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2012/01/10

天皇陵

京都の某所に仕事で出かけた。

Dsc_0092







こんなメタセコイヤの並木があるところである。





ここで何をしたかはどーでもよい(^o^)。

問題は、この地の隣に天皇陵があったことである。

「天皇陵に入ることはできないんでしょうかね」
何気なく、そんな質問をした。もちろん、塀に囲まれ、立入禁止の標識があることを知った上での質問である。決して、本気で入ろうとは思っていないのである。

「入れますよ。裏側は塀も途切れているから」
あっさり某所の所長に言われた。

さっそく案内してもらう。

001



なるほど、ここは柵もない。いや、正確には柵の残骸はあるけど、壊れている。ここからなら、何の苦労もなく入れてしまうだろう。

「ここは、堀の跡です。完全に水がなくなっているのは珍しいけど、湿地になっています」

「水がなければ、簡単に入れますね」

「入っちゃダメですよ。宮内庁の管理地だから。常駐している人はいませんけど」

もちろん、塀がないからと言って、スタスタ入ることはしない。そんな不埒な。

「入ったら何かあるんでしょうか」

「中に石の塀があって石垣があるんだけど、右の方が高くなっています。そこを登るのは難しいな。入っちゃダメだけど」

「左の方は」

「左は低いですから、すぐに越えられますね。入っちゃダメだけど」

もちろん、入りませんよ。入りません。入らないってば。そんな不埒な。

なぜ、天皇陵にこだわるのか。入っちゃダメと言われるから……というわけではない。

ただ天皇陵は誰もが簡単に入ってはいけないということは、その地がずっと人為を受けずに残されていた可能性がある。
とすれば、そこには潜在自然植生(笑)が甦っているかもしれない。
土壌も、古代に積み上げた土砂のまま攪乱されていないかもしれない。
掘れば、古代の土木技術が解明されるヒントもあるだろう。

ちなみに天皇陵と言っても、指定されたのは明治に入ってから。古代の天皇陵がどこか決めるのはなかなかの難物で、かなり強引に決めたところもあるようだ。
とくに中世の動乱期には荒れ果てていたそうだ。おそらく盗掘もされただろうし、そもそも天皇の墳墓ではないかもしれない。それでも、明治以降は厳密に管理されていたとなると、百数十年間は手つかずだ。これは神社の鎮守の森より原生環境が残っているのではないか。

宮内庁、許可してくれないかなあ。勇気ある人なら、入れるよ。入ってはダメだけど。

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コメント

なるほど!

私も興味津々ですう。

一度は人によって何らかの整備がさて、その後はある程度管理されて、そののち自然の遷移が長く続いているでしょうから、そこの植生は非常に興味がわきます。

絶対入ったな,こりゃ(笑)と思える記事でした.

指定天皇陵の多くが実際の天皇陵でない(らしい)というのは歴史な人の間では常識で,「○○天皇の本当の陵墓は△△古墳(もちろん宮内庁指定でない)というのが定説」という例はいくらでもあります.

で,歴史家の共通認識は,「頼むから宮内庁は△△古墳を天皇陵認定しないでくれ.立入調査ができなくなっちまう」です.

入っていませんよ、その時は……。

でも、古墳や天皇陵は、鎮守の森以上に潜在植生の研究の場として向いているんじゃないでしょうかねえ。

ちなみに、上記の天皇陵も、実は怪しくて、本当に陵墓かどうかもわからないそうです。本物は秀吉が伏見城を建てる際に削ってしまったとも言われている。不埒なのは、秀吉ですな。

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