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森と林業と田舎の本

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2011/11/03

植民地林学

『焼畑の環境学』(思文閣出版)という本を贈呈された。

全588ページ、付録CDも付いた大部の著作である。値段も9000円プラス税と破格(笑)。

もちろん専門書であり、ほとんど学者が焼き畑を論じており、テレビ「クニコおばはと不思議の森」で紹介された宮崎県椎葉村の焼畑も含まれている。

が、あまりの大作ゆえ、まだ十分に読んでいない。この本の紹介はまた改めて行うとして、今日は目を引いた言葉について。

それは「植民地林学」である。

簡単に言えば、主にヨーロッパの国が世界中に植民地を広げる過程で、それぞれの地域で森林資源の利用(そして保続)を考える中で、本国(ヨーロッパ)とは違う林学を展開したのである。

考えてみれば当たり前だ。植民地になった多くは熱帯地方で、そこにはヨーロッパでは見られない気候と風土があり、そこに成立している森林もまたヨーロッパとは似ても似つかぬ生態系を築いていたからだ。また植民地ゆえの目的があり、林学・林業も本国とは展開の仕方が変わったのだろう。

とくに過酷な熱帯地域ならではの、森林保全論や森林が環境に及ぼす影響……などが提起されたらしい。

重要なのは、そこで生み出された林学(というか森林論かな)や林業技術は、そこに収まっているだけでなく、宗主国や別の植民地に持ち込まれたであろうことだ。

欧米の植民地が広がったのは19世紀。この時代にヨーロッパでも近代林学が確立されようとしていたが、そこに熱帯地方の斬新?な森林事情の情報が持ち込まれたら、それなりの影響を与えたことが想像できる。

ちなみに多くの植民地を持ったイギリスは、当然そこで植民地林学を発達させるが、その中心であったインドの初代森林局長は、ドイツ人植物学者のブランディスだそうだ。とすると、ドイツ近代林学が植民地林学の土台になりつつも、ドイツ林学へ植民地の事情が反映された可能性もあるのではないか……と想像する。

そして、その融合した林学が、「近代林学」として明治期の日本に移植されたのだ。

本書では、それが焼畑に向けた目について論じられる。だがその前に植民地林学がヨーロッパ林学へ与えた影響をもっと検討すべきではないか。いや、植民地林学そのものを、もう少し知った方が日本の林業近代化に役立った可能性だってある。

もしかして、日本には、純然たるヨーロッパの林学よりも、植民地林学の方が似通っている部分が多いかもしれない。またヨーロッパの森林保護の理論は、実は植民地生まれかもしれない……と思うと、日本への応用の仕方も変わってくる。

 

ポスト森林・林業再生プランは、インドに学べ。インドシナに学べ。インドネシアに学べ。。。なんてぶち上げるか(^o^)。

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コメント

ああっ、今はもうそれくらいに!...

え? インドネシアの次はメラネシア、ポリネシアに行こうかと思ったのに(^o^)。

 親父が言ってました。
 おじいから立木で受け継いだ山と自分が植林から育林した山と、土地立木をあとから購入した山とでは、「自分の心持」としても扱いが違うんだよなあ、って。

 まあ、同じ市町村内での似通った風土での話ですけど。

 植民地のように気候や文化や風土や動植物の生態が違鵜わけではありませんけれど、すこし頭の隅に親父の言葉がよぎりましたのでコメントさせていただきます。

一つの山しか見ずに、その経験や知識を全体に広げて考えてしまうことはよくあります。それが、大きな間違いにつながることも……。
先祖代々の山と、自分が手を入れた山と、購入した成林後の山、そうした違いを知るのも大切じゃないでしょうか。
ま、思い入れの違いはどうしても出るでしょうが。

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