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2012/01/18

学者と一般人の相互誤解

このところ、学者のプレゼンや研究発表を聴く機会が幾度か会ったのだが、概してわかりにくい。そして、気分が盛り上がらない(-_-)。

その原因を考察してみると、まず専門用語が多すぎることがある。かろうじてわかる言葉だったとしても、その言葉の意味を頭の隅で反芻したりするものだから、妙に引っかかって全体の理解を妨げがちだ。

だが、もっと根本的な理由に気がついた。

それは学者の言葉が、あまりに事物・現象を正確に示そうと、数々の例外事象まで触れて、回りくどくなることだ。
研究に従事している者は、断言することを恐れるのだ。一つの事象を説明しようとして、でも条件がちがうとそうじゃない場合もあるよな、と思うのか、それにも触れて「~~の条件下では●○なりますが、そうでない場合は△▲になります」なんて、やたら複文節を繰り返してしまう。結果として、わかりにくいうえに、迫力がなく、テーマが拡散しがちだ。そのうえ、「~という場合が見られる」「~になる可能性がある」「~が考えられる」などと、婉曲に表現されると聴く方は、どこまで信じてもいいの? という気分にされるのだ。

実験・研究の現場では、数々の条件を設定した上で、比較対象しつつ理詰めで結果を導こうとしているからだろうが、このような展開のプレゼンは、一般人にとってつまらない。条件ばかりが示されて、今回の実験結果はたまたまで、普遍化できませんよ、と言われている気になる。

これは、学者が、外野から「そうでない例もある」と突っ込まれるリスクを負わないようにしているからではないだろうか。物事をきっちりしたい性分の人が多くて、大雑把な表現もイヤなのだろう。自ら提示した研究に間違いや異論を指摘されたら、学者として失格だという思いもあるのだろう。しかし、さまざまな可能性を吟味しているうちに、結論を示すのはどんどん遅くなっていく。

 
ここで話を変えるようだが、近年の一般人が求める情報は、事象の明快な答であり、それに対する処方箋である。細かな経緯や分析などは興味を持たなくなっている。

マスコミ業界に顕著だが、長々と研究の過程と分析内容を説明するような本は売れず、テレビは視聴率を稼げない。ずばり、処方箋はこうです、貴方はこのように行動すべきです、と断言することを求めている。

放射線は危険なのはコレコレのわけで、このような場合は危険で、というプロセスを書くより、危険な放射線から身を守るためには、このように行動しなさい、と断言調に書かれた本・記事が求められるのだ。

本当にそれが正しい方策なの? と疑問を持つのはダサイ。事象はこうだから、どうすべきか自分で考えようと提案されるのもカッタルイ。理解しようとするのではなく、自分がどうすべきか全部、教えてくれ! と要求しているのだ。

だから、断言型の政治屋が人気を呼ぶ。今の世の中が悪いのは、このせい。だからこうするとよくなる! と断言されると、すっきりする。ああ、その意見に従おうと思考停止できる。
その政策には、こんな副作用があるから慎重に考えねば……などという政治家や学者は嫌われる、というより無視される。ときにかみつかれる。
どうせ、政策の結果が出るのは数年後だから、すぐは白黒はっきりしない。だから、その場では強く断言した者の方に支持が集まるのである。




さて、リスクを取りたくないから断言を避ける学者と、すっぱり処方箋を示して断言してほしがっている一般人。両者が相まみえたら、学者に勝ち目はない。
一般人は、細かな点にこだわって条件をつける学者のいうことを信用しない。
一方で学者は、過程を無視しがちで、専門用語が通じない一般人を厭う。

かくして相互理解どころか、相互不信、相互誤解が進むのである。

……と、まあ、断言調で書いてみました(^o^)。

 

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

田中組長!

まったく、そのとおりでござんすな(^|〜)
おっしゃる通り、学者先生は間違いを指摘されることを恐れ断言をさけます。
後づけの理由を五万と並べて解説本を書きます。
でも、どうしたらいいのかは全く書きません。
一方、一般人は明確に断言する書き手を求めます。
少しぐらい間違っていても、こうしたらいいのだ、と断言する田中組長風の表現を好むのです。

東大農学部教授で小柳津広志という研究者がいます。
生物学の研究者ですが、日本社会の諸問題を解析して、今後100年間にこうすればいいのだという本を書きました。ここで、紹介させてくださいませ。
「優しい日本人がこの国をダメにする」幻灯舎新書です。
お時間があれば、一度お読みください。

いえ、私も小心者ですから、断言なんて、とてもとても。
もっと断言したら、本の売れ行き伸びるかも。

学者のプレゼン下手もあるのですが、一般人の身の回りしか興味を示さない(自分の行動だけが気になる)という性向も、危険だなあと感じます。思索することを放棄するのに近いですからね。

生物学者の書いた社会論ですか。チェックしてみます。

>自ら提示した研究に間違いや異論を指摘されたら、学者として失格だという思いもあるのだろう。

>一方で学者は、過程を無視しがちで、専門用語が通じない一般人を厭う。

元「学者」として断言しますが,上記のようなことを本気で考えている学者がもし本当にいるとしたら,2流以下です.田中さんなにか誤解してません?あ,これも相互誤解か(笑).

他の森林や林業に関する本が矢鱈と面白くないのはこのせいですね。
田中さんの書かれた本は読みふけて、うっかり降りる駅を乗り過ごしてしまいそうになるのは。一般人の言葉で書かれているからではないでしょうか!?
次作は子供向けに書かれてはいいかも?と思ったりします。

あがたしさんへ。

>自ら提示した研究に間違いや異論を指摘されたら、学者として失格だという思いもあるのだろう。

よくお読みください。まず、学者の話は、いろいろな条件を示して回りくどく断言しない……という「事実」を受けて、その理由として私が「推測」したのが上記です。間違ったことを言いたくない、という気持ちが強いのではないか、という意味ですね。
専門用語を問い返されて、一般的な用語に変換しようと四苦八苦している様子も、「事実」ですね(笑)。「厭う」のは推測ですが、それは表情から「めんどせえなあ」と思っているように見えるからです。

もし「推測」が外れていたら、ぜひ「解答」が知りたい。

それにしても、あがたしさんが、「元」学者だとは思いませんでした。現学者ではないのですか?
現学者の「しゃべり杉爺」さんこと、高桑先生も、私の「推測」を検証してください。

建具屋・都築@三河湾岸です、さんへ。

生物系の学者は、文章が比較的巧い人が多いように感じます。きっと、生物はもともとファジーだから(笑)。でも、私もつい専門用語を使ってしまうことがあるので、自戒しなくては。

私の役割は、両者のインタープリターなんだろうと自覚していますから、「子供向き」の本も、いつか挑戦してみたいとは思っていますけどね。依頼が来ないだけで……。

時間がないので取り急ぎ

>自ら提示した研究に間違いや異論を指摘されたら、学者として失格だという思いもあるのだろう。

間違いや異論を指摘されるのは,むしろ名誉なのですよ.

(途中で「送信」押してしまったごめんなさい)

で,自分がもしまちがっていたことに気づいたときの対応が問題で,ここで自説に凝り固まってしまう面々は困ったことになります.まともな学者ならばそれまでの自分の誤りを認めて新しく道を造り直すということになります.

学者の皆さんが、あがたしさんのように高潔な思いを持っていただけたらよいのですが……。

ちなみに、あがたしさんの指摘されているのは、学者同士の発表で、自分の学説なり研究成果を完全に説明しきったうえでの間違いの指摘や異論に対する対応のことでしょう。それは、まさに研究の現場の専門家同士の議論です。

私の言っているのは、門外漢に説明する際に(わかっているけど)はしょった部分を、「そうではない場合もある」と指摘されることを恐れている、ということです。いや、それは知っているが、簡潔に説明するためにはしょったんです、と言い返せばいいのですが、その前に「まるで気がつかなかったかのかと言わんばかりに指摘されるのがイヤ」という心理が働いて、くどくどと厳密な定義を語ってしまうのですね。
それが門外漢には、余計わかりにくくしてしまう(^^;)。

>いや、それは知っているが、簡潔に説明するためにはしょったんです、と言い返せばいいのですが、

うーん,そのレベルで良ければ,特段探さなくてもたくさんいますよ.

もっとも,田中さんの仰るとおり,最初からハショリを一切許さない態度でしゃべりまくる学者もいます.それこそ空気を読まずに.

あがたし様へ


「>自ら提示した研究に間違いや異論を指摘されたら、学者として失格だという思いもあるのだろう。
>一方で学者は、過程を無視しがちで、専門用語が通じない一般人を厭う。
元「学者」として断言しますが,上記のようなことを本気で考えている学者がもし本当にいるとしたら,2流以下です.田中さんなにか誤解してません?あ,これも相互誤解か(笑)」

まさにご指摘の通り、2流以下の学者?が多いのかもしれませんね。

田中さんが指摘される点は、よくわかります。
専門家同士の議論ならお互いに相手を論破するのもいいのですが、一般の人(その分野の基礎知識がない人)を相手にわかりやすく解説できる専門家はそう多くはいません。
一般の人向けの新書等を読んでも、わかりやすい説明をしている学者と、読んでもよくわからない、あるいは何の説明もなく突然専門用語を使用している研究者の書いた本も良くあります。

その理由は、教科書を書くのではなく一般人、市民の知識レベルを想定して書かれていないためだと思います。
すくなくとも、一度以上は普通の人に読んでもらいわかりにくいところを直すことが大切ですね。

とまあ、こう書いてきて汗が出てきましたので,失礼します(笑)


ちゃんとした学者さんって大変なんですね。

(なれるわけなかったのですが)学者でなくてよかったです。

一般人としては、ビビッと来た直感も大切なわけで、即実行ということができますよね。
学者のみなさんにとっては、それが仮説のネタとかなんでしょう。即実行とはいかない。

そういえば、一般人の私ですが、思いつきを、「これは最高の発見」、「俺ってすげー」って勝手に思って、ついつい熱弁して、それが単なる「思い込み」ということを後からそっと教えてもらって、がっかりしたことがありました。それができるのも、我々一般人ならでは、ですね。
でも、迷惑をかけることがなくて、初期段階で打ち消してもらえてよかったです(って案なり迷惑をかけるほどの立場にいないというのもありますが)。

学者が一般人に対するプレゼン能力を持つことは、今後もっと要求が高まるでしょうね。研究に没頭したい人にとっては辛いでしょうが、それでは予算は取れない(^^;)。

同時に理屈面をめんどくさがって、処方箋ばかりを求める「一般人」は、どんどん危険な方に向かっている気がします。

むしろ一般人=門外漢こそが、異業種交流で新たなひらめきを生み出す元です。だから鈴木さんが「思いつく」のは、素晴らしいきっかけだと思いますよ。ま、私もここで「思いつき」を発信して、ネタを発酵させているのです。

私は、農家林家って、まさに単独異業種交流。
しかも、必然的に・・・・、かなあって思ったりしています。

農業やって林業やって、地域の面倒見ながら日雇いにも出たり・・・・。
そんで、重要な役職をしていたりもします。

もしかしたら、エリアとしては限定されるけれども、相当なゼネラル能力を持っているのではないでしょうか。

しかも、それを今ではネットで自ら自由自在に発信できっます。
そういう方々は結構いますよね。
しかも、楽しんでやっていたりもしているみたい(つらいことも苦しいこともあって楽しいのでしょうけれど)。

結構楽しみに拝見しているブログもあります。
しかも、とても参考になったりして、話のネタとか自分の行動の元にさせていただいたりしています。

文章の能力やこれまでの豊富な経験から心も豊かな人も多くて、多くの人の参考になるのではないでしょうか。そういう方々が、もっと積極的に情報発信をしていって戴けると盛り上がってくるかもしれません。(って長野の林業、木材関係の方と話をしたことを思い出しています)

「Aという条件下ではXはYになる」という事実がすでに分かっていたとして,それに「しかしB条件だとXはZになる」と条件限定を付けたり,逆に「どんな時でもXはYになる」と条件はずしをしてしまうのは,研究ではよくあることです(これがまたマニアックで面白い).

で,問題は,A条件とB条件で結果が違うということが分かっていることがらについて,「で,結局XはYになるのですか?」とそれこそジャーナリストに突っ込んで聞かれたら,簡単に「はい」とは今は言えない.今分かっていることに対して背けないという意味で,学者は間違いを恐れるとは言えます

しかし,今分かっていることが将来(下手すると明日)覆されるかもしれない,というかしょっちゅう.そうすると,今分かっていることを今正確に話すことは,将来からみると間違いだったということになります.学者はそれは全然恥と思わない.そういう意味では,学者は間違いを恐れないとも言えます.

ところで,条件付きの場合にも「XはYになりますよ」としれっと言ってしまうことをぼくは「ぶっちゃけトーク」と呼んでいますが,これは結構学者にとって勇気がいります(今分かっていることに対して嘘をつくことになる).しかし読者聴衆によってはぶっちゃけトークのほうがはるかに効果的です.

手前味噌ですが,先日ウチの一部門が開催したシンポでの話者の一人が,ぶっちゃけトーク全開の導入部から観衆を引き込んでいきました.その時の様子は元Newton副編集長の方がレポートを書いています

この話者の先生は185cmの長身・鋭い眼光・スキンヘッドという押しの強い外見に加えて,吉本流の笑いがとれる話術・前半をぶっちゃけトークで押し通すやたら面白いプレゼンと希有な存在です.

もっとも,上記ブログ記事は古生物の専門家が書いていて内容を95%は正しく理解しているという,実に「すばらしい聴衆」だったのですが,件の先生の部分はさすがにぶっちゃけトークに引き摺られて少し誤解がありました.こういう誤解を生ませてしまうのがぶっちゃけトークの怖さでもあります.

怖さを承知で,武器としてぶっちゃけトークを使いたいものです.

学者はなぜ回りくどいのか、いくつか仮説を考えてみました

1)根拠を示そうとする
根拠が無い結論は科学ではないので、科学者たるもの、論拠を示すのが当然

2)大局観がない
「A=Bか?」という問題で、条件分けとして、最も確率が高い条件から解いていく、という習慣が無い
例えば、「日本で林業が成り立つのか?」という問題では、林業が最も盛んな地域から取りかかる、といったように

3)「面白い」を優先させる
学問的に面白いかと、誰にどの程度需要があるかは、違う

4)ケーススタディの積み重ね(演繹)重視
帰納的に考えてみよう

だんだん学者の思考チェックになってきた(^^ゞ。

ともあれ、学者さんは、自分が面白いと思う点と、一般人の興味を持つ点はちがうのだということに気づいてもらい、プレゼン能力を高めていただければ幸いです。
それが、処方箋だけを求める一般人を、過程や原因などの論理の魔の世界(笑)に引き込むポイントです。

私は市町村の職員ですが、
気がつくと私達も学者っぽくなっていたり(全然そのようにはなれないですが、外面だけ)、評論家っぽくなっていたりして、自戒する時があります。

誰が、どこで、何をすればいいのか、自分の役割とか立ち位置とか、そんなことを反芻しながら、自分のやらなければならないこととやるべきこととやりたいことを整理しながら、進めていきたいです。
でも、やりたいことに偏っちゃうんですよねえ。公務インなのに・・・(苦)。

やるべき、基本部分ややっぱりその役割ってのがあると思うのです。

市町村職員は、人によってですが、仕事として税務、財務、教育、企画、福祉、
保健、商工、農業、漁業、環境などなどいろいろな部署の経験が積み上がって、担当以外の業界や色々な人とこれまでの関わりがあるので、自分の趣味趣向とあわせて多彩に活動できると思います。

自戒します(^^;)。私も、つい専門用語使ってしまいますから。
施業とか、素材生産なんて用語が、世間には通じないことを肝に銘じるべきです。

もしかしたら、市町村職員は、ゼネラリストとして林業をほかの業界にコラボさせる絶好の位置にいるかもしれませんよ。
そして異業種と交流させることでカルチャーショックを引き起こさせ、変革のコーディネーターになれる!

酒樽とか味噌樽とか実態が伴うのがいいのですよね。
奈良ではそんな動きがすでに始まっていましたよね!

静岡だと茶箱です。
茶生産者と林業は農林業でくくれますし、同一の主体で動いている場合が多いです。でも、茶商はその道で専業化されている部分。

箱系が実態連携のカギになってくるでしょうか。
みかん箱とかりんご箱、運搬道具、パレット、収納、展示ツールなどなど・・・・。

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