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2012年7月

2012/07/31

エメンタールのもう一つの顔

せっかくだから、ものすごくマニアックな話題を。

森林は、水を増やすか消費するか……この問題は、古今東西で科学者を悩ませてきた話題である。つまり、森林があると、水の総量を増やすのか、それとも生きものである草木が水を消費して減らすのか。

ときに森林土壌の保水力が論じられ、さらに森林が空気中の水分を捕捉するのではないか、という説も唱えられた。また森林が土壌から吸い上げた水を蒸散させることで、空気中の水分が増えて雲が発生する、というケースも考えられた。

そのほか、森と水の関係は、常に論議を呼んでいたわけだが、それらの関係を明らかにするためには、流域の降水量と流出する水量を厳密に計測しなければならない。また森林の有無による差も計らないといけない。

そこで流域全体で、降水量と流出量の計測を行う世界初の実験が行われた。それがスイスのエメンタールである。1900年のことだという。

エメンタールで択伐施業が開始される数年前だ。常にこの森は、世界の森林科学・林学の先端を担っていたのだね。

その結果は、もちろん現在に至るまで引き継がれている。日本の技術者も、この実験に看過されて、帰国後日本の各地で流域全体を使った実験を行っている。1906年からだ。日本の林学研究も、この頃は世界に遅れを取らぬスピードだった。

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エメンタールの森の中の林道。

よく見ると、路面が左に少し傾斜している。降水を分散して流すための工夫だそう。いろいろな試みがこの森では成されている。



     

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ついでにドーデモな写真を。

森の中にある小屋。キャンプなどに使うらしい。
が、よく見ると窓に人影が写っている……。

でも、中には誰もいなかったのだよ。。。。

2012/07/30

林業向きの人材って

少しスイスから離れようと思うのだが……

私に林業を教えてくれた山の師匠が、息子に後を継がす際、選んだのは三男だった。

もちろん、三男が「オレがやる」と言ったのである。長男、次男は別の仕事について村を出ていた。ただ、後に次男がもどってきたのだが、三男が社長のままで、次男は専務だったかに就いた。

その時の評が面白かった。

「三男は山仕事に向いていますわ。大雑把だから

大雑把が山向き特性か! とちょっと驚いた(^o^)。が、なんとなく納得できた。

山仕事と言っても、実は幅広い。しかも山ごとに条件が違う。クライアントの条件も変わる。それらに対応するには、大雑把に全体をつかみ、その度毎に違った対応をしなくてはならない。

間伐とはかくあるべし、とか、鉈の使い方がどうの、木はどちらの方向に倒すべき、かかり木の処理はこうすべし……なんて決めつけてはいけない。常に臨機応変

残念ながら、最近は林業関係者に、その「大雑把」さが欠ける人が多い気がする。全国画一、県内画一の施業なんてありえないのに、政府の施策や行政指導などのマニュアル、さらには研修会の講師の言葉に縛られている。もっと目の前の山の状況を自分で判断すればいいのに……と思うこともしばし。また、現場の作業をチェックする人も、あら探しするより大きな目標に合致するかが重要なのではないか。

……私の書いた記事(プログを含む)にクレームをつける人が結構いるのだが、言葉の定義とか表現の「ニュアンスが違う」とか、実に細かい(~_~;)。完全に自分の思い通りに書いてもらえると思っているのか。そもそも他人の意見をズレなく伝えることなどできるわけないのに、絡んでくる。こんな人は、林業に向いていない( ̄ー ̄)。

もちろん、大雑把といい加減を一緒にしてはいけない。根幹に関しては真摯であるべきだが、同時にファジーな対応も必要だと言いたいのだ。(ここでもニュアンスが違う、と言われるだろうか……。)

私も、かつては言葉の定義で議論したこともあるのだが、今は実に大雑把だ(^o^)。クレームに関しても、人は誤解されて当然、世の中は不愉快なことがあって当然、と表層の齟齬は気にしない。根幹はそうはいかないが。

私も、林業人に一歩近づいた(⌒ー⌒)。

……実は、そうした思いは、スイスのフォレスターを見ていて意を強くした。
基本、フォレスターは自分の預かった範囲の森をよくする・所有者のために利益を上げるという大目標に向かって、大雑把に取り組んでいる。手段にこだわらず、目的にこだわっているとも言える。必要なら、大木を伐る。環境関係の理由を持ち出して補助金も取る。あの手この手の販売方法を考える。臨機応変に対応する。
大雑把に捉えつつ、芯を狂わさない。

なにより誇り高い。自分で判断する。自信にあふれている。

どうも、日本はそれが苦手のようだ。

だいたい日本でもフォレスターを養成するといいつつ、その権限が極めて小さい。しかもマニュアル至上主義に陥りがち。それでは責任を持てない(持たない)し、やりがいも少なくなるし、労働満足度も低くなるだろう。給料以上に働こうと思いにくいのではないか。

ぜひ、林業界に大雑把な人材を(^o^)。そして、大雑把な制度を。

2012/07/29

だれが日本の森を救うのか2012セミナーin大阪

昨日は、「だれが日本の森を救うのか2012セミナーin大阪」に参加。

と言っても、私は一般客としてである。講師は、赤堀楠雄さん。

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このセミナー、大阪では2度目で昨年よりも人数も増えた。

で、参加者もかなりマニアック……というか、直接的に林業に関わっている人が多い印象。

そして講演も、かなり専門的(^o^)。

林業の現状を十分に知らない人には理解しにくい点もあったかもしれないが、逆に一歩先の話題になっていたのではないだろうか。

で、8月4日は東京で同じセミナーが開かれるのである。そして、そちらは私の担当。私は、来週話すネタを仕入れるために参加したのであった\(^o^)/。

こっちで聞いたことをそのまま東京でも伝える……というわけにはいかないなあ。

今から、準備始めます。

東京は初回だから、入門編にするかな? それとも……。

2012/07/28

サバイバルとバブル

スイスの行動原理は、危機管理・サバイバルにあるのではないか……と先に書いた。

常に最悪の事態を予想して生き残ることを計算しているように感じたのだ。

それを森づくりに適用すると、目先の儲ける林業やあるいは環境保全なんて甘ちょろい言葉では説明できなくなる。常に森を維持し続ける施業法で、木材の流行や材価の変動に対応できるように多くの樹種を生やすこと……などを考えるようになるだろう。

が、よく考えると、たかだか100年ほど前、つまり19世紀まではドイツ式の皆伐や一斉造林を展開していたのだ。択伐施業を取り入れたのは1900年代に入ってからである。

それも全面的ではなく、ゆっくりと適合した地域だけである。現在は近自然的な考え方の森づくりを展開しているが、それもせいぜい数十年だろう。

結局、国土が狭くて平原から急峻、高原まで変化に富んでいること、そして小規模所有であること……などが影響している。そして、この近自然型林業では、十分な利益を出して専業で林業に取り組めないだろう。ただ、森林としての価値を上げることをめざさないといけない。そうなれば環境や景観づくりはもちろん、価値の高い木材生産が望める。もしかしたら、数十年に一度、銘木を出荷できるかもしれない。

言い換えると、現在は大半が赤字なのだ。とはいえ補助金はなく、環境関係でも手厚い援助はない。それなのに維持しているのは、民間の森林所有者にとっての林業は、副業だからではないか。ほかの職業で生活を支えているから可能なのだ。

それでは、日本の林業ビジネスモデルにはなり得ない……だろうか?

よく考えると、日本とまったく同じである。

地形や気象などの条件が多様で、小規模所有で、専業では経営が成り立たない……。

つまり日本にとって、スイスはオルタナティブな林業形態として見るべき点が多々あるのだ。ただ現場の施業を行う素材生産業者は、技術や機械類の継承と発展を考えねばならないから専業でなければならない。しかし、近自然林業では木材生産量は多くならない

となると、業者数を絞って、広い範囲を営業エリアにする必要がある。しかもオールマイティの施業技術をもたねばならぬ。厳しい経営になりそうだ。

ところで、現在のスイスを訪れて気になったのは、どこでも巨大なクレーンを見かけたこと。都会の古い町並みでも、新市街でも、そして田舎町でも。
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つまりスイスは建設ブームであった。




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なぜか? ユーロが下落する中、相対的にスイスフランの価値は高まっているようだ。日本のように円高で輸出経済が困ることもなく、投資が集まってきているのだ。つまり、バブル

質実剛健なスイス経済も、グローバル化の波の中でバブルを生じさせている。

ここからうまく軟着陸させることができるか? 強力なリーダーのいない「決められない政治」でありながら、いかにスイスの舵取りをするのか。バブルからのサバイバルを行えることに期待する。

2012/07/27

人工物の魅力

気がつくと、1か月以上スイス絡みのネタを書き続けてきたが、そろそろまとめようかと思う。

当然読者には、スイスの森林、もしくは林業について興味を持つ人が多いのだろうが、ここで少し観点を変える。

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これは、チューリッヒの工場地帯。

正確には、工場地帯であったところ、かな? つまり近年は工場が廃業になり、再開発が行われている地区だ。

見た通り、いかにも工場だった建物だが、その外観は保存されている。今は違っても工場街であったことを景観保全しているのだ。

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こちらは工場の建物の中を改造して再利用した施設。

何に使っているか? 実は大学なのだ。工科大学、それも建築系らしい。

一部に工場だった時の鉄骨やクレーンを残し、それを「オシャレ」と感じているらしい。

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これなど、工場内部の設備を残したまま再利用したレストラン。(正確には客室は左手のガラス張りの中だが。)

無機質な工場そのものが鑑賞の対象になっている。

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工場というより倉庫街かもしれない。

落書きというか、ペインティングはいたるところにされている。これは、意図的というよりゲリラ的に若者が描いてしまうらしいが、流行しているという。ときにトンデモないところに描かれているので仰天するし、また全部が巧い絵ではないのだが、日本と違って、おおらかにあまり消そうとしていないみたい。

まさに「工場萌え」の世界である。日本でも無機質な人工物に景観としての注目が集まっているが、世界的傾向だったのか?

一般的に緑だとかグリーンと呼ばれたら、環境派であり、誰もが喜ぶように思いがちだが、果してそうか。私は以前から疑問を持っていた。

緑の少ない地域、都市や乾燥地帯の国ならわからないでもないが、日常的に緑があふれている地域の人々にとって、緑はそんなに関心はなく、また好きでもないのではないか。ときに疎ましく思うのではないか……というのが私の仮説である。

スイスの森林率は3割と決して高くない。ただ牧場と農地がかなり行き渡っているので、緑化率は結構高いと感じる。見た目は日本以上だろう。

だから、本当にスイス国民はみんなが緑を大切に思っているのか疑問があった。だから、こんな工場地帯の緑を排除したような風景を作り出していることに「安心」した(笑)。

もちろん、緑が嫌いなわけではないだろう。だが、緑があふれてしまうと食傷気味になるのではないか。それは熱帯アジアなどでも感じることだ。緑に恐怖さえ感じる一面がある。

では、中間がよいのか。

たとえば都市公園のように。あるいは里山のように。

そうでもないような気がする。中途半端な緑の量になると、もっと、もっと!  と原生林至上主義に走るかもしれない。あるいはより大都市指向になる。

きっと緑あふれる地区と、メカニカルな人工環境がモザイクに配置されて、人は移動することで時と場合によって両方の環境に触れられる方がよいのではないだろうか。

スイスでも、両方の指向があることを知ったことは収穫だった。

2012/07/26

自然木の公園

先日アップしようと準備したまま、途切れてしまったネタ。

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これは、リコン村の集合住宅内にある公園。

自然木をそのまま活かした遊具が並ぶ。ほか、チップの砂場? などもあった。




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こんな感じに遊ぶ。
なかなか可愛いモデル。カメラの前に先回りして、わざわざの実演だよ。





    

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こちらは、ホーム・レミスミューレの裏山にある遊園。

こちらも自然木のそのままの曲がりを利用して遊具を造っている。


実は、個人の住宅内にもあって、珍しくない。フツーに行うようだ。

日本だと、規格外だと公共予算がつかず、造っても「危険が予知できない」とかの理由で反対運動が起きて消え去るのだろうな。

そもそも施工できる業者がいないか。

こうした国民性の差も木材利用には影響するのだろう。

2012/07/25

葬式にて

葬式に関するバタバタが続いたとはいえ、時に忙中閑あり。

そんな時にブログを更新しようかと思ったが、「ゆっくり落ち着いてから」「無理をなさらぬよう、ゆっくりと」「ゆっくりマイペースの」とのコメントを読んだら、今書きこんだらイカンかと思ってしまった(^^;)。

とりあえず昨日、告別式を終了しました。多くの皆様の声に感謝します。

とりあえず報告しておくと、棺桶は、合板製でした。

さらに、お骨上げの際に使う箸は、竹製

これは全国的に同じなのかどうか知らないが、関西ではお骨上げに竹箸を使う。そのため、かつて竹の割り箸は忌み嫌われたものだった。ところが今や、割り箸の中でも竹箸の割合が急増している。これは中国の生産事情によるのだが、ちょっと引っかかる。

あっさり忌避感を失ってしまったのかねえ。

2012/07/23

お知らせ

身内に不幸が出ましたので、しばらくブログをお休みさせていただきますm(_ _)m。

2012/07/21

こんな木製イス

なんだか1か月以上、スイス関係のことを書いている。そろそろ打ち止めにしなけりゃ……と思う今日この頃。

スイスの観光地グリンデルワルトのお店で見かけたイス。

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木のイスと言えば、どうしても縦横きっちりと組み立てるイメージになるが、これは雑木を積み上げたままの形で加工した(ように見える)デザイン。

なんか、斬新であった。



   

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こっちも、小径木をまとめてくっつけることで、なんかオシャレなイスになっている。

よくよく見れば、非常に手間のかけた造りだけど、一見誰でもつくれるように思えるなあ。

ちなみに価格はスイスフランだから……ちょっと高すぎ(^^;)。

   

   




      

こうした作品は、アイデア勝負。材料も加工技術も、日本にはある。それなのに見かけない。少なくても販売されていない。これをそのまま真似しろとは言わないが、日本でも大いに参考にできるのではないか。

2012/07/20

セミナーのお知らせ(大阪・東京)

主催者が、書いてくれ、というので(^^;)。

NPO法人サウンドウッズが、大阪と東京でセミナーを開催する。

タイトルは、「誰が日本の森を救うのか2012」。

大阪・7月28日

東京・8月4日

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大阪は赤堀楠雄さんが講演して、東京は私です。そしてサウンドウッズの木材コーディネーター能口秀一さんとの対談という構成。

会場は、大阪が梅田の富国生命ビル、東京は神田のフォーラムミカサエ。

詳しくは、http://www.soundwoods.net/2012/06/sound-woods-presents201250-24728-133014001630-1a-sin244f530-0018.html

 

 

ちなみにチラシ内の日本地図にある大阪の日付は間違っている。

実は、昨年も同じタイトルで行ったので、今年は2012がつく。サウンドウッズが主宰する木材コーディネーター養成講座の説明会も兼ねているのだが、ようは日本の森の現状と、木材を利用することに関する講演と対談。

私のものは、昨年と同じタイトルにしたが、内容は変えるつもり。そういや、昨年は東日本大震災の被災地の状況紹介も行ったが、今年はせっかくだからスイス視察の様子も入れようかと思っている。

ああ、少なくても私の回は、写真撮影はOKだよ(^o^)。私、そんなことは気にしない。

ちょっと私事で抱えていることがあるので、この日に備えておかないと。

2012/07/19

木質バイオマスで発電なんて

昨日のセミナー、主催団体の意図は脱原発だったのだろうが、実は

100%再生可能へ! 欧州のエネルギー自立地域
という本の出版記念だった。つまりセミナータイトルと同じ書名の本が出たのである。滝川さんのほか、池田さん、村上さんともに執筆者である。このこと書かないとねえ~。

で、セミナーでも触れられた木質バイオマスだが、スイスで視察したのは、こんなところ。

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これは、宿泊したホーム・レミスミューレの地下にある木質バイオマスシステムの視察風景。手前の女性が滝川薫さんである。

すでに触れたが、視察期間中の大半を泊まったのがレミスミューレ村の老人ホーム。ここでは、積極的に自然エネルギーを使用している。



 

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これが、投入された木質チップ。よく見ると、大きさはバラバラ。樹皮も混じっている。なかには、長さ10センチくらいの木片もあった。

よほど大きなものは、自動投入口に引っかかるので排除する仕組みになっているが、たいていの大きさのものはOKである。

実は、これが私には驚異だった。なぜなら日本のバイオマス・プラントを訪ねると、よくチップの大きさが不揃いだからプラントが止まった……なんて苦労話を聞くからだ。チップ工場によってつくるチップの大きさにばらつきがあり、それを一緒にして投入すると詰まるという。

実際、それが元で稼働しなくなった木質ボイラーも少なくない。そこで日本では、チップの規格づくりを進めている。つまり、チップの大きさを厳密に決めようというわけだ。乾燥具合も問題になったりする。

が、スイスの各所の木質チップボイラーでは、どこも大きさとか乾燥度なんて気にしていなかった。どんどん投入できるのである。ようは、ボイラー側の性能がよいのだ。日本は、できそこないのボイラーに合わせてチップづくりをしようとしている。

しかも、重要なのは、スイスでは(欧米では)、木質バイオマスの目的は、温熱供給が主流。暖房用と温水供給だ。一部は冷房もあるらしい。が、発電なんかしない

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それはソーラーも一緒。太陽光発電ではなく、太陽熱温水器である。

これはホーム・レミスミューレ施設の屋根。ここで得た温水は、チップボイラーの温水と連動している。




   

 

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こちらは、チューリッヒ郊外アウブルックのバイオマス発電所。木質チップで発電もしている珍しい?施設。スイスで一番大きいらしい。

だが、実は温熱も供給している、いや、温熱の方が大きいコジェネレーション(熱電併給)である。電気は4分の1ほどにすぎない。

そして、、さらに言えば、このボイラーで燃やすのは、木質バイオマスばかりではなく、むしろゴミの方が多い。つまり本来はゴミ発電なのだ。木質チップはゴミの量の安定補助材みたいなものか。

まあ、こういうのを見れば、一目瞭然。木質バイオマスで発電(だけ)しようという計画が、いかにガラパゴスなのかわかる。そもそも日本のバイオマスエネルギー・ブームは、欧米の影響で始まっているのだが、何を学んだのやら。
金かけて視察に行ったり識者を招いても、彼らの言っていること、やっていることを学ばず、思いつきで「バイオマスで電気!かっこいい!(どうせ使うの税金だし)」と企画したのではないか。

最後に、もう一つ。

フォレスターの言葉として、「一生懸命に林地残材をバイオマスとして出しているが、その売上は、全体の2%。その間に20%も材価が下がってしまった」

木質バイオマス、林地残材を宝の山に! なんて言葉に林業家も騙されないでね。

2012/07/18

京都のセミナーでスイスを思い出す

今日は、「スイス」の番外編。

というのは、京都で開かれた「地域から持続可能な社会をつくる~100%再生可能へ!欧州のエネルギー自立地域」なるセミナーに顔を出したからだ。

目的は、ここに演者の一人として出席した滝川薫さんに会うこと。

彼女は、スイス視察のガイドであり、参加者である、という不思議な立場。もともとスイス在住の環境ジャーナリストなのだが、スイスで環境建築やエネルギー関係の講師を務めながら、前半の近自然森づくりの視察に参加したのである。

私との関係は、2年ほど前、一緒に岐阜の林業ツアーに参加した間柄である。そこで知り合い、スイスで再会。そして、すぐに日本に来て東京や京都、山口に講演で回るというので、顔を出したのである。

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残念ながら、セミナー中の写真はない。撮るな、と言われたからだ。

セミナーやシンポで写真を拒否するなんて……私なんか、シンポの壇上から会場写真を撮っているぞ(笑)。

そんなわけで、この写真は、まだ始まる前に撮ったもの。

今回のセミナーの主催はNPO法人環境市民で、滝川さんのほか、池田憲昭・ドイツ在住ジャーナリスト、村上敦・ドイツ在住環境ジャーナリストが出演。

滝川さんの話は、「未利用エネルギーの利用」という、いわゆる廃熱や環境熱の利用であり、これは我々の視察でも部分的に見てきたものである。

そして池田氏は、梶山恵司氏と組んで、ドイツ林業を紹介し森林林業再生プランにつなげた一人として知られている。今も、ドイツのフォレスターを日本に連れてきているなあ。
で、話は「木質バイオマスの有効利用」。当然ながら、ドイツと日本の森林・林業の比較が行われる。

ただ、この話、私は「木質バイオマスなんて、再生可能エネルギーの主力になれないよ。使うのもカスケード利用が大切で、林業の活性化が先だよ。使い方も熱中心で、発電なんかやっては無駄だよ」という話だったと解釈した。

ま、そんなこと日本にいてもわかっているのだが、なぜか日本では木質バイオマスで発電することばかり考えているワカランチンが(政府や市民に)多い。回りくどくなく、もっと声を大にして言ってほしい。

ともあれ、旧交(と言っても、スイスで別れてから3週間ほどだけど)を温めたのである。そして、スイスで何を視察していたのか、少しでも思い出す努力をしたのである(^^;)。

2012/07/17

「スイス」という思想~スイス・クオリティ

3連休は、硬いスイスの話題を外していたのだが、また再開(⌒∇⌒)

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写真は、スイス製のハンカチーフ。

上のラベルを頑張って読んでほしい。小さな字で、「メイド イン スイスランド」と書かれているだろう。

この紋様がスイス特有なのかどうかは知らないが、スイスにも染色産業があるのだろう。



実は、スイスのプロダクツ~多くは建築関係~を見て回る中で「スイス・クオリティ」という言葉が良く出た。これは、一般のヨーロッパ製よりレベルの高い製品を意味する。お土産を買う場合にも、スイス・クオリティが前面に出る。

たとえばスイスのものづくりと言えば、時計が有名だ。かつてオメガなどスイスの精密機械会社が世界を席巻した。しかし、そこに日本製のセイコーが入り込み、さらにクオーツ時計などの登場によって時間の正確さでは差別化できなくなっている。

が、それでもスイス時計と言えば、今もブランドだ。主に高級時計の代名詞。もっとも、現地では奇抜な色合いやデザインの比較的安い時計もよく見かけて、そうした路線も築いているらしい。いずれにしても、時計もスイス・クオリティを保っているのである。

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こちらは、スイスの製材会社を訪ねた時に見かけたもの。
その木目の細かさや芯去り材・節なしであることに注目してほしい。

この会社に日本人が訪問したのは初めてだそうである。
そこでは「日本へようこそ」という張り紙が……。




というようなことはおいといて、この会社は、もともと幅広く製材をしていたのだが、現在は窓枠の材料専門の製材に特化したそうだ。窓枠というのは、木製サッシのことである。

欧米では当たり前である木製サッシだが、日本では一向に普及しない。それは、サッシは雨風が入るといけないので材料の狂いが怖いが、日本では完全にクリアできないからだ。

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これは、工場事務所の窓。

う~ん、「いちいち、オシャレ」だ。








もちろん欧米でもサッシ用の木材は品質にこだわる。

この会社は、徹底的に品質にこだわっているわけだ。全部が無垢ではなくて、フィンガージョイントや集成加工もしていたが、いずれも品質勝負だ。

これが「スイス・クオリティ」なのだそうだ。ユーロ基準以上の品質を追求しているのである。こうしたレベルの素材となると、林業も品質で勝負しなくてはならない。

ここに、スイスの近自然森づくり=生産量が少なく、量を出せなくても利益を出せるビジネスモデルがある。やっぱり高品質は高価格、なのだ。

当然、製品の価格も高くなる。実は、スイスの物価はかなり高い。円高が進行しているにもかかわらず、日本の物価より高く感じた。不動産など、日本の2倍感覚。田舎の中古物件が軽く1億円を越える。マンションもオクションが珍しくない。賃貸物件も、郊外の村で月20万円近くする。

高くてもよいものを」というのが、スイス国民の通常感覚だという。もちろん、すべてそんな値段だと低所得者層は手が出ないだろうが、国土・人口とも小さなスイスは、量や低価格で勝負しないのだ。
同時に、あまり宣伝して広く売るつもりもないらしい。なぜなら量産できないから。

目立たず、でも高品質のものを造り、、わかる人にだけ高く売る。

……こんな経済戦略が見え隠れする。

2012/07/16

スギを使うと和風になる?

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写真は、リースのフォレスター学校のロビー。

さすがに木がいっぱい使われた内装である。

よく確認しなかったが、使われているのは、たいていモミかトウヒ、それにアカマツの類だ。

いかにもスイスらしい? 少なくても洋風である。

この木材を、スギ材に変えたらどうなるか?

こんな話を現地でした。

きっと和風になるだろうなあ、というのがその時の結論だ。もちろん材質・木目や色の違いも影響するが、何かスギやヒノキには和風の要素が染みついている。

実は、今度「奈良県地域材認証制度」ができている。奈良県産材であることを証明するだけでなく、ヤング係数や含水率なども表示する。
奈良県産材とはいうものの、実質的に吉野材になることは間違いないが、これを使うことによる住宅助成制度まである。

それはいいんだが、どうもこの木を使った住宅の写真を見ると、和風の家になる(笑)。

そりゃ設計士や工務店の感性や選び方もあるんだろうが、吉野杉や桧を使うと和風にしてしまう(一応、洋室もあるんだが、なんとなく和風(^o^)なんだな)要素があるように感じた。

今の住宅の需要、つまり施主の要望は、圧倒的に洋風だ。畳の部屋はいらないし、極力生活まで洋風化しようとしている。つまり木材の質とは別の「好み」の要素で住宅を選ぼうとしているのではないか。

ほんの少し前、国産材を売るための手段に「価格」を前面に出していた。安くするから買ってくれ、というわけだ。あるいは「国産材は高いから売れない」と言い訳にも使えた。

今は、安定供給とか強度・含水率、そして環境など材質情報の大切さが強調されている。

もちろん、それはそのとおりなのだが、すでに消費の現場は次の「趣味」「好感覚」の段階にまで進んでいるのではないか。その点を見落とすと、国産材はいつまでたっても売れないかもしれない。

普通に使うと和風になってしまうスギ材やヒノキ材を、いかに消費者の好みのデザインにするか……。もっと頭を絞らないといけない。

単に価格と安定供給さえ外材なみにすれば、国産材はどんどん売れる、なんて思っているから、森林林業再生プランは行き詰まるのだ。どんどん搬出するものの売れずにだぶつき、価格が暴落してしまうのだ。

2012/07/15

スイス鉄道のホームにて

なんだか、スイスのサバイバル意識とか、分権自治などの話を書いていると、「スイスって素晴らしい!」みたいになってきた。

まあ、本当のところ、どうなんだろうね(~_~;)。私が住みたいかどうかは別の話。だって、濃い紅茶が飲めないし……。

で、久々に鉄道話。
スイスは非常に鉄道が発達していて全土に張り巡らされている。車両もデザインがいい。

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さらに特急には子供専用?の「マジックチケット」なるものがあり、そのための車両には、なんと滑り台や抜け穴など幼児が遊べる設備がつくられている。


さらに登山鉄道ではスイッチバック式やアプト式などの線路が見られたのだが、まあ、それはおいておく。

気になったのは、ホームの低さと、車両乗り口の高さだ。段差がかなりある。オトナでも登るのは、エイッと気合を入れてステップを踏まねばならない。子供や障害者はどうしているのだろうか。

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それがわかる写真を探したのだが……これはグリンデルワルトの駅だが、線路とホームの高さはあまり変わらない。そして車両はずっと高いことを見てとってください。


これ、旅行者にとってはきつい。とくに重いスーツケースを持つ人には、ステップを登って座席に着くまでが大変だろう。車両内も2階建てだったりするし。

ある駅(ベルン?)では、2階席からホームを見ていると、対面の列車に乳母車を押した若い女性が乗ろうとしていた。しかし、一人で持ち上げられるものではない。さて、どうするかと「高みの見物」をしたのだが、女性はすぐに近くを歩いていた男性客に声をかけた。

すると男はあっさり乳母車を持ち上げる役を買って出た。一瞬、男性は知り合いなのかと思ったが、その後ほとんど挨拶(御礼?)を言っている様子もなく、別れた。

なるほど、スイスのインフラは決してバリアフリーではないが、それを補うのはマンパワーのようだ。

ハードの不備を人と人の助け合いで……こんな「美徳」は、スイスでは普遍的なのだろうか。

それで思い出した。同じことをシステマティックにしているところが、日本にもあった。

えちぜん鉄道」である。ここではアテンダントと呼ぶ女性たちがいる。彼女らはチケット販売から乗客の乗降手助け、観光案内、お土産販売までこなすのだ。
一時ローカル線ガールズと人気を呼んだ(本も出た)し、今も鉄ちゃんの垂涎の的なのかもしれないが、彼女らの存在は、そもそもハードの不備を補うためだった。一度倒産しているため、機械化や駅舎などの設備を改善する余裕はない。そこで人を配置したのだ。コストダウンのために機械化・人件費節約ではなく、資金不足を人力で補う発想だ。

そういや、以前えちぜん鉄道のことを、熱く語っていたね(~_~;)。

http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2008/05/post_0a4c.html

http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2009/08/post-074a.html

何もスイスが全部そうだと言いたいのではない。そこまで調べておらん。ただ、ハードを充実させるより、ソフトに頼った方が安上がりになるうえ、感動を呼べる気がする。

2012/07/14

崩落工

スイスの地形を単純に言えば、巨大な盆地だろうか。

真ん中になだらかな起伏の中央平原があり、その周辺に急峻な山々が聳え立つ。そして山は、アルプスのような切り立った高山もあるが、多くは尾根部が高原状。これは氷河の成せる技かもしれないが、平原部に街のほか農地が占め、高原は牧場。森林が残るのは、ほとんど斜面だ。

そして、この斜面が恐ろしいほど急峻。日本の山も真っ青なのだ。とくに急峻と思っていた紀伊半島が可愛く見える。そんな森林地帯が林業地でもある。(日本の林業関係者諸君、『日本は山が急峻でコストがかかる……』なんて言い訳していると笑われますよ。)

さて。ある山で見かけた崖の崩落工事。

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見たところ、単純な崩落土砂の留め工である。落ちてきた石などを受け止めて道に広がることを防ぐだけ。




でも日本の治山工事と比べてほしい。これだけの急崖、日本の山ならすぐコンクリートで固めてしまうだろう。崩れないようにする工事なのだ。

その点、こちらは崩れることが前提の、崩落岩や土砂を広がらないようにするだけの工事だ。うーん、安上がり(笑)。どうせこんなに急峻なら崩れるんだし。

これぐらいの感覚で、ちょうどいいんじゃないか。

2012/07/13

「スイス」という思想~危機管理は分散と多様性で

皆さん、海外に出る際の金銭はどのようにしているだろうか。

昔は、必ずドルに両替したものだ。個人のドル保有額に制限のあった時代もある。
最近は、たいていの国でをそのまま両替できるようになった。その方が手数料も少なくて済むし、簡単だ。空港なり銀行なり、町の両替屋で現地通貨と交換すればいい。

が、私はだけでなくドルの現金も持つし、ドルのトラベラーズチェックも用意する。さらにクレジットカードも持参するが、その場合はVISAとmasterの両方を持つ。そして、それらの所持する場所も各所に分散する。財布やカバンのほか身体に密着させる方法も取る。財布も強盗用財布と称して普段のものと違うものを用意する。

なぜ、こんな真似をするのか。準備も面倒だし、手数料はかかるし、かなり煩雑だ。もし所持品の一つを失ったら、そこで損害を負う。

が、これは私なりの危機管理だ。強盗にあって身ぐるみ剥がれても、とりあえず当座の金を残せるように考えている。
今どきチェックなど使う人は少ないのだが、チェックは盗まれてもすぐ再発行してくれるから、身一つで投げ出されても助かるのだ。現金は盗まれたらまずもどってこない。カードも使えない店がある。そして、使える店も、VISAカードだけでは対応しないこともある。

かつて旅した国の中には、そうした心配をしなくてはならないところもあったのだ。町を歩いて正面から向かってくる男がいたらカッパライかと身構える的な警戒をしていた。

つまり金銭の分散と多様な所持は、小さな損を被ってしまうが、全体としての大リスクを回避する手立てである。いわば保険だ。

ちなみにスイスは極めて治安のよい国で、盗難などを心配する必要はほとんどなかった。つい油断して部屋に財布を放置してシャワーを浴びてしまった(宿舎のベッドルームとシャワー室は別々)ほど。が、本来はパスポートと現金をシャワー室まで持ち込むのが私の流儀である。

しかし、スイスが取っている政治経済上の施策は、まさに分散と多様性のリスク・マネージメントが根底にあるように感じた。

それが林業政策となると、どうなるか。

まず同じ樹種ばかり植えない。同じ樹種ばかりでは、地形や土壌条件に合わないとか、その樹木を犯す病害虫が大発生する可能性も増える。すると森林が崩壊する。
同じく一斉造林も危険だ。同じ樹齢ばかりとなり、伐り時が重なるため、持続的生産-出荷が厳しくなる。それは収益も持続しないことを意味する。
一斉に伐採することで、林地を一時的に裸にしてしまい、土壌を流亡させるなどの弊害も考えねばならない。
さらに、木材にも流行があって、その種の材価が暴落したら利益が出なくなるだろう。
また同じ材質の木材ばかりでは、幅広い商品開発も難しくなる

……このように考えれば、自ずから選ぶのは、多様な樹種が混ざり、樹齢も若木から老齢木まで混在した森づくりになる。そして伐採も、択伐手法が安全だ。

ここにスイスの多様性のある天然性林-択伐林施業が誕生したのではないか。

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ただし、この場合の木材出荷量は多くを望めない。となると、利益が出ないことになる。

そこで低コスト施業が必要となってくる。しかし選んだのは、機械化ではない。究極の低コストは、天然更新である。次世代を勝手に生えてこさせるのだ。

もちろん、すでに紹介したとおり、スイス全域が戦前から択伐施業を続けているわけではない。むしろ一斉林もたくさんある。これは一時期、農地や牧場の開発が進んで森林を切り開き、森林率がなんと12%まで落ちたことがあるからだ。
そこで一斉造林を行ったのだ。おかげで30%内外まで回復したが、同一樹種(多くはモミとトウヒ)同一林齢の森が増えた。そして今も荒れた人工林が目立つ。

だが、今また天然更新・択伐施業への転換が計られている。択伐施業は簡単でないのはスイス人自身が知っているから、そんな簡単に全域に広がるとは思えないが、とにかく多様性ある森づくりに舵を切ったのである。そして、そのための人材養成も進めている。

……まあ、しばらくすると、また施策が変化する可能性もあるが、林業を大きく発展させることはできなくても、森が生き残るためには、分散と多様性の確保だと決めたのだろう。

2012/07/12

「スイス」という思想~サバイバルの意識

ひと頃、スイスと言えば永世中立国、というイメージが(私の中では)強かった。

だが、この永世中立という国際政治に向けての宣言は「武装中立」宣言でもある。集団的自衛権、つまり一方の軍事同盟に属さないのだから、危急の際に助けてくれる勢力はないという前提で、自らの身は自ら守る、という意識が強い。

だから国民皆兵制度が今も維持されている。また毎年数週間の軍事訓練を受けねばならない。(先年、廃止案が出されて国民投票で否決された。若者は、やはり徴兵がイヤだが、老年は国防意識が強いのだろう。)
ただ、徴兵忌避に対しては、ボランティア従事などで補うこともできる。

さらに都市部では主要な建物には地下に核シェルターが設置されているという。通常は駐車場だが……また最近は地下に木質バイオマスボイラーなども設置されている。
いずれにしても、見たところ町に車があまり駐車していないおかげで景観がよくなる面もあるようだ。

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それだけでなく、農村部に行っても、車窓からこんなものが見えた。

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古墳? なんて日本人は思うのだが、地下壕である。

おそらくこののどかな広場の下には、巨大な地下シェルターが設けられているのだろう。


  

当然、社会コストは大きいだろう。経済的にも厳しいはずだ。日本のように軽武装・実質上の集団安保体制なんて選択はありえない。

が、スイス人の話を聞いていると、常にリスクを意識していることを感じた。将来、降りかかってくる可能性のあるリスクをいかに管理するか、が課題なのだ。

地理的歴史的に四方を強大な国家(フランス・ドイツ・ハプスブルク、イタリア、ときにスウェーデン、ロシア……)に取り囲まれ、しかも自分たちは強力な経済や軍事力もなければリーダーシップもない諸公の同盟体。この体制を維持するためには、こうした社会的負担を引き受ける覚悟をしているということだろう。

そのための手段としては、まずは外交である。が、決して目立たないことを旨とする。
スイスの政治家が国際舞台で活躍することなど聞いたことはない。
ただ政治の舞台は貸す。チューリッヒやジュネーブは、様々な国際会議や国際機関の拠点となり、条約が成立している。が、スイスは会議や条約に登場しない(^o^)。しかも、スイスの首都は、これらの舞台となる大都市ではなく、中央部の小都市ベルンなのだ。

とはいえ、スイスは小国だ。国土は九州よりも狭く、人口は750万人にすぎない。だから彼らは勝とうとしない。が、負けないための方策を練っている。負けないというのは生き残る、ということだ。たとえば博打でも、ハッタリで大儲けする路線は狙わず、手堅く損は決してしないギャンプラーだ。発展よりも維持。世間的には面白くない奴(^^;)。この発想は、政治だけでなく経済にも生活にも根付いている……。

でも、これこそ彼らのサバイバル意識ではないか。

サバイバルを貫徹するために必要なのは、未来を見据えることである。未来に視点をおいて、今がどう変化するかを探らねばならない。

国家・経済・社会、そして社会は不変ではなく、常に変化することを前提に考えておく。今あるものは必ず陳腐化する。とはいえ、将来を完全に予測することは不可能だ。ならば、さまざまな可能性を想定して、変化する選択肢を広げておく必要がある。数ある失敗を内包したイノベーション(ちょっとドラッカー的?)。

今日と同じ明日が来ると信じる、信じたがっている日本人と真反対かもね。

そんな「スイスという思想」を持っている人が、森づくりを行えば、どうなるか。とくに樹木は育つのに時間がかかる。幼木が育つ頃の社会情勢や経済の変化を常に想定しなければならない。このリスク管理とサバイバル的多様性をめざすのが、スイスの森林政策かもしれない。

2012/07/11

「スイス」という思想~決められない政治

近頃、日本の政治をとらえて口にされるフレーズは、「決められない政治」だろう。

大事な局面で決断ができず、ずるずる先延ばしばかり。改革の声は常に反対に合うが声の大きな反対にはすぐ右往左往、想定される将来の重大事より目先の利益をとり、結果的に事態を悪化させる……。

そこでリーダーシップのある首長が求められ、「決める政治家」が持て囃されるのだが、一見「決められる政治家」は、単に異論をぶった切るだけ。あるいは新しい世間の流れは目に入らず昔の価値観を視野狭窄的に見つめて、原発再稼働させ、増税路線を走るだけ……。
このままだと手続きを踏まずに「決断」するだけの政治家が台頭するだろう。だがそれは、民主主義の否定になってしまいかねない。

で、スイスなのだが、こちらは基本的に直接民主制である。先に書いた通り、連邦政府より州や市町村に大きな権限があり、それらの決定も市民に直接かけられる。

聞いたところ、小さな町だと、まだ市民会議的なこともするが、今は投票が増えているそうだ。だいたい年に4回は投票があるらしい。しかも1度にいくつもの議決が含まれる。村のことを決める投票に、州や政府の政策の賛否や選挙も一緒に行う。だから投票で決める議決そのものは毎年10を越すくらいかもしれない。

ちなみに投票率は低くて(20%前後?)、通常の議題に対して市民の関心はそんなに高くないらしいが、重要な議題になれば、参加できるシステムは確保されている。

しかも、投票では対立する議案の両方が否決されることも少なくないという。たとえば原発推進も原発停止も、両方が否決されてしまう。一体、どっちなんだ! という事態になることも珍しくないそうだ。

まさに「決められない政治」なのである。

道路一本作るにも、民間がビルを建てるのも、周辺住民の賛成多数を得なければならないとしたら……日本ではどうなるだろう。

だが、日本と決定的に違うのは、両方が否決されたら、必ず双方で妥協が行われ、新たな案が出されて、時間をかけても落ち着くところに落ち着くことだ。4車線の高速道路が否定されたら、2車線の道路にする、という具合に。

時間をかけて、徹底的に議論されて、落としどころを探るわけだ。何より決まれば市民自ら選んだという実感を持って施策は実行されるだろう。「決める政治家」が強引にひっぱり、不満を内包させたまま実行させる(結果としてサボタージュも生むし、首長が変われば事態はひっくり返る)日本とは「決められない」点は同じでも、内容が大違い。

世界はグローバル化が叫ばれ、スピードこそが重要とされる時代になってきたが、こんな手間隙の価格政治システムでスイスは生き残れるだろうか? いや、市民が決めることが生き残る要としているのかもしれない。

ドラッカーは、マネジメントこそが、自由と尊厳を守る唯一の方策だと語っている。
成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである

そう、手間をかけて、すぐ決められずに時間がかかるが、そこに全体主義・中央集権を拒否してきたスイス人の誇りが隠されている……と思う。そういえば、ドラッカーはスイスの隣のオーストリア出身だった。

ところでスイスのフォレスターは、公務員である。預かっている森林をうまく経営し、そこから利潤を上げる使命があるが、それで自らの給料は増えるわけではない。ならば手を抜くか? いや、もし経営が不振で反感を買えば、市民の突き上げをくらって失職するのである。まさに直接民主制によって公務員も雇用されている。決して、安穏としていられない。
だから「よい森林づくり」に邁進し、所有者に利益をもたらすように工夫し、そして住民に納得してもらえるように説明する……コミュニケーションが重要となる。

市民側に選ぶ権利さえ担保されていれば、すぐに「決められない政治」は、存外悪くないかもしれない。。。

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全然関係ないけど、写真はたしかチューリッヒの「レーニンのカフェ」。

亡命していたレーニンは、ここのカフェによく通っていたとか。

……そんなレーニンに近づいた日本陸軍の明石元二郎大佐は、彼に資金を提供してロシアに革命を起こさせようとする。その額は、今の貨幣価値で総額400億円ともいう。折しも日露戦争が始まろうとしていた。。。

日本が国家の浮沈をかけた外交を展開していた時代もあったのだ。

2012/07/10

「スイス」という思想~歴史を振り返る

これまでスイスの林業事情の断片を有料ギリギリ無料情報(^o^)として紹介してきたが、実はこんなもの、知っても仕方がないのである。

そもそも林業なんて、その土地の自然条件や社会条件に左右されるもので、そのままでは彼の国の他人事以外の何者でもない。知るべきは、自らに還元される根幹の思想的背景ではないか……と思っている。

カテゴリータイトルを、『森から見た「スイス」』としたのは、スイスという国を森の歴史から見ることによって投射できないか、という思いからだった。スイスの林業を描くのではなく、スイスという国を考える際の切り口として森林・林業を考える。もちろん、それを裏返しにすれば、国の姿からスイスの林業を理解する助けになるだろう。

実は、その前に『森から見た「ニッポン」』も考えていて、同様に日本という国を森林史を通して描く可能性を考えていた。人が森とどのようにつきあってきたか、という切り口によってニッポンの新たな姿を浮かび上げ切り取れないかという、ちょっと気宇壮大な発想だ。

そこで、またまた断片的ながら、「スイス」という思想をかじってみたい。もちろん有料ギリギリ無料情報である。

手始めに、スイスの歴史をかじる。

……と言っても、スイスという国はいつ誕生したのか探すと、早くも混乱する。

旧石器時代の遺跡はあるそうだが、クニらしきものを形成するのは、紀元前1500年ほど前にケルト系のヘルウェティイ族の部族国家が最初である。そこに勢力を伸ばしたのがローマ帝国で、やがてゲルマン民族の大移動が始まり、ローマ領となる。西ローマ帝国の衰退後はブルグント王国ができるが、やがてフランク王国となり、さらに分裂後は、神聖ローマ帝国の一部となった。が、これは小領主の集まった地域だったということだろう。神聖ローマ帝国に政治的実体は希薄だからである。

やがてハプスブルク家が自らの勢力下におこうと侵出してくるが、それに対抗するために中央スイスの3地域(諸公)が1291年相互援助の「永久同盟」を結ぶ。これが原初スイスのスタートだ。

その後はモルガンテン同盟とかルツェルン同盟、チューリッヒ同盟、8邦同盟……この過程は複雑すぎて読んでもわからんが、形を変えながら同盟参加諸公を増やしていく。一時は非同盟国を攻めて支配下に置くような時期もあったようだ。またツィングリの宗教改革もあったし、宗教的にも様々な勢力が割拠したらしい。そして多くの戦争が起きた。

そして神聖ローマ帝国から独立し、ナポレオンの影響下に入ったり、また独立したり、分離同盟戦争が起きて……わからん(-_-)。ナポレオン後の1815年ウィーン会議で永世中立国となったことは有名。とにかく1848年に初期のスイス連邦が成立する。

なんだ、日本の明治維新に近い年に正式に独立近代化したのである。

とにかく、スイスは小領主の国の同盟体として形成されてきて、強大な中央集権国家の経験は一度もない。それところか連邦国家の意識も希薄で、各州の同盟が基礎になって生まれている。連邦ありきではなく、州(カントン)ありきなのだ。

そのため州(カントン)の権限が強く、またその中でも市町村のチカラが強い。さらに直接民主制であり、市民による合議制である。連邦の権限は限定的だ。そういや、スイスの大統領なんて、誰も知らないだろう。いない……というか、持ち回りなのだから。

言い換えると、極めて分権的で各地ごとに独自性があるということだ。また強力な権力もないことになる。そもそも分権という言葉自体が中央的発想であり、本来は「自分で決める」「お上にゆだねない」ではないだろうか。

同時に、歴史的に周囲の国から狙われてきて、その中で小国の生き残りをかけて複雑な手練手管を展開してきたことがうかがえる。小国が次々と同盟を結び、同時に複数の国に保険をかけておく。永世中立だって、甘っちょろい平和主義ではなく、武装中立であり、国民に極めて重い国防負担を強いている。仮にスイスを攻めたら死に物狂いの抵抗が待っていることを周辺諸国は感じている。また国際政治の外交の場を提供するとともに、金融の要になる道を選んだのも生き残り策の一つだろう。
だからこそ第1次、第2次世界大戦を、基本的に無傷でかいくぐった。

分権と生き残り。この2つがスイスの国是とも言える意識ではないか。

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スイス国旗がはためくチューリッヒの町並み。

 

国旗が正方形というのは、スイスだけだそう。

ともあれ、分権指向の高いスイスに森林政策に当てはめると、多様性の高い林業を展開する素地があることに気づくのである。

2012/07/09

森林コミュニケーション

スイスのフォレスターについて若干触れたが、彼らを生み出しているのは、ちゃんとした教育機関「リース・フォレスター学校」である。

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学校は、木造3階建て。その構造も面白いし、また内装も興味深い。この点を語るだけでかなり書けてしまう。

宿舎もあり、我々もそこに泊めてもらった。

ただ入学するには、義務教育9年を経て森林作業員としての職業訓練を3年、上級森林作業員になって……そのうえでこの学校で2年間学んで、そこで座学に実地研修をみっちり行い、ようやく国家資格としてのフォレスターを受験できる。かなり厳しいことは間違いない。

1969年設立で、これまで1000人の卒業生を出しているらしい。毎年20~30人程度の計算になる。経営は、11の州の出資で作った基金で成り立つ。

またフォレスター以外のレンジャー養成コースもあるし、林業会社の経営やら作業員の再教育などいろいろコースがあるそうだ。それらに対する教育カリキュラムも詳しく教えてくれた。

が、この学校でどんな教育がされているか……ここまで来ると、またもや有料情報の域に達する(⌒ー⌒)のでパス。実は、この当たり、まともにメモを取っていない私は、記憶していないのだが……(-_-)。いや、その、有料情報だからね。

ただ、鮮烈に覚えていることがある。

それは、「森林コミュニケーション」という単位があることだ。

森林コミュニケーション!

コミュニケーション能力がなければ、フォレスターにはなれない。いや、向いていない。

我々は何なのか。どのようにする(したい)のか? 現場はもちろん社会、経営、経済、みなコミュニケーション力を磨くことで目的を遂行できる、そして必要なネットワークを築いていなければないない……。

う~ん。

日本のフォレスター(に限らず、施策遂行担当者を含む関係者)は、森林の知識なんか後回しにして、これだけでも学んでほしい。命令したり、補助金ぶら下げたり、パワーハラスメントして実行するのではなく、コミュニケーション能力で勝負してほしい。

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フォレスター学校にあった木彫り。チェンソーアートだろうけど、表面は磨いてあった。

2012/07/07

樹齢は気にならない?

スイスの森を案内されると、やはり巨木に目が惹かれる。

で、すぐに思うのは「この木の年齢は何年だろう?

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これはカエデだったか。高く売れるという話は熱心だったが、樹齢は出なかった。

 

  

これは私だけでなく、日本人なら普通だと思うのだが、太い木を見ると、ここまで太くなるのは何年かかっているのか樹齢が気になるものだ。縄文杉だって、各地の巨樹巨木を見ても、それが樹齢数千年という数字を聞いて、納得したり感動する部分が大きいのではないか。

また林業でも、この巨木の森は林齢 何年?とか思う。吉野でも林齢 300年の森!と聞いたら感動するわけだ。

ところが、スイスで太い木を見て「樹齢何年くらいですか」とフォレスターに聞いても、あまりはっきりした答は帰って来ない。

「私が赴任したときから、この太さだった」なんて応えられたりする。

突っ込んでも、「この森は何年前に皆伐されているから……」と言った返事。

意外と太さから見当をつけるという発想はないらしい。

これは一斉造林ではなく、天然更新が多いことも関係しているかもしれないが、意識として樹齢を気にしていないように感じた。

実際のところ、100年を少し越えるくらいの木がほとんどのように感じた(数百年という大木はほとんどないようだ)が、木の見方が日本人と少し違うなあ、と思った一コマだった。

※ちなみに、明日は早朝から深夜まで、お出かけ。スイスから帰国以降初めてかな。だから休載にしておく。

2012/07/06

スイスの施業理論

林業技術には触れない、それは有料だ、と序章では書いたのだが、少しだけ。

ある森に案内されて、「この森を皆さんならどのように育てる?」と質問を投げかけられた。

これは、森づくりの考え方と、そのために行う施業(具体的には、どの木を伐って、どの木を残すか)を問われたのである。

視察メンバーには林業関係者も多いのだから、みんなそれぞれ考えただろう。

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この森は、高く売れるカエデの大木のほか、タモがよく生えていた。

通常、日本人なら育ちの悪い木を伐ることを考える。つまり「この木は生長が悪い、この木は曲がっていて材にならない」などと劣勢木間伐の発想だ。劣っているものを除き、優れているものを残す(より伸ばす)、という弱肉強食的な考え方と言ってもよいかもしれない。

私は、これこそ戦後に広がった切り捨て間伐作業が残した弊害ではないか、と思っているのだが…。

ここで細かな成り行きは飛ばして、フォレスターの示した方法を紹介する。

まず、将来大きく育てて金になると睨んだ木を選ぶ。

次に、その将来木の生長を邪魔しそうな木を選んで伐る、というものだ。ただ簡単に「邪魔しそうな木」を選ぶのではない。たとえば樹冠の広がりや根圏の広がりを調べて、光や栄養素の奪い合いしそうな木を見つける。また斜面の方向などがら水系も読んで、水分量を推測して取り合いにならないかも考える。もちろん土質も重要だし、林道からの距離も考える。

こうした点から択伐するのだ。将来木施業である。

ただしフォレスターは、これは自分が考えた選択であって、正しいかどうかはわからないと念を押した。奥ゆかしいのである。ま、自信タップリだったけど(^o^)。

 
 

 

せっかくだから、私が現地で考えた、私なりの施業方法を。

私は、実は全然違う発想を持っていた。というのは、私は優勢木間伐理論(俗に言うなすび伐り)に惹かれているからだ。

劣勢木を伐る必要はない。なぜなら被圧されているか、遺伝子的に劣勢な木は、放置してもどうせ伸びないし枯れる可能性が高い。そんな木を労力かけて伐る必要はないと思っているのだ。
むしろ現時点でもっとも高く売れる木を先に伐るべきではないか。その木は、来年になると樹病や害虫、獣にやられて売り物にならなくなるかもしれない。あるいは風害で倒れるかもしれないのだから。高く売れる時に売る、というのが林業的に王道のような気がする。

そして、優勢木の近くにあって、被圧されていた劣性木を、優勢木を除くことで大きく伸ばしてやりたい。もしかしたら、その木は将来の優勢木になる可能性を秘めているから。
これはリスク管理や先の読めない経済動向を含めて、今ある潜在的利益を早く手にして利益を確定させ、時間を武器に低質物を高品質に変わる可能性を追求する理論である。

……いじめっこを退治して、解放されたいじめられっこが持っている隠れた才能を開花させる理論かもしれない(⌒ー⌒)。

もちろん、こうした施業理論は森林の条件だけでなく、そこには各人各様の理念や経験、人生観までが大きく関係してくる。どれが正しいとか間違っているかなんて決まっていないのは言うまでもない。答が出るのは何年も先だ。

さて、皆さんはどの理論を取り入れる?

2012/07/05

フォレスターの知識

スイスのフォレスターに、彼が管轄する森を案内してもらった。

そして説明を受けたのだが……それを聞いていて、私は愕然としたのであった。

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右がフォレスターのロルフ氏。



 

まず語られたのは、スイスの地史である。氷河時代から始まり、氷河が削った地形(カール)や削った岩屑が溜まった堆石・堆丘(モレーン)やら、気候の変化の話やら。昔懐かしい地理学の授業を思い出す。
さらに地質学・土壌学にまで及ぶ。そして当然ながら植物の知識。動物の知識。分類に生態、樹病生理や遷移の話まで。根系の広がりやら地下水系の話も。
いやいや、それに留まらずスイスの林政の歴史、そして経済史にも及ぶ。それも半端な聞きかじりでない。ちゃんと系統立てて勉強したことがうかがわれる。

まるで学者の講義を受けているようだったが、その結果としての森づくりが語られるのだ。崩壊地には何を植えたらよいか、というくらいならまだしも、それが生長して将来どうなるか、遷移の予想とその途中に起こり得るリスク。それらを勘案して、木を植えたり伐採したりするわけだ。ほとんど博物学的な要素が求められる。

かといって、学者もどきなのではない。むしろ林業家としての経営が語られる。今、ブナの材は安値であること、タモは生長はよいが、在来病原菌が猛威を奮っていて、植えても育たない可能性があること。どの木をどのように育てたら高値で売れるか……。

この地には、20種の樹木が生えるが、そのうち19種までは売り物になるという。また10種は市場に持っていけば引き受けてくれるが、残り9種は自ら売る努力をすること。

たとえば私は目にしたシラカバを、どのように売るのかと聞くと、うまく育てると銘木になると言った。シラカバが建材になるとはねえ。ただ通常は製紙チップらしいが。

 

こうした知識を持った林業関係者は、果たして日本に何人いるだろうか。受講者の能力や興味、努力にもよるが、根本的な資質が違うように感じる。現在養成中の准フォレスターに、それだけの勉学をさせているだろうか。
そもそも(准)フォレスターの教師役が、そうした知識を持っているのか極めて疑問だ。知らない人間が知らないまま教えて養成するなんて漫画にもならない。

冒頭、私が愕然としたのは、「フォレスターには、これだけの知識が要求されるんだ」ということに驚いたのだ。

日本版フォレスター、大丈夫?


2012/07/04

植林木の巨樹に対する眼

少しスイスから離れるが、これは昨日のエントリーを受けたものである。

ちょうど今月のグリーンパワー誌の「大樹悠々」に鳥取県智頭町の「慶長杉」が紹介されている。(執筆者は林政ジャーナリストの井原俊一)

慶長杉は、日本最古の植林木とされている。現在26本が残され、幹周り4m超えのものもある。西暦1600年に植えられたと伝えられることから樹齢410年を超えていることになる。戦後間もなく強風で倒れた木の年輪が335本だったというから、それに合わせると今年で402年になる。
秋田杉や梁瀬杉、吉野杉でも300年ほどだから突出して古い、と記す。

ちょっと、それはどうかな。吉野(川上村下多古村有林 )には、「歴史の証人」と名付けられた古い植林木が保存されているが、そのうちの少なくても3本は樹齢400年前後のはず。ほかにも250年以上のスギやヒノキが数十本残る。そして、こちらも「日本最古の人工林」を名乗っているのだ(^^;)。吉野の最初期に植林された地域を保存するために村が購入したという。

 

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これが、「歴史の証人」の1本。胸高直径1,6メートルもある。


ま、どちらが古いかなんてことはどうでもよい。植えた時期を競うだけなら、神社仏閣にもっと古い木があるかもしれない。

ただ慶長杉の所有者である石谷家では、「伐らずが肥え」という言葉が伝えられていたそうだ。つまり伐るな、伐らねば木は太る、という意味だが、これを真正面から捉えると、林業を放棄している。ある種、記念樹である。

ところが、「歴史の証人」は、少し前(と言っても、今から10年近くになるか)に4本伐採している。それも保存のために林地を購入した村の主導だ。

私が「勇気あることしますねえ」と担当者にいうと、「林冠が塞がっていましたからな。あのままでは共倒れになります」と事も無げに言った。

口の悪い県職員は、「お金になるからでしょう」と言ったが……たしかにあれほどの大木ならば材価低迷の時代でもかなりの値がついただろうが……それは後づけの理由だ。大木が密集した場合、十分に考慮しないとお互いが殺し合うこともある。それを見極めねはならない。

が、私が感心したのは、たとえそうであっても「保存」のため、「歴史の証人」と名まで付けた木を抜き伐りする判断した勇気である。世間的には、そんな木を伐ったら世間から非難されかねないと嫌がるものだ。

おそらく我こそは吉野林業の担い手、という意識の高い川上村の人間として、伐るべきは伐る、ということに迷いはなかったのだろう。

そこで、改めてスイス・エメンタールの森を振り返るのだが、こちらも林冠を重視していた。

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これは、エメンタールの森の林冠。結構、空いている。

決して、林冠を閉鎖させてはいけないのだそうだ。

閉鎖すると、林床に光が入らななくなり、それは次世代の木々を育たなくする。そして上層木も育つ余地を失う。それではいけないので、択伐を行う。

限りなく天然林に近い森にすると同時に、林木の生産を行える森にすることが目的なのだ。そのために人が手を加える……これがスイス林業の近自然森づくりだろうか。

巨木ばかり育ててはダメというフォレスターの意見も、吉野林業の発想を思い出すことで理解できる気がした。

長く生かすと天災リスクも増す。また太い樹木は生長量が鈍るという点でも、合理的ではない。価格も、かけた時間に比例するほど高まるかどうかはわからない。

林業の眼。市民の眼。巨木は、双方から睨まれている。

2012/07/03

エメンタールの択伐林2 

実は、エメンタールを訪ねて、最初に見せられたのは、自慢の森(天然林そっくり施業林)ではない。むしろ「失敗作」を見せよう、と案内されたのである。

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この写真だけではわからないだろうが……立ち並ぶ木々の直径はいずれも60センチを超える巨木が多い。ほとんどモミとトウヒだ。

全部、というのではなく、たしか1ヘクタールに40数本とか言っていた記憶がある。すみませんねえ、メモも取らないで……。

日本人的感覚としては、巨木の森づくりしているんだ、いいじゃん、と思うのだが、それをフォレスターは失敗だという。

なぜなら、巨木すなわち高齢木が多すぎるのは、森として健全ではないからだ。よい森は、若木から老木までバランスよく育ち、また配置されている森だという。

フォレスターが赴任した際に、巨木を伐りすぎているように感じて伐採量を減らしたが、それが悪影響になったとも言った。そしてグラフなどを見せてくれる。たしかに森の蓄積が高齢木に偏っていることを示している。

とはいえ、一般の日本人には、巨木の森を作ったことを失敗だというのを理解できないかもしれない。だが持続性を考えると、樹齢のばらつきも安定していなければならない。さもないと、木材生産量も安定させられない。また更新もうまく行かないだろう。

エメンタール(に限らないが)の施業方針は、ここに行き着く。安定であり持続性を要求する。彼らの森林経営の第一義的な指針は、ここにある。森林の存在の仕方も、木材の生産も、これを基本としているようだ。巨木林がいけないように、いきなり伐採跡地になったり弱齢林になってはいけない。常に同じような林相を維持すること。
それを低コストになし遂げるために取られているのが、天然林施業(択伐施業)である。植林や育林に手間やコストをかけないで行える。

ちなみに20万ヘクタールに年間6000本くらいの植樹をするという。つまり100ヘクタールに3本しか植えない計算になる。そして生産量は2万立米。9~12立米/ヘクタールである。

年間ヘクタール当たり20分の手入れ、4時間の伐採搬出だそうである。

この数字も、いい加減なメモなので正しいかわからん(^^;)。

ここで、私は質問したかった。なぜ、失敗作という巨木林を残しておくのか? 

フォレスターは、聞く前に自らいくつか理由を上げた。

失敗の見本だとかも口にしていたが、耳に残ったのは「市民は巨木が好きだから」。

なんだ、やっぱり(笑)。納得した。

市民が美しく思い、素敵に感じるのは、やはり巨木の林立している森なのだろう。私も、この森がエメンタールで一番見た目がよかった。

美しさと収穫を両立させることを厳密に問えば、微妙だろう。収穫を長いスパンで捉えたら、巨木ばかりだと不安定になる。

え? 美しさは不安定にあり、だって? 

2012/07/02

エメンタールの択伐林1

このままスイスに関しては、無駄な思い出話に終始したら、皆さん怒りだすだろうか、なんて考えてしまった(^^;)。

ま、じわじわ執筆しようと思っているのだが、あんまり引っ張るのもナンなので、初っぱなにハイライトを。

それはエメンタールの択伐林(プレンターワルト)である。英語では、The Emmental Farm Forestとなっている。メーラーの唱えた恒続林の一種でもあるだろう。
ここでメーラーの「もっとも美しき森は、またもっとも収穫多き森である」という言葉を思い出そう。

この森林は、ベルン州の高地エメンタール地方の約20万ヘクタールの森だ。スイスでは降水量の多い土地でもあり、もともと植物の生育のよい土地のようだが、かつては一斉造林と過剰伐採が行われ荒れていたそうである。それを1904年に択伐施業に転換する。(現地で説明してくれたフォレスターによると、1905年)

ここで択伐施業というのは、いわば天然林施業である。人が手を加えつつ、もっとも自然な状態の森を作る施業と思えばいいだろう。一斉林とは対局の多様性の高い森づくりをめざし、樹木草木動物などのバランスを重視する。伐採は択伐で少量ずつ行うので、日本には択伐施業林として伝わった。

それはまるで天然林のごとくの林相をしているので、戦前視察した日本人は、これぞ最高の林業だと絶賛した。

その点については、スイス林業は世界一?の項目でも書いたが、スイス全域ではなく、幾つかの地域で行われていたものだった。ただ視察者にとっては、やはり感激ものであったようだ。

私は今から約70年前の記録を読んでから視察に臨んだわけだが、案内してくださった郡のフォレスターの説明が、戦前のものと結構似通っていたので、感心? してしまった。基本的な択伐施業の方法は変わっていないのである。

……と書きつつ、その技術については割愛(^o^)。

幾箇所か森の中を案内されて、現在択伐を進めて生物多様性を高めようとしているところと、ほぼ完成した状態のところなどを見せていただいた。

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モミとトウヒが優占する森である。ブナもある。この3種が大半。

    


……残念ながら、森としては感激しなかった。美しいとは思えなかった。

もちろん、見た目はほぼ天然林である。これを人の手でつくり上げたのか、という思いは持てた。

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こんな切り株もあり、まったく人の手を入れないのではなく、択伐として人の関与があり、木材を収穫しつつ、こんな森づくりができる、という意味の感心もした。



      

だけど、森としては、そんなに美しいとは感じなかった。これは個人的感想であることは言うまでもないが、日本の森、さらには熱帯の森を見てきて、そこにあふれる生物多様性を目にした眼には、全然多様性を感じなかったのである。いや、貧弱にさえ感じた。

やはり樹木の大半がモミ、トウヒ、ブナしかないということが大きい。灌木だってそんなになかった。草は? よくわからないが、日本の雑草とは大違いの品行方正さ(笑)を感じた。

なぜ、そんなに多様性が低いのか?

これは当たり前なのだ。だって、スイスには、いやヨーロッパにはそんなに植物の種数は多くないからである。

聞いたところ、スイス全土で高木樹木の種類は26種類しかないのだ! ヨーロッパ全土に広げても、せいぜい100種くらいか。低木を加えても、そんなに増えない。せいぜい2倍くらいかなあ。草本も似たようなものだろう。

これは、ヨーロッパが氷河に覆われて、多くが絶滅したからだ。温暖期に入っても、アルプスに阻まれて、南下した植物は十分に北上できなかった。

これって、日本の10分の1以下だろう。日本では、樹木と言えば1000種以上あるのが当たり前だ。低木、草本を加えたら数千種。熱帯アジアならそれがまた10倍以上に膨れ上がる。そんな多様性は、ヨーロッパ、スイスでは望むべくもないのである。

むしろ日本の人工林なら、かつてスギとヒノキを混植していたし、すぐに広葉樹が侵入するから似た森があるように思う。

だが、フォレスターの説明を聞いていると、この森の意義は、まったく違うところにあることに気づく。恒続林は美しい、という思い込みを崩されるのである。 

以下、またいつか(^o^)

2012/07/01

ブルーノ・マンサーの思い

スイスの森、そしてスイスの林業と言っても、すぐにその特徴を思い浮かべる人は極めて少ないだろう。

私もそうだ。スイスについては、ほとんど無知に等しい。そしてスイスと私をつなぐ糸も、極めて見つけにくい。

ただ一糸を除いては。それは、ブルーノ・マンサーである。

ブルーノは、ボルネオの少数民族プナン族を巡り、熱帯雨林の伐採反対運動で世界的に知られたスイス人である。

プナン族は、世界的にも稀少な遊動性の狩猟採集民族で、ボルネオ(マレーシア・サラワク州)北東部にいる。いや、いた、と過去形にしてもよいかもしれない。すでに遊動生活を行うプナン人は一握りだからだ。

1980年代のブルーノは、彼らに憧れ、彼らの世界に入って一緒に生活した。だが、伐採によって熱帯雨林がどんどん失われる過程で生活に困った彼らは、伐採業者に抗議して林道封鎖(プロッケード)を行う。ブルーノも、彼らと行動を共にした。そして警察に逮捕されてしまうのである。

トラックから飛び下りて逃げ出したブルーノは、この事態を世界に訴えるべくサラワクを密出国し、国連機関やNGO、マスコミに呼びかける。世界中で熱帯雨林伐採反対の声が高まったのは、彼の行動をきっかけとしている。
やがて集まった寄付でブルーノ・マンサー基金が設立され、彼の活動を支えるようになった。

実は、私もボルネオとは学生時代から通っていた土地であり、この事態に興奮したのだ。そして1990年代に再びボルネオに毎年通うようになった。

ブルーノとも、一度会っている。彼が日本を訪れプナン族の問題を訴えに来た際に大阪でお会いした。当時の私は、まだサラリーマンだったか、独立直後だったか……。

挨拶すると、ガシッと握手を求められた。意外と背が低く、小柄だった印象だ。

集会後、食事をするために京橋の居酒屋に行ったことを覚えている。料理に割り箸が出たら、複雑そうな表情を浮かべていた。当時、割り箸は熱帯木材から作られている、割り箸が熱帯雨林を破壊していると喧伝されていたのだ。

私は、そうではないと説明しようとしたが、うまく行かなかった。「これは熱帯木ではない」と言ったものの、割り箸の木の素性について、十分に自信がなかった。彼は、あきらめて割り箸を割って意外と器用に食べていた。

プナン族と一緒に過ごしたのは、「リサーチ(調査)のためか」と聞くと、彼は一瞬憤然とした顔になった。そして、しぶしぶ?うなずいた。だが、彼らと仲良くしたかったんだ、と後に言った。

ブルーノは、一般には環境保護運動家とされているが、およそそんな活動に似つかわしくない人柄だった。冒険家ではあったが、組織力や計画性よりは、感性を重視しているタイプだ。決して少数民族を民族学研究のため「リサーチ」しようとしたのではなく、最後の狩猟採集民族とともに自然の中で生きてみたかったのだろう。

その後、私は、ボルネオの熱帯雨林問題の中に日本の森林問題を見て、森林に関する執筆を増やしていく。およそブルーノとはアプローチの仕方は違うが、私をこの世界にいざなった一人である。

……そう考えると、私とスイス人との間には、満更でもない関係があることになるね(^o^)。

 

その後、ブルーノは地球サミットにも出かけ、やがて熱帯雨林の保全が世界的な課題となった。その意味で、彼の功績は大きいのだが、プナン族の窮状はなかなか改まらず、幾度も奇矯な行動でプナン族問題を訴えようとした彼に、マスコミも注目しなくなっていく。

そして、再びプナン族の元へ行こうとサラワクに潜入した彼は、姿を消した。暗殺されたとも言われるが、おそらくジャングル内の事故で亡くなったのだろう。

私も、幾度か通う中で、遊動生活を送るプナン族の兄妹に会って話を聞いたことがある。(そのことはブログに書いた気もするのだが……。)
また近年の定住生活を送るプナン族の変貌についても、書いたように記憶するのだが……。ヒマな人は探してください。

ちなみに、こんな文章も書いていた。これはHPである。
http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub5-6.html

ともあれ、今回は『森から見た「スイス」の序章』としての思い出話を記したが、今思えば、ブルーノが憧れた狩猟採集生活=自然と一体となった暮らしは、スイス人の自然観や森林への思い、そして人生観などを推察する手がかりになるような気がしてきた。単に彼が特異な人物だったと片づけるのは、もったいない気がするのである。

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森と林業と田舎