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2011年6月

2011/06/30

『日本沈没』第2部を読み返したい

小松左京の『日本沈没』が出版されて大ブームになったのは、私が中学生の頃。

すでに熱烈小松ファンだった私は、それこそ熱狂的に読んだ。勢い余って地球物理学に興味を向けるきっかけにもなったかと思う。

そしてン十年。阪神大震災が起きたときに、思わず読み返した。

そこに描かれている内容は、目の前で起きた阪神間の震災に酷似していた。単に災害としてではなく、震災に対応する社会状況が似通っているように感じたのである。大震災に庶民がどのように動くか、世相や世論も含めて似通っているように感じた。

そして東日本大震災が起きた今、『日本沈没』第2部を読み返したくなっている。

本は手元になく実家に取りに戻らなくてはいけないが、今こそ「震災後」を考えるヒントになるのではないか……と思い出した。

第2部は、直接的には小松左京の作品ではない。執筆は谷甲州で、ほかにも何人かスタッフとして入っていたはずだ。つまり、高齢の小松さんには長編小説を執筆する体力が残っていないからと、コンセプトを作って、また若き表現者や研究者を交えて議論しつつ組み立てたと聞いている。

もともと小松さんは、日本がなくなった(沈没した)、さあ、どうする? というのがテーマで書き出したのだが、結局沈めるまでが大仕事で、これ以上長く書けないからと第1部は、日本が沈没するまでに止めた。つまり、第2部こそが、本来書きたかった内容なのだそうだ。

記憶で書くが、第2部はパプア・ニューギニアや中央アジアなど世界中に分散避難した日本人の苦闘から始まる。日本政府は、オーストラリアに事務所を設け、金融資産で運営・活動している。そして、日本復活をもくろむのだが……。

そこに国際情勢(中国や北朝鮮やらアメリカ……)が絡んで陰謀渦巻く。そして地球規模の気候変動の予兆まで導き出されて行くのだ。

一部、中央アジアの冒険小説ぽいところがあり、そこは谷甲州らしさになるのだが、全体としてはSFというよりポリティカル小説である。

テーマは、日本人のアイデンティティとは? そして国土の復活とは?

具体的には、残されたわずかな芥子粒のような島を元に、巨大なフロートによる人工島建設計画が絡む。しかし、近隣諸国が蠢き、さらに日本の沈没は地球大気にも大きな爪痕を残し、人類の危機さえ感じられる……。

私が考えさせられたのは、国土がなくては日本は保てないのか、また日本文化を維持することが重要なのか、それとも人として生きるには各国の民族に融合してコスモポリタンになる方がよいのではないか……という問いかけだ。

ユダヤ人は無理してイスラエルを建国した。片や華人・華僑は世界に分散し各地に溶け込みつつ中華民族出身のアイデンティティを残す。どちらを日本人はめざすのか……その選択肢が突きつけられる。

故郷・国土に固執して、多くの犠牲と軋轢を抱えつつも守るべきものは何か。
日系という血筋は残しつつも、意識は地球人へと昇華できるのか。

小松左京は、どうやら後者を望んでいるように感じた(記憶)。私は、当初、前者を指向すべきではないかと思っていた。しかし、徐々に変わってくる。

おそらく現実の社会=国民・市民は、前者を求めるのだろうけど、それが幸福への道になるのか。どうも個人の人生や日本人の気質、そして記憶としての日本を地球上に刻むには、後者の方が有益なような気がする……。

 

 
ところで、なぜ東日本大震災の後に読み返したくなったのだろうか。

2011/06/29

「外資の森林買収」より「日本文化の中国依存」が心配

このところ、インタビューを受けたりトークショーに出たりする機会幾度かあったが、そこで取り上げられる話題の一つが「外資が日本の森を購入している件」である。 つた、拙著を読んでいただいた人が取り上げる質問や感想の中に、必ずといってよいほどこの件は触れられている。

震災でこの話題吹っ飛んだと思っていたのだが、そうでもないらしい。

ようするに世間的には、日本の森を話題にする時に、マニアックな林業・木材産業界の内実より、ずっと関心が高いのだろう。

もちろん取り上げ方は、私がこの件を一笑に伏したことで、私の意見に賛同する声と、いやいやいや…と反論する人に分かれる。

このブログでは幾度も取り上げている(それも何年も前から!)が、少なくても、外資(たいてい中国)が日本の森を買う理由に、水資源や木材資源などありえないことはこれ以上繰り返さない。

ここでは前提を「外国人が日本の森を買っている」ということにしよう。

では、そのどこがいけないのだろう。

格安で日本の森を買収したとする声もあるが、日本人が買う気にならない土地(無価値)を買ってくれているのであり、むしろ高値だと思う。山林をリゾート地として買う場合は時価の10倍くらいになっているのではないか?

なかには中国人の名義になると、(大使館の一部にすることで)中国領になったも同然、という珍説(@_@)を披露する人もいる。領土といを概念をそんな簡単に扱えると思ったら大間違いだ。そんなこと言ったら、日本領土は世界中に広がっていることになる。

単に外資=鬼畜扱いしているのなら、戦時中より始末に悪い。なぜなら、資源の多くを海外に依存している現状を無視している。

  

たいていの論者は、相手が中国であるという前提で、いかに中国が危険な国か、という論法で攻撃する。しかし、その危険な国に食料も機械も衣料も、全部依存しているのだから、わずかな山林ごときで騒ぐより、先に守るものがあるだろう。

とくに、森林資源の多くは、今や自給できていない

たとえば和紙の材料(コウゾ、ミツマタ、ガンピ)は、ほとんど中国産である。

葬式や神道行事に使われるサカキやシキミも9割以上が中国産である。

漆など和工芸材料も、ほぼ中国産である。

竹工芸品も、材料だけでなく製造までが中国産である。

備長炭だって、割り箸だって……。毛筆の材料だって。

日本文化は中国に首根っこを抑えられているのではないか? 経済的には小さくても、これらの供給が止まったら、日本文化です! と自慢しているものが壊滅する。

私は、こちらの方が心配だ。

2011/06/28

セミナー『誰が日本の森を救うのか』

突然届いた、分厚い書類封筒。開けてみると、セミナーのチラシがどっさりだった……。

と、意味ありげな書き出しにしてしまったが、実は7月23日に大阪・梅田で表記のセミナーを開催する。

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題して「誰が日本の森を救うのか」。

かつて『だれが日本の「森」を殺すのか』という本を出版した人間だが、殺すだけでなく、救援活動も行うのである。

これはチラシの裏面だが、主催はNPO法人サウンドウッズ

木材コーディネーターの養成を通じて、日本の森を救おうと活動しているが、その木材コーディネーター養成講座の開催記念のためのセミナーを開催する。

そこに私も、講演と対談に出席するのだす。

ちなみに募集定員は、なんと25人。少数精鋭?である。

職業としての山仕事に興味のある人から、製材流通などで関わっている人、建築や木工に取り組みたい人。取り組んでいる人。あるいは森林と林業について研究している人。どんな方でも結構である。



とはいえ、チラシの束が届いても、私が直に配れるのは、ごくわずか。

もし、日本の森林、林業、そして木材について興味のある方をたくさん知っているという人がいたら、チラシを送ります必要枚数を想定して、ご連絡ください。
あるいは,このページを読んで直接申込みたい人は、画像にある宛て先にFAXかメールを。

なお、当日は地場産材による仮設住宅建設を進める岩手県住田町を応援するモア・ツゥリーズLIFE311プロジェクトの募金活動も行う。

2011/06/27

世界遺産、取り消し?

小笠原諸島の世界自然遺産決定に触発されて、思い出話を披露したわけだが、もしかして世界遺産取り消し? という話題もある。

一つは、先回の森林組合の項目でも触れた、和歌山県新宮市の「熊野古道」沿いの森林を、森林組合が無断で伐採した件。この事件、今もよくわからないのだが(なぜ、伐採する必要があったのか、理解できない)、実はこのために世界遺産の景観を壊したことになり、登録抹消の可能性が指摘されている。

さすがに関係者も、それは想定外だろう。今頃あわてて植樹しているが、なに、埋土種子もあるだろうし、萌芽更新する種も混ざっているから、そんなに焦らなくても回復するだろう。ただ、再び森になるまで登録停止なんてことはありえる。

ところが、もう一つ問題が発生したのだ。

それは、なんと「古都奈良の文化財」である。しかも最も大きな「平城宮跡」が危機なのだ。

実は、昨年の遷都1300年祭のメイン会場にしたため、朱雀門前に約300台分の駐車場を建設している。また、復元した大極殿の周りに約1キロの木柵を築いた。これが、文化財を損ねているというのだ。それらを撤去することをユネスコが求めようとしている。

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大極殿と、木柵。

まあ、駐車場はもともと5年後を目処に撤去する予定だったし、木柵も仮柵であり、本格的な回廊を建設するまでだという。しかし、その回廊がいつ完成するかわからないのだから、それまで残しておくことができるかどうか。駐車場がなくなると、観光にも響くしね。

さらに回廊復元でも、理論的根拠を求められるという。不正確な復元をして遺跡の真実性が損なわれては困るというわけである。しかし、どんな回廊だったか、ほとんど記録がないのだから、正確な復元はできないだろう。

さらに言えば、大極殿自体が、記録のないまま想像で「復元」した建物であり、今の形状である根拠はない。もし本気で突っ込まれたら「不正確な復元」になってしまう。こちらは、文化庁上げての大事業だったわけだが、それが世界遺産の精神に適さないと言われたら…。

さあ、どうする?

ついでに言えば、今年11月20日には、この平城宮跡を会場に、全国育樹祭の式典が開かれる。皇太子殿下も招いた奈良県にとっては大きなイベント。それにケチがつかぬようにね。

※この全国育樹祭の関連行事として、吉野で育林交流集会(シンポジウム)や森林林業環境機械展示実演会も.開かれる。私はシンポに出席する予定だが、機械展も見たいね。高性能林業機械が勢ぞろいするかもしれんよ。

2011/06/26

小笠原探検で学んだこと

別に小笠原の思い出を書き続けるつもりはないけれど……それは、老後の回顧録に残しておく……日曜日だし、ほかに書くアイデアも浮かばないので追記気分で記しておく。

学生時代、探検部+αのメンバーで小笠原調査隊を結成して、遠征を敢行した。

最初は予備調査隊である。なぜなら、国立公園内の調査許可を取るには、現地の写真を添付しろという項目があったので、では、許認可を申請する前に写真を撮りに行く遠征をすべきである……という解釈をしたからだ。(⌒ー⌒)ニヤリ

結果的に許認可は全部現地の役所で取るという方式となり、面倒な渉外をパスしたのである。

また、正確には現地の役所に出したのは「調査願」ではなく、「調査届」である。調査に入る許可を求めると、相手も慎重になるから、入るという事実をお知らせしますよ、責任はみんなこちらで負います、という届け出なのである。

まあ、こんな交渉術?を身につけたのも、学生としては貴重な体験であった。

そして現地の数々の体験。人々との出会い。当時の我々にとって、小笠原諸島には驚異の世界が広がっていた。

その後、たしか6、7回の調査隊が派遣された。私が参加したのは、予備と第1次だけで、その後は後輩に受け継がれた。

なかでも最大の成果は、洞窟調査だろう。これまで正式には洞窟の報告のない地域だったが、そこに幾つかの鍾乳洞を確認している。その中には素晴らしい氷柱石と石筍のホールや化石の眠る洞窟などもある。

そして洞窟内に、大量のオオミズナギドリの骨を発掘したことも価値がある。今から30年も前なのに、たまに研究者から問い合わせが来て驚かされる。

ほかにも戦跡調査では、今は埋められてしまっただろう大規模な地下壕をいくつも入ることができたし、地形調査でも、かなり珍しい地形・地質などを結構確認している。

もちろん学生だけに、十分な調査記録を取れていないなど不備もあるのだが、自分の中で学術調査的探検をなし遂げた満足感がある。

なにより私にとって、文献調査から始まり、現地の聞き込みや渉外、そして分析……報告書づくりまで、すべて現在の仕事につながっている。あれらの経験がなかったら、今の自分があったかどうか。その点からすると、森林ジャーナリストへの助走部分だったと確信している。


 

というわけで、蒸し暑い梅雨の中休みの日曜日につづった夜話でありました。

2011/06/25

小笠原諸島の思い出

小笠原諸島が、世界自然遺産に選定された模様だ。

まずはめでたい。実は、私は小笠原諸島に縁がある……というより、自らの半生の中で大きなエポックになっている。

私が、最初に小笠原諸島を知ったのは、小学生のとき。週刊少年サンデーだったと思うが、アメリカより日本に返還されたのだ。沖縄に先立つこと何年だったか。(意外と知られていないが、先の戦争で日本が降伏して、日本の島の多くが接収を受けている。それは沖縄だけでなく、たとえば八丈島や奄美群島などもそうである。それらは戦後ほどなく返還が進んだが、最後に残されたのが、小笠原諸島と沖縄であった。)

返還された島々は、みな無人島。その様子が、グラビアに紹介されており、私は非常な興味を持ったのである。当時は「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」、さらに「冒険! ガボテン島」など無人島モノと言える物語世界にはまっていたから、それが現実の無人島として日本に存在したことに猛烈な憧れを強めた。いつか行きたい土地の最前列に並んだと思う。

それから大学の探検部に入り、無人島に渡りたいと思っていたが、残念ながら先輩たちがやっていたのは、単に島に渡って、数日間生活するだけ(一応、自給自足を歌うが、実は食料や水を持ち込んでいる)であった。もっと「探検!」したいのだ。

そのうち、私はボルネオ遠征を果たした。それは探検部創設10周年記念の初の海外遠征ということで、OBたちの提案から始まって行ったものだった。私は二回生~三回生だった。

無事、ボルネオ遠征を負えた私は、いよいよ四回生。探検部内の実権を掌握して(^^;)、今度は自ら遠征計画を企画実行できる立場になった。

そこで、頭に浮かんだのが、小笠原諸島なのである。

だから、まったくゼロから遠征隊を組織するところから始めた。そしてメンバーで勉強会を毎晩開いて、情報収集と渉外を重ねていく。隊員は、探検部以外からも参加希望があり受け入れた。各人が調査テーマを選んで、現地調査を行うことも決めた。女子もいたから、どのように長期生活を行うか密かに悩んだり、国立公園内だけに許認可をいかに取り付けるかも苦労した。

その過程は、ボルネオ遠征を練習台として本番を小笠原で行うようなものであった。

当時の小笠原諸島は、電話もまともに通じず、現地ではテレビもラジオも聞けない(ラジオは、グアムの放送が入った)。船は1週間に1便だけ(これは今も同じ)。

調べていくうちに、戦前の開墾の歴史に触れ、さらに戦中の過酷な世界にも触れていく。
意外なことに小笠原諸島の産業は、林業だったのだ。島の産物として木材は大きな比重を占めていたことを知る。とくに母島には巨大な桑の木が林立している山があって、そこから木材の伐り出しが行われていた。それを本土に運ぶことで、大きな収入源にしていた。
熱帯の農業と漁業だけではなかったのだ。むしろ、当時は冷蔵・冷凍チェーンが確立していなかったため、農作物や水産物は本土にあまり輸送できなかったのである。むしろ、農漁業は自給自足の糧であった。

……この頃、私たちは、大学の授業よりもよく勉強して身につけていたのではないか。

かくして7人の隊員たちは出発し、嵐の海を越えてたどり着いたのである。

 

ああ、なんだか思い出話が長引いてしまう。このままでは、大長編になりそうだ。この辺でやめとこう(^o^)。

2011/06/23

吉野の間伐技術~あるいは職人と研究者の仕事

ちょびっと、長いタイトル(^-^)。

ツイッター上のつぶやきから、貴重な資料が手に入った。

『造林時報』というマニアックなニュースレター?(年4回発行だから、全然時報じゃないけど)である。ここに「吉野林業地におけるスギ人工林の密度管理」という連載が続いている。筆者は、島根大学生物資源科学部の高橋絵理奈・助教

この記事(論文ではないらしい)は、美しい人工林をつくる技術(主に間伐)を解明する、間伐木の選定基準を明らかにするという目的で研究を始めたという。そして、東吉野村の林業家・垤忠一(ありづかただかず)氏の技術を記録している。

それが興味深い。その技術は、代々山仕事に携わってきた人が、長い経験の中で身につけた選定基準である。いわば職人が身体で覚えた技術である。職人は、技術を理屈で身につけるのではなく、試行錯誤も含めて、経験によって心身で読み取る。だから、一般人にはわかりにくい。とくに職人は口で表現するのになれていない。

だが、この記事では、筆者が職人からその技術を聞き取って、一般に通じる「基準」として示している(示そうとしている、かな?)。これこそ、研究者の仕事だろう。目に見えない職人芸に見ほれているだけでは、研究とは言えない。

つまりこれは、「美しい人工林」づくりの秘密を白日の元にさらす研究である! ちょっと大袈裟か(笑)。 

と、煽ったところで、どんな結果が出たか、思い切り簡単にまとめてしまおう。

まず、樹勢のある永代木(伐らない木)を選ぶ。

その木の生長を止めないようにする。

美しい森林(人工林)とは、木の太さ、長さ(高さ)、が揃っていて、木の間隔も揃っていること。人が手入れをしていることがわかること。

つまり、間伐の選定は、これに沿って行うのだ。具体的に伐るのは、

①いい木の害になる木(山側にある木、谷側に曲がっている木)
②間隔を空ける(三本立ちの真ん中など)
③生長の悪い木(樹冠の形が悪い、暴れ木、傷のある木)

もちろん、これは一人の林業家が経験で身につけた基準だろうが、おそらくほかの林業家の技術と比べても、大きく外れていないだろうと思う。

本当は、もっと細かく森林の樹幹密度の景観とか、細かな技術を記録し、さらに多くの名人の聞き取りをして、共通項を拾い出すなり、言葉にならない基準を読み取ることで、普遍的な法則にしてもらいたい。
それが突き止められれば、「美しい人工林」をつくる技術を次の世代に受け継がせる際の有力な武器になるだろう。たとえば40年山仕事をしなければ身につかないとされた選木技術を、10年以下で身につけられるかもしれない。

同時に「美しい」という感覚的な言葉を、客観的な数値と理論に置き換えることができるかもしれない。しかも、この美しい人工林の森林生態系とか、生物多様性を調査すれば、美しい森=自然豊かな森であることを証明できるだろう。
ついでに収穫された吉野材の価格が高いことも示せたら(今は厳しいけど……)、美しさ・環境・経済性の三拍子揃った人工林の可能性が導き出せるのではないか。

これこそ、職人と研究者のコラボレーションである。

う~ん、ちょっと大風呂敷広げたかな。

2011/06/22

宮脇昭氏のこと

先日、面談した人と大方の打ち合わせをした後のことだ。

ふと、私の本の参考文献には、宮脇昭氏の本が登場しませんね、と言われた。言外に私が宮脇氏を嫌っているの? と問われたような気がした(笑)。

もちろん、そんなことはない。ただ、私が執筆した幾冊もの森林の本の参考文献に彼の本を入れていないのは事実だ。なぜって、参考にしていないから。

宮脇氏は、森づくり運動のカリスマ的リーダーであり、理論的支柱にもなっている人である。それなのに、私の本には登場しないのだ。

私も昔は彼の本を読んだことがあるし、今も雑誌などに登場する記事を目にしたら読んでいる。それなりに影響は受けているだろう。が、おそらく寄って立つ視点と場が違うんだろうな、と思う。

宮脇氏の唱える「本物の森」というのは、いわゆる潜在植生の森である。人が手を加えなくても成立する森。土壌や気象などがもっとも適している森である。具体的には照葉樹林を指すらしい。それを人の手でつくるというのが矛盾しているような、面白さもあるのだが(~_~;)。

潜在植生を活かした森が環境にはよいことはわかっている。というか、私には全然意外感なく納得している。そもそも潜在植生を活かした森づくりに関しては、日本の林学の父ともいうべき本多静六が明治時代に確立した思想ではないだろうか。

その点では、まったく異論はないのである。

ただ、照葉樹林が本物で、ほかが違うというのはどうだろうか。最近は、私の植えた「本物の森」は震災にも耐えた、と自慢しているが、大津波に襲われて、生き残るか壊滅するかは数多くの条件の、それぞれ紙一重の差で決まる。ただ樹種などよりも、津波の強さ、地質に多くを負うだろう。

むしろ私は、これが最高の環境、というのが嫌いなのかもしれない。世間には、最高の条件を備えた「本物」などないと思う
世の中ッて、どこかしら欠けていることを前提に成り立っているものではないか。足りない部分、よくない部分を内包しつつ、それでもやり繰りして生きていくものではないか。

潜在植生が成立しているのは鎮守の森だとされるが、それは神の森でもある。そこに人が入る余地はあるのだろうか。
森を語る際、人の存在・関与を抜きに語っても面白くない。人のいない森なんてつまらない。そして「生活」と「利用する」ことを抜きに森を語っても深遠には迫れない。

残念ながら、私の本を書く際の参考にはなり得ないのである。

なんだか、人生論語っているみたいだなあ。めざせ、教祖……じゃなくて人生相談師!

2011/06/21

独立20周年記念日

南洋の空が 見たいと思ったから 6月21日は 独立記念日

……ちょっと、無理があるか。『サラダ記念日』のようにきれいには行かない。

ともあれ、記念日なのである。

何がって、今日は私のフリーランス独立20周年記念日

1991年6月20日付けで、それまで勤めていた会社を退職。その翌日から晴れて?フリーランスとなった。もっとも、まだフリーライターとしての仕事を始めたわけでもなければ、ましてや森林ジャーナリスト宣言をしたわけでもないので、いわばフリーランスの失業者(^^;)。

辞めた理由は数あれど、直接掲げた動機は、南半球のソロモン諸島に行くと決めたからである。それも、静岡大学探検部の学生4人を率いての探検隊隊長として。

この探検隊始末については、拙HPの「ナンバワン・ソロモン」を読んでいただきたい。ともあれ、6月の経理締め日が20日であったから、その日までの勤めとしたのである。

だから、正確には独立したと言っても仕事はしていない。フリーランスとしての最初の仕事は、ソロモンから帰国してからの、おそらく9月だろう。何をしたのか覚えてもいない。調べたら分かるはずだが。

1991年と言えば、世間では日本のバブル景気が弾けた年として知られている。一説によると、私が会社を辞めたから弾けたんだ、と強弁する向きもあるが、その後日本の景気は、ほとんど上向くことなくズルズルと下り続けている。

その中で私も四苦八苦、艱難辛苦、東奔西走、暗中模索、七転八倒、奇想天外、支離滅裂……な想いをしつつ、現在まで生き長らえたという感じである。気がつけば、自分の周りにかつての同業者はいず、悲喜交々阿鼻叫喚、死屍累々の有り様であるが、ともあれ前に進んで来れた。

今後も決して安泰とは言えず、千変万化しつつ歩みたいと思うので、皆様、どうぞ、よろしく。

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ソロモンの石像です。

2011/06/20

ブランド化の罠

昨夜、鎌倉・横浜巡りから帰宅。

あちらでは、偶然ながら「オーガニック・エクスポ?」の関係者と会って多少話した。

ここでこのエクスポとは何かは私もよく知らないので割愛するが、一応世界的規模のイベントの日本版らしい。そして、これまで衣食中心だったが、今後は住にも力を入れていくとのこと。で、住のオーガニックとは何かということになるのだが、住宅や家具に接着剤(化学物質)などを使わない材料という点や、森を守る林業的な切り口になるそうだ。

そこで林業の現状などを即席で解説してしまったが、必要なのは「材価を上げること」。山元に利益を還元すること……であると伝えた。では、どうする?

そこで誰もが思いつくのは、木材、あるいは木材商品のブランド化だ。

たしかに国産材であること、無垢で品質が高いこと……などを訴えると、そうした分野に関心の高い層は、価格が高くても買ってくれる可能性はある。高くて利益が出たら、山元への還元額も増やせるだろう……。

皆さん、そう考えてしまうんだよなあ。これが、罠ではないか(~_~;)と思う。

実は、その前にメールで相談を受けたのだが、ある研究者から今後の研究テーマとして国産木材のブランド化によって林業振興・地域おこしを進めることを考えている、という内容だった。

しかし、私の返信は、No!だった。ブランド化は林業振興や地域振興につながらないだろう、というものだった。

まず、木材のブランド化とは何を指すか、という問題がある。木目などの見栄えか、強度などの品質か、それとも自然素材であることなど環境か、地場産だという愛郷心をくすぐることか……。

が、いずれも量にはつながらないだろう。そもそもブランドは流行りものの一過性の面が強いし、それらにこだわって割高に支払ってくれる顧客は少ない。しかも、一部の木材をブランド化することは、その他の木材と差別化するわけだから、非ブランド材の売れ行きを落としかねない。

結局、ブランド化は個人や企業などの経営戦略としては有効なのだが、森全体への影響力は低いのだ。もし、木材(国産材)利用を高めて、森の整備を行き届かせるようにしたいとお考えなら、ブランド化は主要な手段にならない。(ブランド化が悪いわけではない。事業主なら、大いに挑戦してほしい。利益を上げて、その一部を森に還元してほしい)

ここで考え方を変えねばならない。

山元への利益還元=木材価格を上げること=木材商品の価格を上げること

ではない。かといって、

木材商品の価格は上げず、販売量を増やす 

でも感心しない。これでは利益が薄いまま伐採量を増やして山を荒らしかねない。

山元への利益還元=木材価格を上げる=木材商品の価格は上げず、商品の利益率を上げる

でなくてはいけない。

販売量を増やしてもよいが、その場合は環境負荷を考えて「そこそこ」にすることが肝要だ。

利益率を上げるには、どうすればよいか。

まずは、コスト削減。山元から流通、そして加工、販売までの無駄を省き、生産性を上げる。これは当たり前だ。

次に、付加価値を高める。消費者も納得の付加価値を付けたら、高くても文句は出ない。
それは木取りや乾燥などで木材品質を高めたり、流通サービスだったりする。通常の小包より、翌日配達の宅配便には高く払うだろう。

もう一つ、流通の仕組みを変えることも必要だ。誰も損をせず、利益配分を変えられないか。たとえば梱包を簡単にする代わりに安くする。確実に買い取る契約をして営業費を削ってもらう。輸送ルートを短縮する……。ここは、頭の絞り具合だろうな。

 

しかし利益率を上げても、山元へ還元しないケースもありえる。それを防ぐには「見える化」や厳密な契約が必要だろうが、それ以上に倫理観が要求されるのではなかろうか。

考えている内に、木材産業にもっとも必要なのは、この倫理観か? と思ったりして(~_~;)。

2011/06/18

鎌倉大仏

鎌倉大仏
鎌倉に行ったら、やっぱり大仏様。

奈良の大仏よりずっと小さいはずだが、近くで見るとかなり大きいぞ。

ただ気になるのは、かつてはあった大仏殿。何度も建てては倒れたらしい。
津波に洗われたこともあるとか。

2011/06/17

廃墟撤去条例?

和歌山県は、人が住まずに廃墟となった建物を行政判断で撤去できる条例案を県議会に提出した模様だ。

一瞬、???だったのだが、「景観支障防止条例」と言って、概観に著しい破損や腐食などがある建物が対象とか。

順序としては、周辺住民の多くが撤去を求める、市町村長らの意見を聞いて所有者に勧告する、韓国に従わない場合は撤去命令を出す、命令に従わない場合は行政代執行の対象とする……ということらしい。

なんでも和歌山県は空き家率が日本一で、県内に四万2500戸あり、住宅全体の9,1%に達するそうだ。

わかったようなわからないような……なのだが、この空き家率の高さというのは、何も都市部だけのことではないだろう。おそらく過疎地・過疎集落を含むのではないか。

景観に悪いという見方があるのはわかるが、もしかして限界集落の片づけに使えるのかも、と思わぬでもない。崩壊したままの家を、これで片づけて整地できる。でも強制代執行というのは、その費用は持ち主に請求されるんだよな。

この条例が通るかどうか、そもそも法律に合致するかどうかはわからない。

ただ、連想したのは、所有者不明の森林の場合、行政が林道・作業道を入れられるとした、森林法改正を思い出した。

また「外資が森を買う」ケースから、放棄林を国に買い上げさせる法案づくりをしている議員もいるらしい。

なんか、私権にどんどん公が入り込んでくるような気がする……。

2011/06/16

日本林業遺産リストを作ろう!

明治時代につくられた奈良県上北山村と三重県尾鷲市を結ぶトンネルが再発見されているそうだ。すでにルートは崩れて忘れられていたものが、偶然見つかったのだ。そして、再び通れるように整備されたらしい。

これが旧坂下隧道だ。

http://mytown.asahi.com/areanews/mie/NGY201105280015.html

つくられたのは、明治33(1900)年。目的は、なんと上北山村で伐採した天然木を尾鷲港に運搬するためだったという。トンネルの長さは62メートルだが、延長13キロもあり、しかも有料道路として開通したというから驚きだ。

まさに林業のために掘られたトンネルなのだ。しかもレンガづくりだ。

掘ったのは、地元の林業家や首長だというから、おそらく吉野の土倉庄三郎は関係していないだろう。彼は、それ以前に大杉谷を抜ける土倉街道と呼ばれる延長48キロにもなる道を自力で開通している。それは吉野と三重をつなぐもので、今回のルートと被っている。

また明治33年と言えば、庄三郎は還暦で、その記念に川上村の五社峠にトンネルを掘る計画を持っていた。(実現しなかったが。)

五社峠ルートそのものも、土倉家がつくったのだ。踏み分け跡を牛車が通れる道にしたのである。こちらも、今は通る者もいず、廃道になっている。

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しかし、途中には、写真のように石垣もまだ残っていて、しっかりつくられたことが忍ばれる。

かつて人の往来はもちろん、木材を含む物資の輸送に役立ったらしい。これをつくった資金も、大半は土倉家の林業で稼ぎだしたものだったろう。




  

今は、ひっそりと忘れられているが、かつて林業華やかなる時代を忍ばせる遺跡……これを林業遺産と呼ぼう。そして認定作業を行ったらどうかな。

世の中には、世界自然遺産、世界文化遺産のほかに、産業遺産というのもある。鉱山や工業製造施設、農業など水利施設……など産業に関わる記念的な遺物を顕彰するものだ。

先日は、日本の炭鉱の絵が指定された世界記録遺産もある。日本だけの近代化産業遺産の認定も行っている。

ならば、林業部門を独立させて、日本林業遺産リストをつくってみたらどうだろう。

上記の木材搬出用のトンネルだって十分資格はある。

土倉街道も、登録すべきだ。一林業家が、林業のために急峻広大な山々を抜ける街道をつくったのだから。

ほかにも、お勧めなのは、トロッコ道。

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写真は、宮崎県日之影町のトロッコ道跡だが、切り通しがすごい。断崖絶壁を削り、またトンネルもうがっている。



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こんな手掘りトンネルも、木材搬出用なのだ。





さらに、鳥取県智頭町の「慶長杉」も外せない。

慶長年間に植えられたという伝えられている、樹齢(林齢 )400年を越える人工林だ。

同じく奈良県川上村の「歴史の証人」も植えてから400年を超す。

Photo Photo_2

どちらがより古いか微妙だが、人間の手で植えつくった森としては記録的だろう。




こんな調子で、日本林業遺産認定を進めよう。まだまだあるはずだ。

もし、お勧めのネタがあれば紹介してほしい。

2011/06/15

森林組合の闇

和歌山県の本宮町森林組合が、18人の作業員中10人(内9人が緑の雇用)を解雇した件、波紋が広がっている。

私は、もう少し事態の推移を見守ってから……と思っていたが、どうも膠着状態のようだ。

情報としては、あくまでニュースで流れた以上は知らないのだが、ようするに森林組合の経営が苦しいと言って首切りが行われたわけだ。大半は「緑の雇用事業」で地域外からきた、いわゆるIターン者というところがミソ。家族で移り住んで、いきなり仕事を奪われたのである。

直接のきっかけは、補助金制度が変わって、伐り捨て間伐が難しくなり、仕事がなくなっかたらだというが、そんなこと昨年のうちからわかっていたこと。何の対策も取ってこなかったのだろう。いかに森林組合の経営が、先を読んでいないか示している。しかし、本当にそれが理由だろうか……。震災で仕事が減る、なんてトンチンカンな理由も上げているらしいが…。

退職させられたメンバーは、記者会見を開くとともに謝罪と再雇用を求めている。

が、「解雇ではなく、希望退職」と組合側は言うのだから(だったら、なぜ記者会見までして抗議するんだよ)、まったく平行線である。

ただ、正直私には「そら、始まった」と思ってしまった。

「緑の雇用」制度が、制度としてオカシイ点はいくつか指摘できる。が、本当の問題点は、制度ではなく運用者、つまり受け入れ側だろう。

緑の雇用とは、「主に町の人を林業に引き込み、それによって林業の人手不足を補い、移住してもらうことで過疎の解決にも結びつける政策」である。しかし山村側(主に森林組合)は、そのことを理解していないケースが多い。

だから緑の雇用名目で雇うのも地元の人だったりする。一度首を切って、「緑の雇用」として雇い直すのだ。その方が待遇もよかったりする。

受け入れ側が求めているのは、人ではなく金なのだ。補助金の期間が過ぎたら、雇い止めするのはよく聞くし、給与の減額だって起きている。なかには、「雇ったことにする」話だってある。幽霊緑の雇用だ。ほとんど犯罪行為である。

今回のケースも、その延長だろう。問題は、雇い止めの対象が、ほとんどよそ者であることだ。高齢の地元の人を残して、よそからきた若い人を首切りする。
地元民なら家もあり、田畑も少しあったり仕事を紹介してくれる人脈もあったりと、なんとか食べて行けるが、Iターン者は仕事がなくなったら死活問題だ。住居も失う可能性も高い。

実は、ここに本質があるような気がする。

彼らは、本気で林業技術者を増やしたいと思っていないし、地域に若い人口を増やす気もない。実はよそ者が嫌い……。これが本音ではないか。

森林・林業という長いタームで存在する世界に従事するのに、近視眼的な経営。むしろ、先のことは考えたくないのかもしれないなあ。


   

そういえば、お隣の新宮市森林組合。熊野古道という世界遺産指定区域の森林を無断伐採して大騒ぎになっているが、実は動機が定かではない。それどころか、誰が命令したのかさえ明らかにしていない。

命令者や実行者が誰かわからないはずはないのに、あえて口をつぐんでいるのか。伐って得する人がいるとも思えない。きっと裏がある。

なんか、闇の世界だ。

2011/06/14

『森林異変』書評・日刊ゲンダイ

6月8日の日刊現代の書評欄に、『森林異変』が紹介された。

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版元がFAXで送ってくれたので、ちょっと写りが悪いが…。

この夕刊紙は私も関わっていたのでよく知っているが、まさに街のサラリーマンのための新聞である。ここに業界色の強い本著を紹介してくれたことに感動する(笑)。

しかし初っぱなに「価格の安い輸入材に圧されて国産材は不振を極め……」とあるのは、ショックだなあ。だって本著の第1章冒頭に「安い外材はどこにある?」と林業界最大の嘘(笑)を暴いているのに……。

まあ、よく読めば、一時期外材の方が国産材より安くなった時代もあったことは触れているが、今また逆転しているのだよ。

2011/06/13

消滅集落の村おこし

昨日は、静岡某掛川市(^^;)に招かれて1日かけて往復した。

そこで聞いた話で興味深かったのは、「消滅集落の村おこし」である。正確に言うと、廃村おこしか。

市街地から車で約30分のところにある集落が、20年ほど前に完全に廃村になったそうだ。
ところが、そこを舞台にNPOが立ち上がり、現在活性化の活動を行っているのである。具体的な内容は、森林ボランティア的な森林整備で、その間伐材の搬出などにも取り組んでいるらしい。また炭焼きもしている。

森林面積は約25ヘクタールだが、所有者は25人いる。その8割が人工林となり、田畑はほんのわずか。家屋もほぼ残っていないが、拠点として建てた建物などが1,2軒あるという条件だ。

しかし、人の住まない消滅集落である。単なるアウトドア拠点にして遊ぶだけならともかく、なぜ活性化に取り組んでいるのか。

実は、このNPOを引っ張る理事長は、この集落を最後に離れた一家の出身だという。自らが成人したときに去った土地なのだ。それだけに思い入れもある。また25人の地権者も追跡して、みな委任を取り付けてみせたという。

これは、限界集落の活性化よりも面白いかもしれない……と思った。

いったん人がいなくなった場所だけに、因習の軛や利害対立も生まれにくいだろう。ここを舞台に新たな村づくりも可能ではないか。条件も悪くない。市街地に近いし、土地の集約化もほぼできている。人工林が多いことは、潜在的な資源を持つことにもなる。

いろいろ青写真を描けるのではないか。

本気でやるなら、大きな投資を呼び込み山を全部買い取るとかも考えられるが、当面は何らかの森林ビジネスを展開するとよい。林地を貸し出して美しい森づくりの実験場にする、木材を搬出して高く売る、森林資源から商品開発して売り出す、思い切りオシャレな消滅集落カフェを開く……など。

いつか移住者を呼び込んで、新たな住人が生まれれば、まさに新しい村(武者小路実篤)になるかもしれない。

まあ、現地を見もしないで勝手なこと言えないけど、「消滅集落の村おこし」って、なぜか明るい響きがあるよ(^o^)。

2011/06/11

住田町その後

岩手県住田町の仮設住宅を巡る動きは、以前も紹介したが、最近はまた別の動きがあるようだ。

まず住田町内に建てていた110棟は、すでに完成した。そして今は陸前高田市内に60棟を建設しているらしい。

そこへ兵庫県姫路市の日本工科専門学校が支援を申し込んだ。この学校の建築工学科などの1、2年生14人が講師ら6人と建築支援に現地に行くことになったのだ。学校では、被災地への学生ボランティアの派遣を検討していたところ、住田町の動きを知り、協力を打診して決まったのである。18日から24日まで滞在らしい。

学生と言っても、すでに木造建築の基本は習っているので、十分戦力になる。もっとも単に支援と言うよりは、学生たちにとっては就業体験にもなるのがよい。どちらにも意味のある活動だろう。学生たちの中には、阪神大震災で自宅をなくした人もいるそうだ。

それにしても思うのは、住田町が自ら動き出したことで、次々と支援の輪が広がっていることだ。やはり支援側も、相手のやる気を見て、意気に感じて動くものなのだろう。

仮設住宅を建てるのに必要な資金約3億円は、モア・ツゥリーズが頑張っているし(11日現在で2190万円)、その資金集めを支援する動きも起きている。

実は、私のところに某森林関係者から「老人でもできる支援はないか」と問い合わせがあったのでモア・ツゥリーズを教えたら乗り気になってくれた。

  

このところの政界で起きたゴタゴタを見ているとうんざりするが、いかなる言い訳をしようと、政治家はみんなで被災地復興の足を引っ張っているとしか言わざるを得ない。
が、気になるのは中央のゴタゴタに引き込まれるように、被災地でも前向き・後ろ向きの差が生まれているように感じることだ。

被災を期に新しい取組を行うチャンスにすれば、と思うのだが、多くの人は以前のままにもどす復旧を望んでいるのではないか。それは、資金的にも時間的にも無理がある。そして関係者も既得権を手放そうとしないために、計画を前に進まなくしている。結果、利害がぶつかって何も進まなくなるだろう。

もちろん現地の難しい事情はあるのだろうが、このままだと被災地内にも勝ち組・負け組が出てきてしまいそうな気がする。あえて前に進むところと、ぐずるところと。自力で歩みだすところには、回りが支えようと寄ってくるが、助けが来るのを待っているところは忘れられていく。今は目立たなくても、5年後10年後、それは大きな差になるだろう。

実は、この状況は林業全体でも以前から感じていたこと。

今後は林業全体の活性化というよりは、地域差、いや事業家の差が如実に出るのではないか……と思っている。同じ林業地なのに、片や元気で利益を上げる業者と、まったくどうにもならなくところが出るだろう。(いや、出ている。)

今は、踏ん張りどきだよ。

  
 

ちょっと脱線すると、西日本は、国全体を俯瞰するのに向いているな、と思う。東日本大震災に対しても、皆なかなか冷静に見ているからね。被災地の動きを覚めて見ている人が多い。

2011/06/10

ゴルフ場ジャーナリストの仕事

せっかく、「ゴルフ場ジャーナリスト」宣言したのだから、仕事内容を考えた。なんとか、既成のゴルフ場に関する報道とは一線を画すテーマを見つけなければならない。さもないと、通常のゴルフ・ジャーナリストと差別化が計れず、意義がないではないか。
ゴルフ場の芝生管理やコースの善し悪しとかでは、ダメだ。

そして思いついた。今、もっともゴルフ場にとって重要な仕事は……ゴルフ場の閉鎖ではないだろうか(~_~;)。

今後閉鎖されるゴルフ場が増えてくるだろう。あるいは閉鎖したいゴルフ場オーナーが少ないないだろう。
なぜなら、基本的にゴルフ場は多すぎるからだ。ゴルファー人口は900万人と言われているが、そこに2400もコースがあるのは、多すぎる。しかも今後は、日本の人口が減るのだから否応なしにゴルファーが減る。とくに不況でゴルフの単価が下がっているそうだ。同じ来客数があっても、利益は減っているのだ。

外国人客を誘致することは可能だが、それで潤うのは一部の名門人気コースだけだろう。大多数のコースは、経営が厳しくなるはずだ。さらに依託金返還問題も起きたら、いよいよ経営が行き詰まる。
儲からない、さらには倒産するようなことがあれば、コースのその後を考えねばならない。

さらに言えば、東北のように震災被害(風評も含む)を受けたところは、今後経営を諦めるケースも出てくると睨んでいる。

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写真は、本文と関係ありません。

で、もし閉鎖する場合のゴルフ場敷地を転用していかなる利用法があるか、閉鎖しても荒れ放題にならないようにする維持管理を考える必要が出てくるはずだ。

どうだ、これこそ、一般のゴルフ・ジャーナリストにはできない仕事だろう( ̄^ ̄)。

今から、腹案を温めておけば、いつか大きな仕事になるやもしれん。

ゴルフ場敷地で、何をすれば利益が上がるだろうか。アイデアを募集します。(自分で考えないのかよ!)

2011/06/09

ゴルフ場ジャーナリストの肩書

私の肩書は、森林ジャーナリストだけではない。

というか、森林ジャーナリストだって、自分で付けたわけではなく、某編集者が勝手に命名して、私も気に入ってそのまま使いだしたという経緯があるのだが、同じようにこれまでいくつかの肩書がある。

たとえばノンフィクション作家。ちょっと大袈裟。まだ、これがノンフィクションだと胸を張れる作品を書いていないと自覚しているから自制しておこう。

林業ライター。これは即却下。林業だけを扱う気はない。

以前はアウトドアライター、ネイチャーライターもあった。一時期、トラベルライターも使われた。関西アナリストなんてのもあったなあ。

気に入っているのは、秘境ライターである。が、なかなか秘境へ行けなくなって使いにくくなる。探検・冒険ジャーナリストにもなりたいのだが。

田舎暮らし評論家、田舎暮らしアドバイザーもある。派生して、地域づくりジャーナリストもアリかもしれない。

今広がりつつあるのは、割り箸評論家(^o^)。私は割り箸煽動家、もとい割り箸先導家とも言っている。

森林セラピー評論家、森林セラピー基地診断士、も使いたい。いまのところ需要はほとんどないけど。

で、今後、使用を考えているのは、ゴルフ場ジャーナリストである。

ゴルフ・ジャーナリストは数多くいるが、ゴルフ場ジャーナリストは少なかろう。いても、コースの出来不出来を論じるのだろう。が、私はそれに興味はないというか、わからない(^o^)。

もちろんゴルフもしくはゴルファーについて書くのではない。書きたくてもわからない。だって相変わらずゴルフはしないからだ。

あくまでゴルフ場という場の環境を語るのだ。正確に言えば、ゴルフ場環境ジャーナリストかもしれない。緑化や生態系の側から論じるという、非常に珍しいスタンス。
これほど稀少なら、またもや「日本唯一のゴルフ場ジャーナリストにして、日本一のゴルフ場ジャーナリスト」を名乗れるだろう。

森林ジャーナリストが古くなったら、こちらに乗り換えようかと思う。

…………なんちゃって。

2011/06/08

『森ヘン』読者からの手紙

『森林異変』出版元が、読者からの手紙をFAXしてきてくれた。

元はハガキらしいが、読者は企業経営者らしい。

そして「実は私、これから山林を買って商売をしようと思い……」

おおお、山林経営に参入しようと思っている人の参考文献になったのだ(笑)!

果たして本当に役に立つのか、参入意欲を削いだだけではないか、とちょっと心配。通常、林業界の内幕を知ったら、こりゃ素人(新規参入者)には手が負えないな、と思うのではないかい? とはいえ、有り難いことです。

ただ、現在の林業界のワクを取っ払ったビジネスを考えるなら、可能性はあるかもしれない。つまり、『森ヘン』で紹介した現状の逆張りをする(^o^)。
大規模化を否定し、機械化もあまりしない、既成の製材産業や建設業界も当てにしない。でも、普遍性のある森林管理のシステムをつくってビジネス化し普及する……う~ん、書いていて夢物語だと思った(笑)。

しかし、不可能ではないと思う。どこかに抜け道、じゃなくて隙間がある。そこをこじ開けてほしい。

そういえば、某国会議員の政策秘書も、拙著を読んでくださったよう。森林政策をつくるのに参考にしようということらしい。

皆さん、頑張ってください。実業家も政治家も、今がチャンスですぞ。目先の沸き立っている課題に取り組むのもいいけれど、長い目で見た経営や政策も考えてくださいませ。

2011/06/07

米カレンダー・高浜町の景色

富山和子さんよりいただいた「日本の米カレンダー」。

遅ればせながら5月のページを剥がした。そして先月の風景写真をまじまじと見た。

このカレンダー、美しい水田と山の風景写真を使っているから、終わった月の写真は切り抜いて保管している。これまで明日香村や吉野の風景も登場していたが、5月からは本格的な水を張った棚田が紹介されている。

で、5月は福井県高浜町の棚田だった。ちょうど田植え最中であるが、背景に海が見える。山間ではなくても、海と隣接した棚田であることが特徴なのだ。海の湾内には漁船や養殖筏が浮かんでいる。

……よく見ていると、湾の向こう側の岸辺には小さく原発が建っていた。

高浜町を始めとする若狭湾一帯と言えば、関西電力の原発地帯である。まさに、原発と棚田が同居した写真だったのだ。米は、原発の麓でつくられていた。

図柄としては、原発の特徴である丸い冷却塔?が景観に溶け込んでいる。もはや違和感のない光景になってしまったのだろう。

Photo


カレンダーの写真の一部。左上隅にあるのが高浜原発。




 

原子力というのは、ある意味、人類の巨大な挑戦として夢を持っていた時代もあるのだろう。私は、密かに思うのだが、本当は原子爆弾として持ちたいという潜在的欲望があったのではないか。人間には破壊願望があり、強い武器への憧れを持つ。とくに権力者とその追随者は。
しかし原発を保有することは世界情勢的にできないと気づき諦めたときに、欲望は原子力発電に向かったのではないか……と想像する。

昨日の「草刈り」の続きというわけではないが、原発があるからと言って、即自然に異変が起きるわけではない。仮に放射能をまき散らしたからと言っても、一定レベル以下なら「ただちに健康被害はない」と言われるのだろう。

低濃度放射線被害というのは、たしかに「ただちに」被害は出ない。出ても、数十年後、小児ガンが何%増えた、という形で表現される。全生物に異変が起きることはまずない。大多数は異変がないということもできる。
おそらく自然界では、何%か奇形が増えても、それらが排除されるなり自然選択で消えることで生態系は維持されるのだ。

実は、自然界全体のスケールで見たら、原発の放射線ごときに地球はびくともしない。

だが人間界は、そう簡単ではない。数%であろうと、消える生命が意志を持っている。黙して消えるのではなく、幾多の思いを本人と周囲に与えて存在している。

また、残された人々も異変を察して動く。

日本の米カレンダー。6月は、神奈川県の開成町。あじさいの里である。

 

2011/06/06

草刈りは環境破壊?

昨日は、町内会の美化運動、つまり草刈りの日であった。

私も手鎌を持って、参加する。と言っても、アスファルトとブロックで固められた町に、そんなに草が生えているわけではない。かろうじて公園などの回りや路地の周辺の土があるところに生えている草を刈る。

それでも、結構な量が刈り取れる。意外と、ブロックを積み上げた法面にも草が繁っていたり、溝の中に草が繁茂していたり、普段見過ごすところに生命が広がっていることを感じる。ブロックの上にこびりついた薄い土壌?から茎を伸ばして枝葉を広げ、ブロックの隙間に伸ばす姿は、生命の強さを感じさせる。

そして、私がざくっと草を刈り取ると、その下からダンゴムシやらアリやら虫類がザワザワと逃げ出すのを幾度も見かけた。彼らにとっては、安穏な棲家が突然破壊されたことになるのだろう。

実際、虫の視点で見ると、草刈りとは環境破壊なのだ。草は、虫の食料になるとともに隠れ家をつくり、風雨から守ってくれる存在なのである。

それでも、人間は草刈りをする(~_~;)。

人の美的感覚を刺激する行為が、一方の生物の視点からすると破壊行為に当たる。

もしかして、人は、草や虫と、戦っているのではないか。無意識のうちに生存圏を奪い合っているのではないか。人間は美化という名の人間にとって住み心地のよい空間を作ろうと草刈りをする。

もっとも、草を刈ったことで、新たな環境に適応した別の草なりコケなり虫がまた姿を現すのだろう。

これは、熾烈な戦いだ(笑)。

一種類の草や虫からすると、人に破れたことになるが、植物・節足動物界全体で見ると、人はあきらかに劣勢だ。

考えてみれば、人がどんなに環境を破壊しても、たいていその場所に適応した生命体が現れ増殖するのだ。重金属をまき散らしても、強毒性農薬を散布しても、枯れ葉剤を巻いても緑は消えなかった。そして放射線が降り注ぐ地域からも、緑は消えないだろう。虫も繁栄するだろう。

人は、常に負け続けるのだろうな。

……汗をかきながら草刈りして、こんなことを考えている私ってヘン?

2011/06/05

世界環境デーだって

6月5日は、「世界環境デー」なのだそうだ。

おかげで各新聞が、いろいろと特集記事やら全面広告を展開している。
いずれも震災・原発事故に関連させたり、国際森林年であることを意識して森に関することを取り上げているものが多いように感じる。

それ自体は結構なことなのだが、朝日新聞の記事にはひと言。

「未来のために今できること」というタイトルの元、〔森林守る〕コーナーに3本の記事。

一つは「間伐材が世界を救う」。

ここでは、世界中で森林が減っているのだから、間伐材を使うことで森林伐採を減らそうという趣旨のことを記している。
が、ここで「日本も輸入大国の一つ」で、「国内で必要な木材の4分の3を海外に頼っている」として、その理由をまたもや「輸入が確安なため」「安い輸入材」を国産材を使わない理由にしているのだ。あきあきする(ーー;)。

本当に輸入材が安いか、裏を取りたまえ。確安(格安ではなく,この漢字使うの?)の根拠を示してほしい。しかも、そのために「林業に携わる人が減って手が入らない山がほとんど」というのもオカシイ。手が入っていない山は「ほとんど」という割合か? 半分行くか行かないかだと思うが。いや放置して荒れてしまうのは、さらに少ないはず。

しかも、「燃料などの用途の拡大がカギを握っている」というのもなあ。

そもそもこの記事では、間伐材は使わず切り捨てるものと位置づけていて、それをなんとかしようという論調だけど、本来間伐材とは使うものでしょうが。

二つ目の「おいしい水は健康な森から」。

早稲田大学の教授の言葉として「地中に広がる木の根が土を柔らかくし、水がたまりやすくなるんだ」という言葉は少し??だ。
根が枯れて腐食したら空洞ができて、土は柔らかくなるだろうけど。根から吸収する水のことは考えていないかな? 
本当に本人の言葉どおりなのだろうか。

そして三つ目。「地元スギで仮設住宅」。

これは言うまでもなく、岩手県住田町の話である。が、ちょっと問題なのは、
「93棟の建設費など約3億円は、森の再生プロジェクトを手がけている社団法人「モア・ツゥリーズ」(東京)が出した。」と過去形にしていることだ。

一般社団法人more treesをこんな表記にするのかどうかはともかく、ポンと3億円出したように書いてはいけないでしょう。3億円めざして現在寄付を集めている最中なのだから。ちなみに本日までに集まったのは2092万円あまり。まだまだ目標には遠いのだ。これでは、お金持ちの団体に見えて寄付が集まらなくなるよ。

いずれにしても、詰めの甘い記事3連発であった。

2011/06/04

『森林異変』書評・ソトコト

ソトコト7月号の特集が「森林愛」。

で、私もちょっと関わっている(執筆はしていない)が、その際にお勧め(~_~;)したのが『森林異変』。そこで書評も載せてくださった。

Photo


締め切り的には無理だったのを、無理やり載せていただいた。

感謝。

ちなみに、ソトコト今号は、西粟倉村・森の学校の大きな記事かあるほか、「森を伝える10人」という記事の半分は知り合い。さらに巨木カタログの高橋さんも取材した人だし(^o^)。

ソトコトは、以前はカタログかファッション誌のノリだったのだが、少なくても今号は読める記事が多い(って、まだあんまり読んでいないけど)。

ほかにもサライも森林特集記事をやっていたし、やはり今年が国際森林年であることが大きいのだろう。

なお出版元の話では、5月22日以降に大きく動き出したとか。日経新聞に載った威力だろう。この手の業界ものは、やはり日経が強い。

> 田中さんのご尽力もあり、着実に伸びています(すぐの重版はともあれ)。・・・by編集者

カッコ内は余計だな(笑)。

2011/06/03

生駒山のジビエ

道の駅へぐりを覗いた。

へぐり、とは生駒市の南隣りの町で生駒山の一角である。ここにある道の駅は、まったく観光地でも交通量の多い幹線ルートにも位置しないのに、大はやりである。駐車場に車が停められないくらい。

その理由は、農産物の産直をやっているせいだろう。

それ自体は、どこでもやっていることなのだが、強みは顧客層である。生駒市、平群町には数多くのニュータウンが生まれているが、その住人が購入に来るのである。

地元の農家がつくった作物を、地元の新規住人が買いに来る。まさに地産地消を絵に描いたような展開。下手に遠来の客を相手にするより、よっぽど強い。

私は、この道の駅ができたとき、経営を危ぶんでいたが、直売所を設置してから客の流れが変わり、大成功となったわけだ。

さて、そこで見かけたのが、この商品だった。

201106031456000


猪肉!




生駒山は、いまやイノシシの大増殖に悩まされている。農作物被害h大きい。私のタケノコを奪ったことも先日記した通り(T-T)。さらにハイキング道にも姿を見せたり、最近ではニュータウン近郊でも目撃談は増えてきた。

そのため駆除も行われているが、なかなか追いつかずに危険な状態になっている。

が、駆除したイノシシの肉を商品にしているとは知らなかった。計画はしたが、採算が合わないとか聞いていたのだが

100グラム400円なら、さほど高くないな。生駒山のジビエとして、産物にできないかなあ。
ちろん、ターゲットは地元である。地元で猪肉がポピュラーになることに期待したい。

2011/06/02

草木塔を、今

東北には草木塔がたくさんあるのに、奈良には少ない

そう指摘するのは、御年91歳の老研究者である。若き頃は海洋微生物学の教授を勤め、退職してからは郷土史の研究に勤しんだ。郷土とは、奈良県吉野郡天川村洞川である。修験道のメッカにして、石灰岩層が広がり多様な自然をほこる山里だ。

以前より、古い文献をいただいたり、こちらから提供したりと交流を続けさせていただいているが、「身辺整理をしているが、土倉庄三郎に関する記述がある資料があった」と連絡を受けた。吉野の古老の日記である。もはや自分で解読する時間がないので処分するが、欲しければやる、というので受け取りに訪れた。

そこで出たのが、上記の言葉。

草木塔とは、「草木供養塔」、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」などと自然石に刻んだ碑のことで、ようするに草木の命を供養する碑(塔)である。

全国に160ほど発見されているが、その9割が山形県にあるという。

日本は、仏教思想の影響で肉を食べず、動物の命も弔う風習があるが、それが植物にも広がったものなのだろう。樹木から木材を取り、草を食べたり薬にしたりと利用することに対する感謝の現れである。

奈良は、仏教伝来の地であり、大寺院が建ち並び、幾多の僧がいた。そして昔から木材や薬草の産地だった。にもかかわらず、草木塔を建立する発想は生まれなかったらしい。

現在のところ、奈良には4つあるが、そのうちの一つは、この老人が建てたもので、あとの3つも戦後建てられた。

山形には、江戸時代に建てたとわかるものだけでも30幾つかある。

「奈良には、万葉集の歌や俳句の碑ばかりあるが、むしろ植物が豊富ゆえに草木に感謝する発想がなかったのではないか」という。東北は、飢饉も多く、雪の冬さから春の芽生えを感じて草木への思いが強かった……と想像する。

ちなみに山頭火には、「草木塔」という句集もあるそうだ。

しかし、草木塔の心には、採取した草木の鎮魂や山の恩恵への感謝、そして山仕事の安全を祈願する面もある。林業地には、あってしかるべきものではないか。
また、環境環境とかまびすしい昨今だからこそ、草木に思いを馳せるきっかけに碑を建てるのも悪くないだろう。

 

2011/06/01

日欧のEPA協議

最近の政治……というより政局には嫌悪感を抱くのだが、6月といえば、TPPに対する意見をとりまとめる期限ではなかったっけ、と気づいた。

震災の「おかげ」で、この議論は吹っ飛んでしまい、ほぼ放置状態のようだが、その代わりに? EUとEPAの事前交渉協議が始まっている。このこと、ほとんど注目浴びていないねえ。

そもそもEPAのことを知っているのだろうか。EPAの訳語は、経済連携協定だそう。
もっとも、その前にFTA(自由貿易協定)がある。これは「特定の2カ国もしくは地域・複数国間で関税撤廃や数量制限などの貿易障壁を取り除く協定」と言えるだろう。

そのFTAに人の移動、知的財産権の保護、投資、競争政策などの分野を加えて幅広くしたのが、EPAと思えばいい。

TPPは、環太平洋経済連携協定。こちらは環太平洋という地域限定(9か国)のEPAと考えるとわかりやすいと思うが、すべての関税撤廃を掲げている。そして「例外を認めない」という色彩が強いと思う。しかもアメリカ入りの複数国間だから、全面開放に近い。

日欧のEPA交渉は、日本が望んで持ちかけたことだ。EUは乗り気でなかった、とも言われる。主な議題も、工業、サービス業や投資関連に なるのではないか。
だが、ヨーロッパもなかなかの農業国家が揃っているのだし、食品関連業は大きい。なぜ日本の農業団体は、TPPのような猛烈な反対運動を起こさないのだろう。

まあ、全然EPAについてわかっていないのかもしれない(~_~;)。

以前、FTA<EPA<TPP という図式を披露したことがあるが、案外、政府はTPPがうまくいかないならEPAで、と思いかけているのかもしれない。

まあ、私は各国別で例外規定も設けやすいFTA、EPAの方が日本に向いていると思っていたので、反対はしないけどさ。TPP<拡大WTO にならない前に実を取るべきだ。

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