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2011/12/13

森林ジャーナリズム試論

近著『日本人が知っておきたい森林の新常識』のあとがきでは、「おわりに-森林ジャーナリズムを考える」と銘打って記した。

実のところ、本書の第三部10章で、何を持って自然を見るか、森林を捉えるかという集大成的なことを記したので、もうあとがきはいらないだろうと考えていた。だから謝辞くらいで済ますつもりだったのだが、1ページの予定が2ページ分のスペースがあると編集者から伝えられたので,少しだけ書き足すことにした。
そこで、思いついたのは、森林ジャーナリストという肩書を背負うかぎりは、その前提に森林ジャーナリズムがあるということだ。そこで、いわば森林ジャーナリズム宣言をしたわけである。

拙著では、次のように記した。

「森林ジャーナリズムとは、単に自然科学的な目で森林を見るだけでなく、かといって産業としての林業界の情報を追いかけるだけでもないはずだ。森林と、森林にかかわる人々の両方を見つめる視点を持つこと……と私なりに定義づけている」

本当にこれは後付けで、最初からこのように考えていたのではなく、まず森林ジャーナリズムという言葉があって、それに合う定義を後から考えたのである。

ただ理由はある。私は常々疑問に思っていた。世間が森林(自然)と林業(産業)を分けて考えていることに。分けては見えるものも見えなくなるのに。

森林という存在を考えると、さまざまな要素が絡み合っている。学問的には、自然科学分野(それも生物学、生態学、土壌学、地形学……と細分化される)のほか、社会科学(経済学、法律学、経理学……)、さらに人文科学(哲学、美学、民俗学……)と数々の別分野のものが混ざり合っている。
本当は相互に切り離せないはずなのに、研究上は細かく分けてしまう。それに対する疑問があったのである。林業は森林を語る一部であり、一部でしかない。これは、私にとって、林業ばかりに深入りすることへの諫めでもある。

実際の森林は、各分野が入り交じっているのに、一部に絞り込んで、ほかの分野をないことにしてはホンモノではなくなる。改めて融合させなられないか。総合科学としての森林にしてしまおう。ただし、森林学ではない。これほど広く混ぜてしまうと、学問ではなくなってしまう。再現性も弱ければ、論理的でない部分も入り込む。

だからこそ森林論であり、森林ジャーナリズムなのである。

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

おっしゃる通りだと思います。

ちょうど、日本の大学が理学部、農学部、医学部、経済学部という風に分かれているように、林業は農学部で、森林は理学部で、森の効用は医学部で、材木の販売は経済学部でという風に教えられていますね。

英語では、Universityを大学と訳してますが、Universe=宇宙、森羅万象について学問するところがユニバーシテイですた。
学問の細分化、世界の分業化に伴い、狭い見方が当然となったようです。

田中さんのように、複眼的な見方ができるのは在野にいるからで、大学にいたら○○先生のようになりますね。笑

お後が、よろしいようで。笑


イマキンにしても,宮脇さんにしても,最初はそういうホリスティックな路線への傾倒があったと思うのです.

ただ,ホリスティックな考え方や方法論は残念ながらトンデモと親和性が高い.本人がそうでない場合でもまわりの取り巻きが妙な方向へねじ曲げてしまうのが容易なのです(本人がそれを主導する場合もあって頭が痛い).

アカデミアの人間ならば,そういう「最初は高い志を持っていたのにその成れの果てと言ったら・・・」という例はいやというほど知っています.

「ああはなりたくないな」というのは共通認識として持つのは当然ですが,そこで各研究者がとる道は幾つかに分かれます.要素還元的な細分化サイエンスにも未解決の問題はいくらでもあるのでそちらに注力するか(もちろんこれはこれで重要な意義がある),ホリスティックな自然観を持つ科学の方法論の確立にあえて挑戦するか.現状のアカデミアでは両者とも同様に重要視されています.ただ,後者の動きはなかなか一般には伝わりません(伝わったとしても変な紹介のされかた・・・orz).

田中さんには独自の森林世界観を繰り広げて行っていただきたいところです.

私が農学部、そして林学科に入学したとき、最初に感じたのは、履修科目の幅広さです。生物学系はもちろんのこと(いや、少なめ)、土壌学、木材化学、機械工学、砂防工学、水文学、経済学、会計学、林政学、林業法律論、それに測量実習に簿記のつけ方、造園学…。それらの科目の中に、さらに枝分かれして地理に歴史に山村社会。あと文学があったら全部揃うな、と思ったのでした。

今思えば、まさにユニバーサルな勉学をする場でした。当時は幅広すぎてキライだったのですが、今は有難く感じます。
果たして、現在の森林科学的な名称に変わってしまった学科では、どんなことを教えているのでしょうか。
学部学科の改組が進んでいますが、学際ではなく総合学問の場を作ってほしいものです。

ま、そこがトンデモ科学の巣窟になったりして(^^;)。
私も、森林療法やら森林美学という「怪しい」分野に顔を突っ込んでいるからなあ。

今西錦司も、生態学から自然学を提唱し、最後は進化論(学ではなく)に行ったのだから、私も哲学系にも手を伸ばそうかな。

森林は真理に通じる! とか唱えて、森林真理学をつくり教祖に納まるか(^^;)。


「真理は森林から」、下手な習字で書けば売れると思いますよ。いよいよ乗り出すのですね。教祖様、私を高弟に加えて下さい。

やばい、
「ヤマは私に語りかける」
「木も私に語りかけてくれる」
「鳥も昆虫も、沢のせせらぎも・・・・」
なんて、マジで思っちゃいます。

実際に、仕事に詰まると、
「現場行ってきまーす」って、山に逃避したりしていますから。
(実際には、逃避した現場でも自分なりにちゃんと仕事をしていますけど)。
割と、自分なりに落ち着いて帰ってくることが出来ちゃったりしますよね(ただし、○○整備計画を現場対照して考えたときにはどうかなるかと思いましたが)。

明日朝一で現場行こうかなあ。

森林真理学、森林真理党、森林真理教……どれがいいか思案中。一番ウケて儲かるのは、と。

沢畑さんは、正大師に任じます。しっかり励み、しっかりお金を集めるように(^^;)。

鈴木さんは、早くも教義を修得されていますね。仕事に詰まると山に入る。森に隠れた真理を吸収してください。なに、よく売れる木材商品を思いつけばいいのです。

幸福の森林科学,とか.

亡き恩師が書いた「森林の思考・砂漠の思考」を思い出しました.ただ,森林を前面に打ち出した宗派は,メジャーなものでは思い当たらないので,もしかしたら新規に開拓できるかも(冗談です).

天地真理、
いや山地真理教でしょうか。

テーマソング
あなたを待つの、バッファゾーン♪
木立の中、のぼる白い朝もや(山霧)。
あなたは来るわ、あの道から、
チェーンソー担ぎ、今日も来るわ~。
(ここは 軽トラ4駆に乗って でも良い)

え、冗談ですか。。。本当に開拓できるかも。あがたしさんは、正悟師に任命しましょうか。(これこそ冗談か)

しかし、天地真理とはねえ……。お懐かしい。この歌を歌える人は何歳以上だろうか。

ぅ。歌える。。(^^;
××歳以上ですね。

おお、偉そうな位をいただき光栄至極。集めた金は50%くらい私の懐に入れてもいいですか?

天地真理(てんちしんり)教、良かですな。やっぱりあの方の偶像(アイドル)を崇拝するのですね。できれば若い頃を希望。

このところみかん山で石垣積み教室を開催中で、森林にはなかなか入れませんが幸せな時間を過ごしております。そう言えば、今日は奈良から参加者がおいでですよ。先日は三重からもおいでになりました。

50%はあこぎだな。天地真理の印税だって。。

沢畑さんは、石垣真理教を創設されてもいいですね。
「石垣の隙間に人生のあやを見る」
「人生は石(意志)を一つ一つ積み上げる石垣のごとし」……とかなんとか唱えると信者が増えますぜ。

奈良から来られた方は、技術を修得されたら生駒山で石を積んでいただきたい。

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