「施業」という言葉
私は大阪生まれであるが、先日の大阪府知事・大阪市長選挙の結果を受けて、今ほど奈良県民であることに安心感を持ったことはない(~_~;)。
というようなことはさておき、本日は、大阪で某研究会に出席。
ここでは、某府立公園(^^;)の森林をいかに健全にするか、というテーマなのだけど、出席者の大半が森林研究者か、森林が相手の仕事の立場の人という陣容。私は、ヘタに口を出さずに高みの見物(^^;)のつもりだったのだけど、結構白熱した。
というのは、「施業」という言葉が登場したことに一因がある。この言葉には、林業的な響きがあって、利益を得るために木々を伐採する作業……というニュアンスがあるようだ。
そのため、公園という公益的な場の森林を利益対象に見てはいけない、防災や環境保全の面から手を入れるのであって、利益を出すことを目的に木を伐採してはいけない、、、という意見が出るのである。そして公益的な森林にかけるお金は税金で賄うべき……というべき論を唱える。
それで、私の思考はあらぬ方向へ。そもそも「施業」という言葉はどのようにして生まれたのか。どこにも林業的要素の漢字は使っていないのだ。分解すると「ほどこす・なりわい」であり、どんな仕事にだって使える言葉だろう。
しかしネットで引くと、三省堂の大辞林では施業のことを「事業を経営管理し処理すること。特に林業経営についていう」とある。やはり林業用語になっているようだ。
考えてみれば木材を伐採して出すことを「素材生産」なんていうが、これも素材とは汎用的な意味を持つのに、木材に限ってしまうのだろうか。森林をいじることは施しを与える作業だったとか、素材と言えば木材が王様だったとか。。。
もしかして、かつては林業こそが仕事の中の仕事だったのだろうか……と考えてみたが、さすがにそれはかいかぶりすぎ。ただ林業関係者にとっては、誇り高き仕事だった名残かもしれない。
しかし、こうした言葉を使うことは、結果的に世間の林業理解を送らせる遠因になっているような気がする。どんな業界でもテクニカルタームを多用するとムラを作って部外者を排除しがちだが、林業も世間に実情を広く知らせることが危急の時代に入ったのだから、独善的な言葉づかいから卒業すべきだろう。
もっとも、「施業」をなんという言葉に置き換えていいのか悩むが。林内作業、森林作業、林業仕事。もっといい言葉はないか。
私も『森林異変』執筆時に、「施業」という言葉は全部排除した。だいたいは「作業」に準じた言葉に置き換えた。「素材生産」は「伐採搬出」にした。一目で素人でもわかる言葉にしなければ、読者はついてこなくなるからである。
とはいえ、金のこと言って、抵抗感を持つなんて大阪人の資格ないぞ、なんて考えてしまった(出席者が必ずしも大阪出身とは言えないが、おそらく大半が関西出身)。大阪人はお金の話をすることに恥ずかしさを持つことはない。大阪の森林の話をしているのだから、お金の話をしてもいいではないか。まあ、私は奈良人だけどさ(~_~;)。
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