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2011/03/02

いま「村」が必要な理由

木、林、森と続けば、次は木が4本……そんな字、ない(T-T)。

ということで方向転換して、「村」とした。木が一寸ある。いわゆる田舎である。

田舎社会は、本当の今の時代必要なのか。その理由を考えてみないか。

と、その前に村とまち(町、都市)の関係を考えてみる。

かつて、なぜ「まち」が生まれたか考察したことがあった。その結果導き出されたのは、村と村の結節点として、交易の場としてまちが誕生したのであった。それは為政者の居住する地点でもあり、交通の要所でもある。周辺の村という生産の場から、生産物を集め交換する機能が重要だった。

そしていつしか交換するのは、生産物だけでなく情報も重要となり、そのターミナルとなる。為政の方針や、それを支える武力と治世の事務機能も、まちを中心に各地に伝播する。
逆に村から生産物だけでなく情報や人材まで吸収するようになる。そして他の村への再配分機能を握ることで、支配権をさらに拡大する。

すると町が肥大化して、支配する周辺の村は広がっていく。それが国土となるが、やがて外国とも交易するようになる。ここでまちは消費する世界であった。

そして今や、支配権は武力よりも経済で広げるものになった。他国であろうとモノと情報の結節点としてまちは発展発達していったのだ。

気がつくとまちは、世界中の村と広く結ばれ、近くの村をないがしろにするようになった。モノと情報は海外に依存して町は都市となり、国内の村を捨てても存立できるようになったのである。人材さえ、都市内で再生産するから、村から労働力を吸収する必要もなくなった。
これが、村、田舎を切り捨てる構造ではないか。遠く(外国)の村と結びついて、近く(国内)の村を見捨てているのだ。もはや領土ではなく、経済圏で国(支配権)は存在している。

では、そんな見捨てられつつある村が必要な理由をなんとして構築するか。

最近、TPPがらみで、日本の農業を守らないと輸入に頼れない、という論調が出ている。そこで言われるのが「どこの国も、自国民を飢えさせてまで輸出しない」という理屈だ。しかし、そんなことはない。自国民が飢餓に陥っても輸出する例はごまんとある。

実際、飢餓輸出という言葉もあるのだ。また食べる作物を作らせずコーヒー豆のような先進国の嗜好品栽培を強制した例もある。

日本の場合、江戸時代に天保の飢饉が起きた。とくに東北では大規模な飢餓が発生している。そのため村は消え、女は売られ、人肉食いまで発生した。
だが、そんな東北諸藩から、上方(大坂)には米が輸出されていたのである。大坂商人は、莫大な金を諸藩に貸し付けたが、その支払いを飢餓に陥った藩にも迫って、しっかり取り立てていた。

同じことは、太平洋戦争前と戦中にも起きている。地方の田舎が飢えても、まち(中央政府)は食料を始めとする資源を強奪した。権力機構が統制を保っている限り、田舎は服従させられる。

が、例外もある。戦後は政府が一時期消え、占領軍政府に切り替わった際、都会は飢えて田舎に食料を物々交換を乞いに出かけねばならなかった。乱世になると、田舎は強くなるのだ

さて、今後政府が弱体化する可能性があるかどうかはわからないが、財政逼迫の中、辺境地の伐り捨ては広がるだろう。だが、その時こそ、乱世の時代への生き残りの保険が必要になる。それが田舎社会だ。

国のインフラは、情報網と物流維持だけに絞り込み、生産と交易は民間の手にもどされたとき、村は自立の拠点になる。自分で生産し、自分で他地方と交易することができると、村は強い。

だが裏を返せば、その時、まちに依存する村は必要なくなる、本当の意味で見捨てられるだろう。

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