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森と林業の本

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2012/06/12

特殊伐採とアーボリカルチャーの違い

最近、林業界で注目されているが、特殊伐採の世界。

林業界と言っても、正確には林業従事者というべきかもしれないが、なかなか通常の仕事では利益が出ず、給料が上がらない、実入りが少ないと嘆く中、新たな仕事として注目されている、という意味だ。

特殊伐採とは無味乾燥な言葉だが、簡単に言えば、高木を倒さず伐採する技術。木の近くに建築物などがあって、根元からばっさり倒すと被害が出る可能性か高い場合、樹上に登って上から少しずつ枝、梢などと順番に伐り、それをロープを使ってゆっくり下ろしたり、クレーンで吊り上げて安全に地面に下ろす。高所作業車のカーゴに直接人が乗り込み、登るというより樹冠に外からたどり着く方法もある。

個人の住居の庭とか、神社寺院などにある大木が、老齢のためいつ倒れるかわからない、あるいは台風などで折れることを心配して、先に伐ってしまおうと思った場合の需要に応えている。

当然技術がいるし、危険も伴うので、作業量に比して料金は高いから、仕事としては魅力的だそうだ。ただ手がける人にとっては、利益だけでなく、樹に登る楽しさ、樹上作業の技術、ロープワークテクニック……などでも魅力的なのだろう。従来の泥臭い林業作業とは違った面白さもある。

だから、これを専門にする業者も増えている。

ところで、ネットで検索すると、これら特殊伐採を手がけることを「アーボリカルチャー」と説明していることが多い。こちらは欧米生まれの言葉で、アーボリは樹木、カルチャーは文化というだけでなく、耕す、栽培する意味だから、樹木業?的な意味合いだろうか。

こちらも高木の上に登って作業するので、日本の特殊伐採と同じように扱われている。事実、アーボリカルチャーには世界大会もあって、樹上の技を競うのだそうだ。

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枝を落とす作業。

これは特殊伐採でありつつ、アーボカルチャーでもある。

最近はレジャーと環境教育を合わせたような分野でツリークライミング(なんと商標登録されたとかで、ツリーイングなる言葉も使う)も発達したが、これはアーボリカルチャーから派生したものである。

私は、昔ケービング(洞窟もぐり)をやっていたこともあって、多少のロープワークは行えて、岩壁の上り下りくらいはできた(過去形)。その技術を応用したツリークライミングもほんの少しだけ経験している。だから、樹上の楽しさも、そこそこ理解している。もっとも私には向いていないと感じたが。

とはいえ、正確には特殊伐採とアーボリカルチャーは違うものだ。

なぜなら、アーボリは、あくまで樹木を扱う技術であり、人である。伐採だけではない。そこに必要なのは、高木になる樹木の知識であり、栽培・育樹である。伐採はその一分野にあるものの、それが本筋ではない。
種子から高木となる樹木の苗を育てたり、その後の生長を世話したり、時に剪定も行う。その際の技術として樹に登る必要もある。伐採することもある。そして見て美しい樹木をつくるという意識やデザイン感覚も必要となる。そこには、植えたり伐ってすぐではなく、施業後5年後10年後の樹木を描く必要がある。
その点では、林業というより造園・庭師の世界なのだろう。

ただ、日本には高木を扱う庭づくりはなかった。せいぜい脚立が届くところまで。その意味では、アーボリカルチャーは近年の舶来技術だ。

一方の林業家は、さすがにスギやヒノキに関してはそこそこ詳しいが、ほかの樹木に関しては、意外なほど知識を持っていないことが多い。山村に暮らしてきた高齢の林業家なら、身近な樹木や草本に関する広範囲な知識を持つ人も少なくないのだが、最近の林業従事者は必ずしもそうではないようだ。

そして伐ることに特化して「特殊伐採」の世界になってしまった。

これは、ちょっともったいないと思う。何も学問的な知識ではなくても、草木の性質や利用法などを身につけて、その上に伐ることができれば、初めて樹木の専門家と誇れるのではないか。そしてアーボリカルチャーを日本に広められるのではないか。

たとえば、この木が邪魔だから、倒れると困るからと、根元から伐るのではなく、危険な大枝だけを落とす剪定を行うことで、大木を生き延びさせる提案をしてもいい。また景観的な眼を鍛えれば、樹形を制御して、庭に似合う樹木に仕立てることもできる。

そうなれば、森のデザインにもつながるだろう。一つの山を美しい景観に仕立てる森づくりも可能になる。美しい森は、収穫多き森になりうる。

林業従事者の仕事の幅を広めるという点で、アーボリカルチャーの普及は歓迎すべきだ。収益にも技術にも、そしてモチベーションを高めるためにも有効ではないか。
だからこそ単なる特殊伐採に留まらないことを期待する。

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コメント

上伊那森林組合の吉見と申します。
アーボリカルチャーを普及する人間の一人として、勝手ながら今回の記事は我々を応援していただいたようでとても嬉しく思っています。ありがとうございます。
私は特殊伐採という言葉が嫌いで、あまり使うことはありません。技術的に何が特殊なのかといえば、別段特殊なものはなにもなく、ただ単にそれを使う人間が少ないから「特殊」がつくだけのもの。この技術を使う人間が多くなれば自然とこの「特殊」は消え去る言葉だと思っています。現実に欧米でこの技術を「特殊」という人はいません。
樹木の管理を考えれば、様々な選択肢を持つことは当たり前に事であり、木を扱う者がそれを扱う手段(知識、技術)に乏しければ、自ずとその人が作り出す作品(商品)としての価値は下がってしまいます。そして多くの選択肢をもつことはお客様のニーズに対して臨機応変に対応するためにも必要なことです。
森づくりも庭造りも基本は木の活かし方、生かし方。
そして我々木に関わる者は木に生かされています。
ぞんざいに木を扱えばそれは天にツバする行為に等しく、自らに帰することとなります。
我々は伐るという行為(技術力)に対してお金を求めるのではなく、自然との共同作業による「作品」に対して価値を求めることが重要だと思います。林業だけでなく木に関わる全ての人々が消費から生産に向かうことを切に願うばかりです。

勝手なこと書くな、といわれるかと思いました(^^;)。

高木技術を「特殊」扱いすると、結局仕事の幅を狭くする、それは意識の幅も狭めてしまうと思うんですよね。
先のエントリーでも触れたけど、林業というのは「森づくり」全般に関わる広範囲な技術と知識の集積であるべきで、そこが面白いと思うのですが、「伐採」だけに特化させると、面白みが減じる。それが結果的に(潜在的)利益も減らしているのかもしれません。

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