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2011/03/20

今考える、大仏建立の詔の意味

今日は、京都の清水寺で開かれた「文化の森シンポジウム」に顔を出した。

文化財修復に使う木材をいかに調達するか、育てるか、という内容なのだが、そのことはまた別にして、実は私は数日前から、聖武天皇が奈良の大仏を建立するに至る動きと、そのために発した詔について調べていた。

奈良時代当時、国は相次ぐ飢饉、地震、伝染病の蔓延と大いに乱れていた。それをおさめるために考えたのが大仏の建立であった。

聖武天皇が、大仏(盧遮那仏)を決意するのは、知識寺の盧遮那仏を見たことから始まる。で、その知識寺は、生駒山系南麓(ここ、重要ね ^^)の信貴山下に帰化人が建てた寺である。ここに盧遮那仏(高さ約5メートルほどと推定されるが、一説によると18メートルで、それては奈良の大仏より大きいやん!jツッコミを入れたくなる)のがあったのである。つまり、大仏の起源は、生駒山にあったのだ! (また、牽強付会する……)

この知識寺は、後に太平寺と名を変えたが、平安時代に消えてしまった。ただ、その場所は現在石神社となり、当時の礎石が見つかっている。この上に高さ48,8メートルの五重の塔があったらしい。

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知識寺東塔の礎石とされる。




さて、肝心の詔であるが、西暦743年(天平15年)に発せられた。

盧遮那仏の金銅像一躰を造り奉る。国銅を尽して象を溶し、大山を削りて以て堂を構へ、広く法界に及ぼして朕が知識と為し、遂に同じく利益を蒙らしめ、共に菩提を致さしめむ

面白いことに、とくに仏像の大きさを示す言葉がない。これでは大仏をつくれ、といったことにならないではないか。
でも、まあ、ここでは金属製の仏像を作るぞ、というところがミソね。以前、国中の銅を集めて疲弊させ、金メッキのため水銀をまき散らしたことから、ブラック・ツーリズム論への発展したのだが。

それ天下の富をたもつ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり。この富勢を以て、この尊像を造る。事や成り易き、心や至り難き

ようするに天下の富を私は持っていると宣言しているのだ。そして、その力によって大仏を作る、という。にもかかわらず、

もし更に、人情に一枝の草、一把の土を持ちて像を助け造らむと願ふ者有らば、ほしいままにゆるせ

国民に一つかみの草、一すくいの土を持ち寄って大仏づくりに協力せよ、と言っている。これは知識寺の盧遮那仏が、土地のみんなが力を合わせて作ったという由来に寄るものだろう。知識とは、仏につながる同志という意味なのである。

聖武天皇は、当時の強権を使っての国家事業(大仏建立)ではなく、国民が富と材を持ち寄って作る自主的な知識(同志)の協力と団結が必要だと考えたのだろう。無理強いして作ってもいけない。そして国郡等の司、この事に百姓に強制してはいけない、あくまで朕の意を知らしめて行え、とまで記している。

それは、政策的に大きな方向転換ではなかったか。権力で作るのではなく、協力によってつくる。

実際はどうだったかわからない。おそらく強制労働的なこともあっただろうし、資源収奪も起きたとは思う。とはいえ、理念は美しい。大仏とは、国を、国民を救うためのシンボルなのであって、統治者の偉業を示すものではなかった。今も独裁国家にありがちな銅像とは違ったのである。

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今また、東北に「現代の大仏」を建立できないか、と夢想する。国の再建とは別に、一人一人がひとつかみの草、ひとすくいの土を持ち寄ることによって。

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