つなぎに感じる青春(^o^)
押し入れを掃除した。
いらないものを捨てて、収納容積を増やしたいし、そもそも無駄なものを抱えこむ生活を見直したい。
すると、奥から見つかったのが、つなぎである。ズボンと上着のつながった作業服だ。それが2本あった。
どちらもボロボロ。片方の白いものは、主に洞窟もぐり〔ケイビング〕用として使っていたもの。
私は大学時代は探検部に所属して、主にケイビングをしていた。洞窟と言っても、ほとんど匍匐前進するような狭い穴で、つなぎが欠かせない。さもないとズボンが脱げてしまったり泥が入ってしまうからである。
良く見ると、各所に修理や改良を施した跡がある。破れたら自分で縫っていたし、またヘッドランプの電池ボックスの格納ポケットや小道具を身につける仕掛けを自分なりに考えて作っていた。
なつかしいが……今更着れないよなあ。やはり捨てるか。
もう一着は、青いつなぎ。こちらは、林学科のクラスでつくったものだ。林学科は20人しかいない所帯だったが、こうしたユニフォーム的なつなぎをつくっていたのである。
林学科も、森の中に入って、樹木の枝を集めたりスコップで穴掘って……と土方仕事が多かったから、汚れても気にしないようつなぎが重宝したのだろう。(だろう、て、覚えていないんだよな。なぜつくることになったのか。)
そして背には、こんなイラストが入っている。
わかるだろうか。こちらも、かなり傷んでいて、背のイラストも剥げているのだが、切り株の上に斧持って座る男の子の姿が。
斧というところが時代錯誤だが、当時まだ学生にはチェンソーは持たせてもらえなかった。
おそらくイラストを書いた人物は林学科の学生ではないだろうから、林業そのものを知らずに書いたのではないか。
We Love Forestry の文字が、いかにも林学科学徒。
ただ不思議なのは、胸にはSUECの文字が入っていることだ。
これは、静岡大学探検部を意味する。つまり、林学科とは関係ない。ということは、この部分だけ独自に自分で縫い入れたことになる。
でも、私はさすがに刺繍までできないよ。誰が縫ったのだろう。記憶にございません(^^;)。女子部員に頼んだのか、それとも……。
ただ、こちらのつなぎも、結果的にケイビングに使ったはずだ。現にあちこち破れて修繕している。
懐かしいが、これを保存していては、押し入れがいつになっても片づかない。断者離を決行するには、やはり捨てねばならん。どうせ、着れないし。サイズが変わってしまったからなあ。とくにお腹まわりが……。
ということで、記録は写真に撮って残すことにした。
ちょっぴり探検部&林学科の青春時代を思い出した一コマである。
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青春のつなぎは、腹がいかに出ていようとも着た上で記念写真を撮ってから捨てるべきであります。記念写真を撮ったからには、公開も当然。ジャーナリストが情報公開を躊躇してはいけません。
投稿: 沢畑@中年(または初老)太り | 2012/04/05 22:59
じゃあ、捨てるの、止めようかな・・・。大切な青春の思い出は、心の中に仕舞い込むものです。
あ、このつなぎ着たら、背中のイラスト写真撮れないやん。
投稿: 田中淳夫 | 2012/04/06 00:30
静大時代懐かしいなあ~
食堂からの眺めはよかったよね~
投稿: k | 2012/04/06 08:31
おや、静大出身者。誰かなあ。
投稿: 田中淳夫 | 2012/04/06 10:34
アクティブな青春だったのですね。
有意義に過ごされたお姿が髣髴と浮かびます。
投稿: “華”煌めく | 2012/04/06 16:54
ところで・・・
「着る服を体型に合わせる」のではなく、「体型を服に合わせる」という発想は無かったんですね(;^_^A・・・
もし着る事ができたら主題は「感じる青春」ではなくって「つながる青春」になってたでしょうね。
投稿: 建具屋・都築@三河湾岸です | 2012/04/06 20:53
あんまりアクティブだったもので、留年しましたわσ(^◇^;)。
人間たるもの、服に支配されてはいけません。主体性と自立の精神を持っていたら、「体型を服に合わせる」なんてことはしてはいけないのであります!
投稿: 田中淳夫 | 2012/04/06 20:58
やっぱり気の利いた人間は、林学科で留年しているのですね。
投稿: 沢畑 | 2012/04/06 22:21
はい、私は「気の利いた人間」でしたので、留年しました。
当時は、大学に5年以上いて一人前、という雰囲気があったのですけどね。
投稿: 田中淳夫 | 2012/04/07 01:17