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2011年8月

2011/08/31

「れいほくスケルトン」の危機から考える

れいほくスケルトン」をご存じだろうか。

高知県の嶺北地方で考え出された林業と建築の連携による木造住宅キットのことだ。スケルトンというのは、構造材が見える真壁構法の家という意味だろう。

ごく簡単にまとめれば、林業家と製材所と工務店が結びつき、注文に応じて山から木を出し、設計図どおりに製材して納品する。中間マージンが少ない上、ロスが出ない。だから山元に多くお金を還元できる仕組みであった。

それが、今や存続の危機にあるという。

直接の原因は、その推進者であった製材所である森昭木材の社長が急逝して、会社も倒産してしまったことだ。さらに「れいほくスケルトン」システムを動かす協議会も解散したという。森昭木材以外に、住宅一軒分の木材を全部製材できる製材所が、この地域には少なかったということもシステム瓦解の理由に上げられるだろう。

http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000001108300002

私は、『森林異変』にも記した通り、今後の林業の生きる道として、「大林業構想」を提言している。それはとりもなおさず、林業は山だけを考えていてはダメなのであり、建築などエンドユーザーまで見据えた生業にするということだった。つまり、林業と建築業の緊密な連携が重要だということである。

その幾つかの例のうちの一つが、この「れいほくスケルトン」だった。

しかし、たった一人の中心的人物の逝去で瓦解する。せっかくのシステムも、実際に動かすノウハウと熱意のある人物が動かしていたのだ。システムは見かけであり、動くエンジンは人物であったということだろう。そして、小さな組織では、往々にしてそれは少人数が背負っている。それは「れいほくスケルトン」だけでなく、会社自体が倒産したことが示している。

田舎の人材不足(人口不足というべきかも)ゆえの悲劇かもしれない。

これは一般論だが、組織とは一人のカリスマに頼って運営すべきではない。国家がカリスマ的な指導者を求めたら、それは独裁者だし、小さなNPOだって一人に頼ると、ほかのメンバーは受け身になり思考をストップさせる。そうした中からは後継者は生まれない。

先に本ブログに書いた「多様な林業を知れば考える」も、実は同じことだ。国とか林野庁とか県など上部機関の指導を仰ぐ経営者は、思考をストップさせやすい。
震災対応に関して、国は何もしてくれない、という批判があるが、それを口にするのは、自身も何もしていないからかもしれない。一人一人があの手この手の経営を考えねば、生き残れない。

それは、フリーランスも同じだけどね。。。。

2011/08/30

林学は林業、山村を扱う総合学問

8月も、いよいよ明日で終わり。学生にとっては夏休みの終わりになる学校も多いだろう。

そして受験生も、夏が終われば終盤戦。もはやラストスパートする体力勝負だ。

ふと思い出す、自分が受験生であった頃。

私は、どうしたことか農学部の中でも林学科を選んだわけだが、当初は「森林学」をしたくて選んだのであった。ところが入学してわかったのは、林学とは森林学ではなく、林業学であること。産業の一つとしての林業に必要なことを学ぶ。

だから大学の林学科に席を置いていた時、中身は各方面の幅広い学問分野を含んでいることに気がついて驚いたことがある。

直接森林に関係ある植物学動物学、さらに専門的な樹木学、造林学、そして森林生態学はもちろん、土壌学気象学、病理学、そして生化学もある。まあ、この当たりは森林学にも通じるからよかったのだが、それ以上に重視されたのが、機械・土木、そして砂防や治山、水文学などの工学であった。また測量実習もあった。
さらに文系の法学、経済学、経理学、政治学、社会学歴史、地理まで何らかの形であるのだ。労働法規とか会計学まであって、帳簿の付け方まで教わる。

これで「文学」があったら完璧だな、と思ったのを覚えている。もしかしたら林業文学なんて講義を行ったら面白いかもしれない。

おかげで、森林学をめざした学徒だった私は、呆然として焦ったのだが、思えばこの総合学問的な様相が、非常に役に立った。むしろ私は、森林に絞った林学より、総合学的林学が向いていたのではないかと思う。
だいたい理系でありながら数学や物理は苦手だったし。一方で歴史・地理など社会学系はかなり得意だった。意識せず、林業や山村から遊離しなかったのである。

今の私は、この総花的学問がつくったのではないか。

しかし、なぜ林学とは、こんなに幅広い状況なのだろう。改めて考えるに、林学が扱う林業とは山村地域そのものを扱う学問だからではないかと、思い出した。

林業学ではなく、山村学だったのだ。そして山村は、さまざまな分野を内包した総合的な世界だから、否応なく広い分野を学ばなくてはならなくなったような気がする。

もっとも、今や「林学科」は、ほとんど姿を消した。変わって「森林科学なんとか科」とか、「生物資源なんとか科」なんて名前になっている。

こうした名前に変えたことで、結果的に学問の幅を縮めているのではないだろうか。

そして、(かつての私のように)森林学をやりに大学入ったのだから、林政や経理学なんてやりたくありません! と思っている学生も増えているのではないか。おかげで森林昆虫ばかり集めて、ビジネスなんぞに触れたくないと思っている研究者もいる。

当時から林学と林業の乖離が問題視されていたが、いよいよ林業を研究して、現場に返す意識を持った人は育たなくなるだろうなあ。

……と、夏の終わりに考えたのであった。

2011/08/29

木造仮設住宅を供給する工務店と職人の協会が設立

全国木造建設事業協会が、9月1日に設立される。

と言っても、なんだ、この団体は? と思ってしまうが、(社)工務店サポートセンター全国建設労働組合総連合が、各都道府県と災害協定を締結して、木造の仮設住宅供給などを行う一般社団法人として設立する業界団体だ。つまり、仮設住宅を主なターゲットにしているのだ。http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110827k0000e040026000c.html

ちなみに一般社団法人・工務店サポートセンターは、全国の工務店でつくる会員約2000社あり、全国建設労働組合総連合は、組合員約64万人の大工・左官などの団体である。

震災では、5万戸以上の仮設住宅が求められたが、すぐに対応できたのは、各自治体と災害協定を結んでいる(社)プレハブ建築協会が大半を占める。残念ながら地元の工務店や、木造住宅関連メーカーは、対応できなかった。

住田町のように話題になったところもあるが、木造メーカーが出遅れたのは間違いない。それは災害協定の問題や、材料供給網がつくれなかった、職人も被災者になったことなどが原因だろう。おかげで木造仮設住宅の供給数は、500戸程度に留まっている。

ただ住み心地の点では、圧倒的に評判がよいのが木造だ。暑さ・湿度などで木造は有利なのだ。被災者の心の癒し度でも、金属・ボードばかりのプレハブよりよいだろう。

そこで、この協会は、平時から自治体の対策会議に入って情報交換を行うことで、木造の仮設住宅の供給力を整備しておこうという計画だ。それに加えて、大工と工務店の業務および技術支援、後継者などの人材育成、研修といった地域工務店育成事業も実施するという。

工務店と職人とは、何かと雇用・被雇用の関係になると対立しがちだが、この協会の誕生と、仮設住宅というキーワードで両者が前向きの情報交換と協力体制が築けるのならよいが。

2011/08/28

戦国時代の合戦もの

テレビで絵画「BALLAD ~名もなき恋の歌」を見る。

アニメの「クレヨンしんちゃん」からのファンだが、なかなか見応えあった。

とくに感心したのは、時代考証。戦国時代の小さな山城や当時の武士の住宅などの再現具合は、驚嘆もの。そして合戦には、どれほど木材資源が費やされているのかも感じさせてくれた(~_~;)。

柵や物見台などはもちろん、松明とか野営用の仮設小屋(昔のテントか?)なんぞ、全部木製で再現していて、すごい。私が知っている歴史モノの考証とほぼ同じだ。

そして合戦場所が、禿山だというのもいいねえ。昔の山は、あんなに禿山が多かったんだろうな、と妙にリアリティを感じた。ロケはどこでしたのだろう。

ただ、「川上の大クヌギ」には無理がある。戦国時代に植えたとしたら、樹齢400年を超すことになるが、クヌギはそんなに長寿命ではないはずだから。せいぜい100年くらいだろう。映っていた大木も、それくらいに思えた。クスノキぐらいにしておけばよかったのに。

ともあれ、気分は戦国時代の森林・木材事情の視察へとタイムスリップしていたのである。

……こんな見方をしたら、映画に失礼かなあ。

2011/08/27

多様な林業を知れば考える

本日は、広島からお客様。それもお嬢様(笑)。この業界なら知る人の多い、中島彩さん林業女子にして、就森女子だ。そして、生駒山上遊園地の元ピンクレンジャーだ。

里帰りの途中に寄ってくれた。

もっとも生駒に来た目的は、私!ではなくて、スリランカ料理店「ラッキーガーデン」のカレーである( ̄ー ̄)。彼女、カレー・マニアらしい。

幸い、昼間は天候もよくて、生駒谷に奈良盆地を見渡すロケーションの中でスリランカ料理を堪能してくれたようだ。

その後、ヒツジやらヤギならと戯れたり、ラッキーガーデンを楽しむ。

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 なぜか、ラッキーガーデンで増殖中のバナナの木の前で。このバナナの葉は、料理にも使われている。

ところが、目の前の矢田丘陵の風景を見て、「あの山、人工林に変えたら林業やりやすくていいのに」。生駒の自然保護関係者が聞いたら、目をむくようなことをサラリという(笑)。
さらに、基本的に雑木山である生駒の中で、めざとく人工林を見つけ、「お、スギとヒノキの混交ですね」とさらり。山を見ると、どの程度の材積で、どのように伐って出すか考えてしまうとか……。ちょうど今、伐出担当で、いかに効率よく伐って高く売れるよう造材するかばかり考えて計算しているそうで、もう職業病である。

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生駒山にもある、人工林。でも里山の風景より、人工林に目を向けるのは、やっぱりビョーキだと思うよ……。

 

だから会話も色っぽくなるわけはなく、林業のことばかり(笑)。グラップルの操縦とか軽トラの運転の楽しさとか。。。そして、「毎日、木を伐って、玉伐りして、トラックに積み込んで……と同じ作業をやっているのに、なぜこんなに楽しいのだろうと思う」とまで言った。どこかに工夫の余地があって、それをこなすのが楽しみなのだそうだ。完全に現場の人である。

ついでに太くなった、二の腕まで見せてくれた(^o^)。いや、もう私もかないません。

ただ話していて思ったのは、林業の多様さであり、森林の奥深さである。間伐一つとっても、やり方が違う、目的が違う、そもそもの発想が違う。
樹木も、想定外の生長ぶりを見せる。荒れ果てた無間伐地にも、まっすぐな木がすくすく育つ。直径1メートルはある大木が、くっつくように並んで生える。間伐って、本当に必要なのと思わせる現場がある。
私のような耳年増には、現場の話は大いに参考になった。

日本の林業は、まさに地域ごとに別物になっている。さらに手がける人が、自分の創意工夫でノウハウを築き、どんどん変化している。

そこで、ふと思った。林業界の改革のためには、新しい方法を教えるのではなく、自分で考え出すチャンスを与える方が近道なのではないか、ということだ。
森林林業再生プランのように、新しい施業方法を中央が用意して、さあ集約化しなさい、作業道入れなさい、機械化で生産効率アップだ! とあてがうのではなく、さまざまな林業地を見せたり、理論を聞かせて、自分で自分の手がける林地にはどれが向いているかを考えさせるのだ。

国は、「林業家は、考えるのが苦手、教えて叱咤しなくては動かない」という前提で施策を考えているようだが、それは愚民政策だ。そもそも考える機会を奪っていたことに原因があるのだ。

トップは、これが一番よい方法だから、みんな覚えなさい、という態度ではいけない。現場の創意工夫を奪いかねない。

考えさせるためには、全国にいろいろある多様な林業を現場の人に見せることから始めるべきだ。それも、相反するものを視察させる。

たとえば作業道なら、大橋式と四万十式のほか、私の知っている中には「幅6メートル、盛り土はせずに全部切り落としでつくる」作業道とか、一度使ったら放棄する作業道もある。それらを全部見せ、各方法のメリットデメリットまで教える講座に参加させて、自らの林地にはどれがよいか考えさせる。

同じく、造材の千差万別のやり方を、各地の「名人」に語らせてもよい。
さらに植林法、下刈り法、枝打ち法……と幾種類ものやり方を教える。そうすれば、自ら一番自分のところに向いた方法を選ぶはずだ。

ただし、無思考の「これまでどおり」という選択肢は排除しなければならない

だから現場作業員が、各地の視察にどんどん送るべきだ。決して慰安旅行ではなく、東にシンポジウムあれば参加させ、西に講座があれば申し込ませる。

そうしたら、頑迷な林業家も、目の前の仕事だけでなく、グローバルな視点で林業を考え、創意工夫でよりよい施業方法を身につけるのではないかな。

だから、彩ちゃん。11月に奈良で開かれる全国育樹祭のシンポジウム、参加しなさい(笑)。

2011/08/26

間伐・間伐材利用コンクールに、割り箸が入賞!

GTF AWARDS 2011 平成23年度間伐・間伐材利用コンクール

というのがあるのだが、その中の【間伐推進中央協議会賞】に、割り箸が入賞した。

れは「三県復興希望のかけ箸」

つまり、岩手の気仙杉と、宮城の栗駒杉、そして福島の磐城杉でつくった割り箸である。

詳しいことは、http://www.gtf.tv/award2011/2011result.html

そして受賞者自らのブログ、http://ozizo-kun.iwaki-takahashi.biz/

を読んでいただきたい。ちなみに、この受賞者というのは、本ブログでもよくコメントを寄せていただいている方である。

福島県いわき市で割り箸づくりに挑戦したことで私も応援させていただいていた。7月に福島訪問を果たしたときも、いろいろ労をとっていただいている。

極めて厳しい状況の中で、このような賞を授与されたことは、喜ばしい。

もちろん、単なる割り箸ではなく、アイデアとデザインが高く評価されたのは間違いないが、割り箸に新しい可能性を世間に感じさせることができれば幸いだ。

そして、彼だけでなく、全国各地で「新しい割り箸」に挑戦する声が上がっている。製造に加えて販売方法だって、いろいろ挑戦する余地があることを感じる。

私が『割り箸はもったいない?』を書いた時から大きく時代は動いている。これは、割り箸第2弾の執筆を考えないといけないなあ(笑)。

2011/08/25

「コクリコ坂から」に登場する緑

ジブリ・アニメ「コクリコ坂から」を見た。

ここで映画評はしないつもりだが、ひと言。これ、大人向きアニメだ。おそらく40歳以下の人には描かれている物語の背景が半分も伝わらないのではないか。40歳以上だって、ある邸と知識が必要だ。
ジブリのアニメということで、子供連れが多かったが、案の定、途中で騒ぎだした。子供禁止のアニメ指定してほしい。

さて、肝心の? アニメに描かれた緑だが(笑)。元造園家の宮崎吾朗監督は、どのように昭和30年代の横浜を描いただろうか。

これまでのジブリの背景とは、ちょっとタッチが違う。あえていうならば、これまでが水彩画なら、こちらは油絵のよう。舞台が都会なので、森らしい森は出てこなかったが、緑豊かな住宅地は頻繁に出てきた。高校も丘の上の緑に囲まれている。

私が一目見て思ったのは、「マツが多いな」であった(~_~;)。庭木などにマツが多く描かれているのだ。さすが、マツクイムシがまだ蔓延していない時代である\(^o^)/。
これは、宮崎吾朗が、深慮したうえで描いた植生なのだろうか。それとも、当時の写真などを参考にしたら自然とこうなったのか。

それにしても、緑が多い街だ。今の横浜にこれほと緑はあるだろうか。そして小さな港町風である。当時だって大都会だったはずだから、何か願望が入っているような気がする。

そして、洋館がやたら出てくる。(主人公の住む家と、学校のカルチェラタンなる部室小屋?は、ともに明治の擬洋風建築である。内部の階段の手すりは、まるでウィリアム・ヴォーリズ設計の建築物のようであった。
だが、部屋の中には畳があって、ふすまがあって、いかにも日本家屋。家具も木製で、(私には)懐かしい勉強机があった。

それにしても、カルチェラタンの3階建ての洋館は、高校にはもったいない(笑)。

なかなかの佳作の小品であった。

2011/08/24

いつ完成? 山国林業の解説書

ようやく受け取った、「大堰川の筏をめぐる民俗技術」DVD。

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これは、昨年度私が取り組んだ仕事である。

大堰川とは、一般的には保津川という名で知られる京都の川だ。京都北部の丹波地方より流れ出ている。

このうちの京北地方を「山国」と呼ぶのだが、ここは日本でもっとも古い林業地帯である。この地域から出した原木は、大堰川を筏で流したのだが、その伝統的林業技術を記録する仕事だった。

この林業地帯の歴史については、多少、このブログでも紹介したことはあるが、古いだけでなく持続的に現在まで続いていることに特徴がある。なかなか興味深く、また私も木馬体験ができたし、なかなか内容は面白かった。

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これが、DVDの内容。結構、みっちりある。貴重な映像も多い。

この事業は、文化庁の「ふるさと文化再興事業」というのだが、窓口は京都府亀岡市で、私もその一員となったわけである。もちろん、私がDVDのような動画を担当するわけはなく、DVDとともに刊行する解説書の執筆が仕事だ。
さらに言えば、私の担当したのは筏流しではなく、植林-育林-伐採-搬出まで、「山の仕事」部分である。ただ取材過程では、伐採から木馬を使った運搬まで実演現場にいたから、映像にも映っているはずだ(まだ見ていない(^^;)。恥ずかしいし)。

見た人によると、私が木馬を引っ張ろうとして動かない様子が映っていたという……。

この仕事はトラブル?続きで、かなりイヤな思いもしたが、とにもかくにも昨年度で終わる。国の事業なんだから、年度単位なのである。私が執筆した原稿も、3月中に納めている。

内容は、少なくても私の執筆したところは、なかなかの出来だと自負している。イラストも入って、わかりやすく過去の技術を示したし、現在の状況も紹介している。

ところが、なかなか完成しないのだ(?_?)。通常は、印刷期間を含めても4月中旬にはDVDともども解説書も刊行されなくてはならないのに。

今回、ようやくDVDが届いたのだが、解説書はまだだ。初校も出ていないのだから、多分当分無理だろう。だいたい執筆時は全32ページだったのが、なぜか70ページになっているらしい。(私は執筆量を増やしていない。)
この手の事業には専門家による審議会もあって、内容をチェックされるのだが、それをパスしてからページ数が2倍以上になるというのは何なのだろう。増えた分の経費は誰が払うのかなあ。

助成金を出した文化庁も、期限までに事業の完成品が提出されていなくても平気なんだな。チェックもしないのか。まあ税金ばらまくのが仕事で、完成したかとうかなんかどうでもよいのかもしれん(*^.^*)。窓口は、国の金使って遊んだのか。

だいたいDVDそのものが、どこに保管されて、公開されるかも不明確。多分、各地の教育委員会?とか図書館、博物館に寄贈されて、そのまま眠ってしまうのだろう。

もし、DVDを見たいと思う人がいたら、亀岡市に問い合わせてください(~_~;)。ついでに「解説書はないんでしょうか」と聞いてみるのも面白いかも。

ところで、先月福島県の森林について取材したのだが、それを週刊誌「AERA」に執筆した。すぐに掲載するというので、大急ぎで8月頭には書き上げている。……ところが、未だに掲載されないのである。

最初は「記事が多く集まりすぎて翌週に」「盆の休刊日にかかってしまった」ということで1週、2週と延期になったのが、その後、「五山の送り火」騒動があったので」のびのびとなり、いよいよ来週! の予定だったが、今度は島田紳助の引退があったから、また先送りだそうである。

週刊誌って、こういうことがしょっちゅうだからなあ~。年を越さないことを望む。

2011/08/23

朝令暮改の林業を推進する

またまた、昔の自分の著作を読み返すシリーズ(笑)。

10数年前の自作の中に、人工林に関して論じていた記事があるのだが、そこでは「人工林は伐らねばならさない」と力説している。

それは、人工林は人間が利用するためにつくった森で、収穫する必要があること。そして、森林としても、適度な間伐をしなければ健全に維持できないことを熱く訴えている(笑)。

だが、最新作の『森林異変』では、「禿山が増えている!」と訴えているのだ。「伐りすぎでしょ」というわけだ。10年前、自分は何を書いたかなんて覚えていないよ(^^;)。

古い文章を、少しいじってなんとか今風にならないかと悪戦苦闘した。

半日頑張って、あきらめた。もう、この記事は使えない。全面的に書き換えるしかないだろう。

なんと、林業の変化の早いことか。私自身も、取材して、記事に書いて、出版するまでのタイムラグで事態が変化していることを感じたほどだ。ほんの数カ月で変化しているのである。

かつて林業は、樹木の時間で進む、と言われた。それは目先の経済情勢に惑わされて、あわてて政策を変えたり施業方法を変えることを諫めた言葉だ。人の一生と変わらない速度でしか生長しない樹木を毎年いじったらダメなのだ。

明治以降、肉本の林政はコロコロ変わった。森林収益説か土地収益説か、天然更新か人工更新か、皆伐か傘伐か……なんて、言葉だけでもいっぱいつくられた。

一つの実験的施策の結果を見る前に、新たな政策を取り入れることもままあった。逆に実験結果を現場に反映させる暇さえなかった。

たとえば森林林業再生プラン。いつまで続くか(@_@)。

だが、この10年を振り返ると、あまりに経済環境の変化が大きい。あっと言う間に世界中の木材資源が枯渇したり、世界同時不況が起きたり、木材需要そのものが変化する。昔通り(いつの昔か、が重要なんだけど)の林業が生き残ることができるかどうか疑わしいだろう。

もはや林業も、カメの歩みでは生きていけない。ウサギにならなくてはなるまい。キョロキョロ周りを見回して、進む方向を探す目端の利いたウサギに。

といっても、樹木の生長速度を変えることはできない。むしろ樹木の生長は変わらないことを前提に、その周辺の政策・目的・作業方法……などを変化させねばならない。

これまでの政策変更は、いわば外部に合わせて林業を変えようとしてきた。だが必要なのは自律的に変化を進めることだろう。さもないと、引きずりまわされ感がある。

朝令暮改の林業。この方法を考えてみよう。

2011/08/22

祭の準備と小回りビジネス

このところ、お疲れモードである。

先週は、突然長野まで車で往復することになったわけだが、往路は集中豪雨で、復路も雨まじりの中を約5時間走った。帰り着いたのが午後3時だった。

その日は、地元町内会の祭が開かれる。私はパスしたかったのだが、副班長ということで動員がかかっていた。

帰ってすぐにも関わらず打ち合わせ会に出なければならなかった。幸い?雨がパラパラ降っていたので、私はてっきり中止だと信じて……。ところが、決行するというのだ。生鮮品を購入しているからだ。

そのまま会場設営に取りかからねばならない(;_;)。

雨対策としては、テントを張るのである。私は、ブルーシートをタープ代わりにして会館の玄関に雨に濡れないスペースを確保する作業をした。

これまで、この手の設営に駆り出されることはままあったが、たいてい私は余計者であった。田舎人、とくに林業関係者がいると、あれよあれよというまに小屋を建ててしまったり、水道を引いたり、目的とする設備をつくってしまう。彼らは、本業でなくても、工夫して物を作る能力は高いと感じた。

こんなとき、私は邪魔にならないように、周辺をぶらぶらすることにしている(^^;)。そして手伝えることを見つけて,少しだけ手を出す。

ところが、この祭の会場では、ほとんどの人が何をしてよいのかわからない状態だった。誰が何をするために動いているのか、右往左往。指導する者もいない。

しかも驚く行為もある。ロープを固定するのに、窓にまきつけようとするので、「それは危険です!」と止めに入らねばならない。テントの下で躊躇なく炭火を起こすのも怖い。下手するとテント地が溶けるぞ。

やはり大半は、街の人なのだ。結構お年寄りもいたが、あまり「昔の経験」はないようだ。むしろ、若手でもアウトドア経験者の方がまし。農林業の従事者が見せる、あの多彩な能力は、ここでは見られない。

農業者を百姓というように、100の仕事をこなせなければ農業はできない。同じく林業もそうだろう。しかし、街の人は一部に長けた能力はあっても、「なんでもこなす」という能力に欠けてしまいがちだ。

 

 

効率を優先すると、分業体制を築いた方がよいそれを押し進めたのが町であり都市だ。そして都市が発展できた大きな要素かもしれない。
しかし、行き過ぎた分業は機動力に欠ける。分業した一つが欠けると、全体が動かなくなるし、また改革しようにも広範囲に影響があるため、抵抗が強い。分業したために相手が利益配分を争うライバルになる。

この不確実性の時代、むしろ小さなビジネスの方が安定していて利益も確保できるのではないか、と考えてみる。

実は長野で取材した林業地も、人口は1000人あまりだった。ほかにも新たな試みを始めたところは小さな村や小さな会社が多い。小さければよいのではなく、小回りの効く体制を築いていることだ。と言っても、得意ではない分野まで手を出しているのではない。その分野が得意な相手先を見つけて連携しているのである。

これからは、大規模化や分業の時代ではないことを感じる。むしろ自分たちで完結できる規模で戦うことだ。

ニッチ産業かもしれない。しかし、ニッチゆえにライバルとなる参入者はいない。しかも先にノウハウを身につければ、後発に追いつかれる可能性も低くなる。自分たちに足りない部分は、連携・ネットワーク化で補えばよい。連携相手とはウィンウィンの関係を築けば、破綻することは少ないだろう。

と、こんなビジネスモデルを考えたのである。

2011/08/21

ゴルフ場のナラ枯れ

ゴルフ雑誌を読んでいると、「ナラ枯れ」問題の記事があった。

緊急特集として、ちゃんとした専門家の寄稿である。連載になるようで、今号では完結していない。

ゴルフと言っても、これは経営者向きであり、ゴルファー向きの雑誌ではないのだが、おかげでナラ枯れのメカニズムや原因のさまざまな説が整理されていて、なかなかわかりやすい。ただ、肝心の対策となると、決め手はないようだ。

しかし私にとっては、ゴルフ場にとってもナラ枯れは一大事なのだ、ということがポイントである。かつてマツ枯れが全国に広がって(今も蔓延しているが、もうピークをすぎている。かつての4分の1くらい)、その時もゴルフ場にとっては大変だったようだ。なぜならマツは、日本のゴルフ場の大きな景観要素になっていたからだ。

幸い、ゴルフ場は防除に力を注ぐ余裕があったから、むしろゴルフ場には多くのマツが残るようになった。

そして今度は、ナラ(正確には、クヌギやコナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワ……なとブナ科の広葉樹)がゴルフ場にとっての大切な景観要素になっていることがうかがえる。

たしかにゴルフ場敷地の半分を占める残置森林は、多くが里山でありコナラなどが多い。それは黄葉する景観をつくってもいる。

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生駒市近くの秋のゴルフ場。黄葉しているのはコナラだ。

これが一斉に枯れたら大変だろう。ゴルファーの不興を買うに違いない。

景観が重要という点では、景勝地と同じだ。これまで、ナラ枯れは、直接経済的損失に結びつきにくい面があったが、ゴルフ場の損失という点からも心配すべきかもしれない。

2011/08/20

森林組合長の環境教育

昨日から、長野県の某地域に取材に行っていた。

取材は順調に進み、訪れた森林組合。ここで組合長と会う。実は、以前別の場所で偶然あったことのある人で、その時は村長だった。今は村長は辞めたが組合長をしている。なかなか大物なのである。

いや、取材のテーマになった、この村の林業も、ほとんどこの元村長=森林組合長がシステム化したと言ってよいのだ。

もっとも、話は取材というより雑談になっていたのだが、そこで組合長の机の上を覗くと、原稿用紙があって、そこに鉛筆で何か書かれている。それを組合長は消しゴムで消したり書いたりしていた。

「なんですか、それは」

私は、誰かの視察の報告とか、村を訪れた子供からの礼状(作文)とかを想像したのだが。

「孫の夏休みの宿題なんだ」
「はあ? それを孫の宿題をじいさんがやっているんですか」
「いや、それが中一なんだけど、夏休みの自由研究みたいな作文らしくて、そこに書いたのがわしの話した話なんで、読んでチェックしている」

そこで、その作文ができるまでの経緯を聞いた。

「孫がうちの村に遊びに来たら、川で泳いで遊ぶんだが、そこにバスで子供たちの団体が来ているんだね。一緒に遊んで泳いでいたらしいが、毎日別のバスで団体が来る。それで、『あの人たちは誰なの?』と聞くわけだ」
「彼らは、川の下流の町の小学生だよ、と教えたら、『なんで、この村まで来て泳ぐの?』って」

「泳げるような綺麗な川は、うちの村のような上流しかないんだ、と教えると、『なぜ上流は水がきれいなの?』

「上流の山には、木が植えられているだろ。森があると、水がきれいになるんだ。でも、森は放っておいたらダメになる。土砂が流れ出て水もきたなくなる。森は、人の手で世話をしなくてはならない。間伐したり、その木を使うことで森をよくすることで、水もきれいになる。それが林業なんだ、と教えた。それを作文にしたわけ」

おお、素朴な疑問から、水のこと山のこと森のこと、そして村のことにつなげていったのだ

見事な環境教育になっている。しかも、おじいちゃんは森林組合長にして元村長。できすぎた話だ(笑)。

「でも、3枚書かなくてはいけないのに2枚で終わっている。だから、あと1枚増やしてやろうと思って書いているんだ」

それは、余計です(^^;)。孫のためにならないよ。

※、この項目のカテゴリーを何にしようかと迷ったが、「森林療法・森林セラピー」にした。だって、癒されるじゃないか。

2011/08/18

林業は、ニーズでなくシーズの産業

戦後長く、林業は売り手市場だった。木材不足が続いたからだ。

文句付けるなら売らない、といえば良かったのだ。それが林産業界を傲慢にして、無茶苦茶な商売やっていた。そのツケを払っているのが現在の業界で、国産材が売れなくなった理由の大きな部分を占める。

そして、今は買い手市場だ。消費者が何をいくらで買うか決める。国産材でなくても外材もあれば、非木質素材もいっぱいある。選べるのである。

現代の経済社会では、エンドユーザーがバイイングパワーで主導権を握っている。アイテムも価格も、消費者が事実上決める。ニーズが先。消費者があって、商品をつくる、素材を供給する、ことが大前提になっている。

 

……と、ここまでが、前段。拙著『森林異変』でも記したことだ。

しかし、もう一歩深く考えてみよう。あこぎな商売は別として、本当に木材を買い手市場のままにしてもよいのか。

林業・木材産業のネックは、樹木の生長が自然環境と時間に縛られていることだ。その点が、ほかのプロダクツと大きく違う。

完全な買い手市場に対抗するには、この自然環境と時間のくびきを絶たねばならない。
たとえば、同じくびきを背負う農業では、水耕栽培など野菜工場をつくることで、かなり克服した。気候などに左右されずにつくれるうえに、栽培時間の短縮にもつなげた。作物を変えるのもかなり簡単だ。同じ工場で、いくつもの作物を切れ目なく生産できる。消費者の注文に応えようとすると、ここまでいかねばならぬ。

林業も、こんな方法で、買い手市場に対抗するか。

「もしもし、毎度。ヒノキの6メートル柱100本と、モミの幅30センチ2メートルの板300枚、来月まで届けられない?」

 

「来月までですか。厳しいなあ。ヒノキなら、第3工場の出力をアップして増産してるからなんとかなりますが、モミは今どき稀少ですねえ」

「それが突然、大口の注文入ってん。なんとかならんか」

「……では、明日から第2工場の特別促成栽培室を稼働させて来月末には間に合わせましょう。ただモミは早く生長させるには特殊な薬剤使うんで、材質がちょっとひずむんですわ。そこんとこ、了解してくださいよ」

 

「かなわんなあ。歪みは最小限にしといてや。乾燥で調整できるやろ」

……とかいう会話をして、木材ビジネスが展開できたらいいのだが。試験管で苗育てて、養液栽培で木を数カ月で育てるのだ。

もちろん、無理だ(-.-)。


 

おそらく林業は、最後まで生産が先にある。ニーズは、素材に合わせてつくらねばならない。いわゆるシーズから始まる産業である。シーズとはビジネスの種である。

この点が、決定的に現代社会の経済に合わない所以だが、だからといって諦めてはいけない。むしろシーズからニーズを生み出す産業体系を構築するべきだろう

幸い木材≒森林には、目に見えない魅力を備えている。ときにそれは、熱狂的にとりつかれた人が出る。それは宝石とかブランド物と同じである。キャラクター産品にも近い。
彼らをプロダクツ側に引き込めば、シーズを最大限にニーズへ近づけることができるはずだ。

残念ながら、現在の林業は生産側が孤立して、本来味方にすべき流通を消費者側に追いやってしまった。潜在的なファン層をないがしろにしたのだ。そのため国産材というシーズを捨てて、ニーズまかせに木材以外の素材を全世界から調達させている。

シーズからニーズまでの間をつなげる人材を探せ。

2011/08/17

福島キノコで除染計画

福島県は、シイタケ原木となるコナラやミズナラの産地である。全国のシイタケ産地に送られて、ホダ木として使われてきた。

ところがホダ木から放射性物質が検出されたことで、事実上県外への移送ができないようになった。おそらく福島県以外の東北諸県でつくられるホダ木にも心配が広がるのではないか。そのため、今後数年間は原木シイタケは品薄になると思われる。
だから菌床シイタケ(おが屑なとの培地によって栽培されたシイタケ)が増えるかもしれんなあ……と思っていたのたが、今度は菌床からも放射性物質が検出された。

徳島県紙か且つ超の上勝バイオである。なんと、その菌床培地は福島県南相馬市でつくられたおが屑だったのだ。と言っても、検出したのは最大420ベクレル程度。通常、問題になるレベルではないと思うが……。シイタケは食品なので難しい。

上勝バイオでは、全部相馬市に返却するという。自分たちで処理するのがイヤなのだろう。処理費は東電と国に請求するというが、いつ払われるやら……。せこく感じてしまう。

 

キノコ類は、放射性物質を吸収しやすいと言われる。チェルノブイリでも放射線測定の指標にキノコを使っているそうだ。

おそらく広く菌糸を延ばして土中の水分や栄養素を吸い上げるからだろう。植物の根よりもずっと広範囲に、しかも吸収力は強い。おかげで菌と共生した植物は元気になると言われているのだが、それが裏目に出てしまった。

そこで考えた。いっそのこと、キノコが多くの放射性物質を吸収する性質を利用して除染してはどうだろう。

まずキノコを森林土壌で大規模に栽培する。そして子実体、つまりキノコを腐葉土とともにかきとり収穫すれば、土壌の除染になるのではないか。

どんな種類のキノコがよいかわからないが、胞子をまくだけで、簡単に生えるものがよい。食べられるものではなく、できるだけデカく、数も増えやすいものがよい。色取り取りで美しいものも楽しい。

もしかしたら、巨大化して、腐海になるかもしれない(~_~;)。毒の胞子をまき散らすかもしれない。

でもね、ナウシカの腐海は、放射能を除去して大地を綺麗にする機能を持っていたんだよ。それを焼き払ってはダメなんだ。(と、にわかアニメオタクになる)

2011/08/16

超文化論「山の景観を知らない新日本人」

近頃、環境考古学や環境民族(民俗)学などという分野が生まれてきている。

ようは、自然環境が人類・民俗の文化に与えた影響を追っているわけだ。

たとえば日本人は、森林環境に育まれ、木の文化を育てた。欧米人は沙漠の環境に鍛えられ、石の文化を築いた。とかいう類。

実は、私も昔はハマった。熱帯・極地・乾燥地帯と、農耕民族・狩猟民族・遊牧民族の文化を体験的ルポで描いた「極限の民族」(本多勝一著)なんかも、大いに影響を受けた。

もっとも、だから日本人は温厚で自然と共生する文明を育て、欧米人は森を破壊し闘争と拡大の市場原理主義を生み出した……と主張されると困る。

そもそもヨーロッパが石の文化だとするのも怪しい。もともとゲルマンの民は森の民族だった。その後の発展過程で森林の多くを失い、仕方なく石造建築物を増やした歴史がある。そして今はまた森林が増えている。木材も日本以上に使っている。
日本も、森を大切にしてきたというのは幻想だ。常に日本列島は森林破壊が続き、ただ気候が森を救ってきた面は否めない。

とはいえ、森や山が間近にあることによる情操への影響は、少なくないだろう。木を使わなくなると、木を大切に思う情操をも失う恐れがある・・・と警告を発しているのは、そのためだ。

森があることの影響に触れたが、これを山に置き換えてみたい。

日本では森と山は同義的に使われるが、正確に言えば、森は木が3本、森林は5本あれば平地でもいいが(^^;)、山は地形としての盛り上がりが必要である。そして、森林以上に広がりがなくてはならない。つまり山の景観とは、視界が広いのだ。

 

実は、関西人が東京に移り住むと、一時期ノイローゼになる、とまことしやかに言われているのだが(^^;)、その理由は山が見えないことである。

東京は(日本としては)広大な関東平野のど真ん中にあり、少々見回しても山が目に入らないのだ。実際、私も北関東へ列車で移動中、いつまでたっても山が見えないのでなぜか焦った。こんなの、景色じゃない! ぐらいに思った(笑)。

同じ地形をしているのは、日本なら北海道くらいだろう。だから関西だけでなく、たいていの地方から関東圏(もしくは北海道)に行くと、山が視界にないことで落ち着かなくなる。
大阪なら、都心でも見渡せば生駒山と六甲山は絶対にある。神戸はもちろん、盆地の京都だって山が目に入らないということはない。それなのに、東京では、山がない!

山が視界にないと、ふとしたことで心が落ち着かなくなり、心細くなる。眼の片隅に山があるから、心の拠り所を設けることができるのだ。ただでさえ東京は地についた文化がない地域なのに、山がないためノイローゼに陥るのだろう。
一説によると、東京の大学に進んだ新入生の7割、江戸に転封になった徳川家の三河出身の家臣の大半は鬱に苦しんだという。 ・・・勝手につくって書くなよ\(-_-メ;)

おそらく昔は、山がないと言ってもそれなりの地形の凹凸があり、視界に曲線が伴っていたと思うのだが、近年の開発で高層ビル街では、人工的な凹凸だけとなり、地形は見えなくなった。かくして起伏のない土地で生活するために、三半規管が退化して頭がおかしくなるのである。

三代東京暮らしの江戸っ子は、生まれ育った時から山を見ていない。山がないという環境に染まった新日本人である。
そのため、山を間近に知っている日本人とは精神文化の根が違うのだ。きっと。

山を感覚的に理解できない。森も、平地の孤立した存在として体感しているから、急斜面に立地する広大な森林を元に生まれた森林文化がわからないのである。

……こんな文化論を展開してやると、なんか気持ちよいなぁ。

2011/08/15

筏の思想・路地裏の視点

夏の旅の一手法として、STB(ステビー)がある。ステーションビバーク、つまり駅寝だ。
駅舎を寝床に続ける貧乏旅行。

かつてSTBの達人である某氏にインタビューしたことがある。
彼は、名門高校の教師をしていたが、STBについて熱く語った後に、その価値を次のように説明した。

ヘイエルダールの『コンティキ号漂流記』を知っていますか。彼は筏でポリネシアまで渡ろうと企てるんですが、周囲の人から20世紀の海は探検し尽くされて、もう未知の世界ではないと言われるんです。しかし彼は、航海中、夜になると深海魚が海面近くまで上がってきたのを見るんですね。鋼鉄の船に乗っていては気づかないことが、波と同じ高さの筏の航海なら体験することができる。旅でも、駅寝することで見えてくることがあるかもしれません。私は、これを『筏の思想』と名付けているんですけどね」

ヘイエルダールはノルウェーの人類学者(というより探検家)で、南太平洋と南米ペルーの文化に共通点があることから、南米より南太平洋へ渡った人類が、ポリネシア人だという仮説をたて、それを実証するために、当時のペルーにあったバルサの筏で太平洋を渡る冒険を試みた。その筏の名がコンティキ号。私も子供時代に読んで熱中した本の1冊だ。

残念ながら、彼の仮説はその後否定されて、むしろポリネシア人が南米に渡ったことが証明されているのだが、筏の思想を生み出したことは、大きな業績かもしれない(^o^)。

こんな昔のことを思い出したのは、路地裏を歩いていたから。散歩していると、いつも車で走る道から、気がつかなかった路地が別れていることに気づき、そこへ分け入ったのだ。家と家の間を抜け、意外なところで畑に出食わしたりしつつ抜けていく。曲がりくねった道には、見知らぬ地蔵様が祀ってあったり、不思議な飾りのついた屋根の家があったり。

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今は幹線道路となった広い道はまっすぐ延びるが、こんな味のある景色は見られない。この曲がったルートは、昔の地形を残す。そして田畑の境界線だったのかもしれない。周りは住宅街なのに、そこだけエアポケットのように森が残っていたり、寺と墓地が見つかる。つまりは、路地こそ街の歴史を体現する。

そこから見える街の景色は、車で走りながら見たつもりになっている普段の景色とは違うのだ。路地裏から見ると、街のイメージが一新する。

かつて、この地域は、棚田地帯だったらしい。いや、その前には深い谷があり、急流があったようだ。そこには修験道の行場もあったことが痕跡から浮かび上がる。その周りは、森に覆われていたようだ。名残の木も残っている。表層の奥に隠れた歴史が滲み出ている。

さしづめ、これは「路地裏の視点」である。

山の中を歩いても同じ気持ちになる。ハイキング道を進むだけでは見えないものを森の中に見つけることができるか。緑一色の山でも、ちゃんと植生の変化があり、過去に人の手が入った痕跡を発見する。それが本当の森の姿なのだ。見知らぬことに気づくことが、本質に迫る近道である。

見知った世界を未知の世界に変える眼を持ちたい。

2011/08/14

燈火会~東大寺法要

真夏の奈良の夜と言えば、燈火会、というのが、だんだん知られるようになってきた。

これは、まだ始まって13年目の行事なのだが、11日間、ロウソクの燈火で奈良公園を浮き上がらせる風情あるイベント。広大な奈良公園のそこかしこが光に浮かぶ。

なかなか奈良の神社仏閣にしっくりきて、名物となった。このイベントを仕掛けた朝廣佳子さんは、「観光カリスマ」にも選ばれている。

さて、昨夜と今夜は、会期中でも特別な催しがあった。東大寺の大仏殿が夜間参拝できるのである。しかも無料(笑)。

これを目当てに出かけてきた。

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まずは、こんな燈火による天の川。これは春日野園地か。
いくつもの会場で、このような燈火の波が広がる。

会期中は、毎晩、数万灯に及ぶロウソクが点灯されている。



  
   

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夕闇にシルエットになっているのは、南大門
夕焼けは、生駒山にかかっている。

大仏殿の鴟尾も美しい。

   

   

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このような竹の燈籠も作られている。

ちょうど春日山にかかる満月が見事であった。この日に満月で、しかも晴天になったのは、本当に運がよい。
   

 

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そして、いよいよ大仏殿に入場。

よく見てほしい。この夜の大仏殿は、単なるライトアップだけではない。大仏(盧遮那仏)の尊顔が、外から参詣できるのだ。
窓が開くのである。これが楽しみ。

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さて、中に入れば、やっぱり大きいわ。何度見ても圧倒される。とくに夜の参拝ならではの迫力。上半身が大きく作ってあるので、見上げても顔が小さくならない。

そして、この晩は、「東日本大震災 物故者追善並びに被災地復興祈願法要」が営まれていた。足元に僧が並び、唱えられる声明には、胸に迫るものがある。



    

 

ふと、思った。大仏を作った時代、天災や飢饉、地方の反乱が相次ぐ中で、国の富を集める大仏と大寺を建設したために、国家は破綻状態だったのではないか、と言われている。

また、このブログでは、大仏を作ることによる水銀公害や資源枯渇などブラックな部分に目を向けたり、あるいは大公共事業としての経済政策ではなかったか、と指摘してきた。

しかし、やはり素直に、大仏は国家安康を願う聖武天皇の祈りの結晶と見てもいいのではないか、という気がしてきた。

2011/08/12

ケナフは消えたか

10数年前の自分の記事を読み返すシリーズ。
(そんなの、あったっけ?)

面白いことに、ケナフを持ち上げる記事と、ケナフ批判の記事の両方があった。

一つは、製紙用パルプを得るために森林伐採が行われている状況について、非木材パルプの可能性を取り上げて、バナナの廃棄物やサトウキビの搾りかす、そしてケナフという植物もあるよ、というもの。

ところが、その記事から数年後、ケナフ批判を展開している。

ケナフは二酸化炭素をよく吸収するから地球温暖化防止のために植えよう、という運動が広がっていることについて、徹底的に間違っていることを指摘しつつ、野放図な栽培がケナフの野生化を起こしかねないこと、それが日本の在来種を駆逐して生態系をゆがめる危険性があることを訴えている。

まあ、そこに書いていること自体は、今も間違っていないと思う。

ケナフは紙の材料になる。しかし、地球温暖化防止には何の役も立たない。管理せずに種子をばらまくような運動は危険。いずれも、現在でも通じるはずだ。

結果として、現在はどうなっているのか。

まずケナフ栽培熱は、すっかり冷めたようである。

まず産業界は、ケナフを日本国内で栽培して紙をつくるのは無理と考えている。

そして市民団体も、ケナフに関してはたいして活動していないようだ。私も含めた批判が多少は効果があったかどうか。いや、そもそも市民運動はすぐに飽きて、次のテーマに移るものだ(笑)。

しかし、一時は学校の校庭から河川敷や、野山にまで勝手にケナフの種子を散布するような真似が行われたのだから、もしかしたら野生化しているケナフがあるのかもしれん。

だが、大繁殖までは行かないようだ。熱帯原産の植物だけに冬の寒さで翌年まで保てなかったのかもしれない。
また成長時にものすごい栄養を吸い上げるらしく連作障害を引き起こすらしい。それが野山ではネックになった可能性もある。

いずれにしても、日本の生態系をおびやかすまでにはいかなかった。(もちろん、温暖化が進むと、ケナフにとって育ちやすくなるかもしれないが。)

そういえば、一時期問題になったセイタカアワダチソウも、今ではあまり見かけない。荒れ地によく生えるのだが、かつてほど日本に荒れ地がなくなった証拠かもしれない。

今後の執筆では、10数年後に消えるのか残っているのか、よく考えて取り上げよう。

今ホットだけど、将来消えそうなものは何か。

誰か、教えてくれ(笑)。

新月伐採かな? 熊森かな?

2011/08/11

月下美人の花に見送られ

今夜は、飲むお約束。

家を出る夕方、玄関先に月下美人が花のつぼみを膨らませていることに気づく。

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5つ6つのつぼみが着いていた。

今春は、突然の寒波にやられ、結構弱っていたのだが、幸い復活した模様。

 

 

そして、相変わらず,ぐてんぐてんになって深夜に帰って来たら、しっかり咲いていた。

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独特の甘い匂いがただよう。

枯れるかと思えた傷跡も癒えて、しっかり咲く花を見て、酔っぱらいながらも元気になる。

でも、明日の朝にはしぼんでいるのだなあ。

夜咲く花の寿命に思いを馳せ、しばし匂いに酔う。

2011/08/10

書評「ぼくは写真家になる!」

私の友人でもある写真家、太田順一さんの「ぼくは写真家になる!」 (岩波ジュニア新書)を読み終えた。

ジュニア新書とは言っても、子供向きに書いたわけではない。

ジャーナリストに憧れて早稲田大学に進むが、学園紛争に巻き込まれて中退し、ならばと映画づくりに取り組むが挫折。帰郷して会社員になる。そんなある日、たまたま手にとった写真専門学校のパンフレットのせいで、夜間コースに通って卒業。そのまま小さな新聞社に転職したのち、独立してフリーになる。

この頃私は彼と知り合っているはずだ。

実は、一緒に仕事をしたのは数回止まりで、たまに飲みに行くこともあるが、ほとんどは偶然どこか出会って立ち話をする……という仲だ(^^;)。最近あったのは、数カ月前に、なぜか喫茶店の席に背中合わせに座っていた。帰る際に気づいて挨拶した程度。

同じ奈良在住だからかもしれないが、不思議な関係ではある。

しかし、彼は独特の作風とこだわりで作品づくりをする。

写真集を列挙すると、
女たちの猪飼野』(晶文社)
大阪ウチナーンチュ』(ブレーンセンター)
ハンセン病療養所 隔離の90年』『ハンセン病療養所 百年の居場所』(解放出版社)
佐渡の鼓童』(プレーンセンター)
化外の花』(ブレーンセンター)

などがある。在日朝鮮人、在阪沖縄人。ハンセン氏病罹患者。和太鼓集団に、工場地帯に咲く野花。……マイノリティの世界を描く。とくに好んで選んだわけではなく、そうした世界の仕事が転がり込んでくるらしい。
ものすごく地味だ(笑)。でも、ものすごく味がある作品群。日本写真協会賞作家賞などを受賞している。

写真集だけでは食べていけないのだが、逆に開き直って、1冊作るのに何年もかけている。

これらの作品を作る過程が描かれている。断片的に製作中の裏話も聞いていたが、改めてこんな意図を持って取り組んでいたのかと驚く。阪神大震災の時は、幾度も撮影依頼を断ったというエピソードもある。

そういえば、写真を撮るだけでは満足しなくなったことをいつだったか聞いた。動かぬ写真だけでなく、描き出したいものがあるとか。それで文章の世界にも足を踏み入れているとか。
その点は同感だ。私は、写真の世界に手を延ばすか(笑)。

先に会ったとき、別れ際に、「また、一緒に仕事しましょう」と言った。いや、本気である。
自然写真を得意とする人に森林の写真を撮らせるより、彼に山村を、限界集落を撮らせたい

2011/08/09

カモシカからクマへ

十数年前に書いた自分の文章を読み返し続けている。

そこに「カモシカは増えているか」というテーマがあった。カモシカの獣害が問題になっていた頃である。植林しても、全部ニホンカモシカ食べられるという事態に、
これはカモシカが増えているから」と
天然林がなくなり餌が足りないから人工林の造林地に押し出されてきた
という意見が対立していた。そして駆除に対する反対運動が起きていた。なんたって、カモシカは特別天然記念物だったから、文化庁が味方である。

さて、その実態は……と追いかけていくのだが、その結論はいうまでもない。カモシカは増えているのだ。それどころかシカまで増えていた。今やカモシカ害よりシカ害の方が深刻だ。

この論争には、妙な既視感がある。

だって、同じことを現在はクマで話題にしているのだから。ヒグマやツキノワグマが人里に出没して、農作物を荒らしたり(林業的にはクマハギを起こす)、出会い頭の人を襲うケースもある。大量に駆除しても翌年も被害が出る。その駆除数は、推定生息数を上回るほど?とヘンな話になっている。

そこで、その原因は……というと
クマの数が増えているから」と
天然林にドングリなどの餌がないからクマは人里に出てきた
説が押し問答している。

さて、この結論は、どうなるのだろう。

過去の拙文では、カモシカやシカが増える条件はあるが、クマが増える条件がない、と書いてある。繁殖力は弱いし(数年に1、2頭)、ドングリの木は減っているし、冬眠場所の確保も困っている様子だし……というわけだ。それでも被害が出るのは、クマの行動範囲がほ想定以上に広いからかも、と推測したりしている。

しかし、現在の知見では、おそらくクマは増えているのだろう。ドングリが足りないどころか、豊富な餌に恵まれているらしい。
まだ十分に増える条件を示せたわけではないが、もしクマが増えているのなら、どこに見落としがあったのか。

ある意味、科学は過去の常識を、いとも簡単にひっくり返すから恐ろしい。記事を書くときも、覚悟がいる。

幸い、私は過去の言説に捕らわれて自説を曲げないほど、自分の考えに囚われない。頭と腰は軽いのである。腹は重いけど(^^;)。


 

思い返せば、カモシカ騒動は、私の学生時代だったので、卒論でカモシカの生態を扱えないかと山にこもったことがある。しかし、雪の積もる中、1週間追いかけても姿はチラリと見えるだけ……で、データを集める時間を考えると卒論に間に合わないと諦めた(^^;)。

これも頭と腰が軽い証拠だ(笑)。

一方で、ツキノワグマの冬眠穴調査もした。猟師と山を駆け……私は必死についていくだけだったが、幸か不幸かクマには出くわさなかった。なかなか野生のクマと出会う機会はない。

でも、恐れずに言えば、クマには会いたいなあ。日本唯一の猛獣とされつつも、まだ生態が謎の動物と、もし間近に出現したらどうなるだろう。お互いの目が合ったら、もしかして人生が変わるかもしれん。。。と夢想する(笑)。

2011/08/08

電力不足とバイオマス発電

電力不足が各地で問題になってきた。原発の停止に加えて、先日の豪雨で水力発電まで使えなくなったところが多数出たからだ。とりあえず、今ある発電施設をフル稼働させなければならない。
そうなると、コストアップも否まず発電出力の増加を目指さなければならない。

とすると、バイオマス発電も見直されるかもしれない。これまで、作ったはいいが、燃料用の木材(建築廃材のチップやペレットなど)が高いのであまり使われていない発電設備もあるはずだ。
また林野庁もガレキ発電に動き始めた。ガレキ処理は公共事業だから、それに便乗してバイオマス発電を行うのである。

さらに、一般の火力発電所もバイオマスの混焼を増やすだろう……。混焼率は、1~3%しかないが、そこにもっと投入するのではないか。

なんて思っていたら、宮崎で意外なことを聞いた。

これまで混焼していた火力発電所では、逆に混焼を止めていると言うのだ。

なぜなら、バイオマスを燃やすと発電効率が落ちるから。
今ある火力発電を最大限に出力上げないといけないから、石炭や重油を燃やすのだ。バイオマス、つまり木材は電力量確保には向いていない。

ちなみに木質は、石炭・石油など化石燃料を比べると半分以下の出力しかない。水分含んでいたらもっと落ちる。そんなものを燃やしたら、出力が落ちてしまうというわけだ。

世の中、うまく行かないものである。

やはりバイオマス発電は、林業・木材産業振興後の付随する発想であるべきなのだ。それも、小規模分散型の炉を普及させてから、そこに混焼させる量を確保する。

残念ながら、緊急事態に応えるだけの力はないのだろう。

2011/08/07

投資情報サイトの林業観

「モーニングスター」という投資情報サイトに、林業情報が取り上げられている。

タイトルには、「国産木材に商機、東日本大震災被災地に木材安定供給へ政府がテコ入れ」とある。

そして、五年ぶりに見直された森林・林業基本計画のことや、森林・林業再生プランとか震災のガレキと発間伐材による木質バイオマス発電を紹介している。

細かなツッコミは抑えて、こんな説明もある。

国産材は高価で、輸入材は安価というイメージがあるかもしれないが、今や価格差はほとんどない
「一方、国産材は林業人口の大幅減少により、供給能力が小さく、強度や精度の計測が不安定なことも多い。このため、輸入材による集成材が木造住宅造りに使われることになる」

安定供給ができないことや、強度などの明示がされていないことを、林業人口の減少のせいにされちゃった。同じ見立ては、後半にもある。

「林業従事者が減少した現在、間伐や木材の切り出し、加工など製材までの作業に人手が足りず、十分な供給量が確保できないのが悩みとなっている」

ちぇっと、ちょっと、と突っ込みたくなる(笑)。

しかし、注目?すべきは、次の解説だ。

「しかし、国産材には美しさがある。材木を柱や梁、板にした時に、枝を伐採した時の痕跡である「節」を目立たないように、年輪の緻密(ちみつ)な木を作るために、「密植」を行う」

本当に国産材が美しいのかはさておき、その美しさを見えなくする建築のことをご存じないらしい。いくら美しい材を作っても、消費者は見えない部分に金をかける気がするだろうか。

そして結びは、「今後、木造住宅には新たな需要が発生するだろう

本当かあ。本当なら、嬉しいなあ(^^;)。

でも、こんな認識で林業を論じるのが、一般のビジネス評論なのだろうな。

最後に「民間企業として日本一の森林を持ち、国産材での木造住宅にこだわる住友林業」が登場するところは、住友林業に投資せよ、と誘導しているのだろうか。

ちなみに民間で最大の山主は王子製紙だけど。住友林業の家は、大半が外材じゃなかったかなあ。別に住友林業に投資するのに反対はしないけどね。

と、暑い夏に、いちゃもん付けてみました。

2011/08/06

『森林異変』が問題に

『森林異変』が問題に……このタイトルを書いてから、自分で笑ってしまった。

何か、『森林異変』の内容に危険な部分があって問題視されてしまったのだろうか・・・。そう自分で考えてしまったのだ。

いえ、実は『森林異変』の一部が、小中高生向きの国語問題に使われることになったのである。昨日、問題集の製作をしている会社より、「著作物使用許諾のお願い」が届いた。

それによると、4つの問題集に使われるそうだ。同じ文章だが、そこから作る問題は、小中高生に合わせて変えるのだろうな。

4月発行の本の文章が、早くも問題用に選ばれたのには、ちょっと驚いた。

これまでなら、まず入試問題に使われて、それを収録する入試問題集に取り入れられ、その後派生的に使われることが増える……という状況だったが、最初から問題集入りだ。

 

受験生の皆さん。私の本を買って読むと、受験に有利ですよ(^o^)。

もちろん、どこの部分を使うかとか、どんな問題になるかなどはお教えできない。しかし、全体を読んでおけば、よろしいんじゃないでしょうか(笑)。

2011/08/05

北海道新聞の一面に……

ちょっと遅くなったが、以前受けた、北海道新聞の取材の記事が届いた。

わざわざ生駒を訪れていただき、取材を受けたのだ。場所は、もちろん私の応接間・ラッキーガーデンだ。

それは「月曜考」というインタビュー記事で、2面に載った。わりと分量がある。イマドキの「外資の森林買い占め」疑惑に関することから始まり、割り箸やゴルフ場の自然まで、幅広く取り上げていただいた。

気になるのは写真だ。ほぼ全身が写っているのだが、腹部が膨らんでいるように見える。これは見える、だけであって、本当の腹は出ていないのである。あくまで、取材でラッキーガーデンで昼食を食べてお腹が一杯だったからである。うん。そうに違いない。

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それはともかく、ちょっと驚いたのは、一面にも、私の顔写真が載ったこと。



それも、題字のすぐ下だもんな。目立つ。まあ、腹が写っていなくてよかったよ……(^o^)。






ちなみに、今日も某新聞社の編集委員の方がお見えになり、ラッキーガーデンに連れて行った。こちらは取材ではなく、9月のイベントの打ち合わせ。

と言うより、打ち合わせではなく顔合わせだったような。

せっかくだから、暗峠の街道や棚田を案内したり、宮川大助・花子の家を紹介したり。
生駒山ナビゲーターの肩書を持つ私としては、案内するところは多いのである。

2011/08/04

「原発」中毒・「森林」依存症

昨日の稲本正さんの話。

いろいろ面白かったのだが、さすが元理論物理研究者である。宇宙論から素粒子論まで話しだすと止まらない。若き頃、原子の研究から転向して、木工職人へと舵を切った今も、物理に対する偏愛?は残っているとみた(^o^)。

そして、現在のフクイチ・原発事故の話になったとき、意味深いことを言った。

「原子の世界って研究すると面白いんだよ。好きになると別れられない。だから今、電子力ムラと言われている原発研究者や政策推進者は、あれほどの事故を起こしたのに原発から離れられない。中毒になってしまってる
そして「私も、もう少しあの世界にいたら、なっていた」。

この言葉、実に腑に落ちた。というのも、フクイチの事故は、全世界に反原発の動きを広めているし、誰の目に見ても今や原子力が時代遅れであることは明らかなのに、肝心の原子力研究者や原子力を推進してきた政治家・官僚は、今も必死に脱原発の動きを押し止め、推進へと反転攻勢に討って出ようとしている。

それは、単に利権のため……と説明されているが、それでは納得できないものがあった。必ずしも全員が、原発絡みの甘い汁を吸ってきた・今後も吸える立場とは限らない。今の地位が脅かされるとも言えない。それでも、原発の“可能性”を語る。甘い夢を忘れられない。その偏愛ぶりに、なんだかどす黒く、気味悪いものを感じていた。

だが、彼らを原発中毒だと見れば、わかりやすい。原発の理論か、原発が開く明るい未来か知らないけれど、ハマッてしまったのだ。原発・愛なのだ。

愛は、理屈では語れない。どんなに否定されても、どんなに現場の悲惨さを示されても、別れられない。

「あの男は、ギャンブル狂だ」「暴力をふるうぞ」「浮気性だ」と周りが止めても離れられない女のように。いや、性悪の女に貢ぐ男の例もあるように。

もはや中毒であり、依存症である。もしかしたらストーカーのようにもなっている。
原子力の方が、もう勘弁してくれよぉ、と思っているのに「いや、君には素晴らしい未来が開けているんだ」と期待しちゃって追いかける(^o^)。ああ、わが子に無理な期待をかける教育ママに似ているかもしれないσ(^◇^;)

 

 
研究対象には、そんな魔力があることは、少しはわかる。

考えてみれば、森林とか木材の中毒というか、依存症もいるよなあ。新月伐採中毒とか、木質ペレット依存症とか……。

いっそ、「森林」中毒、「木材」依存症を増やすことが、森林の持続性を高めるヒントかもしれない。

何が中毒に引き込むのか分析し、人々の心に、木心の受容体(レセプター)を形成する。すると、レセプターにはまり込んだ木心愛が抜けない。離れようとすると、ものすごい痛みと不快感が引き起こされてしまうのだ。結果、酒のように、煙草のように、麻薬のように、木質から離れられなくなり、森を作らずにはいられない(笑)。
これぞ、1000年続ける森づくりの秘策である。

ちなみに、私も、稲本さんも、中毒にはならない体質みたいだよ。案外、覚めているところは覚めてるんだよね。

2011/08/03

オークビィレッジの新作

オークビィレッジの新作

東京のオークビィレッジ・ショールームにて、稲本正氏と会う。

元原子物理学者である氏の話は面白かったが、話の中で熱心だったのは、オークビィレッジの新商品の数々。
アロマに始まり、さまざまな小物グッズを紹介してくれたが、写真の一品もあった。

なでしこジャパン優勝記念の携帯ストラップだ。

「夢かなうまで挑戦」
「努力に勝る天才なし」

最後まで諦めない」なんて、我が家の受験生向きに買ってしまいそうだなあ。

この商魂たくましさがないといけない\(^o^)/。

2011/08/02

宮崎空港の百年杉

宮崎ネタをいつまで続けるのか……と思いつつ。

宮崎県では、各所で木造・木製品を見かけたが、宮崎空港でも。

1

こんな展示が。

100年すぎ、いや百年杉として、植えた人のの名前まで記して展示してある。個人名の記録が残っているのは、意外と珍しい。吉野でもあんまり聞かない。

そして、これはハイジャック防止の検査場。

3


 なかなかオシャレにまとめているだろう。これが百年杉などの飫肥杉の材を使って作ったものなのである。

ちゃんと説明板には、宮崎かスギ生産量日本一であることも記されている。

こうした玄関口で宣伝することは、重要だね。

しかも、業界では宮崎のスギは生長が早くて年輪の間が広くてスカスカ、などという悪口が叩かれるが(^^;)、こうして百年杉の展示があるおかげで、素人は「宮崎は銘木の産地」と勘違いさせる効果もある(⌒ー⌒)。

そういえば書き忘れたが、先の「チキン南蛮定食」。あの茶碗や味噌汁碗は、木製だった。木を日常に広めている。

実は、これこそ「木育」なんじゃないかと思う。

2011/08/01

「一歩先の林業」~宮崎の現実

週末は宮崎に行っていたわけだが、その目的は、ひむか維森の会のセミナーに講師として招かれたのだった。ひむか維森の会とは、宮崎県の若手?素材生産業者の集まりである。

もっとも、吉田愛美さんも会員(^o^)。

で、現地に入って見たチラシ。

Photo


すでに終わったセミナーのチラシをここで公開することに何の意味もないのだが……。

見よ。「森林異変~日本の林業に未来はあるか」だ。

拙著のタイトルがそのままセミナータイトルになっている(^o^)。

実に有り難い。もちろん同名の拙著『森林異変』の販売もさせていただいた。

考えてみれば、先週の大阪で開かれたセミナーは、NPO法人サウンドウッズの主催。今回はNPO法人ひむか維森の会。この共通点は、どちらもNPOである……ことは一目瞭然だが、実は、どちらも『森林異変』に登場いただいていることだ。

今回のセミナーは、ひむか維森の会が連続してい開いている「未来の林業セミナー」の5回目である。そこで私は、「林業のこれまで」と「これからの林業」について語った(だって現在は参加者が一番詳しいだろうから)、テーマを「一歩先をいく林業」とした。

つまり、あまり先の未来を描いても理想論に陥るだろうし、今よりほんの一歩先に進むために何をめざすか、というお話。

そこで幾つかの提案をしたわけだが、その中でも訴えたのは、素材生産業は、今後伐採だけではマズいだろう、伐採後の植林・育林も請け負うようにすべきではないか、ということだった。その方が仕事も長期的視点を持てるし、地拵えのコストも落とせる、何より森づくりに参画することで自然破壊の汚名を消し、環境産業に脱皮できる。

ところが、終わった後に聞いた話で仰天した。

なんと、会員企業の中には、すでに植林も下刈りなど育林も手がけているところがあったのだ。

そして「地拵えは、もう死語になりつつある」というのだ。なぜなら、全木集材をやっているので、伐採跡地に枝葉などを残さず、そのままできれいな状態になっているからだという。地拵えをする必要がなくなっているのだ。

そして全木集材という方法も、私が紹介した話であった……。

つまり、私が一歩先として紹介したことの一部は、すでに宮崎では始まっていたのであった。

おそるべし、宮崎の林業。

いや、それ以上に驚いたのは、会場には九州森林管理局の人々や県森連、県造林素材生産共同組合連合会……などの人々も参加していたことである。これ、業界事情に通じている人にとっては驚きなのだ。

だって、通常はみんな仲が悪いから(笑)。そもそもひむか維森の会だって、ライバル企業同士の集まりだよ。こうした連携を行えていることは、大きな強みだろう。

次は、「2歩先をいく林業」を話します( ̄ー ̄)。

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