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森と林業と動物の本

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2011年11月

2011/11/30

「施業」という言葉

私は大阪生まれであるが、先日の大阪府知事・大阪市長選挙の結果を受けて、今ほど奈良県民であることに安心感を持ったことはない(~_~;)。

というようなことはさておき、本日は、大阪で某研究会に出席。

ここでは、某府立公園(^^;)の森林をいかに健全にするか、というテーマなのだけど、出席者の大半が森林研究者か、森林が相手の仕事の立場の人という陣容。私は、ヘタに口を出さずに高みの見物(^^;)のつもりだったのだけど、結構白熱した。

というのは、「施業」という言葉が登場したことに一因がある。この言葉には、林業的な響きがあって、利益を得るために木々を伐採する作業……というニュアンスがあるようだ。

そのため、公園という公益的な場の森林を利益対象に見てはいけない、防災や環境保全の面から手を入れるのであって、利益を出すことを目的に木を伐採してはいけない、、、という意見が出るのである。そして公益的な森林にかけるお金は税金で賄うべき……というべき論を唱える。

それで、私の思考はあらぬ方向へ。そもそも施業」という言葉はどのようにして生まれたのか。どこにも林業的要素の漢字は使っていないのだ。分解すると「ほどこす・なりわい」であり、どんな仕事にだって使える言葉だろう。

しかしネットで引くと、三省堂の大辞林では施業のことを「事業を経営管理し処理すること。特に林業経営についていう」とある。やはり林業用語になっているようだ。

考えてみれば木材を伐採して出すことを「素材生産」なんていうが、これも素材とは汎用的な意味を持つのに、木材に限ってしまうのだろうか。森林をいじることは施しを与える作業だったとか、素材と言えば木材が王様だったとか。。。

もしかして、かつては林業こそが仕事の中の仕事だったのだろうか……と考えてみたが、さすがにそれはかいかぶりすぎ。ただ林業関係者にとっては、誇り高き仕事だった名残かもしれない。

しかし、こうした言葉を使うことは、結果的に世間の林業理解を送らせる遠因になっているような気がする。どんな業界でもテクニカルタームを多用するとムラを作って部外者を排除しがちだが、林業も世間に実情を広く知らせることが危急の時代に入ったのだから、独善的な言葉づかいから卒業すべきだろう。

もっとも、「施業」をなんという言葉に置き換えていいのか悩むが。林内作業、森林作業、林業仕事。もっといい言葉はないか。

私も『森林異変』執筆時に、「施業」という言葉は全部排除した。だいたいは「作業」に準じた言葉に置き換えた。「素材生産」は「伐採搬出」にした。一目で素人でもわかる言葉にしなければ、読者はついてこなくなるからである。

とはいえ、金のこと言って、抵抗感を持つなんて大阪人の資格ないぞ、なんて考えてしまった(出席者が必ずしも大阪出身とは言えないが、おそらく大半が関西出身)。大阪人はお金の話をすることに恥ずかしさを持つことはない。大阪の森林の話をしているのだから、お金の話をしてもいいではないか。まあ、私は奈良人だけどさ(~_~;)。

2011/11/29

鳥取が韓国へ原木輸出

ちょっと前のニュースになったが、気になっていたこと。

http://www.nnn.co.jp/news/111115/20111115009.html

鳥取県が、県産スギの原木7750本を韓国に輸出することになっている。境港市にチャーターした貨物船(1997トン)に積み込み、14日から積み込みが始まったようで、19日までに群山港に向けて出航するという(ことだが、実際に出航したのか続報がないので確認していない)。これはテスト出荷で、本格化させるのは2015年以降を狙っているらしい。

原木は樹齢20年~50年生で、直径14~54センチ、長さ4メートルだという。この直径のばらつきは、なんだ(笑)。でも7750本というのは、久しぶりに聞く輸出量だ。これまでは、たいていコンテナに入る程度の輸出だったから。

なお地元のスギだけでなく岡山県産のヒノキも積み込むという。鳥取県の補助金も使っているのに、岡山県産材も扱うということは、どんな業者が間に入っているのか。

使い道は、マンションなどの内装材のほか、エクステリア部材が考えられているらしい。韓国は、基本的に木造住宅は少ないから、あまり構造材としての需要は見込めないのだろう。

国産材の原木輸出は、21世紀に入ってすぐ盛り上がったのだが、中国輸出がなんやかやで行き詰まり、その後国産材が合板に大量に使われるようになって、こちらの比重が大きくなったためか輸出へのエネルギーはしぼんでしまった。

それでも底流は消えていない。各地で細いながら断続的に行われている。国産材の需要ルートを多岐化するためにも、輸出という道を諦めないでほしいものだ。

また国際的に木材の輸出余力のある国は、東アジアではロシアを除くと日本だけだろう。木材加工技術も周辺国を凌駕しているはず。ロシア材と日本材は差別化できるから、可能性は十分ある。円高はネックだけどね。

2011/11/28

ホテルの部屋にも……

東京帰りです。池袋で学生さんに囲まれ、秋葉原でメイドさん見て、萌えてきました!

……というようなことはドーデモよく、アチラのホテルの部屋にあった、なんのことはない装飾。

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素の木材が使われている。はて、何のためだろう、思ったのだが、こんなわずかな量の木材でなごむのだから不思議だ。



実は、ほかにも街角で格子などに木材を使うケースをよくみかける。

たとえば、こんなのも。

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店舗などには、木を使った内装だけでなく、外装も増えてきた気がする。

じわり、と木装ブーム?

2011/11/27

「木材争奪時代が始まる」~朝日新聞の記事より

26日の朝日新聞別刷りbe(青いbe)の中に、林業問題を紹介していた。
そのタイトルが、「木材争奪時代が始まる」だ。

と言っても、実はシンポジウム「東北復興を契機に日本を持続可能な社会へ~バイオマス資源の適正利用とFITを中心に~」の紹介が中心である。これは10月21日に東京で開かれたNPO法人バイオマス産業社会ネットワークなどが主催したシンポジウムのことだ。

出席者の中には、土佐の森・救援隊事務局長の中嶋健造氏と、当時内閣官房国家戦略室内閣審議官だった梶山恵司氏がいる。そのことを記事でも伝えていた。
お二人の紹介はいらないだろうが、ようするに小規模な自伐林家からの林業振興が訴える中嶋氏と、大規模化を推進する森林林業再生プランをつくった梶山氏である。だから意見は真っ向からぶつかる。

私も、このシンポジウムの開催は知っていたが、東京くんだりまで足は延ばせないし、招待もされていないし、そもそも内容は見当つくし(^o^)。

私の思うに、自伐林家と言っても、小規模山林しか所有していない限り、林業を専業にするほどの稼ぎはなく、ようするに副業レベルである。しかも補助金も入っている。それを林業振興につなげるのは無理があるだろう。

そして森林林業再生プランはすでに各所で指摘されているとおり、大規模林家および集約による大規模化に成功したところしか相手にしていないので、落ちこぼれる林家が大量に出るのは間違いない。

どちらも片方だけでは駄目なんで、問題の根幹は、なぜ両面の政策を用意できなかったのか、ということなのである。これは常にある行政の欠陥そのものなのだが、彼らは多様な政策を用意することを嫌がる。画一的に施行したがる。そのために、こんな対立が起きるのだろう。
それなのに、両論激突!を演出してもショーガナイでしょう。

さて記事の後半では、再生可能エネルギー法の施行によって木質バイオマス発電が進むと、各地に禿山が続出しかねないという問題を指摘している。それどころか紙パルプ用チップとも争奪を始めたり、海外から輸入することになって結果的に国内林業には何のメリットもなくなるかも……という懸念を取り上げている。

なにはともあれ、日本の山は、どんどん木を伐れ、木を使え、バイオマスエネルギー万歳! という風潮から、こんな記事が出てきたことは歓迎である。
ただ、今後「禿山が出現するかもしれない」ではなく、すでに禿山がどんどん増えているのだから認識甘くねえ?

2011/11/26

『森・識』書評・東京新聞

版元から、東京新聞(11月20日)に載った『日本人が知っておきたい森林の新常識』の書評が送られてきた。

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正確には、書評というより短評だろうが、ともあれ書評第1号(ネットの除く)。大感謝である。

新聞では、こうした本(続編とか改訂版、リニューアル本)の書評は載せることは少ないから有り難いのだ。……本当は、私は本書をリニューアル本とは思っていないのだが、ネタにカブリがあるのは事実だから。

しかし、イマドキ『「森を守れ」は森を殺す!』を持ち出しても知る人は少ないだろうなあ(笑)。

2011/11/25

自然破壊的スポーツ、自然に優しいスポーツ

原稿が書けないと、とりあえず森を歩くことにしている。

雑音がないところで歩き、森を眺めていると、何か頭の中が整理されるような気がするからだ。これでアイデアが浮かべばもうけもの……て、まあ、パソコンの前に座っているのがイヤなので、現実逃避の言い訳かもしれない(笑)。

今日は時間もあまりなかったので、お手軽に矢田丘陵の遊歩道を選んだ。入り口に車で乗り付けられるからだ。

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整備されているから歩きやすい……と思ったら、つい脇道に逸れて、藪こぎ一歩手前になってしまったのだが(笑)。

そこで思い出した。生駒市がこの遊歩道を作る際に、クレームを付けてきた団体があったそうだ。

森を切り開くのがケシカランという理由である。

市は話し合いの場を設けて、市民が遊歩道を歩くことによって自然と親しみ、健康と癒しを取り戻し……とまあ、ありきたりの説明をしたそうだが、彼らは納得しない。木を伐ること自体がケシカランという発想だから、話し合いは平行線。

ところで、この団体の素性を調べると、意外なことがわかった。なんとモトクロスをしている人々なのだ。おいおい、モトクロスって、山をバイクで走り回る、自然破壊のスポーツだろ。
と、怒鳴り合ったのかどうかは知らないが(^^;)、とにかく彼らの抗議は抗議として、遊歩道は完成したのである。

そこで考えてみた。

世の中に数多あるスポーツのうち、自然に優しいスポーツ、自然破壊的なスポーツとは何か。

一昔前なら、自然破壊の筆頭にあ買ったのがゴルフだろう。しかし、今頃そんな意見は下らない。造成時はともかく、自然被覆度はかなり高い。むしろ、野球やサッカーの方が自然破壊度は高いのではないか。

だって、野球(サッカー)に使われるグラウンドは全国に何十万カ所あるか。それらの合計面積は、ゴルフ場より多いかもしれない。そこには芝生さえ植えず、土がむき出しなのだから、自然度は低いだろう。

そして、エンジン系スポーツは、どう見ても自然破壊度が高い。化石燃料を遣いまくって、騒音出して、ろくでもない。それもトラックの中で収まるのならともかく、野外を走るモトクロスやトライアルなどは最悪ではないか……。

では、自然に優しいスポーツは。登山・ハイキングは、オーバーユース問題はさておき、自然に親しむ度合いが高いし、登山道の設置はたいした負荷はかけていまい。

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そんなことを考えているうちに、こんな一角に入り込んた。

遊歩道とは別ルートだが、人が入った形跡がある。奥行きはないから道ではなく、広場のようにして使ったのかもしれない。

うん。なかなかよいムードだ。自動車の騒音が聞こえるのが玉に傷だが、許容範囲だろう。ここで森林療法とか、森の幼稚園を行う場にしてもいいのではないか。

そんなことを考えていると、地面に目についたものがある。

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小さな直径5、6ミリくらいの白い玉がわかるだろうか。
これらが無数に落ちている。材料は合成樹脂のようだ。

これは、おそらくBB弾と呼ぶ、エアソフトガンの弾である。昔の銀玉鉄砲みたいなものだ。

おそらく、ここでサバイバルゲームをしたのだ。ようするに戦争ごっこである。敵味方に分かれて、エアガンで撃ち合い勝ち負けを決める。だから大量の弾が落ちているのは、ここが「戦場」だったことを示す(^o^)。

そうか、サバイバルゲームもスポーツだと見立てると、これは自然破壊か優しいか。

やはり優しいスポーツだろう。山や森をそのまま理由するのだから。ほとんど自然を破壊する要素はない。BB弾を除いては。

何しろ大量に撃ちまくり、まき散らす。プラスチック製なら、自然界に残るわけだ。最近は生分解性プラスチックを使ったものも出てきているが、どの程度普及しているかわからないし、分解すると言っても数年間はかかる。その間、自然の落葉の中に白い姿を点々と見せているのである。

そこで思いついた。木材でBB弾は作れないのだろうか。木材なら、すぐに腐るし、森の中に散らばった場合も違和感がない。木製BB弾を使うエアソフトライフルも登場しないだろうか。

同じサバイバルゲームをするなら、痕跡残すようでは、本当のサバイバルにはならない。レンジャー部隊などは、一切の痕跡を消しつつ移動するのだよ。

2011/11/24

周回遅れの吉野林業

先の育樹際イベントで、私は吉野の育林交流集会に出席後、林業機械展に行ったことは、これまでも書いたとおり。

そこで改めて感じたこと。果たして吉野の林業家は、林業機械展に行ったのか

いや、当然行った人は多いと思う。同じ奈良県内なのだから、距離的にも参加しやすい。ただ、機械展のどこを見たのか。本業につなげる意図はあったのか、という点である。

展示にはフォワーダが多かったが、もちろんハーベスタ、プロセッサ、フェラーバンチャ、スイングヤーダ……など多くの重機が実演していた。

おそらく、これら高性能林業機械に興味を示した吉野の人は少ないのではないか(笑)。

だって、吉野で見たことないもの。出材は、今もほとんどヘリコプターに頼っている吉野には、あまり関係のない機材が多かった。
最近は導入する林業会社も出て来たと聞くが、台数は圧倒的に少なく、おそらく商談につなげるつもりで林業機械を見た素材生産業者はほぼいないだろう。多分、実用的に訪ねたのは、チェンソーメーカーのブースくらいではないかなあ。

また、これは全参加者の話だが、森林利用学会のブースを覗いた人は何人いるだろうか。

ここには、iPadを利用した、営業ツールが紹介されていた。林地の情報をインプットして、何%の間伐をすれば経費がこれくらいで、路網はどれくらいで、何立米の材が出せるか……などを山主に見せつつ瞬時に計算する。要望に応えて、間伐率を変えたりもする。

林地の集約化をはかる際には、なかなか面白いツールではあったが、果たして興味を示した関係者は何人いるかなあ。
たまたまこのブースで出会った速水林業の速水さんは「これを欲しがるのは海外の林業家だろうな」と言っていた。

ここで育林交流集会に話をもどすが、私は林業の発展過程(邪馬台国から!)を説明しつつ、現代が機械化と安定大量供給型林業が推進されていること示した。もちろん、国の政策である。

おそらく会場の吉野の方々は、自分たちには関係ないと思った人もいたかもしれない。私も、この話で吉野林業は決定的に遅れている、周回遅れであることに気づくだろうかと思ってしゃべったのである。

が、実は吉野には、周回遅れのトップランナーになれるのではないかという期待を抱いているのだ。

全国で機械化林業が推進される中で、その問題点も指摘され始めた。質より量の素材生産、それも画一化しがちであるし、林地など環境に与える悪影響もある。そして、肝心のユーザーのニーズに十分応えているのかも疑問がある。

吉野は基本的に安定大量生産型を拒んで(落ちこぼれて、かも)、これまで通りの施業法を残している。結果的には、何百年も前から育んできた森と、ていねいに木材の質を読んで出荷する体制が残っている。

全国の林業地が画一的になれば、違いを示せるのは吉野のような優良木の生産と、年月をかけて磨き上げた技術しかない。

量は出せないけど、ピカイチの材を出せる林業地として再びトップに輝くことに期待したい。それは同時に、美しい森づくりの技術でも真価を発揮してほしい。優良木が立ち並ぶ林地は、必ず美しい森であるからである。

今の林業の進んでいるベクトルには、必ず揺れもどしがある。その際にアンチテーゼとなる林業ベクトルを保持しておけば、周回遅れから再び本当のトップに立つことも可能ではないか。

 

林業機械展を見学しながら、逆に機械を使わない林業について考えてしまった。しかし、機能や効率を自慢するばかりではなく、美しい森づくりに役立つ機械とか、大径木優良材を傷つけずに低コストで出すための機械というのは開発されていないのかね。

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写真は、会場でもっともカッコよかった車両。

一応トラクターなのだが、前がホイールで後ろはクローラー。この時は草刈り機を設置していた。

林内作業車になるかも。
でも、何に使えるかね。小規模な出材なら行えるのかな。

2011/11/23

大木なのだけど…

先の育林交流集会後、私は木曽の林業家と川上村に泊まったのだけど、翌朝、林業機械展に行く前に、吉野林業の山を案内した。

吉野の山と木曽の山を比べてもらおうというわけだが、やはり吉野で見せるとしたら巨木の人工林だろう。

単なる巨木の森なら、各地にあるだろうが、吉野の価値は、それらの木は人が植えて育てたものであること。そこで林齢 300年ほどの杉林に案内した。そこには直径1メートル以上のスギが、1000本以上残る。

「これは天然杉だろう」という言葉を聞いて、私としてはしてやったり。

しかし、「買うならあの木だね。通直で枝が高見までない。あちらのは太いけど、枝が多い」
さすがに、ちゃんめ値踏みをしている。

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ここは、かなり奥地で吉野林業的な育林を十分に行われた場所ではない。それでも、美しい木に育っている。

切り株をチェック。芯は多少目荒で偏心しているが、やっぱり年輪がスゴい。

そこで、次は同じ巨木の森でも、非常に同心円の幹をしていて、価値の高い森を。

台風後で通行止めの標識を振り切って林道奥に入る。幸い巨木の群生地まではたどり着けた。ただ、私の知っている森からは、かなり伐採が進んでいる。林齢 は200年以上なのだが、以前よりかなり明るくなっていた。

その切り株を見る。きれいな円形だ。木目も詰まっている。最初こそ、おお! と驚いていたが、よく見ると…。

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よく見ると、目割れしているではないか。

目割れとは、目廻りともいうが、ようするに年輪に沿って割れていること。この割れは、木材の価値を著しく下げる。

なぜなら、そこで木材は断裂していて、柾目を取れなくしてしまうからだ。せっかくの大径木の意味がない。

「この木を買った業者は、泣いているね」

伐ったのは素材生産業者か、あるいは山主・山守自身かわからないが、たしかに、これは価値ある! と思った木が目割れしていては、泣けるな。何百年も育てたのに価値が低いと言われるのは…。おそらく台風か何かで揺さぶられたか、あるいは凍裂か。

そういえば、昨日は森林総合研究所関西支所の講演会というか、研究発表会に行ってきたのだが、そこでも和歌山で100年もののスギを伐ったら、辺材が腐朽していたケースが紹介されていた。間伐の際に付いた傷から菌類が入ったらしいのだが、100年の価値は吹っ飛んでしまう。

林業が山師の世界なのは、このせいだな。

 

2011/11/22

『日本人が知っておきたい森林の新常識』、書店で発見!

JR京都駅前のアバンティの中にある書店で、『日本人が知っておきたい森林の新常識』発見!ついに自著が店頭に並ぶところを見た(T-T)。 苦節2か月……。

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森林本コーナーの真ん中である。

まだ平積みであることに慰めを感じる(^o^)。

売れているのか。そういえば、Amazonの在庫切れ状態も解決しているが、在庫数はよく変動している。ということは、そこそこ動いている(売れている)のだろう。

また「環境分野」というカテゴリーの中では3位である。これも、前より上がった気がする。

地味に、じわ~と動く本になってくれたら嬉しい。そりゃ、派手に動いてくれても嬉しいけどさ(笑)。あんまり私には似合わない。私は地味~な人間なのよ。

2011/11/21

川上村の崩壊現場再び

ほぼ1カ月前、川上村の土砂崩れについて記した。

今回の育林交流集会は、この崩壊現場の奥にあるやまぶきホールで開かれたので、出席者は迂回路を通る際に目にしただろう。

肝心の当日は、大雨警報が出て、迂回路さえも通行禁止になりかける事態で(そのため、パネルディスカッションも短縮バージョンに)、もし、迂回路が崩落するようなことがあれば、上流部の住民はみんな下流に出られなくなる。
つくづく今年の自然災害の困ったさんぶりに泣かされた。

だが、その土砂崩れの現場は、崩壊直後から大きく変貌していることにどれほどの人が気づいただろうか。

まずは1カ月前。

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迂回路から遠望したものだが、林木も散らばり、まさに崩壊現場だ。




そして今回。

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近くから撮影できたので、多少角度が違っているが、上記の写真との違いは一目瞭然だ。

あれほど荒々しく散乱した土砂や林木が、かなり片づけられて、斜面も少しなだらかになっている。重機が高いところまで登っていることがわかるだろうか。重機の通る道はできているようだ。

もちろん、まだ開通はできない。ここにあった沢が埋もれてしまっているので、この上に道を作ったら、また底が抜けかねないからだ。とりあえず手前の方に仮橋を架けるそうだ。その開通は、来年4月を予定していると聞いた。

崩壊をとどめる擁壁の建設が必要だろうから、国道の完全開通までは数年かかるにしても、想像以上のスピードで復旧している。ちょっと感動するほどだ。

東日本大震災、そして紀伊半島水害の被災に際して見る目が変わったのは、自衛隊と日本の土木である。
これまで日陰者の印象のあった自衛隊は、不休の救難対策を通して、戦後もっとも信頼を高め、日本を守る存在として認識されたのではあるまいか。
それと同時に、無駄な公共事業に巣食う業界と白い目で見られることもあった土建業界の力も、災害復旧で見せつけたように思う。津波のガレキを、不通の道を、これほど短時間で片づけ復旧させたのか、と驚かされる現場がいくつもある。十津川村への幹線道路も一足先に仮開通させている。

付け加えれば、崩落現場にほど近いホテル杉の湯も、当日は満員だった。アクセスが極端に悪くなった今、あえて泊まりに来る「応援」客がいるのだそうだ。「日本一愛されるホテルにしたい」という女将の言葉を信じよう。

経済にしろ社会システムにしろ、綻びの見える日本だが、まだまだ活かせる力が隠されているように思えた。いや、活かせるかどうかは、これからなのだが。

2011/11/20

林業機械展では……

本日は、奈良県五條市で開かれた林業機会展に行ってきた。(正確には、2011森林・林業・環境機械展示実演会。)

青空が覗いているのに、昨日からの大雨で会場は泥の海。思っていた以上に広い会場と多くの展示があったのだけど、回るのは大変。こちらスーツのズボンに革靴姿なのだ。

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感想としては、想像以上に多くの林業機械が登場していて、メーカーもたくさんある。規模的には、かなりのモノではないのか。また参加者も、足の悪い中、結構来ている。当初、入り口が渋滞したほどだ。
若い女性が目立つので、こんなに林業女子が増えている?と不思議に思ったが、どうやら若い林業マンの奥さんか彼女である場合も多いことに気づいた。若手が就森すると、家族も含めて雰囲気を変えていくのかもしれない。

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ちなみに、靴にビニール袋かぶせて防護している女性もいたよ。

 
それにしても、こんな高い機械がそんなに売れるわけないと思いつつも,ある意味、林業へ向けられる目を感じることができた。機械メーカーには、とにかく参入しておこうという意識が高まっているのではないか。産業界も、林業に目をむけ出した傾向を感じた。

私は、前半、木曽の林業家と一緒に回ったのだが、さすが現場で数々の機械を扱っている人だけに見る目が違う。一見カッコイイ! とか、スゴい機能! とか思うものにも、しっかりコメントが入る。その点、勉強になる。

また、会場では知り合いとたくさん出会う。その点でも、なかなかの交流会である。直接会えなかった中にも、知り合いはたくさんいたようだ。このブログ読者の中にも、訪れた人はいるだろう。

ところで元祖・林業女子の安田林業のナカシマアヤさんは、こんなマシンを見つけて大興奮。

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株式会社リキシャマン(なんて、社名だ)が出展した高速フォワーダ「デルタM4」。4輪がホイールとクローラの交換ができて、クローラのまま、一般道路を走行できるのだ。

なんでも神奈川から時速60キロで走ってきたという。

  

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とうとう、自分で運転してみたよ(^o^)。普段もグラップル扱っているのだから、運転自体は慣れたもの。完全に重機萌えフォワーダ萌え状態。

 
 

 

しかし、チェンソーの実演ショーに興奮し、フォワーダに萌える彼女を見て、年頃の娘がこれでいいのか……と思ってしまった私は、お父さん目線でした(笑)。

だから、つい彼女に「昨日のあの温泉に、いつか連れて行ってあげるよ」と声をかけたことに他意はないのです。安田社長、安心してください。(ちなみに、入之波温泉は、基本日帰り入浴です。)

2011/11/19

温泉宿

温泉宿
育林交流集会で川上村に来ているが、泊まりはさらに山奥の入乃波温泉の山鳩湯。

ここの温泉は、いつもながらスゴイ。
ものすごく石灰分が多くて、湯船が鍾乳石のように石化しているのだ。木の浴槽も大理石のよう(^-^)。

ある意味、木を越えた素材になっている。

2011/11/18

11月27日 かわうそ倶楽部で

いよいよ明日が育樹祭の交流集会in川上村。明後日が林業機械展。

だから、ではないが、その先の予定を(^^;)。

実は11月27日(日)は、東京に行く。

水と森の保全を考える・かわうそ倶楽部」という森林ボランティアグループの主催で講演を行うことになっている。このグループ、NPO法人でもない任意団体で人数も積極的なのは10数人だそうだが、それで講演会を開こうというのだから、元気だ(^^;)。

実は、私がここに告知してもいいのか確認していないのだが、せっかくだから興味のある方はどうぞ。まさか会場に入りきれないほど来るとは思えないので、大丈夫だろう。

こじんまりとしていると、お互いの顔が見えるので、質疑もやりやすい。討論形式になっても面白いのではないか。

日時: 11月27日(日)午後1時半~4時半
場所: 東京都豊島区立生活産業プラザ8F・多目的ホール

2011/11/16

木材のフェイクとホンモノ

コンフォルト12月号に高機能木材と、木質フェイク素材の紹介がされている。

高機能木材とは、素の木材では寸法が狂ったり、腐ったり燃えたりシロアリに食われたり……という弱点を防ぐための処理をした木材のこと。徹底的に乾燥させる(含水率15%以下)もその一つだが、ほかにもアセチル化木材とか半炭化木材、さらにほう酸や樹脂コーティング、不燃剤・耐腐植剤の含浸処理もある。また圧密処理のように木材を圧縮する手もある。
木材の風合いは残しつつ……と言われるが、素の木材とは多少変わるのは仕方あるまい。

一方で、フェイクとなると、もともと木質でないものを木材に見せかけるわけだ。単純な印刷もあれば木目のようなフィルムを張り付けたり、そもそもの素材(合成樹脂など)を加工して木材の表面ぽくしたものまで。

昔は、慣れれば見破れたが、今のものはほとんど完璧。木目も肉眼ではホンモノと違いがわからないし、手触りまで似せている。以前は、広い面の場合、同じ木目を繰り返していたので見破れたが、今は不規則さまで作り出しているそうだ。

私は、木材の価値は何かと考えた際に、機能で勝負するのは無理ではないかと考えるに至った。もちろん木質ならではの機能もあり、それらは優れているのだが、一つ一つを取り上げると、別素材が優位になってしまう。
強度とか耐火性とか耐震性……などを追求したら、木材よりよい素材はいくらでも出てくるだろう。何より建築物や家具などの場合は、構造が重要で、素材の機能よりも最終製品の機能が決定する。

むしろ機能より官能であろう。人が木材に対して感じる感覚的な思い、情操部分こそが木材のほかにない価値となる。それは、具体的には視覚や触覚、嗅覚……などだ。

 

ところが、そうした思いをぶち破るのがフェイク素材なのである(-.-)。

見ても触っても、区別が付かない疑似木材が増えたら、もはやホンモノ木材との差別化は難しくなる。

結局、「ホンモノ」という情念のような情報だけで木材は存在するのか?

しかし、ねえ。ホンモノの木材と区別が付かない見た目や表面の感触だって、鍛えた人間の感覚器官は見破れるのではないかと密かに信じている。みんながみんなが備えるのは難しいかもしれないが、きっと「違いのわかる人」はいなくならない。骨董品の真贋を見抜くのと同じだよ。。。

無意識に違いを読み取る力。それを鍛えるには、やはりホンモノを身近に数多く見たり触ったり知識を身につけることから生まれるんだろうな。そして直感で、ホンモノの木材は美しい!と感じ取るのだ。

先に「美しい森は健全な森である」、と定義づけたが、「美しい木材はホンモノの木材」と言えるようになりたい。

2011/11/15

コンフォルト12月号~再びLIFE311へ

インテリア雑誌(だよな?)『コンフォルト』12月号の特集は、「木たるべき時代」。

No123


ちょっとヘタな駄洒落だが、ようするに木造特集だ。とくに杉をよく取り上げている。

目次は、こちらで。http://confort.ksknet.co.jp/special/index123.html

興味深い記事をいくつか取り上げると、まず宮崎県の「杉コレクション」が紹介されている。海杉さん活躍の場ですな(^o^)。

そして、被災地のたくさん建てられた木造の仮設住宅ルポだ。
福島のいわき市のものは、視察したかったのにできなかったところだから興味深い。ここは板倉構法を採用している。一方、福島県本宮市のものは、マシンカットログ構法。そして岩手県住田町の仮設は、軸組パネル構法。なるほど、みんな違っていたのだ。

さらに宮城県気仙沼市に建てられた合掌づくりの木造仮設住宅は、復興住宅にもなる予定だ。これはオークヴィレッジの発案のもの。稲本さんから何度も説明を受けたからよく知っている(^o^)。

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これは、プロトタイプ。実物の4分の1と言っていたかな。

さらに大型木造建造物の可能性を語った記事や、スイス・エルレンホフの木材産業企業体のルポも注目だ。

ただ、もっとも面白かったのは、フェイクの木材。つまり木材そっくりに作られた素材の数々の紹介だった。こういうのを見ていると、木材の価値って何? と考えさせられる。

 

ま、その点については改めて考察したいが、あえてここで触れたいのは、住田町の仮設住宅を応援するLIFE311プロジェクトだ。今でも時折、ニュースで「仮設住宅に木質ペレットストーブが納品されました」とか紹介されているが、何も大円団で幕を引いたわけではない。

ちなみに今、このプロジェクトのHPを見ると、現在集まっている寄付金は、4439万5394円である。これだけでも大変な額なのだが、目標.額3億円には遠く及んでいない。

最近は、震災支援の熱気も冷めつつあるから、より厳しくなるだろう。

そこで、ポチッと1万円寄付させていただいた。ここで自分の行為を公開することは恥ずかしくもあるが、多少とも人の注意を振り向かせる効果を願って、ここで宣言しておく。

2011/11/14

カナダが被災地に木造施設を

カナダ政府やカナダの林産業界が、震災被災地で学校などの整備を支援するため、450万カナダ・ドル(約3億4千万円)を拠出すると発表している。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111111/fnc11111113130012-n1.htm

林産業界が関わっている通り、整備する施設にはカナダの木材を使ってもらうことを期待しているようだ。

もちろん、有り難い話だ。ヘンに勘繰ったり、ひねくれた見方をしてはいけない(^^;)。

かし同時に巧いなあ、と思う。被災地支援なのだから、感謝されるとともにカナダ木材の売り込みにもなるのだから。

被災地では、林業地の被害はたいしたことなく、もう回復したようだが、肝心の製材や合板工場がかなり津波にやられた。再開にこぎつけた工場もあるが、もはや閉鎖を決めたところも多い。おかげで、東北の木材の持って行き場がないという現象が起きているようだ。

だから、カナダ木材を使うことに関しては、文句付けにくいし、痛し痒しというか素直に喜びましょう……。

本当は、日本の林産業界も、こうした発想を持ってほしい。援助はかなり行ったようだが、ビジネスも結びつけてウィンウィンの関係を築く仕掛けがほしい。
たとえば、どんどん東北木材を引き受ける工場が全国に現れてもいいと思う。遠路のコストはかかるが、将来を見据えると、ここで関係を強めておく価値はあると思うのだ。

また海外に手を延ばす可能性もないだろうか。タイの大水害の対応に日本の木材を使う手立てはないものか。トルコにも大地震が起きている。

営業ルートやロジスティックは、急に作れるものではないから、こうした機会にコツコツ積み上げないとね。

 

※Amazonを見ると、『日本人が知っておきたい森林の新常識』の在庫がなくなっている。ということは売れているのか? 私には実感がないのだが。いや、今日も覗いた書店で拙著を発見できなかった。『日本人が知っておきたい森林の新常識』はいずこに。

おかげで拙著の売上順序は、『森林異変』の方が先に来たぞ。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%93c%92%86%8F%7E%95v&x=13&y=19

これも、出版元のロジスティック問題が出ているかもしれないなあ(笑)。店頭に商品がなくなったら売れるものも売れない。まさにチャンスロスだ。

2011/11/13

『焼き畑の環境学』から連想する

『焼き畑の環境学 ーいま焼き畑とは

(佐藤洋一郎監修・思文閣出版  9450円)

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この本を版元より贈呈を受けた。おそらく、私が焼き畑に関して幾度となく著作やブログで記してきたからだろうから、やはり紹介しなければならないだろう。とはいえ、600ページに渡る大部な作であり、基本的に論文集のような内容である。付録CDも付いているというすごさ。価格もすごい(^^;)。

先に「植民地林学」について触れていることについては紹介したが、なかなか全体を紹介したり、論評するのは難しい。だいたい、私はまだ全部読んでいない。簡単に読める代物ではないのだ。そこで、私自身の焼畑への思いとともに思いつくことを記したい。

とりあえず、大枠は、以下のリンク先で知ってもらいたい。

http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784215881

目次は、
http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/pamphlet/9784784215881.pdf

これは現時点で日本の焼畑研究の成果を網羅的に結集したものと言ってもよいるだろう。

私も、かつて焼き畑に凝った時期に、せっせと焼畑文献を集めた。量的にはそこそこあるのだが、内容は民俗学分野に偏っていたり、研究対象地域が絞られており、全体像をつかむには難しかった。
本書では、(やはり民俗分野は多いが)日本から世界までかなり幅広い。蝦夷地のアイヌの農耕から椎葉、白山、対馬、山形、四国、そして台湾、ラオス、アフリカ……と広がっている。また農耕に止まらず、牧畜や林業にも目を配っている。

ただ、できればもう少し植物学や生態学的な視点も増やしてほしかった。一部で触れているものの、火が土壌におよぼす影響や、植物の生長に関わる研究、さらに微生物から鳥獣にまで考察する詳しい研究はなかったのかと残念に感じる。いや、全文を読んでいないのだから、もしかしてもっと触れている箇所もあるかもしれないが、残念ながら大テーマにはなっていないようだ。

私は、四半世紀前(こう書くと意味深(^^;)。25年くらい前ということ)から焼畑に興味を持っていて、椎葉村はもちろん、ボルネオのイバン族まで訪ねて焼畑を見てきた。少し火をつけさせてもらったこともある。焼け跡に種子を撒いたりもした。

また京都府北部で焼畑再現を試みて、休耕田を焼いた時にも参加していて、焼ける際の“畑の声”を聞いたこともある。

ただ、民俗学的な視点からの興味は薄く、生態学あるいは産業技術として注目していた。その視点から本書を見ると、総説が重要である。

本書の総説では、「焼畑」の定義を「火の利用と休耕」だとしている。私も同感だが、さらに一歩進めて、私は必ずしも火が必要か、焼くことが必須条件か、と疑問を提起したい。

焼かない焼畑もありではないか。

焼畑は、英語ではshifting cultivationを使う。これを訳すると、切り換え畑になる。(今、翻訳機能を使うと、焼畑は、Slash-and-burn agricultureになった。)
つまり、火を利用することより、休耕する=耕作する土地を次々と切り換える、移動することに大きな意味があるように思える。

そして、焼畑とは農耕の一技術と思われがちだが、実は林業や牧畜も含めてさまざまな形態のある土地利用体系である。しかも、行う場所を移動することでいくつもの生態系を地理的に並列させるうえ、時間的な系列も作る。

そこに新しい科学の視点が生まれないかと夢想してみる。

伐採と燃焼により、植生遷移を人工的に引き起こすことで時間的多様性をつくり、それが比較的狭い地域にモザイク状に配置することで植生多様性をコンパクトに作ることになる。
また、時間をかけて有機物を部生物に分解させて無機質の成分になることで植物の栄養となる自然界の仕組みを、有機物を燃焼させることで短時間に無機化することになり、それがどんな影響を与えるか……と考えると、時間生態学もありえるのではないか。

もちろん農林畜産業など多様な生産物を同一の土地で扱う点からは、産業多様性とか産業遷移なんてことを考えたら面白いだろう。いかに産業は移り変わるか、ヒントが生まれるかもしれない。

現代社会は、「安定」という名の固定化を願いがちだが、そもそも移り変わるものだという思想を持つことで、遷移社会学、焼畑文明論だってありえる。盛者必衰の産業学である。

休耕部分を取り上げて、バイオマスの時間的蓄積と消費論を取り入れたら休むことの哲学になるかもしれない。

 

 

ただ、現実世界にもどると、焼畑というシステムは、滅びつつある時代であることは間違いない。もともと焼畑民は、クニが肥大化していく中で片隅に追いやられた民族の技術・文化であった。そして、いまや風前の灯火である。

再び焼畑を見直し、現代社会に適応した焼畑技術を確立できないだろうか。そして焼き畑を復興する。全国各地に休耕地があふれる中、利用価値はあるはずだ。

いっそ焼畑専用農場を設置して、機械化焼畑を行うとか、焼畑専用機械を開発する……。

ちょっと悪のりか(笑)。

2011/11/12

どんぐり火鉢

生駒山の植生は、8割がコナラ林。みんなドングリを付けている。コナラ以外にもクヌギやシイ・カシ類もドングリがいっぱいで、それがパラパラと降ってくる。
今歩くと、どんぐりがいっぱいで、ポリポリ足で踏みつぶしてしまう。

……そんな光景で思い出したのが、この前訪れた京都の町家(京都ペレット町家ヒノコ)に店舗を構えている株式会社Hibanaで見つけた一品。

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木製どんぐり! 

だが、何も人形やモニュメントみたいな飾り物ではない。

 

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傘を持ち上げれば……、中は火鉢になっているのだよ。

ちゃんと鉄で内張りしているから、燃えない。


火鉢としては小さいから、手あぶりくらいの用途かもしれないけど、ちょいとオシャレな品でした。もちろん木工家の手づくりだ。

でも、4万円ではなあ~。簡単に手をあぶれないよ。

2011/11/11

全国育樹祭の林業機械展

来週末に、奈良県で全国育樹祭が開かれることは、これまでに触れたかと思う。

20日に平城宮跡で皇太子を招いての式典もあるそうだが、これはフラリと参加できるものではないのでどーでもよい。

その前日に川上村で開かれるのが、「育林交流集会」という名のシンポジウム。http://www.pref.nara.jp/secure/46817/houdousiryouikurin.pdf

これに私も出るわけだが、私の講演テーマは「日本の森は、人がつくり上げた

そしてパネルディスカッションが「美しい森をつくろう~木材利用促進による吉野林業の振興~

パネリストは、私のほか、地元の林業家(にして、私の師匠)辻谷達雄氏、鹿児島大学の遠藤日雄教授、奈良県銘木協同組合の貝本博幸理事長。コーディネーターは奈良女子大学の藤平真紀子講師。

ただ、私が注目しているのは、実は式典の裏側で行っている「森林・林業・環境機械展示実演会」である。
http://www.pref.nara.jp/secure/46817/230525.pdf

001


こちらは、20日と21日の2日に渡って、五條市の工業団地内で開かれる。

近鉄八木駅からシャトルバスも出るそうだ。もちろん駐車場もある。




チェンソーなどはもちろんだが、高性能林業機械がどこまで展示実演するのか。あるいは環境機械として、木材切断機やオガ粉製造機などが出展されるらしいが、どんなものか見てみたい。

ちなみに私は、この手の機械系にはあまり興味がなかったのだが、林業の変革が進む中では見逃せない気がしてきた。機械の性能が、今後を占う部分もあるからだ。

全国から林業家も集まるようで、私の知り合いも来る。その点も楽しみかな。

2011/11/10

宮脇昭理論の批判を試みる

森林景観と市民意識について考えると、これまで原生林至上主義というのが強くあって、そこに雑木林見直し論が広がった。そこに人工林再生運動(林業復興運動)も盛り上がってきた。

私は、なかなかよい流れだと思っていたのだが、最近になって、勢力を増してきたのが潜在植生至上主義である。これはヤバイのではないか。

……というようなことを、生駒山を歩きながら考えていた。

潜在植生至上主義とは、多くの場合照葉樹林至上主義であり、さらに言えばそれを唱えた宮脇昭氏の理論を盲信した結果である。もっとはっきり問題点を言えば、宮脇信者の暴走であろう。  ……ああ、また敵を増やしそうだな(笑)。

以前にも、宮脇昭・横浜国立大学名誉教授の活動に対する違和感、というか、立場の違いを記したが、単に意見の相違を超えた、問題点を感じだしたのだ。

冒頭の原生林至上主義というのは、人為を排した自然こそ素晴らしいというロマン主義思考だと言ってよいかと思うが、そこに雑木林のような遷移途上植生も美しいし、大切だよ、という声が高まってきた。また人は木材を必要とするし、人工林は手を入れないと健全に育ちにくいことも認知されてきたように思う。原生林を貶めるのではなく、その他の自然にも目を向けてきたのだ。

ところが、潜在植生至上主義とは、形を変えた原生林至上主義であり、基本的に人為を嫌ううえ、ある一種類の森林形態を至上のものとして他環境を排斥しかねない考え方ではないか、と思うのだ。しかも、素直な美意識にも反している。

実際、宮脇信者は、雑木林の間伐にも反対するらしい。そのまま照葉樹林に移行させるべきというわけだ。しかし、本当に落葉広葉樹主体の雑木林は必要ないと思っているのか。美しく感じないのか。
また人為を嫌うわりには、照葉樹(など潜在植生の樹種)を植えたり、埋土種子入りの土壌をまきたがるのだが、照葉樹林で暗くなった森を美しく感じるだろうか。

宮脇氏の文章や発言には、潜在植生とか極相林という言葉が多用されている。そして遷移途上の植生を軽んじているというか、嫌っているように感じる。

しかし、そもそも現代生態学では、極相という考え方自体に修正が迫られているのではないのか。植生は常に変化していて、極相のように「それで安定」という状態はないと言われ始めているからだ。数百年単位で見れば、安定した森林(変わらない植生)そのものが存在しない。

極相(潜在植生)は、手間いらずで強いから」という宮脇氏の言葉は怪しい。だって、極相植生も手を入れなければ成立しなかったり、破壊されることはままあるからだ。

たとえば深層崩壊のような土砂崩れや洪水には、どんな植生も破壊されるし、病害虫や獣害、火事などで森林が一変することも少なくない。そうした跡に、先駆種や途上の草木が育つのに、それを否定してどうする。

そして、いきなり遷移の最終段階の木々(たいてい照葉樹)を植えたのでは、環境に適していない草木を無理に育てることになり、生態系に反している。破壊された後の環境には、そこに適した草木を植えるのが順序だろう。時間軸を忘れて植生を求めるのは危険だ。

宮脇氏の提唱する潜在植生を重視した森づくりは小さな敷地(工場や都市公園など)の緑化技術にすぎない気がする。

地球環境を考えれば、さまざまな植生(生態系)を活かして、生物多様性をめざさなくてはならないはずだ。そして、植生だけでなく、菌類や節足動物、さらに鳥獣まで含んだ全体の環境を見渡す視点が必要ではないか。もちろん、その中には人間も、人間の活動の影響を受けた環境も含まれる。

と、まあ、これも遷移途上?の試論である。もう少し、考察を深めねばならないな。。。(~_~;)。

2011/11/09

生駒山にナラ枯れ!

昨日の続きになるが、生駒山系の北端に近い大阪府立公園の「ほしだ園地」。

ここで見つけた木がこれだ。

Photo



コナラの大木である。

が、樹皮に何やら白く浮かぶのは木粉。ということは……カシナガキクイムシだろう。この虫が穿ったらしき穴も見つかった。

つまり、生駒山にもナラ枯れが侵入しつつあるといをことだ。

※ナラ枯れと書くと奈良枯れと変換されることが多くてイヤだ(^^;)。もちろん奈良県が枯れるのではなくて、ナラ類、ブナ科やシイ、カシ類が枯れるのである。

まだ、この木は元気そうだが、このままカシナガキクイムシの侵入が続いたら長くはもたないだろう。

以前にも触れたが、生駒山系は8割がたコナラ林だから、それが枯れたらオオゴトだ。今は北端に十数本見つかっているだけだが、早晩全域に飛び火するだろう。それを弱度に押さえるには、速攻で被害木を伐採するしかない。

かつてはマツ枯れも広がり、今や生駒山系にマツはかなり少なくなった。しかし、その際にマツが枯れた跡地にコナラを始めとする広葉樹が増えたので、全体として生駒山の緑は失わなかった。しかし、コナラが枯れたら次の植生がどうなるか見当がつかない。すぐ照葉樹というわけにも行くまい。

そこで、太くなったコナラを早めに伐採しようという意見が出ている。カシナガがとりつくのは、多くは太い木だし、その方が景観的にもよい。そして、照葉樹林化する遷移を留めることができる。

ただ広葉樹、それも大木となると、伐採するのは簡単ではない。技術も相当いるし、公園で木を伐採するとなると、訪れた人々がどんな反応を示すか。

ちなみに、コナラは長生きしない(先駆種である)とされている。しかし調べてみると、広島県の帝釈峡近くに、おそらく日本でもっとも太いコナラはとして、幹周りが7メートル40センチになるのが見つかっているとか。これはすごい。一度、見てみたいものであるが、まさか、そこにカシナガはつかないだろうな……。

2011/11/08

明るい照葉樹林とは

今日は、生駒山を歩いた。

と言っても、散歩ではなく、お仕事である。お仕事。

まだ紅葉には早い季節だが、青空に恵まれ、美しい森林景観が広がる。吊り橋の上から見ると、深山幽谷の気分になれ、しかも林冠を眼下に見られる。

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林冠や樹冠を間近に目にするのは、非常に興味深い。熱帯雨林では、樹上回廊が建設され、樹冠見学が観光の一分野になっているが、日本の森だって可能ではないか。とくに照葉樹林の樹冠は年中、葉が繁っているから見どころがあるはずだ。

そしてメンバーの中には、植物、とくに照葉樹林が専門の先生がいた。

生駒山の潜在植生は照葉樹である。そして、戦前の禿山から落葉樹林の植生を経て、現在は照葉樹へと遷移を進めている。というと、自然回復が進んでいるようで結構なことのように聞こえるだろう。が、そう簡単ではない。

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写真は、ソヨゴ。庭木などにも使われるし、最近は蜂蜜が採れることで養蜂家からは歓迎される。

ただ照葉樹(常緑樹)ではあるが、比較的明るいところを好むようだ。そのため、遷移が進むと消えてしまうらしい。

しかし、人に触れ合う森としては、やはり照葉樹より落葉樹だろう。暗くなった照葉樹林は、人が過ごすには向いていない。残念ながら、生駒山の森が暗い照葉樹林になったら、人が憩う場にはなりがたい。

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明るいコナラの森

今の生駒山の植生は、圧倒的にコナラである。
つまり、落葉樹林ということになる。しかし、その下に照葉樹が伸びてきているのだ。

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シイ・カシの森。暗くなった林床に草が生えていない。

これでは、美しくないし、あまり楽しくないだろう。

ところが、先生のいうには、宮崎県綾町の照葉樹林は、明るく美しいのだそうだ。照葉樹林にもいろいろあるらしい。綾町の照葉樹林は、原生環境のまま残されているといい、一度伐採されてから遷移によって再生した森ではない。そこに違いがあるのだろうか。

綾町は訪ねたことがある。どころか、泊まってアチコチ歩いた記憶もあるし照葉大吊り橋も渡ったのだが、照葉樹林本体はゆっくり見て歩く時間的余裕がなかった。

明るい照葉樹林。一度見てみたいものだ。

2011/11/07

佐賀と言えば……吉野ヶ里

佐賀といえばシリーズ(笑)。

私が佐賀で訪れたのは、玄海原発だけではない。ちゃんと吉野ヶ里遺跡も訪問したのだ。

実は10年くらい前に一度訪れているが、もう記憶も薄れているし、改めて確認したいと思ったのだが、なんとも暑い日であり炎天下歩くにはきつい広さだった。

それでも、記憶よりはるかに多くの復元家屋が広大な野原に広がる様子は、圧巻。なるほど、弥生時代の風景はこんな状況だったのかもしれないな、と思わせる。

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し、しかし、この主祭殿は、立派すぎるのではないかい。

遺跡は、柱の穴ぐらいしか見つかっていないはず。その上物の大きさや3階建てであることなど、ちょっと早々の翼を広げすぎたのかもしれない(~_~;)。

しかも、遺跡から出た木製の多くはモミの材が多かったというのだが、この建物はどう見てもスギ材だ。いや、スギだけでは強度に不安もあるし、おそらく目に見えないところで補強しているはずだ。

むしろ、私がリアルに感じたのは、この環濠集落らしい柵である。

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このように幾重にもなっている。遺跡からも柵の杭穴は見つかっているだろうから、これこそ本物に近い気がする。かつては近隣集落との戦争が多かったのかもしれない。

ただ、杭の材はクヌギ材が多いようだが、これはどうだろう。

これまで見てきた古代の大規模集落遺跡としては、縄文なら青森の三内丸山遺跡に鹿児島の上野原遺跡。弥生なら、吉野ヶ里に静岡の登呂遺跡だろうか。大阪の池上遺跡も、実は捨てがたい。そして古墳時代に入って明日香村の数々の遺跡群。

もうこれで、古代史は押さえたね。

それにしても、展示施設などには、繰り返し「卑弥呼の里」とか「邪馬台国」の文字が。

一応、九州説と畿内説を比べているのだが、書き方は畿内説はボロクソであり、あくまで九州説、それも吉野ヶ里こそ邪馬台国の可能性が高い……と誘導している(~_~;)。

奈良県民としては、それは許せませんなあ。

断固、私は畿内説、それも大和説なのだ。纒向遺跡を見よ。

この件に関しては、本番の講演でも強調しておいた。佐賀県民に初っぱなから、喧嘩を打ったのである\(^o^)/。

2011/11/06

佐賀と言えば……玄海原発(^o^)

佐賀から帰って来た。

佐賀といえば、今話題なのは……やっぱり玄海原発でしょ、というわけで行ってきました(^o^)。

これが原子炉だ!

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と、言っても、もちろんこれは模型である。

原子力発電所に入れるわけはなく、訪れたのは原発の隣につくられた、“楽しく”原発の仕組みを紹介している「玄海エネルギーパーク」!

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というわけで、そこから眺めた原発4基。

手前の円筒形の建物が左が2号機、右が1号機。後ろの休憩に見えるのが、左4号機、右3号機。ちなみに前に見える檻のような温室は、原発廃熱を利用した鑑賞用温室。熱帯の植物などが育てられている。

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そして、話題の再稼働させた4号機をアップで眺めてみた。






私は、鉄ちゃんではなく、原発オタクだったりして。

2011/11/04

今度こそ九州新幹線

今度こそ九州新幹線
佐賀へ向かう。せっかくだから九州新幹線つばめに乗った。たったひと駅であるから何の意味もない。ただ初めてだというだけ。鉄ちゃんではないのだが、この程度の興味はあるのである。

車両は以前乗ったが、博多からは初めてという点もある。木質で囲まれた座席はなかなか目に優しいし快適だよ。

しかし乗ってすぐトンネル。なんだこりゃ。車窓の景色がまったく見えない。山陽新幹線もそうだったが、景色が途切れると気分が悪くなる。

もう、乗らんな。。

2011/11/03

植民地林学

『焼畑の環境学』(思文閣出版)という本を贈呈された。

全588ページ、付録CDも付いた大部の著作である。値段も9000円プラス税と破格(笑)。

もちろん専門書であり、ほとんど学者が焼き畑を論じており、テレビ「クニコおばはと不思議の森」で紹介された宮崎県椎葉村の焼畑も含まれている。

が、あまりの大作ゆえ、まだ十分に読んでいない。この本の紹介はまた改めて行うとして、今日は目を引いた言葉について。

それは「植民地林学」である。

簡単に言えば、主にヨーロッパの国が世界中に植民地を広げる過程で、それぞれの地域で森林資源の利用(そして保続)を考える中で、本国(ヨーロッパ)とは違う林学を展開したのである。

考えてみれば当たり前だ。植民地になった多くは熱帯地方で、そこにはヨーロッパでは見られない気候と風土があり、そこに成立している森林もまたヨーロッパとは似ても似つかぬ生態系を築いていたからだ。また植民地ゆえの目的があり、林学・林業も本国とは展開の仕方が変わったのだろう。

とくに過酷な熱帯地域ならではの、森林保全論や森林が環境に及ぼす影響……などが提起されたらしい。

重要なのは、そこで生み出された林学(というか森林論かな)や林業技術は、そこに収まっているだけでなく、宗主国や別の植民地に持ち込まれたであろうことだ。

欧米の植民地が広がったのは19世紀。この時代にヨーロッパでも近代林学が確立されようとしていたが、そこに熱帯地方の斬新?な森林事情の情報が持ち込まれたら、それなりの影響を与えたことが想像できる。

ちなみに多くの植民地を持ったイギリスは、当然そこで植民地林学を発達させるが、その中心であったインドの初代森林局長は、ドイツ人植物学者のブランディスだそうだ。とすると、ドイツ近代林学が植民地林学の土台になりつつも、ドイツ林学へ植民地の事情が反映された可能性もあるのではないか……と想像する。

そして、その融合した林学が、「近代林学」として明治期の日本に移植されたのだ。

本書では、それが焼畑に向けた目について論じられる。だがその前に植民地林学がヨーロッパ林学へ与えた影響をもっと検討すべきではないか。いや、植民地林学そのものを、もう少し知った方が日本の林業近代化に役立った可能性だってある。

もしかして、日本には、純然たるヨーロッパの林学よりも、植民地林学の方が似通っている部分が多いかもしれない。またヨーロッパの森林保護の理論は、実は植民地生まれかもしれない……と思うと、日本への応用の仕方も変わってくる。

 

ポスト森林・林業再生プランは、インドに学べ。インドシナに学べ。インドネシアに学べ。。。なんてぶち上げるか(^o^)。

2011/11/02

ついに出た…山国林業の解説書

以前、本ブログでも告発?した、文化庁の「ふるさと文化再興事業」で京都市北部の山国林業についての記録に関する解説書が期限をすぎてもまだ出版されない件。http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=69550107&blog_id=252196

ようやく出た。本日、受け取る。

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苦労もひとしお、感慨深い……と言いたいところだが、実は全然そうではない。

それどころか、わざわざ持ってきてくれた元請けの人と、「もうこりごり。見たくもない」と言い合った代物なのだ(苦笑)。

いや、内容が悪いかどうかを言うのではない。私は「山の章」を受け持ち、歴史や伐採、そして木馬などの搬出技術について書いた。少なくてもこの部分の出来は悪くない。自信を持っている。

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こんな感じで、イラストもたっぷり。伝統的林業を紹介している。



後半の筏の部分は、私の担当ではないから、論評を避ける。



 

 

「見たくもない」と嫌気をさしたのは何が問題か、というと、そもそも3月に仕上がるはずが、半年以上も延びたことが元凶である。具体的に言えば、某博物館の元担当がオモチャにして、最初36ページでつくるはずのものを82ページに膨らませた。結果的に仕事の段取りも中身もズタズタになり、おかげで関わったメンバーみんなが嫌気がさしてしまった。思い出すとムカつくのである。

というわけで、私も自分の担当したところ以外は読む気になれない(~_~;)。

もし、興味のある方は、亀岡市の教育委員会に問い合わせてほしい。DVDともども、解説書を分けてくれるだろう。

※ところで、私は、まだ『日本人が知っておきたい森林の新常識』を書店では見つけていない……。

実は、手元にあるのも見本用の数冊だけ。版元には献本用と販売用に50冊注文したのだが、いまだに届かないのだ。こちらも困ったものだ。

2011/11/01

徐伐の定義

除染のことを書いて、思い出したのが徐伐(^^;)。じょの漢字が違っていることは、こうして書いてみて初めて気がついたのだけど。

この前、吉野の師匠と話していて、徐伐って何? と思ったのだ。

私は、徐伐とは植林地に生えてきた植栽木以外の雑木を切り捨てること、植林初期に行う作業だと捉えている。たしか、そう習った記憶が。

ところが、吉野ではそうした雑木プラス最初の1回目の間伐、つまり植栽木だけど、成長が悪い木を切り捨てる行為も徐伐に言えるという。

ところが、その場にいた和歌山県出身の林業マンは、伐り捨て間伐のことを徐伐という……(それに雑木伐採も加える)というのだ。

地域によって徐伐の定義も変わるのか。

徐という字を使う通り、切り捨てる意味であることに違いはないようだが、その範囲は微妙に違うようだ。考えれてみると吉野では、1回目の間伐以外の間伐材はみんな利用してきたはずだ。銭丸太など直径3㎝くらいしかないが、それも売り物にしたのだから。それなら利用しない木を伐ることと定義づけてもいいのかもしれない。

そもそも伐り捨て間伐という言葉が登場した時点で、徐伐という言葉を置き換えたのだと考えた方が理解しやすい。

しかし、範囲が違うとなると、徐伐という言葉は気をつけて使わないといけないなあ。徐伐は雑木(主に広葉樹)ばかりと思って話したり記事にすると、誤解を生みかねない。

各地の林業地における徐伐の定義、違ったものがあれば教えてほしい

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