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森と林業の本

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2012/03/28

棺桶と割り箸

棺桶の素材は何を使っているだろうか。

大昔の古墳などから発掘されるのは、石でつくった棺桶、つまり石棺である。(ただし、つくったのは支配者階級だけだろう。)一般には土器、つまり陶器だったことが遺跡からわかる。もちろん木棺も少なくなかったようだ。

木棺の場合には、コウヤマキがもっともよいとされた。皇帝・王クラスの人物の棺桶に使われていたそうだ。コウヤマキは日本特産なのだが、百済の王墓からも出土するところから、古代に日本から朝鮮半島へ木材輸出があったことを想像させる。

 

 

今でも、高級さを売り物にするものには、チークや黒檀の棺桶もあったと聞く。
一般的な天然木棺(無垢の木材による棺桶)は、主材がヒノキ、モミ、キリなどが用いられる。最近はスギ製も登場しているそうだ。

安いものとなると、合板の表面に天然木(キリが主流だそう)のツキ板を貼った棺桶も少なくない。さらに安上がりとなると、木目を紙に印刷したプリント合板棺、合板の上に布を貼った布張り棺もある。

ここで、棺桶の材質に人は何を求めるのか考えてみた。

昔は、土葬が普通だったから、水に強く腐りにくい木を選んだのだろう。コウヤマキやヒノキは典型だ。モミは朽ちやすいが白さが葬式に向いていたのかもしれない。キリは、軽いから?

しかし、棺桶が腐りにくい材質を求めるのは、何故だろうか。死者の甦りも期待して、遺体の入った棺も長く保つことを求めたのか。しかし、「日本人の土に帰る」という思想からは、どこかおかしいように思う。

そして現在では、火葬である。ならば、どんな棺桶も数時間後に燃やして跡形もなくなることが望ましい。木材なら基本的に燃えるものだから、そんなに樹種を選ばなくてもよいはずだ。死者には触覚も嗅覚もない。

あえて言えば、遺族にとって見映えのよい木ということになるだろうか。

最近は段ボール製の棺桶も登場している。環境に優しいことを謳っているが、燃やして消滅させることを考えれば、段ボールで十分と言えばその通りだ。燃えやすく、資源の無駄にもならない。

しかし、得てして遺族は、棺桶に死者の格を求める。合板とか段ボールでは、死者が浮かばれないという感情が先に立つことが多いのではないか。

それを否定する気はないが、そこで割り箸を思い出した。割り箸は、割って数十分後に食べ終わり捨てることがもったいないと騒がれ、プラスチック箸が普及したりする。

しかし、割り箸は食事という人間の生命活動プラスの食文化に関わっている。唇や舌に触れる材質がプラスチックか無垢の木かは、心理的に重要であり、大きな機能を果たしていると考えられるのではないか。

ここで気がつくのは、棺桶に対する思いと正反対の意識が働いていることだ。捨てるんなら、燃やすんなら、段ボールでもいいわけだ。高級材をあっさり焼却することは、割り箸以上にもったいない。
しかし、死者を送る感情は稀少な高級材を求める。これは食事の際に美しい割り箸を求めるのと同じ感覚ではないか。

裏返しの意味だが、割り箸に反対する人は棺桶に木材を使うことに反対しないのだろうか。段ボール棺桶で十分ではないか、と。しかし、日本ではあまり普及しないようだ。(段ボール棺桶を開発したのは欧米らしい。)

このところの感情をうまく理解してコントロールできれば、割り箸に多少とも高級材を使うことの意味を理論武装できるように思うのだが。

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割り箸」カテゴリの記事

コメント

関係ない話ですが、アメリカにいたとき、知り合いのおじいさんが亡くなったことがありました。その人はヒッコリーをこよなく愛する木工家で、常々「自分の棺桶は自分でつくる」と言ってたのですが、ある日突然お亡くなりになりました。
お葬式をするにあたり、彼の家族が話し合って、彼が臨んだ手製の棺桶をつくるということになり、私もなぜか手伝いに行きました。そのときに使った材がSPF。塗装までいれて、200ドル以下で完成したと思います。買うと3000ドルとか言ってましたから、相当安くできたことになります。
完成後、ご遺体の頭が来る部分の内壁に息子さんが、「父さん、ヒッコリーじゃなくてごめんな」と書きこんだのを見て、感動した記憶があります。
棺桶なんてそうそう作る経験ができるわけではないので、貴重な経験でしたが、良い木というだけでなく、安くてもストーリーのある棺桶があってもいいだろうと思います。思い出の森の木の棺桶とか。段ボールであっても、たとえば家族がメッセージを書き込めるとか。

この話を割り箸にあてはめると・・

うーん。頭が混乱します(^^;

いずれ焼却されるのに、何故こんなに手間をかけるのか、考えることもあります。
時節柄、桜を愛でる日本人の気質に近いのかな?なんて勝手に思って納得したり(笑)

文化なのかただの消耗品なのか。
最近、間接的に小学校の林業とはなにかという授業をお手伝いしました。
子供たちに郡上わりばし送りました。使ってみてと。
その感想文の中に、割り箸は角があっていたいのでプラ箸がいいという意見もありました。
おが粉を使うバイオトイレも、子供たちに見せると流せるわけではないので、ある意味前の人のそれが見える可能性があるのでいやがる子供がいるそうです。
何が言いたいかというと、今の子供たちの生活、環境のベースラインが私たちとはかなりかけ離れていている現代においてどのように資源の循環を伝えるのかある意味危機的な状況にあるのではないかと最近感じています。

思いつきの棺桶と割り箸の共通点ですが、改めて木材は情報素材・情操素材なんだと感じました。

葬儀は亡くなった人のためというより残された人のために行うのだと思いますが、そこに思いを込めるため、木材は重要な役割を担えるのかもしれません。
逆に、思いを込められるなら、段ボール棺桶でも十分となる。遺族がメッセージを記す欄のある棺桶も、そんな一つでしょうね。

残念ながら、子供たちには、木材の情操性が十分に伝わっていないのかもしれませんね。これは、教育で教えるものなのか、原初的な感覚を大事にすべきなのかは意見の分かれるところですが。
ちなみに天削箸は角張っています(私は、それが好き)げど、痛いという声に利久箸が広がったと聞きました。

静岡県の島田市内には以前はたくさん製材工場があったと聞きます。
大井川上流のモミが原料だったと思いますが、棺桶用の製材をして関東方面の業者に納入していたのだとか。
その端材(背板)で卒塔婆の製材もしていたようです。

その関連で、空板(かまぼこの板)も作っていたのでしょう。
現在でも空板の相当のシェアを島田市の専門業者が占めています。多分100%外材でしょうけれど。。。。

以前、ある住職さんに卒塔婆をスギにしませんか?と話したことがあるのですが、あまり相手にされませんでした。
関東方面では製品化されている事例があるようです。
それなりの流通ルートもあるのでしょう。

またまた、本題とはかけ離れたことですが。

父が勤めていた会社の社長さんが、亡くなられたとき、故人の遺志で、
ダンボールの棺桶に入られたと聞きました。当時はずいぶん話題に上り、
新聞にも紹介されました。ひょっとして、その話題性が狙いだったかも?
なにせ、「きんとま」の方ですから。
現、レンゴー(株)の創業者井上貞治郎さんです。

その当時でも、かなり丈夫なダンボールができていて、わたしも本箱を作ってもらいました。

モミの産地では、棺桶や卒塔婆づくりも盛んだったかもしれませんね。
金沢の中本製箸では、キリコという墓前に唱える卒塔婆の一種を改良したな板キリコの生産もしていました。

ところでレンゴーって、段ボールの会社ですよね。
そりゃ、社長さんとしては段ボール棺桶に入ることにドラマ性と思い入れがありますよ。もちろん宣伝にもなるし(^^;)。

支配階級でなければ、棺桶は腐りやすい木材のほうが適しています。

わたしの生まれたところは40年ほど前まで土葬でしたが、家系の墓地内に埋めていきます。当然、ご先祖様の骨も出てきます。それを考えると、樅の木の棺桶も納得します。
ちなみに土葬してきた地域のお墓は、土中に水が循環している日当たりのいい谷間にあることが多いです。そのほうが有機物が分解されやすいからだと思われます。

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奈良新聞(3/28付)で、「吉野杉でつくられた環境に優しい割り箸」という卒業論文を読んだ。紙面の2ページを割いた堂々の大論文である。書かれたのは、帝塚山学園の塚本奈都子さんである。「割り箸は環境を破壊している」という誤解を払拭するに十分な材料を提供している...... [続きを読む]

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