたから循環が成り立った。しかし、貧困の証券取引は何も生み出さない。虚構のバブルの中で名目の金額が膨れ上がるが、それはいつか確実に弾けるものである。

だから木材も流通網の中を転々とさせて儲けてはいけない。確実に消費につながる流通を確保することから林業を始めるべきではないか。

2011/02/13

松山城再び

お城ファンというのは結構多いようで、松山城でも一人で何や感じ入りながら探索?している人の姿がたくさんいた。(ま、私も、よそ目からはそう見えたかもしれない。しかし私は、そんなオタクではないのである。)

そこで、私が城オタクではないことを証明するために、注目した点を紹介しよう。

まず城の建つ勝山(標高132m)の植生だ。

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この標識を読んでいただきたい。築城を始めたころ(つまり江戸時代初期)は、この山は禿山だったのだ。

そこにアカマツを植林したとあるが、それも今ではシイ類に負けている。ここに植生遷移を見ることができるだろう。

おそらくアカマツ林は、江戸時代を通じて整備され続けていたに違いない。もしかしたら薪やマツタケ狩りもしていたかもしれない。それが戦後放置されて照葉樹林になったのだろう。別のところてはナンジャモンジャの木もあった。

江戸初期に、すでに禿山であったという事実は、当時の日本全国の沿岸部(人里近く)では広く植生の荒廃が進行していたことを忍ばせる。

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これが、現在の勝山。照葉樹林のよい森になっていた。

そして次に見るのが、戸無門。城の初期の姿を残す建築物だが、よく見ると仕口だらけ。

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実は、各所で木材を組み合わせた様子がうかがわれ、当時は無垢の大木が手に入りにくかったことが想像できる。

天守閣には、その仕口の説明をした展示もあった。

築城には、最初に20数年かかり、その間に城主が交代するほどであったが、幕末に落雷で焼失してから再建までに35年もかかっている。やはり財政難だったことも大きいが、加えて城建てるにも材料の調達が大変だったようだ。

その後、昭和に入ってからも戦災や怪火で焼け落ちる度に復元するが、そこでも木材の調達に苦しんだようで、各所の案内に「松山営林署の協力により」とツガやケヤキの大木を得られたことが触れられている。
ついでにいうと、最初は国宝だったのに、後に重要文化財に格下げされたことも、悔しげに幾度も触れられている(笑)。

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また石垣も、あきらかに時代とともに積み方が変わっている。松山城は、非常に長い年月を築城と再建を繰り返したことがわかるのである。技術の進歩なのか、それとも石材の都合なのか、よく知らないが。

どうだ、こんな城の見方をするんだから、オタクじゃないだろう?

2011/02/12

ヤドリギ?

ゲホゲホ風邪で寝込みながら、ブログをアップしなければという使命感に燃える健気なボク。

というわけではないのだが、今日は軽く。

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この写真は、道後公園のサクラの木に見かけたもの。

葉のない枝に、緑黄色の葉が目につくのは、ヤドリギだろうか。

サクラには、ウメノキゴケもびっしりと着いており、樹勢が衰えていることを感じる。実際、手を延ばして枝に触ろうとすると折れてしまった。

ウメノキゴケもヤドリギも、決して宿主を痛めつける性質のものではなく、むしろ共生している面もあると聞くが、やはり相手が弱ったところに着生するのは事実。このサクラも何らかの原因で弱っているのだろう。

吉野山のサクラにも、これと同じ症状が出ている。全国的にサクラは危ないのかもしれない。

2011/02/11

「翼の王国」

松山への帰りは、ANAを使った。

全日空の機内誌「翼の王国」は、全席に供えられている。2月号を何気なく手にとって目次を見ると、「中国 温故知新 箸の源流を辿る」(前編)という記事が。

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おお、中国の箸事情が現地取材で描かれているではないか。とくに大連の割り箸工場も取材している。いまや大連は、割り箸輸出港ではあるが、生産地は奥地に移ってしまっていることも押さえている。(残念なのは、日本の割り箸消費量を年間250億膳としていること。)

そして中国でも、どんどん割り箸が普及していることを示す。

これは、持って帰らなくてはなりません。機内誌は持ち帰り自由なのだから……と、いそいそとカバンに詰めた。

そして自宅に帰ると、留守中の郵便物の山がどっさり。その中に、封筒に「翼の王国」と書かれたものがあった。開封すると、まさに翼の王国2月号が。

おおお、それで思い出した。記事の書名を見ると、この記事を書いた人と私は会っているのだ。そしてメールでもやり取りしていた。記事の最後には参考文献として『割り箸はもったいない?』も載せられていた(^o^)。

これは後編が楽しみである。来月、ANAに乗ってどこかに出かけられないかなあ。

2011/02/10

松山城

松山城
松山に来ている。せっかくだからと松山城見学したが、この城は幾度も焼けていて、幕末から昭和初期、戦後と再建されたらしい。
仕口の多用など、当時の木材調達に難儀した様子が各所にうかがわせる。

2011/02/09

wedge再び、「外資山林買収」

東京からの帰り、WEDGE2月号を購入した。表紙に「外資の山林買収 感情論では解決しない」とあったからだ。

昨年、この雑誌は森林特集を組んで、なかなか切り味がよかったので、今回の記事にも興味を持ったわけだ。

ところが「のぞみ」の席に着いて開くと、なんと東京財団のお二人が執筆したオピニオンページ。しかも、冒頭リードには

「日本の山林が外資に買われている」との報道が相次ぐ。

とある。おいおい、報道させたのはあんたらだろう。マッチポンプもよいところだ。(,リードは編集部が書いたのかもしれないけれどね。)

まあ、内容は、多少新しい情報も取り込みつつ、いかに日本の土地制度が所有者に強い権利を認めているかということを強調した、これまで通りの論調である。

ただ、微妙にニュアンスを変えているのは
「外資か否か」「森林か否か」ではなく、そもそも土地の公益性を田んぼするための制度が不十分なところに、問題の根本があるといえる。
としていることだ。そして「外資であろうと日本人であろうと適正な所有と管理が行われるよう」「規制を整備することが急務である」
と書いているのである。

さらに「地域経済を維持していくには、多様な人材と資本を呼び込むことが欠かせない」とまで記す(その後に、グローバル資本とは相容れない、と続くが)。

まあ、当初の東京財団のレポート、それにトンデモ駄本「奪われる日本の森」を読んだ身としては、外資だから問題にするのではないとは、よく言うよと思わざるを得ない。

とはいえ、ようやく真っ当な主張になってきたとも言える(笑)。そして、結果的にだが、主張するように土地制度を改革すれば、もっとも既得権益を犯されるのは日本人所有者だ。外資の買収を防ぐ手立ては、日本人所有者の好き勝手もできなくするからだ。もちろん森林所有だけでなく、すべての土地所有に関してである。

きっと、反対の声が日本人から強まるだろう(笑)。

2011/02/08

スタジオ・セット

昨日は、東京タワースタジオで、テレビ出演。テレビ東京の「トコトンハテナ」という番組だが、放映は2月末の予定。

……というようなことは、また改めて紹介するとして、実は私が注目したのは、スタジオのセットである。

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これは収録前のテスト風景。(出演者は映っていないよ。)

背景のセットに目を向けてほしいのだが、本物の竹に和紙を多用した自然素材である。竹は、最初青竹だったのが、今ではよい飴色に。乾燥して割れているが、なかなかよい風合いだ。
和紙は、越前和紙。自然の染料で染めたものだという。

そしてテーブルがこれ。

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段ボールを張り合わせた造りなのだ。触ると柔らかいし、塗料も塗っていないから、水などをこぼすとふやけるという問題があるのだが、妙な味を出している。機能性よりデザイン性重視のセットならではだろう。

足元のボードも特徴あるんですよ、とセットのデザインをした女性デザイナーが紹介してくれた。

見た目は、単なる合板などのボードに見える。が、

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中は、このように紙である。ほとんど中空だから、軽い。その分、運びやすく、セット向きなのだろう。

なんでも、徳島の業者がつくっているという。ただ、若干価格が高いそうだ。ちょっと興味があるのだが、誰かこのボードについて詳しい人はいないなだろうか。

デザイナーは、結構こだわりを持って材料を選んでいるらしいが、これまで気づいた人はいなかったらしく、私が興味を示したことに喜んでくれた(^o^)。

セットだから、毎回撮影時に解体と設置を繰り返していることになる。しかし、もう5年も使っているそうだ。

一般に家具やインテリアは、長持ちする重厚な製品を良品とする傾向があるが、需要によっては数年で交換することを前提にしたり、常に移動させる必要のあるブツもある。

セット以外にも、店舗のインテリアは、定期的に変えて客の眼を引く必要がある。もちろんオーナーや業態変更でもインテリアは一新される。また旅館や店舗の家具は、掃除やインテリアの変更の度に移動させるから、重いと苦労する。簡単に分解して、また組み立てられるとか、掃除の際に仲居さんが動かせる軽い家具も求められるのではないか。
かといって、いかにも安っぽい代物ではいけない。そうした商品づくりも必要だろう。

なお、デザイナーはガラガラ声であった。「風邪じゃないんです、花粉症の上にカラオケで歌いすぎたんです」を連発していたが、くれぐれも喉を大切に(^o^)。

2011/02/07

東京タワーなう。

東京タワーなう。
なぜか東京タワー。地上250メートルの特別展望台からの眺めです。
もうすぐスカイツリーに人気を奪われる前に見学しておこうというつもり。

ちなみにスカイツリーも見えるよ。

2011/02/05

眉村卓のインサイダー文学論

映画の「僕と妻の1778の物語」を見た。

テレビCMも多数流れているからご存じだろうが、草彅剛と竹内結子が主演する感動のドラマ(笑)。小説家の妻が進行癌で余命1年と宣告され、夫は妻を楽しませようと毎日1話ずつ小説を書き続けたのである。そしてそれは5年近く、1778話に達した……。

私がこの映画を見に行ったのは、草彅剛と竹内結子のファンで、とくに草彅の「僕シリーズ」の大ファンで……ということもないではないが、実は、原作(というより実話)を書いた眉村卓のファンなのである。彼の作品は、中高生の頃から多く読み続けた。もちろん、映画の原作(もっとも、これは小説というよりエッセイ?)も読んでいる。

眉村卓は、1970年代から「謎の転校生」「狙われた学園」などのジュブナイルSFで人気を博した。が、私は「EXPO87」などの本格派が好きだった。そして最大の魅力は「司政官」シリーズだった。植民惑星を、ロボット官僚を駆使して統治する司政官が主人公である。

作品論を述べるつもりはないが、眉村卓は、一貫して「インサイダー文学論」を唱えていた。

小説では、アウトサイダーのヒーローが主人公になることが多いが、彼は組織と個人の葛藤を描く、まさにインサイダーを主人公にすることが多かったのだ。今でこそ、前回も触れた「組織の中の現場」を舞台にしたドラマが増えているが、おそらくそれらの原型は、このインサイダー文学の中にある。

そして私も、大きな影響を受けた。世の中を動かしているのはヒーローではなく、その背景を埋める複雑に絡み合った諸事情なのである。いや、ヒーローさえも、角度を変えれば別の主人公の背景になる。すべてが絡み合って世界はできているのだ。
それは、地球の生態系にも近いのではないか、と感じている。一種の動物や植物だけでは世界は成り立たない。動物、植物、菌類に微生物……そうした生命体に加えて気象や地質まで環境全体のシステムとして生態系がある。さらに、自然生態系に人間社会も加えたメガ生態系も設定すべきではないか……。

一方で、ひな型としての森林生態系の成り立ちとか、里山システムの概念も築いた。

まあ、映画作品は、そんなインサイダー論とは何の関係もないのだが(^^;)、改めて若い頃に考察したことを思い出した。

2011/02/04

現場と大局

近頃、気になる声。

「現場を見ろ!」

GM(現場を見ない)なんて言葉まで生まれる始末だ。

私の場合、取材というのは、現場を見て、一次資料に当たらなくては何も始まらない。
最近は、インターネットだけで記事を書いてしまうライターも多いし、私のところにも現場を知らないまま依頼や質問が来る。「外資が日本の森を買収~」なんてのも、その典型。孫引きだらけで理屈こねている評論家ばかりだ。

さらに森林・林業再生プランの論評がらみも多いのだが(^^;)、たしかにこの手の施策で議論になるのは、「現場の声」である。これは、社会的にも大きなテーマのようで、「事件は会議室で起きるんじゃない、現場で起きるんだ」なんて映画の名文句に代表されるように、組織論を絡めて取り上げられる。

たしかに、現場を見ずに論評したり、計画を立てるケースが多く、それが多くの失策につながっている。

ただ私は、現場だけに依拠することにも危険を感じている。

いくら現場を回って取材しても、何の本質も掴めていない記事は少なくない。いくら事前の予想を覆す重要な証言や事実を掴んでも、自分の常識に縛られて答をねじ曲げることもある。最初から結論を決めて都合のよいコメントを集める取材がいかに多いことか。
同じように自分の現場の経験だけに依拠するのは危険だ。

現場というのは、一つの事実を掘り起こす場所だ。だが、その一つの事実は、莫大な背景を抱えている。そのつながりを見ないと、事実は表面上に事象にすぎなくなり、決して全体像は見えてこない。

そして背景を探るには、大局的な目が求められる。そして大局とは、数多くの現場の情報があって、初めて導かれる。しかし、自分一人で数多くの現場を知ることは不可能だ。結局、各現場の声を集め、そしてそれらをつなぐ想像力が求められる。そうした作業をこなすには、同じ現場にとどまり続けることはできないだろう。

逆に、机にかじりついて、たくさんの資料を集めている人も、実は一つの現場しか見ていないのではないか、と思う。どのケーススタディも、表面をなぞるだけの机上という現場を。

最近の警察ドラマでは、本庁と所轄の対立がよく描かれる。そしてキャリアとノンキャリが取り上げられるのだが、所轄のノンキャリ刑事は、いわば現場たたき上げ。あまり転勤もない。一方でキャリアは、若くして各所轄を転々としてから本庁にもどり、大局を見て指揮をとる、という役割だ。

その限りではよくできた制度なのだが、テレビドラマに描かれるごとく、制度疲労を起こしているのも事実だ。結局、短期間で転々と所轄を回るだけでは、現場の声は身につかないということだろう。
そして、肝心の「各種事例を紡ぎ全体像を描く想像力」は、人間力に伴うものであって、簡単に身につかない。とくに森林現場は、空間的な現場の広がりと、長期間の生長期間という時間の広がりを持つ。よほどの想像力がないと、大局を掴めないだろう。

やはり自分の拠点となる現場を持ちつつ、全国各地の事例を見て回る体制と覚悟が必要だと思う。いくらたくさんの現場事例を目にしても、寄って立つ軸がないと、机上の論理と同じになる。一方で、自力では十分な視察先を確保できない。広く各地の事例を知り、視察をコーディネートする役割も必要に感じる。

果たして、『Think global, Act local』(広い視野でモノを考え、身近で行動せよ)という言葉どおりになる制度やシステムは築けるのだろうか。

2011/02/03

AFCフォーラム・湯浅勲氏の提言

昨日紹介した「日本林業はよみがえる」の梶山氏は、森林・林業再生プランの作成を主導した人物だ。そして、彼の理論の実践的な支柱になっているのが、日吉町森林組合。ここの湯浅勲惨事の改革と言ってよいだろう。

この二人の関係はなかなか面白いのだが、それはさておき、湯浅氏は、どちらかと言えば、森林・林業再生プランを作る(提案する)側の人だったと見るべきではないか。

ところでAFCフォーラムという雑誌がある。日本政策金融公庫の農林水産事業本部が発行している機関誌なのだが、かなりレベルが高い。そして毎年2月号が林業特集だ。
そして、今年の執筆者の一人に湯浅氏がいる。そのタイトルが、「林業再生に向けた現場からの提言」。何を記すか興味が湧くだろう。

ところが、内容は、一言で言えば、森林・林業再生プラン」に目を通して、手放しで喜べないという。そして、3つの視点から問題を指摘している。

一つ目は、天然性林のこと。天然性林とは、いわゆる雑木林、里山林のことである。こちらの森林も人の手が入らないことで荒れている。その森林に対する対策が触れられていないということだ。

ただ、これは再生プランの目的が違っている(とはいえ、「森林の多面的機能を発揮」することは記しているのだが。)から、とりあえず置いておこう。

第2は人工林のことだが、その多くは間伐しても間伐材として使えそうにならない木が多いこと。ところが、今回のプランでは伐り捨て間伐を補助の対象から外されている
また伐り捨て間伐をしなければ、間伐速度が落ちる(現在の3分の1か4分の1)ので間伐そのものが手遅れになることを心配している。

私は、伐り捨て間伐補助金に関して、実質的に抜け道が用意されているので気にすることないじゃない、と思う。そして、間伐についてはいろいろ考えねばならないが、経済林にするつもりがないのなら、無理をしなくてもいいという立場だ。ま、この点については反論も多いだろうから先延ばししよう(^^;)。

そして第3に指摘したのが、現在行われている研修内容だ。あまりに知識詰め込み型で、実践経験のない講師がいることを憂えている。また研修生とのレベルの乖離とか、人材育成のシステムを心配しているのだ。

実は、もっとも共感したのが、この点だ。私も又聞きながら、今の研修、ちょっとおかしくない? と常々思っていた。そして、実は同じことを梶山氏も「日本林業はよみがえる」でも書いていた。とくに、いくら現場の人を教育しても、その上司(森林組合などの幹部)が全然わかっていないと体をなさないことも。

さすがに湯浅氏は、そこまで書かないが、今のままでは本当の林業の人材育成は難しいだろう。

森林・林業再生プランを主導した二人が、揃って人材育成研修の危うさを指摘するなんて、どうなってるんだ? 結局は研修を企画する組織自体が、何もわかっていないということか。ま、林野庁のことなんだけど(ーー;)。

というわけで、タイトルとは違って「提言」ではなく、心配ばかりが並んだ再生プランであった。

2011/02/02

書評「日本林業はよみがえる」

前々から出ると聞かされていた梶山恵司・国家戦略室内閣審議官の本。(サイドバーに掲載しました。)

日本林業はよみがえる 森林再生のビジネスモデルを描く

日経新聞出版社(1800円+税)

実は出版元から贈られたのだが、一気に読んでしまった。

もともと梶山氏の林業論は、各種の論文やシンポジウムで語られていたし、昨年は日経ビジネスオンラインで連載もされていたので、さほど意外感なく読み終えた。私とはスタンスは違うが、結局は同じことを唱えているような感覚を覚えた。

ただ帯文には、50年ぶりのチャンスがやって来た! と今後に期待を持たせるが、実は一読して感じるのは、いかに日本の林業がだらしなかったか、ということである。そして、本当に、日本林業は救われるの?とさえ感じさせる。

そして、極めて正統派のビジネス、産業になるべきだというのであるが、私とは目のつけどころが違う。面白いのは、私の林業ダメ論と彼の林業ダメ例は、あまり重ならないことだ。つまり、日本の林業のダメさ加減は、私ら二人でも語り尽くせないほどあるということか(笑)。

なおドイツを始めとするヨーロッパ林業の事情については勉強になる。けど、ちょっと数字が多くて眠かった(^^;)。ただ、今の欧米を真似た日本の機械化戦略などは、意外なことに批判的だ。

実際、日本に招聘したドイツのフォレスターも批判しているという。実は当たり前なのだが、どこでもそこでも作業道を入れて大型機械で伐採搬出すればいいわけない。ヨーロッパでは、ケースバイケースで架線も取り入れているし、森林や林業技術の知識がフォレスターや現場作業員に行き届いているのに対して、日本はうわべだけ真似ているからだろう。それも自己流なのである。

その点からも、現在の林業の機械化を推進して、日本では先端を行っているつもりの林業事業体も、この本を読んで反省点を見つけるべきだろう。

とまあ、褒めているようだが、いくつか注文は付けたい。

一つは、やはり日本の林業、それも歴史的な面からの林業をもう少し身につけてほしいということ。ヨーロッパの事例だけでは見えてこない部分が多々あるのだ。そして、森林生態学や樹木学もある程度抑えてほしいと思う。ちょっと記述の中に、ひっかかる部分が幾度かあった。

たとえば間伐の意義だが(これは現在の林業家や林学系学者さえ勘違いしている人が多いが)、何も残した木の保育のためだけにするものではない。いや、昔は主伐用の木とか、間伐材なんて考えなかった。あくまで間伐も収穫だったのである。そして日本の林業地のほとんどが無間伐施業だった。

またヨーロッパと日本では、あまりに風土が違う。植物の種類や生え方から、土壌まで。読んでいて、多少危険に感じるところがある。

そして、やはり全体のトーンが森林の伐採から製材までの範囲に集中していて、森づくり、あるいは製材後の需要、つまり建築へ向ける目が弱すぎる。

たとえば伐採後の再造林をいかにするかシステム的でないし、まり獣害など造林を阻害する要因をどうするかが抜け落ちている。
また建築も、国産のよい製材品を出せばどんどん売れる、ということはあり得ない。今以上に国産材を供給するには、それを吸収する需要を作り出さねばならない。その点が欠けると、供給がだぶつき価格が下落するだけだ。
また、人間(山主から建主まで)の心の動きやニーズをもう少し深く洞察してほしい。今のままだと、いくら林業を再生しても、山村社会は崩壊してしまう

もう一つ。やはりこの本は専門的なのだ。かなり平易に読みやすく書かれているが、やっぱり林業系の人に向けている。一般には通用しない林業用語も頻発するし(^^;)、話に抑揚がないというか、興味を引っ張る工夫が弱いので、世間の森好きには通じない面もあるように思う。どちらかというとビジネス書的だ。

まあ、本ブログを読んでいるような方々なら問題ないだろうが(^^;)、世間に広く日本林業の現状を知らせる(読んでもらう)には弱いかなあ、と感じた。

なお、蛇足だが、私の現在進行形の出版は、4月になりそうである。ここでも、日本の林業ダメ論と今後の展開を描いている。なんのことはない、同じテーマなのである。でも、ここまで事例を含めて発想が違うのか、ということを比べてみると面白いと思うよ(^o^)。

2011/02/01

火山灰と生態系復元緑化

鹿児島・宮崎県境の新燃岳の噴火が続いている。

どうやら溶岩ドームが成長し始めたようだ。流動性の低い溶岩が地表へ押し出される過程で盛り上がってできるドーム状の岩山である。
しかし、流れ出ないことで、逆にエネルギーをため込みやすい。溶岩ドームが大きくなると、崩壊にともなって火砕流が発生しやすいし、柔らかい溶岩と違って爆裂も激しい。火山灰も多く出て降り積もると、周辺は生命のない世界になりかねないだろう。

ところで溶岩ドームや火砕流と聞いて思い出すのは、長崎県島原の雲仙普賢岳だ。1990年代に噴火を続け、島原に大災害をうもたらした。95年に一応の終結を見たが、今度は荒廃地の治山と砂防が大きな課題となった。

実は、この普賢岳周辺の火山灰に埋まった地域の緑化を取材したことがある。

普賢岳の大部分は国有林で、緑化を受け持ったのは林野庁。噴火が収まってからとはいえ、危険なので航空機で植物の種子などを撒いた。種子は、ほとんど牧草である。記憶では、ウィーピング・ラブグラスなどではなかったかな。

ただ、約30haの垂木台地は、県有林だった。そこは、火山灰が降り注いで、まさに死の世界と化していた。私は、特別の許可をいただいて、現地を歩くことができた。

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これはプリント写真をスキャニングしたもので、写りがイマイチだが、一面黒い砂で埋まっていた。一部で非常に細かな白い火山灰もあり、それらは雨で流され、風邪に舞う。そして水分を含むとセメントのように固まってしまう。夏は地表が温度が60度まで上がる。

そこで長崎県が緑化を担当したわけだが、急斜面ではないので、試みられたのは生態系復元緑化だった。急いで牧草を繁殖させたのでは、以前の自然にもどりにくくなる。そこで在来の草木をできるだけ自然に繁殖させることをめざしたのだ。いつか照葉樹の森にもどすために。

かといって、単に普通の雑草の種子をまいても火山灰の上では育たない。また人が入れないのだから、植林もできない。そこで袋に土と肥料とともに種子を入れて空から撒くなど工夫を凝らしていた。アイデアを専門家を中心に全国的に募集したりもした。

幸い私が訪れた時は、少しずつ草が生えだしていた。一度根付くと、雑草は火山灰を固定させて次々と増えていく。種子には、イタドリやヨモギ、ススキなど

私が訪れた頃には、それらの草が根付いていた。すると、エノコログサ、サルトリイバラ、アレチノギクなど、持ち込まなかった草類も生えだした。外から種子が風で舞い込んだのだろう。さらにヤシャブシやメドハギ、ヤマハギなど木本性の植物まで群落を作り出した……。

ゆっくりと、確実に、植物生態系は甦りつつあった。完全な森林化には200年はかかるだろうと言われていたが、15年たった今はどうなっているだろう。もう一般人も入れるようになったはずだ。

また訪れたいものである。そして、上記の写真のその後がほしい。

そして、新燃岳の被害も、いつか癒えて新たな自然が作られることを祈りたい。

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森と林業と田舎