「スイス」という思想~サバイバルの意識
ひと頃、スイスと言えば永世中立国、というイメージが(私の中では)強かった。
だが、この永世中立という国際政治に向けての宣言は「武装中立」宣言でもある。集団的自衛権、つまり一方の軍事同盟に属さないのだから、危急の際に助けてくれる勢力はないという前提で、自らの身は自ら守る、という意識が強い。
だから国民皆兵制度が今も維持されている。また毎年数週間の軍事訓練を受けねばならない。(先年、廃止案が出されて国民投票で否決された。若者は、やはり徴兵がイヤだが、老年は国防意識が強いのだろう。)
ただ、徴兵忌避に対しては、ボランティア従事などで補うこともできる。
さらに都市部では主要な建物には地下に核シェルターが設置されているという。通常は駐車場だが……また最近は地下に木質バイオマスボイラーなども設置されている。
いずれにしても、見たところ町に車があまり駐車していないおかげで景観がよくなる面もあるようだ。
それだけでなく、農村部に行っても、車窓からこんなものが見えた。
おそらくこののどかな広場の下には、巨大な地下シェルターが設けられているのだろう。
当然、社会コストは大きいだろう。経済的にも厳しいはずだ。日本のように軽武装・実質上の集団安保体制なんて選択はありえない。
が、スイス人の話を聞いていると、常にリスクを意識していることを感じた。将来、降りかかってくる可能性のあるリスクをいかに管理するか、が課題なのだ。
地理的歴史的に四方を強大な国家(フランス・ドイツ・ハプスブルク、イタリア、ときにスウェーデン、ロシア……)に取り囲まれ、しかも自分たちは強力な経済や軍事力もなければリーダーシップもない諸公の同盟体。この体制を維持するためには、こうした社会的負担を引き受ける覚悟をしているということだろう。
そのための手段としては、まずは外交である。が、決して目立たないことを旨とする。
スイスの政治家が国際舞台で活躍することなど聞いたことはない。
ただ政治の舞台は貸す。チューリッヒやジュネーブは、様々な国際会議や国際機関の拠点となり、条約が成立している。が、スイスは会議や条約に登場しない(^o^)。しかも、スイスの首都は、これらの舞台となる大都市ではなく、中央部の小都市ベルンなのだ。
とはいえ、スイスは小国だ。国土は九州よりも狭く、人口は750万人にすぎない。だから彼らは勝とうとしない。が、負けないための方策を練っている。負けないというのは生き残る、ということだ。たとえば博打でも、ハッタリで大儲けする路線は狙わず、手堅く損は決してしないギャンプラーだ。発展よりも維持。世間的には面白くない奴(^^;)。この発想は、政治だけでなく経済にも生活にも根付いている……。
でも、これこそ彼らのサバイバル意識ではないか。
サバイバルを貫徹するために必要なのは、未来を見据えることである。未来に視点をおいて、今がどう変化するかを探らねばならない。
国家・経済・社会、そして社会は不変ではなく、常に変化することを前提に考えておく。今あるものは必ず陳腐化する。とはいえ、将来を完全に予測することは不可能だ。ならば、さまざまな可能性を想定して、変化する選択肢を広げておく必要がある。数ある失敗を内包したイノベーション(ちょっとドラッカー的?)。
今日と同じ明日が来ると信じる、信じたがっている日本人と真反対かもね。
そんな「スイスという思想」を持っている人が、森づくりを行えば、どうなるか。とくに樹木は育つのに時間がかかる。幼木が育つ頃の社会情勢や経済の変化を常に想定しなければならない。このリスク管理とサバイバル的多様性をめざすのが、スイスの森林政策かもしれない。
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なんとなくスイスの地理的な制約、特に農産物の偏りがこういう政治を生んだ様にも見えるんですけれど、その辺はどうなんですかね。例えば日本だったら長野辺りが独立国家としてスイスみたいになる可能性があったかどうか。
投稿: | 2012/07/13 09:29
地勢学的な要素は多分にありますね。食料の自給率は高そうです。
そういや長野(信濃)を統一するような戦国大名も登場しなかったし、各領主間の同盟も成立しなかった。だからハプスブルク家みたいな武田家に占領されたのか? 長野は独立できそうにない……(笑)。
投稿: 田中淳夫 | 2012/07/13 12:56