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2011/05/09

土倉庄三郎jと十津川村移住

今回の震災に関して、林業関係者の動きが鈍い、と各地で聞く。

とくに奈良県の林業関係者が動いたという話は、私の耳には届かない。単に入らないだけだろうか……。

それで思い出したのだが、奈良県でも明治時代に大災害が起きている。十津川村の大水害だ。明治22年に記録的な豪雨に襲われた。十分な観測はされていなかったが、おそらく3日で3000ミリ以上の雨が降ったのでは、と言われている。
いたるところで山が崩壊し、土砂は河川に流れ込んでせき止めた。そのための増水と決壊、さらに土石流の発生などによって人家は押し流されたり埋没してしまった。
山崩れは6000カ所以上、死者は確認されただけでも169人。当時は戸籍もしっかりしていなかったから、何人が犠牲になったかわからない。

道も寸断されたが、明治時代だけに迅速な救援活動も行われず、もはや自力の村再興は不可能と判断に傾いた。そこで、十津川村の約600戸2500人の住民が北海道に移住を決意する……。

この移住者が向かったのが、現在の空知郡。そして彼らが築いた町が新十津川町である。

この災害に、土倉庄三郎は、500円を寄付した記録が残っている。だが実際は、移住者が北海道に渡るまでも面倒をみたらしく、費やした金銭はこんなものではないだろう。

今後、東北の被災地の中にも、集落上げての移住構想が持ち上がる地域もあるだろう。当時は、国の支援も少ない中で、大変な苦労をして新しい大地を開墾したようだ。

ただ、結局のところ、十津川からの移住者の中では、この地に居ついた人は少なく、やがて各地に散っていく。あまりに吉野と条件の違うところに馴染めなかったのだ。また、太古の昔から士分としての誇りを持ち続けた十津川住民には、歴史のない新天地は向いていなかったのかもしれない。
現在の新十津川町を作ったのは、ほとんどが後の東北からの移住者だと聞く。

このことからも、移住・集団移転は慎重に行わないと、初期の狙いと思いを持続するのは難しいのである。

ちなみに、土倉庄三郎最後の孫に当たる土倉正雄さんが、この4月に亡くなられた。80を越える高齢だったが、なんとか存命のうちに、庄三郎と、その次男で彼の父に当たる龍治郎の事蹟をまとめたかったのだが、叶わず、慙愧に絶えない。

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コメント

十津川大災害というと固有名詞的に用いられる名前ですが,今回の災害についてその後の動き:

【「国・3県合同対策会議」初開催 熊野川の共同管理など提案】(MSNサンケイWeb 2011.11.01)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111101/dst11110112550005-n1.htm

さすがに閣議決定レベルではないだろうけど,固有名詞のつく災害となるかもしれませんです.

現地情報によりますと、被害は、山林崩壊270ヶ所、道路損壊100ヶ所だそうです。

ただ、仰天するスピードで道路が復旧しています。数年かかるかもしれないと思った橋が流されたところに、早くも仮橋が掛けられて十津川村まで全線開通しました。

これも同村出身の前田武志議員が国交大臣だから……とは言いたくないですが、今回は国交省頑張ってる! と言っておきます(^o^)。
ただ農水省の動きは鈍いですね。奈良県も頑張ってほしい。それと、川上村の道も早くなんとかならんか。

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