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森と林業の本

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2011/04/27

被災地の連続性と断裂

東北の被災地を巡った報告を待たれている人もおられるかもしれない。

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陸前高田郊外。津波に田畑は流れれたようだが、桜は咲いた。
わずかに再び目を伸ばした野菜も見える。

が、今更マスコミがイヤというほど報道してきた様子を語ったり風景を紹介するのも気が引ける。ある意味、新味はなく、すでにテレビなどの画面を通じて見知ったところを回ったに近いと言ってもよい。事実、テレビで見たことのある光景もあった。ただ、目の前に広がる圧倒的な現実に五感を通して感じてきたということだ。

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陸前高田の海岸線にあった松原で、たった1本残った「奇跡の松」。付近のコンクリートの電柱がもぎ取られているのに、よくぞ残った。

どうやら保存するらしく、そのために根元で柵が作られつつある。






そして、多くのことを話し、聞いた。その相手は旅の同行者であり、現地でたまたま声をかけた人、かけてきた人である。あるいは、現地を離れて会った人と情報交換を通して知ったこともある。そこから連想したこと、考えたことこそが収穫だったのかもしれない。

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気仙沼郊外か。。
高台にもかかわらず、根こそぎやられている。住宅も建ち並んでいたと思う。

おそらく、ここに花壇があったのだろう。水仙が咲き始めていた。




一点だけ指摘すると、報道による情報を頭に描くと、陸前高田、南三陸町、気仙沼、石巻、仙台若林区、そして南相馬……と、各地の被災地か浮かぶのだが、それでは所詮、点として見てしまうのである。

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おそらく、地域の集落で「美化運動」などがあって、道沿いに水仙を植えたのだろう。

この道も確実に津波に洗われたのだが、水仙の球根は無事だったらしい。


しかし海岸沿いに南下すると、圧倒的な広さが根こそぎ津波にさらわれた光景を目にする。そして車が進むと、道は一度山手に入り、緑の中を走るのだが、すぐに隣の入り江に下りる。すると、その谷も根こそぎ津波に襲われた世界が広がっている。
そこを通過して、また山に入るが、次の谷にはまた津波の傷跡が広がっている。おそらく、いずれの谷や入り江にも集落はあったはずだが、どこも完璧に破壊されている。

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この地区も平地部分は、津波に一掃されているが、2本の杉の大樹だけは残った。

ちなみに津波は、手前の水仙の咲く高台にも押し寄せている。撮影場所のバックにある墓地も、墓石が散乱していた。




報道された各被災地は、点で存在しているかのように(いつの間にか)思い込んでいたが、実は延々と連続していることに気づかされるのである。

その連続性は、福島に入ると、より顕著だ。

なぜなら、見た目の被害は、ずっと少ないから。なんら異常のないような街角に人気がなく、不意に立入禁止になる。目に見えない放射線は、被災地とそうでない所の区別を見えにくくしてしまった。

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福島県田村市に設けられた立入禁止ポイント。奥に自衛隊?が駐屯して、裏道も全部抑えて通行を止めている。



震災地をゾーニングすることの正否を考えさせられてしまった。

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石巻の市街地。実は、この川辺も津波に襲われているが、被害は川を境に、ガラリと変わる。手前は、ほとんど影響なく、日常生活が送られているのだ。そして桜も咲いている。



が、川向こうでは、住宅・商店のほとんどが水に浸かり、ゴミが散乱している。さらに海岸に近づくと、壊滅状態だ。

ここでは、被災の線引きがなされたかのように感じた。

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