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2011年12月

2011/12/30

リュウトカゲは発見されたか

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『月刊アニマ』 1987年12月号











  
 
   

仕事部屋から重大決意をして排除した、往年の自然雑誌『月刊アニマ』。

この雑誌は、毎年年末には来年の干支の動物を取り上げていた。で、12年前は龍だった。

この龍特集は、古今東西の龍伝説しつつ、龍のイメージやデザインを探る。さすがの動物雑誌でも、龍は実在しないから難しい……と、そこに懐かしい記事を見た。

上記にあるとおり、龍に相当する動物が、中国奥地で発見されたというのだ。

これは中国人劉健文の論文を元に記述している。
その内容はすごいのだ。龍を発見したのはロシア人の動物学者クプリャノフで、場所は中国南西部のナガ族自治県にある雲貴高原の小さな盆地にある湖。ここはナガ族の聖地として、長く外来者の侵入を拒んできた。その後忘れられていたのだが、劉さんが再発見したのである。
基本的にはトカゲの一種としているが、この種が龍伝説の元になったのだろうと推測するものだ。

そして、現在知られているオオトカゲ科には属さないとして、リュウトカゲ科の新設を提案する。

トカゲ目オオトカゲ上科リュウトカゲ科リュウトカゲ属リュウトカゲ
学名  Naga chinensis Kpeyanov 1843

なんたって全長は最大7メートルにも達する。これは現在世界最大のトカゲとされるコモドオオトカゲ(4m)を越えるのだ。背部には2列の鱗が立ってたてがみ状になり、側頭部には角状の突起が見られる。
しかも、子供は樹上性で、なんと滑空する。胸骨を広げて翼とするのである。成長すると、水に入り、水中に穴を掘って生活する。交尾も水中で行うらしい。そして胎生だというのだ。出産は樹上で行い、主に魚食性。

感動的ではないか。私は、この龍のいる湖を探検に行きたいと切に願ったものだ。

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記事の末節部分。

 

 


  
 
……が、よく読むと、このリュウトカゲの棲む盆地の湖は、その後大地震による山津波に埋もれてしまったらしい。標本も、文化大革命の時期に研究所が閉鎖されて、漢方薬の材料に売られてしまったという。そして、いまだ中国の研究者にも、この論文は認められていないのだ。劉(りゅうと読む)さんも、この騒動の際に行方不明になってしまった。

これって、幻の動物・鼻行類ハナアルキと同じではないか! (ハナアルキは、南太平洋のハイアイアイ群島で発見された鼻で歩く小哺乳類。水爆実験で島ごと姿を消したと言われる。)

ちなみに、この記事の執筆者は、京都大学の爬虫類学者である疋田努准教授。後年、彼に会ったときに、リュウトカゲの話を持ち出すと、笑って「あれ書いて、まわりにえらく怒られたよ」と言っていた。

でも、いまだに「リュウトカゲはいたんだ」と思っている人はいるみたい。

考えてみれば、世界各国で龍やドラゴンの伝説があるのだから、その元となる動物がいたっていいじゃないか。

ブータンの王様は、龍を見た、と話している。いや、ブータンこそ龍の国なのだ。

そして生駒山も、龍の山とされる。実際に生駒山は南北に長く蛇行し、そこに龍にちなんだ地名もあった。今も龍眼寺、龍間寺、龍尾寺、八代龍王神感寺……など寺や神社など宗教施設の名に一部残っている。龍を祀る寺社も多い。

来年は龍、辰の年。心の中の龍を育て、空へ水へと飛翔しましょう。

2011/12/29

カジュアルウッド

木材の品質について書いてから、さらに考えた。

高品質な「商品としての木材が必要であることは再三触れている。
が、それは、かつて歩んだ「役物」「銘木」という高価格・ブランド化への道ではない。その道が閉ざされているのは証明済みだ。もはや「役物」という高品質は求められていない。ブランド道は崩落して、奈落の崖下へと続いているのだよ。

わずかに崩れ残った道脇をそろそろ横歩きしつつ渡れるのは、寺社仏閣やお茶お華の世界のような好事家といった特別な顧客をつかんだ非常に少数の林業家だけだ。その道を再び広げることを期待するのは、無謀を越えて時代錯誤だろう。

では、山を切り開いて、別の道をつくるか。新たなデザインを提案し奇抜な建築家と結びついて、新需要を生み出すか。
が、これも極めて細い道だろう。仮に開いた道の向こうに大きな需要が眠っているのなら、しゃにむに山を崩して太い道を通せばよいのだが、実際は少数の奇特な消費者しかいないだろう。こちらも隙間を狙った少数の林業家しか生き残れない。

では、国産材は、何の品質を高めて、どこをめざせばよいのか。

 

 
 

そこで思いついたキーワードは、「カジュアルウッド」である。

カジュアルcasual)とは、正式(フォーマル)でない略式の状態を指す。気軽で堅苦しくない、リラックスするためのファッションを示すことが多い。今後、木材を使うことが気軽にならねばならない。言い換えると、役物はフォーマルで非日常だが、気軽に誰もが手にとり気軽に使えるカジュアルな木材を指向すべきではないか。

それは奇抜なデザインや、高技術によって製造した製品ではない。シンプルでよい。

とはいえ、画一的な商品を大量につくって価格も安くすることを「気軽に使える」カジュアルウッドだと勘違いしてはいけない。それには魅力がない。
マテリアルとしての木材需要に絞り込めば、まず外材に負ける。次に非木材に取って代わられる。それも歴史が証明済み。画一的で、機能的品質やビジネス的品質だけを追求すれば、それは国産材どころか、木材でなくてもよくなるのだ。鉄骨や合成樹脂で十分となる。

あくまで、木材としての価値を主張したファンシーさも展開しなければならない。

ファンシー(Fancy)には、空想という意味のほか、気まぐれな好み、道楽、上質な、変わった…という意味を含む。それこそが木材固有の魅力となりうるのだ。

カジュアルでなければ需要は増えぬ。同時にファンシーで日本人の感性・好みを熟知した商品開発を行えば、外国勢にはなかなか真似できず、市場を奪われずに済む。

あくまでファンシーでカジュアルな木材商品で、外材の一歩上をめざしたい。

 

2011/12/28

減速社会から限界社会へ

いつものように親の買い物につきあう。私の両親は、ともに80を越えて、免許の更新を打ち止めたので、私が送迎しているのである。

いつも訪れる生協は年の瀬ゆえかごった返していた。私が観察するに、この生協は高齢化率が高い。すると、買い物風景もちょっと雰囲気が違う。品定めにしろ、カーゴの押し方にしろ、レジの行列にしろ、実にゆっくり……はっきり言ってモタモタしている。まわりに目配りができなくなり、カーゴを通路のど真ん中に置いたまま離れる人。財布から小銭が取り出せない人。そもそもカーゴからカゴをレジ台に乗せることさえできないケース。

駐車場でも車の動きはモタモタしているし、歩くのもふらついている人もいるし……。

こうした傾向を「減速社会」と名付けて、このブログでも記した。

しかし、減速社会は、一地域の高齢化現象に止まっていないことに気づいた。

もはや国全体を人口減、高齢化が進んでいる。日本は、どんどん人口が減っていく。

かつて山村の過疎化について調べているうちに、問題なのは人口減ではなく、年齢バランスが崩れることだと気づいた。実は、人口が減っても、各年齢層がまんべんなくいる地域は元気なのである。むしろ少人数ゆえの良さもある。

が、高齢化が進むことが社会のバランスを崩す。かつてのピラミッド型人口バランスが、今やキノコ型になりつつある。今後、いくら出生率を上げても、ピラミッドにもどることはありえない。せいぜい釣り鐘型にするのが関の山だろう。それだって、出生率の回復以降、何十年もかかるから、とてもそれまで待てる状況ではない。

当たり前なのに意外と気づく人が少ないが、今日本でもっとも高齢者が多いのは首都圏だし、若年者人口も急速度で減っている。田舎とか地方都市だけでなく、大都市も含めて高齢化は進行中の事態である。

だからもはや限界集落なんて問題ではない。いや、限界集落なら「撤退」という選択肢もあるのだが、国家となるとどこにも撤退できず、合併も考えられない。

いや、日本の国だけでなく、日本の後に韓国、台湾、そして中国も猛烈な高齢化社会が到来することが決まっている(推測ではなく、確実に到来するのだ)。すでにヨーロッパもそれに近くなっている。中国が、何億という高齢者を抱えたとき、どんな社会になるのだろうか。

その意味では、日本は先陣を切っている。うまく減速社会向きの経済構造をつくれば、海外に展開するチャンスかもしれない。もっとも、減速化した人々は、そんな事業意欲も弱くなるだろうが……。

これは、「限界社会」の到来を示しているのではないか。どんどん減速せざるを得ないのだ。

今の国際社会は、一見スピードアップ化が進んでいるかのように感じるが、少しスパンを長くとって(50年、100年単位)見ると、地球規模で減速していくだろう。
そこで高齢者-若者の共生を試みると、全体のレベルダウンに陥るから、自己責任社会にならざるを得ないだろう。自分の老後は自分で面倒みる、ということだ。

……年の瀬に、そんな暗い予言をしてみたわけだが、実は、減速自体が悪いことではないような気もしているのだ。他者と無理に競争させられず、自らの意志と責任で、自らの人生をゆったりと生きる道も考えてみたい。これって、もしかして素敵かも。

2011/12/27

棚田のスギ林

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上記の写真は、何を撮ったかわかるだろうか。

ひょろひょろのスギ林なのだが、ほとんど水に浸かっている。ここ数日雨は降っていないのに水が溜まっているのは、ここが棚田だからだ。

これは、先日の生駒山「予定調和」遭難事件(~_~;)の際に撮ったもの。

あきらかに段々に刻まれた林地があり、そこにスギが植えられている。かつては棚田だったところを放棄する時に植林したのだろう。

水田だっただけに水はけは悪く、一部は池のようになっているのである。スギは湿気に強いから枯れるまではいかないが、育ちも悪いし、この木々も使い物にならないだろうなあ。

それに地目も農地のままではなかろうか。

もっとわかりやすいのが、この写真。

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こちらは、十津川村で撮影したものだが、石垣が築かれた棚田に植林したようだ。こちらは、ソコソコ生育している。

 

こうした林地、今後はどうなるのかなあ。棚田なみに収穫できればよいけれど。

2011/12/26

木材の品質とは

輸入される大量の木材に対抗するには、国産材は品質で勝負するしかない……と先に書いてしまった。

が、木材の品質とは何か、ということが誤解されたままでは、上記のフレーズに意味がなくなる。

実際、業界では「国産材は外材より品質がよい」という発言が散見されるのだけど、これも口にする人によって意味が違っていたりして、誤解を招きかねない。
おそらく、昔からの感覚で「品質」をいう人は、無節とか年輪が詰まっているとか、木目だ色だ、といった、いわゆる「銘木」の概念で品質を捉えているのだろう。つまり、高級材を生産することで、「安い外材」との差別化を計ろうというわけだ。

だが、それはすでに破綻していることを忘れてはいけない。銘木生産で国内林業の生き残りを計る路線は、40年も前に行いしばらくはうまくいったが、1990年代のバブル経済とともに崩壊した。今の林業不況は、その路線ではだめになったからである。銘木(役物)市場は今もどんどん縮小を続けているのだ。

そこで、「木材の品質」について分類してみた。

まず、見た目。外見的品質だ。これは情操的な「木っていいな」と思わせるもの。古くからの銘木の定義だった無節や密な年輪、杢のような珍奇な木目もその一分野だが、それだけではない。
最近では、節もデザインになったり、黒芯など変色も活かすことが可能だ。虫食い痕も意匠になる。この品質は、製材も含めて人が商品に向ける好感度なのだ。

第2に、機能的品質マテリアルとしての木材の機能を求める場合に必要となる、強度やヤング率、割裂性、調湿性、手触り、香り、加工のしやすさまで考えられる。用材でなく、燃料用なら、燃えやすさ・火持ち・熱量なんて項目もあるだろう。これは樹種が決定づけるほか、乾燥度も影響を与える。これは計測してわかるようにすることが肝心だ。

第3に、ビジネス的品質。これは、商取引を行ううえで求められるサービス品質である。わかりやすいのは、アイテムとロット。まず商品の品揃えと安定供給する体制だ。太さや長さ、樹種……さまざまな種類を揃えていないと、注文しにくいし、またまとまった量を一気に届けてくれる量の確保も品質である。
それに加えて、輸送体制も入るだろう。納期は早いほどよい。それも正確であること。注文したら、取引相手と決めた日時に、確実に注文した分をきっちり届けられることが重要となる。

第4に、社会的品質。社会的要請に応えることができるか否か、も品質と扱うべきだ。具体的には、今風に言えばトレーサビリティ。産地証明と流通履歴、それに合法証明も必要になった。もしかしたら今後は放射性物質の有無まで入るかもしれない。
さらに、これは1番の情操に関わるのだが、ドラマ性やストーリーとしての情報も含めるべきかもしれない。どんな土地の誰が、どんな思いをして植え育て、そして伐ることになったのか。育った森の環境や景観も入る。その木を伐る時の写真・映像もありだろう。

4つに分類した「品質」だが、こうして並べてみると、国が進めた林政は、第3の品質を押し進めたことになる。また、第4の産地証明や合法証明も少し手がけている。

しかし、銘木とは違った新しい「外見的品質」は、いまだ一部の作家的商品にしかないし、機能的品質も研究は進んだが十分に広報活動は行われていない。社会的品質も、一部の林家が個人・もしくはNPOなどが取り組むレベルに止まっている。ビジネス的品質でさえ、大手偏重のままである。

もちろん、すべての品質を押さえないと売れないというわけではない。集荷が遅く、ビジネス的品質は劣るが、外見的品質、あるいは機能的品質をうまく広報して売ることはできる。外見の悪い木材だって、ほかの要素でカバーすれば、使い道によってはよく売れるはずだ。むしろ量を掃くには、その方が有利かもしれない。

ともあれ、どこの消費者のニーズはどの品質なのか、それをどのように売るか、という戦略を立てることだ。品質の意味をつかみ損ねたら、品質向上の努力が報われない。

2011/12/25

里山をなめるな

今日の里山歩きは、遠出する覚悟。

一つは寒いから、せっせと歩かないと身体が冷える。二つ目は、運動不足解消。三つ目は、クリスマスなんだから(^o^)。

最初はよく知っている道を辿ったが、ここも廃道一歩手前でほかに人と会う可能性は限りなく低いルート。そこで、ちょっと尾根すじにそれてみた。

すると、ガサゴソ藪で何かが動く。さては、は身構えると果たしてイノシシが飛び出してきた。中型犬程度だが、どっぷり太った姿が斜面を失踪する。

おお、ついに昼間にイノシシと遭遇するようになったぞ。生駒山にイノシシが増えて、そこら中に足跡やぬた場、さらにミミズを探すのか土をひっくり返した跡はある。また夜の道における目撃談も少なくない。しかし、とうとう昼間に目撃してしまった。

場所は山の中であり市街地ではないが、人家まで距離にして数百メートルもない。昼間のねぐらなのだろう。

野生のイノシシを目撃すると行っても、吉野など奥山ならともかく、生駒山だからなあ。里山をなめてはいかん。幸い、アチラから逃げてくれたが、もし真正面からにらみ合って突進されたら、こちらに勝ち目はない。

その後、稜線を越えて大阪側に入った。こちらのハイキング道は、普段あまり通らないから、新鮮だ。が、急な坂を下っていると、積もった落葉の中に深みがあり、そこに足を突っ込んでしまった。ゴキッと右足首をひねる。

捻挫したか? ああ、ここで足をくじいて歩けなくなったら……と不安がよぎる。クリスマスの日に通り掛かる人もまずいまいから、自力で、這ってでも自動車道まで出なくちゃ助からないだろうな。

幸い、足の調子を見ると多少の痛みがあっても歩けそうだ。ほっ。しかし、里山をなめてはいかん。わずかな怪我が命取り。

その後、頭の中で描いていたゴルフ場が姿を現した。実は,ゴルフ場に侵入してやろうと思っていたのよ(^o^)。ゴルフ場に関した記事を書かなくちゃいけないので。何かヒントを。。。

が、入りだした途端、そこに低く電気柵が張ってあることに気がついた。これは、イノシシ対策か。しかし、人間も危ない、危ない。こんな罠も、里山にはあるのだ。
しっかりまたいで入る。幸い人気はないが、あまりの寒風に吹きさらしになるのはイヤになり、早々に止めた。

そして、再び奈良側に。しばらくは公園や道路を歩いたが、どうも面白くない。

そこで、道をそれて山の中に入った。道はなくとも尾根すじを進めば大丈夫だろう、という甘い考え。

最初は、人の入った跡もあった。奥の谷に人工林があって、そこを間伐したらしい。ただし伐り捨てだから歩きにくいのなんのって。人工林があるのだから、道もあるかと思いきや、いきなり沢になってしまい、進む方向を見失う。

もどるのも癪だ。反対側をよじ登り、尾根を越えて別の谷へ。ここは進みやすいかと思えば、またもや沢。水も流れているし、かなりの崖なので、危険を感じた。やっばり里山をなめていたかなあ。

しかし、生駒山の地図は頭の中に入っている。抜け出る方向や距離感はあるのだ。ただ、あまりの細かで急な谷と尾根の連続に、ブッシュが大敵だ。

ここさえ突破すれば……。

とうとう藪漕ぎしたり、急斜面を滑り降りたり登ったり。そういや冬至がすぎたばかりで陽は短い。谷はすっかり暗がりだ。

こりゃ、ヤバいぜ。

そう思ったところ、谷の奥に何か建物が見えるではないか。こんなところに?

しゃにむに進んで、建物に近づいた。これは学校だね。奥地に迷い込んだ気持ちだったが、意外とあっさり人里に出た。まわりは柵に囲まれているが、ともあれ助かった。塀を越えて侵入して、さっさと抜け出ました。

以上、クリスマスの日の「里山をなめた」反省の記録でした。

2011/12/24

カーネーションと林業

NHKの朝ドラ「カーネーション」の出来がなかなかよい。

たいていの朝ドラはストーリーに違和感感じるところが出てくるのだが、今回はすっきり、納得で進む。主役の尾野真千子の感情あらわの演技がよい。この女優、ちょっと注目していたんだよ。奈良の西吉野出身だし。(前は、芦田愛菜ちゃんを虐待する母親の役やってて、結構怖かった……。)

なにより女性の服飾史で描く昭和というコンセプトが、単なる「波乱の時代を生きた女の物語」というありがちの設定に一本の筋を通している。

ただ、なぜタイトルが「カーネーション」なのか。物語には、まだ一度もカーネーションの花は登場していないのだ。一応、テーマが「母」だからというのだが、いまのところドラマで母親は大きな役割を果たしていない(むしろ父親との関係の方が面白く、大きい)し、本人も3人の娘の母親にはなったが、母親だから、と思わせるような出来事は展開していない。

ところで、カーネーションといえば……「カーネーションの父」は土倉龍治郎である。土倉庄三郎の次男だ。彼が、日本でカーネーションの栽培を成功させ、普及に多大な貢献をした。
その件に関しては、以前に本ブログに記したから省略するが、現代のカーネーションはどうなっているのか。

ちょっと調べると、どんどん輸入切り花が増加しているらしい。約46%を占めている。国産は減少傾向なのである。主な生産輸入国は、コロンビアと中国。

もっとも国産切り花全体でカーネーションは、出荷量で2位(1位はキク)で、作付面積や農家数は5位と、日本の花卉産業の中では大きな位置づけを持っている。
ようは、小規模農家が多いのである。全国で生産している面積は、411haにすぎない。これは、コロンビアなどの農家1戸の面積より小さかったりする。かなうわけない。そして花の中では安価である。いかに新品種を取り入れたり品質を高め流通ルートを確保するかが課題として上がっている。

そうか。カーネーションは、花卉の中では量で勝負する商品だが、より大規模に外国産が流入し始めたために、国産は品質を売り物にしなければならない、という立場なのだ。

なんか、国産材とよく似た立場だと思わないか。

林家の規模では外国にかなわない中、いかに国産材の品質を高めるかが求められる

しかも、花卉は農業の中でも特殊で、生産品は食べるものではなく、消費者は「美」という情緒で求める。価格も体積からすると、極めて安い品である。
こんなところも木材に近いものを感じる。木材は、素材としては必ずしも必要でなく、金属や合成樹脂などで十分代用できるものだ。それでも木材を求めるのは情緒面からなのだから。

花と木材。カーネーションと国産材。妙なところに共通性を感じてしまった。

おそらく、輸入品に対応する策にも共通性があるはずだ。花卉産業を研究することで、新展開のアイデアを得られるかもしれない。

2011/12/23

朝令暮改

あまりの悪評?につき、速攻でテンプレートを変更しました。

24時間たってないぞ。

テンプレート

発作的にテンプレートを変えてみた。前のが長かったからなあ。

冬の気分に合ったものかなかなかないね。

ともあれ、また変えるかもしれん(^o^)。

2011/12/22

機械化と経験と勘と

随分昔になるが、酒蔵巡りをしたことがある。近畿一円何十カ所もの造り酒屋を回った。
もちろん仕事だ。

その中で印象に残っているのが、機械化を進めた蔵だった。

ただし、機械化する際に、昔のままのやり方を残す工程を決めたそうである。

それは、「蒸し」だった。
米を蒸して、麹菌を繁殖させ水とともに醸すのが日本酒の作り方だ。当時、連続移動式の蒸し器が開発されていた。米をベルトコンベアの上に乗せて移動させながら蒸すのである。密閉しているから短時間に蒸せるし、コストもかからない。

、「蒸し」こそ酒づくりのキーポイントだと蔵主と杜氏は考えたのだ。昔ながらの甑で蒸すと蒸気が噴き出て熱がもれる。手間と時間がかり、燃料費も高くつくかもしれない。が、この蒸気の中に雑味の元があるから逃がした方がよい米に蒸し上がるという。

というわけで、蒸し工程だけは、昔ながらの甑で、そのほか工程~原材料の運搬や醸造タンクなども近代化したのである。

こんなことを思い出したのは、この前取材した炭焼きでも同じような話が出たからだ。

炭焼きは暑くて重労働だ。とくに最後の焼き上がりを確認する手段は、煙の色と臭いを見て判断する経験と勘が必要だ。そこで窯を工夫して、肉体労働を軽減するとともにスピードアップを計った。最後の工程の直前までは、窯内の温度も計測して誰でも管理できるようにする……という。

ここで、機械化・合理化と、経験と勘の線引きを考えたのである。

私は、正直言うと、「経験と勘」というのがキライだ。わけのわからない基準ではないか。経験から身につける勘とは、結局のところ無意識に人間の感性で感じ取った指標があるはずなのだ。それが煙の色や臭いに相当するのだろうが、それだって、厳密には数値化できるのではないかと思っている。

ただ、ものすごい計測器を設置して、膨大な環境条件を入力して計算を行い求める数値より、人間の勘を磨いた方がてっとり早いだろうと思うが。

だから、産業界は、機械化できるところは機械化して、3Kから労働者を解放すべきだ。そして、「ここだけは人間の感性の方が優れている」「自然の摂理に従った方がよい」ところだけを選び取って集中する体制づくりが必要ではないか。

翻って林業界を見渡せば、残念ながらいまだに経験と勘の要素が多すぎる。また当事者もそれでいいと思っているように感じる。かといって、部外者が機械化を主張すると、いきなりハーベスタやプロセッサの導入になりがちだ。

しかし、玉伐りする寸法は何センチがいいのか、もっとも高く売れる寸法を考えることを放棄してはダメだろう。列状間伐自体は否定しない。しかし、間伐する基準を市場レベルからトータルにコストや利益を考えているのか。画一的に生産量だけ確保するような伐り方をしていては、結果的に木材価格が下がって利益も出なくなる。

効率やコスト、安全性、労働負荷を軽減する機械化と、最後の生産物の価値を決める部分の人の手のかけ方は、慎重に見極めてほしい。

 

2011/12/21

四半世紀の時を越えて

うん。カッコイイ題名を付けたぜ(^o^)。

今日は、厳密には仕事ではないことで忙しかった。

というのは、昨日のことだが、寄せられた一本のメールがきっかけである。

私が1988年に出版した『チモール 知られざる虐殺の島』 を購入希望だというのだ。

この本は、私が訪問したチモール島(インドネシア領)に関して、日本軍の占領統治から解きあかし、東チモール問題に関して紹介したルポルタージュである。(東チモールは、ポルトガル領であったが、インドネシアが侵略占領していた。そして血みどろの独立運動が続いていた。1999年、インドネシアは東チモールの帰趨を住民投票に計ることを決断、その結果、21世紀最初の独立国となる。)

これまで、たまに本の注文があった。チモールを訪れるためとか、オーストラリア人の夫がチモールに赴任するなどのケースだ。ただ、今回は理由が特異である。
かつての戦争で日本軍の捕虜になった人の研究を行っているそうたが、日本政府の招聘で来日した元オーストラリア軍の兵士の話に出てきた世話になったアメリカ2世の兵士の身元を探している、そのヒントが拙著『チモール』にあるのではないか、という問い合わせなのだ。

その元兵士の名を読んですぐに思い当たった。そして拙著の中に登場していることがわかった。ここで詳しく触れるのはまだ早いが、実は日本軍の謀略工作に関わっているのである。

そんなわけで、今日は実家に眠っているチモールの資料あさりをすることになった。ところが親が勝手に資料の保管場所を変更していたため、なかなか見つからず難行する。ようやく薄汚れた紙の束を一部見つけたが、まだ数々の資料が行方不明のままだ。

残念ながら、先方が望んでいる2世に関する情報は名字がわかっただけで少なく、期待に応えられないかもしれない。

ただ日本側の資料と元兵士(89歳!)の証言とは、かなり食い違うのが面白い。
彼は、日本軍に拷問を受けてひどい扱いを受けた、というのだが、こちらの手に入れた記録(謀略に関わった人の手記や聞き取り、さらに戦史資料室の報告書など)では、我々と同じものを食べ、かなりの行動の自由を与え、仲良くやっていた、というのだから。

日本側の資料なんだから、都合の悪いことは書かないだろうと簡単には切り捨てられない。証言はかなり具体的で、数々のエピソードも交えているのだから。逆に兵士側からすると、日本の謀略に協力したとなると国家反逆罪に相当しかねない。年月とともに話せない部分は消えて、辛かった部分だけが肥大した可能性もある。

ただ、肝心の謀略は、日本軍の大成功であった。チモールの戦局の帰趨を握り、見事だまし通したのだから。これは世界の戦史上でも例の少ない見事なものだったのである。


ともあれ、持ち帰った資料に再び目を通してみることにしよう。

過去の私の取材結果が多少とも役に立つのなら有り難い。
なんたって、私がチモール島を訪れたのは1986年3月。そして帰宅後、取材を重ねたわけだから、まさに四半世紀前の出来事なのである。今となっては、得ることのできない貴重な証言や資料を手に入れることができたのは幸いである。その一部を著書の形で公表したものの、眠っている部分はたくさんある。

ルポルタージュやノンフィクションの醍醐味というのは、知られざる事実を発掘することだと思っている。そこにあこがれに近い胸のときめき、ロマンを感じる。そして、消えつつある情報を記録して、再び人々の記憶に留めることができれば嬉しい。

私が、現代社会の政治や経済、事件のルポに興味が湧かないのは、仮にそこに「知られざる事実」であっても、ロマンを感じないからだろう。怒りしかわかない告発調のものも苦手である。

その意味では、四半世紀の時を越えて、南洋の島に展開された日本軍対連合軍の謀略活動が甦るのは、ロマンたっぷりだぜ(-_^)。

2011/12/20

軟らかなリーダーシップ

日経ビジネスオンラインだったかで、面白い記事を読んだ。

大震災時に各省庁の若手が集まってチームを組んだのだが、縦割り組織のうえリーダー役は任命されていなかった。その時、全体をまとめてリーダーシップをとったのは誰か。

現場から派遣されてきた若い自衛隊員だったのである。

何をやるべきか、どこがやるべきかを洗い出し、それぞれ担当者を決めてプロジェクトチームを組ませたのだ。さらに利害対立が起きたら調整したり、休養などの指揮もとった。おかげで組織は機能し始めたという。残念ながら、他省庁出身者にそれだけの度量はなかったらしい。

もはや文民統制の時代ではない。軍人の指揮こそが日本を救うのである。

……なんて、主張するつもりは毛頭ない。そもそも自衛隊出身者だからといって、彼が武力にものを言わせて他者を従わせたわけではないのだ。もちろん、威圧的な態度も取らなかった。むしろ反対だ。

やさしく語りかけ、理を尽くして説明することでみんなをまとめたのだそうだ。

そして太平洋戦争で、旧日本軍が戦いに破れたのは陸軍と海軍の対立に遠因があったことを例に出し、争いを止めた。さらに無駄に頑張りすぎて燃え尽きないよう、順番に休養をとらせるなど、人事とロジスティックに当たる面も指導した。

チームマネジメントの鑑みたいな話である。

自衛隊の将校全員が、そうした能力を持つのかどうかはわからないが、少なくても作戦遂行のために必要な全体の要素を把握して、そのマネジメントを行える人物だったのだろう。過去の失敗を分析し、論理立てて考えることができたのだ。考えてみれば、軍事作戦の参謀は、あらゆる分野に通じて目を配れないと、作戦が組めない。

今、日本に必要なのは、本当の意味でのゼネラリストかもしれない、と思う。各分野を広く把握して、それを総合的に見る能力。そしてマネジメントする能力。いわば、力によるリーダーシップではなく、柔らかなリーダーシップではないか。

日本社会は、もともとゼネラリストの養成ばかりやっていると言われてきた。官僚が典型で、2、3年ごとに部署を移動させるのも、省内の仕事全般をわからせようという意図からだろう。
スペシャリストが育たないことが、官僚の弱点でもあったのだ。

しかし、本当は広く浅く各部署を知っているだけなんて、ゼネラリストでもなんでもない。省庁内の異動だけでは、中途半端なゼネラリストと、中途半端なスペシャリストの間だ。
必要なのは、もっと広く様々な分野をまとめ上げることだから。その能力がなければ、素人に毛の生えた「生兵法は怪我の元」人材にしかならない。

そして、本当のスペシャリストを働きやすくする役割がリーダーシップである。コーディネート役の重要性を知るべきだ。トップダウン型のリーダーは、必ず失敗するだろう。


林政を例に取れば、日本各地、世界各地の林業事情を把握して、それを分析した上で、日本全体として林業を成り立たせるために、各地に落とし込む作業が必要だ。
数々の失敗にパニックとなり、何をやっていいのかわからず、部分的な成功例だけを見て「ドイツだ、ドイツがいい」と飛びついて真似ることではない。

ドイツもいいが、その応用が効くのは、この地域だけ。こちらはスイス式を、あちらはフランス式で、この中山間地は東南アジアのアグロフォレストリーが似合うのではないか……と、振り分けたうえで、それらの生産物を流通させる全国規模の市場をつくる手立てが必要だ。そのうえで、各地を指導する。説得する。後方支援もする。
補助金ぶら下げて、言うことを聞かせようというのは、武力をちらつかせて従わせようとするのと同じで、下の下の策だろう。説得する際の一要素にすぎない。

もし自衛隊に、軟らかなリーダーシップが採れる人材が育っているのなら、国の政治を任せたい誘惑にかられるね。

2011/12/19

奉天会戦と土倉家

NHKの「坂の上の雲」がいよいよ佳境である。

日露戦争が勃発し、昨日の回は、黒溝台会戦と奉天会戦から日本海海戦への道のりを描いていた。

次回の「日本海海戦」で、日本軍は歴史的完全勝利を納めるのだが、実はその直前までの陸戦では、基本的に日本軍が劣勢だった。それでも結果的には目標奪取に成功していたのは、ロシア軍の戦略ミスのおかげだろう。

そして、重要なのは、日露戦争の戦場となったのは、ほぼ中国(清)領土内ということだった。

      

さて、長く手がけ、度々ブログでも情報を小出ししているにも関わらず、まだ姿を見せない「土倉庄三郎」(T-T)に関するネタの中から、日露戦争に関するエピソードを紹介しよう。

庄三郎の次女政子は、外務省の欧米局長内田康哉と結婚する(明治32年)が、その翌年内田は清国公使として北京に赴任する。

そこで政子は、西太后と出会う。そして気に入られるのである。西太后は、各国の大使館員の妻らと交流はあったが、もっともべた褒めしているのは政子であった。政子は英語のみならず中国語も学んでいたらしい。

そして日露戦争が勃発し、清は自国領土を他国が争って戦うという情けない状況に陥る。一応「局外中立」を宣言し、遼河以西を中立区域として、両国軍ともそこに侵入しないように申し入れをしていたらしい。

そこで奉天会戦が行われるのだが、日本軍は兵力・火力ともにロシア軍に劣る。にも。関わらず包囲戦を挑んだ。そこで重要だったのは、乃木大将の率いる第3軍に西方から迂回して北に回り込む命を下したことだ。

乃木大将が凡将であったことは旅順攻略戦でも証明されているが、非常に難しい作戦を与えられたことを意味する。

が、問題は、そのルートが清が設けた中立区域を突破することだった。国際ルールに反したとなると、戦後処理も難しくなる。

が、清は黙認した。それは政子が西太后に働きかけたからだとされている。

この件に関しては、まったく証拠は残っていないのだが、戦後、当時の外交官が「土倉伝」を執筆した土倉祥子に伝えたという話が残っている。

その後、第3軍は、全滅寸前まで追い込まれたが、最終的にはロシア軍の撤退に追い込んだことで、会戦の帰結につながったのは事実である。明治38年のことである。

日露戦争後の中国との講和条約では、内田が小村寿太郎外相とともに担うが、そこでは日本が清に不平等条約を突きつけた。このとき、西太后は、そして政子は何を考えたのか記録に残されていない。

2011/12/18

フリーの失業者

今日の散歩は、裏山に入り、廃道?になった道を。

もともと生駒山は、多くの道が入っているが、それが山仕事用なのか農業用なのか行者道なのか、ハイキング道なのか、わからない。ただ、一部のハイキング道以外は、通る人も少なくなり、放置が進んで廃道化している。

で、そんな道に分け入ったわけだ。道をふさぐ倒木が多いのも通りづらいが、想定外だったのは、落葉の量。ほとんど膝まで埋まるかのように、落葉のラッセルをしながら進むところもあったほどだ。雪と違って、踏みしめるほど滑るんだなあ。また道筋が消えかけているところも少なくないが、そこは勘と記憶で分け進む。

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それでも、周囲に人工物がないことが心地よい。他人と会う心配もないだろう。深山幽谷に一人たたずむ気分だ。もちろん、直線距離で100メートルも行けば人家や舗装道路があることは位置関係から想像はつくのだが、「自然の中に自分だけ」感覚が大切なのだ。


 

 
今年の仕事も、ほぼ目処がついた。今週中に締切りのあるものは片づくだろう。例年より少し早い仕事納めになりそうだ。そして、それが最後の仕事になるかもしれない……。

フリーランスというのは、そういうことだ。どんなに忙しい日々が続いても、パタリと仕事が途切れることがある。また途切れることを想定して生きる職業である。

国際森林年バブルももうすぐ終わるのだ。急に仕事がなくなることも想定しなければならない。次の出版予定もないし、とくに仕事の当てのある雑誌もない。
日本の労働者の3分の1以上が非正規雇用になってしまったというが、見かけは正規雇用でも、実はワーキング・プア……というケースも含めたら、もっと膨らむだろう。そして私のようなフリーは、その枠にも入っていない。

同年代の人と顔を合わせて、子供たちの近況を話し合ったら、大学や高校卒業後も職につけずにフリーターやっているという例が少なくなかった。なかには薬剤師とか弁護士のような資格を持っているのにも関わらず、勤め先が見つからない話だってある。

先日、読者からメールが届いた。

37歳で失業し、就職先を探しているが苦戦中……とのことだった。「恥ずかしながら」とあったが、恥ずかしがることではない。今はそれが普通の時代となっているのだ。

そのメールの返信に、「私も仕事がなくなると、フリーの失業者を名乗っていた」と記した。今でも同じだ。幾本か連載があるから、完全な失業者にはなるまいが、それだって、来年早々に終了するかもしれん。雑誌がつぶれるかもしれん(^^;)。仕事の波はバカにならないのだ。

フリーランスを続けられるかどうかは、実力だ営業力だという以上に、仕事が途切れても平然としていられる度胸というか、鈍さが必要なのだろうな、と思う。悲観的になればなるほど悪いスパイラルに陥る。

たまに貧困からのし上がった人は、努力せよ、競争して勝ち抜け、と自らの成功体験を他人に押しつけるが、努力が実を結ばないこともある。勝ち抜けない人もいる。そこに目を向けられない人、共感できない人は、人間の質として不幸である。

とりあえずは、平然と、真摯に、働くことを求めるべき。卑屈にならないことだ。仕事を発注する側から見ても、自信のなさそうな人に仕事は任せる気にならないだろう。

そして、ヒマだったらヒマなときにできる仕事をつくることをお勧めする。

私の場合は、生駒山の廃道巡り(~_~;)。

すると、道標が見つかるかもしれない。

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廃道と思っていたのに、進むと石の道標に出くわしたよ。

文字は読み取れないが、おそらく昔は足しげく通う人々がいたのだろう。

時代は移るが、古い道に焦点が当たる日も来るだろう。

少し早いが、年の瀬に感じたことでした。

2011/12/17

木の食器オモチャ

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神鍋の道の駅で見かけた、木のオモチャ。木の食器シリーズのようである。

コビトサイズである。ちょうど「借り暮らしのアリエッティ」を見た後なので(^o^)、リアリティがある。神鍋のある日高町に作り手がいるらしい。

価格は2800円。なんとか手の出る値段だな。あまり凝り過ぎて、精巧だけど価格が高くなりすぎたら普及しない。この手のオモチャが日常的にあることが、木育の第一歩なのだろう。

娘が小さければ、クリスマス・プレゼントに購入したかもしれないよ(~_~;)。

2011/12/16

変わるべくして変わる~今西進化論

今日は、少し部屋の片づけをしたのだが、大量の雑誌「アニマ」(平凡社)を発見。

おお、懐かしい。今は亡き雑誌だが、このような自然や生物を取り上げた雑誌が毎月刊行されていたことに驚きを覚える。一般向きだが、論文並の重量級の記事ばかりだ。

まったく見ることもないので実家に持って行って仕舞い込むか…と思ってパラパラ見ると、「特集 今西錦司の自然学」が載っている号(1992年10月号)に眼が止まった。

このところ、本ブログのコメント欄で「今西錦司は生態学から自然学、そして進化論へと駒を進めた」ことに触れた直後だったから、偶然に驚き、思わず手にとって開く。

ああ、もう片づけができなくなる。。。。。

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結構な分量だから、もちろん全部目を通し直したわけではない。

しかし、奥が深いなあ。



しかし、ダーウィンを始めとして、なぜ生物が変化〔進化〕するのか、用不要説だ自然選択だ、と理由を求め続けたのに、今西さんは「種は変わるべくして変わる」と言い切ってしまうのだ。環境が変化したら、全個体が同じ方向に一斉に進化するというのだ。

生物を個体レベルで見る西欧の進化論に対して、種レベル、いや生物界全体で見てしまうのだ。もっとも、そのメカニズムを何も示さなかったから批判されるのだが…。

そこで思った。メカニズムなどいらないのかもしれない。あえて言えば時間が経つと遺伝子の変異が溜まってころりと変わるように仕組まれているのだとしたら?

全体神などを持ち出す気はなくて、コロリと変わる(^o^)。この点がいたく気に入った。木村資生の中立進化説というのもあるのだし、進化に原因を求めなくてもいいじゃないか。

よし、森林ジャーナリズムもコロリと変わることを旨としよう。朝令暮改のごとく、意見を変えるのだ。これはいいぞお。節操がなくて。

立場が変われば意見も変わるし、時間が経っても意見は変わる。真理や真実なんて、立場の数だけあるのだ。結局、まわりの環境によって左右されるものにすぎない。

1本の木に焦点を当てて環境を論じるか、森林になったものを論じるか、森林を含む地域で論じるか、いやいや地球レベルの社会全体で論じるか。

以前から温めている「時間生態学」と対にして、「ジャーナリズム時空間論」も提唱しようか。
まわりを煙にまくのに有効だろうな(笑)。

2011/12/15

極地マニア~北派と南派

昨日の神鍋帰りは、植村直己冒険館を寄って帰ろうかと思った。帰り道にあり、距離も近いのだ。

が、なんと定休日。ショックだった(^^;)。
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植村直己冒険館の入り口。地下にあるのだ。

実は、冒険館は以前入ったことがある。だから展示はだいたい知っているのだが、スキー場の後は極地の冒険行を改めて振り返りたかったのに。

 

 

折しも、この日の夕刊に「第3回ファウストA.G.アワード」が紹介されていた。この賞は、地球上で最も活躍した冒険家、挑戦者、社会貢献活動を表彰するサイバードグループ・プレゼンツ、なのだそうだ。

詳しくはそのサイトを見てほしい。
http://www.faust-ag.jp/individual/faust_ag_awards_2011.php

で、新聞には、北極圏1600キロを徒歩で踏破した極地探検家の荻田康永さんと作家の角幡唯介さんが冒険家賞に選ばれたことが記されている。

実は、荻田さんには、先月会っている。と言っても、関西大学探検部とOB会が開いた彼を囲む会?に参加したのである。

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彼の発表を聞く。今回の賞インタビューと内容は同じだが、だいぶニュアンスが違うのだが……。

今回は、むしろ練習みたいなもの(これまで11回も訪れているのだ)で、次回はいよいよ北極点まで単独徒歩で挑む。こちらが本筋の冒険だろう。

荻田さんの経歴や、今回の冒険については、先のサイトのインタビューを読んでもらいたい。

ともあれ、極地に熱烈な憧れを抱く人がいるのだ。
私は、パソコン通信時代にFADVEN(冒険&フィールドライフフォーラム)のサブシス(この役職も懐かしいな。まあ副代表と思ってください)を務めていて、そこで彼が影響を受けた大場満郎の北極点行のネット支援もやったことがあるが、たしかに極地マニアがいる(^^;)。

余談だが、TBSのドラマ「南極大陸」はストーリーも演出もボロボロ、グズグズで目を覆わんばかりだが、その背景が美しいから見る(笑)。本当の南極ロケをしたのかと思わせる光景だったり、氷海に傷んだ宗谷が浮かぶ絵はいいよ。

もっとも、私は、あまり寒いところは好きではない。極地よりは南洋でしょ、と思ってしまう。

極地にあこがれる人、いわば北派は、森林でも整然とした針葉樹林が好きなようだ。樹種は多くなく、まっすぐ林立した森だ。厳しい環境に規律正しく過ごそうとするのか。
南洋好き、いわば南派は、曲がりくねった木々に草もシダも苔もナンでもアリの多様な熱帯雨林のようで、ゆるく生きたい(笑)。

残念ながら、林業の世界では北派の方が生産的で、南派は衰退しそうだが。


※ 上記「第3回ファウストA.G.アワード」のサイトを見ると、ファウスト大賞を取ったのは東日本大震災に対する台湾の支援に感謝して、与那国島から台湾まで泳いだ鈴木一也さんである。(彼は、社会貢献活動賞とのダブル受賞。)
ところが新聞記事には、彼のことはまったく触れずに北極圏を歩いた二人だけを紹介している(彼らは、ファウスト冒険家賞)。冒険としても鈴木さんの挑戦は大きいし、社会的にもインパクトがあると思うのだが、なんかおかしい。これも台湾に触れたくない朝日新聞の偏向報道かね(苦笑)。

 

2011/12/14

神鍋スキー場にて

先日のゴルフ場に関するシンポジウムに出席して、パネルディスカッションで言いたかったのに機会がなくて触れられなかったことがある。

それは、ゴルフ場に並ぶ生物多様性の高い土地として、スキー場があるということだ。スキー場は、山肌の木々や草を刈り取ってコースを造り、そこに雪が溜まることでゲレンデとする。
が、それは冬のシーズンのみで、それ以外の時期は放置である。そこは絶好の草原となり、動植物の宝庫となるのだ。少なくなった日本の草原を保ち、山菜野草も多く生えれば、昆虫も多種類生息する。

今やゴルフ場とスキー場という生物多様性の適地が存在しているのだから、リゾート地はこれも売り物にしてほしい…。

で、今日は、兵庫県の神鍋(豊岡市日高町)に出かけていた。

関西屈指のスキー場地域である。今日は異常なほど温かくて、おかげで車の運転に心配せずに済んだのだが、ゲレンデはどうか。

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おお、積もっているではないか。青空に白銀の世界…。

さすが、雪国。



というのはウソ。

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このように人工降雪機で雪をつくっている。今や温暖化で、どこのスキー場も雪不足。

オープンは今週末らしく、せっせと雪をつくらないと間に合わないのである。

実は、この神鍋スキー場は、私が初めてスキーをした場所でもある。小学生のときだが、本当に初めての銀世界体験だった。

ただ、今はスキーブームも去り、神鍋でもどんどん廃業するコースが増えているそうだ。放棄されると、草ぼうぼうとなり、やがて森林化する。20年も前に廃業したコースは、もう完全に森林となっているそうだ。

このスキー場にも、こんな低木が生えていた。

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まあ、これくらいはコースの賑わいになるから残しているのだろうが、植生遷移を観察場としても、スキー場は使えるかも。



登ってみると、ウサギの糞も発見した。

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やっぱり草原は生き物にとって重要な場所である。

スキー場の生活誌・生物誌を調べると、新しい発見があるかもしれない。

2011/12/13

森林ジャーナリズム試論

近著『日本人が知っておきたい森林の新常識』のあとがきでは、「おわりに-森林ジャーナリズムを考える」と銘打って記した。

実のところ、本書の第三部10章で、何を持って自然を見るか、森林を捉えるかという集大成的なことを記したので、もうあとがきはいらないだろうと考えていた。だから謝辞くらいで済ますつもりだったのだが、1ページの予定が2ページ分のスペースがあると編集者から伝えられたので,少しだけ書き足すことにした。
そこで、思いついたのは、森林ジャーナリストという肩書を背負うかぎりは、その前提に森林ジャーナリズムがあるということだ。そこで、いわば森林ジャーナリズム宣言をしたわけである。

拙著では、次のように記した。

「森林ジャーナリズムとは、単に自然科学的な目で森林を見るだけでなく、かといって産業としての林業界の情報を追いかけるだけでもないはずだ。森林と、森林にかかわる人々の両方を見つめる視点を持つこと……と私なりに定義づけている」

本当にこれは後付けで、最初からこのように考えていたのではなく、まず森林ジャーナリズムという言葉があって、それに合う定義を後から考えたのである。

ただ理由はある。私は常々疑問に思っていた。世間が森林(自然)と林業(産業)を分けて考えていることに。分けては見えるものも見えなくなるのに。

森林という存在を考えると、さまざまな要素が絡み合っている。学問的には、自然科学分野(それも生物学、生態学、土壌学、地形学……と細分化される)のほか、社会科学(経済学、法律学、経理学……)、さらに人文科学(哲学、美学、民俗学……)と数々の別分野のものが混ざり合っている。
本当は相互に切り離せないはずなのに、研究上は細かく分けてしまう。それに対する疑問があったのである。林業は森林を語る一部であり、一部でしかない。これは、私にとって、林業ばかりに深入りすることへの諫めでもある。

実際の森林は、各分野が入り交じっているのに、一部に絞り込んで、ほかの分野をないことにしてはホンモノではなくなる。改めて融合させなられないか。総合科学としての森林にしてしまおう。ただし、森林学ではない。これほど広く混ぜてしまうと、学問ではなくなってしまう。再現性も弱ければ、論理的でない部分も入り込む。

だからこそ森林論であり、森林ジャーナリズムなのである。

2011/12/12

凸凹の塀

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まずは、写真を。何を撮ったのかというと、「三鷹の森ジブリ美術館」なのである。ただし、裏手から(^^;)。

ご存じの通り、この美術館は井の頭公園内にあるが、裏手を回ると、当然ながら美術館の敷地と公園を隔てる塀がある。
ただ、その塀が、見ての通り赤く塗られていて、しかも凸凹にしてある。わざと塀の板の長さを変えて、上を揃えなかったのは間違いあるまい。

緑の中に赤い塀。しかも凸凹。一般的に考えるとミスマッチなのだが、むしろ凸凹さが、作り込みを感じさせる。無味乾燥なブロック塀にしなかったことはもちろん、色も、形状も、あえて雑然とすることで風景に溶け込ませている。

この風景を、万人が美しいと感じるとは限らない。が、私は似合っていると思うな。

2011/12/11

2012年の国際年

先週は繰り返し東京に行ったが、それはジブリ美術館に行くため…のはずはない。

実は、某生活共同組合連合会に招かれたのだ。

そこでは「森林林業プロジェクト」として、「森林・林業方針」の策定を進めていて、その勉強会に招かれたのだ。食料品中心の生協も、森林・林業に目を配り、森林環境の保全や林産物の持続的利用を考え出しているというのは、世の中の目が森林に向きだしたことを感じる。

また、事業の方針を定めるために、会員各生協が集まり、勉強会を開きながらテーマや語句を話し合うというのは、いかにも協同組合らしい。トップダウンで進めない、進められないことが、協同組合の特徴かもしれない。

そこで国産割り箸の取扱も視野に入れてもらった。酒飲み話に終わらず、そのうち具体的に動き出すことに期待したい。

ところで、今年も押し迫ってきた。そろそろ仕事納めも視野に入れつつある。

そこで少し早いが思い出していただきたいのは、今年は国連が定めた「国際森林年」であること(^o^)。もう、世間ではほとんど忘れられてしまったよ(-_-)。

それでは、来年は何の年?

これまた、ほとんど話題に上がっていないが、実は「2012年は国際協同組合年」なのだそうだ。10月末日の国連総会で正式に決まったのである。

協同組合とは、人と人の民主的な結びつきによる非営利の協同組織だと規定されている。人々が「価値に基づく事業」を行う組織として自発的に手を結ぶ…ものである。ガバナンスモデル、平たく言えば経営システムの根幹は、人であり利益ではない。
しかし世界的に協同組合は、株式会社などほかの事業体と同等とは認められていない。それを払拭するための国際年指定なのだそうだ。

協同組合とは、事業形態としては、ある意味古い形態である。出資者と事業者の分離がされず、また消費者さえもが一体化している。ある種の無尽とか頼母子講と呼ばれるものも、協同組合の原始的形態だろう。

弱小者が集まって事業を始めることのできるモデルではあるが、突出した権限を持つ指導者がいないという前提のため、近年は意思決定の遅さや悪平等主義に走りがちで、グローバル化とスピード化が求められるビジネスシーンの中では、時代遅れの感さえあった。

しかし、思うのだ。もっとも事業推進に適しているとされた株式会社モデルに代表されるような「資本と事業の分離をうながす」金融資本主義は、もう行き詰まっているではないか。
世界中を恐慌に陥れている金融危機も、このモデルの破綻、限界が生み出したものだろう。

そんな揺らぐ世界経済の中では、オルタナティブな事業モデルとして協同組合を見直す余地があるのではないか。金融資本主義から一歩距離を置くモデルにするのだ。
もちろん、協同組合が株式会社に取って代われるとは思わない。しかし画一化、グローバル化の波の中で、荒波を寄せつけない「入り江経済」、あるいは暴風雨の上空の「成層圏経済」を担うモデルになり得ないか。
これまで通りの共同組合では無理だろう…。そこで、協同組合方式をもっと深化させた新しい形態が生まれないかと思うのだ。

そもそも経済システムも、もっと多様性を持つべきだ。かつての社会主義経済はほぼ崩壊したが、資本主義=株式会社に一元化することの方が危険である。株式会社以外の事業システムモデルを幾つか揃えるべきだ。協同組合もその一つだろう。

思えば、農業共同組合も、漁業協同組合も、そして森林組合も、協同組合である。

残念ながら、うまく機能しているとは思えない。組合員の利益や根本の目標(農業の発展、森林の健全化など)をないがしろにして、組織の利益に走りがちだ。

たとえば森林・林業再生プランだって、うまく利用すると森林組合の改革をうながすことができるだろうに、森林組合側は改革はしたくないうえに、「これは森林組合つぶしが目的か」と疑心暗鬼にかられている。

来年は、本格的な森林林業再生プランの実施によって、森林組合にとっては改革のチャンスであり、存続のピンチである。国際共同組合年は、そのきっかけになることを願う。

2011/12/10

玉川上水の景観

ジブリ美術館については、裏ブログに追加を記した。壁面緑化だけで満足しない方は、どうぞ。

こちらでは、もう一つの話題。ジブリ美術館に行くことに関して、もう一つ楽しみにしていたのは、その道行きに玉川上水があることだった。この玉川上水に興味を持っていたのだ。

江戸の町に飲料水を供給するために開削されたとされる玉川上水は、江戸の町でも屈指の大土木工事だろう。これを見て「土地の記憶」(byタモリ)を感じようと思ったのである。

当日は、雨まじりの寒風の吹く天候だったため,そんなに時間をかけたわけではないが、三鷹駅からジブリ美術館のある井の頭公園まで歩きつつ観察した。ブラタモリそのものである。

周りは完全な住宅街なのだが、この幅5メートルほどの水の流れ周辺だけが、奇跡的に昔のまま残されている。いや、昔のままというと語弊はあるな。昔は、こんなに草や木は生えていなかっただろう。

ところが今は、水路の両側に大木が林立しているのだ。史跡指定もされているし、保護されたことで育ったのだろう。
隣接する通りには、「風の通り道」というジブリ好みの名前がつけられていたが、昔の土木工事が今の自然を豊かにしてくれているのは皮肉? かもしれない。

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思わず、これらの木を伐ると、どれほどの木材量になるだろうか、と想像したのは、私の悪い癖(^^;)。

水路部分だけを覗き込むと、まるで深山幽谷だ。

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とても、隣に車がぶんぶん走っているとは思えない(^^;)。

しかし、こんな露天の水路だと、管理も大変だったろう。落葉がたまったら、水質や水流に影響する。
昔は、水路の周辺の木は伐ってしまったのではないか。いや、そもそも草木は生やさず見通しをよくしていたかもしれない。さもないと、維持管理も大変だ。

とすると、今のこの景観は、本来の玉川上水を保存していないことになる…と意地悪なことを考えてしまった。

2011/12/09

ジブリ美術館

ジブリ美術館
昨日から東京に来ています。

で、今日は三鷹の森ジブリ美術館(*^^*)に足をはこぶ。
平日の午前中だから、しかも雨。空いている…と思っていたが、甘かった。かなり混んでいた。

しかし私はオタクではないから、あまり絵コンテやセル画には興味を示さない。むしろアニメーションの歴史などに目がいった。
そしてオタクではないから、ネコバスにも興味を示さない。むしろ凝った家具などに目がいった。
さらにオタクではないから、ジブリグッズショップにも興味を示さない。むしろ外観の壁面緑化に目を奪われたのである。

写真を見ていただきたい。いい感じに蔓植物が覆っている。屋上も緑化しているし、巨木もうまく配置している。どこまで計算づくなのだろうか。
   
初代館長は、宮崎吾郎(元・造園家)だったから、造園的な部分に凝ったのかもしれない。

2011/12/07

「奇跡の一本松」は枯れても

昨日のシンポジウムの事務局は、財団法人日本緑化センターだった。

そこで雑談で出たのが、陸前高田の「奇跡の一本松」。実は、日本緑化センターが保護対策を担当していたらしい。そして、もはや無理という結論が出た話を聞いた。

そこで調べると、もうニュースになっていた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111203-OYT1T01004.htm

根が海水で腐って、どうにもならないのだという。

私も、4月にこの地に訪れたのであった。夕闇が迫っていたが、このマツの根元にたどり着くのに、道がわからず(というより、道と言えるものはなかったのだけど)、津波でさらわれた海岸地帯を走破してなんとか近づいたのだ。

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当時も、すでに周りを囲って、根元を掘り返し、海水から守る工事をしていたと思う。だが、誰の目にも厳しい状況であるのはわかった。






守る会では、一本松に接ぎ木をして育て、高田松原に苗木を移す計画があるそうだ。また一本松に防風・防虫対策を施し、立ち枯れのまま残せないか市に要望しているそうだ。

たしか挿し木でクローンづくりをしていた記憶があるが、そのことだろうか。しかし、同じ形質の木をたくさん同じところに植えるのは危険だろう。あくまで、この木はシンボルなのだ。

また立ち枯れのまま、保存するのも難しいと思う。やるなら樹脂を注入して、どこかに展示保存するしかあるまい。でも、これだけ巨大なものにその処理をするのは大変だ。(遺跡から出た木質物の保存に使う手だが、この技術を持っているのが、奈良の元興寺文化財研究所で、その保存センターが生駒山中にあるんだけど。)

いっそのこと、幹から何か記念グッズをつくって販売し基金をつくって、何か別の記録の残し方を考えたらどうかと思う。でも「この幹に放射性物質が含まれているかもしれない」とバカなことを言い出す大バカがいるかもしれない。

ところで、これら震災で被害を受けた海岸林の再生プロジェクトが各所で進められている。林野庁(森林総研)も研究していると聞いた。ただ、その背景に林業の姿が見えない。
防災用とはいえ、森づくりをするのだから、出番のはずだが。

海岸林は、通常の山の植林・育林とは条件が違うのは事実だが、木を植え育てる事業に林業関係者がそっぽをむいているようでは情けない。苗木づくりは急務ゆえ、早く何をどこにどんな風に植えるか構想を立てねばなるまい。マツ以外も候補に上げられるだろう。

考え用によっては大きなビジネスチャンスだし、林業の視野を広げて挑戦する価値があるのではなかろうか。

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仙台周辺の津波被災地。わずかに海岸林が残っていた。

2011/12/06

トーセンが製材品の産直へ

国産材の取扱量日本一の製材会社トーセンが、個人客にも製材の産直を始めたそうだ。

そのため那須塩原市に、「ピッキングセンター」をオープンした。一般人や個人業者(大工)などに柱1本から販売するというのだ。施工主の予算や好みに合わせた材料選びができるわけである。もちろん、プレカット工場や建築業者向けにも邸別に配送する。

下野新聞http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/north/yaita/news/20111202/669927

これって、業界ネタではあるが、すごいことのような気がする。

これまで木材は(とくに国産材は)複雑な流通経路があった。それが価格を上げたり、ニーズに応えられなかったり、注文してすぐに届かなかったり、と問題を抱えている。

だから、すぐ中抜きすることを考える。いわゆる産直だ。

たしかに同じような立場の農業では産直ばやり。流通経路を抜いて、直接消費者に売る。これが停滞していた農業に風穴を開けた面はある。だが、それは野菜などは買い手が自分で直接料理できるからだ。また運ぶのも消費者に任せて問題ないだろう。

だが、木材ではそれは難しい。まず、加工していない丸太を買う消費者はほとんどいない。

また輸送も重くて嵩張って大変だ。1本2本だけ山から伐りだすのでは、コストが膨れ上がる。消費者も、店で買って持ち帰れない。ホームセンターの日曜大工用木材だって、運ぶのに難儀するのが普通。ある程度、量を確保できないと、配送コストも高くなる。

そして手間の割には木材は安いから利益が出ない。

そのほか、市場の金融機能を外すと山主は困るなどの理由もある。

だから、大手業者向けか、問屋を通さないと販売しにくいのだが、それをクリアして、製材を産直することになるのだ。一種の国産材のスーパーマーケット化かもしれない。

もちろん、個人専門で製材販売するわけではない(むしろ片手間)だろうが、日曜大工レベルの消費に対しての販売も可能になる。その点では、ホームセンター的だ。

ちなみにトーセンは、面白い会社である。会社の生産規模は大きいが、工場は小さい。多くの提携工場を抱えて連携させながら生産量を拡大してきたのだ。それは小規模な製材所の吸収したり傘下に組み込むことを意味したが、おかげで地場製材所の生き残りを可能にした。

今回の事業も、その一環ではないかと感じる。注文が小規模でバラバラの消費者も、うまく集めることで利益の出る構造に持っていこうとしているのかもしれない。

2011/12/05

グレース六本木の緑化

東京へ日帰り。やっぱり日帰りはきついな。。。やっぱり東京行ったら泊まって飲み歩いて……ああ、よけい疲れるか。だったらタイ式マッサージだ(^o^)。

というようなつぶやきばドーデモよく、訪れたのがサントリーホール。つまり六本木界隈である。そこで、前から興味のあったビルを訪ねることにした。六本木駅から、徒歩3分である。

それは、グレース六本木ビル。夜系の飲食店が入っているが、目当ては店舗ではなく、この一目でわかる壁面緑化である。

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高さは10メートルくらいあるのかな。

見事に繁っている。それもシダ類が中心ながら、よくわからない草木が多い。いろいろな種類を混ぜているので、庭園というより原野を作り出した感じ。

ここまで育てたら、気持ちいい。

どのように生やしているかと言えば、

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とくに珍しい方式ではなく、よくあるポット方式である。水分補給はどうしているのか確認しそこねたが、水分調整で生長を制御しているのかもしれない。

きっと、ビルは光熱費の制限にもなるだろう。

せっかくだから、大阪の平面緑化も。

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実は、大阪駅ビルの屋上・天空農園への登り口にある。

こちらは、まだできたばかりなので、生長が十分ではないが、理屈は同じだ。

今後、この手の壁面緑化が流行るかもしれない。

いっそ、樹木も育ててくれ。林業やれとは言わないからさ。

2011/12/04

松永久秀・多聞城の木材

私の母方の姓は、松永であった。そのため幼少時から、「大仏様を焼いた松永弾正という極悪人の子孫だよ」と薫陶を受けていた(^o^)。実際、母の親戚も、松永一族の多い大阪の某所である。

松永弾正久秀と言えば、戦国時代の3大梟雄の一人と言われる。なんたって、東大寺の大仏殿も焼いてしまっただけでなく、主君を次々に討ったり裏切り、のし上がった男だからである。いわば下克上のシンボルのような武将。

私は、この人物がなかなか好きで、興味がある。それに信長に二度に渡って反旗を振りかざし、生駒山系の信貴山に築いた信貴城に籠もって爆死?したことでも生駒つながりで興味を持っている。(ちなみに、あの信長が二度の裏切りを許そうとした点も面白い。)

この松永久秀が現在の奈良市に築き、大和の国の支配拠点にした多聞城についてのセミナーがあったので顔を出した。

この多聞城というのは謎の多い城なのだが、1560年前後に築城。日本で初めての天守閣(4層櫓)を造り、絢爛豪華で、信長の安土城のモデルになったとも言われている。つまり近世城郭の先駆的存在である。

ただ信長などが徹底的に破壊し尽くしたうえ、戦後すぐ跡地に発掘調査を行う前に、中学校が建設されたために考古学的証拠に乏しい。そこで文献的にその姿を想像するしかないのである。

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セミナーでは、もっとも具体的な資料として、ポルトガルの宣教師イルマン・ルイス・デ・アルメイダの本国への報告書簡が紹介された。彼は、この城に招かれている。内部に能舞台らしきものがあったことや、金に彩られた壁……などが記されているそうだ。

で、気になったのは、
「城の宮殿は、すべて杉材で造られており、芳香だけでも訪れる人を喜ばせるに足る」
「1プラザの幅のある部屋の縁の廊下は、1枚板である」
(プラザは長さの単位で、約2メートル)

これを解説された講師の北村雅昭さんは、「これはスギではなくヒノキの間違いだろう」「2メートルの1枚板は無理だから、継ぎ目のわからぬように合わせた板だろう」といった。

まあ、順当な解釈である。たしかに建造物はヒノキ材の方がよく使われる。芳香もヒノキの方が強いだろう。

ただ、まったくスギでは無理かというとそうでもないように思う。内装はスギ材を使ってもおかしくない。それに当時の大和は、周辺に十分なヒノキ材を手に入れる山はなかったはずだ。奈良時代から延々と伐り続けたからである。
当時吉野からの輸送ルートを開拓できていたかどうかわからないうえ、まだ大和の国を完全統一して治めたかどうかわからない時期に、果たして他国から木材を調達できたかどうか。
その点、スギならまだ手に入っただろう。

また本当に廊下が幅2メートルだったかどうかは別として、これもスギ材なら可能だったろう。

……まあ、こんなことを考えながら話を聞くのも悪くない(^o^)。

もう一つ気になったこと。
多聞城は、信長のお気に入りとなったため、久秀は取り上げられるのだが、その後多聞城の各所は、信長の二条城や安土城に移築されたという。これは、木材のリサイクルというよりは、その造作の良さから、自らの新しい城に採用したのだろう。4層櫓は安土城に使ったというから、もしかして有名な安土城の天守閣の一部は、多聞城のものだったかもしれない。

2011/12/03

「照葉樹が潜在植生」という嘘

現在書いている原稿のための調べごとで、潜在植生そのものに疑問が出てきた。

宮脇昭の潜在植生至上主義(^^;)では、照葉樹林こそ日本の潜在植生である、としているようだ。正確にそう発言・執筆したかどうかは確認していないのだが、潜在植生を復元すべきと言って、植えているのが照葉樹の木々ばかりなのだから、そんなに外れていないだろう。

たとえば
「本来の植生は内陸部ではシラカシなどの常緑広葉樹、海岸部はタブノキ、シイ等のいずれも照葉樹林が本来の姿である」
という言葉を発している。

この「大抵」の場所がどこを指すのか明確ではないが、基本は日本列島全域だろう。北海道、東北や南西諸島は外すかもしれないが。。。

しかし、最近の古生態学や考古学的な研究によると、弥生時代には温帯針葉樹林が種類・量とも多いという結果で出ているのだ。
西日本の日本海側では、スギの優占する針葉樹林、内陸部でも照葉樹にスギやヒノキが多く混じっていたらしい。

実際、近畿の山々では、戦後の植林が進む前は、スギのほかモミやツガ、トウヒ類も多かったらしい。多少標高は高いが、1000メートル以下であり、高山を理由にするには無理を感じる。

そして1000年くらい前から人為が入って植生が変化してくる。主にアカマツ林や落葉広葉樹林が増えてくるのである。

となると、潜在植生至上主義(^^;)の立場からは、もっとスギやヒノキを植えるべきではないか。照葉樹ばかり植えては潜在植生にならないのだ。

「その土地本来の潜在植生は、『鎮守の森』を調べればわかる。大抵、シイ、タブノキ、カシ類の木々が茂っているはずだ」

鎮守の森、つまり神社などの境内の神の森は、人が畏れを感じて手を付けなかったから、昔のままの植生(これを潜在植生とする)が残っているというわけだが、これにも疑義がある。

なぜなら、鎮守の森も、案外最近まで平気で伐採してきた記録が見つかっているからだ。

それどころか、境内の木を伐ったり、草を刈る、落葉を集める権利を、近隣の農民などが取り合ったらしい。木材はもちろん、草や落葉は堆肥にするためだ。そして、マツ林の場合は、そこで採取できるマツタケも入札で販売していた。

そうした神社仏閣は、決して例外ではなく、かなり大きな寺社でも行い、収入源にしていた。これは寺社に残る文献のほか、明治大正時代の土地利用図にも乗っているという。

だから、鎮守の森の植生も、照葉樹林どころかマツ林のほか落葉樹も多く、結構「荒れて」いたらしい。その反動からか、そこでは造林もしていた。

なんだ、これでは何が潜在植生かわからぬではないか。

では、なぜ今、鎮守の森は照葉樹林と思い込むようになったのか。それは、日清日露戦争後、満州など大陸部から大豆粕が肥料として輸入され始め、落葉の堆肥の需要が減ったからではないか、という仮説も立てられている。ほかに魚肥もあるだろう。

こうした仮説が正しいのかどうか、私には十分に判定できる材料はないが、私の小学生時代は、畑の肥料としての大豆粕について語られていたのに、現在は忘れられて、堆肥からいきなり化学肥料になってしまっているのは感じている。

いずれにしろ、戦前は結構荒れていた鎮守の森が、戦後は一般の里山よりも早く「放置」が進み、その結果遷移が進んで、登場したのが照葉樹林だと言えるかもしれない。これが潜在植生と言えるのかどうかは、まだ年数が短すぎる。もしかして、照葉樹林なんぞ、遷移途中の代替植生かもしれないぞ。

スギの純林が潜在植生だったりしたら、さあ、どうする? 現在の山こそ本来の正しい植生だ!! と主張してみたい(^○^)。

2011/12/01

木の語り部養成講座?

ちょっと、思索のモノローグ。

これまで繰り返し記してきたが、現在の林業状況は、2つの道に分かれている。
大規模に行い安定生産・安定供給・薄利多売をめざすベクトルと、小規模で低効率だが高利益と消費者満足を重視するベクトルである。

世の中の需要を満たすことが林業の最大の使命と考えれば、大規模化、機械化による低コスト・安価な木材を安定的に供給することが重要となる。それが外材に勝てる道でもある。

が、林家の立場からすると、利益が出ないで経営を維持できないところまで追い詰められている。そこで高品質な高利益率な材を少量出すという戦略も必要となる。

が、大局的に見ると、どちらも行き詰まってしまうのではないか。

安価・薄利な木材を大量に売って利益を確保するには、当然ながら大規模な林地が必要である。それを短期間に伐採するのだから、資源量と跡地の環境が心配だ。大面積の森林が失われたら、土壌などに必ず影響が出るだろう。そのうえ伐採跡地の再造林が進んでいないことも問題となっている。持続的な森林経営にならないのである。

一方、少量の木材を高く売って利益を得る経営は、個人の林家としては採り得る選択肢である。しかし、少量しか売らない(売れない)のだから、日本の過熟した人工林事情を打開する手段にはならない。安定供給できずに消費者の要望にも応えられない。それに高く売るのだから、買い手も限られる。
実際、高価な木材を求める消費者は少数である。国産材を使うためには多少高くても購入するという層はそんなに多くない。もし多くの林家がこの路線に参入すれば、小さなパイを取り合うことになる。その結果、価格が下落したら本末転倒だ。いや、大半の林家は参入できずに消えていくだろう。

森林を持続的に維持しつつ、林家の経営も維持できる利益を確保する手段は、何か。

解答は両者の間にある。木材の安売りはしないが、そこそこの量を売ることだ。少量ではなく、かといって大量でもなく。木材生産は、機械化を進めて中程度の量を出すものの、丁寧にやることで環境負荷を減らせる。

ただし、この戦略の大前提は、高くても木材を買う人を今より増やすことなのである。あまりにも当たり前の結論。

ただ、木に興味のある人を口説いて高く買ってもらうのではなく、木材の興味のない人に木材の良さを知ってもらうことで、新たな消費者に参入してもらうのである。同じパイを取り合うのではなく、新たな需要を生み出さないといけない。

まったく木がキライという人は別として、木は好きだけど、価格が高いのなら、別の金属でもプラスチックでもいい、というぬるい顧客層はかなりいるはずだ。
彼らを「高くても買う」「木材には高いだけの価値がある」と思わせる技が必要だ。

そのためには、何よりも丁寧な商品説明だ。徹底的に商品の魅力を語り尽くす。アフターサービスも必要だけど、それよりも熱意であり情報である。

従業員が顧客に満足をさせるために頑張れば……そこに新たな顧客が生まれないか。木材に興味のなかった人を、顧客として開拓することに結びつくのではないか。

なんか、経営評論家みたいになってきた(^^;)。

これは、単に木材の営業マンを養成しろ、という発想では解決しない。「木の魅力の語り部」の養成なのである。

う~ん。そんな講座をつくるか。ちょっと違うな。しばし、思索を続けよう。

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