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森と林業の本

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2011/02/13

松山城再び

お城ファンというのは結構多いようで、松山城でも一人で何や感じ入りながら探索?している人の姿がたくさんいた。(ま、私も、よそ目からはそう見えたかもしれない。しかし私は、そんなオタクではないのである。)

そこで、私が城オタクではないことを証明するために、注目した点を紹介しよう。

まず城の建つ勝山(標高132m)の植生だ。

Photo
この標識を読んでいただきたい。築城を始めたころ(つまり江戸時代初期)は、この山は禿山だったのだ。

そこにアカマツを植林したとあるが、それも今ではシイ類に負けている。ここに植生遷移を見ることができるだろう。

おそらくアカマツ林は、江戸時代を通じて整備され続けていたに違いない。もしかしたら薪やマツタケ狩りもしていたかもしれない。それが戦後放置されて照葉樹林になったのだろう。別のところてはナンジャモンジャの木もあった。

江戸初期に、すでに禿山であったという事実は、当時の日本全国の沿岸部(人里近く)では広く植生の荒廃が進行していたことを忍ばせる。

Photo_2


これが、現在の勝山。照葉樹林のよい森になっていた。

そして次に見るのが、戸無門。城の初期の姿を残す建築物だが、よく見ると仕口だらけ。

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実は、各所で木材を組み合わせた様子がうかがわれ、当時は無垢の大木が手に入りにくかったことが想像できる。

天守閣には、その仕口の説明をした展示もあった。

築城には、最初に20数年かかり、その間に城主が交代するほどであったが、幕末に落雷で焼失してから再建までに35年もかかっている。やはり財政難だったことも大きいが、加えて城建てるにも材料の調達が大変だったようだ。

その後、昭和に入ってからも戦災や怪火で焼け落ちる度に復元するが、そこでも木材の調達に苦しんだようで、各所の案内に「松山営林署の協力により」とツガやケヤキの大木を得られたことが触れられている。
ついでにいうと、最初は国宝だったのに、後に重要文化財に格下げされたことも、悔しげに幾度も触れられている(笑)。

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また石垣も、あきらかに時代とともに積み方が変わっている。松山城は、非常に長い年月を築城と再建を繰り返したことがわかるのである。技術の進歩なのか、それとも石材の都合なのか、よく知らないが。

どうだ、こんな城の見方をするんだから、オタクじゃないだろう?

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コメント

城からここまで話を持って行くという行為自体、オタク的で偉いと思います。建築とか土木とか、その辺に特化した案内があれば面白そうですね。

熊本城でも誰かやらないか、機会があったら提案してみます。

たしかに、城好きは基本的に「天守」などの建物、石垣に
出入り口などの攻防など「戦術」的な面に注目しますので、
建物の木材や城山の植生には・・・あまり(^^;)
(天守などの建物でも、破風など、飾りなどに注目する城好きは
いますが、柱などには・・・(^^;))
ちなみに、私は「梁」などをカメラで撮っています(^^)以前、
彦根城で撮っていたら、回りのおばはんに変な顔されましたが
(^^;)
 「禿山」&「松」に反応できる城好きは「城猛者」ですね~
最近、春日山城や小田原城では、城内の「伐採」に過剰反応
する人々がいて、各地元では話題になっています(^^;)
(整備計画は別に冷静な感じなんですがね~(^^;))
 そういえば、戦国時代の山林などに詳しい本、以前書きました
が、「軍需物資から見た戦国合戦」は本当にお勧めです(^^)

「軍需物資から見た戦国合戦」、読みました。たしかに合戦を木材資源から見ると、全然違った風景が目に浮かびますね。

城に関しても、現在あるのは全部江戸時代の築城で、どさも合戦に使われたことのないものだし、天守閣も普段は閉鎖して使っていなかったそうですよ。たしかに、平和な時代、薄暗い中を急な階段で上に登る必要性はないわな。だから、天守閣が焼けても再建しなかったところが多い。

田中様
ご無沙汰しております。

この写真は、「根継ぎ」と言う補修法です。柱や束が全部取り替えなくても済むときに使う手法で、地面の方から腐るので腐った部分を切り取って新しい材に取り替える工法です。素人は、余り注目はしないのですが・・・。さすが、田中さん!!

現在、都城の元大臣宅の古民家をこの工法で直しています。

実は、根継ぎ部材を全国販売しようと考えています。あらゆる樹種と大きさに合わせて腐らない処理をしてオーダーをとろうと思っています。

根継ぎ屋ってのはどうですか!

ああ、最初から継いでいたわけでなく、腐った部分を取り替えたのですか。言われてみれば……。

根継ぎ屋かあ。面白いな。木材なら、なんでも継いでみせます! なんてカッコいい。無垢材ばかり有り難がる人に、継ぎの価値を知らせるのもいいですね。

田中様へ、
始めまして、みっちゃんと申します。
流石、森林ジャーナリストの目の付け所の違いに関心致しました。
松山城が昔、禿山だった事。戸無門の、「根継ぎ」に目が向くところ・・・、などなど、十分にお城オタクも兼ね備えた森林ジャーナリスト・・・として認知させていただきました。
これからも高い認識の記事を期待いたします。
今後のご活躍をお祈りいたします。

みっちゃんさん、松山城大好きサイトを運営されているのですか。
ぜひ、松山城の植生と根継ぎについても紹介してください(笑)。

城オタクではないと何度も言っているのですが、その後も、郡上城や熊本城や唐津城など城巡りしているなあ。
城でなくても、昔の建築物から当時の世相を想像するのはロマンがあります。

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