無料ブログはココログ

本の紹介

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011/05/31

キッザニアの森

お恥ずかしながら、キッザニア東京に、林業部門があるとは知らなかった。

「キッザニアの森」である。

キッザニアをいまさら紹介するのもナンだが、子供(15歳まで)に職業体験をさせるテーマパークである。本物どおり真面目に働いてもらい、その行為に対して賃金(キッゾ)も支払われるという仕組み。職業紹介というより、社会の仕組みを楽しみながら学ばせる施設と見るべきだろう。

現在は東京と兵庫県(甲子園)にあるが、このテーマパークが日本に進出したとき、「林業を体験するパビリオンも作ったら」と半ば冗談で言っていたのを思い出すが、すでに誕生していたのだ。

「キッザニアの森」は、5月で1周年を迎え、体験者は1万2000人を越えるという。

具体的な体験内容は、枝打ちだ。人工の幹にナラの枝が固定されてあり、それをノコギリで伐るらしい。

プログラムを見ると、

1、ユニフォームを着る。
2、林業の仕事の説明を受ける
3、枝打ちの必要性の説明を受ける
4、枝打ち作業の計画を立てる
5、計画に合わせて枝打ちを行う
6、切り落とした枝の長さを揃え、運び出しやすくする
7、切り取った枝の一部と確認書を持ち帰る

という手順を踏むようだ。これでグリーンマイスターになれるというわけ。

うなってしまった。

この手順、本物の森で行う林業体験でもしている?

林業や枝打ちの説明くらいは受けるかもしれん。

しかし、枝打ち作業の計画を立てたりせんだろう。さらに驚くのは、打った枝を搬出する作業が入っていることだ。実際の枝打ちで枝を搬出するかどうかはともかく、伐った木を持ち出すという林業のもっとも大切な部分を、キッザニアではしっかり押さえているのだ。まさに仕事として教えている。

それに比べて、説明もそこそこに枝を打ちなさい、間伐しなさい、という林業体験、森林ボランティアが多くはないか? それではアウトドアスポーツ扱い……というと、アウトドアに失礼だが、まさに山主に遊ばせてもらっているにすぎない。

このコーナーの出展は、「オフィス町内会」だという。ビジネス街で古紙収集をやっているNPOと思ってたら、こんな事業まで展開していたのか。正確にいうと、この組織内の間伐促進部門を担当する「森の町内会」という組織が担当しているそうだが、岩手県葛巻町と組んでの企画らしい。

これで子供たちに「林業」という仕事が記憶に残ってくれたら頼もしい。

それで将来林業職をめざす人が増えるとは思わないが(~_~;)、潜在的な理解者を育てることができるだろう。そして、彼らが成人になる頃までに、林業が十分に魅力的で希望者を安心して受け入れられる業種に成長してほしい(今は、とてもとても……)。

2011/05/30

原稿チェックの陥穽

拙著の書評を書いたから見てくれ、と書いた当人から原稿が送られてきた(メール)。

う~ん、これは微妙な問題だ。

書評とは、他人が本を評することだから、書かれた著者である私がチェックしていいのか?

私は、見せなくてもいいですよ、と断りつつも、せっかく届いたのだから目を通し、ちょっと言葉遣いのニュアンスが違う点に意見した(^^;)。まあ、書き手としては、文章を読んだら、常にチェックする癖が身についている。

実は、その前に私のインタビュー記事のゲラも送って来られたのだけど、このチェックも悩ましかった。
最初は何気なく、どんどんチェックしたのだが、気がついたら文体まで直している。書き手は自分じゃないのだから、それはインタビュアーに失礼だしやってはダメだろう……と途中から止めて、事実関係の確認だけにとどめた。

最近は、私が取材を受けることも増えたのだが、だから原稿チェックは、基本的に求めない。以前、インタビューを受けて、私の一人称で書かれた記事をチェックした時、つい文体(話し言葉)から全文の構成まで直してしまい、あとでライターに失礼なことをしたと後悔したことがある。

なぜなら、私の文にそんな真似をされたら屈辱的だからである。

 

被取材者への原稿チェックは、実は結構シビアな問題を含んでいる、と私は思う。

たとえば新聞記者は、取材者に原稿チェックをお願いすることは、ほぼない。それは単に時間がないという点もあるのだが、極端な話、取材対象(政治家などをイメージするといい)を告発する記事を相手に見せて修正を求められたら話にならないからだ。

そうでなくても、取材で聞いた情報や意見と、結果的に違った事実・意見を記事にすることもあるから、チェックさせると揉める元だ。単に喧嘩になるだけならともかく、掲載を止めるよう圧力をかけるケースもある。

私の経験では、科学者を取材したので、こちらから事実関係を確認してほしいと原稿を送ってチェックを依頼したことがある。ところが帰って来たのは……
原稿の文章そのものをいじり、自分の発言だけでなく地の文まで変え、なんと結論までひっくり返していたのである!

もちろん抗議して、改めてどこまで手を入れていいか詰めたのだが、アチラとしては悪気はなく、いわば科学論文の添削の感覚だったのだろう。指導教官は、学生の論文を徹底的に直すらしい。

ほかにも自分のコメント以外のところまで(他人の意見、あるいは私の意見)まで手を加えたり、なかには結論が気に食わないから記事にするな、と言い出した人もいた。

だから、私は原稿チェックは基本的には行わず、申し込む人には個別対応する。……と言いつつ、実は取材してから原稿書いて、編集者を通してゲラになるまで1か月以上空くことも少なくないので忘れることもある(^^;)。その際は、ごめんなさい<(_ _)>である。ちゃんとメモしていたらいいのだが、たいていノートを閉じてからだからなあ……(これは言い訳)。

ただ、取材して、その内容を執筆する過程には、書き手の意見が無意識にしろ入るものだ。もちろん誤認もあるが、文の流れ上、話の内容を前後させたり、どこを地の文にして、どこをコメントにするか悩みつつ構築している。

だから、基本的に私は、自分が取材されて間違ったことを書かれても、書き手に間違いを指摘することはあっても、怒らない。全体としての内容、とくに結論が誤っていないかぎり、ぐっと飲み込むことにしている。記事とはそんなものだと達観しているのよ。

ライター・編集者がゲラをまったく見せないのも困りものだが、全部見せます、それが誠意です、というのも違うと思う。それは編集の役割の勘違いだ。
著作権・編集権はあくまで書き手・編集者にあり、取材で得た情報を自分が責任を持って紡ぐのが仕事である。被取材者が喜ぶ記事を書くのがよい仕事、ではないのだ。

……というところに『森林異変』の中の語句に、使い間違いがあることを指摘するメールがきた。「ご指摘ありがとうございます」と返事しておいた(@_@)。

2011/05/29

飯田哲也氏のバイオマス論

 原発事故から自然エネルギー推進への舵取り、とくに孫正義氏の電田プロジェクトが持ち上がり、引っ張りだこなのが、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也。いまや時の人である。

実は、私も飯田氏とは今年の1月に会っている。

このブログでも紹介した第6回バイオマス科学会議の席上である。実は、私も彼の発言には引きつけられた。というのは、バイオマスに限らず、自然エネルギー増大は世界的な潮流になっていることを理論的に示したことである。それも市場規模の推移から示した。
自然エネルギーの普及は理想論ではなく、経済的に世界は動き出しているのだ。にもかかわらず、日本は気づいていないというのだから、ちょっとショックだった。

そして政策=補助金であることに警笛を鳴らした。必要なのは、供給プッシュではなく、需要プルだという。

飯田氏の得意なのは、太陽光や風力系である印象を持ったが(もちろん、本筋は原子力であり環境政策)、会議のテーマがバイオマスなのだから、当然バイオマスについて語っている。

「エネルギー資源を生み出す森林と林業サイド(供給側)でも、供給プッシュ(ないしはそれ以前)の考えが支配的で、森林マネジメントも業としての林業も、ほとんど機能してこなかった」

そして、需要側も供給プッシュの考え方にとらわれているという。

まさに現在の森林・林業再生プランがそうであるように、今の政策は補助金によって供給を後押しするすることをめざしている。だが、これでは、林業が活性化するかどうか以前に、産業の世界的潮流から外れるというわけだ。

言い換えると、林業も需要喚起から取り組むべきだということを暗示している。

私は、飯田氏とひと言ふた言、言葉を交わした程度だが、もっとちゃんと意見交換しておきたかったね。有名人になったから、この先どうかな。

 

バイオマス・エネルギーも、そろそろ次の段階に踏み出してほしい。いつまでも林業側の都合や、市民の郷愁・趣味に頼っているようでは遅れてしまう。明確な需要ターゲットを示して、それと木材需要をパッキングした形で供給方法を示すべきだろう。

2011/05/28

震災瓦礫をバイオコークスに?

我が母校、静岡大学が、震災で出た瓦礫を燃料にする技術を開発した、と発表している。

津波により海水に浸り、塩分を含んだ建築廃材や畳、それにプラスチックなどの瓦礫を、石炭並みの発熱量を持つ粉末燃料に変換する技術を開発したというのだ。それによって、悪臭も消えるし、粉末なので保管もできる燃料となる。

http://www.at-s.com/news/detail/100031574.html

これって、もしかしてバイオコークス

今、バイオコークスが注目されている。これはバイオマス(木質のほか、草や食品残差まで)を高温・高圧を加えることによって、石炭コークスのような燃料にしたものだ。

石炭コークスは、製鉄などに欠かせない燃料だが、それの代替にしようという構想である。バイオ由来ならCO2もださないことになるし、需要は確実にあるし、ゴミを減らせるし……と夢のような話になっている。

ところで、このバイオコークス技術を開発したのは、実は近畿大学理工学部。生駒山の大阪側にある。実験プラントは北海道の下川町に作ったらしい。

そして、日本で初のバイオコークス製造工場は、高槻市の大阪府森林組合が建設した。

さらに生駒山の木をバイオコークスの材料にしようという計画も進んでいて……。

なんか、私に関わりのあるところでバイオコークスが動いているのだ。

まあ、正直私には、製造過程で使う高温高圧のエネルギーは、バイオコークスの熱量を上回るの? とか、価格が石炭よりも高ければ使ってもらえないだろうし、プラントを起動するには、原料を安定供給しなければならないけど、それが可能なの? そのコストは? などと疑問はいっぱいなのだが、ともあれ注目しよう。

震災瓦礫の片づけだと言えば、コスト度外視でやるかもしれないしなあ。そうしたら、大阪のバイオコークスはどうするのだろう……。

2011/05/27

ひまわりとケナフと普賢岳

テレビで、福島原発の放射線汚染地帯にヒマワリを植えて除染する計画が紹介されていた。

ヒマワリはカリウムを吸い上げる力が強いのたが、カリウムと間違ってセシウム同位体を吸い上げてもらおうという内容。

私には、イマイチぴんと来ないのだが、それで思い出したのが、ケナフである。

一時、ケナフの栽培が大流行した。その理由は、ケナフは生長が早く、CO2の吸収が多い(早い)からだという。おかげで猫も杓子も、というか、大人も子供たちも、NPOも小学校でもケナフの栽培が行われた。

だが、生長が早いからと言われても炭素固定につながるわけではないことは言うまでもない。枯れた後の処理を考えていないのだ。一部、製紙に回すと言われたが、紙だって永久保存するわけなく、すぐゴミになる。燃やせば炭素は酸素と化合して空中へ……。

しかもケナフは外来植物で、その旺盛な生長によって在来の植物を駆逐して生態系を壊すと指摘された。そして論争の末、今や消えつつある。たまに園芸店でみかけるが、ほとんど花目当てだ。

ヒマワリを外来植物だとか言い出すつもりはないが、あんまりぱっとしない。

それに広大な面積に一面ヒマワリを植えたら、景色としてはいいが、生態系はどうなるだろう。それに枯れた後の始末も困る。

一種類の植物に頼ろうと思わず、人のいない世界に植物だけの生態系を作るつもりで、緑化を計画できないだろうか。

そして、放射線汚染の強いところだけに、人が植えられないから種子の空中散布を計画して実験も行っているそうだ。

そこで、またもや連想したのが、長崎県雲仙普賢岳

大噴火で火山灰によって植物が死滅した山の斜面を緑化するために、林野庁は大規模に草の種子の空中散布した。主に外来の牧草である。

が、長崎県の県有地のある垂木台地では、生態系を復元させる緑化を試みる。

ただし、条件は同じ。まだ噴火が収まっていないとして人が植えるわけにはいかないのだ。
そこで空中散布の手法ながら、在来植物をいかに育つように散布するかに知恵を絞った。

私は、その実験地に特別に入れてもらった。

まだ火山灰に覆われ、それこそ沙漠のような景色の中、肥料とともに草花(雑草)の種子を詰めた布バックが空から投下された。そこから、わずかに芽が出ている。

また別のところでは、背丈くらいのブッシュができていた。確実に根付いたらしい。

Photo Photo_2




普賢岳の垂木台地

後に、木本植物も生えて、今では結構な林になっていると聞く。

福島の汚染地帯でも、同じような技術開発が必要になってくるかもしれないな。
目先の除染速度を競うより、どうせなら、巨木の森を作るような緑化法は考えられないだろうか。

2011/05/26

ならどっとFM出演

Mラジオに出演した。

ならどっとFMというコミュニティFM放送のラジオがある。奈良市を中心に発信されて、受信できるのは、奈良市のほか生駒市、大和郡山市……など北奈良を中心とした極めて狭いエリア。 (78.4MHz)

この局に、784ウェイブという番組がある。これは午後の帯番組だが、私は月曜と木曜担当のパーソナリティ・藤田けいさんのファンなのである\(^o^)/。
と言っていたら、わざわざ私をゲストとして出演交渉をしていただいた奇特な方がいたのである。感謝m(._.)m。

784ウェイブは、週5日、午後1時から2時間、そして1時間の休憩を挟んで4時~6時の2時間。合計4時間の番組である。そのうち私は、1時15分からのインタビュー・コーナーに出ることになった。

どうせなら、「木」曜日でしょ! というわけで、本日出演と相成った。私は、12時45分までにスタジオ入りしてくれ、と言われていた。

スタジオと言っても、実はその位置するのは、ならまち。ならまちとは、奈良市のもっとも古い町家が残る地域で、最近は奈良観光のホットスポットだ。古い町並の中に、町家を利用したく伝統的でありながらオシャレな店が開かれている。

そこに構えているのだから、当然、スタジオも町家。

012
見よ、この外見を(笑)。完全に町家だ。

しかも、看板は、カフェとかバーなどの方が大きいし。実際、中に店が幾つもあって、ラジオ局があると気づかないほど。
その中に靴を脱いで上がる、完全に居間! というたたずまいの一室がスタジオだ。

そこで15分間、しっかりお話した。わざわざ最近出版した本、それも奈良・生駒山が登場する本を4冊持ち込んだ。『生駒山』に『いま里山が必要な理由』に『森林異変』に『元気になる! 日本の森を歩こう』。
実際は、時間が足りずにほとんど『森林異変』ばかりになってしまったが。でも、いいのよ、けいさんとおしゃべりできたから(笑)。

テレビやラジオの出演には慣れているつもりだったが、今回は柄にもなく緊張していたかもしれない……。

ところで、今回の出演で驚いたのは、なんたって、藤田けいさんの出勤時間(笑)。

だって、午後1時から全4時間を受けもつのだから、それなりに打ち合わせや仕込みなどあると思っていたのに、なんと12時50分だよ、スタジオに姿を現したのは。これがいつもなんだそうだ。
そして10分後には、マイクの前でしゃべっている。リクエスト曲が流せないほどよくしゃべる(笑)。それでいて、ちゃんとFAXやメールもチェックしている。

もちろん、私との打ち合わせもない。出演は1時15分から30分まで、ということ以外なし。事前に書かされた釣書?も、あんまり目を通していないみたい(^^;)。

ちなみに藤田けいさんは、週3本もレギュラーを持つ。全部、このスタイルらしい。

いやあ、以前出たNHKのラジオでは、ライブだというのに台本まであったのに比べると、完璧なアドリブだ。とはいえ、出たとこ勝負、というのでもないよう。聞いていると、頭の中にしゃべるネタをちゃんと用意・整理していることに気づく。もちろん段取りも。

う~ん、天才だ(笑)。

あ゛、もし関係者が読んでいて、間違いだったらご指摘くださいませ。

009
こんな町家のスタジオ

中には、ミキサーと二人だけ。

これを、少し引いて写すと……

006

こんな格子戸の奥にあるのでした。

で、格子の手前は……



005
まさに、町家カフェでした。







でも、これって、裏ブログネタだよねえ。

2011/05/25

私が森林ジャーナリストになった理由

来月の講演予定地から案内原稿が送られてきて、そこに私のプロフィールが載せられた。

が、「1957年 東京生まれ。 1979年 日本大学法学部卒業。(株)紙パルプ会館に入社。 2007年(株)紙パルプ会館常務取締役に就任。」というのは、どう見ても私じゃない。

そう、銀座のミツバチプロジェクトの人である。私が法学部卒業だとねえ。でも紙パルプというのは、そこはかとなく林業につながりがあるような気もする……(^^;)。

同姓同名だと、こうした混乱も起きるだなあ(~_~;)。

実は昨夜、某研究機関の某氏と打ち合わせと称する飲み会、もとい、飲み会を兼ねた打ち合わせを行った。そこで、なぜ私が森林ジャーナリストになったのか、と問われた。林学科出身なら、研究職は考えなかったのか、と。

いや、考えましたよ。とりあえず林学をやっていても、就職口としての林業はほとんど閉ざされている(当時は、閉ざされていた)。となると、公務員としての林業職か、研究部門は数少ない選択肢。公務員としての研究職なら、文句ない。とくに当時は、石油ショック以後の大不況で、民間企業はほぼ無理だ。

事実、同級生の多くは、そのコースを選んでいる。

が、私はそのコースを選ばなかった。その理由は、モラトリアムのように大学院に進むのがイヤだったこと。また進むには頭の中がついてこなかったこと。すでに留年していたこと……などがある。が、同時に狭い分野を深く極める研究分野に自分が向いていないことをなんとなく悟っていた気がする。

そこで、いきなり方向転換して、マスコミをめざす。

アチコチ飛び回って調査するイメージに憧れた面もある。大学時代に行ったボルネオ探検を「蛍雪時代」に記事して載りお金をもらった記憶も、これが仕事になるんだと感じたきっかけでもある。ある意味、探検の延長としてのマスコミであった。

とはいえ、ようやくもぐり込んだ世界では、企業記事や店記事なんぞを書くのが精一杯で、あまり楽しくはなかった。その後、バブルに踊る業界に見切りをつけてフリーになり、手がける分野としてトラベルものや、アウトドアものに絞り込んでいく。

そこでわかってきた自分の実力がある。

幅広いテーマを扱う記者には向いていないみたい。
同時に、自分の取材力にも疑問符がついてくる。
とうやら、瞬発的に現場を走り回るような記者は向いていないみたい。
実は、人見知りするんです(^^;)。他人と向き合ってズカズカと話聞くの苦手かも。
むしろ文献あさったり、データとにらめっこして考える孤独な作業も楽しいなあ、と。

研究よりは、そこそこ範囲が広く、
雑文ライターよりは範囲が絞られていて、
あんまり体力勝負・度胸勝負の取材はせずに、
沈思黙考のひきこもり生活にも憧れて、
でも、野外に出るのは好き。一人で森を歩いてセラピー(笑)になる仕事。

その中途半端な選択が、森林ジャーナリストだったのかもしれないなあ。

と、妙に回顧じみたのであった。

2011/05/24

木質ペレットと猫砂

高知県の日高村に日本最大の猫砂工場ができた、というニュース。

なんでも、年間1400トンの生産能力があるそうだ。猫砂は需要が伸びているらしく、有望な商品になるかも。材料はヒノキ粉と茶葉だという。茶葉は臭い消しの意味があるのかな。おそらく現地で調達可能なのだろう。

ところで、この猫砂の形状は、直径4ミリの粒タイプ。これって、木質ペレットと作り方は同じと言ってもよい。

一方で、この3月に宮崎県小林市に日本最大の木質ペレット工場が完成したというニュースがあったばかり。こちらは発電用で、電源開発㈱も出資する大きな規模で、生産能力も、年間25000トンと一桁違う。おそらく火力発電所で引き取り手も決まっているのだろう。

ただ、ペレットストーブを備えた個人宅の悩みは、肝心の木質ペレットの供給だという。何より手に入らない。販売店が少ないからだ。配達を頼むと、郵送や宅配便になって価格が跳ね上がる。それに時間がかかるから、すぐに手に入らない。かといって、かさばるから一般家庭で大量に保管しておくのも難しい。

生産者側からすると、個人客は効率が悪くて、利益も薄い。木質ペレットは大型のボイラー向きなのだ。

実は日本の木質ペレットの消費は、燃料用より猫砂が支えていると言われている。小規模生産で個人のペレットストーブ・ユーザー向けに生産しているところは、安定した顧客がつかめず苦しんでいるが、こっそり猫砂用に木質ペレットを出荷しているんだと(笑)。

さらに油の吸着剤としての需要も馬鹿にならないらしく、それがペレット生産工場の経営を支えているのだと聞かされたことがある。

また、木質ペレットの品質規格が統一されていないという問題も指摘されている。
実は3月には、日本木質ペレット協会が「木質ペレット品質規格」を制定している。ストーブ・ボイラー用燃料としての独自の品質規格だという。

どうせなら猫砂と共通にしたらいいのに、思う(^o^)。そうしたら、猫砂用にホームセンターで販売しているものを個人の燃料用に回せる。すると、流通面の不備が助かるではないか。
猫砂用は燃料用より高いように思うから、価格はどうなるかわからないが、郵送料込みより安そうだし、少なくても身近にあることで気軽に買いに行けるのではないかな。

まあ、猫のおしっこを吸収しやすい形と、ストーブに投入しやすい形は違うのかも。それにEUの木質ペレット規格が国際規格になっているから、また日本独自の猫砂規格を作ってはマズい面もあるのだろう。

そもそも、私は木質ペレットを「日本三大バカ林政」の一つだと罵倒したこともあるので、ここで論じるのもオカシイけどね(~_~;)。

2011/05/23

雑木の床板~資源不足と未利用資源

話を北海道にもどすが、ある会場とのトークで、木工家が質問した。

家具づくりに使うミズナラなど広葉樹材がなくなってきている。今から植えて育てても、使えるようになるまで300年はかかる……。どうすればいいか。

なるほど、建築材のスギやヒノキ、カラマツなどは余っていて、もっと国産材を使おうよ、と木づかい運動も起こされているのだが、木工用の多くは広葉樹材(ミズナラやケヤキなど)で、天然モノが大半を占める。これが乱伐で足りなくなってきているのは事実だ。

そして、これらの木は生長が遅いし、また使えるようになるには大木にならないと難しいので、植えても300年はかかるだろう。では、打つ手はないのか?

しかし、私には広葉樹材があふれているように思うのである。というのは、主に本州以南だが、雑木林でコナラやクヌギが大木となって眠っているからだ。根回り2メートルを越えるようなものも珍しくない。ところが、それらは材として利用されることなく、寿命が来て立ち枯れるか、最近はカシノナガキクイムシの餌食になっている。

コナラの材は、決して悪くない。これは取材もしたが、ミズナラと間違える人もいる……というより、ミズナラだと騙して出荷することもあったそうだ。もちろん、それなりのクセはあって、完全にミズナラと同じように使えないだろうが、逆にコナラの特性を活かした木工も可能だろう。

つまり、足りない資源を憂えるよりも、未利用資源を活かすことを考えた方が現実的だ。

……というような回答をした。

ところが、翌日の集会で知り合った物林株式会社の人と話していると、この会社、なんと雑木でフローリング材を生産・出荷しているそうだ。技術的にはできるはず、と私は力説していたが、すでに生産・販売しているとは知らなかった。

その名も、里山フローリング

樹種には、クルミ、ナラ、ハン、セン、それにシラカバも多いそうだ。これまで割り箸以外に使えないと言っていたシラカバ材が、しっかりボードになっているのだ。しかも材木産地証明書を添付するという。

もちろん、雑木を使うから色はバラバラだったり節も多いらしい。が、それを気にしない施主もいるし、そもそもカーペットなどを床に張ることも多いから見えなかったりする。

未利用資源を資源化する。この視点は、地味ながら進んでいるようだ。

この視点、もっと広く応用できないか。木材だけでなく、モノだけでなく。

それから、物林という会社、ちょっと面白い。その沿革からして。ちょびっと、土倉庄三郎と絡んでいるし(^o^)。

2011/05/22

『森林異変』書評・日経

日経新聞5月22日版で、拙著『森林異変』が取り上げられた。ただ、正確には、書評欄ではなく、「今を読み解く」というコーナーである。

タイトルが「日本林業の常識が変わる」とあるとおり、林業とその地盤である山村を、4冊の書籍を通して論じている。

その一番バッターとして、拙著『森林異変』を紹介している。ただ、取り上げ方は、「外資が日本の森を奪う」という言説に異を唱えているという観点だ。

1
そして日本林業の病巣は、山林の所有権や境界線が画定されていないことであると紹介する。

その後、日本の林業の問題点には、『国産材はなぜ売れなかったか』(荻大陸著)や『日本林業はよみがえる』(梶山恵司著)から引用する形だ。もっとも、その内容は「道や伐採法の議論に終始する」と、多少物足りなさを感じているらしい。

そして山村集落の問題と再生策を図式化した『集落再生』(ぎょうせい刊)を取り上げている。

3

筆者は、名古屋市立大学の香坂玲准教授。経歴の中には、ドイツ・フライブルク大学の環境森林学部森林経済学研究所で博士号を取得し、国連環境計画の生物多様性条約事務局に勤務経験があるなど、なかなか華麗?で、森林問題や農山村問題にも詳しそうだ。

とくに研究者や自然保護団体、行政と、国民・森林所有者の意識の乖離などを指摘する当たりは、そのとおりだと思う。国民の森林に対する無関心こそが問題なのだ、と。

そのためかどうか、なんとなく紹介した本の根幹を外した取り上げ方をしているような気が……。拙著に関してはおいておくとして、荻氏の研究のもっとも重要な点や、梶山氏の論点と彼自身が持っている林業への思いを読み取ったのだろうか、と感じた。もしかして、読み取った上で外したのかもしれない。

ちなみに「外資が日本の森を…」は、私にとっては枝葉の部分なのだが、拙著の各種書評で常にこの点に触れられるのは、いまだに真正面から論じる(反論する)人物が、私以外にはいないことを想像させる。この事態こそが、なんだかなあ~気分を増幅する。

興味を持つ人が多いからさまざまな媒体が取り上げるのだろうが、それを真正面から(賛成にしろ反対にしろ)検証しつつ論じる人が、ほとんどいないなんて。単に尊国攘夷派が、排中国を主張するネタにしているだけではないか。 もしかして研究者は、この問題に触れたら火傷する……と敬遠しているのか?

  

ところで、本屋に寄っていくつかの本や雑誌を立ち読みしたのだが、洋泉社ムックの『日本は天然資源で復活する』を手にとった。
ところが内容は、天然資源論というより、 「日本の資源が世界から狙われている!」章に代表されるような、ようするに外資(中国)が日本の資源・土地を狙っていることを煽る記事が半分以上だ。当然、スタンスは外資警戒論が圧倒的なのだが、最後に橋本淳司氏のインタビューがあった。

橋本淳司氏って?

日本の「水」がなくなる日』の著者である。そして、本ブログで私がケチョンケチョンに貶した本である(^^;)。なぜなら、安易で裏付けのない「外資の日本の森買収論」を振りかざしたからだ。実は、少し書きすぎたと、後で反省している<(_ _)>

ところが、このインタビューでは様相が違う。「外国人だから警戒するというが、日本人の所有者もひどいことをしているではないか」と釘をさしているのだ。
そのとおり! 問題は所有者の国籍ではない。穴だらけの土地制度と、森林政策、そして目先の利益しか考えない偏狭な日本人そのものが問題なのだ。私は、この件に関して、全面的に同意する。頑張れ!  私と一緒に、外資問題に反論しよう、と共闘を呼びかけたい(だからといって、先述の書評を撤回はしないけどね)。

ま、アチラは嫌がるだろうけど(~_~;)。

 

ともあれ、東日本大震災とそれに絡む原発問題で、日本のエネルギーや資源が急速にクローズアップされている。木質バイオマスもその中で大きな項目だろう。

少しエネルギー論も勉強しないといけないなあ。

ちなみに今年は「国際森林年」で、5月22日は「国際生物多様性の日」だそうである。

2011/05/21

『森林異変』書評・「現代林業」

届いた「現代林業」を何気なく、パラパラとめくっていたら、「ブック」欄に『森林異変』が紹介されていた。驚いた(笑)。

もしかしたら、たくさん林業関係の本を出版しているようで、「現代林業」に拙著が載るのは久しぶりかもしれない。

008

※まさに「林業の今」を描き出している一冊。

※「伐採から加工まで」の流通部門にクローズアップしている。

※一般の読者にも通じる言葉で描かれている。

などなど、好意的に紹介していただいた。

ただ、一点だけ。

このほか「林業従事者が結婚退職する理由」「外資が森を奪う」「割り箸の減少」などの項目にも触れ……とあるのだが、正しくは「外資が森を奪う」の陰で……である。これでは、私が外資が森を奪う事態を憂えているように読める(笑)。

私は、外資が日本の森を奪うとは考えていないし、もし本当に買いたいという外資があるなら、どんどん売ったらいいのに、と唱えているのである(~_~;)。

2011/05/20

今こそ、断捨離!なわけ

近頃、『断捨離のすすめ』なる本が売れているらしい。仏教用語ぽいが、ようするに物を捨て、片づける技術を伝授する本、らしい。真面目に読んでいないけど。

もともとはヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方から来たらしく、

断=要らない物を断つ(手に入れない)
捨=要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる

を通して、身軽で快適な生活を手に入れようというものだ。

一見、大層な心の拠り所を求めるような心理本のようだけど、ようするに片づけの本。そして収納などの面倒な方法を取らず、捨てろ! という一言で済ませている。

それで思い出すのが、『「捨てる!」技術』である。十数年前、爆発的なベストセラーになった本だが、これまた「捨てる」だけを強調した片づけ本。(著者は、そうじゃないと力説しているけど、中身は何もない。)

そういえば、『そうじ力』なる本が売れたこともある。『超整理法』も、片づけ本だったかな。

だいたい5年ごとに片づけ本、捨てる本が流行るというのは、ようするに本などで「捨てなさい!」と指摘されないと捨てられない(片づけられない)人がいて、一度は本の魔力で捨てるんだけど、またぞろ捨てずにたまったゴミで家が埋まる、そこで新たな捨てる本が売れる…というサイクルが成り立っているらしい。

今回は、ヨガとか仏教用語的な装いを使って、スピリチュアル?しているのが特徴か。

ま、そんなことはドーデモよい。

他人のススメによって捨てられるなら、どんどん捨てなさい。私も、ずいぶん資料の中に捨てられないものを抱え込んでいるからね。

では、究極の捨てるものとは何だろう。

金か。財産か。異性とか。親? 配偶者? そんなもんっ(笑)。

プライドは。自分の過去か。成功体験や長く培った価値観は捨てられるかな。

もっともやっかいなのは、「故郷」かもしれない。

「ふるさとは、遠きにありて思うもの」「帰るところにあるまじや」とまでうたわれているのに、望郷の念は強いものらしい。ぐずぐず移動を渋ってドツボにハマるケースが多い。

もっとも、それは日本人の多くが「農耕民族」だからかもしれない。土地に根ざしたものに執着する度合いが強い。変わらない者、動かない者が強く正しいと、先祖から受け継いだ意識がこびりついている。それを保守的と説明することもある。

だが少数派の「遊牧民」的性格の者なら、いとも身軽に住む場所を移動させていく。前言を撤回したり朝令暮改で新しい道を選ぶ。故郷は、思い出としては心の中にあるかもしれないが、行動としては、たいして重きを置かない。

これは、先の「働かないアリ…」本でも感じたのだが、全体の効率を落とす存在としての異端の「働かないアリ」は、普段はごくつぶしだが、危急の際に種を救う一歩を踏み出す。

今、不振だったり不遇だったり、危難に陥っている人こそ、断捨離して身軽になるべきかもしれない。片づけ術に貶めているうちは、たいしたことできんだろう。

故郷を「断捨離」できる人こそ、生き残って未来を切り開けるかもしれないよ。

……こんなビジネス書か人生本を書いたら、売れるだろうか? なんて考える私は、あんまり欲の断捨離をしていないね(笑)。

2011/05/19

最終商品……加工板

荻氏の講演、まだ続く。

さて、過去の日本の林業・木材産業の問題点を追求する中で、では現在の新たな動きに何があるだろうか……という点で登場したのが、「加工板」である。

今、本当に売れているのは「加工板」なのだそうだ。

加工板とは妙な言葉だ。そもそも板とは、丸太を製材した存在であり、まさに加工したものだからだ。だが、ここに落とし穴があるらしい。

というのは、通常の製材所の板は、そのままではとても使えないからだ。

というのも、日本の製材過程には、まだまだモルダーかけ、プレナーかけ(かんなで、表面をツルツルになるほど磨き上げたもの)が成されていないのが通常なのである。その板を仕入れた大工が、建築現場でカンナがけして使うのが当たり前だった。

しかし、時代はプレカットである。柱などは完全に組み立てるだけになっているのに、板だけカンナをその場でかけるわけがない。同じようにサネ加工もするわけがない。

建築現場では、完全に完成した部材が求められているのだ。それに応えるのが、「加工板」と呼ばれる商品なのだそうだ。

いわば、丸太を製材した角材・板だけでは半製品にすぎないという。だから、最終加工まで仕上げている製材所とそうでない製材所の格差が生まれているのだそうだ。

これまで製品を作っていると思っていたが、実は中途半端な半製品だったとしたら。果たして世間の製材所はそのことに気づいているのか……。

そして、そのまま使える加工板こそ、現代の役物として壁や床など目に見えるところに使われる。加工板という最終商品を作るところがもっとも強いのだ。

考えてみれば、世間はみな最終商品を求めている。昔は素材を購入して、自分で手を入れて……というのが当たり前だった。しかし、それは変わってきたのだ。
たとえば野菜や肉から料理する。しかし、今や総菜が大はやりだ。いや、お米だって、炊くのが面倒なのか、おにぎりや炊飯そのものが売りに出されている。結果的に、外食か持ち帰り弁当が広がっている。食べるだけ、という商品を求めているのだ。

それとは別に、木材流通の要は、製材所ではなく、プレカット工場になっているようだ。
プレカットは、消費者にもっとも近くで最終商品を作っているところ。ここがエンドユーザーの情報を握り、ニーズのあるアイテムやロットを握っている。山元や木材市場、製材所、工務店だって、その下請けになっていくのかもしれない。

2011/05/18

コンテナ苗

ちょっと、今日は(今日も?)飲んでいるので、しっかり考えて書けないのだが……。

荻氏の講演会で気になったこと。゛

木材価格が上がらない以上、コスト削減に励まないといけないのだが、伐採や搬出に関しては集約化と機械化によって試みが続けられている。ただ、十分な効果が出ているとは言えないのが現実だろう。

そこで、もう一つのコスト、育林コストが上がってくる。とく再造林を考えると重要だ。

荻先生が紹介したのは、コンテナ苗だ。すでに森林総研で開発されたのに、日本では採用されず、東南アジアで活躍しているということだが……。

私も小耳には挟んでいるが、よくわからない。コンテナ……というほど大袈裟ではなく、ようするにポット苗の小さなものと思えばいいのだろう。

なるほど、これらなら活着率は高まるだろうな、とは思った。しかし、どのように植えつけコスト削減になるのかわからない。植えてからの世話(下刈りや、徐伐など)が少なく済むのか。それもわからない。枯れにくいから補植は少なくて済むだろうな、とは思う。ただし、獣害にあえば絶滅だが。

まさに田植機のような機械で山肌に植林するわけではあるまい。

このコンテナ苗が、コスト削減になるわけを、誰か教えてくれ。

私も、お酒が抜けたら、考えるからさあ~。

2011/05/17

荻氏講演・小丸太と空気売り

土曜日にあった荻大陸・成美大学教授の「国産材が進むべき道」講演。

いくつもポイントがあるのだが、まず過去の部分。

ここでは戦後の木材バブル時に木材産業が行った阿漕なビジネスが紹介される。いわゆる部切れ材、空気売りなどである。これは拙著『森林異変』の第一章でも紹介した点だが、ようするに製材品の寸法などが出鱈目であることを指す。

その証拠として上げられるのが、このデータだ。

Photo_2
大分県の日田の製材工場における歩留りを示しているが、軒並み100%を越えている。製材して製材前より材積が増えるなんて……。

結局、寸法を騙して「空気」を売っているから、歩留り100%以上になるのだ。

Photo
その結果?として、価格は柱材などより、細い小丸太(直径3~9センチ『の方が高くなる。製材したら空気を膨らませて材積を増やせる部分が多いから、儲かるためだ。

……ということを示していた。

この表は、私も『森ヘン』で紹介したものである。その原典は、荻氏の『国産材はなぜ売れなかったのか』だから、当然だ。

ただ、実は講演会が終えてから小径木を加工している業者の人と一緒に飲食したのだが、そこでちょっと違った意見を聞いた。

というのは、杭にするような小丸太は、材積で購入するのではなく、本数単位だというのだ。細い丸太を扱うのは、手間がかかるので、材積では計算しない。また角材にするのではなく、杭は丸太のまま先を尖らす。
たとえば直径9センチの小丸太を1本50円というように。これを1立方メートルに換算するから、えらく高くなるのだ。

だから、単純にごまかしのための「空気売り」ではなく、販売方法が違うことから生まれた価格の逆転だという。だから今でも、小丸太は比較的材積換算では高いらしい。

う~ん、これは目からウロコだ。もちろん、それにしたって小丸太が柱材用や中目丸太より2倍近く高いというのはオカシイと思うが、ちょっと補足説明がいるな。

2011/05/16

『森林異変』書評 「朝日奈良版」と「東洋経済」

北海道に行っている間に、『森林異変』の書評など記事が2本。

一つは、「週刊東洋経済」5月14日号

Photo



これは平凡社からのFAX。

無難にまとめていただいた。経済誌なんだから、もっと産業としての林業を記していることに触れてほしかったな……。

そして、もう一編は、朝日新聞奈良県版。書評というより、奈良県在住の著者を紹介しつつ、本に触れる、といった記事だ。

Photo_2

5月11日紙面
「奈良を通じて」奈良から発信……とあるのは、隣の記事のタイトル。私の本に関するものではない。




実は、『森ヘン』では、吉野林業地のかつての大儲けの話や、その後の技術革新からの遅れ具合を間接的に記している。まあ、読んで耳が痛い人も多いのではないかな。

なお文中に、私が業界紙記者だったようなことが書かれているが、これは誤解である。林業界の記者をしたこともないし、総会屋の手先だったこともない……と思う。いや、そういうことにしている。

ちなみに親からは、赤いシャツが不人気だった。違うって。長袖Tシャツだって。写真撮られると思わなかったからね。まあ、撮られると知っていたらオシャレしたということは、限りなく低い確率だけど。

2011/05/15

獣害報道から原発報道を連想する

昨日、神戸で開かれた講演会国産材が進むべき道~外材に破れた本当の理由」(荻大陸・成美大学教授)。

非常に示唆に富んだ内容だった。ただ、その中で私の心に引っかかった一つは、1980年代のカモシカによる獣害問題の話。実は、これ自体は全体のテーマから少し外れた余談の部分である。しかし、現在起きている原発問題に相通じるところがあるように思った。

当時、岐阜県を中心に山に植えられたヒノキの苗が、カモシカに食べられてしまう問題が頻発していた。
実は、私も当時学生として興味を持っており、一時卒論に取り上げようと山に入ってカモシカを追いかけたことがある。結果的に、卒論に使える数カ月の調査では、とてもデータが集められないことに気づき断念するのだが……。

ともあれ、食害により、いくら植林しても次世代が育たなくなるわけで林業界では大問題だったのだが、世間的には全然別の目で見られていた。というのは、当時ニホンカモシカは、特別天然記念物に指定されており、絶滅危惧が叫ばれていたのだ。

そのため文化庁を始めとして、自然保護団体、学者、そしてマスコミまでが、総動員で、カモシカ無害説を唱えたのだ
「食害はカモシカじゃない、カモシカはヒノキを嫌って食べない」と大合唱し、その世論づくりに奔走した。
それでもカモシカがヒノキを食べていることが証明されてしまうと、今度は「カモシカが食べるのは、人間が拡大造林で食べ物を奪ったから」という論法で、カモシカ擁護に走った。この点で、行政・自然保護団体・学者・マスコミは、鉄のスクラムを組んでいた。

その頃の状況は、私もよく覚えている。多少とも林業・林学をかじったものとしては、カモシカが増えており、ヒノキを好むことは疑問の余地がなかったのだが、世間はそれを信じなかった。

なぜ、彼らは「鉄のスクラム」を組んだのだろうか。文化庁は、自分たちが指定した動物を守りたいというより、カモシカが加害者だと認めると、特別天然記念物の指定が間違っていたと言われかねないからだろう。

一方で、自然保護団体は、ヒノキよりカモシカが可愛い……というか、自然保護のお題目を唱えるのに向いていたからに違いない。実際のところ、彼らはカモシカをほとんど見たこともなかったのである。
マスコミは、単に頭の中が空っぽで、何も知らないから、行政やNPOが訴えたことを聞いて、丸飲みでそのまま報道しただけである。それにカモシカを守る方が、世間受けする。

しかし、学者は何を持ってカモシカを擁護したのか。学者と言っても、本当の専門家はいないのだが、ようするに行政の求めることを代弁する御用学者だったのだろう。

いずれも潜在的にカモシカを殺したくないという気持ちが強いから、なんとかカモシカを加害者にしたくなかったのだろう。もっとも自分が当事者ではないから言えるのだ。

ところで現在は、ニホンジカ、エゾジカが爆発的に増えている。いや、ツキノワグマだって増えているのは、調査結果から間違いない。

だが、クマは減っている、クマを守れ!と大声をを上げ、「飢えている」クマに餌を与えると称してドングリをまくアホバカ集団もあるし、シカだって、なかなか自由に駆除できない。(一定期間、妊娠中のメスシカを駆除したら、一気に数を減らせると思うけどね。)

この構図は、なんだか現在進行する原発報道でも見られる。

東電、保安院(行政)、学者、マスコミが、鉄のスクラムを組んで、原発擁護、安全を訴え続けた。さすがに原子炉が崩壊していることが確実になると、今度は「この程度の」放射線なら浴びても大丈夫……と言い始めた。

私の目からはあきらかに御用学者と思える某人物は、○○ミリシーベルトくらいなら無害、大丈夫と連呼し、安全安全の大合唱だ。
だが、まともに考えれば、通常の数千倍以上の放射線を浴びて安全なわけはなく、1年や2年で解決するわけもないことが想像できるはずだ。ましてや対象が子供となると……。

それを信じている人も少なくないようなのだが、指摘するのも不憫になる。

ようは、人は信じたいことを言ってくれる人を信じる性向があるのだ。カモシカを駆除したくないという思いが、観察結果をねじ曲げても「無害論」をぶったように……。

結局、カモシカは数を爆発的に増やしていて、ヒノキを食べていることが随分遅れて認められた。しかし、手遅れである。
そして、当時カモシカ擁護の論陣を張った学者やマスコミなどは、口をつぐんでいる。自然保護団体なんぞは、もう解散して我関せずだ。

おそらく、放射線被害があきらかになった頃には、放射線「大丈夫」論をぶった御用学者も口をつぐむのだろう。

同じことを今後も繰り返し続けるのか……。

2011/05/14

巨大組織のワーカーは粗雑化する?

北海道の旅の途中で読んだのは、『働かないアリに意義がある(長谷川秀祐著・メディアファクトリー新書)。ただいまベストセラー中だ。

社会性昆虫(ハチやアリなど)の社会の研究から、組織・集団と個人の関係を示唆する素敵な本である。

その中で、私がドキリとした点がある。

コロニー(巣)とワーカー(働きアリ、働きバチなど)の観察なのたが、小さなコロニーのワーカーほど、動きはゆっくりで、活動も一匹ごとに行う。言い換えると一匹でなんでもこなす。
ところがコロニーが巨大になると、情報伝達手段(フェロモンなど)が発達し、ワーカーの動きは早く、仕事も分担して行うようになる。

ただ、注目すべきは、小さなコロニーのワーカーの身体はボディパーツの狂いが少なく、巨大コロニーのワーカーはボディパーツの誤差が大きい……粗雑なつくりだというのだ。

これを人間社会に置き換えて考えてみた。

小さなコロニーとは田舎社会だ。巨大コロニーが都会。
小さな集団の中の一人は、自分でさまざまな仕事をするが、ゆったり暮らしている。労働能力も高い。その代わり効率が悪くて、対価は少ない。
巨大組織になると、指揮系統が整備され、情報伝達手段も発達し、各々分担した単純仕事をスピーディにこなす……ことになる。ただし、ワーカー一人一人は、取り替えのきく未熟労働者でもよい。

うなってしまった。この図式を、さらに林業界に当てはめてみよう。

昔ながらの林業は、一人で何役もこなさなくてはならない。自分で伐って運んで、植えて……。その能力を身につけ、習熟度も高い。ただし仕事はゆっくりで効率も悪いので、利益は少ない。
今進められている林業の大規模化は、そうした状況に対するアンチテーゼだろう。高性能機械などを動員して役割分担が行われ、仕事全体の効率を高めているが、労働者の質は、あまり問わなくなる。誰でもできる仕事にしようとしている……。

ボディパーツが粗雑なワーカーというのは、ようするに使い捨てできる人材ということになるのだろうか。ワーカーを使い捨てしつつ、巨大組織としては繁栄するのである。

もしかすると、マクロな林業の繁栄のために、個別の地域や個人を使い捨てする社会に突入しようとしているのかもしれない。そう考えると、欧米の機械化林業の現場で、過重労働が増えているのも、理解しやすい。

しかも、これは昆虫も人間社会も同じなのだが、巨大コロニーほど進化形なのだ。小さなコロニーの種族ほど原始的で、進化した種族ほど巨大組織をつくる。いわばグローバル化が行われる。
情報伝達手段の進歩も、ハチは尻ふりダンスからフェロモン物質の利用に進んだように、人間も言語、書、電波と進み、いまやインターネットである。

もはや組織の巨大化と、それにともなって個人を粗雑化する「進歩」は、止まらないのかもしれない。

  

もちろん、昆虫の世界を安易に人間社会に置き換えることの危険性は承知の上だが、暗示的ではないか。

ちなみに社会性昆虫の中には、女王ハチ(アリ)もいず、クローン・ワーカーだけの種族もいるそうだ。遺伝子の差異さえ消えて、社会=個人となるのだとしたら……。

2011/05/13

ドイツ林業の現実

札幌では、たくさんの人と出会った。話したし、聞いた。森も街も歩いた。そして情報を多く仕入れることができた。

残念ながらカメラを回収するまで写真がない。そこで、記憶に残ったこんな情報を。

万が一、提供者に迷惑がかかってはいけないので匿名にしておくが、ドイツを幾度も訪れている研究者である。

そこで聞いたドイツ林業・林学の現実。

すでにドイツでは、画一的大型化林業は、否定されつつあるのだという。そして人工林の針広混交林化が課題になっている。
それなのに、日本は、20年前のドイツを見習って始めたのが、現在進行中の集約化・機械化・大型化を伴う森林・林業再生プランなのだ。

いや、それだけなら、日本にはすでに作ってしまった単一樹種の人工林が1000万ヘクタールもあるのだから、当面は20年遅れのドイツ式林業でも役に立つかもしれない。20年後に変換するつもりで……。

ところが、大型化したドイツの林業現場で起きているのは、過酷な労働だった。

なんと、大型林業機械を導入したものの、そのレンタル料を稼ぎだすために起きているのは、1日16時間労働だというのだ!  さもないと、ノルマがこなせないのである。

そして、フォレスターの最大の仕事は、担当区域の労働者の健康管理だという。そんな過酷な労働に従事する林業現場を回って、定期的に休ませたり、安全を確かめること……。

いや、北欧では24時間(3交替制)機械を動かさないと、生産効率が落ちるというところまで行っているらしい。

こうした現実は、通常の視察では見えない部分だろう。現場労働者に密着して、初めて聞き出せるのだ。

果してこれが、自然相手の仕事か? そして憧れの職業か?

ヨーロッパでさえ、市民の森林幻想と、現実の労働現場の乖離が始まっているのではなかろうか。

2011/05/12

晴れ男……だが

さきほど、北海道より帰宅。

思えば、10日の朝、奈良を出たときは、雨が降るかどうかの瀬戸際で、伊丹空港に着いたころには雨。雲の上を飛んで、新千歳空港に着陸すると、曇ってはいたが降っていなかった。

ラッキー! と、傘を開かずに済んだことを喜ぶ。

そして2日目、3日目は朝から快晴!! 青い空の元で取材もしたし、イベントにも出たし、森歩きもしたし。なんでもニュースによると、本州以南は土砂降りとか(⌒ー⌒)。御愁傷様。北海道は別世界なのよ。飯も美味いし、酒もよく飲んだ。

そして、今日、再び飛行機で伊丹空港に降り立つと……雨じゃん。が、帰り着く頃には小雨以下になって、結局傘を使わずに帰り着けた。

そして天気予報を聞くと……生駒は朝には止んで、昼から晴れマーク。一方、北海道は雨らしい(⌒ー⌒)(⌒ー⌒)。

オレって、究極の晴れ男じゃ。オレがいなくなった札幌は雨が降る。

……とほそくんでいたら、カメラがない! 上着のポケットに入れていたコンパクトデジカメがなくなっているのだ。仕事で撮った写真をもるから、なくなると大変である。
必死で思い出したら、飛行機の中で脱いで隣の空席に置いたはず。飛行機の中に忘れたのだ(ーー;)。

あわてて空港に電話するも、明日に問い合わせ直すことに。

晴れ男、必ずしも幸運ならず。

2011/05/11

札幌の紀伊国屋書店

昨日から札幌に来ている。こちらはよく晴れ、ご機嫌なのだが、仕事の合間に寄ったのが、紀伊国屋書店。
探すは、もちろん…。

まず「森林異変」は、すぐ発見。実は平積みは始めてだ。札幌の紀伊国屋書店

次に「元気になる!日本の森を歩こう」は、書店初の発見。

札幌の紀伊国屋書店

こうなりゃ、「いま里山が必要な理由」だって。ちょっと苦労したが、林業の棚に発見!

札幌の紀伊国屋書店

いやあ、札幌の紀伊国屋書店て、本当にいい書店ですね(*^^*)。

2011/05/09

土倉庄三郎jと十津川村移住

今回の震災に関して、林業関係者の動きが鈍い、と各地で聞く。

とくに奈良県の林業関係者が動いたという話は、私の耳には届かない。単に入らないだけだろうか……。

それで思い出したのだが、奈良県でも明治時代に大災害が起きている。十津川村の大水害だ。明治22年に記録的な豪雨に襲われた。十分な観測はされていなかったが、おそらく3日で3000ミリ以上の雨が降ったのでは、と言われている。
いたるところで山が崩壊し、土砂は河川に流れ込んでせき止めた。そのための増水と決壊、さらに土石流の発生などによって人家は押し流されたり埋没してしまった。
山崩れは6000カ所以上、死者は確認されただけでも169人。当時は戸籍もしっかりしていなかったから、何人が犠牲になったかわからない。

道も寸断されたが、明治時代だけに迅速な救援活動も行われず、もはや自力の村再興は不可能と判断に傾いた。そこで、十津川村の約600戸2500人の住民が北海道に移住を決意する……。

この移住者が向かったのが、現在の空知郡。そして彼らが築いた町が新十津川町である。

この災害に、土倉庄三郎は、500円を寄付した記録が残っている。だが実際は、移住者が北海道に渡るまでも面倒をみたらしく、費やした金銭はこんなものではないだろう。

今後、東北の被災地の中にも、集落上げての移住構想が持ち上がる地域もあるだろう。当時は、国の支援も少ない中で、大変な苦労をして新しい大地を開墾したようだ。

ただ、結局のところ、十津川からの移住者の中では、この地に居ついた人は少なく、やがて各地に散っていく。あまりに吉野と条件の違うところに馴染めなかったのだ。また、太古の昔から士分としての誇りを持ち続けた十津川住民には、歴史のない新天地は向いていなかったのかもしれない。
現在の新十津川町を作ったのは、ほとんどが後の東北からの移住者だと聞く。

このことからも、移住・集団移転は慎重に行わないと、初期の狙いと思いを持続するのは難しいのである。

ちなみに、土倉庄三郎最後の孫に当たる土倉正雄さんが、この4月に亡くなられた。80を越える高齢だったが、なんとか存命のうちに、庄三郎と、その次男で彼の父に当たる龍治郎の事蹟をまとめたかったのだが、叶わず、慙愧に絶えない。

2011/05/08

井の中の蛙

ずっと心に沈殿しているものがある。考えれば考えるほど、胸の底に溜まって、解が見つからない。

それに悩んでいる時に、不意に浮かんだ言葉。

「井の中の蛙」。

この言葉の後に何が続くか。

ほとんどの人が知っているのは、「大海を知らず」だろう。

井の中の蛙、大海を知らず。荘子の言葉らしいが、井戸に住んでいるカエルは、その外の世界には広い海が広がっていることを知らない、というのだ。

小さな世界にこもっていては、全体像がつかめない。さらに転じると、目の前の出来事、自分の周りしか見ず、自分に関係あることだけで行動していると、世界全体の動きがつかめなくて、結局、大勢を見失う……。そんな意味に取れる。

だが、この言葉の後にまだ続く言葉があることを知っているだろうか。

されど空の高さを知る」。ほかにも空の青さを知る」、「空の深さを知る」などともいう。なぜ確実な言葉ではないかと言えば、どうやら日本に伝えられてからの後付けらしい。荘子の言葉ではないのかもしれない。

井の中の蛙、大海を知らず。されど空の高さを知る……。

井戸の底に住むカエルは、たしかに外の世界を知らず、視野は狭い。が、常に狭い空を見上げているゆえに、その高さや青さや深さを知っている……ということは、狭い世界の奥深さや緻密さを感じていると、解釈すべきだろうか。

もしかしたら、当時の先進国・中国の荘子の言葉に反感を持った日本人が、辺境ゆえに狭い世界で見つけたことがあるんだいっ! と言い返したのかもしれない。

今風に考えると、世界経済は知らなくても、小さな商店の商売の機微は知っているとでも言いたいのか。あるいは、職人的な専門技術は持っているが、いま作っているものが将来必要になるかどうか考えたこともない、ということか。

何を言いたいのか。って、私にだってわかんねえやい(笑)。

ただ、大きな世界観を持たないと、真実は見えない。が、大局ばかりを語っても情はなく、根源的な人の命運を見誤る。
そして社会的視野と、深い専門分野の洞察は、なかなか両立し得ないということである。

自分は、取材者、執筆者として、どちらの立場に立とうとしているのか。井戸から出て別世界を見るべきか、井戸にこもって空を見上げるべきか。

やはり、出たいのだろうな。

2011/05/07

「どんと晴れ」と「もしドラ」から林業を考える

なんと、NHK「どんど晴れスペシャル」前編を見てしまった。

4年前のNHK朝の連続ドラマのスペシャル版で、舞台は岩手・盛岡の老舗旅館。ここでは、「もてなしの心」が強調される。

そういえば、このブログで、「献身によるおもてなし」のうさん臭さを語った記憶がある。そうか、4年以上このブログを続けているのか。

今回も、まず同じ感想を持った。どうやらスペシャル版のテーマは、「エコビジネス」や「癒しビジネス」であり、そのアンチテーゼとして「形の見えないおもてなし」をすえているようだ。(後半をまだ見ていないけど…。)

そこでは、「おもてなし」をマニュアル化しようという話が出てくる。お辞儀の仕方を定めたり、接客マニュアルを使うというのだ。そして旅館のバリアフリーや自然エネルギー利用の話も登場する。これこそ、顧客満足度を上げる、というセリフもあったように記憶する。

たしかに「おもてなし」をマニュアル化することには、違和感がある。が、身体で覚える「心からのおもてなし」にも気色悪さを感じる。従業員に、仕事の枠を超えた役割を期待しているようなところがあるからだ。ようするに給与以上に働け、という経営者満足の追求にすぎないのではないか。

……が、その両極端の間を取り持つ部分がわからない。

そう思っているうちに、いよいよ「もしドラ」の最終回

いやあ、見終わった時は、うっすら涙が浮かんだぜ(^^;)。「もしドラ」は、ドラッガーの「マネジメント」を紹介するための作品と思われがちだが、事実そうだが、実はストーリーも面白い。読者(視聴者)の感情のツボを押さえているのだ。ヒットするわけだなあ。

そして、「どんど晴れ」を見たときの違和感の一角を崩されるような気がした。

ドラッカーはいう。「他から得ることができず、どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。才能ではなく真摯さである

そうか、マニュアル化すると、真摯さが欠けてしまうのだ。お辞儀を頭の下げる角度で学んでしまい、なぜ頭を下げるかを体得できない。真摯さに欠け、使命感が生まれない。

そして真摯さこそが、労働満足につながる。そして真摯さを持った組織にすることが、「形の見えないおもてなし」を支えるのではないか。

実は、エコビジネスや癒しビジネスも、真摯さ、使命感に欠けると、形だけの行為となり、真の意味での環境や人の心をないがしろにする。植林ツアーや森林セラピーがよい例だ。

先に、現在の林業は、顧客満足も労働満足も欠けていて、わずかな経営者満足しか得ていないのではないかと触れたが、林業界にイノベーションを起こすとすれば、真摯さを求めることにあるのかもしれない。

顧客満足を引き出す仕事が、同時に労働満足につながるには、どうすればよいか

もちろん労働が報われるシステムも必要だし、そこそこ儲かることも不可欠だ。が、満足する山仕事とは……美しい森づくりもその一つにならないだろうか。

そこには時間軸が必要だ。

植えた苗が育ち、新しい森ができる将来を想像できること。

木を伐ることによって残された樹林が大きく元気に育つこと。

伐採跡地に、次の世代の森をデザインする面白さを感じること。

伐った木が誰の手に渡り、どんな使い方をされるか知ること。

それらが、結果的に美しい森へとつながるのだ。

よし、林業界のドラッガーになる一里塚だぞ(^o^)。

2011/05/05

『元気になる! 日本の森を歩こう』サイドバーへ

今日こそ、ブログ執筆を休むぞ! と言い聞かせてきたのだが、やっぱり情報提供だけ。

明日6日に、『元気になる! 日本の森を歩こう』が解禁になるが、Amazonなどネット書店ではすでにアップされていた。ただし、一応「予約受け付け中」の状態。どうせ、あと1時間ほどで6日だ。

そこで、本ブログのサイドバーにも登録しておいた。もし、興味のある方は、こちらから除いてください。近く、HPにも載せないといけないな。
う~ん、今日は山歩きで疲れているので、作業する気にならない。しばし、待て……。

それにしても長い書名なので、何か短縮系はないか。

ところで、本書には生駒山も登場する。今は新緑のもっとも美しい時期。そして本書で紹介した生駒山の隠れ名所・棚田が生まれ変わる季節。

そこを歩いてきた。例によって道は途中で消えたけど……。

2011_13







2011_8




暗峠付近。

2011/05/04

林業界はNPO?

連休なんだから、ブログも休もうかと思う。
だいたい、ここ毎日、裏ブログも含めて2本も書いているんだから。

とはいえ、今日は徒然なるままに。

NHKのアニメ「もしドラ」を見ていて非営利組織(NPO)を説明を聞いているうちに、思ったのだ。林業って、NPOじゃない? と。

つまり、現在の林業は実質的に利益を上げていない。補助金がなければ成り立たない業界だ。つまり非営利組織なのだ。それを無理して産業だ、ビジネスだ、株式会社だ、という体裁を保っているから齟齬が起きているのだ。

そんな似非・営利組織である林業団体が、それでも存続するためはNPO的発想を持ち込まないといけない。

ドラッガーは、NPOの運営に欠かせないのは、使命感と情報公開だと言っている。

儲からないのに仕事をやり続ける原動力には、使命感が必要なのだ。働く人にとって、十分な報酬はなくとも、世のために役立つという気持ちがあれば持続できる。(もちろん、そこそこ維持する収益・報酬は必要だが)

ただ、使命感を維持して、一人一人のモチベーションを高めるには、ピラミッド型組織ではいけない。ボスが待遇面で十分に報いてくれないのだから、上司の言う通りに動かないのだ。

そこで情報を全員で共有して、同じ使命感を持たねばならない。さもないと、上に従い、仕事に従事する動機を維持できず、雲散霧消する。

実は、日本のNPOの多くは、そこに気づかず、一部の人間が情報を占有するだけでなく、理念も運営方針も全参加者の納得を得ないまま決定して運営している。だから、あっと言う間に分裂するのだ。(たいていのNPOは3~4年目に分裂・脱退者を出す。)

林業界も、すでに似た状態になっていて、従事者の生産効率は低いままだ。機械化を進めてもモチベーションが上がらないから、全然生産性は上がらない。
それどころか理念もないがしろにして、林業作業が森林環境の破壊につながり、やる気を失せさせる。そして経営者の独断専行も目立つ。だから、従事者の勤務年数は短い。勤めて3年続くのは半数以下と言われるゆえんだ。

まさに日本の林業は、悪しきNPOなのだ。

一方で、林業界の没落の原因は、顧客に顔を向けていないことにある。エンドユーザーが何を求めているか知らないまま、木材生産をしているから、供給と需要のミスマッチが起こり、価格は上がらないし、ロスばかり出して経営を悪化させてきた。

もし林業を、しっかりした産業、ビジネスにしたければ、NPO的経営から離れて、顧客満足を追求しなければならない。そして従事者の待遇を改善して、効率を高める。

あるいは、NPOに徹して、従事者の使命感を高めることで維持するか。こちらは労働満足度を上げる必要がある。地球環境を守り、地域経済を支える高邁な使命感を持ちつつ、具体的な目標設定によりモチベーションを高めるのだ。

今の日本林業には、顧客満足も労働満足もない。最悪の組織ではないだろうか。

根本から、林業組織のマネジメント論を考えねばならないなあ。

もし、私がそれを確立し、「林業マネジメント」という本を執筆した時には、私を「林業界のドラッガー」と呼んでくれ(^o^)。

2011/05/03

『元気になる! 日本の森を歩こう』出版

な~んとなく、発表のタイミングを失っていたのだが、ゴールデンウィーク明けの5月7日に、新たな本を出版する。

『元気になる! 日本の森を歩こう』
(洋泉社カラー新書y)

である。いや、派手なタイトルだ。
ただし、著者は「日本の森を歩こう会」である。

こんな会あるの? と問われれば苦笑するしかない。裏表紙には、「本書の企画・観光に伴いプロジェクト的に活動。ライター、編集者などの有志からなる。」と説明されている。
ようするに、本書執筆のために作られた会である。いや、会というより編集者が執筆を依頼した数人の著者の総称と思っていただきたい。

3月より、森の記事を7本も大急ぎで書いているとプログやツイッターで紹介していたが、実は本書のものであった。

洋泉社のHPにもアップされたので、本ブログで取り上げてもよいだろう。

内容は、タイトルどおり、歩いて楽しめそうな森を紹介する本。

004











 定価1000円+税

目次を紹介すると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インタビュー 養老孟司氏

第一部 魅力的な日本の森に出かけよう 古川琢也・尹雄大

インタビュー 池田清彦氏

巨樹に魅せられて 高橋弘

第二部 森をより深く味わう 田中淳夫

インタビュー 上原巌氏

第三部 森と木を理解するための20の知識 漆原次郎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第1部には、日本全国14の森が紹介されている。
多少、森林セラピー基地とだぶっているが、ようは歩いて楽しめる森。
屋久島、沖縄国頭村、菊地渓谷、信濃町、戸隠、天城山、高尾山、明治神宮、東京水道水源林、トトロの森、奥入瀬渓流、榛原町、赤目四十八滝、利尻島。
   
で、私が担当した第2部は、


    
白神山地(青森)
生駒山(奈良・大阪)
伏状台杉の森(京都・片波川流域)
日本万博記念公園の森(大阪)
海上の森(愛知)
春日山原始林(奈良)
田上山(滋賀)


の7つである。

  
全体としては、森林療法的な癒しを与える森を歩くことに主眼を置いている。ただ私が書いたパーツに関しては、森の紹介というより、その歴史や生態系について記した、いわば森林論・森林ルポである。切り口はひねくれている、かもしれない(笑)。
自慢じゃないが、全部私は歩いている。関西が多いのは、そのせい。写真も多く提供している。
   
面白いのは、最後の上原巌・東京農大教授のインタビューで、森林療法についてせつめいしているが、そこで今の森林セラピーおよび森林セラピー基地について苦言を呈している。よく言えば地域起こしだが、実は認定団体の金儲けの道具と化していて、トンチンカンな状況に陥っていることが示されているのだ。
  
実は、先日の東北帰りに、私は上原教授の元を訪れている。そして森林セラピーの問題点について、おおいに語り合ったのである(^o^)。この問題については、いつか改めて指摘したいものだ。
  

ともあれ、本書によって、部分執筆とはいうものの、私にとって1年で3冊もの出版になったのである。

2011/05/02

タケノコ全滅……感情は身の周りから

遅ればせながら、生駒山にタケノコ堀りに出かけた。

山の中腹の我が家の森では、いつも4月下旬から出始めるのだが、今年は東北巡礼に出ていて、出遅れた。ただ、寒い時期も続いたので、ゴールデンウィークこそ最盛期、と睨んでいた。

……ところが、森に分け入ると、何やら不穏の空気。

森は雑木林なのだが、竹が侵入している一帯はだいたい決まっている。が、そこには地表が荒らされ、穴ぼこだらけ。タケノコが掘り尽くされている!

近くには、竹がノコで切られ、ペットボトルも落ちていた。さては、盗掘した輩がいるな。

怒りに震えつつ、奥に進んだ。通常、ここまで外部の人は分け入らないであろう一帯にも、竹が地下茎を延ばしているところがあり、よくタケノコが出るのだ。

201105011345001


……ズタズタに地面が掘り返されていた。あきらかにタケノコを引きちぎったかのような跡もある。

手前には、穂先が落ちていた。

こ、これは……。








201105011345000
おい、糞まであったぞ!!

これで盗掘者の正体がはっきりした。イノシシだ。

イノシシがタケノコを食い散らかしたのだ。このところ増えて農作物への害が目立つと聞いていたが……。

いくら探しても、一本も見つからなかった。どんな不作の年でも、ゼロなんてことはなかった。今年だって、掘られた穴の数からして、20本以上になる。それが、それがゼロなんて~(;_;)。

ショック。茫然自失。毎年40~50本は掘っているタケノコは、今年はゼロかよ。春は、毎年イヤというほど料理にタケノコ尽くしが続いて不満が出ていたのに、今年はなしかよ。
ラッキーガーデンへの献納もできず、スリランカカレーが食えないではないか。

このタケノコの悲劇を語るとき、思わず「東北で津波の被災地を見たときよりショックだ」と口走ってしまった(^^ゞ。
暴言か? いや、その、人は巨大な悲劇より直近の事象に、より深く感じるものだよ。

きっと被災地にも、家が壊れたことより失恋した痛手の方が大きい人もいると思うよ。

2011/05/01

「瓦礫がエネルギーになる」のか?

アエラ(11・5・2~9)に「瓦礫がエネルギーになる」という記事が掲載されている。

これは林野庁林政部長が練っている案で、東日本大震災で生まれた瓦礫の中の木質を燃料として火力発電を行い、瓦礫を処理するとともに自然エネルギーの供給を行う、というものだ。

001

……読んだ瞬間に思い出したのは、このアイデアは本ブログでも提案していたことだ。3月21日「木材の震災需要を逃すな」のコメント欄。

ま、この程度は誰もが思いつくようだね(笑)。

記事によると、出力1万キロワットの小型火力発電所を5基つくれば、瓦礫の中の木質(500万トンと想定)は数年で片づくという。1基1年で12万トンを消費するという計算だ。

すでにこの構想は動き出していて、第1次補正予算に3億円程度を盛り込まれた模様だ。 政府の推定によると、瓦礫の木材を5センチ以下の木くずにするための移動式の木材破砕機を購入する際、2分の1を補助するらしい。

ところで、記事はここで終わらない。瓦礫の廃材がなくなった後(木質燃料が尽きた後)は、森林バイオマスを使う……ようするに林地残材を燃やそうというわけだ。まさに「バイオマス・ニッポン」(-.-)である。

それができたら苦労はないが、高性能の機械を入れて大規模に伐採・搬出すれば、採算が合う、日本の森林はバラ色ですよと、東大大学院准教授のコメントで示している。それって、今の林野庁の政策と合致しているわけだが、どこをどう計算したら採算が合うのか。
ここで林業に関する無知が露呈する(-.-)。

林地残材をエネルギー利用のために搬出するという発想は、本末転倒。まず木材として利用する中で出た端材をエネルギーに回すべきである。そのためには、国産材の需要先の確保が欠かせない。


この記事の後半は暴走して、森林バイオマスの利用で花粉症まで消えると記者好みのアホな展開をしている(~_~;)。が、この点は無視しよう。

前半の瓦礫エネルギー構想を考えてみる。いくつかの問題がある。記事の中でも指摘しているのは、塩分を含む木材を燃やすとダイオキシン発生の可能性があること。そのほか木材に付いた泥や化学物質を除く方法が難しい。

チップにするのも、一般的な切削タイプの場合、土や泥、金属片(釘など)が混じっていると、すぐに刃がかけてしまうからハンマータイプの機械にしないといけないだろう.。でも効率は落ちるんではないかな。私は、古材をチップにする事業体を取材したことがあるが、想像以上に大変だった。技術革新が進んでいることに期待する。

それより、薪ボイラータイプの燃焼炉は無理なのか。

岡山県真庭市の集成材製造の銘建工業は、端材で発電を行っていたが、10年以上前に取材した時、それはチップではなく、端材ならなんでも(かんなくずから長さ1メートル以上の背板まで)を放り込めていた。こうしたタイプなら、手間かけずに燃焼できるはずだ。それで2000キロワット以上の発電可能だった。ただ中国電力の買い取り価格が安いので、フル操業していなかったが……。(もっとも今は、木質ペレットの製造をして海外輸出までしている。)

むしろ東北なら、発電より温水による地域暖房に傾斜した方が価値があると思う。

とはいえ、小規模木材火力発電所を分散して配置して、ネットワークを組む発想は、なかなか魅力的だ。今後は、「小型・分散」がキーワードだろう。それは発電だけでなく、林業そのものにも言える。大規模化ではなく、小規模ネットワーク型であってほしい

なお多少技術的にはハードルが上がるが、ゴミ発電施設と組み合わせることだって考えられる。その方が、過度に林地残材などに燃料を依存しなくて済む。これも燃料の分散化と言えなくもない。

記事の中には、巨大な火力発電所だと、バイオマスの混焼率は1~3%で、引き上げても5%くらい、とあるが、もし2%上げられたら、それで日本のバイオマスを全部使い切ってしまうのではないか。ただ肝心のバイオマスを集めるのが大変。
小規模で各地に分散設置されているゴミ焼却炉のような施設に発電設備をつけて、そこに地域の木質系の燃料を集める方が向いているだろう。

「原子力はダメ」の反動で、自然エネルギーだ、なかでもバイオマスだ、とくに木質だ、と傾斜するのは危険。あくまで必要なのは分散なのである。さもないと、今度は山を荒らしかねない。もっとも分散した各種のエネルギー源の中に、「小さな原子力」は入ってほしくないけどね。

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

森と林業と田舎