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2011年10月

2011/10/31

森林除染と松林

福島の森林における除染が、ようやく注目を集めだした。夏前に私が提起したときは、どこも冷たかったのに……という愚痴はさておき、肝心の除染方法でまた論議が起きている。

というのは、放射性物質は主に落葉・腐葉土に付着していることが確かめられたことから、地表から5㎝程度の土を掻きだせば効果的という意見に対して、危惧する(反対する)?声が出ているからだ。

というのは、森林土壌を5㎝も剥げば、森林の肥沃さが奪われるというのだ。森林土壌1㎝つくられるのに何十年かかると思っているのか、と。そこは多くの節足動物や菌類も棲んでいる……。

しかし、なんだか馬鹿げた発想だ。そもそも、放射性物質を含んだ土壌を肥沃土とすることに違和感があるし、肥沃な森林土壌がよいとは限らないからである。

というのは、戦前、いや戦後すぐまで、里山の森林土壌は常にはぎ取られていた。落葉や腐葉土は、恰好の肥料だったからである。田畑に漉き込むために山の土壌は書き取られたのだ。
だから里山は痩せており、松林が多くなったのだ。おかげでマツタケがよく採れた。現在の森林土壌は、化学肥料などが普及し、薪炭も使われなくなった後に生み出されたものだろう。

また地下の節足動物や菌類の菌糸は、いろいろな階層に延びており、地下深い種類も少なくない。5㎝剥いだくらいで全滅するわけではない。

もちろん奥山には、長く腐葉土をため込んだままの場所もあるが、今回の除染対象となるのは人家の周辺森林だろうから、まさに里山の雑木林や人工林ではないか。つまり、戦前と同じことをするのが、除染になるわけだ。

私は、土壌をはぎ取るだけでなく、木々も伐採したらよいと思っている。そして枝葉を取り除くことが除染になる。幹は、木材になるところは利用し、それ以外はバイオマスエネルギーとしてボイラーで燃焼させる。そのボイラーには、ちゃんと放射性物質を取り除くフィルターを付けておけばよい。

そして、その後が肝心だ。伐採跡地はやはりマツを植えよう。痩せた土地にもっとも向いた樹木なのだから。

今や全国的にマツ材は不足気味。みんなマツクイムシにやられたからだ。また土壌の肥沃化によって天然更新しにくくなった。

しかし、マツクイムシに強い品種は、すでに開発されている。ただ植林する機会が少ないだけだ。しかし、今回の除染活動に合わせて大々的に植林すれば、数十年後には素晴らしい松林がつくれるだろう。そしてマツ材の供給基地として福島は成立できるのではないか。

国産木材と言えばスギとヒノキばかりになっている現状で、マツを増やせば林業地として差別化できる要素になる。

チェルノブイリではマツが早く枯れたという事実もあるのだが、それは強度の放射線に弱いだけで、福島のような低レベル放射能なら生育に問題はない。ただ放射性物質を吸収して枝葉や材に蓄積する心配はあるのだが、これは研究を要する。除染後ということを考えれば、土壌に残る分の量は極めて少ないだろう。
それがマツ材の生産に支障をきたすと想像できない。さすがにマツタケはいくら生えても、食せるかどうか心もとないが……。

現在、大規模な松林が残されているのは、青森県の太平洋岸だそうだ。幸い津波にもあまりやられずにすんだとか。ぜひ機会があれば視察したいと思うが、東北は松林とマツ材で復興をめざせるのではないか、と夢見ているのである。

2011/10/30

熊本の割り箸

熊本で見かけたお店に「ヒライ」がある。

一見、コンビニかと思ったが、扱っているのは食料品だけ。それもカップヌードルやお菓子などのほか、お弁当やおにぎり、総菜などが作りたてで並び、店の一角にはイートインがある。メニューも豊富で朝早くから開いているから、朝御飯を食べたり、お昼もOKなのである。

よく山仕事に行く人が、ここでお弁当を買って山に入るらしい。そういえば菊地森林組合の前にもあった(^^;)。

こんな店が近くにあったら、独り暮らしには楽だろう。どうやらチェーン店だが、私は、朝と昼をここで済ませた。

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この朝御飯が360円。お代わり自由である。


ただ、こんな張り紙も。

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イートイン・コーナーでは、通常は樹脂箸なんだよな。

私は迷いなく、割り箸を要求したけどね。

小さなことからコツコツと。割り箸をお店に求めましょう。

2011/10/29

ホームセンターの木製品

地元に新しいホームセンターがオープンした。

大賑わいであるが、さっそく私も偵察に。

規模はまあまあだが、さして珍しいものが売っているわけではない。そこで私が向かったのは木製品売り場だ。ここをチェックするのは、わりと癖になっている。

私は、ホームセンターで販売する木材、木製品に注目している。
業界側などからすると、ホームセンターの商品は二級品扱いだ。品質はイマイチの上に、価格は安いから作り手の利益はいかほどか……と想像する。しかも大量に安定供給することが求められるから、国産材の生産側からすると厳しくて旨味の少ないユーザーというわけだ。だから、ホームセンターで国産材商品を見かけることは少ない。

しかし、ホームセンターで国産木材商品が普通に売られるようにならないことには、本当に国産材時代が来たと言えないというのが持論である。なぜならDIY市場が占める木材消費量は潜在的にバカにならないからだ。また、エンドユーザーにもっとも身近なところで国産材を見かけないようでは、認知度が高まらない。

というわけで、チェックしたのだが、結構新たな発見があった。

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この木製品、FSCのロゴマーク入りだ。ホームセンターで見かけるのは初めてではないか。材質はスギなのだが、どこの所有森林から出されたFSC材なのだろう。

ちなみに製造しているのは、福島の会社である。

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これは、「杉万能台」と書かれてある。だが、私には、スギ材に見えなかった。おかしいな、製造元を見ると、メイド イン チャイナである。中国スギだろうか。品質的にはマツ材に似ているように思う。

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こちらには、「日本の杉」と書いてある(^o^)。産地はわからない。上野木材工業製造だ。


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これは、国産ヒノキ製であることを明記している。やはり国産というのは売り文句として価値があるのだろうか。
ちなみに静岡産らしい。ほかに岡山産もあった。

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わけあり……じゃなく、節あり商品。死に節があって抜けている板を使ってしまったらしい。だから価格も3割引きくらい。

用途によっては、これで十分だし、なかなか売り方がこまめだと感心。しかし、こんな品をつくったのは日本の木工所だろうか。もしかして中国製? 産地は書いていなかった。

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最後に、ちょっと面白い商品。吉野杉とあり、赤身のところだけでつくった板や角材。ただ年輪幅が広いものもあるから、全部が「吉野杉ブランド」なのかどうかわからないが、赤材をホームセンターで売っていることに、少し感動。

こうしたアイテムが気軽に選べるようになれば、国産材の普及にもなるのだが。

 

このように見ていけば、ホームセンターでも、日本の木材事情の勉強になるだろう?

2011/10/28

「TPPで林業は……」

またもやTPP論議が、マスコミやネットを賑わせている。

私の意見は、以前このブログに幾度か書いたのでもう触れないつもりだったが、ニュースなどを見ていたら 「TPPに入ったら、林業もダメになる」という声が登場している。
しかし、すでに木材の関税はゼロである。多少の木製品にはあるが、仮にTPPに参加しても林業的にはあまり影響ないと言えるだろう。(林業・木材産業団体は、TPP反対の意見書を出したようだけど。)

すると、もう少し知っている人物(元農相だけど)は「林業は、関税をなくして輸入を全面解禁したから、壊滅してしまった。おかげで、いくら税金を投入しても支えきれずいまだに立ち直れない。TPPに参加したら、農業も漁業も林業みたいになる」と反対論を展開していた。

本当に、このように信じているのなら勉強不足だし、あるいは意図的に林業を持ち出して反対理由に仕立てたのなら悪質だ。
現在の林業が不振に陥った理由を外材に押しつけるのは冤罪だろう。むしろあの当時、外材輸入がなければ、極度の木材不足から日本の木造建築物は姿を消していたかもしれない。いや戦後復興も高度経済成長も不可能になった可能性だってある。
そもそも林業が本当に不振になったのは、外材の解禁時ではなく、バブル崩壊後である。山村の衰退は、もっと前から始まっていたが、それを全部林業のせいにされては困る。

TPPに賛成も反対も、議論が過熱すると、自分の意見に有利な材料を無理やり探してくる傾向がある。しかし、怪しげな論を展開すれば、結果的にそれで足をすくわれるのではないかな。
それに、視界がどんどん狭くなっており、賛成論・反対論ともに目先の分野ばかりの損得ばかり。一体、日本はどちらの方向にむかうべきか、という論が見当たらないのは寂しいことだ。

一応、私の意見を繰り返しておくと、私は各国とのFTA推進論者なのだが、それに反対してばかりで出遅れたと思ったところに登場したのが、TPP。これで一発逆転を狙えるかのような気分に政府はなったのだろう。
しかしTPPはかなり筋が悪い。痛い目に合いそうな予感。ただ、これにも反対して参加しなかったら、経済的には日本は世界の趨勢から置いてきぼりだろう。そして次に出されるのは、さらに日本に不利な協定だろう。(あと、EPAもあるけどね。)

もしTPPがいやなら、代わりになる貿易協定案を出して日本が主導することだ。それともFTAにもTPPにも入らずに国際社会で生きていく戦略を練ることだ。それはそれなりに可能だろう。経済は縮小するが。

そんな覚悟のないままの議論はむなしい。

※参考までに。過去の私の書き込み。http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/03/post-290d.html

2011/10/27

ニューヨークタイムスに、割り箸の記事

なんと、ニューヨーク・タイムズに割り箸の記事が載ったらしい。

らしい、というのは、私の英語力の問題だ(笑)。

http://green.blogs.nytimes.com/2011/10/24/disposable-chopsticks-strip-asian-forests/

まあ、最近のブラウザは翻訳機能も付いているし、そこそこわかるのだが、結論としては、使い捨ての割り箸が、アジアの森林を破壊している、と主張しているようだ。

出てくるデータとして面白いのは、中国では年間570億膳もの割り箸が380万本の木からつくられているという統計。また材料は、竹のほかシラカバや針葉樹(スプルースとあるが、トドマツのことか)とある。ただコットンウッドとあるのは、なんだろう?

そして製造された割り箸の半分は、中国内で消費されていて、残りのうち、日本に77%、韓国に21%、アメリカに2%が輸出されている、とある。日本が圧倒的ではあるが、韓国も増えているし、アメリカも日本食レストランが増えているからだろう。2%というのは、5億膳を越えていることになるから、決して少なくはない。

またグリーンピースの声として、中国製の割り箸からは硫黄やパラフィン、過酸化水素、防虫剤などを検出したと指摘する。(なんか怪しい。 しかし、プラスチック箸が衛生的とも思えないのだが。)

ほか、写真には、大学生が使い捨て割り箸で樹木をつくったりアートしている様子。

これ以上、英語を読むのは苦手。どのように結論を導いているのか、十分に理解できない。

誰か、きれいに訳してください(^∧^)。

2011/10/26

『日本人が知っておきたい森林の新常識』サイト、オープン

今日が、新著『日本人が知っておきたい森林の新常識』の発売解禁日のはずである。

私も、まだ確認していないけど。おそらく本日、書店に並ぶのは大都市圏だけだろう。

ともあれ、解禁になったのだからと、大慌てで、サイトをつくった。

http://homepage2.nifty.com/tankenka/chosaku-morishiki.htm

かなり急づくりだから、ミスもあるだろうし、まだまだリンクなどチェックが必要な点もあるが、とりあえず紹介しておきます。

こちらには、本文を1章分掲載しています。

ちなみにAmazonでは、拙著中の7位に浮上していました(^o^)。

なお、もし本書を手にしている人がいたら、すぐに気づくと思うが、この帯文、重大な間違いがある。

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間違い佐賀市……じゃなく、探しをするまでもない誤字である。ご確認あれ。

2011/10/25

熊本の木づかい?気遣い?

熊本より帰宅。

なかなか楽しく、いろいろ見学したが、結構ユニークな木づかいを見ることができた。

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 熊本市の一番の繁華街のアーケードの床。

なんと、木を使っているのである。それも部分的に(笑)。

「木をもっと使いなさい」と言われて、どこに使うか悩んで、思い余ってここに……というイメージがわいた(^o^)。
ともあれ、多くの人が歩くところに木を使った勇気が素晴らしい。



実は、熊本空港も改増築中で、そこには木がいっぱい使われるようだ。

1 空港の庇部分。

外装に多いのが特徴か。外から見える部分に木を多用している。

ついでに、夜の商店街で見かけたパフォーマー。テクノミュージックに乗せて、なんとかダンスを披露した。

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友達100人計画だそうだ。



私は、しっかり握手して友達になったよ。これは、私の気遣い(^o^)。

2011/10/24

『日本人が知っておきたい森林の新常識』の売れ行き順位

今週水曜日、26日発売の『日本人が知っておきたい森林の新常識』。

Amazonで私の著作を検索すると、9位に入っていた。

まだ売り出していないのに……。

『森林からのニッポン再生』や『だれが日本の「森」を殺すのか』、『森を歩く 森林セラピーへのいざない』などを超えたぞ(笑)。

いや、あんまり笑えないか。

でも、きっと予約が入っているおかげだと感謝しよう。

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よろしく、です。

2011/10/23

福島の林業復興シンポジウム

福島から帰った。

これは、福島の夕方のニュースの映像。

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地元では当たり前なのだろうが、ニュース内容とは別に画面の周りに「放射線測定値」とか「原発情報」が流れている。ちょうど台風接近とか選挙速報など緊急時の即時性のある情報提供で行われる手法だ。

西日本に住んでいると、なかなか被災地現地の情報は流れなくなっている。もちろん被災地のニュースはあるが、東京経由だし、何かイベント性のある話題だけなのである。
ネットなどに広がる声も、結局は肌で感じられるものではない。しかし、このような映像画面を見ると、ある意味、日常に放射線がある暮らしを感じさせる。

 

今回の訪問は、林業復興祭である。そこで開かれた林業復興シンポジウムに出席するのが目的だった。私は、講演とパネルディスカッションのコーディネーターの両方ということで、少々荷が重かった……うえに前夜の酒が……(笑)。

実は、講演者はもう一人いて、その村松学習院大学教授は放射線の専門家。だから実害としての放射線の話はそちらにお任せして、私は風評被害を払拭する手立てを示すとともに、福島県の林業をいかに変革するか、という話である。

そのうえでパネルディスカッション。

ここでもテーマは、やはり林業の変革と活性化なわけだ。

しかし、会場の声を求めると、圧倒的に関心を持ち、切実に訴えるのは放射線問題なのである。だから質問も、まず村松教授に集中し、さらに林野庁の井出氏が国を代表する形で突き上げられてしまう(^^;)。

いずれにもパネリストは、真摯に向き合って応えたと思う。ただ、この問題に明確な回答はなく、聴衆を満足させることはできない。私はコーディネーターでよかったと思った(笑)。
ただ、強引に時間を30分延長させた。これぐらいの権限なら、コーディネーターにあるのだよ( ̄ー ̄)。

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バネリストは、ほかに女優の葛城奈海さんとグリーン発電会津の笹島さん。

ただ、何ができるのか、と問われたときに、私からは「もっと福島県人は声を上げるべきだ」と返答した。残念ながら福島県人は大人しすぎる。みんな抑制が効きすぎているように思えてならない。
むしろ、放射線なんて、たいしたことないんだよ、と声を上げないようにしているかに感じる。問題は放射線レベルだけではなく、その脅威によって地域の破壊が進んでいることなのだが、そのこともいま一つ伝わりにくい。
また明確な脱原発の声も聞こえてこない。まさか(全国の原発の)再稼働を容認しているのだろうか、現知事は。

声を上げているという人もいるというが、残念ながら、その声の向かう方向が内向きなのだ。県庁を突き上げたり地元のマスコミが県内に報道しても、全国に伝わらない。

パネリストに声を届けてくれ、という意見も出たが……もちろん、それは大いにやるべきだが……それも他力本願に聞こえてしまう。いや、本来の他力本願とは、自身が手を尽くした末に天命に従うという意味なのだが、やはり福島の現場の人自身が強力に国に訴えるべきだろう。その必死さがあって、周りが動き出す。

たとえば、福島から1万人が東京に向かって国会議事堂を取り囲んだらどうだろう。呼応する全国の人々で100万人に膨らむのではないか。そうなると、いかにアホな国会議員や役人でも、今起きている事態に目が覚めるのではないか。

もし、やるんなら呼びかけ人になるよ。

2011/10/22

福島の温泉卵

福島で食べた温泉卵。

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こんなパッケージだった。昔からの名物だよ、と言われた。このデザインはレトロな雰囲気をかもしだしていて、なかなか味がある。しかし、今となってはちょっとブラック(笑)。セシウムでないことが救いか。

でも、福島県人は気にしない(^o^)。

最近、世間は放射性物質の名には敏感になっている。

実は、生駒ではミネラルウォーターが地下深くから汲み上げているのだが、そこには日本では珍しいラドンを含んでいるらしい。これも売り物だったのだが、ちょっと使いにくくなるかも。

2011/10/20

新刊『日本人が知っておきたい森林の新常識』

『割り箸はもったいない?』が絶版になることをお知らせしたが、一方で新しい本も出る。

来週、私の新刊が出版される。

日本人が知っておきたい森林の新常識
(洋泉社・1600円+税)

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長~い書名だ(笑)。編集者は、ムックを意識して付けたのだという。さすがに、いつも口にできないから、略して『森林の新常識』、もっと縮めて『森・識』でどうだ。もり・しき、と読もう。

私は、「森林の新常識」よりも、いっそのこと「森林の非常識」というタイトルにしようと言ったんだけどなあ(⌒ー⌒)。

内容は、私が10数年前に出版した『「森を守れ」は森を殺す!』および『伐って燃やせば「森は守れる」』をベースにしたものだ。ただし、改訂版などではなく、全編書き下ろし

つまり、テーマは同じなのだが、なにせ10数年の年月が立つと、内容が古くなったり情勢が変わったり、また新たな事態が発生したりしている。そこで、全体の3分の1は新しいテーマで、残りは前2冊の中から現代にも適合したテーマを選び出し、それもまったくゼロから書き直した。

目次を紹介しよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はじめに

第一部 「森林の常識」にはウソがいっぱい


1 森は二酸化炭素を吸収しない
2 森に水源涵養機能はなかった
3 原生林の自然は貧弱である
4 火事が育てる森もあった
5 洪水が豊かな自然をつくる
6 生物多様性は破壊がつくった
7 森の主役は樹上と地下にあった
8 縄文杉が長生きできたわけ
9 沙漠に緑はよみがえらない
10 「太古からの森」はなかった
11  人は森を伐りたい本能を持つ?

第二部 森の異変は人とともに起きる

1 雑木林は伐らねばならない
2 竹林は伐らねばならない
3 ブナを植えてはならない
4 ホタルは汚い水が好き?
5 日本列島は禿山だらけ
6 マツ枯れとナラ枯れの陰に隠れた異変とは?
7 シカもクマも増えている
8 里山とゴルフ場はそっくりだった
9 熱帯雨林報道に異議あり
10  アマゾンは「里山」だった

第三部 林業から見える日本の森

1 山村は木を売らずに生きてきた
2 林業は焼畑から生まれた
3 木を伐って、森をデザインする
4 森林の「少子高齢化」に気をつけろ
5 林業はゼロ・エミッションだ!
6 「安い外材」の嘘にだまされるな
7 「科学」の衣をまとった新月伐採の怪しさ
8 日本に「木の文化」は本当にあるのか?
9 美しき森を、収穫多き森へ
10 「共生」という言葉の裏にあるもの

おわりに
おもな参考文献
  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

書店に並ぶのは、10月26日からだという。

ちょっびっとフライング(^o^)。

詳しいことは、改めて発行されてからにする。明日から福島~熊本を回るので、十分にアクセスできるかどうかわからないが、ご容赦を。

2011/10/19

川上村・林齢300年の森

昨日の川上村崩壊現場の紹介で、関心を引いたのは、崩落した現場に散乱する丸太の大きさだったようだ。

偶然ながら、近くに人が写り込んでいたおかげで大きさが比較できてわかったのだが、いずれも直径が80㎝~1mを超すような逸材ばかり。吉野材は生長が遅いから、樹齢では150年以上のものではないか。

せっかくだから、昨日同じ川上村で観に行った森を紹介しよう。

こちらは白川渡の巨木の森

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林齢 300年を超す森だ。江戸中期の植林と伝えられている。

逆に比較するものがないから、太さがわからないかな。

ならば、これは。

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この森、数年前に「間伐」(笑)をしたそうだ。その切り株だ。

私が、この切り株の上に立つと、直径が1・5mはあった。

おそらく、ここに生えているのは、いずれも同じ樹齢だろうから、みんな直径1・5mくらいはあるのだろう。それがヘクタール当たり100本見当ある。

この林区は、約14ヘクタールだから、ざっと1400本の巨木が残されている計算だ。

川上村には、「歴史の証人」と名付けられた、樹齢400年を超す木々が残されている。間違いなく人の手で植えられた、人工林だ。ただし、そのうち現在残っているのは、10数本。

だが、300年クラスなら、数千本ある。ほかに250年ものの森に行ったこともあるが、そこでは見渡す限り巨木だった。

下の写真の切り株の奥に見えるのは、ずっと若い森だ。とはいえ、近くで見ると、太さは30㎝前後ある林齢60年くらいの木だった。このように見ると、細い若木にしか見えないだろう。

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こういう財産を大切にしないといけないなあ。

2011/10/18

吉野・川上村の土砂崩れ現場

今日は、吉野の川上村を訪問していた。

先に記したが、実は川上村も台風12号の被害地。村役場のある迫地区を巨大な深層崩壊による土砂崩れが襲った。幸い、人家を外れたので人的被害は出なかったが、国道が完全崩壊。一方通行の県道でしのいでいる。

そこで、吉野の師匠の案内で、崩壊現場の対岸から眺める。実は停車禁止なのだが、融通してもらった。

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わかるだろうか。

小さな急な沢があったのだが、その上から底が抜けるように崩落したことがよくわかる。上部の方がなだらかに見えるが、見事に崩れた。

左手から道沿いに並ぶのが、役場や森林組合、郵便局、銀行、そしてホテルといった村の中枢施設が並ぶ一角。もちろん人家もある。


そこをかすめるように、崩壊が起きている。その規模は、一応幅100m、高さ300mということになっている。じっくり拡大してみると、岩盤がむき出しで、あきらかに深層からの崩壊だ。

爪楊枝のようにばらまかれている木々は、かなりの高樹齢のスギがほとんどだろう。

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撮影時には気がつかなかったが、望遠レンズで撮影すると、崩落現場に人が写っていた。

左端側に、4人いる。

どうやら測量しているらしい。今後の復旧のためだろう。しかし、底が抜けたようになっているから、並大抵の工事では道は復元できない。巨大な橋脚が必要になるから、早くて2~3年はかかるのではないか。

その前に、仮橋でも架けられたら……と地元の人は期待しているが、岩盤を強化しなければならないから、難しいかなあ。

ところで、人間の大きさと、周りの丸太の太さを比べてほしい。崩れた地域の吉野杉の立派さがわかる。これだけの木が何百本と流されたのだ。もったいない……。

伊勢湾台風の時も、吉野杉はバタバタ倒れたそうだが、根こそぎだったから、幹に傷はなく、高く売れて逆に大儲けした人も多かったようだ。今回は、それも期待できないだろう。

2011/10/17

『割り箸はもったいない?』が……

悲しいニュース。

『割り箸はもったいない?』(ちくま新書)が、来年3月をもって販売を終了する旨、版元(筑摩書房)より連絡が入った。

この言葉をわかりやすく直すと、重版はしないということ。ようするに絶版になるのである。
悔しいので表紙写真をそのまま載せてやる(>_<)。……意味ないか。。。

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残りあとわずか(300冊程度か)である。これくらい、全国の大型書店なら棚に常備しておくだけで足りなくなる数字だ。書店も引き受けてくれてもよいと思うのだが。
お買い求めされる方は、今のうちに。今なら、まだ書店やネット書店で扱っているし、注文もできる。

もし、3月までに、在庫が全部捌けなかったら?

残った分は、全部私の方で買い取ろうかな。

ただ、内容的には5年前の割り箸事情までしか載っていないので、寿命が来たのかもしれない。最近の読者は、古いと手に取らないらしい。いや新刊でも汚れていたらダメ。

しかし、せっかく新しい国産割り箸のトレンドが生まれつつあるのになあ。

それなら近年の割り箸事情を続編として記して、それをコピー印刷でもいいから別刷として本書に挟み込み、セット販売するというのはどうか(笑)。究極の自費出版だ。

今後、出版界はどんどん厳しくなっていく。新書はシリーズだから長く本棚に並び続けるという時代ではなくなった。著者も自衛策を考えねばならなくなった。

2011/10/16

酒蔵再利用

今日は、神戸の御影界隈を訪れた。

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こんな建物が建ち並ぶ。

そう、これは造り酒屋である。御影言えば、灘の酒どころ。今も多くの酒蔵が残っている。

もっとも、酒の生産は別の工場で行っており、こうした古い酒蔵は、どんどん減っている。ただ、立派な建物が多いし、景観もつくっているから、再利用も行われている。

たとえば、上記の写真の中には食事どころとホールがある。ほかにも美術館になったり、酒づくりの展示館などがある。木材も古材が価値をもつ時代だ。景観として木材は欠かせない。

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ここは酒心館ホールと呼ばれる。

酒蔵ホールの中は、こんな風に、古い梁などを残しつつ、趣のある構造にしている。

ここで何を行っているかと言えば……。

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ピアノが見えるだろうか。スタインウェイ1908年製だという。

残響はなかなかよい。

コンサートが行われたのである。(もちろん、撮影は、始まる前だよ。)

谷山浩子だよ♪

2011/10/15

対価がわからない ~スマホに寄せて

先日、携帯電話を買い換える際に、スマートフォンにした。

その際に驚いたのは、マニュアル本が実質的になかったことだ。
一応着いているのは、小さなペラペラの冊子で、ほとんど実用的な使い方は書いていない。スタートするのが精一杯。だが、その程度のことはショップでやってくれる。

これまでのケータイでは、分厚い本が付いていたのと様変わりだ。

これは、スマホの使い方が優しくて、マニュアルがなくてもナントカなるという意味だろうか、と思いきや、全然わからない(-.-)。

仕方なしに、市販の機種別のハウツウ本を買った。目についたものを買ったのだが、イマイチ詳しくなく、その後別の本屋でもっと分厚いものを見つけたりする。思わず手を延ばしかけたが、とりあえず立ち読みで済ませて(^^;)、もう少し様子見をするつもりだ。いずれにしても、想定外の出費を強いるのがスマホである。

マニュアルをなくすというのは、経費節減なのだろうか。スマホ別につくっていては大変な手間がかかるから、放棄した? その代わりに出版社に新たな儲け口を提供しているような。

そういえば、割引になるように、と半ば強制的に有料アプリ5つに加入させられた。たしかに課金より割引額の方が大きいのだが、それは最初の1カ月分だけ。そのまま加入し続ければ、あきらかに高くなる。そのアプリは、どう見ても私は使うとは思えないので無駄な出費だ。

1カ月以内に解約すればいいのですよ、と教わったのだが、それが簡単に解約できない仕組み。ものすごく難しいのだ。どこに解約窓口があるのかさっぱりわからん。ここで諦めたら、来月以降無駄になるから、なんとかする(最後は、アプリの会社に電話して、怒鳴るしかないな)が、これも巧妙な?、いや極悪の手口だ。

最近は、どこでお金を取られるのかわかりにくくなった。そもそもスマホの購入に対して、私は一銭も払っていない。もちろん、今後毎月の通信料の中に割り込ませて払うのだが、目に見えないだけに支払って購入した実感がない。

フリー(無料)ビジネスというのも広がっている。無料で提供しつつ、どこかで課金するのだ。ゲームを無料でさせて、少しグレードを上げたくなると有料になったり、実は加入者のデータが収集されていて、それを利益につなげていたりする。インターネットだって、無料で情報を得られるように見せかけて広告料で利益を得るというビジネスモデルになっている。

しかし、こうしたビジネスモデルは素朴な取引ではないから、、何を買って、いくら、誰に、何の形で払うのか、という点が非常にわかりにくい。
それが食わせ者だなあ、と思う。一見、無料だから得しているような気分になるが、もしかして世界中に網を張って世界制覇を企む闇の経済組織に絡み取られてがんじがらめになっているのではないか……と陰謀論でも語りたくなる。

リーマンショックを引き起した、デリバティブという金融商品もそうだった。様々な証券などを組み合わせてリスクを分散させたり寄せたりして、通常なら商品にならないものを虚空間の商品として取引を膨らませた。誰が何にいくら投資したのか買い物したのかわからないうちに、安全堅実な取引だと思わせたのだが、最後は破綻した。

そういえばデリバティブを生み出した金融工学をリードしたのは、原子力物理の研究者だという。原発が安全安全といいつつ、誰にも実態がわからぬまま破綻したのと構造が似ている。

そんなことをスマホを手にして考えていると、その対局が木材かもと思い出した。現在の木材取引は、ほとんどマテリアルとして素材だけの価値で取引されている。だから物量が重要となる。品質はあまり問われない。

しかし、以前は理屈で割り切れない木目の価値を大切にして、銘木とか役物を生み出して、並材の10倍の価格を取引する木材が生み出されていた。しかも転売転売で、どこの山の誰の木なのかわからないようにして、高値に誘導していた。

そう考えると、現在の木材取引は、素朴で真っ当なのかもしれないなあ。しかし、今再び、木材のデリバティブ取引のようなことをして、濡れ手に泡の大儲けをできるチャネルもつくっておきたい気がするよ(^o^)。

ともあれ、タダほど高いものはない、ことをお忘れなく。



(このブログだって、無料の情報提供ではあるが、肝心なことは書かないよ(^^;)。すでに記事にしたものとか、記事にしなかったこぼれネタとか、そのままでは記事にできない未完成状態のものしか記していないことに気づいてる? )

2011/10/14

SMAPを見習おう(⌒ー⌒)

昨夜、テレビでSMAPのドキュメンタリーを見た。インタビューのほか、中国公演や震災被災地公演の舞台裏などを映しながら20年以上、トップアイドル?の座を保っている彼らの姿を追っていた。

そこでもっとも感心したのは、やはり公演の舞台裏である。演出家任せかと思ったら、メンバーが自分たちで演出を考え、最後の最後まで検討し、修正を加えていく。歌う歌まで直前に変えたり、立ち位置や出入りまで工夫する。司会者との掛け合いも、打ち合わせをする。さらに海外公演だから、中国語の挨拶なども覚えている。
リハーサルも真剣で、本番のステージだけが仕事ではないのだ。

う~ん。ここまで準備していたのか。

私も見習わなくてはいかん。

 

 

雑誌の取材などで、カメラマンと一緒に行動することがあるが、その際に写真の仕事は、その場で撮影したら、それで終わりであることが羨ましかった。

もちろん、かつてはフィルムを現像に出し、それを引き取って編集部に送って……という作業があった。今はデジタルが主流で、現像ではなく、自分で調整することも多いようだが、それをDVDに焼くか、可能ならメールで送れば済む。

しかしライターは、まず取材前に下調べし(それが企画づくりにもなる)、そして被取材者に話を聞いて、ときにカメラマンに記事の内容に則した写真をとってもらうよう指示を出す……だけでは終わらない。当然ながら、取材後に原稿を書かねばならない。内容を事後確認する必要もあるし、話だけでは足りなかったり信用できないものは、資料をあさる。
できた原稿を送るのは、今ではメールで済むが、その後も初校・再校や写真のキャプション付けなどの作業が待っている。

たいていの場合、取材で話を聞くのは楽しいのだが、記事を書くのは辛い(~_~;)。取材だけで、何も書かないのがベストだ。ヾ(- -;)

その点、講演は楽じゃないか、と思っていた。だって、すでに書いた記事なり本の内容を話すだけだ。語尾に気をつかい、漢字表記に悩まんで済む。口が滑っても、そのまま終わればいい。

ところが、依頼が来だすと、そんなに甘くないことを痛感する。
思いつきで話すなんて真似は、実は簡単ではないのだ。養老猛司先生クラスになると、たくさんの引き出しを持ち、それをその場の思いつきで引っ張りだしてしゃべっているようだが(^^;)、それは私には不可可能だ。

結局、話す内容を決め、その順序に悩み、表現を検討しておかねば本番に迷いが来てウロがくる。

そのうえ、最近はパワーポイントの資料づくりが欠かせなくなったし、さらに話す時間を調整できるように、長めに用意して、本番でどこを詰めるか、引き延ばすか考えておかねば危険だ。
かつては90分の講演を、話しているうちに60分で終わりかけて、あわてて引き延ばして70分にはしたが、もう持たないので、残りは質疑応答の時間で誤魔化す……なんてこともあった。まあ、質問で盛り上がれば、それも面白いのだが、質問が出なければ早めに終わらざるを得ない。

講演も、記事原稿執筆と同じほど、ストレス感じる。

で、綿密に準備したとおり話すことは、滅多にないというオチが付くのだが(笑)。それはそれで、練ったもののうえに現場の空気に合わせて変更したのだ、ということにしておこう。

来週から、全国行脚が始まる。その準備をしつつ、SMAPをお手本にする(^^;)と肝に銘じよう。

ちなみに、先の同行カメラマンに、カメラの仕事の感想をいうと、あちらはあちらで「ライターはいいなあ。重い機材を運ばないでいいし、天候など光の具合も気にしないでいいから」と思っていたそうだ。
ま、「隣の芝生は青い」のだよ。

2011/10/13

根曲がり杉

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  写真は、見た通りの根曲がりしつつ高く伸びた天然杉。2本並んであり、どちらも大木に育っている。おそらく樹齢は百数十年になるだろう。

通常なら、この根曲がり部分は、材として使えないので、曲がっていない上の部分だけを収穫することになる。

しかし、この木のある山主は、「この曲がった部分が、いいんだよ」とにんまり。うまく製材し、売り先を考えると、高く売れるのだそうだ。天然杉だから材の色つやがよくて、曲がった部分をうまく利用した商品を考えるのが、ポイントになる。

これが、木づかいというものかもしれない。

しかも人工植栽だと、くっつきそうに並んでいる片方が、真っ先に間伐対象になるだろうが、どちらもよく育っている。間伐理論をあざ笑うような生長の仕方(^^;)。

なおビニールテープは、クマハギ対策である。

2011/10/12

咄嗟のときは…ウサギ型?カモシカ型?

娘と、咄嗟のときにとる行動について雑談した。

自転車がぶつかりそうになったのに、逃げるどころか逆に動かなくなった子供の話題がきっかけなのだが、では火事に遭遇したら、すぐに逃げるのがいいのか、周りを見渡して確実な逃げ道を探すのがいいのか・・・・・。

私は、森で出会った動物の話をした。ウサギは、出会うと脱兎のごとく(^^;)、飛び跳ねて逃げる。ところがニホンカモシカは、立ち止まってこちらをじっと見て、それから動き出した。シカもだいたいそう。さて、どちらが正しい?

実は、どちらも正しいとか間違っているとは言えない。それぞれにあった習性があるのだ。
ウサギは、すぐに動かねば餌食にされる確率が増える。だから、とにかく逃げる。しかしカモシカやシカの場合、どちらの方向に逃げるかが重要だったりする。

それぞれの動物の特性と、本能に縛られているのだろう。

さて、人間はどちらだろう。

非常ベルがなって、火事だ! の声を聞いても動かない人は多い。間違いじゃない? と思ったり、まだ周りは逃げていないと付和雷同したり、ここでパニクってはみっともないし失敗すると自制したり。ある意味、現実感がない。

また全体を指導すべき立場の人は、その場の人々がパニックになるのを極端に恐れる。とにかく平静に保ちたがる。だから、できるだけ事件・災害も小さめに広報して、「落ち着いてください」を連呼する。(もっとも自分らは、パニクッてるのだが。)

だが、実は脱兎の方が助かる事件事故だって、かなりある。むしろ確率的には高い。パニックになった方が、結果的に逃げられることも多いのである。平静を演出したことが、被害を大きくすることもある。(震災時の津波対応でも、それは見られた。)

 

さて、森林を扱う場合、どちらがよいのだろう。

私は、よく「人の時間・樹木の時間」という言葉を使うのだが、樹木はゆっくり生長する。また寿命は人の10倍以上あるものも少なくない。だから結果が出るのも遅い。そこに人間的感覚の時間を持ち込むと、遅くてもたもたしているように感じる。それが森林政策の失敗につながりやすい。

皆伐して大造林して、一斉林をつくろうと決めた政策が、まだ一巡しないうちに「やっぱり天然更新」だと変わったり、100年の長伐期の森にすると言っていた森を40年後には伐採してしまったり。

そんな経験を繰り返したからだろうか、林業家は、すぐに行動に移さない(^^;)。いわばカモシカ型で、いくら改革が必要だと言っても、なかなか動かない。よく周りを見渡して、本当かなあ、と立ち止まっている。これまでは、それでよかった面もある。
森林の成立には永い年月がかかるから、思いつきで動くと取り返しが付かないからかもしれない。

現代社会は、スピードを激しく求められる。グローバル化という名の世界均一基準に当てはめると、早い者勝ちになるのだろう。とりあえず、早いものは、とりあえず今は餌にありつける。(将来はわからんけど。)結果的に樹木の時間は投げ捨てられ、人と人の戦いになってしまう。

しかし、樹木の生長は早まらないのである。急いだツケはどこかに回る。

今は、「咄嗟のとき」ではないか。政治も経済も環境問題や技術改革も、みんな曲がり鼻にある。情報技術がグローバル化を押し進める。

さあ、咄嗟のとき、どんな行動を取るのが結果的に正しいのだろうか。

2011/10/11

「木づかい運動」を進めてよいのか

国際森林年も、あと3カ月。そして10月は、木づかい月間なんだそうだ。

しかし、近頃思うのは、「木づかい、つまりもっと木を使おう!なんて運動、やってていいの?ということである。

このところ会う林業家と話していて、「このまま木をどんどん使っていたら、森は持たない」という話になることが多いのだ。

ここで振り返っておこう。「木づかい」とは、林野庁が言い出したのだと思うが、ようするに気遣いと引っかけた造語だろう。

世界の森林事情とは違って、日本の森林は、手入れしないことが問題になっている。手入れとは、主に間伐をさすが、なぜ間伐が進まないかというと、間伐材が売れないから。木材の消費量が尻すぼみな上、外材や非木質素材にシェアを食われてしまったのだ。だから、もっと国産材を使ってください、という意味で、「木づかいの勧め」が行われている。

ま た資源量としての国産材は、年々太っていて蓄積は増す一方。今の3倍木を伐っても、日本の森は減らないという。

私も、どちらかというと、木づかいの旗振りをしてきた。国産材が売れないと林家が困り、山林から離れて森が荒れるという論理だ。また、身近に木質物がないと、情操面からも心配があると考えた。

実際、国産材の消費量は延びている。統計のからくりはあるとはいえ、木材自給率は18%から26%まで上がった。その点では、木づかい運動は成功と言えるだろう。

だが、先日の滋賀で会った林業家は、今の伐採量は多すぎるという。これは統計の数字ではなく、実感として、森の蓄積が減っていくのを感じているのだ。
とくに太い木、樹齢の高い木ほど減っている。100年もののスギを探すと、ほとんど残っていなかったりする。私も、長伐期施業だ、現在伐っているのは間伐だ、と言いつつも、山が薄くなってきた印象がある。若木の生長は早いが、その材積はそのまま利用可能木材につながらない。

なにしろ、現在伐る木は、少なくても50年以上前の人が植えて育てた木だ。なかには100年200年前の努力に目を向けなくてはならない。ところが、伐採跡地に苗は植えているか。植えた苗はちゃんと育っているか。獣害は多いし、間伐という言葉で、植林をさぼっているだけではないか。

あと10年後20年後に、果たして収穫するに足る木はどれほど残されているのか。

もっとグローバルな目で見ると、世界的にどんどん森林が減っている。木材資源争奪戦は始まっているのだ。そんな中で、日本だけ内向きに「木づかい」を推進して、木をどんどん使え、と言えるだけの理論武装をしいるのだろうか。

もちろん、国産材を使うことで、森林の手入れを進め、また山村の活性化を計るのは、私も賛成なのである。
ただ使い道が安い合板ばかりでは困る。
かといって木製品の素晴らしさを強調するあまり、美しく優秀な材質の部分ばかりを使った製品を宣伝するのもどうかと思う。

木づかいとは素材に木を選ぶのではなく、木の使い方を考えるものであるべきだ。細くて切り捨ててしまう間伐材や、小さく切断された端材をどのように使えばいいのか。できれば高く取引されて山に還元できる木製品は何か、を考える機会ではないのか。

その意味では、木づかいは使い道がなくて廃棄される木をいかに使って、いかに高い価値をつけるか、を考えよう。木がもったいない運動でも展開すべきだったかな。

これは木づかい運動だけでなく、世界中が木を無駄なく使う文化を広めたい。そのためには、伐る木の量は少なくても、山元に多くの金が落ちて森づくりが進む運動、そして木を大切に使う運動を考えたい。

2011/10/10

獅子閣再び

今日は休日であった。

どーせ、アクセス数は減るだろう(^^;)し、先の宝山寺獅子閣の記事もなかなか反応もよかったので、改めて獅子閣の写真をお見せしよう。この洋館の魅力は、なかなかマニアックなのだ。

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まずは、バルコニー。ここだけ見たら、本物の洋館だわ。しかし、全部木製なのである。石材は使っていない。

ちなみに、ここからの景色は、生駒を一望できて、気持ちいい。


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その丸柱の柱頭は、ヨーロッパ風の植物の葉を描く。
柱根も葉を模した飾りである。

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こちらは、玄関ポーチの角柱。あえて3本使っているが、その柱頭の紋様・加工を見よ。

また、天井の細かな細工にも注目してほしい。

  

 

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和室の襖だって、ただ者ではない。数々の名画が描かれている。こちらは1階東の間には、能・狂言の土佐絵が描かれていた。
御所お抱え絵師の山水画、花鳥画もある。

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漆喰壁。ここは、和室裏手にある給仕用の階段だが、鏡のように映りそうな白い漆喰である。そして、階段手すりに沿ってある溝には、あえて黒い漆喰が混ぜて塗られてある。
なぜか。それは登り下りに際して手が触ると、せっかく磨き上げた白漆喰が剥げてしまうから。そこで、最初から色を付けたそうだ。

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ご要望にお応えして、螺旋階段の上部分。当時の宮大工は、独自の曲げ技術を持っていたらしい。

 

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2階の和室にある床の間。金紙が張られている。金箔ではない。

違い棚の板、そして床柱に注目してほしい。ここに南洋木材を使っているのだ。とくに床柱は紫檀である。

ちなみに、全体としては、和室はヒノキ材、洋室はマツ材を使っている。

まだまだお見せしたい部分もあるが、  最後に、宝山寺拝殿で拝んでいる人を。太極拳かと思わせる静かな中にも力強い動きであった。
実は、数日前も見かけたのだが、この日もいた。宝山寺の霊力を全部吸い取る勢いであった。

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2011/10/09

山村に広がる柵

今日は、滋賀県の湖西地方へ。

見てきたものは、また改めてとするが、山間を訪れて異様な気になったのは、見かける集落のいずれにも、長大な柵があることだ。

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このような柵が各地に広がっているのだ。かなり立派な代物で、電気まで流れている……。まるで収容所だ。

柵の中に何があるかと思えば、何もない。単なる農地である。水田もあれば、野菜畑もある。

このように言えば、想像がつくだろう。

そう、これは野生動物の襲来を防ぐもの。主にシカやイノシシ、サルなどだろう。尋常ならざる警戒なのである。

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こんな感じで、住居全体を柵で取り囲んでいるケースもあった。
ようするに庭を襲われないようにしているのだろう。

もう一つ。林地も例外ではない。

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こちらは柵ではなく、ビニールテープが巻かれている。

これはクマハギ除けである。

おまじないではなつ、クマがスギの皮を剥いでしまうのをふせぐためのものだ。
もっとも、最初はテープを警戒したクマも、最近では引きちぎるそうである……。

山村は、単に農林業の不振や過疎化だけでなく、野生動物との戦いの場になりつつある。

2011/10/08

擬洋風建築~獅子閣公開

生駒の宝山寺には、擬洋風建築の獅子閣という客殿があることは、以前、このブログで触れたことがあるはずだ。明治17年に、山の中腹にこんなすごい建物を建てたのだ。

このために越後出身の大工・吉村松太郎を横浜に3年間留学させ、明治15年から建築に取りかかったという。現在重要文化財指定だ。地元に隠れていた宝である。

たまたまお参りすると、なんと、この獅子閣の内部を公開していた。長年かけた修復が終わったという。こんな機会は滅多にない。(今回も10日でオシマイ) 私は何年も前から見学したくてしょうがなかったのだ。

さっそく参観。

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見よ。この洋風バルコニーを。3本のロココ様式?の柱に支えられている。内部は、洋室と和室の両方がある。

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そして、螺旋階段。日本の技術で、見事に洋風を再現している。






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和室から洋室を眺める。
ステンドグラスならぬ、色ガラス。良く見ると、ガラスがゆがんでいる。当時は板ガラスをつくる技術がまだ追いつかなかったのだ。



注目すべきは、和室の天井だった。

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天井には、見事な柾目の板を使っているが、その格子の木目は、みな直角に交わっている。その凝りようは、当時の大工の心意気か。

実際、和室では一つの釘も目につかず、木組みの技術を誇っている。

ところが、外側のバルコニーの扉や、洋室の設えを見ると……。

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これでもか、と言わんばかりのに洋釘が使われていた。それも目立つように。


どうやら、当時は洋釘が珍しいだけでなく、非常に値が高かったようだ。それだけになかなか手に入らない。それを、あえて大量に使い、しかも隠さず見えることで意匠に仕立て上げようとした意図を感じる。

ほかに床の間には、なんとタガヤサンや黒檀・紫檀などの南洋材を取り入れていた。

伝統に固執せず、明治の文明開化で流れ込んだ西洋の技術やデザインを意欲的に取り入れた勢いを感じた。そして和風と洋風の融合をめざした。

木造建築の世界には、この進取の気性こそが、今求められているのではないか。。。

2011/10/07

カルトから、政策多様性を考える

カルトの最大の問題点は、たった一つの考え方に固執し、一つの物質や方法だけで、すべてがうまくいく、いかせると信じ込んでいるところだと考える。それは原理主義である。ほかの発想を受け付けず、柔軟性が足りないのだ。
しかし、そんな万能薬は存在しないし、現場はケースバイケースである。

 

 

先に、カルトについて触れた際に思い出したのが、オークヴィレッジの稲本さんの話。

木材の利用振興を唱えても、実際のところ、木製品は高くつく。手づくりにこだわると量産できないし、今の時代はそれでは経済に乗りにくい。それを、どうクリアするか、という質問に応えて、木工品に量産製品も必要と言ったのだ。

一定水準を保ちつつ大量に作って価格を下げた木製品の開発も行わねばならない。それによって多くの人の手に届く。一方で、徹底的に品質にこだわり、たった一人に喜んでもらえる作品づくりも必要とする。この両輪がないと、経営にならない……というのだ。
オークヴィレッジでは、一つ525円のストラップが売られているが、数万個レベルの生産をしているそうだ。そして、一脚数十万円のイスやテーブルもつくる。

この柔軟さがないといけない。稲本さんは、哲学者ではなつ経営者だ(笑)。

これは別の人に聞いたのだが、ある木工商品づくりを注文すると、価格が高いと思っていたオークヴィレッジだが、もっとも技術レベルが高く、その割に安い金額を提示するのが、オークヴィレッジなのだそうだ。

技術は最高級品をつくることで磨き、その技術を応用して量産品もつくる体制を築いているらしい。また量産品をつくりながら最高級品をつくる技術を磨く面もあるだろう。

 

 

この両輪政策は、林業全体にも当てはまる。

誤解されやすいのだが、私は、森林・林業再生プランを完全否定したことはない。あの政策は、必要だと思っている。何しろ、これまでが酷かった。安定供給ができていない。それも量だけでなく、品質も含めてだ。

そこで大規模・機械化によって国産材を供給し、大型の製材工場や合板工場と対になって、量・質ともに安定供給する政策がなければ、国産材は永遠にシェアがとれず低迷するだろう。

ただし、現在の政策は、ほとんど「伐採-搬出-加工」分野だけに偏っている。その前段の森づくりや、後段の需要喚起を抜きにやっても効果は出ない。。。と評価していた。

そして、それとともに「大規模・機械化」ベクトルとは違った「小規模・手づくり」ベクトルの林業も残し発展させないといけないのだ。さもないと、ユーザーの真のニーズを満足させられない。また技術や創意工夫が育たない。
その点を無視している。いや、車の両輪政策を基本的に考えていないのだろう。国家は一つの政策に統制したがるようだ。
本当は2つどころか、地域ごとに幾つものパターンが必要で、20面政策ぐらいつくるべきだと思うのだが。。。

多様性を持つべきなのは、伐採から加工までだけでなく、森づくりも重要である。緑化もあれば、原生自然もあれば、里山圏もある。林業的人工林にも、一斉林に複層林、そして恒続林もあってしかるべきだろう。
そのメニューの中から、林家は自らの林地に適した経営方法を選択する……そこには、適切な助言をする森づくりコーディネーターも介在したらよい。

生物多様性ブームは、昨年で終わった感があるが、政策の多様性ブームをつくれないか。

2011/10/06

ユネスコエコパークって?

文部科学省と林野庁は、宮崎県の綾川流域を、「ユネスコエコパーク」の指定候補となった。9月29日に推薦すると発表した。国内最大規模の照葉樹林1万4580ヘクタールを対象とする。

となると、気になるのがユネスコエコパーク。なんだ、それ?

これは、ユネスコが進めているMAB(Man and the Biosphere/人と生物圏保存地域 )計画事業のことらしい。人間と生物圏の関係についての計画で、「人間とその環境との相互関係を研究する政府間学際的長期計画」だそうだ。これは1970年のユネスコ総会で決められたというから、結構古い。

これは、保全と利用の調和を図る国際的な取り組みだという。手つかずの自然を守ることを原則とする世界自然遺産と違って、人間と自然の共生する生物圏を取り上げるものだという。日本が喧伝するSATOYAMA(里山)の理念に近い。

私は全然知らなかったのだが、国内には、すでに屋久島のほか、大台ケ原・大峰山(奈良県)、白山(石川県、岐阜県)、志賀高原(長野県)の5つがあるのだそうだ。もっとも、これらの登録は1980年まで。
また世界的にはガラパゴス諸島やアメリカのイエローストンなど114カ国、580地域が登録されているという。

世界遺産はかなり注目されてきたが、今や新規登録が頭打ち。どんどん審査は厳しくなっている。それに対して、エコパークはまだまだ余裕かあるらしい。

最近の日本では、、ジオパークだとか、世界記憶遺産だとか、これまで知らなかった世界的な登録事業に目が向いているように感じる。世界遺産登録の効果に気づいたものの、あちらは難しいとなって、ほかにもないかと探し出したのだろうか(笑)。

とはいえ、これまで目を向けにくかった環境を、このような登録という形で目を向けるのは結構なことである。とくにエコパークは、希少価値でなく、本来の人と自然のあり方そのものがテーマで、人との良好な関係がポイントだから、日本向きではないだろうか。

また法規制で登録物の保護を要求する世界遺産と異なり、共同管理と呼ばれる法規制と自主管理を併用して、保全と利用の両立を図る取り組むことが求められる。

もっとも、登録審査という認定ビジネスをユネスコにさせて(儲からせて?)いるような気がするのだけどね。

2011/10/05

最後の国有林野事業特別会計

国有林野事業特別会計の来年度予算要求が発表されている。
その歳入・歳出は、4,762億6,200万円。対前年度比5.8増%だそうだ。

それで思い出した。この特別会計は、2013年度に消えて、一般会計化するのだった。だから、今回の予算が特別会計としては最後になる。

ここで、この特別会計の歴史を振り返るのは、面倒だからやめとくが、道路や空港の特別会計みたいに、ごっそり儲けたお金をプールして、国家財政が火の車の時にも使い放題……という性質のものではなく、逆に林野事業の大赤字でとうにも首が回らなくなったから廃止するものである。

最大時には、累積債務が3兆8000億円となり、とうとう2兆8000億円を一般会計で面倒見ることになって、残り1兆円を自力で返しなさい、ということになった。(1998年)

が、今でも債務は1兆3000億円あるそうで、むしろ膨らんでいる(T-T)。

そこで、とうとう特別会計そのものを廃止して、一般会計化することになった・・・と認識している。まあ、この手の会計や政治の動きは複雑すぎてよくわからない。ただ、「事業仕分け」でも取り上げられたことは、このブログに触れた記憶がある。

これほど赤字を膨らませた原因などを考えるとうんざりするが、もともと林野事業を特別会計にしたのは、単年度ではなく長期にお金を動かせる方が、数十年単位で森づくりを考えねばならない林業には向いていると考えたからではないだろうか。

これまでの経緯はともかく、日本の林政を長期的な視点で支え、その原資として特別会計を使う理念自体は正しいような気がする。現在の日本の財政事情では、毎年やり繰りするばかりで、とても50年100年単位の森林政策は無理だろう。

加えて、国有林担当の署員を、2~3年で動かす人事も、国有林を悪くした元凶と思っている。それこそドイツのフォレスターを見習って、一人が一生かけて一カ所の森林を見ていくくらいの制度にすべきではないか。
そして、林野事業の予算も、景気に左右されず、現場の判断で使えるようにしたら……。

そういえば明治期に、各地の自治体が、地方財政を安定させるため、さかんに造林を行っていた。どうも土倉庄三郎が主張して、それを核山村が取り入れた気配を感じるのだが、森づくりは、自治体の財政に寄与するものだったのだ。

こんな理想を描いても、結局はその時々の人間が好きなように制度をいじるからなあ。林野会計も、林業バブルの頃には利益を一般会計に上納し、不振になると一般会計からさまざまな名目で補てんしてもらう……など、形骸化してしまった。そして、現在を迎えるのだから。

森林林業再生プランには、長期的視点が欠けていると思うのだが、林政に樹木の時間を加えるには、まずは財政からかもしれない。

2011/10/04

EMから自然の神秘とカルトについて考えた

さるNPOが送ってくれた会報をパラパラ見ていると、EM(有用微生物群)のことが書いてあった。

それが常軌を逸している(笑)。

EMは放射能除去できる、という主張なのだ。いや、この主張は私も聞いたことがあり、一笑に伏していたが、詳しくは知らなかった。どうせ末端信者が口走っているのだろうと思っていたのだ。が、この記事によると、EMを「開発」した比嘉照夫・元琉球大学教授の講演で話していたことのようだ。

「EMには非イオン化作用すなわち、電気を帯びさせない力があるとか、いろんな有害な波動が消えてしまうとか、放射能さえもコントロールするという重力波が関与している」
「放射能が多少残っている所は生育も収量もいいし、味も良いのです。EMをしっかりやっておくと、放射能を吸わないんです
「ようするに放射能といえどもEMにかかったら最後、土の中の太陽に変わってしまうのです」
「EMを総合的に使えば、ダイオキシンはもとより環境ホルモン、重金属、有害化学物質などは、すべて無害化できると私は言い切っています」
核種をある程度動かせるという報告もありました」

う~ん。以前、EMでガンを治すと言っている人がいたが、ここまで言ってしまったか。とくに最後の言葉は、セシウムとかストロンチウムなどを別の物質に変えられると言っているわけで、もはや錬金術にも近い。物理学の根底をひっくり返す。

ここで、これらの狂気の内容にいちいち反論しない(笑)。まさにカルトだ。ここまで信じるというか、一つの「物質・行為」の効用になんでも含ませるのか。

ただ、この手の話は数多い。そして、それぞれにある種の傾向を感じたのである。

一つは、世の中の不幸は美味しい。困っていることがあれば、「それは○○××で治してあげる」と断言して快感?を感じている。

何か一種類の「救世主的物質(ほか、行為)」を求める。いろいろ精進して、総合的に効果が出るというのではなく、「これさえあれば……」と救世主にすがる。ガンの特効薬や、北朝鮮が核兵器開発に一発逆転を狙うのと似ているか。
複雑な段取りや、手間のかかる手段を忌避して、一つですべてOKを出るのを信じる。受験にヤマを張るのと似ている……こともないか。

核となる要素に、「自然」が関わっている。EMの場合は「微生物」であるが、ケナフやヘンプ(大麻)のような「植物」だったり、森林セラピーは森林環境そのもの。マクロビオティックは食べ物だが、調理の順序にこだわる。新月伐採は……。自然の神秘そのものが、理屈抜きの超能力につなげやすいのか。

そして、これらを推進する人は、自分がハマったそのモノが、世の中の主流の考え方ではないことに喜びを感じる。私だけが知ってしまった? 優越感も含まれるのだろうか。

なぜ、こんなことをつらつら書きつらねたのかというと、最近、森林関係者の中にも、この傾向を感じることがあったからである。新月伐採だけでなく、木炭が地球を救うというのもある。
森づくりや有機農法の世界、アロマ、そしてワリバシ推進者にも、この手のカルト(療法系)にハマるケースがあったのだ。(割り箸がを使うとガンが治る、とか訴えたわけではありません。) そういえば森林ボランティアをする人に、この手の人が多い。森林ボランティアそのものでも、「森を救う」と思い上がった発言することもある。

自然を扱うと、理屈で説明できない部分がいっぱいあって、そこに神秘さを感じるのだが、それは一歩ずれるとカルトな世界に陥る可能性が高いらしい。そして科学を否定したくなる。

そういえば、今西錦司だって、生物学から生態学へと進み、さらに自然学を提唱する。ところが最後は、科学そのものを放棄するような発言をしている(笑)。まあ、これほどの大物碩学者なら、その発言も意味があるのだが、凡人がやっちゃいけません。

ま、私も、焼き畑は世界を救うという本を書こうとしたし、森林美学みたいに「美しい森林はすべてにおいて優れている」という森林の判定技術を作れないかと考えたり、生駒山は霊山だと常々発言しているが、口にするだけにしておいた(^o^)。

気をつけよう、甘い自然の神秘にカルトの世界。

2011/10/03

WEBRONZAの記事

先の朝日地球環境フォーラムで、私が出席した分科会「暮らし方を変える」を企画し、コーディネーターを務めた高橋真理子編集委員が、WEBRONZAに記事を書いた。

私のところへ、そのサイトのプリントが届いたのだ。分科会の様子の紹介とともに感想や思うところを記している。

直接サイトで見ようと思って検索すると、あった。

http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011092400006.html?iref=webronza

ほう。出だしは見つけ。

が、続きは読めないのであった(笑)。そうか、有料サイトなのね。

RONZAは、月刊「論座」、以前朝日新聞社から発行していた論説雑誌だが、あえなく休刊となり、その後釜がネットになったのは知っていたのだけど、有料であったか。

思わず、送られてきたプリントをスキャンして、ここで公開してやろうかと思ったが(^^;)、さすがに仁義に反するだろうから、やめとく。ただ、ちょっびっとだけ。私の発言に触れているところなど。

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ついでに締めの言葉。

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実は、会場で私の発言の中で、もっとも反響があったのは、メディア論になって私が「朝日も間違ったことを報道しないで」とコーディネーターに皮肉を飛ばし、それに「どこがですか」と突っ込まれた際に、咄嗟に応えた内容だったと思う。

それは「安い外材に押されて、国産材が売れなくなったというウソ」である。いい加減に、こうしたステロタイプな林業の捉え方をやめるべきだろうと訴えた。

おかげで、分科会が終わってからも、この件について話しかけられたし、またメールも来た。

おそらく分科会に参加した者で、コーディネーターも含めて、そんなに林業に詳しい人はいなかったと思う(もちろん、パネリストは別)。その点からも、林業の本当の姿を提供する機会に少しはなったのではないか。

2011/10/01

平成23年森林・林業白書?

次回、出版予定の本に、参考文献を記す。

その中に森林・林業白書を入れた。その中の図版を使ったからだ。現在、公開されているものでもっとも新しいのは、平成22年度版である。今年6月かに発表された。

http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/22hakusho/zenbun.html

その中の資料は、一昨年の統計などを使っているから21年のものだ。
実は、中の数字に関しては、今年の速報版もあるのだが、正式という意味で白書のものを使うことにした。

だから、参考文献としては「平成22年度森林・林業白書」と記した。

ところが、編集者から電話がかかってきた。

図版に付けるキャプションが、「平成23年森林・林業白書」になっているというのだ。

そりゃ、間違いでしょう。

しかし、実際にそう書かれてあるというのだ。

さて、上記のサイトのpdf版を開いてほしい。

たとえば目次のhttp://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/22hakusho/pdf/h22hakusyo_mokuji2.pdf

表紙には、「平成22年度」とある。ところが、ページを繰って、その一番下を見てほしい。

目次── 森林・林業白書(平成23 年版)

001

おいおい、本当に23年、とあるじゃないか(@_@)。

全ページが、23年になっているぞ。

 

結局、編集者と打ち合わせて、表題の「22年度」を使うことにしたけど、これ、明らかにおかしいよね(⌒ー⌒)。

23年度版が今年発酵されているわけない。これはネットだけど、白書そのものは、もう印刷してしまったから訂正効かないのかね。

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