機械化と経験と勘と
随分昔になるが、酒蔵巡りをしたことがある。近畿一円何十カ所もの造り酒屋を回った。
もちろん仕事だ。
その中で印象に残っているのが、機械化を進めた蔵だった。
ただし、機械化する際に、昔のままのやり方を残す工程を決めたそうである。
それは、「蒸し」だった。
米を蒸して、麹菌を繁殖させ水とともに醸すのが日本酒の作り方だ。当時、連続移動式の蒸し器が開発されていた。米をベルトコンベアの上に乗せて移動させながら蒸すのである。密閉しているから短時間に蒸せるし、コストもかからない。
が、「蒸し」こそ酒づくりのキーポイントだと蔵主と杜氏は考えたのだ。昔ながらの甑で蒸すと蒸気が噴き出て熱がもれる。手間と時間がかり、燃料費も高くつくかもしれない。が、この蒸気の中に雑味の元があるから逃がした方がよい米に蒸し上がるという。
というわけで、蒸し工程だけは、昔ながらの甑で、そのほか工程~原材料の運搬や醸造タンクなども近代化したのである。
こんなことを思い出したのは、この前取材した炭焼きでも同じような話が出たからだ。
炭焼きは暑くて重労働だ。とくに最後の焼き上がりを確認する手段は、煙の色と臭いを見て判断する経験と勘が必要だ。そこで窯を工夫して、肉体労働を軽減するとともにスピードアップを計った。最後の工程の直前までは、窯内の温度も計測して誰でも管理できるようにする……という。
ここで、機械化・合理化と、経験と勘の線引きを考えたのである。
私は、正直言うと、「経験と勘」というのがキライだ。わけのわからない基準ではないか。経験から身につける勘とは、結局のところ無意識に人間の感性で感じ取った指標があるはずなのだ。それが煙の色や臭いに相当するのだろうが、それだって、厳密には数値化できるのではないかと思っている。
ただ、ものすごい計測器を設置して、膨大な環境条件を入力して計算を行い求める数値より、人間の勘を磨いた方がてっとり早いだろうと思うが。
だから、産業界は、機械化できるところは機械化して、3Kから労働者を解放すべきだ。そして、「ここだけは人間の感性の方が優れている」「自然の摂理に従った方がよい」ところだけを選び取って集中する体制づくりが必要ではないか。
翻って林業界を見渡せば、残念ながらいまだに経験と勘の要素が多すぎる。また当事者もそれでいいと思っているように感じる。かといって、部外者が機械化を主張すると、いきなりハーベスタやプロセッサの導入になりがちだ。
しかし、玉伐りする寸法は何センチがいいのか、もっとも高く売れる寸法を考えることを放棄してはダメだろう。列状間伐自体は否定しない。しかし、間伐する基準を市場レベルからトータルにコストや利益を考えているのか。画一的に生産量だけ確保するような伐り方をしていては、結果的に木材価格が下がって利益も出なくなる。
効率やコスト、安全性、労働負荷を軽減する機械化と、最後の生産物の価値を決める部分の人の手のかけ方は、慎重に見極めてほしい。
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