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森と林業と田舎の本

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2011/06/22

宮脇昭氏のこと

先日、面談した人と大方の打ち合わせをした後のことだ。

ふと、私の本の参考文献には、宮脇昭氏の本が登場しませんね、と言われた。言外に私が宮脇氏を嫌っているの? と問われたような気がした(笑)。

もちろん、そんなことはない。ただ、私が執筆した幾冊もの森林の本の参考文献に彼の本を入れていないのは事実だ。なぜって、参考にしていないから。

宮脇氏は、森づくり運動のカリスマ的リーダーであり、理論的支柱にもなっている人である。それなのに、私の本には登場しないのだ。

私も昔は彼の本を読んだことがあるし、今も雑誌などに登場する記事を目にしたら読んでいる。それなりに影響は受けているだろう。が、おそらく寄って立つ視点と場が違うんだろうな、と思う。

宮脇氏の唱える「本物の森」というのは、いわゆる潜在植生の森である。人が手を加えなくても成立する森。土壌や気象などがもっとも適している森である。具体的には照葉樹林を指すらしい。それを人の手でつくるというのが矛盾しているような、面白さもあるのだが(~_~;)。

潜在植生を活かした森が環境にはよいことはわかっている。というか、私には全然意外感なく納得している。そもそも潜在植生を活かした森づくりに関しては、日本の林学の父ともいうべき本多静六が明治時代に確立した思想ではないだろうか。

その点では、まったく異論はないのである。

ただ、照葉樹林が本物で、ほかが違うというのはどうだろうか。最近は、私の植えた「本物の森」は震災にも耐えた、と自慢しているが、大津波に襲われて、生き残るか壊滅するかは数多くの条件の、それぞれ紙一重の差で決まる。ただ樹種などよりも、津波の強さ、地質に多くを負うだろう。

むしろ私は、これが最高の環境、というのが嫌いなのかもしれない。世間には、最高の条件を備えた「本物」などないと思う
世の中ッて、どこかしら欠けていることを前提に成り立っているものではないか。足りない部分、よくない部分を内包しつつ、それでもやり繰りして生きていくものではないか。

潜在植生が成立しているのは鎮守の森だとされるが、それは神の森でもある。そこに人が入る余地はあるのだろうか。
森を語る際、人の存在・関与を抜きに語っても面白くない。人のいない森なんてつまらない。そして「生活」と「利用する」ことを抜きに森を語っても深遠には迫れない。

残念ながら、私の本を書く際の参考にはなり得ないのである。

なんだか、人生論語っているみたいだなあ。めざせ、教祖……じゃなくて人生相談師!

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

宮脇先生うちが地元なんですよねえ。(正確には旧町のご出身ですが)
お陰で?県内の県事業の公共施設の緑化は一時期宮脇方式オンリーでした。
それと、うちのまちでは今年から里山整備に補助金がでます!公募で選ばれると私有地でも負担率5%のみ!
公募以外でも、里山整備の補助制度ができました。
先日、森づくり活動にご熱心な前臼杵市長の後藤さんがいらしたときは、街から見える山を見て広葉樹が多いとべた褒め(^^;;マジ?
今度うちのまちで、宮脇先生、後藤さん、田中さんで森関係のシンポジウムでもやったら面白いと思いませんか?
落としどころは全く見えませんが(笑)

私も何冊か宮脇先生の本を拝見しましたが、ずっと違和感を感じて言いました。
ブログを拝見して、その違和感が分かりました。
すっきりしました。
ありがとうございます。

ああっ。森林人生論!

おもしろいので発展させてくださいまし。

宮脇氏のことを書くと、またもや地雷に触れるかも(^^;)と思ったのですが、意外や反応いいですね。もっと過激にやるか。オイオイ

環境の面からの森づくりを推進するなら:宮脇方式は有効だと思います。林業を偽物扱いさえしなければ。

でも、シンポジウムに並んだらどうなるだろ。
上方落語のように「~みんな、わあわあゆうてはります」というオチで締めくくるか(笑)。

> 私の植えた「本物の森」は震災にも耐えた
こういう観点こそ、自然を軽んじているようにしか私には見えないのですが、シンパには、先生素晴らしい! となるのがとても興味深い。。。

イデオロギーをまとった論だから困るわ、こういう人。

私は数年前に新潮選書「木を植えよ」(宮脇昭著)を読んだのですが、鎮守の森を増やしてもしょうがないのではと思っていました。やっぱり洋泉社「伐って燃やせば森は守れる」(田中淳夫著)が、すんなり入ってきます。「植えるより伐るや」

私にとって、氏の理想と、森林・林業再生プランの目標「木材自給率50%!」には共通点があって、その向こうに「我々の豊かさ・幸せ」が見えないのです。だから結局はピンと来ないし賛同もできない。

繰り返しになりますが、私は宮脇氏の考え方に反対はしないけど、参考にならないし、興味もわかないのです。
でも、世間には宮脇ファン?信奉者が多いですね。

なぜなんだろ。人のいない森をつくることが、そんなに楽しいかな。

「森づくり」ではなく、
「木本類を導入した緑化」
なんだなあと思います。
だから、ヒトはいらない。

森へおいでって谷山さまも
歌っている。(谷山教徒)

「森においで」って、森の妖怪に誘われて、そのまま帰って来ない子供たちの歌ですよね、怖い怖い(半可通)。

でも、世間的には森に人はいらない、という発想が強いのではなかろうか。
照葉樹林なんて、正直入ってそれほど楽しくない。薄暗いし、見通し悪いし、ヒルもいたりして……。でも、潜在植生、原始の森、神の森という言葉には、心ひかれるのかもしれない……。

氏の講演も拝聴して、早期に緑化をするという意味では有効なのかなと思います。潜在自然植生の森が好みかどうかはともかくとして。

疑問なのは、氏の指導で緑化したという箇所を見に行ったことがあるのですが、明らかに園芸品種が混じっていたことです。苗木の入手先も限定(独占?)されているような話も聞きました。
直接、植栽の取組に関わったわけではないので、いろいろと事情があるのかもしれませんが…。

個人的には、田中さんがおっしゃるような人が関わる森が好きだなあと思います。

ご本人の意図かどうかはともかく、カリスマ化した指導者の周りには、とかく利権が入り込みやすい傾向がありますね……。

照葉樹の苗なんて、そんなに生産量が多くないから、足りないこともあるでしょう。

http://homepage2.nifty.com/tankenka/chosaku-golf.htm

この人は、ゴルフ場関係者なのか。なあ~んだ。

はじめまして。
検索から来ました。
障碍や困難をお持ちの方のための森林浴などのネイチャーセラピー関連を勉強しています。

なるほど〜。
とても興味深く読ませていただきました。このサイトに出会えてよかったです。
御著書も是非読ませていただきたいと思います。

ずっと昔のことですが、偶然見たNHKの放送大学で、「森語について」というものがあり、とても興味深く感じ、深く記憶に残っています。その方は確か大学教授で、これからの人類は森語を理解出来るようにならなくてはならい、と主張されていました。(その後は全く見かけません。検索にも出ません。残念。)
田中さんのこの記事を拝見して、その事を思い出しました。

続けて失礼します。

宮脇氏の考えには、パーマカルチャーやビオトープのように、自然そのものの再生力にまかせているよりももっと効率的に省人力で自然を再生出来る、自然と人の恊働作業の存在意義みたいな、そういう部分を感じ取ったので、私は大変に興味を持ちました。

ただ、例えば、パーマカルチャーの方々が、自然の多様性や植生を褒めたたえるまではいいのですが、同時に、彼らが単一作物栽培を否定し、「これからは農業の時代ではない。農は仕事にするものではない」と農業全般を完全否定することには共感は出来ないので、田中さんのおっしゃっていることはその事に近いのかなと思いました。

「森語」ですか。なかなか面白い言葉ですね。姿を消しているなら、今度は私が使おうか(^^;)。

ところで、この項目を書いたときはまだ宮脇昭氏について深く考えていませんでしたが、その理論をしっかり考察したら、実に馬鹿げていることに気づきました。
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/11/post-d5d1.html

http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/12/post-d0e4.html

こちらも合わせてお読みください。

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