無料ブログはココログ

本の紹介

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011/03/31

木材は質か、量か(下)~商品ではなく信頼~

ようやく、続きを書こうと思うまでになった。テーマは、量産品の値段を上げる方法である。
このところ、ほかの話題で時間を稼ぎつつ考えていたのだが(笑)、そんな方法が簡単に思いつけば、私は木材ビジネスの風雲児になれるよ。

しかし、書くといっても、結論が出たわけではない(笑)。あくまで思考実験の続きということで。

日本の森を健全化するために国産材を使おうというのなら、量が捌けなければいけない。同時に価格がそれなりに魅力的でなければ、たくさん生産し消費する、という循環にはつながらない。もちろん、利益を出して間伐の推進から再造林まで行えることが重要だ。

価格を上げるための付加価値方式では限界があるのは、前回指摘したとおり。差別化である限り、量は捌けないのだ。ほかの商品と違うことを売り物にするわけだから、差別された方は売れなくなる。あくまで事業主だけの展開で、業界全体、日本の森林全体にはつながらない。
しかも、差別化の方法が、付加価値(素材の魅力、商品のデザイン、環境貢献、トレーサビリィなどの情報、ドラマ性・ロマン……)であるのなら、量産は難しい。人気のデザインは誰でも真似できず個人技となるし、ロマンあるストーリーも画一化できない。

このように考えると袋小路である。

それでも考えた。土木資材とか、内装材、外構材ではないか。園芸資材もありだな。コンクリートよりは木材の方が見栄えがいい、環境的にも好都合、人の感覚にもよい……そんな分野だ。それでいて画一的な加工で、売れるようになる。海杉さんからいただいた「建具」も、その解答の一つかもしれない。
実は、そんな商品を開発して成功している事例は、各所にある。

それらの品はそこそこ高くても売れる。それなら、山元から高めに素材を購入することも可能になる……。

が、そこで気づいた。果たして、そんな善意に期待できるのか。

高く売れる木材商品が開発されたとして、その材料の木材を、山元から高く買い取るようなお人好し業者は、どれだけいるか。安く買いたたけば、もっと利益が増えるではないか。

そう、どんな商品を開発しても無駄なのである。商品が高く売れようが売れまいが関係なく、コストを抑えようとすることは産業界の常套手段だ。

地下深く泥まみれで宝石掘っている人夫は、宝石の最終商品の価格に見合うほどの給金をもらっているか? と考えればすくわかる。

しかも、利益率の高い最終商品が登場すると、すぐ代替え商品が登場する。国産材商品でヒット作を作れば、同じものを安く仕入れた外材で作るとか、そもそも加工を海外に出すとか、非木材を使って作り、表面に木目プリントをして木質ぽく見せる……方向に行くだろう。

結局、山元の買いたたきが起きる。

これを防ぐにはどうしたらよいか。法律で規制するのは不可能だ。

たとえば山元が加工販売業と一体化するという手が考えられる。
しかし、これができるのは大手だけだ。資本力がいる。日本なら住友林業くらいか? もっとも、あの会社は山をたくさん持っているけど、今は伐らずに外材を購入して住宅作って売っているけど。

それとも山元が団結して、出荷量を押さえて価格交渉に挑むか。
これは期待したいところだが、まず無理。小さな山主ほど統一行動を取れないだろう。絶対に抜け駆けが出る。それに外材もある。

そこで、原点に帰るのだ。

山元の立場を慮って、買い取り価格を高めに設定してくれるのは、山元と加工業者の信頼関係があってこそだ、と。

いかに両者が懇意にしていて、お互いの事情を知り抜いているか、によるのではないか。そして信頼関係を築くことによって、「買いたたき」ができない関係になるしかない。もちろん、信頼し合ったふりをして騙す輩もいるだろう。が、それを見破り、牽制し合うほどお互いが懇意にならなければならない。

かつてのアメリカとソ連、今はロシアは、核弾頭削減交渉で、「お互い信頼し合う。そのうえで徹底的に検証する」という態度をとっていた。同時に条約を履行することを信頼しているけど、それを守っているかどうかも検証する、そのための調査妨を害しないことを誓い合った。

おそらく、そんな覚悟と関係を築かなくてはならないのだろう。まあ、山主と素材生産業者、あるいは製材所との仲は、米・ロほどよいのかどうかわからないが……。

ここで重要なのは、山主が、本気で木材を高く売ろうと努力することだろう。そして熱意を示して素材生産業者や加工業者と交渉することだ。包み隠さず情報を提供することも必要だし、山の環境、森林生態系゛そして林業の存在意義などの知識や意見も身につけて、相手を説得する力を持たねばならない。

あまりに当たり前の、ビジネスの基本にもどってしまった気がするが、これが結論である。

まず、信頼できるパートナーを見つける努力をすること。地域は選ばない。全国を股にかけて探す。そしてマジメで熱意をもち、行動力を伴って取り組むことで、信用できるビジネス・パートナーと、お互いの懐事情まで知り合うことで、無理な騙し合いはなくなる。可能な限り山元に資金を還元してもらうことで、山の再生産に取り組む。そしてよい森をつくり、よい木材を提供することを信用してもらう。これに尽きるのではないか。

外野の人間(私も含む?)ができるのは、両者を結ぶことだろうか。どこに、面白い木材商品を開発した業者がいるか山主に伝える、そして、その業者が信じるに足るか情報を提供する……。その裏返しで、加工業者にも、しっかりと安定的に材を提供する気のある山主を紹介することも必要かもしれない。
もしかしたら、双方の情報を集めてマッチングするようなNPOを作るのも手かもしれない。

いずれにしろ、ビジネスは人であり、信頼関係で成り立つ。……と、私はまるでドラッガーのような境地に達したのである(^o^)。

2011/03/30

「緑は癒し」の理由は?

4


「芽吹き」だげてなく、「植物の緑」そのものを見るだけでも癒される、と思う人は多いだろう。

でも、なぜ? 単に緑=自然という心理的効果だけではないだろう。

そこで指摘されるのが、緑色は明るく見える光だという説だ。

実は、赤とか青は、かなり強い光でないと色が出ない。言い換えると光線量が多い。それは刺激が強いことを意味する。しかし人は、その刺激を表面上は感知していない。赤と青(紫)の隣は赤外線と紫外線だもんね。

ところが、緑は、光線量が少なく暗い光なのだそうだ。それでも明るく見える効果がある。それは通常に見る場合、少ない光線量で十分見えていることになる。

それが目にきつい刺激を与えず、また強くなるとまぶしく感じるため自動的に瞳孔が小さくなり眼底、そして脳内に届く刺激は少なめに押さえることができる。赤や青では、知らず知らずのうちに疲れる刺激を受けるのに対して、緑はダメージが少ないのである。

そのほか、自然界の緑、その多くは森など植物の緑の場合は、緑光は、光合成用にエネルギーを吸い取られた後の光だからか? 目に優しいのだろう。
加えて、緑と言ってもさまさまな段階がある。それが均一の刺激と比べて、視覚的に分散するのではないかとも思う。木漏れ日のような、光も小さく分散した刺激だろう。

ところで、本当にもっとも少ないエネルギー量でもっとも明るく見える色は、黄緑色だそうである。

だから、植物に癒されたければ、黄緑色の葉を探して見よう(^o^)。

2

2011/03/29

植物で「萌え」る

農耕を始めて人類はヒト(文化的動物)になった、という説がある。自ら食料の増産に成功したことによって、人はほかの動物と決定的に違うようになった、というのである。言い換えると、農耕の発明により人類は飢えから解放されて、人口の増加を可能にして、さらに文化を発達させたという。

だが、それに反論がある。食料増産のために農耕を始めたのではなく、植物を育てたことが結果的に食料増につながり、人口を増加させてしまった……いわば原因と結果が反対だというのだ。

実際、狩猟採集民族の調査によると、彼らは飢えることはなく、森などで十分な食料を得ている。また働く時間(食料調達時間)も短くて済むという。切羽詰まって食料増産方法を模索する必要はなかったらしい。

では、なぜ植物を育てたのか。

それは、快感だから……。植物が芽吹き、育つのを目にするのが楽しかったから。また、生長に自分がなんらかの手(水やりとか、耕作とか、移植、種まき……)を加わっていることに快感を感じたというのだ。

ここからは哲学問答みたいだが、私はわりとこの説が気に入っている。そう、植物の生長を目にするのは、人の脳内にドーパミンを増やすような刺激につながっているような気がするのだ。原始人類にとって、植物の生長にほんのわずか手を貸すことからスタートした気がする。

自分が目をかけた植物がよく育つ、そして実をつけて、「収穫」につながれば、もっと快感は大きくなっただろう。

そこで工夫して、より育つ方法を考えた。最初は周りの草を引き抜くだけだったのが、光を当てるといいことに経験から気づく。さらに種子をまくと、そこから「自分の」植物が生えることに気がつき、実行する。まくのも地表に落とすだけではななく、土を耕した方がよいことを覚える……。水をやる必要があることや、肥料に相当するものが存在することに気づく。そのうち剪定とか、間引きのような技術まで生み出す……。

こうして人類は、農耕を覚えた。すると食料も増えた。さらに増産に励む……。人は、快感を得るために、農耕を拡大したのだ。

P5210019

そうして文化が発達しヒト社会に広がった……。
この説に、私は一票投じたい(^o^)。

さて、今では農耕は農業という産業・仕事になり、食料増産に欠かせない。いや、派生して花を栽培したり、庭づくりをして景観を楽しんだりもする。さらには森づくりを求めるまでになった。だが、それらも根幹は快感を得るための植物の世話なのではないか。妙に理由付けしなくてもよい。植物と戯れるのが好きなのだ。

だが、意外とそのことを忘れてしまった人が多い。

今一度、植物を見て、触って、快感を取り戻さないか。
植物の萌えだす様子を体感するのは、文字通り「萌え」である。それは今風には「癒し」にもつながる。植物には、人類の心を癒し、快感を与える力を備えている。

時は春である。まさに木々が萌え、草が芽吹く季節となる。すでに各地で萌えが始まっている。少し遅れて東北にも春がやって来るだろう。
野に出て、植物の芽吹きを見つけよう。小さな草でもいい。コンクリートの狭間でもいい。葉のない木に徐々に膨らんだ芽でもよい。……きっと、気持ちよいと思うよ。それだけでいい。

P4160008

2011/03/28

地面の傾きは……

震災関連のことは、津波に原発放射能と、あまりにテーマが多くありすぎるが、一つ気になること。

それは、大地の傾斜は保たれているか、という点である。

実は、私は阪神淡路大震災に関して淡路島を取材したことがある。

そこで見たのは、棚田の多くが傾いていることだった。そう、大地が動いたままだったのである。とくに山手では、それが顕著に出ていた。

すると、どうなるか。水が溜まらないのである。水田は、均一に水が溜まらないと苗はしっかり育たない。つまり水田として機能しない。これを直すのは、大変な手間がかかる。

地割れも起きていた。そして不透水層が破れたところも多かった。そのためか、溜め池の水が抜けている。

同じことが今回の震災地域に起きていないだろうか。

ほんのわずかな傾斜も、水面は動く。棚田は大丈夫か。また地割れが広がっていないか。

平地の水田だって困るが、棚田の場合、より水がもれやすい。中山間地では、修復の手間隙や費用を捻出できず、放棄が広がるかもしれない。

地面の傾きが変わることによる影響は、ほかにもあるだろう。工場地帯なら、機械類の据えつけを全面的に点検しなくてはならなくなる。

さらに水脈が変わることも考えられる。そうなると影響は大きくなる。

私が気になるのは、ゴルフ場だ。グリーンやフェアウェイの傾斜が変わると、ボールが今までのように転がらなくなる。

その程度、と笑わないように。別にゴルファーのことを心配しているのではなく、そのコースではプレー自体ができなくなると、経営的に打撃を与えるのだ。

実は、世間で思われているほどゴルフ場は裕福ではなく、かなりのコースが経営難である。そこに傾斜被害や地割れ被害が大きかったら、経営破綻か閉鎖の可能性も出てくる。
ただでさえ自粛ブームで客足が落ちているのに。閉鎖されるゴルフ場が出てくると、地域経済的にも影響がある。そして閉鎖ゴルフ場の生態系がとうなるか、未知の部分が多い。

ただ林業では、そもそも山の傾斜があるところなので、あんまり影響はないかもしれないなあ。積んである土場の丸太が崩れる? そりゃ、積み直してください(~_~;)。

なお、阪神淡路大震災は、直下型で、とくに淡路島は震源だった。それに対して、今回の地震はプレート型なので、地形への影響はそんなに大きく出ないかもしれない。が、余震には直下型もあるから、後々出てくる可能性はある。

目下の被災者対策や原発問題が落ち着いたら、多少とも気にかけてほしい。

2011/03/27

「美味しんぽ」でも林業談義

ふらりと寄った古本屋。

そこに漫画「美味しんぼ」のコミックスがずらり並んでいた。そこで最新刊(昨秋発行)の105巻をパラパラめくると、林業談義をしていた。雑誌掲載は、おそらく春だろうが。

516gk96bv3l__sl500_aa300_



105巻だって。

この漫画、あまりに長編連載になり、今や環境問題を取り上げている。なかには今なら大いに盛り上がる原発とか、長良川河口堰も扱っているが、いよいよ森林問題にもシフトしだしたようだ。最初はマツタケがなぜ減っているか……辺りから入り、とうとう人工林問題だ。

で、訪ねた先が三重県の速水林業だったりする。

なぜ日本の林業がダメになったのかを説明するのに、まず戦後の建築基準法を取り上げているが、次に「安い外材」を指摘していた(~_~;)。この時点で、私としては「あ~あ、生兵法は怪我の元……」と思ってしまったのだが。

そして、新しい試みとして、苗の話やら家づくりの話に移るのだが……。

ここに登場するのは、速水亨さんほか、いずれも大地主ばかり。そして場所も、尾鷲桧という高級材生産地である。

だから、紹介されるのも、高級材ならではの付加価値のつけ方になる。それが悪いのではない、この地域の林業家なら結構なことだ。

しかし、ここでも量か質か、の問題がのしかかってくるんだな。

高級材ではなく、むしろ長年放置してきて、あんまり質のよくない木材になってしまった山の木は、どうしたらいいのか。そんな木でも、付加価値をつけて価格を上げる方法はないのか、と考えてしまうのである。

そして、日本の森林をなんとかするには、量的に国産材がさばけて、しかも価格もそこそこの値段がついて、その木の生えていた山が整備されることを願わねばならない。

どんな手がある?

また考え込んでしまうなあ。

2011/03/26

木材は、質か量か(上)~材価を上げるということ

思考実験。

以前から考え続けてきたのだが、林業が主に供給する商品である木材は、そこに求められるのは質なのか、量なのか、どちらが本筋なのだろうか。

質も量もだよ、そのバランスだよ……といった「正論」は、この際封印するとして、消費サイドが求めているのは何か、本音の部分を考えてみたい。

というのは、現在の日本林業の問題点は、木材価格が安すぎることである。国産材は、量として売れだしたからだ。
いまだに国産材は売れない、と嘆いて見せる関係者は多いが、それはあまりにも市場を知らない。昔ながらの「外材に圧される国産材」の図式を描いて、行政や消費者に泣きつく所業は、いつまでも通用しない。

だが、売れないのではなく、あまりに安いから売らない、木を伐らない、伐り捨てにする……のが現状ではなかろうか。価格を別としたら木材としての引き取り手はいくらでもいるのだ。

さて、この認識の元で必要なのは、日本林業が取り組むべきなのは、材価を上げること、山元が利益を出すことである。では、どうして上げるか。

ここからが課題となる。価格を上げるには、どうすべきか。

今のところ、利益を出すためにはコストダウンだとばかりに大規模化、機械化による低コスト施業をめざすのが主流だ。もう一つ、ボランティア的な人件費(利益)抑制もある。「○材で晩酌を!」といったスローガンや、日曜林家が出材することで、安く出すのだ。利益は薄くても、趣味的にやっているから文句は出ない。
ただ、それも限界がある。やはり材価自体を上げたい。

そこで、とうしても付加価値化、高品質化、を狙うようになる。

一昔前なら、産地銘柄があった。どこの林業地の木材だから高く売れる、というものだ。吉野材、秋田杉、木曽檜、といったものである。だが、今や廃れた。
また「役物」という付加価値もあった。磨き丸太にすれば、細い間伐材でも一気に値段を撥ね上げられた。しかし、それも今ではダメ。

そこで最近は環境を掲げて、FSCなどの森林認証をつけるとかして、価格を上げることを狙う。さらに、森のストーリーを付加したり、家づくりのストーリーに組み込んで、材価を上げる試みがなされている。

その戦略自体は立派で頑張っているのは承知するが、非常に手間がかかるうえ、高付加価値化そのものが差別化であるわけだから、どうしても少量しか捌けない。大多数の国産材は、この方法を適用できないだろう。また適用しようとすると過剰となり、価値が下落する。
言い換えると、この方法を取るのは、一企業、一事業体が売上や利益を伸ばすために行う手法ではないか。
山元の誰もが利益を上げる手法を考えないと、日本全体の林業の嵩上げには限界を感じる。(ただし、努力しない輩に濡れ手の粟の利益を与えようというのではない。努力すれば、どこの産地でも実行可能で、需要も確保できるモデルを求めている。)

……このように考えると、木材は質か、量か、という根本に突き当たるのだ。

残念ながら、世間の多数は素材〔木材〕に質を求めていないと感じる。一部の嗜好としてのブランド木材は求めるが、圧倒的な消費にとって、木材は商品にする前段階のマテリアルにすぎない。家という商品になる前の建材、家具を作る前の板などだ。それは最終商品ではない。
だから、マテリアルが高いと、忌避する。外材や合板、ボードに移るか、そもそも非木材素材へと転換するか。

さあ、その中でどうしたらいい? というのが、これから求めるべき解答である。

(続く。いつ、続きを書くかなあ。)

2011/03/25

世界遺産で蜜蜂の巣箱

038






写真は、ミツバチの巣箱。それ自体は珍しくないが、設置してあったのが、春日山原始林。

奈良市の春日大社の裏山……じゃなくて、鎮守の森。由緒正しい場所なのである。そんな原始林で養蜂やっていいのか? 

もっとも、この巣箱はニホンミツバチ用か、セイヨウミツバチ用だろうか。ほかにもいくつかあったけど。

でも、このところ寒のもどりがあるから、まだミツバチは飛ばないだろうな。今は、巣箱であったまっている季節。

ちなみに春日山原始林は、世界遺産の指定を受けていることをご存じだろうか。世界遺産の森は、白神山地と屋久島だけではないのだ。

と言っても、実は世界文化遺産。東大寺や法隆寺、平城宮跡と同じ扱いなのだ。古都の文化財と同じ扱いを受けている。森も文化なのだ!

ここで採れた蜂蜜は、「世界遺産」印にするといいと思う。何も「銀座で養蜂」だけが売り物ではない。(いや、銀座に何も敵愾心燃やしていませんよ……。)

2011/03/24

テーマを決める発想の作法

突然やってきた原稿の依頼。7つの森の記事を書くことになった。

焦ってる。月末締め切りだから、時間がない。なにしろ現地取材もほぼ行けないし、経費も出ない。開き直って、いかに執筆しているか公開しよう。本邦初公開である(^o^)。

とりあえず、かつて私が訪ねた記憶と記録が頼りだが、時間がたったものは事情が変化しているかもしれないから、インターネットでその森を検索して、現状を調べたりもする。また新しい情報や観点も探るため、資料も当たらないといけない。

何より、それぞれの森の切り口が問題だ。みんな同じことを書いても仕方ないので、テーマを考える。歴史か、生態系か。人か。開発反対運動でもあれば、それもいい。

ぐだぐだになる。

そこで資料を読み、かつて訪ねたときの写真を眺め、とりあえず情報は頭に納めてから家を出た。

森のことを書くには、森を歩こう。きっと、何か浮かぶだろう。

ところが、森を歩くと目の前の景色はどんどん変化するし、その度に別のことを連想するし、どうせなら春の兆しはないかと探し始めたものの、山菜の一つ、花の蕾の一つもない。ああ、生駒山にまだ春遠し……と嘆き、おいおい、そんなことするために森に来たんじゃないよと我に帰る。

ずんずん、と山を進む。今日は思索のために森を歩いているのだから、あまり早く歩かなくていい。いや、ゆっくり歩くべき。それに服装も、山仕様ではないから、いつものように脇道それることは慎むべし。

009

そんでもって、落葉をかき分け、土をいじると、見~つけた♪。
土器片を発見して悦に入る。これは奈良時代の皿の一部かな。生駒山は、やっぱり古代遺跡の宝庫だなあ……と、よし、古代史で一本書こう。

003

そんでもって、山道は、引っかき回されているのはイノシシの仕業か。ミミズを探して土をほじくり返しているのだ。本当にイノシシ増えている。そのうち住宅街を走り回るのは間違いない。野生動物も、ときに自然破壊だよな。よし、動物で一本書こう。






ため池もあるな。これは人が作ったものだよな。里山って、ほとんど人が作った自然ばかりだ。そうだ、人がつくった森のことで一本書くか。

いっそのこと、森にこだわらず、里山について書いてもいいか。文句言われるかなあ。でも、締め切りギリギリに送れば、諦めるだろうな。それならテーマは棚田だな。棚田で一本仕上げるぞ。

008

いやいや、せっかくだから林業そのものも扱いたいな。実は生駒山には、かなり立派な人工林があるのだ。美林とまではいかないけど、太いスギが密集・林立している姿は、なかなかカッコいいぞ。よし、日本の林業発祥について一本書くぞ。





道を進むと、たまたま目にした竹林の奥に巨木があった。竹に囲まれて窮屈そうだが、なんとサクラではないか。こんな木はほかにもあるよな。そうだ、人知れず存在する巨木で一本書けるぞ。

そんなことを考えて進むも、ふと目に入った道は、最近通っていない。いや脇道ではないよ。以前も通ったからね。道もそんなに険しくないはず。と、その分岐にもどって軌道修正。すると、あれ、新しい道ができている。きれいに整備されているから構わないね、とその道を進み、気がついたら見知らぬところへ分け入った。

005_2

ほれ、イノシシが土を掘った穴に、ツバキの花が一輪。

生駒にはヤブツバキが意外と多いが、通常なら誰も見る人のいないところでひっそり咲いている。そんな花を愛でることができて幸せかも。もちろん、ツバキは人のために咲いているのではないけれど。

と、またもや見知らぬ道。なんか、最近草刈りした跡がある。かなり急で危なっかしいけど、この際だ、と足を踏み入れてみる。これは道じゃないかも、と気づく。それでも進むと、前方に送電線のタワーが。そうか、タワーまでたどり着くために急遽つくった道だったんだ。。でも後戻りする気になれず、進むよ、どこまでも。いつのまにやら川が出てきて、それを渡り、さらに進もうとしたら道は消えてしまい……。おいおい、ここはどこ?

気がついたら、いつものパターンに陥っていたのであった。最後は崖をよじ登って脱出。でも、いいや、なんとなく7本の記事書けるような気になってきたから。

でも、あと1本どうしようか。

※多少の創作は入っております。

2011/03/23

需要と供給は、なぜつながらない?

昨日、一昨日と、「文化の森シンポジウム」に「伏状台杉の巨木」を紹介した。

前者は、木造文化財の修理に使う大径木の木などがない問題を扱っている。その話を後者の伏状台杉の山主さんにした。すると、意外な返事。

「いや、結構太い木はある。ところが、その山を持っている人は、『太くても引き合いがないから、伐って市場に出そうかと思っている。待てば待つほど材価が落ちていくから』というんだ」

驚いて、その情報を伝えれば、欲しがる所はあるのでは、と問うと、

「もう知っているはずですよ。だって何年か前に京都府が毎木調査に来ましたから。全部の木に番号振って場所も記録したはずです。」

毎木調査って、ようするに1本1本太さや高さを記録したってこと?  だったら、どの山にどんな木があるかデータベースになっているはずじゃないか! それなのに、なぜ注文が来ないのか。片やなくて困っている、片やあるのに売れない、これはマッチングミスだ。

意外と大径木の需要は少ないのか? 

「役人は、2、3年で配置転換になるでしょう。だから調べたデータをどこかに眠らせているんじゃないですか。次の人に引き継ぎをちゃんとしていないとか、しても次の人がその分野に興味がなかったら忘れて放置するだろうから」

う~ん、とうなってしまった。

なんか、どこかで起きている物資不足と買い占め、供給不安の構図と似ている。全体としては十分な量があるのに、適切なマッチングができないため、足りない、売れないと騒いでいる事態と……。

もちろん、本当の理由はわからない。マッチングしたものの求める材の条件に合わなかったのかもしれないし、木を求める人が府庁に問い合わせなかったのかもしれない。いや、そもそもデータベース自体がないのかもしれない。(毎木調査の目的は、まったく別のことに使うためだったとか。)

とはいえ、結局、モノは需要と供給だけではダメなのだ。その両者をつなぐ情報を含む流通がないと。見えないこの部分を軽んじると、単にビジネスとして成立しないだけでなく、資源の無駄と環境への悪影響さえ生み出しかねない。
林業関係は、とくにこの部分が弱い気がする。

※ちなみに伏状台杉は、根元は太くても、すぐ枝分かれしているから太い材は取れない。また材質も皮入りしていたり、内部が空洞のことが多いそうだ。それでも、根元部分は半径3メートルくらいあるから、たまにそこからすごい木目の役物が取れたりする。その家にも、そんな立派なテーブルがあった。

2011/03/22

伏状台杉

テレビで東北に雪が舞っているのを見て、やはり東北、寒そうで大変だなあ……と思っていた。が、昨日訪れた京都の花背の景色。

2

な、なんじゃこりゃ。雪景色じゃないか!

訪ねた家も、玄関が雪で埋まって入れなかった……。

東北より雪が多いんじゃないか。関西にも、こんな地域があるんだねえ。

おかげで山にも入れず。でも、家人(林業家)からはいろいろ話は聞けた。

さて、今回見たかったのは、伏状台杉。これは、一般に日本海側に分布するウラスギと呼ばれる品種で、伐ったり折れた部分から萌芽が出たり、たとえは雪の重みで枝が地面に着くと、そこから根が出て育つのである。これで育ったスギを伏状台杉という。

これを利用したのが、京都・北山の台杉仕立てで、一つの切り株からいくつもの幹が育っていて、庭木などに重宝される。もっとも、最近は売れなくなったそうだけど。

一般に針葉樹は萌芽更新しないものと思っているから、このスギはちょっと興味深い。

花背の奥山には、巨大な伏状台杉がある(幹回り18m)のだが、そこに行くのは4月以降ではないと無理そうだ。

諦めつつ帰りかけたが、途中で伏状台杉を発見。

023
なんとも異形だろう。

おそらく、一つのスギを伐った跡から数本の萌芽が育ち、それが太くなったところで、また伐採されて、その後に現在の幹が育っていると思われる。

039

この写真なら、わかりやすいか。

伐られた跡から芽が出た雰囲気がつかめるだろう。

昔は、これで育った木を出荷していたらしいが、やはり材質が悪いので廃れてしまった。

だから、このスギ林も、周囲は1本仕立て。おそらく苗は外部からウラスギでない品種を持ち込んだので、萌芽は出ない。

でも、スギはまっすぐ育つだけじゃない。雪に負けずにしぶとく伸びることもできるんだねえ。雪国ならでは、かもしれない。

このたくましいスギの姿は見る人の心を打つ。

2011/03/21

木材の震災需要を逃すな

昨日のシンポジウムは、京都の清水寺大講堂という贅沢な場所で行われた。

とてつもない観光客の波に圧倒されながら(~_~;)、せっかく訪れたのだからとわずかな時間で見学。が、本堂に入る轟門のところで見かけたのが、この建物。

007

轟門の横にあるのは、おそらく朝倉堂ではないかと思うが、現在修復工事中である。

実は、このシンポジウムの前に、この修復工事現場を見学するツアーが催されているのだが、私は参加していない。

で、こっそり、中を覗いた(~_~;)。いや、覆いの隙間からである。すると、

006

おや、工事現場の足場は丸太ではないか。以前は細い間伐材の大きな需要先の一つであった建築足場がここで使われているのだ。

さすが、伝統建築物のお寺としては、修理も古式ゆかしき足場を使うのか(笑)。

いや、笑い事ではない。建築足場需要は、かつて林業の大きな採算要素だった。ときには太い建築材より高く取引されたという。これで植林や下刈りなどの経費は全部賄えたのだ。

それが金属パイプの足場に取って代わられたことが、今の林業没落の始まりではないかとさえ思うほどだ。もう一度復活させることを考えてもいいのてはないかなあ。

とはいえ、写真はやはり「古式ゆかしき(笑)」番線で組んでいる。が、これでは今の建築職人は使いたがらないだろう。針金で固定するのは結構技術がいるし、下手なやり方では安全性の面でも不安がある。

せめてボルトを通す穴を開けておく程度のプレカットをすれば、現場も使いやすいはずだ。

話は変わるが、知り合いの棒杭製造者のところに、東北震災の復興用の土木工事に使う杭が、10万本の注文が舞い込んだそうだ。
ところが、とても製造できない、材料が集められない、と断ったとか……。

もったいない。いや、ビジネスチャンスを失ったというだけではない。杭の材料は、これまでなかなか売れずに困っていた細い間伐材なのだ。ほとんど伐り捨て間伐の対象である。

ここを踏ん張って杭の材料を集めたら、それはとりもなおさず切り捨てられている間伐材を有価物に変えるチャンスである。杭だけでなく、使いやすい木造の建築足場を提供できないか。それが木材需要をとりもどすきっかけになるかもしれない。

もちろん、大変なのはわかる。乾燥だってどうする? とか、製造の手間に支払い条件や引き取り価格は、輸送方法などを考え出したら面倒になるだろう。

森林組合や林業事業体と杭生産メーカーなどが組んで、大増産に挑まないのか。

東に求める需要があり、西に眠っている資源があるのなら、嵐の海を越えてでもそれをつないでほしいけどな。

2011/03/20

今考える、大仏建立の詔の意味

今日は、京都の清水寺で開かれた「文化の森シンポジウム」に顔を出した。

文化財修復に使う木材をいかに調達するか、育てるか、という内容なのだが、そのことはまた別にして、実は私は数日前から、聖武天皇が奈良の大仏を建立するに至る動きと、そのために発した詔について調べていた。

奈良時代当時、国は相次ぐ飢饉、地震、伝染病の蔓延と大いに乱れていた。それをおさめるために考えたのが大仏の建立であった。

聖武天皇が、大仏(盧遮那仏)を決意するのは、知識寺の盧遮那仏を見たことから始まる。で、その知識寺は、生駒山系南麓(ここ、重要ね ^^)の信貴山下に帰化人が建てた寺である。ここに盧遮那仏(高さ約5メートルほどと推定されるが、一説によると18メートルで、それては奈良の大仏より大きいやん!jツッコミを入れたくなる)のがあったのである。つまり、大仏の起源は、生駒山にあったのだ! (また、牽強付会する……)

この知識寺は、後に太平寺と名を変えたが、平安時代に消えてしまった。ただ、その場所は現在石神社となり、当時の礎石が見つかっている。この上に高さ48,8メートルの五重の塔があったらしい。

3


知識寺東塔の礎石とされる。




さて、肝心の詔であるが、西暦743年(天平15年)に発せられた。

盧遮那仏の金銅像一躰を造り奉る。国銅を尽して象を溶し、大山を削りて以て堂を構へ、広く法界に及ぼして朕が知識と為し、遂に同じく利益を蒙らしめ、共に菩提を致さしめむ

面白いことに、とくに仏像の大きさを示す言葉がない。これでは大仏をつくれ、といったことにならないではないか。
でも、まあ、ここでは金属製の仏像を作るぞ、というところがミソね。以前、国中の銅を集めて疲弊させ、金メッキのため水銀をまき散らしたことから、ブラック・ツーリズム論への発展したのだが。

それ天下の富をたもつ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり。この富勢を以て、この尊像を造る。事や成り易き、心や至り難き

ようするに天下の富を私は持っていると宣言しているのだ。そして、その力によって大仏を作る、という。にもかかわらず、

もし更に、人情に一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らむと願ふ者有らば、ほしいままにゆるせ

国民に一つかみの草、一すくいの土を持ち寄って大仏づくりに協力せよ、と言っている。これは知識寺の盧遮那仏が、土地のみんなが力を合わせて作ったという由来に寄るものだろう。知識とは、仏につながる同志という意味なのである。

聖武天皇は、当時の強権を使っての国家事業(大仏建立)ではなく、国民が富と材を持ち寄って作る自主的な知識(同志)の協力と団結が必要だと考えたのだろう。無理強いして作ってもいけない。そして国郡等の司、この事に百姓に強制してはいけない、あくまで朕の意を知らしめて行え、とまで記している。

それは、政策的に大きな方向転換ではなかったか。権力で作るのではなく、協力によってつくる。

実際はどうだったかわからない。おそらく強制労働的なこともあっただろうし、資源収奪も起きたとは思う。とはいえ、理念は美しい。大仏とは、国を、国民を救うためのシンボルなのであって、統治者の偉業を示すものではなかった。今も独裁国家にありがちな銅像とは違ったのである。

102




今また、東北に「現代の大仏」を建立できないか、と夢想する。国の再建とは別に、一人一人がひとつかみの草、ひとすくいの土を持ち寄ることによって。

2011/03/19

災害と紀伊国屋文左衛門

意外と長く休んでしまった……ま、裏ブログを連日書いていたのだけど。

別に震災に自粛したつもりはない。もともと震災被害が次々と明らかになる過程では、森や林業のことなど書いても読者の頭に入らないだろう、と考えた。そこで数日間沈黙して、全容がつかめるようになれば、被災者救援や復興が課題になり、そうなれば綴ることもできると睨んでいたのだ。その間は、多少とも心を明るくするドーデモ話の提供(裏ブログ)だけを心がけた。
ところが、地震、津波の被害の上に現在進行形の原発問題が沸き起こり、こちらで肝を冷やす。一時は本気で、もうダメか……と思わせたが、今のところ小康状態。まだ落ち着く見通しがでたわけではないが、あとは「ふくしまフィフティーズ」および全国から原発の暴走を止めるべく参集した人々の尽力に期待するほかない。

と、前書きはこれくらいにして……。

災害と林業を考えて、ふと頭に浮かんだのは、紀伊国屋文左衛門である。江戸時代初期に、最初は紀州から嵐の海を江戸にみかんを運ぶことで儲けた文左衛門は、帰りは塩鮭を持ち帰ってまた大儲けする。江戸の明暦の大火に遭遇して、大量の木材供給を企てる。そして財を成すのである。
それは、単なる個人の商売の話にとどまらない。それまで冬などは荒れて使えないとされた紀州-江戸航路を、確かなものにするとともに、木曽の木材を江戸で売るという市場開拓にも成功したわけだ。

つまり紀伊国屋文左衛門は、江戸時代の産業流通構造を再構築したのである。

さて、今後の東北復興に向けて、建材需要は爆発的に高まるだろう。一部では、復興バブルがもたらされるとさえ囁かれている。だが、そこに立ちふさがるのは嵐の海ではなく、その建材が木材が否か、その木材が国産材か否か、だ。

火急に被災地に復興の素材として国産材を提供できれば、これを契機に木材流通のシェアを確保できるうえ、その後の「木の街づくり」につながるだろう。それは林業の活性化のみならず、地場産業の復興であり、雇用の提供であり、新しい街づくりだ。
しかし、出遅れると、いよいよ日本の林業は忘れ去られる。

本当は、木材ほど自在に現場で加工できて緊急の場で使える素材はないのだが、今の世の中、キットになったプレハブ建材の方が、求められるかもしれない。
あるいは大量にプレカットを済ませた外材が、送り込まれるかもしれない。

東北は日本でも有数の量的木材産地であり、合板と製材の生産地である。残念ながら、それらが地震と津波でどれほど傷ついたのか十分に伝わってこない。しかし、万難を排して(もちろん、東北以外の木材産地も)木材を供給することが将来につながる。

お上が補助金出してくれたら……なんて悠長に構えている場合ではない。あえて言えば、今が千載一遇のチャンスだ。

出よ、現代の紀伊国屋文左衛門! もう、坂本龍馬ではないぞ。

※ ただし、本当の文左衛門は、晩年に火事で木場のストックしていた木材を焼き、木材業を廃業するんだけどね(~_~;)。

2011/03/13

再校ゲラが……

4月出版予定の本の再校ゲラを仕上げた。

これで、いよいよ私の手を完全に離れる。月曜日に編集部に届けねばならない。

と、その日に起きた東北地方太平洋岸大地震。

とりあえず宅急便でも1日早めに送る……つもりが、「関東地域は受け付けていません」。

あらら……。

かくして出版予定は遅れるかもしれない。

追伸・昨日、当面おとなしくすると書き込んだばかりなのに……いや、実は裏ブログに書くつもりなのに、間違って表ブログにアップしちゃったのさ。

2011/03/12

ふきのとう

ふきのとう

先日、但馬でフキノトウを買って帰り、天ぷらにして食べたのだが、ふと今日庭を見ると、フキノトウがたくさん芽吹いていた。(^o^)

買うまでもなかったか。

さて、震災情報があふれている中で、本ブログを更新するのは難しい。思いはたくさんあるし、なかにはツッコミドコロ満載のいい加減な情報も多いのだが、そのツッコミ自体がジャンクになっても仕方がない。

しばらくはおとなしくしておきます。なお、ドーデモいい話は、裏ブログで。現実に疲れた方向きに発信していきます。

2011/03/11

大地震につき

宮城県沖で、最大級の地震〔東北地方太平洋沖地震〕発生につき、本日の更新は遠慮しておきます。

それにしても阪神大震災のときのことを思い出さざるを得ない。被災地では、まずは周りを十分に観察して行動してください。やたらめったら行動したり、情報発信しても、結果的に正しいか間違っているかわからず混乱招くだけ。

用意していたネタがあったけど、日延べ。そういえば阪神大震災は、木造建築の世界にも激震を走らせたのだったなあ。

2011/03/10

木質バイオマスに求めるもの

先日の講演で、バイオマス・エネルギーにも触れた。

と言っても、木質バイオマスで経済的に引き合うのは薪だけで、木質ペレットは難しいだろう、という程度の説明で、むしろ薪ビジネスを紹介するために触れたのだが……。

質疑では、地元で老朽化した温泉施設の石油ボイラーを木質ペレットボイラーへ切り替えようとしていることを指摘された。ちと、間が悪かった(^^;)が、話としては別に間違いではない。

ようは、バイオマス導入の目的である。

質問者も認めたように、木質ペレットは高価格で経営的には決して引き合うものではない。ただ、地元林業へのてこ入れとか、福祉的・情操的な効果などを木質に含ませるのなら、それはそれで成り立つ。石油使用との差額分を税金でカバーするのか、利用者への負担にするのかはわからないが、全体でカバーできるわけである。

実は、この点は薪だって、木炭だって同じなのだ。薪ビジネスが成り立つのは、燃料として薪を購入する人は、熱量としては全然劣るにもかかわらず、薪の炎を見てなごむといか情操面に高い金を払ってもよいと考えるわけである。
講演終了後、地元で炭焼きをしている人も現れたが、木炭を使用する人は、熱量だけではなく、情操面とか(料理の場合の)焼き上がりとか、無煙……などの機能を重視する。そして、見合う金額を支払う。

昨日の話に登場した建築家は、いま木質ペレットストーブを購入する人が増えていると言っていたが、よく聞くと薪とペレット併用ストーブだった。週末はゆっくり薪を燃やすが、平日はペレットを使う。その方が火付きが簡単だし、補給も楽だ。癒し効果は薪に劣るが、灯油よりはよい。つまり折衷した存在なのだそうだ。

ここに木質バイオマスに対して求めるものが見えてくる。熱量だけでなく、価格だけでなく、情操だけでもなく、使いやすさも加味される。

本当は、これらの機能を数値化してダイアグラム化? 幾何学表示して、そのバランスを読み取れるようにするといいね。薪は、機能性は劣るけど癒し面が強くてそれをカバーできるほどだと採用できる、逆にどんなに癒し面が強くても価格が高すぎるとマイナスになって購入できない……などと理論化するのだ。

すると、各資源の本当の価値が明確になるだろう。

 

2011/03/09

昔の製材寸法はデタラメ?

昨日、少し建築家と話した。

そこで、なぜ国内林業が没落したのか語る中で、いかに国産材の製材寸法がデタラメでビジネスになっていなかったか……という話題に触れたときに言われたこと。

「江戸時代の民家の解体調査を手がけているが、昔の製材寸法もデタラメですよ。垂木なんか、末口がずっと細い。その上に太い材を乗っけたりしている」

なるほど、いい加減な製材は歴史的な伝統であったか(笑)。

もちろん、事情が全然違っていて、かつては木材が簡単に手に入らない中、身近な木を利用し尽くす形で民家を建てたのだろう。梢近くのほとんど円錐形?したような木材だって利用したに違いない。これが宮殿や武家屋敷などになるとあまり無茶しなかったかと思うが、農家民家では精度を要求する部分も低かっただろう。
だから、ビジネスとして木材を取引する現在とは比べるべきではない。

ただ建築的には、そんないい加減な寸法の木材を使っても長持ちする家を建てられたのである。最近は耐火に加えて耐震だ耐久性だと住宅に対する要求は高くなるばかりだが、案外数値で決めた基準なんていい加減なのだろう。
構造的にはあきらかに弱くても、意外や地震に倒れない建て方があるのかもしれない。すきま風が入っても、それ自体は住み方で工夫して防いでいたのかもしれない。

多分、建築とは違った要素があるんだろうなあ。昔の建築、伝統的構法を神格化するような声もあるが、案外いい加減なのがよかったのかも。

2011/03/08

邪馬台国に林業はあったか?

日本の林業はいつ誕生したのか?

という話題にこだわっている。ここでいう「林業」とは、単に木の利用ではなく、組織的な伐採と流通・加工を行うことである。

これまでのところ、奈良時代の甲賀杣(平城京・東大寺建設……西暦700年代)から飛鳥時代の飛鳥寺、四天王寺建設当たり(金剛組の登場……西暦580年代)まで遡ったのだが、さらに遡れる?かもしれない。

それは、邪馬台国の時代だ!

邪馬台国がどこにあるかわからないのにぶち上げるのはどうかと思うが(^^;)、その有力候補である奈良県桜井市の纏向遺跡は、弥生~古墳時代前期(西暦180年から210年)である。

ここに宮殿跡が見つかり、大量の木製品も出土している。それだけなら、これまでの弥生、いや縄文時代の遺跡にもあるのだが、ここの出土品はヒノキ材が多いのだ。そして、当時はこの地方にはヒノキは少なかったと推定されている。花粉分析もしているのだから、そんなに外れていないだろう。

となると、遠くからヒノキを伐採して運んだことになる。

しかし、ヒノキなど針葉樹の伐採には金属器、とくに鉄器が欠かせない。針葉樹の繊維は、縦に長く、石斧では切れないからだ。となると、邪馬台国(それに匹敵するクニ)は、鉄を持っていたことになる。それは金属の精錬をしていたのか、それとも中国からの輸入品なのか。

木造建築物に使われた木の太さがわかれば、その輸送能力も見えてくるだろう。

いずれにしても、クニ(集落国家)が組織的に遠くの地の木を伐採して、輸送していたことを物語る。その伐採地の推定もおぼろげながらできるかもしれない。

これは、林業の発祥と言えるのではないか?

日本の林業は邪馬台国が生み出した、のかもよ\(^o^)/。

2011/03/07

自然の中の人工、人工の中の自然

兵庫県の但馬まで日帰り往復。カニが食えなかった……。

という話は、改めて。

昨日の駆け足3件の中で印象に残った景観を紹介しよう。

011
これは、生駒山の一角にある豪華なホテル&セミナーハウス。(写真はセミナーホール)

外界の里山の景観をそのまま取り入れている。宿泊の部屋も同じコンセプトで、窓の外の景色が里山の森になっており、最大限に活かした空間だ。自然を人工空間に取り入れた。

次に、大坂・梅田の地下街。

022
完全な地下の通路である。そこに、結構大規模な花壇?が作られている。数十メートル延びているうえ、草花だけでなく樹木もある。もちろん、光はすべて人工の照明だ。よく育っている。夜は照明がほとんど消える。

まさに人工の中の自然。

どちらがよい悪い、あるいは好き嫌いというのではない。

どちらも、せいいっぱい自然と人工物の折り合いを考えた結果だろう。

2011/03/06

銘木と銘酒の町フォーラム(下)

さて、このフォーラムでは、土倉庄三郎のことも語られた。

「父が、庄三郎の息子とほぼ同じ年で、可愛がってもらっていた」住職(NPO法人芳水塾理事長)の話を聞いて、まだまだ拾っていない庄三郎のエピソードがあることを実感。もうすぐ、出版予定の本が私の手を離れるから、今度は土倉翁に全力を傾注しよう、と決意。

そして、私が感心したのは、会場に展示されていた写真類である。

大和上市(吉野町)は、かつて吉野川を流していた筏の中継点であり、加工所もあった。その写真がすごいのだ。

ここに紹介するのは、展示写真のスナップを拡大したものである。

1

これは、樽丸の材料である。かつて、ここが樽や桶の材料の一大生産地であったことが迫力を持って伝わる。
そして、その横を歩く男たちに注目してほしい。彼らは木馬を背負っているのではないか。足元は木馬道か。

8_2
この筏流しもびっくり。シルエットになっているが、どうも女性らしいのだ。 女性も、筏に乗っていたのか。

しかも、筏の上に積んでいるのは、おそらく樽丸だろう。筏そのものは丸太の運搬だが、その上も輸送手段だった。

11
なんと、子供も筏に乗っていた(笑)。
いや、遊んでいるのだろうけど、当時は大人の労働を目にして子供たちは育ったんだろうな。

それにしても、筏の丸太の太いこと。筏も幅が広いし、長いように感じる。

このところ、京都の大堰川(山国林業)の筏流しなどを知る機会が多いのだが、あちらの筏は小さい。川の水量が少ないこともあるが、出荷する木の太さが違うのだ。また丸太のつなぎ方も違っている。

一口に、林業とか筏流しとはどんなものだ、と言っても基本的な条件や技術が地域ごとに全部違っている。

2011/03/05

銘木と銘酒の町フォーラム(上)

先にも告知したが、奈良県の吉野町で開かれた「銘木と銘酒の町フォーラム」に参加してきた。

吉野と言えば桜、かろうじて林業のイメージはあるが、実は3つの酒蔵の残る町でもある。そして吉野杉と言えば、本来は樽丸、つまり樽や桶の部材の生産で成り立っていた町である。そこで原点にもどり、吉野杉で木桶を作って酒を仕込もうというプロジェクトが行われていた。それは林業振興とともに街づくりでもある。今回は、そのフォーラムなのである。

3

壇上には、数少ない桶職人と樽職人が並んで座るという、これまでにない邂逅があった。ほかにスギダラ倶楽部の南雲氏とか、吉野町町長(北岡酒造の社長でもあり、山持ちでもある)とか、なかなか役者が揃っている。


木桶と酒づくりでまちづくり……と言えば、「桶屋の挑戦」(中公新書クラレ)を思い出す。サイドバーにも載せているが、今木桶が熱いのだ。しかも、長野県小布施町にアメリカ人女性が酒づくりに木桶を復活させて町まで活性化した経緯が記されている。吉野町も、それを狙っているのだろう。

フォーラムは、講演にパネルディスカッションをせっさと済ませて、酒蔵巡りへと切り替わった。試飲もできるそうだ。私は、車で行ったので酒でなく涙を飲んだのだが……。

そして木桶を導入した美吉野酒造を訪ねる。

8

これが、新たに導入した木桶だ。真新しさが目立つ。

ここに山廃純米を仕込んだ。1200リットルである。木桶が高くつくだけでなく、手間も非常にかかるそうだ。当然、酒の価格も2倍にはなる。しかし、木桶で仕込んだ付加価値(ストーリー)が売り物になる。

吉野杉は、非常に酒に合っているそうだ。ほかの地方の杉を使うと、最初のうちはアクが出て、酒に木香が付きすぎる。色も染まる。酒の味がわからなくなるのだ。
しかし、吉野杉のピンクの材は、ほんのりとした香りに止め、しかも保温性抜群で仕込みに向いているという。しかも100年持つ。

……それを聞いて、思った。吉野町の酒蔵が、吉野杉で作った木桶で酒を仕込むことが売り物である。ということは、3つの酒蔵でしか需要がない。酒蔵の仕込みを、全部木桶にすることも不可能だろう。そして100年持つのなら、更新することもずっと先。う~ん、桶づくりは儲からないな(~_~;)。

ともあれ、建築材ばかりに目を向けるよりも、原点の樽や桶に回帰する発想は大切だ。それで吉野材の需要が増えて林業振興になるわけではないが、いわば地元の誇りを取り戻す、地元学の手法ではないだろうか。

2011/03/04

ゴルフ場が海苔を育てる?

まだ「いま……必要な理由」シリーズを続けてもよかったが、食傷気味だろうから、ちょっとデザート(~_~;)。

昨年のことだが、某大学の教授から、ゴルフ場の調査に関する質問を受けた。

教授の元で修士論文に取り組む学生が、ゴルフ場からの流出水の研究をしたいのだが、ゴルフ場がOKしてくれないからどうしたらよいものか、というものだった。

そりゃ、ゴルフ場側からすると、またゴルフ場タタキの材料にされちゃかなわないという意識が働き、一介の学生の依頼など受け付けないだろう。

しかし、その研究は、ゴルフ場に限らず流出水に含まれる成分の分析を行っており、ゴルフ場の下流域の水には有機態鉄が多いことに気づいたので、調査したいというものたった。

そこで、しかるべき筋を通して、その研究の価値を示すようアドバイスしたのだが、その結果が届いた。

どうやら無事ゴルフ場の協力も得られて修士論文も仕上がったそうだが、その研究では、有機態鉄のゴルフ場からの流出には、「微生物入り有機質肥料」の散布の効果が一因として考えられるそうだ。そのメカニズムは、まだ解明されるまでにはいかないが、少なくてもゴルフ場の肥料が、流出水に影響を与えていることがわかったのである。

ただ、ここで有機態鉄が多いと何か問題があるのかが重要となる。それは地下水汚染とか言うレベルではない。むしろ、河川から海に流れ込むことによって、栄養分になっている可能性が高いのである。海水には鉄分が少なくて藻類が育ちにくく光合成が進まない実情があるからだ。

実は調査したゴルフ場の下流の海では、海苔の養殖をしているそうだ。もしかしたら、鉄分の増加が美味しい海苔が育つ一助になっているのかもしれない。もし、それを客観的に示せたら面白いナ。

地道な研究が、そんな可能性を示すのは、ちょっと面白い。

2011/03/03

いま「TPP」が必要な理由

「いま……が必要な理由」シリーズも、行き詰まったか。

里山から始まり(書名だけと)、木、林、森、村と進んだら、次はどこに行くか。奥山? 里海? 限界集落? それも考えるけど、今回はあえて世間に喧嘩を売るつもりで(^o^)。地雷を踏むかもね。

私は、基本的にこの手の国際政治経済問題には疎いのだが、多少は勉強した。そこで私なりに整理する。もし間違っていたら教えてくれ。

なお、タイトルは「TPPが必要な理由」にしたが、これはシャレである。本気で「必要」と思っているわけではない。

で、TPPである。正確には「環太平洋戦略的経済連携協定」とか「環太平洋パートナーシップ協定」と訳される。ここで内容は詳しくは説明しない。ようするに多国間の自由貿易協定である。

今や侃々諤々、最初は賛成派が目立ったのに、いつのまにやら反対派のニュースばかり。しかし、農業団体の反対運動は気分悪いね。ようするに既得権益を守れ、と言っているようにしか聞こえない。自分たちは何も改革しないつもりで、人質に「日本の食料」をとっている。宣伝・主張の仕方をもう少し勉強した方がいい。いっそ、現在農業界の悪しき規制を撤廃し、注ぎ込まれている税金を返上する前提で反対したらどうか。

さて、TPPに行き着く前に、私はFTAを考えたい。

FTAは、単純に訳すと自由貿易協定。物品の関税や制限的な通商規則、サービス、通商上の障壁を取り除く2国間以上の国際協定だ。

日本と主に韓国、東南アジア諸国と協議されていたが、農業団体の反対でなかなか進まず、かろうじて農業問題がないシンガポールだけと締結した。その後メキシコとも締結したが、全体として遅々として進んでいない。

私は、FTAには基本的に賛成であった。貿易とは原則自由に行うものであるというだけでなく、2国間だからこそ、折り合う余地があるからだ。交渉とは、相手が増えれば増えるほど迷走し、がんじがらめになる。2国間で、農業も含めて例外規定を設けつつ、徐々に自由化を進めるのが現実的なシナリオと思えたのだ。実際、例外品目を設けることは認められている。
その方が農業の改革と強化につながると見た。

が、あまり進まないうちに登場したのが、EPAだ。

EPAとは経済連携協定と訳されている。これは難しいが、FTAが物やサービスなどの貿易自由化なのに加えて、人の移動、知的財産権、投資、政策などまで幅広い分野での連携を狙う。

つまりFTA<EPA だ。FTAより自由化する対象が広い。

実は、日本は結構多くの国とEPAを発効している。これは、ちょっと意外。なんで、FTA交渉は遅延しているのにEPAはどんどん締結できるのか? 例外規定をいっぱい設けているのかね。

そして、TPPである。これは、2国間どころか、多国間であり、しかも例外なき完全自由化だ。しかも貿易だけでなく、人や金融まで含む

私は、これは怖いと思う。農業関係の関税撤廃なんて小さな議論だ。もっと目を向けるべきは、人の移動とは、移民につながるし、金融は巨大資本主義の本丸である(^^;)。それこそ公共事業も国外に解禁せねばならない。これは例外も設けにくいし、多国間であるから交渉も極めて難しい。

いわばEPA<TPP である。

私は思う。FTAをどんどん進めておけばよかったのに、ごねているうちにEPAが広がり、今度はTPPだよ。どんどん日本に不利な協定ばかりが提案されてくる。

もしTPPを拒絶したら、次は何が来るか?

おそらく世界全体の例外なき自由化をもくろむ協定が提案されてくるんじゃないかなあ。いわばWTOの強力版。現在のWTOは貿易だけの世界協定だが、ここに人や金融などの経済領域まで加えて迫られたら、そして拒めば自由貿易社会から糾弾されかねなくなったら……。日本はもっとも不利な協定に参加せざるを得なくなるのではないか。

1800年代、江戸幕府の日本に欧米は次々と開国を迫ってきた。最初のうちは問答無用で断っていたが、とうとうペリーの黒船の砲艦外交によって、渋々幕府は開国した。ところが国内の攘夷勢力が強まって幕府を倒してしまうのだが……結果的に、新政府も開国するのである。

もし、幕府、もしくは新政府が開国を拒み続けたらどうなったか。おそらく阿片戦争のような形で無理やり開国させられることになったのではないか。つまり植民地化である。渋々でも自主的に開国しておいた方がマシだったのは言うまでもない。その点で、幕府の判断は間違っていなかった。

私は、今からでもFTAにもどって、2国間で交渉をした方がいいと思うね。そこにEPAもちらつかせて各国事情を撹乱し、結局TPPに行き着けずに中断のやむなきに至る……という先延ばし戦術(戦略ではない)が、今の日本に向いている(^o^)。

でもドーハラウンドが迫っているなあ。それにアメリカは有利なTPPやりたがっているしなあ。

とにかく反対だけでは、相手の思うつぼ。

2011/03/02

いま「村」が必要な理由

木、林、森と続けば、次は木が4本……そんな字、ない(T-T)。

ということで方向転換して、「村」とした。木が一寸ある。いわゆる田舎である。

田舎社会は、本当の今の時代必要なのか。その理由を考えてみないか。

と、その前に村とまち(町、都市)の関係を考えてみる。

かつて、なぜ「まち」が生まれたか考察したことがあった。その結果導き出されたのは、村と村の結節点として、交易の場としてまちが誕生したのであった。それは為政者の居住する地点でもあり、交通の要所でもある。周辺の村という生産の場から、生産物を集め交換する機能が重要だった。

そしていつしか交換するのは、生産物だけでなく情報も重要となり、そのターミナルとなる。為政の方針や、それを支える武力と治世の事務機能も、まちを中心に各地に伝播する。
逆に村から生産物だけでなく情報や人材まで吸収するようになる。そして他の村への再配分機能を握ることで、支配権をさらに拡大する。

すると町が肥大化して、支配する周辺の村は広がっていく。それが国土となるが、やがて外国とも交易するようになる。ここでまちは消費する世界であった。

そして今や、支配権は武力よりも経済で広げるものになった。他国であろうとモノと情報の結節点としてまちは発展発達していったのだ。

気がつくとまちは、世界中の村と広く結ばれ、近くの村をないがしろにするようになった。モノと情報は海外に依存して町は都市となり、国内の村を捨てても存立できるようになったのである。人材さえ、都市内で再生産するから、村から労働力を吸収する必要もなくなった。
これが、村、田舎を切り捨てる構造ではないか。遠く(外国)の村と結びついて、近く(国内)の村を見捨てているのだ。もはや領土ではなく、経済圏で国(支配権)は存在している。

では、そんな見捨てられつつある村が必要な理由をなんとして構築するか。

最近、TPPがらみで、日本の農業を守らないと輸入に頼れない、という論調が出ている。そこで言われるのが「どこの国も、自国民を飢えさせてまで輸出しない」という理屈だ。しかし、そんなことはない。自国民が飢餓に陥っても輸出する例はごまんとある。

実際、飢餓輸出という言葉もあるのだ。また食べる作物を作らせずコーヒー豆のような先進国の嗜好品栽培を強制した例もある。

日本の場合、江戸時代に天保の飢饉が起きた。とくに東北では大規模な飢餓が発生している。そのため村は消え、女は売られ、人肉食いまで発生した。
だが、そんな東北諸藩から、上方(大坂)には米が輸出されていたのである。大坂商人は、莫大な金を諸藩に貸し付けたが、その支払いを飢餓に陥った藩にも迫って、しっかり取り立てていた。

同じことは、太平洋戦争前と戦中にも起きている。地方の田舎が飢えても、まち(中央政府)は食料を始めとする資源を強奪した。権力機構が統制を保っている限り、田舎は服従させられる。

が、例外もある。戦後は政府が一時期消え、占領軍政府に切り替わった際、都会は飢えて田舎に食料を物々交換を乞いに出かけねばならなかった。乱世になると、田舎は強くなるのだ

さて、今後政府が弱体化する可能性があるかどうかはわからないが、財政逼迫の中、辺境地の伐り捨ては広がるだろう。だが、その時こそ、乱世の時代への生き残りの保険が必要になる。それが田舎社会だ。

国のインフラは、情報網と物流維持だけに絞り込み、生産と交易は民間の手にもどされたとき、村は自立の拠点になる。自分で生産し、自分で他地方と交易することができると、村は強い。

だが裏を返せば、その時、まちに依存する村は必要なくなる、本当の意味で見捨てられるだろう。

2011/03/01

いま「森」が必要な理由

いま「木」が必要な理由

いま「林業」が必要な理由

とくれば、次はやっぱり……(^o^)。そう、木、林、の次は、森でしょ!

森は、なぜ必要か。んや、本当に森は必要か。沙漠、氷原のような地域もあるし、人類は等しく森林に異存しているわけではない。もっとも、熱帯雨林の民の世界では、森とは切り開き戦う対象だったりすることもある。さもないと、森に覆い尽くされて自らの暮らす場を失うからだ。病害虫の巣という理由もあるだろう。

それでも、森をキライな人(民族)いないようだ。

もちろん、森林の有用性を語ればキリがない。資源としても、人間にとっての精神面への影響も大切である。しかし、せっかくだから別の考え方をしてみたい。

森林とは、立体の世界ではないか。木々の間に奥行きをつくり、陰をつくり、生命の密度も増した。もちろん、土壌や水系まで含めると、草原だって雪原、沙漠だって、立体的ではあるのたが、やはり厚みは少ない。森林が登場して、生物にとって初めて分厚い立体構造を持つようになったのではないか。

それは空間が立体的であるだけでない。生態系的にも言える。
立体的であることが、生物間の相互作用も複雑にした気がする。圧倒的に多い生物種類(生物多様性)が狭い空間に密集することを可能にした森林空間は、お互いの関わりもより複雑にした。

生態系が複雑になれば、生物にとって何がよいか。

普通に考えられるのは、安定性が増すことである。1対1ではなく多対多の方が、全体を崩せなくなる。一つの種がいなくなっても、ほかの経路で補える。
たとえば、1種類の植物しか食べない昆虫は、その植物が絶滅したら一緒に絶滅してしまう。しかし、ほかの植物を食べることができたら生き延びる。同じようなことは、花粉の運搬とか、捕食の関係でも言えるだろう。

複雑になればなるほど、生命の量と多様性は高まる。無駄なく資源・エネルギーを使い、多くの種類がたくさんの個体を生存できるように棲み分けるから。

……そんなことを考えていると、インターネットを思い出した。インターネットの理論は、もともと戦争時の通信回線の維持がテーマだったらしい。中央のターミナルが全部管理しているのではなく、個別につながり合うことで、一つの回線が切れてもほかのルートが補って回線をつなぐ構造を構築したのがインターネットだったのだ。なんだか、森林の生命の関係性=生態系と似ている気がする。

そうか、森林は生命のインターネットだ!

複雑に絡み合う命と命の関係を凝集したのが森林である。キッパリ。

と、今度は大風呂敷ではなくて、サイケデリックな色合いのハンカチになってしまった。しかも、このハンカチで手を拭くと色が移るような安物だなあ。

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

森と林業と田舎