無料ブログはココログ

森と林業の本

« 燈火会~東大寺法要 | トップページ | 超文化論「山の景観を知らない新日本人」 »

2011/08/15

筏の思想・路地裏の視点

夏の旅の一手法として、STB(ステビー)がある。ステーションビバーク、つまり駅寝だ。
駅舎を寝床に続ける貧乏旅行。

かつてSTBの達人である某氏にインタビューしたことがある。
彼は、名門高校の教師をしていたが、STBについて熱く語った後に、その価値を次のように説明した。

ヘイエルダールの『コンティキ号漂流記』を知っていますか。彼は筏でポリネシアまで渡ろうと企てるんですが、周囲の人から20世紀の海は探検し尽くされて、もう未知の世界ではないと言われるんです。しかし彼は、航海中、夜になると深海魚が海面近くまで上がってきたのを見るんですね。鋼鉄の船に乗っていては気づかないことが、波と同じ高さの筏の航海なら体験することができる。旅でも、駅寝することで見えてくることがあるかもしれません。私は、これを『筏の思想』と名付けているんですけどね」

ヘイエルダールはノルウェーの人類学者(というより探検家)で、南太平洋と南米ペルーの文化に共通点があることから、南米より南太平洋へ渡った人類が、ポリネシア人だという仮説をたて、それを実証するために、当時のペルーにあったバルサの筏で太平洋を渡る冒険を試みた。その筏の名がコンティキ号。私も子供時代に読んで熱中した本の1冊だ。

残念ながら、彼の仮説はその後否定されて、むしろポリネシア人が南米に渡ったことが証明されているのだが、筏の思想を生み出したことは、大きな業績かもしれない(^o^)。

こんな昔のことを思い出したのは、路地裏を歩いていたから。散歩していると、いつも車で走る道から、気がつかなかった路地が別れていることに気づき、そこへ分け入ったのだ。家と家の間を抜け、意外なところで畑に出食わしたりしつつ抜けていく。曲がりくねった道には、見知らぬ地蔵様が祀ってあったり、不思議な飾りのついた屋根の家があったり。

2011_0816_045342dscf1073





 

今は幹線道路となった広い道はまっすぐ延びるが、こんな味のある景色は見られない。この曲がったルートは、昔の地形を残す。そして田畑の境界線だったのかもしれない。周りは住宅街なのに、そこだけエアポケットのように森が残っていたり、寺と墓地が見つかる。つまりは、路地こそ街の歴史を体現する。

そこから見える街の景色は、車で走りながら見たつもりになっている普段の景色とは違うのだ。路地裏から見ると、街のイメージが一新する。

かつて、この地域は、棚田地帯だったらしい。いや、その前には深い谷があり、急流があったようだ。そこには修験道の行場もあったことが痕跡から浮かび上がる。その周りは、森に覆われていたようだ。名残の木も残っている。表層の奥に隠れた歴史が滲み出ている。

さしづめ、これは「路地裏の視点」である。

山の中を歩いても同じ気持ちになる。ハイキング道を進むだけでは見えないものを森の中に見つけることができるか。緑一色の山でも、ちゃんと植生の変化があり、過去に人の手が入った痕跡を発見する。それが本当の森の姿なのだ。見知らぬことに気づくことが、本質に迫る近道である。

見知った世界を未知の世界に変える眼を持ちたい。

« 燈火会~東大寺法要 | トップページ | 超文化論「山の景観を知らない新日本人」 »

森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

♪何気ない街の角を
ふと曲がったら…

歌はさておき、
確かに路地裏に入り込むと
(視点を変えると)
いくつになっても
見知らぬことが
たくさん出てくるものですね。

真夜中に1人で林床に横たわって目を閉じると、いろんな音が聞こえてきます。動物の足音も葉の下で動く虫や爬虫類の音も。そして目を開けると樹冠の隙間から星空が。立って見聞きするのとはまた違う。

これも筏の思想かしらん。

東京・五反田から品川駅に抜ける道の一つにhttp://yj.pn/KUjAjD">http://yj.pn/KUjAjDがあるのだけど,これがとんでもない急坂かつ危険な崩壊寸前の石段で,なぜここが立ち入り禁止にならないのか不思議なほどです.でも,そこがいい.先週も通ったけど草だらけになっていてよりアドヴェンチャラスな路地と化していました.うむ,実によいです.東京都目黒区・品川区・港区・千代田区等にはこういう場所は随所にあるのですが,あまりの危険さの故か,そんなに紹介されていません.関西の方で言うと国道(マニア的には酷道)の暗峠や百谷別れが有名ですが,江戸には江戸なりの厳しい道設定があったということで.

 私も普段は(といっても年に数回)車で通る作業道を歩いてみると、いつもと違う感覚や発見があったりします。

 歩くと違う。というか、歩いてその中にしばらくいると、山の様子がよくわかります(当たり前ですが)。

 普段は時間に追われて、必要な作業だけしかこなさないような仕事になっていますが、少し時間をとって、山を歩いて、そして見るといろんな思いをはせることができます。

 山だけでなく、集落や集落跡地でもそうなのです。必要な時しか歩いて現地の確認をしない形態になってしまっている。

 お地蔵さんがあったり、道標があったり、巨木があったり、巻枯らし処理の木があったり、雪起しの番線が残っていたり・・・・。

 ぱぱっと通り過ぎるだけではなく、足で確認する、そういう風な仕事もしていこうと思いました。そして、重要なことだと思いました。

うーむ,こういう「重要」地名を間違えるようでは地理学屋の看板を下ろさなくてはなりませんね.

×百谷別れ → ○百井別れ

です.失礼しました.

お詫びのしるしに紹介記事を貼っておきます.http://www.org-chem.org/drive/meisho/R477.html">国道477号・必殺百井別れ

林床に立つのではなく、寝ころがる。
大都会にアドベンチャラスな道を探索する。
重機用作業道をあえて歩く。

皆さん、十分に「筏の思想・路地裏の視点」をお持ちのようです。何気なく曲がった角の向こうには、異界が広がっているかもしれん。
見えるものが変われば、考え方も変わるはず。森や街のイメージを一新するチャンスです。

ちなみに暗峠。先日、東京からのお客さんを案内したら、ちょうど車で来た人が峠を越えられなくてバックしてきました。
「ナビに出ていたから来たのに」と女性ドライバーは泣きそうでした(⌒ー⌒)。
ものすごく嬉しかったぜ。

いましんりんについてっやています

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 筏の思想・路地裏の視点:

« 燈火会~東大寺法要 | トップページ | 超文化論「山の景観を知らない新日本人」 »

September 2024
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

森と筆者の関連リンク先