門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
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宮崎に来ている。
ここでお会いしたのが、「宮崎・林業界のマスコット」(自称)こと、吉田愛美さん。
フリーアナウンサーだが、「現代林業」の表紙を飾り、カレンダーにもなった。
林業に詳しく、かつMCができる貴重な人材だ。さらにゴスペルもできる(笑)。
林業ファンの皆さん、彼女に注目ですよ。
4年前の夏だったか、屋久島へ縄文杉を娘と見に行った。
そりゃあ、すごかった。本ブログでも報告したように記憶するが、なんたって数珠つなぎの登山客。そして縄文杉を眺めるデッキの順番待ち。迫力でした(~_~;)。
というわけで、屋久島では、縄文杉までの登山客(というより、観光客だろうな)の人数制限を打ち出している。3月~11月は1日420人までに規制するという内容だ。もっとも、この条例案は否決された。観光業者への打撃を恐れたわけである。
しかし、このままだと世界遺産取り消しの心配もあるということで、9月議会に再提案する予定らしい。
いっそのこと、ロープウェイで登れるようにして、縄文杉の周りは動く歩道にしたらどうだろう。「止まらないでください」と放送しながら。数を稼ぐにはいい。
(実は登山ルート以外に、縄文杉近くまで林道があることは、あまり知られていない。)
さすがに、それはいけないと思うのなら、秘策を思いついた。
縄文杉に人が殺到するは、やはり日本一のスギがあるという思いからだろう。それを打ち破るとよい。
「縄文杉より太い屋久杉が見つかった」と発表するのだ。ただし、場所は教えない。
実は、本当に縄文杉以上の屋久杉が存在することは、地元でも根強く囁かれている。私も聞いた。これを利用するのだ。すると、縄文杉人気は下がるだろう。しかし、屋久杉に対する興味は増すはずだ。
そして「幻のスギは、どこにあるでしょう」クイズを出して、賞金を出す。発見した人の講演会を開き、ヒントを出す。応募者の中から抽選で、目隠しして連れて行く(~_~;)。
このようにすると、観光客総数は減らさず、縄文杉への集中を避けられるのではないか。
屋久島には多くの見どころがあるのだから、それらに分散させたらよいのだけどな。
小松左京が亡くなった。
せっかく実家から「日本沈没第2部」を発掘して持ち帰ったのに……。そして、古本屋で「未来図の世界」(1966年刊)を見つけて、購入したばかりなのに。
東日本大震災が起きたのに、小松さんのコメントが出ないので、ご病気かな、と思っていたのだが、一昨日、肺炎のために亡くなられたそうだ。80歳。
いまさらながらに小松さんから受けた影響を振り返る。彼の本のほとんどを読んだが、それはストーリーではなく、思想を学ぶものであった。
彼は、小説家というより文明誌家ではないかと思っている。「人類と文明」をテーマに、小説より大説を書いていたのではないか、と。
さて、私は幾周りかスケールが小さく、「人類と森」について考え続けているのだが、この前、大阪で行った講演&対談で、思わず口にしたことがある。
対談のお題目は、「日本の森を救う処方箋」だった。一応の打ち合わせをしてあったのだが、話がどの方向に行くかはわからない。そこで、森を守るために必要なことを話し合った。
ただ、ここで混乱しがちなのは、森を守るには、二つのレベルがあることだ。
一つは、今目の前にある森を守る技術や、施策を考え、つくり、実行すること。
これは、いわゆる処方箋だ。今、そこにある森を、林業を救う方法である。これは、みんながあの手この手として考えている最中だ。
しかし、それだけでは無理だ。もう一つ、いつの時代にも森を守る共通の意志を受け継ぐことが求められる。
森は、すぐ変化する。林業も、経済に合わせて変化する。林業をシステムとして、いくら完璧なものを築いても長続きしない。経済は日々変化して、森も常に遷移し、環境に合わせて変化する。刈った草は伸び、樹木は太くなって枯れる。そして人は、世代交代する。
では、変化しない意志をどのように維持するか。共通の意志はいかに受け継ぐか。
それは教育とか経済理論ではないだろう。いかに優れた教育を行っても、どんなテキストを用意しても、あっと言う間に陳腐化するだろう。理屈も、時代を前にして長続きしない。
何百年と変化する時代を飛び越えて変わらぬ気持ちを維持する手段とは何か。
一つは、宗教だろう。
宗教なら、世代も人種・民族も越えて教義を守り続けられるかもしれない。だったら、森を宗教にするか?
もう一つ考えられるのは、文化だ。
文化は人と人の間を越えて広がり受け継がれるものだ。人々の心に根ざした気持ちに、森の大切さを焼き付ければ自然と共通意志が生まれるのではないか。
森林文化なくして林業を活性化しても、それは資源論でしかない。木材に変わる素材が現れたら、消えてしまいかねない。理屈抜きで、残すべきものとしての森に対する思いを醸成し、その思いを支える経済としての林業を維持しなければならない。
……とまあ、対談しながら、そんなことを考えたのである。
福島の森林に関する話題、そろそろ食傷ぎみの方も多いだろうから、別の話題へ。
そこで、なぜか宮崎吾朗(笑)。
公開中のアニメ『コクリコ坂から』の監督である。というより、宮崎駿の息子という方が通りがよいのだろう。
5年前に、アニメ経験がまったくないまま『ゲド戦記』の監督をして批判もされたが、このほど2作目の監督を務めた。今のところ悪評は出ていないよう…。
※ ちなみに『ゲド戦記』、私も見たが、当時並べられたボロクソの評価ほど出来が悪いとは思わなかった。佳作とも言えなかったが。偉大なる父を持ったら2割3割増しの厳しい目にさらされるのだろう。それに『ゲド戦記』そのものの上映売上は、その年の上位である。
さて、その宮崎吾朗が、雑誌の対談に登場して、経歴が披露されていた。
1967年生まれというから、今年44歳。東京出身だが、信州大学農学部森林工学科に進学していた。そうか、森林について学んでいたのだ。しかも卒業後は、建設コンサルの会社に勤めて、9年間公園や緑地の計画や設計をしていたという。
なんか、気になる経歴だ(笑)。似たような経歴の人、知っているし(~_~;)。
その後、『三鷹の森ジブリ美術館』の設立に関わって、そのまま館長に。そして、成り行きというか、ピンチヒッターとして『ゲド戦記』の監督に…と続く。
ま、その後はどうでもいい(^o^)。ただ、彼のアニメで、緑(森林)はどのように描かれているか、気をつけて見るようになる気がする。
まだ『コクリコ坂から』は見ていないが、多分見に行くだろう。森の描き方が気になるから……いえ、違います。気になるのは挿入歌なのです。それも主題歌ではなく、挿入歌のいくつかが。あ、挿入歌と言っても「上を向いて歩こう」ではないからね(笑)。
ああ、そういえば週末は宮崎に行くんだった。なんの関係もないけれど(^^;)\(-_-メ;)。
森林除染計画を書きつらねたわけだが、核となる木材利用についても触れておかねばならない。
問題となるのは、福島材は放射能汚染されているのか、そして風評被害はあるのか、という点だ。
理屈の上では、製材に放射性物質が付着している可能性は極めて少ない。放射性物質および放射線を浴びた原木も、樹皮、枝葉とも除かれているからだ。しかも製材時に材の表面に当たる背板も切り離しているのだ。ユッケのような生肉を食べる場合の「トリミング」と同じ作業をしているわけで、危険性のある部位は削っていることになる。
まだ日が浅いので、樹木が放射性物質を吸収する状況にはない。仮に水とともにセシウムなどを吸い上げていたとしても、形成層に留まるだろう。木質部に移る可能性は極めて低い。
そもそも材のうち心材部の細胞は、生命活動を止めている。師管・導管にもリグニン様物質が詰まっているはずである。そりゃ疑えば形成層に滞在した汚染水が心材部にも染み込んで来ることも考えられなくはないが、非常に時間がかかるだろうし、人体に何らかの影響の出ることはまずありえない。
ともあれ、原発事故後何年も経って樹木の生長が進んだ時期なら「木材の内部被曝」はありえても、現時点で心配することはない。その点からも、早く伐採してしまうに超したことはないように思える。
それでも製材所などの聞き取りによると、一時期注文を断られたケースはあるそうだ。また放射線量を計測するように要求もきたという。
そこで計ったところ、樹皮部分で120ベクレルという数値が出た(5月時点)が、木材部は検出しなかったという。もともと木材は食べるわけじゃなし、問題ありと騒ぐレベルではない。
食べ物の場合は、本当に「風評」被害なのか、あるいは実害なのかわからぬ部分があったが、木材商品に関しては、完全に風評被害だけが問題になるだろう。
ただ樹皮からつくられる畜産用敷き料や、バーク堆肥は、もはや使えない のは事実だ(通達が出ている)。この点からは、木材産業の副次収入を失ったことになる。
幸か不孝か、水産物と農産物がクローズアップされて、林産物の放射線はまだほとんど注目されていない(椎茸などキノコ類は別)。だが、何かの際にマスコミに取り上げられて不安を煽られる可能性もなしとは言えない。だから飛び火する前に対策を考えておくべきだろう。
先んじて計測して、線量の低さ(あるいはゼロであること)をアピールするなどの手段が必要ではないか。
あるいは福島にとって森の恵みこそが最後の砦である……と知らしめるレベルの高いイメージ広報戦略を築けないか。天下の大広告代理店が挑んでほしいものである。
なお、林内作業に関してだが、現在、福島県の森林組合20のうち、避難区域などに入って仕事ができない4つの組合の、3月4月の2カ月分の損害賠償として、県森連から東電へ約5600万円が請求されている。逆に見ればそのほかの地域は通常の林内施業を行っているらしい。
飯館村、双葉地方、相馬地方、福島中央(都路支所)の4つだ。言い換えると、この地域では仕事ができなくなったということになる。これらの地域の木材を搬出するのは不可能だろう。
なお、これは森林組合の労務損害への賠償請求であり、森林所有者の損害、とくに木材資源の損害には触れていない。今後、こちらもクローズアップされるようになるかもしれない。
福島の森林における除染計画のスキーム、頭の中で組み立ててみたが、お分かりの通り、これは民間企業レベルで行えることではない。とくに除染産業を成立させるには、国の関与が不可欠である。
そこで、国は何を考えているのか。
何も考えていないのかもしれないが(^^;)、一つ手がかりがある。
7月5日に、皆川
そこで、「森林の除染についても取り組んで参ります」と言ったというのだ。さらに知事とも、森林の除染について話したという。
この点は、複数の人から確認した。
これを福島県内のリップサービスで終わらせてはならない。
だから、広くこの事実を拡散して知らしめてほしい。林野庁長官の職にあるものが、森林の除染に取り組むと言ったことを。決して忘れさせないように。
ちなみに林野庁では、今回の震災では「瓦礫バイオマス発電」構想を打ち出している。津波被害で出た数千万トンを超す瓦礫のうち、木質が少なくても500万トンは含まれているが、これを木質火力発電に利用しようという発想だ。
打ち出したのは、バイオマス・ニッポン総合戦略にも関わってきた末松広行・林政部長である。東北に1万キロワット級の火力発電所を数カ所建設して、瓦礫の処理をかねて電力供給をしようという計画だ。(この点については、本ブログでも紹介。)
瓦礫を当てにしては、数年後に燃やすものがなくなる(瓦礫の処理が終わる)が、その後は林地残材を当てにしている。まあ、この点については採算度外視になるから危険だと思っているが、ここに福島森林除染計画によって出るバイオマスを当てれば、かなりの量を確保できるだろう。
つまり、森林除染計画と、瓦礫バイオマス発電構想はリンクするのだ。 瓦礫および放射能汚染の処理と、地域分散型エネルギーの拠点づくりを合致させ、新産業に発展させる可能性を探りたい。
いずれも、リップサービスに終わらせてはならない。そのためには、この発言を拡散し、誰もが知っている・期待していると、プレッシャーをかけることだ。
皆川長官は、以前いわき市にも住んでいたとかで、福島県に縁がある。訪問時の会合でも、語っていたそうだ。つまり、福島・愛があることを訴えたと解釈しよう。
なお皆川氏は、林野畑出身ではなく、前職は、関東農政局長で昨年10月に就任したところだ。
林野庁長官は、このところ毎年のように交代しているから、もうすぐ交代する可能性もある。だが、交代する前に森林除染計画に道筋を付けてほしい(辞めるとほのめかしてから、脱原発を訴えている菅直人首相の例もあるのだから)。いや、恒例の順送り人事を蹴飛ばして、長官職にしがみついて実行に移してほしい。首相のように。こちらの方が、ずっとかっこいいぞ。
さて、森林にも降り注いだであろう放射性物質の除染には、どんな方法が考えられるだろうか。
まず、放射性物質が存在しているところはどこか知らねばならない。
通常考えられるのは、空から舞い降りたのだから、森林の林冠部、つまり枝葉だろう。これは葉の形態にもよるが、最初に落ちてきた物質が付着した後で、それがどのように移動・あるいは留まるのかはわからない。スギやヒノキの葉の形状を見るに、細かな隙間に潜り込む可能性がなしとは言えないだろう。
幹の樹皮に付着することも考えられるが、量的に問題にならないはずだ。よほどの豪雨でないと、樹皮に雨が吹きつけたり、樹冠から幹を流れ落ちる樹幹雨にはなりにくいからだ。
そして、やはり土壌だ。直接降り注いだもののほか、枝葉に着いた物質も、数カ月もたてば、降雨などで洗い流され地面に落ちるものもあるだろう。また最大の放出があった3月時では、針葉樹林は葉を付けていたが、落葉樹林は葉がない状態だった。つまり、そのまま地面に落ちたと考えられる。
なお針葉樹だって、だいたい数年で葉を落とす。結局、地面に移動するわけだ。その前に、除去する手立てがほしい。
この土壌に落ちた放射性物質は、永く経てば地下に浸透することも考えられるが、今のところ表層に留まっているという調査結果が出ている(これは市街地の土壌の場合だが)。土壌の粒子などに付着・吸着されているのかもしれない。
※別次元だが、ゴルフ場でも、散布した農薬は、ほとんど地下に浸透せず、地表から5センチ以内に永く留まるという研究結果を読んだことがある。主にサッチと呼ぶ腐葉土層に吸着されるからである。
こうした放射性物質の動態については、森林総研が研究を始めるという。8月にチームを結成するというが、のんびりやらんと早急に結果を出してほしいものだ。
ともあれ、高汚染森林地域の除染を考えた場合、方法としては樹冠部の除去と腐葉土層の除去の両方が考えられる。
森林内の落葉かきを全山で行う様子を頭に描くと、クラクラした(^^;)。ましてや、山林内の表土を5センチ剥ぐことを考えると目眩がする。
もちろん、全山の除染をする前に、人が入りそうな森を重点的に行うべきだろう。
ここで気がつくのは、林内の表面をかきとる作業は、林業の地拵えと似ていることだ。伐採後の林内の片づけ作業で、落とした枝葉の片づけである。重機を使うこともある。
一方、樹冠の除去は、ようするに伐採を意味する。伐採して、枝葉を切り取る……これって、通常の林業で行っている作業だ。プロセッサなどの機械を使うと、いとも簡単にできる。枝葉を取ることは、付着した放射性物質を集めることにもつながる。
つまり、伐採して、枝葉を払って、跡地を地拵えする……これって、林業の一連の流れではないか。ただ一般的な林内作業は、伐採後、枝葉を払って丸太を持ち出す。枝葉は林内に残すわけだ。
ここで全木集材という方法があることを思い出したい。伐採後に枝葉を付けたままの木を引っ張りだすものだ。全木を土場まで運んで、そこで枝葉を落とすのだ。欧米では普通だと聞いた。
この時、引きずる樹木で林床をホウキで掃いたようになり、地面をかく効果があるそうだ。だから地拵えもいらなくなる。この方法を低コスト造林法の一つとして試す業者がいる。
この全木集材法は、除染にも応用が効くはずだ。
まず、一気に樹冠部の除去ができる。腐葉土層を掃き集めもある程度は期待できる。完全除去まではならないだろうが、かなり線量を落とせる可能性がある。
ただ土壌の撹乱にもつながって、その際に放射性物質が舞い上がるなどの心配はしなくてはならない。一時的に線量は高まるかもしれない。
やはり作業は、すべて乗用タイプの林業機械で行うのが、無難ではないか。基本的に車内は密室だから、被曝する可能性は低くなる。
問題は、集めた枝葉だ。ここの線量がどれほどなのか、まったくわからない。案外、地表と変わらないかもしれないし、集積するのだから異常に高くなるケースだってあるだろう。
この処分は、特殊な焼却炉が必要となる。燃やした煙から放射性物質を放出させない完全密閉タイプの炉だ。
ここで焼却の熱は、コジェネレーションとして温水による地域暖房と発電に回す。小規模でも電気は買い取らせるから利益も出るだろう。これは地域の産業となるはずだ。
そして焼却後の灰。ここには濃縮した分だけ、線量は高いだろうね。ただ嵩は随分小さくなったはずだ。ガラス固化技術なども必要かもしれない。いずれにしても、この灰をいかに保管するか。私は、東電本社屋に積み上げたらよいと思っているが、まあ、福島第1原発周辺に保管場所を求めるのが現実的だろう。
こうした一連の流れを除染産業として立ち上げる。公共事業的ではあるが、実は地域分散型エネルギー産業の育成である。
これだけに終わらない。なぜなら伐採して林内から出し枝葉を払った跡には、原木が残るからだ。
この原木、もちろん使うのである。太いものは当然用材とするが、細いものもすべて利用する。ただし、剥いだ樹皮は、しっかり集めて樹冠部と一緒に焼却すべきだろう。ただ、この場合は木を選んで伐採するのではなく、皆伐的であるから細い木もかなりあるだろう。それでも燃料以外にも商品開発すべきだ。徹底的に使い尽くす、ゼロ・エミッションの林業を確立する。
ここに除染と林業のリンクが成立するのだ。
このように、除染作業を木材供給とバイオマスエネルギー供給の新産業とする態勢を築き上げる。それは新しい林業であり、地域再興産業である。
なお伐採跡地は、すぐに植林する。新たに育つ木が、土壌中の放射性物質を吸収してくれるだろう。幸い、それらは、枝葉や形成層のある樹皮にしか溜まらない。次の伐採が、また除染効果になる。これは循環型除染だ。一足飛びに完全除染を狙うのではなく、数十年単位で放射性物質を除去する発想も必要だろう。
この構想には、裏付けとなるデータがない。それぞれの線量もわからなければ、安全な作業法も模索しないといけない。細部は煮詰めていないし、工程表もない。そんなもん、無料で書いているブログに求めるな(^^;)。
しかし、やるという意志があり、智恵と努力と、福島・愛(これがミソね^o^)があればできる。そう確信している。
さる7月12日から13日にかけて秋田市で開催された全国知事会議において、「東北6県知事共同アピール」がまとめられた。
そこには、「森林のめぐみを活かした復興」を推進するという文言がある。林業・木材産業の拡充による被災地の復興を訴えているのだ。
考えてみれば、津波によって太平洋岸の漁港・漁船は壊滅状態になり、しかも放射性物質に汚染された水が大量に放出されている。漁業の復旧はそう簡単に進まないだろう。
農業も悲観的だ。米どころの仙台平野も津波で洗われてガレキに埋もれただけでなく海水に浸かってしまった。地盤沈下したところもある。そして、やはり放射性物質がばらまかれたことによって、農作物の栽培・販売は厳しい。畜産も、すでにセシウム汚染した稲藁が出回ったことによる被害が全国に飛び火した。今後、豚や鶏にも広がる恐れがなしとも言えない。
では、自然の恵みで残されたのは、森しかないではないか。幸い林業の被害は小さい。林道などが崩れたところはあるが、すでに復旧が進んでいる。合板工場の復旧も、猛スピードで行われている。森は、被災地の最後の期待をかけられる自然資源である。そう考えると、やはり被災県の復興は、森から行われるべきではないか。
だが、ここでまたもや福島県には艱難が降りかかる。そう、放射能汚染は、森林にも起きているはずだからである。
では、はたして福島県の森林の放射能汚染はどの程度なのか。ホットスポットはあるのか。林業に携わる人は安全なのか。森林から持ち出した木材は汚染されていないのか。そして、森が汚染されているのなら、どのように除染できるのだろうか。
これが、今回の福島取材の目的だった。
折しも福島県では、「環境放射線モニタリング調査」を行っていた。
その結果は、すでに発表されているが、少し紹介すると、
県内を基本的に4キロ四方メッシュにして、空間線量を計測したものだ。ここに示したのは、林内地表から10センチのもの。
青色は線量が低く、緑、黄、橙……となるにつれて高くなる。計測できなかった原発周辺は、真っ赤ではないだろうか。この中では、浪江町の路上一カ所が20μシーベルト毎時を越えていた。
ただ概して言えるのは、ほとんどの森は、0,5μシーベルト毎時以下である。意外なことに、地表50センチ、1メートルでもあまり変わらない。また林内でなく、林道などの路上でも変わらない。森林内が特別低い、高いということはなさそうだ。
つまり、問題となるのは、いわゆる避難地域なのである。そのほかの森は、林内を歩く程度なら心配ないのだろう。ただ、これは空間線量であって、土壌や森の林冠部分はどうなっているのかわからない。残念ながら、伐採した木の樹冠部の線量を計測したデータを持っているところはなかった。
それでも、森林に一筋の光明を見ることができる。林業こそが福島を支える産業になれる希望がある。同時に、汚染地域の除染は欠かせない。とくに伊達市や飯館村など林業が盛んだった地域では、除染抜きに再び人が住むことは難しいだろう。
幸い、伊達市や飯館村だけでなく、福島市も除染計画を策定中だ。その中には、森林も上がっている。もちろん最初は居住地や農地になるだろうが、山林部を捨ておくわけにはいなかいのである。
そこで私は、林業による除染システムを作れないかと考えてみた。
以下、続く。
福島より帰還しました。
見事、台風からの避難は成功です。19日に家を出てから、本日帰宅するまで、とうとう傘を広げませんでした。西日本は、大雨で大変だったそうですねえ~。お見舞い申し上げます♪
福島市内では、福島を鼓舞する言葉があふれております。
ちなみに、私が食べたのは、Aランチです。
そして、福島市では、謎の「冷やしカバ」や「だるまセンベイ」、そして「しぞーかオデン」の発見まで様々な未知との遭遇があった……。
これが謎の発端となった「冷やしカバ」の看板。
我こそは謎が解けるという方は、コメント欄へ。
1ミクロンでも前へ!
ともあれ、4月に岩手から南相馬までで中断させられた福島路をつなぎ、無事いわき市にも行けた。
また、林業現場も見せていただいたし、巨大製材工場の社長の話も聞かせていただいた。
ここで考えたことは、近くまとめたい。乞う、ご期待(笑)。ともあれ、帰宅報告でした。
先に紹介した、森カフェで開かれた、「吉野材」を使った「暮らしの道具」デザインコンペの最終審査会及び発表会。
その結果が発表になっている。
最優秀賞は、「割り鉛筆」でした!!
う~ん、これ、割り箸と鉛筆をくっつけたわけだけど、ありそうでなかった。いや、アイデアの間隙を疲れたような気分になった(笑)。
鉛筆の復権と割り箸の復権が重なるといいね。従来の鉛筆の木は、米材が多いのだが、吉野杉で作って見せたことが素敵だ。
なにしろ全国219点の応募から選ばれた作品である。
このほか優秀賞は4点。
「そよそよと風に揺らぐ一輪挿し」
「木目をいかした皿」
吉野杉のランチョンボード」
「折り畳み式のスツール」
どれも、奇をてらわず、それでいて意外感があり、オシャレ。コンペのための作品というより、本当に商品化をめざした感覚がある。(実際、入賞作は、奈良県が商品化を進める。)
この審査会の様子をもっと知りたい方は、次のブログに詳しく紹介されている。主催者側の一員でもある南都銀行の鉄田さんのブログである。
ここまで詳しくレポートされたら、私が口を出す間はない(笑)。
今後、作品がナラのお土産になることを期待しよう。
吉野・川上の源流史 辻井英夫著 新評論
が届いた。一瞬、なんのことかわからなかったが、著者名を見て、すぐに気づいた。
辻井氏は、川上村大滝の人で、前村議会議員。
私は、土倉庄三郎のことを調べる過程で訪ねていき、お世話になった。在りし日の土倉庄三郎および土倉屋敷の写真をお持ちになっていたのでいただいたのである。
その際に伊勢湾台風の被害写真を大量に保存していることを知った。昔から写真が趣味で、撮り溜めていたのだそうだ。土倉屋敷は、伊勢湾台風で崩壊するのだが、その最後の姿を記録していたのだ。
台風の洪水で荒れ果てた姿とはいえ、イラストではなく実物の写真で確認できたことは、非常に参考になった。
今回の出版も、その写真を豊富に使った地域誌である。
一部に、土倉庄三郎についても記している。が、目を通して仰天した。なんと、私のブログの文章が引用・紹介されているのである。ただし、本ブログではなく、今では裏ブログとして残しているものである。
しかし、本書の真骨頂は、やはり伊勢湾台風だろう。
1959年9月26日。村は巨大台風に襲われた。この台風は、伊勢湾岸で大きな被害を出したことで知られるが、実は吉野川を氾濫させ奈良県でも各地で水害を引き起こしている。とくに川上村では、当時再起不能と思わせるほどの壊滅的打撃を与えた。道が寸断され、各地で土砂崩れが起き、川もすっかり姿を変えた。山も吉野杉が根こそぎ倒れた。
全壊209戸、死者72人。人口の1%がなくなった。
当時の話を聞いた人によると、復興まで100年かかる、と思わせたという。
その人は数十年間、毎日の日記を付けていたので、当時の出来事や気持ちが書き記されているのである。巨大な山崩れで多くの人が生き埋めになった高原へ救援に向かい、幾人もの遺体を掘り出したことを語ってくれた。
ところが、その年の年末には、すっかり普通の生活にもどっていたらしい。意外や、生活を取り戻すのは早かったのである。
そんな記録が、この本にも詰まっている。
……ちなみに、今夜は超大型台風6号が上陸をうかがっている。
九州、四国が大雨で降水量が1000ミリに達する恐れだという。明後日には近畿、そして東日本へ向かいそうだ。
くれぐれも、お気をつけて。
中原林業を率いるのは、代表取締役の中原丈夫さん。
この人の個性は光っていて、おかげで寄りつかない人も多い。私も怒鳴られるかな、と思っていたが、いえ、非常に相性がよかった(^o^)。毒舌?のようでいて、決して間違っていないのである。ま、この手の口の悪さは、私にはこたえないのである。馬耳東風として聞き流す。あ、私がもし毒舌吐いたときも聞き流してね。
で、森を案内していただきいろいろ話を聞いたのだが、そこで幾度か問われた。
まず「よい森とは何か」。
そして「よい作業道とは何か」。
一種の禅問答のようでもあるが、答は、どちらも似ていた。
「よい森とは、一目見て不自然でない森。見て気持ちよくなる森」。
「よい作業道は、走ってみてストレスを感じない道」。
たとえば、森を見て、林内が暗かったり各木の太さや配置がアンバランスだったり、林床に緑がないと不自然に感じる。そんな森は、生物的にもよい状態ではないそうだ。
道も、走っていて不安に感じるような路面だったり、通りづらい幅やカーブ線だとダメ。気持ちよく走れる道ほどよい。
この話を聞いて、ピンと来た。これって、私の唱える「美しい森」論と同じではないのか。美しく感じる森は環境的にも優秀で、生長量もよいとするテーゼだ。全然科学的じゃないが、経験値として、そうなのだ。
この点、私は人間の感覚を信じているところがある。その森の健全度を、数値や理屈ではなく、人間の感覚器官が一瞬にして感知し、判断を下せる(それを「美しい」と感じる)ような気がする。
もっとも、そんな話をしていると、同行者は「私には、それがない」と言い出した。いくら見ても、感覚的に美しいかどうか、よい森かどうかを捉えることができないというのだ。
まあ、そんな人もいるかもね(^^;)。あまり森林に接していない人は、森林の「美」を瞬時に判断できないのかもしれない。
もっとも、同行者だって林業の専門家なのだ。それも私以上に専門家である。森の美しさを感じ取るのは、ある種の才能かもしれないが、きっとそれは訓練によって身につくと思う。
ここが科学になりづらいところか。
中原さんも、その点をアナログの感覚と表現していた。
と同時に、「他人に伝えるには、デジタル化しないといけない」ともいう。
それだよ、それ。私もそれを考えていたのだよ。
アナログ的な感覚を磨くのは、理屈ではない訓練かもしれないが、アナログの中にもすくい取れる根幹の要素があって、そこはデジタル化することができる。そして、理解を早めることができるのではないか。
そこに科学につなげる萌芽を感じるのである。
昨夜までの2日間、岐阜を訪れていた。郡上踊りは見損ねたが、代わりに見たのが、法正林(ほうせいりん)である。
日本には、明治初期に紹介され、数式に裏付けられた近代的な理論として定着。後の林業に大きな影響を与えた。
だから机上の空論としてドイツは早々に放棄したし、日本もすぐに挫折した。
その法正林に限りなく近い森林が日本にあったのである!
それが中原林業だ。500ヘクタールの山を持ち、それなりに発言力のある社長がいるのに、意外と林業界では知られていない。歴史は、今年で280年となり、現当主は、9代目になる。
そして代々受け継いだ森林経営理論があって、それが気がつけばドイツの法正林とそっくりだったようだ。
私は、前々から話を聞いていたのだが、ようやく訪ねることができたのだ。
いやはや、驚きの連続であった。
所有林でもっとも古い時代の植林木が残る一体。130年ものがあるという。
本当に1、2年ずつ林齢の違う森林が並んでいるし、さまざまな施業法を取り入れて、その結果をわかるようにしている。まさに施業法のパラダイスであった。
正確には厳密な法正林とは違うが、実に多くの森づくりの事例が眠っている。
たとえば幅4メートルで法面が5メートルとか10メートル、中には30メートル! を越える絶壁のような法面を持つ作業道網がひろがっており、しかし、崩れていないのである。大橋式林道真っ青(^^;)。
さらに皆伐はいかん、といいつつ皆伐技術の伝承のために行われている皆伐地もあれば、トチやケヤキ、クリなど広葉樹植林にも挑戦している。
いろいろ含蓄のある話が聞けたのだが、それはおいおい紹介するとして、ともあれ本場で破綻した法正林思想を体現している森林が日本にあるのだからちょっとすごいではないか。
近頃、ゆえあって大昔の自分が書いた著作を読み返している。執筆は、だいたい15年前になるか。
かなり恥ずかしい(^^;)。思考の違いもさることながら、文体も変化したようだ。
以前が未熟だったとは言わないが、若さゆえ?の気負いや甘さ、それに弾けた部分を感じる。ま、それが良さでもある、と思いたい。
しかし、これを今風に変えようとしたら、難渋するよな。
当時は最新情報を盛り込み、他の追随を許さぬ作品にしようと思っていたが、その情報が今では古くさくなってしまった。
やっぱり書籍は長く読まれることを意識して執筆すべき、と再確認。
でも、中には「原発よりすごい木材発電」みたいな論もある。そして分散型エネルギーを説いている。
なかなか現代的、いや、まさに今に通じる内容ではないか。……その割りには、やけに現在のバイオマスエネルギー利用に冷たいと言われるけど(((^^;)。
早くも夏バテなのか、体調がイマイチ。
本当は、イマドキ流行りのドイツ林業と日本の歴史的関係うんぬん……という長大な論文を思いつきで書こうと思ったのだが、ダメだ、リキが湧かない。
で、ドーデモ話を書こう。
日本の近代林学の陰に隠れてしまった女性の話である。
日本の林学は、幕末にはフランス林学を取り入れようとした気配もあるのだけど、結局、明治新政府はドイツ(当時はプロシア)林学に傾倒する。そのきっかけは、岩倉具視の使節団に行き着くのだが、そこで留学生が送り込まれた。
その一人が、本多静六である。
そう、日本の林学の父なんてことも言われている。林学の基礎知識を持ち込んだだけでなく、実践につなげたことで、広く知られる。たとえば水源林や鉄道林、大学の演習林を設立したのも彼である。日比谷公園設計したのも、明治神宮の森を企画したのも彼だ。
彼は、埼玉県菖蒲町の折原家に生れた。つまり、当時は折原静六であった。父を早くになくして貧しかったものだから、学びたくても金がなかった。そこへできたばかりの官立学校で安く入学できる山林学校を選んだのだ。
最初は勉強に着いて行けずに落第し、自殺まで計るのだが、やがて猛勉強して首席になる。
そのことが人生を変えた。優秀な学生ということで、在学中に縁談が持ち込まれたのだ。
その相手がすごい。幕末の上野戦争で知られる彰義隊の生き残りの本多晋の一人娘本多詮子である。
この娘は、6歳の頃から宣教師の家に預けられて英語を学び、12~13歳の頃から公使館の通訳を務めたほどの才媛。女学校では常に首席で、皇后陛下に御前講義まで務めている。後に医学を学んで日本で四人目の女医となっていた。こんなすごい娘だからこそ、父親はそれに似合った男として静六に白羽の矢を立てたのである。
もっとも、静六は、この話が教師から持ち込まれた際、勉学中の身として断っている。
しかし、しつこかったので、「学校卒業後、四年間ドイツに留学させてくれたら結婚する」という高飛車な条件を出した。ところが本多家はそれを飲んでしまったのだ。それで渋々?結婚する決心をしたそうである。こうして折原静六は、本多家に婿入りして本多静六になった。23歳だった。
そしてドイツのターラント山林学校に留学し、さらにミュンヘン大学に編入するのだが、実は本多家は、このとき破産してしまった(@_@)。そのため4年の留学期間を2年に縮めて卒業するのだが……。
そしてドイツ林学に加えて吉野で土倉庄三郎に日本の林業を学ぶ。
ともあれ、もし本多詮子と結婚しなかったら、林学の父としての静六はなかっただろう。日本でもかろうじて林学は学べただろうが、当時は留学もせず大学の教授になれなかったから、下級役人としてくすぶっていたか、あるいは実業家などに転進していたかもしれない。
ただ、女医だった詮子は、病院の助手を勤めたり女学校でわずかな講義を持つ以外は働いていない。結婚して引退してしまうのだから、こちらはもったいないなあ。
脱線するが、再来年のNHKの大河ドラマは新島八重を主人公にした「八重の桜」と決まったそうだが、彼女は会津戦争の生き残りである。若松城にこもって女子ながら鉄砲の腕前を武器に狙撃兵として官軍と戦った。その後、京都に出て、そこで出会った新島襄にホレられ、結婚するのだが……。新島襄は、アメリカに留学して、同志社を設立した男である。
そして新島が同志社大学を設立することに力を貸したのが、土倉庄三郎である。新島襄は亡くなる前に、庄三郎に八重の世話を頼んで植林をしている。八重は、その後看護士になって日清日露戦争に従軍している。
何が書きたいのかわからなくなったが、「八重の桜」の主人公を演じるのは、綾瀬はるかである♪
日本人が、イギリスで開かれた地駄曳き競技会で優勝したというニュースが流れている。地駄曳きとは、馬で山から木材を搬出すること。
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001107070003
この大会は、山で切った6メートルの丸太を、馬で運んで下ろす競技だそうだが、途中のコースでスラロームしたり、トラックに積み込んだりする正確さを競うものらしい、そこに岩手県遠野市松崎町の岩間敬さん(33)が参加して、なんと優勝したという。(参加者は15人)
岩間さんは、何も飛び入り参加ではない。日本でも地駄曳きを約10年前からやっているそうだ。日本全国で地駄曳きをしている人は7人いるが、ほかの6人は70歳以上……と記事には記されている。
7人しかいない、という書き方だが、私は7人もいたの! と驚いてしまう(笑)。
地方に行くと、地駄曳きのほか、修羅(丸太の滑り台)を使った集材などをまだやっているところがあると聞いていたが、例外的な人だろう、と思っていたから、7人ならかなり多い。
岩間さんが地駄曳きを行う理由は、重機を使った作業は山を傷めるし二酸化炭素を排出するから、という。そして、イギリスに大会があると聞いて乗り込んだわけだ。幸い、馬は現地で借りられたらしい。
このニュースそものもは面白いのだが、ちょっと誤解?うんにゃ意図的に記事で伏せられた(曲げられた)部分がある(笑)。
というのは、岩間さんは正確には林業家ではないからだ。山仕事もするらしいが、木材搬出が専門ではないし、それで食っているわけでもない。主体は、農業である。馬にこだわり、馬で耕した水田で収穫する馬米(うまい)という米の生産販売もしているらしい。つまり、地駄曳きが職業ではない。
もっとも、そんなイチャモンを付けるのが目的ではない。
そもそも馬による木材搬出には、どんな意味があるだろうか。
意外なことに欧米では、まだまだ馬による搬出は少なくない。何より低コストだからだろう。また冬は雪があり、地面が凍るから、地駄曳きもしやすい。
だが、もっとも重要なのは、そうした小規模に搬出された木材も、ちゃんと市場に乗せ、ソコソコの利益を還元できる仕組みがあることだろう。不定期に1本2本と搬出された木を買い取り、ちゃんお金に変えてくれるのだ。日本だと、そんな出し方だと相手にされないのではないか。とくに昨今の安定供給・安定品質が要求されるなかでは……。
しかも北欧などは大型機械化した林業がお家芸な地域なのに、ちゃんと地駄曳きと共存させている。大規模と小規模の並立が重要なのである。
しかしヨーロッパの木材市場では、役物と呼ばれる高値取引も期待できない(日本でも、役物は壊滅しかけているが、まだチョー高値になる銘木がたまにある)。それでも、低効率な搬出をペイできる理由がわからない。
それなのに、利益が出る仕組みはどうなっているのか。これを解明することができたら、何も馬による搬出に当てはめなくても、さまざまな応用は効くはずだ。
小規模大林業の仕組みを考えるには、勉強すべきことがまだまだ多いねえ。
追加。
手持ちの写真に馬による搬出があった。と言っても、戦前の北海道の林業を実物大で再現したジオラマ。地駄曳きで、こんな大木を出せるのか……。
先に、国産合板メーカー大手のセイホクグループが7月中に生産再開をすることを紹介したが、それと関連して別のニュースがあった。
同じく被災した石巻市の石巻合板工業は、津波に工場がやられて生産できなくなったことを受けて、材料のスギを子会社のサンヤン・ウッド・インダストリーズ社(マレーシア連邦サラワク州シブ)に輸出して、向こうで合板に加工することを検討しているというのだ。
あっと驚く国産材輸出・加工輸入になるかもしれない。
サラワク州とは、ボルネオ島の北側の巨大な州で、私も幾度も通ったところ。シブの街もよく行った。河口の街で、いわゆる産業都市だ。華人が多く、ゴミゴミしているが活気のある町だ。たしかにあの辺りは合板工場も多いが、当然材料は地元のメランティ(ラワン)材である。もっとも地元と言っても、インドネシアから運ばれてくる丸太も多いらしいが。
この情報は、6月初頭のことで、本気で実行するかどうかはわからない。もし実行されれば、もちろん日本初のビジネスモデルになる。
ちょっと調べて見ると、石巻工場の復旧作業スケジュールは、
・工場建物設備関係の復旧 7月中旬
・電力、水道供給設備の復旧 7月中旬(一部は6月下旬)
・合板設備の復旧、試運転 ※ 8月上旬(予定)
・合板生産の一部再開 ※ 8月下旬(予定)
となっている。再開と言っても生産量は当面半分くらいのようだが、もし少しで復旧するのに日本からの輸出-合板生産-輸入という手続きを踏むの手間を考えたら無駄のように感じる。
では、単なる「検討した」だけなのか。その可能性は高い。
だが、別の可能性を考えてみる。
推測になるが、サラワクでも原材料不足が起きている。だからインドネシアから仕入れるのだが、それは密輸に該当する可能性が高く、そんなに持続的に搬入できるわけではない。
そこで日本からスギ丸太を導入すれば、材料と産地の多角化になるし、ボルネオを森林破壊しているという批判をかわすことができる。サラワク州政府としても、原料供給基地から加工業への転換という自信が生まれる。
さらに邪推を重ねると(^^;)、石巻合板工業は、東京が本社で静岡市清水や富士市にも工場を持っている株式会社ノダの子会社だ。
ノダのレベルから見ると、石巻は生産拠点の一つにすぎず、全国各地、世界各国に拠点を広げた戦略を描くこともできる。各地の工場を結んで原材料を融通し合ったり、販売網を確立する方がプラスな面も大きいだろう。つまり、石巻にとらわれる必要はないのだ。
日本の森林資源を海外で加工するという発想は、すでに10年ほど前から始まっている。最初は宮崎のスギ丸太を中国輸出するところから始まった。形の上では中国の内需向けだったが、実は当初、広州で製材したスギ材はほとんど日本へ逆輸入されていたのだ。
それは経営上のリスクヘッジではあったが、原材料を海外から仕入れて加工を国内でする、そして海外へ輸出する……という日本の伝統的な加工貿易のパラダイムを転換するものであった。
宮崎のケースは、結果的にあまりうまく行かなかったのだが、日本が原材料供給基地となり、加工を海外に移す可能性は、ほかの業界では珍しくない。木材産業だって例外と考えない方がよい。
つい先日、新しいコンパクトカメラを購入した。
前のカメラは、パソコンとつなぐデバイスが故障したので、この際と後継機種を買ったのだ。同じメーカーだと使い方はすぐにわかるし、電池なども共有できるし…という算段で、しかも性能はアップ。ネットで探し出した実質9000円と格安の品だ。
で、それを使って撮った写真を紹介しようと思う。どうせ、暑い土曜日・日曜日に小難しい林業談義なんぞ読みたくないだろうから……。
見た通り、アジサイの花である。今、これが人気であることを知っているだろうか。
いや、アジサイとしてはとくに珍しい品種ではない。ガクアジサイ。注目してほしいのは、その形だ。正確にはいくつもの花が集まったものだが、わかるかな?
そう、ハート形をしているのだ。
毎日、外に出て働いている人は知らないだろうが、今ワイドショーやローカルニュースでやっている天気予報では、このハート形アジサイの花がちょっとしたブーム。ハート形をしたアジサイの花を見つけて喜ぶ、というパターンが広がっているのだ。
いや、私がたまたま数番組で見かけただけなんだけどさ。
この写真は、約5万株のアジサイがある全国でも有数の生駒山のくさか園地(大阪府立公園)で見つけたもの。どうだ。ちょっと葉で誤魔化している(^^;)ところはあるが、ハート形に見えるだろう。
……この写真を覚えておいてね。
というのは、この写真を最後に、カメラは写らなくなったからだ(泣)。
突然、故障した。電源が入らないのだ。電池も問題ない。何がなんだかわからないよ。
ただ、記憶としては一度落としてしまっている。でも、拾い上げると、その時は問題なく写ったから安心した。そして、このアジサイ園の写真を撮影したのだよ。スイッチ押し間違えて、動画まで撮っている。
それなのに…… 。・°°・(>_<)・°°・。。
修理に出そうか迷う。だって、前のカメラも修理代より新しいカメラと思ったのだから。
保証期間中だが、一度落としたことを追求されると困るなあ。それが原因かどうかわからないけど。
撮影したのは、アジサイ園のほか、ほんの数枚だけだよ……。というわけで、暗く落ち込むのであった。
以前、このブログでも紹介した、「吉野材」を使った「暮らしの道具」デザインコンペの最終審査会及び発表会が開かれる。その案内が届いた。
日時は、7月13日(水) 14:00~17:30(開場13:30)
もともと3月17日に予定されていたものだが、震災のために延びたものだ。
そして会場は、フォレスタ虎ノ門内イベントスペース。つまり、数日前に紹介した森カフェのあるところ。正確には、そのカフェの隣のスペースである。
吉野に森カフェと重なれば行きたくなるのだが、う~ん、東京は遠いぜ。
誰か行きませんか。
詳しくは、http://heart-tree.com/information/110708.pdf
コンペそのものの詳しい内容は、こちら。
http://heart-tree.com/kurashi/index.html
吉野林業や審査員についても紹介されている。
ここで優秀賞を取れば、本当に製作販売されるのだから、よくあるコンペより現実味のある商品開発だ。
ここで売れる商品が登場し、素材生産から最終商品まで一括して扱える体制を作れれば、ここに「大林業」の素地が生まれるだろう。
吉野の美しい人工林を、高付加価値につなげることができれば、美しい森こそ、もっとも儲かる森という森林美業(笑)とでも名付けてオルタナティブな林業システムにしたい。
昨年度の木材需要動向が発表された。
それによると、毎年伸び続けてきた木材自給率が、ついに頭打ち。1,8ポイント下げて、26.0%となった。
平成12年に、18,2%からいきなり20,0%に跳ね上がったことから始まった、木材自給率の回復は、昨年の27,8%という高い数値から、一転落ち込んだ。
もっとも中身を見ると、総需要量は7025万3000立方メートルと、前年比で11.1%も増加している。国内生産量も1823万6000立方メートルと、こちらも前年に比べて3.7%の増だ。
一方、木材輸入量は、5201万8000立方メートル。前年に比べ14.0%の増である。つまり、国産材より輸入量の方が多かった。
また経済動向からみると、すべてにおいて拡大基調なのだ。
製材用材の総需要量は、7.9%増加
パルプ・チップ用材の総需要量は、11.5%増加
合板用材の総需要量は、17.1%増加
その他用材の総需要量は、17.4%増加
なんか、景気が回復しているように思えてしまう。
自給率が落ちたのは、国内生産量を上回るほど輸入量が増加したからにほかならない。木造住宅の新設着工戸数や、紙の生産量が増加したからである。景気の悪さを感じていたが、数字は違う。
なぜ輸入量が増えたかと考えると、やはり円高が進んで価格が下落したことが大きいと思う。加えて国産材の増産体制が間に合わなかったのではないか。
実は、昨年は今年と正反対のことが起きていた。リーマン・ショック後の需要落ち込みに対して、外材はより大きく急減した(対前年比18.9%減)のに、国産材の落ち幅は少なかった(同6.1%減)。それは大口需要先の契約の形式とか、国産材指向などのおかげだろう。
結局、数字のトリックによって自給率が3,8%も急伸して、27,8%になった。
ところが今年は逆転して、国産材生産量は増えたものの、木材自給率は下がったのである。
こうして見ると、木材自給率50%という森林林業再生プランの目標も怪しげなものに見えてくる。
ちなみに来年は……震災の影響で国産材の生産量がどうなるかがカギだろうね。
現在国上げて進められている「大規模・機械化・画一的な林業」。このアンチテーゼになる林業を、いかに呼ぶかを考えている。
直訳的に裏返すと「小規模・手づくり・地域差のある林業」てか。ちょっと意味わからんし、しょぼいイメージになってしまう。
こちらの狙っているのは、景観も環境も経済も満足させる林業である。景観は、所有者や作業者が働いて楽しめる林業の意。
そこで「美しい森づくり」と綺麗にまとめようと思っているのだけど、すると気になるのは、すでに「美しい森林づくり」という言葉が使われていることだ。さらに「美しい森林づくり全国推進会議」まである。
ただ中身は全然違う。この言葉や組織は、そもそも安倍内閣時代の松岡農相が作ったもの。具体的な中身は、京都議定書による地球温暖化防止のためのCO2削減に林業を結びつけたものだ。ようするに補助金をジャブジャブ注ぎ込んで、間伐促進を押し進めたのである。会議は、今もそのことを掲げているようだ。
この「美しい森林づくり」は、美しいどころか森を汚したと思っている。間伐自体は、森づくりの重要な作業だが、ここでは伐り捨て間伐ばかりが増えて、切り捨てられた残骸が林床にゴロゴロしている森にしてしまったし、搬出間伐の場合も列状間伐も多くて、画一的な森林になった。環境的にもよろしくない。しかも大規模・機械化でもあった。
だから、「美しい森づくり」というと、こちらのイメージが重なりそうで避けたい。
そこで「森林美学」を使えないかと思っていたのだけど、こちらはザーリッシュから始まる近代ドイツ林学の歴史が色濃いのか、またもや誤解を招きかねないことを感じている。しかも、この森林美学の末路は、学界にあまりよいイメージを残していないようだ。
もっと素直に見て、美しい森が環境的にも経済的にも価値も高い……といった新たな林業のイメージを伝える言葉はないだろうか。
単純に、多様性林業とか高付加価値林業の方が意味を連想しやすいか。しかし、風流さに欠ける(⌒ー⌒)。未来林業、なんてしたら、永遠にたどり着けない気がする。
いっそ、新・森林美学とか、新林美学とか(笑)。いや美林づくり。森林美づくり。美林業。夢林業。
中身も決まらないのに名を決めてからというのは邪道ぽいが、形から入るのも大事だよ。
誰か、よいフレーズを思いついたら教えてください。
国産合板メーカー最大手のセイホクグループの石巻工場。
震災で壊滅状態で、果たして再稼働できるのか疑っていたが、7月上旬、つまりもうすぐ再開させるまでに復旧したそうだ。
ちょっと驚きだ。
なぜなら4月に私らも現場を見たからである。
記事によると、まず再開させるのは第1と第3工場らしい。写真はどの工場なのか私には判断できないが、月産約5000立方メートルを見込む。
第2工場やグループ会社・西北プライウッド石巻市工場も順次復旧させ、年内に震災前水準(月産3万立方メートル)まで戻すという。また木質チップの製造を行っていた「環境テクノセンター」は、一足早く先月23日に再稼働し初めている。ここでは震災の木質ガレキも受け入れるそうだ。
さらにホクヨープライウッドの宮古市の工場も、7月に再開するという。
ものすごい馬力だ。セイホクグループは、石巻市内の8つの全工場が津波で被害を受けたており、被害総額は約183億円に上る。これを4か月で再開してしまうなんて……。
工場の器だけでなく、機械類もみんな海水に浸かったり流されたことを考えると、新工場を立ち上げるのに近い手間と労力がいっただろう。
震災復興が遅れているというニュースばかりが流れているが、粛々と進めている部分はあるのだ。
そういえば4月に訪れた時に驚いたのは、高速道路が曲がりなりにも回復していたことが数十キロに渡って1メートル以上の断層が走っていた道路が、2週間程度で高速走行を可能にするまで回復していた。
そんな努力を進めている部分にも目を向けたい。
ところで、不思議なのは、海岸に近く、工場はへしゃげるほどの津波の被害を受けているのに、意外や丸太類は無事であったことだ。
このとおり、貯木場には山積みのまま。この向こうは海なんだけどね。それとも、散乱した丸太を積み直したのか?
でも、この丸太、使えるのかな……。
東京では、モア・トゥリーズも訪れた。
本ブログでも幾度も紹介している岩手県住田町の木造一戸建て仮設住宅の建設に際して、その資金援助を申し出た団体だ。
プロジェクト・LIFE311 である。
この件について驚くことを聞いてしまった。
そもそもこのプロジェクトは、住田町の仮設住宅が一戸建てであることや、被災地ではなく隣接自治体に建てることなどから、国や県の支援を受けられないことから始まった。110棟建てて、そこにペレットストーブを入れることから、1棟約300万円かかる。そこで費用を約3億円と見込んで、モア・トゥリーズはそれだけ集めると啖呵を切ったわけである。
ところが、この事実が多くのマスコミで取り上げられ報道されると、県も無視できなくなったらしい。住田町が建てた仮設住宅を買い上げるという打診があったそうだ。つまり、もう建てて入居者もいるので、建設費を援助できないから、住宅ごと県のものとするというわけだ。
つまり、3億円を県が出してくれるというのである。
だが、住田町の多田町長は、どんな判断をしたか。
断ったのである\(^o^)/
せっかく民間(モア・トゥリーズ)が、寄付を集めているのに、県からお金をもらったら、これまで集まった浄財の行き場がなくなるではないか。やはり約束した信義を重んじたのである。
この瞬間、モア・トゥリーズは、確実に3億円の負債を抱えることが決定した(^^;)。
もはや逃げ道はないぞ。
ちなみに本日の時点で集まっているのは、2580万7436円。目標額の1割にも達していない……。
担当者は、ロト6を買おうかな、と呟いていました(笑)。
募金の性質上、そして仮設を建設した業者への支払いを考えても、今年一杯が勝負のはず。奮闘を期待しています。
そして。ぜひ皆さんに支援をお願いしたい。
東京往復の行程で手にしたWEDGE7月号。
ここに拙著『森林異変』の書評が載っていた。
ちなみに、今号には「人にやさしい技術」という連載で
「燃料代も節約
木質ペレットが
森林を救う」
という記事も掲載されていた。これによると、なかなか木質ペレットの製造も奥が深いな、と思わせる。ただ製造メーカーは、まだ利益を出していないようだ。いかなる技術も、経済性が普及を左右する。
なお、巻頭特集は「それでも原発 動かすしかない」。
私は、あえて世相に逆らう「原発推進」を掲げるのはいかなる論理か、楽しみに読んだ。
残念ながらつまらなかった。言い古された論理の羅列である。原発が止まったら電力供給が危機になる、日本経済がアブナイ、の一辺倒だ。必死で原発擁護するために努力しているという意図だけは伝わってくる。
そのほか「国が前面に立てば原発は動かせる」とか「東電だけが悪者か」「発送電分離より大型化を」と、まさに時代錯誤ばかり(笑)。原発は使えないという前提で経済を組み立てる発想がないなあ。
浜岡原発を止めたことも、高さ15メートル津波を想定していないから止めるなら、日本中の原発を止めねばならない、という批判。そのとおり。止めろよ、全部。
残念ながら月刊誌は、回転が遅い。7月号に掲載する記事は、おそらく5月一杯が最終締め切りだろう。マスコミの論調は、5月の原発擁護から6月からの原発たたきに舵を切ったことが反映できなかったのではないかな。
近年、森カフェという名が広がっている気配がするが、その元祖?を訪れた。
東京・虎ノ門のフォレスタ虎ノ門にある森カフェ(正確には「森カフェ and DINING COMFORT」である。)だ。昨年末にオープンした。
http://www.foresta-toranomon.jp/index.php
これ、みんな吉野材らしい。
なかでは、ランチやディナー、カフェが楽しめる。アルコールもある。朝は、玉子かけご飯があるとか。
私は、ランチだが、セルフであった。サラダやご飯、パンは取り放題。ただ料理は、女性向きの量であった……(^^;)。
注目すべきは、この「割り箸の木」だろう(笑)。店内には、何本もある。
いかなる料理も、吉野の杉割り箸が出るのだ。これは特筆すべきお店である。(食事の祭に、ここから抜き取るわけではない。)
そう、このお店、実は奈良県と深い関係がある。昨年までは、遷都1300年祭の宣伝ベースにもなっていたらしい。経営は、奈良県、吉野町、株式会社きんだい、NPO法人Yoshino Heartとが連携し、南都銀行がサポートしているという。
とくにNPO法人Yoshino Heartは、吉野の産物を宣伝販売するために設立されたもので、中心となるハートツリーという会社は、国産割り箸をナチュラルローソンに下ろしている。
また、このフォレスタ虎ノ門には、森カフェ以外にも、レンタルオフィスやレンタルスペース、プリントショップも併設している。場所が霞が関のすぐ側という立地もあるのだろう。
吉野に興味のある、林業に関心のある人で、東京・霞が関に寄る際は(あるいは霞が関で働く人は)、一度は覗いてみて。
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