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森と林業の本

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2012/05/05

飯盛山

生駒山系の飯盛山に登った。

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山頂からは大阪平野を一望し、遠くは京都まで見える。なかなかの眺望である。




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向きを変えれば、樹海かと思うほどの景色も広がっている。

なんか森の地平線みたいだ。




が、この山の標高は314m。生駒山の中でもたいした峰ではない。
山というのは、高さではなく、その地形と位置によって眺望が決まるのだな、と思えた。

実は、この山は歴史的にも有名である。

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一つは南北朝で戦った楠木正行らがこの山の周辺で陣を張ったこと。だから、頂上には、こんな銅像もある。



ただ、私が注目したいのは、ここに日本の中枢が置かれたことがあることだ。それは戦国時代だから、全国を睥睨していたとは言えないにしろ、正当な政権である室町幕府の実権を握っていた三好長慶がこの山に築城して、政治の采配をふるっていたからだ。
そしてキリスト教の布教を許したため、多くのキリシタンを誕生させた。

もっとも4年で長慶は亡くなり、彼に取って代わったのが松永久秀である。彼は大和を抑えたものの、そこに織田信長が上洛するのだが……。

ま、それはともかく、私はここまで生駒山の縦走路を歩いてたどり着いた。アップダウンはあったものの、全体に尾根を下り続けたから、登山というより下山気分であった。飯盛山下山と名付けよう。

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コメント

うわあ、なつかしい~。
幼稚園から中学3年まで毎年登っていました。(いつの話や?なんて思わないでくださいね^^;)
麓の学校に通っていたので、新入生歓迎遠足で登り、
中学に上がってからは、体育祭で男子のマラソンコースでした。
四条畷神社には、安岡正篤さんもよくいらっしゃったとか。
瓢箪山から来ているお友達もいましたが、近いですか?

この近隣にお住まいでしたか。
しかし、マラソンコースとは……。

私の子供時代も、この近くに住んでいましたが、実は登るのは今回が初めて。生駒山に登っても、その支峰には意外と行かないものです。

住まいは城東区です。
大阪夏の陣での激戦地、八剣神社の近くです。
片町線で通学していました。
高校も同じ四条畷駅の北側でした。
つくづく四条畷に縁があったようです。(*´ェ`*)
春になると電車の両側の田んぼに蓮華が咲いて一面ピンクの絨毯を敷いたようでした。
このお近くにお住まいでしたか?
それでは安岡正篤さんとご近所だったかも。あ、でも年齢が違いすぎますね。^^;
安岡さんは、高校の大先輩です。また、彼が主将だった当時の剣道部は、唯一畷高が誇れる強豪だったそうです。
しかも、7年勤めた大阪の会社の上司も36年以前の先輩(旧制中学時代)
そんなこんなで懐かしさがこみ上げてきました。

私は、小学生の間は瓢箪山ですよ。
四條畷には近いのに、滅多に行かなかった(^^;)。
でも、一面のレンゲ畑は記憶にあります。あの頃(で、いつだ?)は、田植えの前の水田はレンゲと決まっていました。

四條畷神社は、少し前に行きました。それと、楠木正成お手植え?の楠の大木が近くになかったっけ。合体して、幹周囲が12mくらいありました。

 こちらにアップされた写真を見ると、実際に知っているところが多いので嬉しいです。
(父の実家-吉野山、母の実家-奈良市西郊外、自分の出身-枚方市、通った中・高校-高槻市、現在いるところ-和歌山県日高郡)
 第二京阪に乗って実家に帰るたびに、飯盛山の側を通るとじーっと眺めてしまうので、運転が危ない…

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