消滅集落の村おこし
昨日は、静岡某掛川市(^^;)に招かれて1日かけて往復した。
そこで聞いた話で興味深かったのは、「消滅集落の村おこし」である。正確に言うと、廃村おこしか。
市街地から車で約30分のところにある集落が、20年ほど前に完全に廃村になったそうだ。
ところが、そこを舞台にNPOが立ち上がり、現在活性化の活動を行っているのである。具体的な内容は、森林ボランティア的な森林整備で、その間伐材の搬出などにも取り組んでいるらしい。また炭焼きもしている。
森林面積は約25ヘクタールだが、所有者は25人いる。その8割が人工林となり、田畑はほんのわずか。家屋もほぼ残っていないが、拠点として建てた建物などが1,2軒あるという条件だ。
しかし、人の住まない消滅集落である。単なるアウトドア拠点にして遊ぶだけならともかく、なぜ活性化に取り組んでいるのか。
実は、このNPOを引っ張る理事長は、この集落を最後に離れた一家の出身だという。自らが成人したときに去った土地なのだ。それだけに思い入れもある。また25人の地権者も追跡して、みな委任を取り付けてみせたという。
これは、限界集落の活性化よりも面白いかもしれない……と思った。
いったん人がいなくなった場所だけに、因習の軛や利害対立も生まれにくいだろう。ここを舞台に新たな村づくりも可能ではないか。条件も悪くない。市街地に近いし、土地の集約化もほぼできている。人工林が多いことは、潜在的な資源を持つことにもなる。
いろいろ青写真を描けるのではないか。
本気でやるなら、大きな投資を呼び込み山を全部買い取るとかも考えられるが、当面は何らかの森林ビジネスを展開するとよい。林地を貸し出して美しい森づくりの実験場にする、木材を搬出して高く売る、森林資源から商品開発して売り出す、思い切りオシャレな消滅集落カフェを開く……など。
いつか移住者を呼び込んで、新たな住人が生まれれば、まさに新しい村(武者小路実篤)になるかもしれない。
まあ、現地を見もしないで勝手なこと言えないけど、「消滅集落の村おこし」って、なぜか明るい響きがあるよ(^o^)。
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ちょっと乱暴な言い方かも知れませんが、人がいない方が地域づくりはやりやすい(笑)。もちろんこれは、皮肉です。が、実は実感でもあります。8世帯の集落の活性化をやってきて、一番困ったのは、消滅直前の集落のメンタルな混沌です。周囲の支援者からも「こうなると、一度崩壊してからでないと何も出来ないのでは」的意見が多くありました。
8世帯の集落の活性化(と言うより維持)は、一旦地域を出た人も帰れる仕組みを作ることでもあると思っていました。
もちろん移住者オンリーということもありますが。
ネイティブの人たちの思いの濃さも地域づくりには重要なのかもしれません。
こじつけのような話ですが、今回の福島のことを思っても、一旦子供や若い女性を撤退(疎開)しないと、と思います。放射能のダイレクトな影響も心配ではありますが、不安を抱えたまま高線量のところに留まっていても、いずれ散発的に大量の避難が始まったとすれば、もう福島というコミュニティを修復できない。
福島が福島であり続けるためにも、保証のない個別の大量の自主避難は避けるべきと、避難民の一人としても思います。
集落の再生にしてもひとつの大きなちいきにしても、計画的な退避が重要なのではないのでしょうかね。
妙な方に話を持って行っちゃってすみません。(^^)
投稿: unchan10 | 2011/06/14 00:41
もちろん、本来の村おこし(地域づくり)は、住民もしくは住民だった人を対象にすべきです。移住者オンリーは、村おこしではなく、村づくりになる。言い換えるとニュータウン建設か(^^;)。
福島の事態に関しては、放射線の危険性(健康)と、避難による心身や生活崩壊の危険、それに地域崩壊の可能性を天秤にかけているのが実情でしょう。
どちらを取るか、それは価値観の選択でもあるわけですが…。
私は、やはり「仕切り直し」を期待したいのですが。
投稿: 田中淳夫 | 2011/06/14 01:31
ゼロから始められて、なおかつ資金があればそれに越したことはない…か。あれ?
農林業のポイントの一つは、地域毎に異なる気候や土壌や動植物の振る舞い方をどう見極めて味方に付けるかだと思っていますが、これを一からやるのは困難な道のりですね。
反面、田中さんも再三指摘されているように、よそ者の方がその土地の宝物を発見しやすい(同時に欠点も)。
どうやら同じ困難でも、常に前向きな取り組みが出来そうな話題ですね。本当に「消滅」なのに明るい響きがあるかも。
投稿: kao | 2011/06/14 08:14
このケースに関しては、完全なよそ者でないところがミソですね。理事長がその集落出身なのだから。そのうえで、外からの視点も持っている。
「背水の陣」で頑張るのではなく、「捲土重来」を狙うような前向きさを感じます。
投稿: 田中淳夫 | 2011/06/14 09:20