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2011/06/25

小笠原諸島の思い出

小笠原諸島が、世界自然遺産に選定された模様だ。

まずはめでたい。実は、私は小笠原諸島に縁がある……というより、自らの半生の中で大きなエポックになっている。

私が、最初に小笠原諸島を知ったのは、小学生のとき。週刊少年サンデーだったと思うが、アメリカより日本に返還されたのだ。沖縄に先立つこと何年だったか。(意外と知られていないが、先の戦争で日本が降伏して、日本の島の多くが接収を受けている。それは沖縄だけでなく、たとえば八丈島や奄美群島などもそうである。それらは戦後ほどなく返還が進んだが、最後に残されたのが、小笠原諸島と沖縄であった。)

返還された島々は、みな無人島。その様子が、グラビアに紹介されており、私は非常な興味を持ったのである。当時は「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」、さらに「冒険! ガボテン島」など無人島モノと言える物語世界にはまっていたから、それが現実の無人島として日本に存在したことに猛烈な憧れを強めた。いつか行きたい土地の最前列に並んだと思う。

それから大学の探検部に入り、無人島に渡りたいと思っていたが、残念ながら先輩たちがやっていたのは、単に島に渡って、数日間生活するだけ(一応、自給自足を歌うが、実は食料や水を持ち込んでいる)であった。もっと「探検!」したいのだ。

そのうち、私はボルネオ遠征を果たした。それは探検部創設10周年記念の初の海外遠征ということで、OBたちの提案から始まって行ったものだった。私は二回生~三回生だった。

無事、ボルネオ遠征を負えた私は、いよいよ四回生。探検部内の実権を掌握して(^^;)、今度は自ら遠征計画を企画実行できる立場になった。

そこで、頭に浮かんだのが、小笠原諸島なのである。

だから、まったくゼロから遠征隊を組織するところから始めた。そしてメンバーで勉強会を毎晩開いて、情報収集と渉外を重ねていく。隊員は、探検部以外からも参加希望があり受け入れた。各人が調査テーマを選んで、現地調査を行うことも決めた。女子もいたから、どのように長期生活を行うか密かに悩んだり、国立公園内だけに許認可をいかに取り付けるかも苦労した。

その過程は、ボルネオ遠征を練習台として本番を小笠原で行うようなものであった。

当時の小笠原諸島は、電話もまともに通じず、現地ではテレビもラジオも聞けない(ラジオは、グアムの放送が入った)。船は1週間に1便だけ(これは今も同じ)。

調べていくうちに、戦前の開墾の歴史に触れ、さらに戦中の過酷な世界にも触れていく。
意外なことに小笠原諸島の産業は、林業だったのだ。島の産物として木材は大きな比重を占めていたことを知る。とくに母島には巨大な桑の木が林立している山があって、そこから木材の伐り出しが行われていた。それを本土に運ぶことで、大きな収入源にしていた。
熱帯の農業と漁業だけではなかったのだ。むしろ、当時は冷蔵・冷凍チェーンが確立していなかったため、農作物や水産物は本土にあまり輸送できなかったのである。むしろ、農漁業は自給自足の糧であった。

……この頃、私たちは、大学の授業よりもよく勉強して身につけていたのではないか。

かくして7人の隊員たちは出発し、嵐の海を越えてたどり着いたのである。

 

ああ、なんだか思い出話が長引いてしまう。このままでは、大長編になりそうだ。この辺でやめとこう(^o^)。

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コメント

これは、
本が一冊できてしまいそうです。

うん。楽しみだなぁ。
(え。作んないの?)

当時の手書きの報告書は、結構出色の出来です(^o^)。

ま、そのうち自伝を執筆する際に……( ̄ー ̄)。

田中淳夫細腕繁盛記のはじまりじゃないんですか。

細腕……太っ腹かもしれない。いえ、現実に腹が太いだけですが。

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